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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-22 異界転生

 ゆらゆらと揺れる篝火が狭い路地裏に影を落とす。
 ふらふらと定まらない足取りは酩酊しているかのようだが、動き続ける影は一定の規則に従って踊っていた。左足を軸にして、高く上げた右足をくるくる回す。ふわふわと上下に舞わせる。影の舞いゆえに回転の動きは輪郭の変動という形で表現される。人の形をしていた異形は、いつしか奇怪な獣の顔へと変貌していた。獣は獰猛に牙を開き、獲物を捕食する。

「あおーん、ばうばう」

 平坦な声。鮮血が飛散して、建物の裏手を赤く染めた。
 赤と黒が踊る場所。踊り手は一人。観客は積み上がった屍。
 断末魔の拍手喝采は途絶えて久しく、舞台の上で演目を終えた舞い手はスカートの裾を摘んで膝を折り曲げる。誰もそんな礼節を知らない。異界の参照。
 そこまでが、ミヒトネッセの呪術儀式だった。

「カーテシーって言うんだったかしら、それ」

 出し抜けにかけられた声に、侍女服の踊り子が反応する。
 すぐそばにある建物の二階、迫り出した露台から身を乗り出して一部始終を見物していた者がいた。
 紅紫マゼンタの長い、余りにも長い髪が二階から垂れ下がり、地面にまで届いていた。露台の手摺りには長い髪の少女を挟むように小さな人形が二つ。

「今のは、狼の暗喩? 食べちゃうぞって、性的な意味で?」

「説明したら解釈が固定されちゃうでしょう。演じ手にそういうことを聞かないで。勝手に推測するくらいはいいけど。批評呪文は常に開かれてるから」

 ミヒトネッセはつまらなさそうに言って、長い髪を掴む。ぐい、と腕に力を込めて身体を持ち上げ、縄梯子を昇るようにして二階まで登り切る。

「ちょっと、痛んじゃうでしょ」

「そうだそうだ、レッテの言うとおりだ。やめなよミヒト」

「ネッセは相変わらずすごい力だなあ。腕だけですいすい登り切っちゃうもん」

 髪を梯子として使われた少女――アレッテ・イヴニルことレッテが文句を言い、左右で人形が甲高い音を出す。ミヒトネッセはわずかに首を傾げた。

「その為の髪でしょう?」

「まあそうだけどね。ここは塔と呼ぶには少々見窄らしいわ。私に相応しいだけの竜蛇の形は中々見つからない。竜殺しの英雄もね」

「英雄なら、たった今、ことを成し遂げたみたいだけど」

 ミヒトネッセは狭い建物と建物の隙間から見える空を見た。
 天空の裂け目から巨大な剣が現れ、今まさに落下した所だった。恐らく爆心地では未曾有の混乱と災厄が起きていることだろう。
 とはいえあれは呪術的な破壊。『王国』のみを殺す剣が落ちたところで、物理的な被害は一切無い筈だ。『女王』も無傷のままである。

 【死人の森】は破壊され、『女王』もまた力を失うだろうが、完全に滅び去るわけではない。まして相手は幾多の神格を打倒し、取り込み、支配し続けた恐るべき大地母神。周囲の助けがあれば『王国』の再生も不可能ではない。

 ――そして、その事実こそが最悪で滑稽な悲劇を生む。

「あは。英雄? 道化の間違いじゃなくって?」

 レッテはわざとらしく笑って見せた。ここにはいない誰かを蔑むように。
 ミヒトネッセは淡々と答えた。

「滑稽に演じたのは私の解釈。レッテにもそう見えたのなら、まあその素質はあるのかもしれないけど。一応イアテムは真面目に『英雄』をやろうとしているみたいよ――私に言わせれば、『英雄』なんてもの自体が滑稽極まりないんだけどね」

「ふうん。そう言えば、グレンデルヒは道化になったんだっけ。あれって自虐のつもりなのかしら。ミヒトネッセは中に入っていたんでしょう? 気持ち、わかるんじゃないの?」

「さあ。そもそもアレに自由意思なんてあったのかな――操り人形だったんじゃないかと思えてならない。だとすると、敵に支配されている今のグレンデルヒはそこそこ幸せなのかもね。叛逆という自由意思の夢を見ていられるから」

「ああ、そっか。それは素敵な夢ね。きっと楽しいでしょうね、グレンデルヒ。いつトリシューラの寝首を掻いてやろうか、なんて考えてるのよ、きっと」

 二人は羨むように英雄たちの名を口にする。
 あり得ない絵空事を、言葉の中だけで楽しむように。
 ミヒトネッセの瞳から、煌めくような憧れがさっと消える。

「英雄なんて操り人形。王もそうね。私と同じ」

「『私たちと同じ』でしょう、ミヒトネッセ」

 レッテが訂正するが、ミヒトネッセはそれを否定した。
 どこか必死にもう一人の人形と自分との違いを強調する。

「貴方は違うわ、レッテ。貴方は主役だもの。端役の私とは違う。二つの『王国』の正統な王権保持者であるレッテはこれから始まる争乱に参加する資格がある。『王殺し』を成し遂げれば、貴方が『女王』になれるんだから」

「どうかしら。ラクルラールお姉様はきっと、勝者が私でもトリシューラでも困らない。だって最終的にはあの方の糸で傀儡の王を操るだけだもの」

 レッテの口調には熱が無い。
 全てを諦めきったような、世を斜めに見るような目をしていた。

「ああ、でも、私が勝ったらトリシューラは『杖の座』からも『使い魔の座』からも用済みになるかもね。そうしたら――貴方が攫っていっても困らないんじゃないかしら。末妹選定とは関わりのない所で、二人で静かに暮らすとかどう?」

