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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第2章 もしサイバーパンク世界の住人がオカルトパンク世界に転生したら

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2-9 シェイドラン

 

 
 始まりはトリシューラの言葉からだった。

「二人で端末買いに行ってきたら?」

 第六階層の戦いから帰還して、二日目のことである。
 例の宣言後、行動を開始するための準備にかかり切りになるとかで自室に籠もっていたトリシューラは突然表に出てくると、手持ちぶさたになった俺と猫耳の少年に軍資金を握らせてそう言ったのだ。

 今日のトリシューラは黒と白のボーダー柄のシャツに黒系のキュロットと赤いタイツを合わせ、シンプルな黒のパンプスという装い。グレーのベレー帽がワンアクセントになっている様子だ。くるっと回って促すようにこちらをじっと見てきたので、似合っているとコメントしておく。ここまでがお決まりのやりとりだった。

 ちなみにコルセスカは個室に籠もって不貞寝しているらしい。お察しくださいとのこと。

「色々と必要になるだろうからね。私から支給ってことで。ちびシューラがアシストするから何でも聞いてね。粗悪品はきっちりフィルタリングするよー」

 確かに、必要だとは思っていた。この世界ではほとんどの人が所有するという、呪術によって機能する携帯型端末機。情報面、通信面でこれがあるのと無いのでは全く違う。

 しかし少年はともかく俺にまで金を握らせるのは何故だ。手持ちに余裕があるわけではないのでありがたく借りておくが、少し後が怖い。

「今って、表に出ても大丈夫なのか?」

「襲撃の事なら、しばらくは大丈夫だと思うよ。三報会とモロレクの連合が大規模な襲撃をかけて二度も失敗したっていうのは第五階層にすっかり知れ渡ってるし」

「まさかトリシューラが広めたんじゃないだろうな」

「なんでまさかなの? 当然私だよ? こないだの戦いは私がばっちり撮影してアップロードしといたよ。あ、ちゃんと無駄な所とかカットして、プライベートに配慮した編集してるから大丈夫だよ」

「その無駄の判断は何に基づいて下されてるんだよ」

「よほどの命知らずでもなければ、挑んできたりはしないと思うよ。仮に挑まれたらちゃんと正面から相手して返り討ちにしてあげてね。できれば殺さずに、サイバーカラテの強さを喧伝させることを優先して欲しいかも」

「難しい注文を平然としてくれるよな」

 とはいえ、トリシューラとの会話に心が躍り始めているのも否定できない事実だった。

 既にトリシューラは動き始めようとしている。
 俺が見たいといったものを見せてくれようとしているのだ。

「それなら、トリシューラが来ても大丈夫なんじゃないのか?」

「私はパス。今の第五階層、私の潜伏場所がこの辺だって判明したせいで松明の騎士がそこら中にいるんだもの。大掛かりな捕り物なんてできないとは思うけど、見つかったらどうしたってトラブルは避けられないよ」

 というわけで引きこもりまーす、と気怠げに伸びをするトリシューラ。アンドロイドなのに、その行動に何の意味が。人工筋肉をほぐしてるのだろうか? それともそれっぽい仕草をしてるだけか?

 そういやこいつはこいつで、何故上から狙われているのだろう。違法な人体実験でもやらかしたのか? なんだっていいが。

 それはともかく、第五階層は中立地帯とはいえ、無法同然でもある。ほとぼりが冷めるまではしばらく表には出ない方針らしい。
 そんな現状は、俺の無鉄砲な行動が原因で形作られたものだ。

「俺のせいで迷惑をかけてる。すまない」

「謝罪の気持ちがあるならさ、私のパートナーにならない?」

 う、と返答に窮する。俺は三日間と区切りを決めた。俺の内心がどうであれ、公平性を理由にそう約束してしまったのだから、もう反故には出来ない。
 トリシューラはそれを分かっていてこんな事を言ってくるのだ。
 やはり、性格がこの上なく悪い。

「ねえ、戦いが絡むとあんなに思い切り良いのに、なんでこういう時だけ優柔不断なの? 死ぬの?」

 詰る声すらどこか軽やかだった。ていうか絶対楽しんで罵倒してるだろこいつ。
 それが何とはなしに分かってしまうので、俺もその言葉で不快になったりはしない。
 お互いの了解の上に成り立つ、これは『それっぽい』儀式なのだ。

「言い訳のしようも無い」

「しろよ。ま、いいや。今のは冗談だしね。それよか変に気負わないで。私が勝手に行動して、勝手に背負い込んだ危険だもん。そういう考え方してると責任感と恩で潰れちゃうよ」

 トリシューラの忠告はひとつひとつが的確に俺の欠点を浮き彫りにしていく。真正面から相対するには少々厳しい相手だが、それだけに妙な信頼感があるのも事実だった。

「あ、でもでも私、貰えるものは貰っておく主義だから、アキラくんが何でもしてくれるって言うのなら~」

「そこまでは言ってねえよ」

 そして直後に台無しにする。狙ってやっているのだろうか、これは。
 きっと聞いてもはぐらかされるんだろう。

「巡槍艦で真下に潜行してるから、いざって時は回収してあげるよ。安心して行ってきて」

「本音は俺たちを餌にして【公社】の反応を見たい?」

「違うよ? 私ってアキラくんにどんな悪女だと思われてるのかな?」

 