「私は、別に」

 ミヒトネッセは恥じらうように俯いてスカートの裾を握った。
 何の虚飾も無しにその事と向き合うのは、ミヒトネッセにとって勇気の要ることだったのだ。レッテはそんな彼女の手を取って、優しく語りかけた。

「あの子が勝ったら一緒にいればいいの。ラクルラールお姉様の庇護の下でトライデントの『左腕』として共に戦えばいい。私が勝ったら逃げればいいわ。ほら、どっちにしても一緒にいられる。それがミヒトネッセの一番でしょう?」

「でも、それじゃあレッテが」

 ミヒトネッセの口を、細い指先が押さえた。
 レッテは薄く微笑んで言った。

「いいの」

 するすると垂れ落ちた紅紫の髪が動いて、手指のように柔らかく持ち上がった。髪房がミヒトネッセの淡黄色の髪を優しく撫でる。

「構わないから、こういうときくらいお姉さんに甘えておきなさい」

 血の臭いがする世界の中、そこだけが暖かな家族の風景で彩られていた。
 そんな二人の頭頂部から天に向かって、青い髪の毛が伸びている。
 それに、気付きながらも。
 二人は幸福な虚飾を信じることに、全身全霊を傾けた。






「何が――」

 ――起きた?
 目の前で起きている事態に認識が追いつかない。
 半透明の剣が豚となったブウテトにまっすぐに落ちてきて、閃光を撒き散らして消えた――かと思えば、巨大な質量の落下が発生させるような破壊も衝撃も一切無く、ただ巨大な呪力が消失しただけ。

 【ダモクレスの剣】という呪術儀式は無駄に終わったのか?
 そんな楽観的な希望は、イアテムの哄笑によって打ち砕かれる。

「ふははは! 遂にやったぞ! ここに【死人の森】は砕かれた! これよりこのイアテムが女王を妃とし、新たなる『王国』を――ぶごっ」

 そして、その勝利宣言もまた中途で砕かれた。
 顔面に叩き込まれた幻肢が大気を握りしめてイアテムの顔面に【空圧】の拳を叩き込んだのだ。幻影の打撃――これは俺が放ったものではない。

「何を勝手なことを口にしている、下郎」

 その男は高みに君臨していた。
 誰よりも高く浮上すると、右腕を付け根から強引に千切り取る。発生した幻肢を操作して辺りに散らばったトリシューラのドローンだったものから次々と部品を掠め取り、凄まじい速度で再構築していく。スクラップを強引に幻肢で繋ぎ合わせて呪力で腕の形に固めると、それはがらくたで鎧われた腕となる。

「パーン、なのか」

 言動と呪力から感じる印象は間違い無くパーン・ガレニス・クロウサーのものだったが、その男はどう見ても別人だった。
 イアテムが従えていた部下の一人。微妙に浮遊しており、質量操作でナイフを大剣に変化させてグレンデルヒに挑んできた空の民と鉄願の民の中間人――とちびシューラが解説していた覚えがある。

 そして、デーデェイアによって殺害一歩手前に追い込まれたはずだ。
 そこまで考えたところで、男に変化が現れる。
 あまり特徴の無い顔に半透明の霊体が重なると、パーンの顔に合わせて肉体が変質していくのだ。ごきごきと骨格が歪んでいき、体型そのものまでもが変化して行く。今や完全にパーンとなった男は、機械の腕で髪を後ろに撫でつけた。髪色と長さすら変化して、藍色の波動光に包まれた髪が鋭角に逆立つ。

「ふん、無様だな未来人。まあこうして俺が封印から解き放たれた今、【死人の森】が下らぬ紛い物に脅かされることもない。まずフェロニアを呪縛から解き放ち、然る後に俺が『王国』を再建してやろう」

 パーンは不遜に言い放つと、倒れている男の一人から四角いフレームの眼鏡を拝借して、人差し指と薬指で位置を整えた。レンズ越しでもその圧倒的な自負心が溢れ出し、発生させた呪力の重圧がイアテムを地面に平伏せさせた。

「お、おのれ、あと一歩の所で! ここで負けるわけには、むごぉっ」

 立ち上がろうとしたイアテムの頭部に、小さな身体が降り立った。
 皆殺しの女神によってうずたかく積み上げられた屍の山。そこから軽やかに跳び上がった垂れ耳の少年がイアテムに着地したのだ。
 瀕死の少年は潰れた丸鼻にやや太めの体型だったが、兎のごとく重力の軛から放たれると共にあらゆる肉を削ぎ落とし、顔面を複雑な呪文式を展開して整形すると、見目麗しい絶世の美少年へと変貌する。

「もー、テスモポリス姫ったらピンチになっても僕たちの枷をそのままにしてるんだもの。それじゃあ勝てる相手にも勝てないよ。全力の僕と姫なら、不完全な形で顕現した海神くらい何でもないのにさ」

 頬を膨らませて憤慨する、『作った子供っぽさ』を演出しながらヴァージル・イルディアンサが長い耳をふわふわと動かした。両耳共に兎のものだが、片耳の形が断続的に細長い妖精のものと入れ替わり、霊体と実体が交互に表出している不安定な状態だった。赤い瞳が危うげに揺らめく。

「英雄を足蹴にした上、我らが同志の身体を奪うとは、許さぬ!」

 強引に立ち上がったイアテムが手に水流の刃を生み出して一閃する。ヴァージルは身軽に跳躍すると、空中で一回転して離れた場所に着地した。そこで、左耳をそっと撫でる。ヴァージルの左耳が切断されていた。兎の耳が落ちて血が噴き出す。少年は血に濡れた手で耳を拾うと、鈴が鳴るような声で笑い始めた。

「な、何がおかしい! 何故笑っているのだ、貴様――ごがっ」

 突如として隆起した大地が杭となりイアテムの股間から頭頂部までを貫いた。即死したイアテムの分身が磔になり、晒し者にされる。
 下水道や建物の陰から新たに現れたイアテムが即座に敗北したイアテムを殺害し、「この恥さらしめ! 貴様などが同胞であってたまるか!」と叫んで総体から切り離す。そして「奴はイアテムの中でも最弱。海の民の面汚しよ」と言い訳を始めた。

「醜い、醜すぎる。貴様のような男が俺のセレスの夫に? 寝言ですら許されん戯言だ。絶世の美姫にはこの世で最も美しい王――つまり俺こそが相応しい」

 倒れていたラフディ人が変貌し、長身長髪の美しき王となる。
 長く太い剛毛はきめ細やかで流れるような艶めきを手に入れて、星々のように輝き出す。次々とイアテムが襲いかかるが、マラード王が何もせずともその守護者が一瞬にしてイアテムたちを叩きのめした。

「ご無事ですか、我が王」

「ご苦労だった、我が忠実なる下僕ルバーブよ。お前がいてくれれば王国再建の道も開けよう。これからもよろしく頼むぞ」

「御意に」

 跪くのは土塊だった。舗装された地面が隆起して中から土や瀝青が混ざった人形が立ち上がり、丸々太った男の姿となったのだ。それは見る見るうちに血と肉とを兼ね備えた人体に変貌していき、ごわごわとした髪が伸びていく。不潔に見えてしまうほど乱れた頭髪は毛先が固まった挙げ句に鋭く尖り、まるで悪魔の角のようだ。ルバーブが強靱な腕を一振りする度にイアテムが粉砕される。

「おお――ブレイスヴァよ、なぜ貴方はこの世の残酷を喰らってはくれぬのか。儚いと分かっている希望をずっと餌のようにぶら下げて、我らの諦めを試されているのであろうか――」

 白い衣が翻る。
 いつの間に調達したのか、純白のローブに身を包んだ男が静かに佇んでいる。
 やはりイアテムの部下を乗っ取ったようで、荒くれ者の顔が変質して穏やかな青年の王になっていった。閉じられた目蓋がそっと開くと、神々しい十字の輝きが瞳から放たれる。

「無論、この未来も見えていた。だが、ああ――できればブレイスヴァの腹の中で可能性としてのみ巡り会えたなら、こんな思いをしなくて済んだものを。だが、辿り着いてしまったのなら仕方無い。私は希望を掴もう。もう一度、自らの愚かさで失った愛しの姫君、キシャルをこの手に取り戻してみせよう」

 嫌な――途方もなく嫌な予感が膨らんでくる。
 グレンデルヒとゾーイを打倒して、厄介な敵はラクルラールだけだと思っていた。ミヒトネッセやイアテムも強敵ではあったが、絶対に勝ち目の無い絶望的な相手というわけではない。キロンやグレンデルヒ、ゾーイと相対した時のような凄まじい気配や『流れ』のようなものは感じられなかった。

 だが、イアテムが一方的に六王たちに蹂躙されている今になって、何故か嫌な気配が膨らみ続けているような気がしてならない。
 まるで、真の危機はここから出現するかのような――。

(ふ、だから『お前たちの行動の代償は高くつくであろう』と言ったのだ。シナモリアキラよ。私は忠告したぞ?)

 【サイバーカラテ道場】の片隅で、逆さ吊りのグレンデルヒが嘲笑うように言った。高みの見物を決め込むように、それきり黙して何も語らない。
 敗北したグレンデルヒは、確かに言っていた。
 奈落の蓋が開くと。災厄を過去から呼び起こしてしまったと。
 この内世界は血みどろの戦国時代に突入すると。

(ゾーイ・アキラに聞いたぞ。それこそが貴様の望みだったのであろうが。さあ喜べシナモリアキラ。愛しい主を憎き敵から守れて、守護者としてさぞ満足だろう? それとも『オスとして満足』と言い換えるべきかな?)

 俺はグレンデルヒを無視した。
 これはただの言葉でしかない。
 たとえどれだけ痛烈な批判に聞こえても、それに価値は無いのだ。

「うーん、一応私の血族みたいだけど、どうもしっくりこないなあ」

「珍しいなカーティス。ありとあらゆるを内包するのが『大勢リィキ・ギェズ』の在り方ではなかったのか」

 続いて現れたのはカーティスとアルト。
 黒衣を纏った吸血鬼の身体はドラトリア系夜の民だったのか緑髪赤目で、元々の顔を僅かに変化させただけでカーティスの顔になってしまった。変身能力に秀でている種族だけあって滑らかな変化だった。

「ペル姫に従っている時はリールエルブスとしての私が統率者だったからね。個性が固定化されてしまったのかもしれない。なんだか、今の身体は相応しいものじゃない気がするよ。もっとしっくりくる容れ物は無いだろうか」

「足るを知ることも重要だ。まあ良い、今はそれよりも槍姫ディーテの救出が先だ。トリシューラよ、すまなかったな。復活が遅くなったが、これより我らが助勢に入ろう」

 アルトは瀕死の者たちの中でも一番重傷だった者を自らの肉体に選んでいた。デーデェイアに潰された右目の血は既に止まり、潰された筈の傷痕が何故か爪で裂かれたような傷口に変化していく。
 と、そこでアルトが低く唸った。

 強靱な筋肉が内側から衣服を破ってしまったのだ。
 アルトはトリシューラに断って近くにあったブティックから詰め襟の軍服に似た上着を拝借。肩口から胸元にかけて吊された金銀モールの飾緒アグレットがその威厳を高め、頸部だけでなく要所要所を硬質なパーツで覆った簡素な鎧でもある衣服だ。それでいてデザイン性にもしっかりと配慮した、物理と呪術双方の防御に優れた一品である。

「『実用性とファッション性を両立したいあなたにお勧め』――なるほど、良い仕事だ。所々にガロアンディアン正規軍の意匠が見て取れるのも良い」

 アルトがトリシューラが最近立ち上げたミリタリーブランドの製品を褒める。
 するとちびシューラがぎくりとした表情で、

(やばい、無断でパクったのがバレた)

 と慌てる。まあ古代に滅びた王国のデザインだからなあ。
 とりあえず事後承諾でいいからアルトに使用許可貰っとけばお墨付きになってよりブランド力が高まりそうではある。

「さて、英雄イアテムよ。貴殿の事情、聞かせて貰った。なるほど、長い時の流れの中で、海の民たちは過酷な運命を辿ったのだな。かつて我が王国の白翼海には貴殿と同じハザーリャ神を奉じる海の民が暮らしていた。私としても力になってやりたいところではある――しかしだ」

 叩きつけられた水流の刃が、アルトの目の前で停止する。
 そればかりではない。激流によって触れたものを吹き飛ばす呪術的ウォーターカッターが、急速に凍り付いて行く。
 イアテムの吐く息が白く染まり、飛沫が顔に触れて凍結していった。

「奪われたからといって、他の誰かから奪うというのでは秩序が保たれぬ。集団としての規律、国家としての法、守るべき人倫。道徳を重んじぬ者はもはや人ではなく獣でしかない。我らは絶対的秩序の下に平等であるべきだ。共存共栄とは、対話と法的な調停によってなされなければならない。武力は最――」

「黙れぇっ」

 イアテムが絶叫し、その背後から一斉に他のイアテムが殺到する。凍結しかけているイアテムごとアルトを仕留めようとしているのだった。
 アルトは、小さく嘆息した。

「――やはり、戦いは避けられぬか。ならばやむを得ん、最後の手段だ。力によって対話させてもらおう」

 アルトの残された左目が強く発光する。
 すると無数のイアテムが一瞬にして動きを停止させ、更には肌に氷が張り付いていく。邪視による現実の改変だ。

 あの凍結には見覚えがある。コルセスカの時すら停止させる邪視に似ているのだ。さすがにあれほど完璧な凍結ではないが、アルトの邪視は一瞬で静寂をもたらす冬の視線に比べて厳かな雰囲気がある。まるで、威圧された結果として相手が勝手に竦み上がってしまうような。

「何、ありふれた束縛の邪視に過ぎん。ただ、隻眼になってから遠近感が掴めなくなってな。遠くの物が手元にあるように思えてしまうだけだ」

 距離感を無視して、視界内にあるものなら手で掴めてしまう気がする――そんなものは錯覚に過ぎない筈だが、邪視はそれを現実にしてしまう。
 アルトの周囲に冷たい空気が広がっていく。
 分子運動すらも束縛して停止させてしまうのなら、それが凍結という結果として表れるのは一応理屈に合うような気はする。

(亜竜王アルトの【竜爪眼】! オリジナルを見ることになるなんて)

 ちびシューラが驚いているポイントが少々俺とは違っているような気がする。コルセスカではなく、別の誰かを想起しているのだろうか。
 『竜の爪』――その名の意味は即座に明らかになる。
 物理的に可視化するほどの視線が氷として具現化したのだ。氷塊は巨大な爬虫類のかぎ爪となり、イアテムを鷲掴みにする。突如として虚空から出現する巨大な亜竜の氷爪を回避するのは至難の業だ。

 大量の氷爪がありとあらゆるイアテムを束縛し、水流の全てを凍結させていく。水流の刃もこうなればただの鈍器でしかない。そして、そのような原始的な武器が通じるような者は六王の中には皆無だった。

「我が同胞たちの身体を弄ぶとは――ピルケンティ、ハーラール、グレンダイル、ダーベルヴァ、ドゥルアイル、バイアロゴス! お前たち、目を覚ませ! 地上きっての探索者としての誇りはどこに消えた?!」

 イアテムが叫ぶが、六王たちの器となった者たちの気配は既に感じられない。
 完全に乗っ取られた――というよりも、同化しているようにも感じられる。
 存在の上書き。あれではまるで、憑依型の転生者だ。
 いや、実際にそうなのか。

 腐敗し、劣化し続ける死人の再生者オルクスとは違い、霊体となって存在を維持し続ける高位再生者(オルクス=ハイ)はむしろ転生者に近いのかもしれない。時代を超え、過去から甦る者こそが本来の意味での転生者である。

(イアテムの配下だった男達はたった今、この瞬間に前世が確定したの。『過去の記憶が甦った』ことになって、人格ごと魂が書き換えられて、完全に六王の転生体としての存在に固定されたんだ)

 ちびシューラが慌てた様子で手を上下に振る。
 第五階層に満ちる転生力は過去最大級の高まりを見せていた。
 六人の王による同時転生。過去から未来へと旅立ち、現代に辿り着いた彼らはこの世界で何を思い、何を為すのだろう。

 イアテムの声は圧倒的な六王の力によって圧殺された。
 【死人の森】は砕かれ、ブウテトはその力を大きく削がれたものの、当面の敵は撃退できた。だというのに、この不穏な空気は何だ。
 クレイが唇を噛んで必死に理性を保とうとしている。震える手で立ち上がり、横たわる豚を救出しようとしているのだが、それよりも先にヴァージルが動く。

「相変わらずアルトおじさんのお説教、長くて退屈です。さっさと消しちゃえばいいのに。ね、サイザクタート?」

 跳躍したヴァージルの足下に、雷によって構成された三頭犬が出現する。
 中央の頭部が目を見開いて大気を震わせた。

「私もそう思うが、何事も忍耐は必要だよ、ヴァージル。君の大望を成し遂げる為にも、どうか迂闊な動きはしないでおくれ。他の王たちが君の一挙一動を注視している。流石に全員から攻められては私も守りきれない」

「むう。今の僕ならわりといけそうだと思うんだけどな」

 頬を膨らませる紅顔の美少年は、稲妻の犬を駆って倒れている豚に近付いていく。ブウテトは気を失っているようだが、介抱する目的にしては妙に物々しい。

「やめろ、貴様っ」

 俺と同じように倒れているクレイが絶叫する。
 腕を振って斬撃を飛ばすが、サイザクタートに触れると稲光が弾けて無効化されてしまった。消耗のせいか、クレイの呪力は明らかに弱まっていた。

「――ああ、何か調子いいと思ったら、太陰の封印がいつの間にか解けてるね。【死人の森】の正統な王権保持者にしか解除できないんだけどなあ? まあいいや、誰がやったのか知らないけど、手間が省けた」

 豚を抱きかかえると、ヴァージルは口の端を吊り上げた。
 三日月のような笑み。
 その不気味さに、背筋が粟立つ。

「冥道と接続――開門する」

 ヴァージルが片手を天に掲げると、掌から一条の稲妻が放たれた。
 青白い電流は天へと伸び上がっていき、天蓋が失われた第五階層という小世界を突き抜けていく。時空を超越した雷は青空に浮かぶ真昼の月――物理的な衛星である太陰に吸い込まれていった。

「ヴァージル、貴様っ」

 その行動にパーンが激昂し、マラードとルバーブが、アルトが、オルヴァが、揃って制止しようと一斉攻撃を加える。
 イアテムならば百回は死んでいるであろう猛攻撃。
 しかし、ヴァージルには傷一つ無い。
 厳密に言えば、一度全身が引き裂かれた直後、一瞬にして破壊が無かったことになったのである。まるで、悪い夢から覚醒するように。

「わあわあディー、酷い目にあったよ?」

「怖いね怖いねダム、夢の底から引っ張り出されたと思ったらこれだよ」

 調子外れな声が二重になって響く。
 先程まで眠っていたサイザクタートの左右の頭部が目覚めていた。
 互いを『ディー』『ダム』と呼び合う頭部の瞳が朱色に輝くと、ヴァージルを中心とした空間が曖昧に揺らぎ、破壊に類する事象が全て巻き戻されていく。

 更に景色を歪に寸断するような境界線が発生し、六王たちに撤退を余儀なくさせる。取り残されたイアテムが空間ごと引き裂かれて肉塊となった。

「おや、こいつはイアテム。憎らしい仇じゃないか」

「よくもよくもやってくれたな! グレンデルヒの肉壁だったお前がいなければ、僕らが死ぬことも無かったんだ!」

 俺には知り得ない因縁があるのか、残ったイアテムたちが『線の嵐』としか形容しようのない呪術でずたずたに引き裂かれていった。
 その様子を見たヴァージルは、満足そうに頷いて言った。

「どうかなサイザクタート。君の子孫の中から最も優れた個体の記憶を集合無意識の底から回収してみたよ。若くして襲名者となった天才児らしい」

「これはこれは、誇らしい限りだね。初めまして、私がサイザクタートだ」

 中央の頭部、初代サイザクタートが左右の子孫に語りかける。穏やかな口調は祖父が孫に語りかけるようだった。

「大変だ大変だ、サイザクタートが起きてるよ! 夢が終わっちゃう! あ、こんにちはご先祖様。お世話になります、ぺこり」

「困った困った、夢が弾けて終わっちゃう! けど今はもう終わりの続き? 二度も死んだ僕たちは、夢の欠片のつくりもの? なら大丈夫、このまま微睡んでいればどうせみんなあやふやだ! あ、新しいご主人様よろしくね、ぺこり」

 圧倒的な戦力。ヴァージルは他の王を向こうに回して余裕の構えだ。
 そして、ヴァージルが天に解き放った雷の呪文が世界を揺るがせる。
 天が歪む。第五階層に亀裂が入り、構造そのものが変貌していた。

(まずい、シューラが万人に開いた第五階層の掌握者権限――ヴァージルはそれを奪取しようとしてる!)

「気付くのが遅いよ――そして余りに脆弱な防壁だ。ああ、妖精の形で視覚化しているんだ――気持ち悪いね、反吐が出そう♪」

 ヴァージルの周囲を見たこともない形状の呪文が図像のように踊る。
 同心円を描くタイルのように回転する文字列の中に、沢山のちびシューラが囚われているのが見えた。

(ど、どうしようアキラくん。ガロアンディアンの行政と管理を任せていたシューラが殆ど捕まっちゃったよう)

 経済産業シューラ、農林水産探索シューラ、運輸シューラ、建設創造シューラ、国土交通シューラ、通信シューラ、環境シューラ、厚生労働シューラ、総務・放送シューラ、防衛シューラ、法務シューラ、外務シューラ、財務シューラに金融シューラ――その他多種多様なちびシューラが磔にされて苦しそうに呻いている。これらのちびシューラは、このガロアンディアンを回していくために必要不可欠なシステムを視覚的に捉えやすくするためのインターフェースだが、呪術的には『人間の代わりに仕事をしてくれる妖精さん』だ。

 ちびシューラたちが奪われれば、ガロアンディアンを危うい均衡の上で成立させていた全てが瓦解してしまいかねない。
 もう間違い無い。ヴァージルはガロアンディアンの、俺たちの敵だ。
 それどころか、他の六王たちすら敵に回して何かをしようとしている。

「ちびシューラに、何をしたっ!」

 怒りを制御する事に失敗する。身体の奥底から熱い感情が溢れ出し、イアテムの呪詛を注ぎ込まれた物理的実体を放棄して霊体が飛び出す。
 感覚のみで構成した幻影の身体を『幻脳』で操作してヴァージルに飛びかかろうとする――しかし。

「馬鹿め、その状態で奴に挑んでも死ぬだけだ。死に急ぐな未来人」

 横合いから叩き込まれた低出力の波動が俺を吹き飛ばす。
 パーンの横槍だ。
 怒りが込み上げる。ヴァージルはちびシューラに手を出した。許せるはずがない。俺の主、俺のちびシューラ、俺のコルセスカに手を出しておいて、生かして帰すと思うなよ狂王子ヴァージル。

 俺が殺す。俺が取り戻す。それは俺のものだ。
 俺の、俺の、俺の、俺の――圧倒的な自我が身体の奥、熱を持った腹の下から爆発的に湧き上がり、沸騰して溢れ出す。
 凄まじい違和感を強引に踏みつぶして立ち上がった。
 左腕を換装してパーンを殴りつけながら/俺と共にパーンを挟撃するように幻影の拳を叩き込む。俺と目があった。凄まじい違和感。

「おい、何だそれは」

 俺の/俺の拳が同時に受け止められる。パーンは俺を地面に叩きつけ、曖昧な俺の身体を波動に包まれた右腕の義肢で掴む。
 眼鏡の奥で、瞳が喜色に染まる。

「面白いことになっているな、未来人。貴様、揺らいでいるな?」

 視界にノイズが走る。パーンの姿が霞み、ちびシューラの声が聞こえた。
 足下、いや頭上でパーンに吊り上げられている俺、俺が、俺を――? とにかく俺は脳を襲った途轍もない違和感に存在を引き裂かれそうになっている。
 脳を二つに引き裂かれてそのまま遠くに切り離されていくような感覚。
 俺は俺のままなのに、俺という存在が引き延ばされて、その距離が拡大し続けるような――意識が希薄になっていくような。

(アキラくん、アキラくん! アキラくんは、ここにいるよ! シューラの所に戻って来て! はやくセスカを助けないと!)

 息を吸い込み、俺を消した。
 意識の途絶と共に勢いをつけて立ち上がる。物理的実体としての『俺』がパーンへと掌打を喰らわせた。既にパーンの手には幻影は存在していない。

「面白い――が、また退屈になったな。俺は先程の方がマシだと思うぞ?」

「黙れっ」

 俺とパーンが争っている間にもヴァージルの呪術が世界を改変していく。
 恐ろしく複雑で膨大な呪文式が展開され、圧倒的な呪力が嵐となって吹き荒れる。近付けば誰であろうと滅びの雷によって抹消される。一級言語魔術師たるイアテムの群が虫のように散っていくのを見て、その確信を強めた。悔しいが、パーンの言うとおり今のヴァージルに挑んでも無駄に死ぬだけだ。

「【死人の森】は再生する――逆位置の『王国』、さかしまのテテリビナ、原初の歌を紡げ九罪源の断章、我こそは権力の選定者」

「ヴァージル貴様、オーファの禁呪をっ」

「やはり野心を秘めていたか――させぬ」

 ヴァージルが【心話】による仰々しい詠唱を始めたのを聞いて、パーンとアルトが同時に動いた。
 波動と氷爪が少年を襲い、三頭の番犬がそれを防ぐ。
 だが、本命は影に紛れていたもう一人。

「――世界根を捧げ、世界樹の灰を撒け。ガリヨンテの肉を裂き、レルプレアの骨を抉り、アルラウネの血を――ぐっ」

 詠唱が途切れる。ヴァージルの真下に出現した影のような人物が、黒い靄を掌から放ったのだ。
 灰色の文字列――精緻な呪文障壁によって守られたヴァージルには生半可な呪術は通用しない。現に先程から攻撃を試みているイアテムは片端から反撃を受けて脳を焼き切られ、ちびシューラが攻撃用に分割した兵隊シューラたちは残らず壊滅していた。

「【墓の下の穢れ】」

 だが、カーティスが唱える『言語魔術』は理屈も何もない極めて非効率的なまじないだ。灰色をした文字列の網を漆黒の靄がすり抜けていく。

「くそっ、夜の民の触手呪文スパゲッティコード! 構造が分からない、何でこれで動いてるんだっ」

 上級言語魔術師であるヴァージルすら退ける仰々しい神秘の業。
 六王の中で最も古い、影の呪法が跳び回る兎に牙を剥く。
 稲妻の犬が一瞬で形状を崩壊させ、夥しい量の呪詛がヴァージルの体内に侵入。少年が口から大量の血を吐き出す。

 ヴァージルがカーティスによって追い込まれた事で均衡が崩れる。
 オルヴァが落ちてきた豚を抱き留めようとするが、風のように動いた巨体が豚を攫っていった。疾風如き速度で豚を主に届けたルバーブが続けて襲いかかってきたパーンと激突、機械の腕と太い腕が組み合い、拮抗する。

「そこを退けルバーブ。フェロニアをどうする気だ」

「私は、陛下の願いを叶えるのみ」

 ルバーブの踏み込みで大地が割れ、跳ね上がった岩盤がアルトの視線を妨げる。氷爪が岩盤に激突して砕け、目にも留まらぬ速度の掌打がパーンを打った。飛翔して回避したパーンは右腕を伸ばすと、ルバーブの頭上を超えてマラードを狙う。しかし、

「発勁用意」

 耳に馴染んだ発声。ルバーブは自らの頭髪を自在に動かしてパーンの腕を絡め取ると、そのまま捻りを加えて投げ飛ばす。

「元祖サイバーカラテ・ラフディ相撲。打撃と柔術、そして呪術を複合させたこの体技は波動であっても崩せはしませぬ」

 ルバーブはいつの間にか端末経由で【サイバーカラテ道場】をインストールしていた。水晶玉の形をしたデバイスを利用して目の前に幻影のちびシューラを表示して、六王たちに対抗する為の戦術を構築しつつある。

 それに加えて、マラードを守護するその実力は他の王と遜色が無い程だった。戦闘能力で劣るマラードを、ルバーブが補っているようだ。
 激しく戦うルバーブの背後、庁舎の外壁の前で異変が起きていた。
 マラードが抱きかかえているブウテトが光り輝くと、瞬時にその姿が入れ替わる。豚から人へ。ブウテトからコルセスカへと。マラードの手の中から飛び出したコルセスカは、ふうっと息を吐いた。

「どうにか戻れました。済みません、心配をお掛けしました。ブウテトは私が一時的に凍結封印したので、これ以上状態が悪化することはありません。速やかに『王国』の再建儀式を行ってブウテトを復活――」

 不意にコルセスカの言葉が途切れた。
 どん、という音が響き、壁に手を突いたマラードがコルセスカに覆い被さるようにして顔を近づける。その光景に、目の奥が熱くなった。

「あなたがいけないのだよ、姫。そんなにも罪な振る舞いで我らを誘惑するから、このような争いが起きてしまう」

「え、あの、ちょっと」

 コルセスカの戸惑ったような声。マラードに隠れてその表情は見えない。
 沸騰する。歯が割れるかと思うほどに怒りが込み上げる。

「いい加減、この俺のものになるがいい。あなたがこの美貌に屈したがっているのは分かっている」

 ていうかマジで言いやがった! 素面であんな台詞を口に出来るとかあり得ないだろう何を考えているんだマラードの奴!
 何やらコルセスカの「凄い、凄い! もう一度、今のもう一度お願いします! 録音録音」とかいう興奮した声が聞こえるが、多分幻聴だろう。極限状況で精神が参っているのだと思う。

「ふ、そうかそうか、そこまで俺に愛を囁かれたいのか。全く、愛されすぎるというのは困りものだな」

 ルバーブの隙を突いて動いていたオルヴァ、そしてイアテムたちがマラードを背後から刺そうとしたその瞬間、激震が走る。
 マラードを中心とした大地が激しく揺れ動き、誰もが立っていることすら困難になる。素早く跳躍するヴァージルでさえ大地から次々と隆起する岩石と瀝青の槍を回避するのに必死だった。

「俺はルバーブのような武技は修めていないし、オルヴァ王のような呪術の心得も皆無だ――だが、昔から大地には好かれやすくてな。何もせずともこの美貌に惚れ込んだ大地が俺を守ってくれるのだ」

 マラードは、大地そのものを使い魔とする支配者だったのだ。
 いかに優れた武術家であっても、大地を踏みしめていなければ拳に威力は宿らない。局地的に地震を引き起こすマラードの前ではあらゆる戦士は無力と化す。イアテムの群が地割れに飲み込まれていった。

「おお、ブレイスヴァ! 私からまたしてもキシャルを奪うのか! ああ、ああ、憎い、憎い、ラフディが憎い!」

 血の涙を流しながらオルヴァが叫ぶ。しかし揺れ動く地面も襲いかかる大地の槍も、大賢者に傷をつけることはできない。吹き飛ばされたイアテムの時間を停止させて足場にすると、階段を上るようにして移動したのである。
 鋭い槍の連撃も流れるような動きで回避していった。カシュラム十字の形に輝く瞳が未来を見通しているのだ。

 乱戦、激戦、変転する優位と劣位。
 圧倒的な力を持つ六王は、それぞれに能力の相性があるようだ。
 得手不得手、戦場の位置関係、そして争いの中心となっている一人の女性。
 それらの状況によって勝敗はいかようにでも変化しうる。

 だが、そもそも何故こんな事になっている?
 復活した六王たちは【死人の森の女王】が倒れた途端に暴走を始めた。
 これは一体何を意味しているのか――いや、そうではない。
 六王はいずれも様子が奇妙だ。しかしそれは六王だけではない。

 俺もそうだ。
 箍が外れかけた理性――いや、既に外れてしまっているのか。
 心が、身体が、叫び出すように欲している。
 コルセスカが、どうしようもなく欲しい。
 彼女に近くにいる全ての男を一人残らず殺したい。

 この暴力的な衝動は一切の制御がきかない、毒のような呪いだ。
 もしこの衝動を六王も抱えているのだとすれば、ここから始まる戦いは回避できない。俺以外の全てを排除するまで絶対に終わらない。

「やはりあなたは俺の姫、いや俺だけのセレスだ。約束したね、大きくなったら結婚しようと。【冥道の幼姫】――幼き姫と呼ぶのはもう終わりだ。長きに渡るレストロオセとの戦いは終わった。森の下での眠りが終わりを告げた今こそ、大人になったセレスは俺のものになるんだよ」

 マラードが、また馬鹿な事を口にしている。
 全くあの男は本当に救いがたい。
 あれではルバーブも苦労することだろう。同情する。
 殺してやる。

「マラード、てめえぇぇぇっ」

「させませぬ」

 立ち塞がったのは丸々とした巨体。分厚い脂肪の下に秘められた屈強な筋肉が隆起すると、足裏から地脈経由で莫大な呪力を導引する。一度は共感を覚えた相手、同じ主を守る者として共に戦っていけると思ったルバーブを、今はただ邪魔な障害物程度にしか感じない。

「発勁用意――」

「NOKOTTAAAAAAAAAA!!!!!」

 土塊と金属の掌打が激突、双方が踏みしめた大地が陥没していく。
 闘争の渦は広がり続けた。
 トリシューラが【マレブランケ】を率いてコルセスカを救助に向かおうとするも、アルトとカーティスに邪魔をされる。

「下がっていろ。パーンが巨人の力を解放しようとしている。巻き込まれるぞ」

「ちょっと増殖するから道を空けてくれるかな? 大丈夫、私もアルト王も君の味方だからね――」

「調子に乗るなよ貴様らぁっ」

 空高く飛び上がったパーンが右腕を掲げて巨大な藍色の光球を生み出す。
 そこに、無数の雷が襲いかかった。

「もういいよ、全員消えてくれる」

 高く跳躍したヴァージルの背後に煌めく水晶の板が出現する。
 空間を歪ませて放射状に展開された水晶の内部を高速で大量の光が流れていくと、巨大な呪力がパーンの構築していた巨人の拳を一瞬で霧散させた。
 感情の無い声が呪文を唱える。

「まとめて絶滅しろ――【智神の盾レーヴェヤーナ】」

「頭が高いぞ――二十倍加速!」

 ヴァージルとパーンが必殺の呪力を練り上げて激突し、

「貴様ら、いい加減にしろっ!」

 アルトの叫びそのものが【吐息ブレス】となって吐き出され、全てを凍結させる極寒の呪力が吹き荒れる。

「これはまずいかな。闇に融けよ、【アタリア】!」

「おお、ブレイスヴァ!」

 更にカーティスの闇が、オルヴァの呪術が、俺とルバーブの激突が、凄絶な破壊を撒き散らし、第五階層そのものを揺らしていった。
 大量のイアテムの血が生贄として大地を染め上げていく中で、男たちは欲望にその目を曇らせて死闘を開始する。

 どうしようもない感情任せの愚行だ。
 俺も含め、六王は一人残らず頭が悪い。
 しかし――理性を超えて身体は暴力を欲していた。

 原初的な衝動――リビドーの命ずるがまま。
 あの女を手に入れろ。
 さもなくばお前に生きる価値は無い。
 駆り立てる欲動が、存在を賭けた戦いに身を投じさせる。

 過去最大級の転生力がガロアンディアンを引き裂いていく。
 理性も文明も進歩も砕け、秩序はここに失われた。
 棍棒と呪術、血と闘争、鉄の願いが支配する、呪わしい混沌が到来したのだ。
 そして。
 かつての暗黒街時代すら上回る、救い無き戦乱の時代が始まる。




 
 おまけ

「あれ? 個別ルート入って普通に攻略しただけなのに何故私は責められているのでしょうか――」

 コルセスカが不思議そうな顔で首を傾げる。
 マラードに「あなたが悪い」とか言われたのが納得いかないらしい。

「――まあ俺も同感だが、お前それ実際に口に出すのはまずいからな?」

「えっだって個別ルートでのイベントはノーカンですよ。他のルートに別ルートの問題を持ち込まないで下さい。ゲームと現実の区別が付かない人ですか?」

「コルセスカだけは絶対にそれを口にしてはならないと思うんだが」

「失敬な。私はちゃんとついてますよ区別。だから現実をゲーム的に改変できないかと日々邪視の鍛錬を欠かしていないのです」

 なるほど、それであの浄界か。
 納得していると、コルセスカははっと何かに気付いたような顔をする。

「ああ、なるほど。これはファンディスク的な続編でのプチ修羅場展開」

「いやガチなやつだよ」

「何か楽しい気分になってきました。やめて! 私のために争わないで!」

「いい加減にしろ」

 下界の混乱を見下ろしながら、一個上のレイヤーで適当な解説ですらない雑談を続ける俺たち。グレンデルヒを殴り倒してから暇なこと暇なこと。ちびシューラが用語解説を頑張ってくれるので俺たちは専らダラダラする人と化している。

「紀人と書いて『にいと』と読むらしいですよ」

 コルセスカがお菓子を食いながらそんなことを言う。
 いいのかなこれで。
 下の危機に連動するように、俺とコルセスカの身体も不安定になりつつある。
 だが、俺たちにはどうすることもできない。
 人の戦いというものは、人が決着をつけるものだ。それによって俺たちの存在が揺らぐのだとしても、全てを信じて委ねるしかない。

「ところでさ、コルセスカ」

「はい?」

「あれどうしようか」

 二人でそちらを見た。定義された空間に、ちびシューラを追い回す巨大なタコの姿があった。なんか好かれたらしい。

「見てないで助けてよー!」

「あいつは上でも下でも大変だなー」

「引っ張りだこですからね。主にトリシューラが常時呼び出してるせいで」

 さっきまで下界に顕現していた大ダコのように、ちびシューラは常時召喚された状態に近い。だからそのぶん下界の影響も受けやすいわけだが、このままだと一番危険なのはあの小さな妖精なのは間違い無い。

「このままだと俺たち三人ともやばいよなこれ」

「ですねえ。何か手を打ちましょうか」

「シューラ捕まっちゃったから何もできないよー」

 三人揃って首を捻る。ちびシューラは頭からタコにのし掛かられて苦しそうに呻いていた。
 と、コルセスカが俺の方を見ていることに気付く。

「どうした?」

「いえ、実はまだ【コキュートス】は弄る余地があるんですよね。この際ですから、ちょっとやってみましょうか。リスクもありますけど」

「やらないよりいいだろ」

 コルセスカが今や世界そのものと同化した浄界の設定に手を加えるのを眺めつつ、俺はちびシューラからタコを剥がしてやった。
 目が合う。

「よし、食うか」

「タコ焼き? タコ焼きだね! よし、シューラ頑張るよ! セスカ、それ終わったら一緒におやつにしようね!」

 和気藹々。
 『注釈の世界』は今日も平和だった。
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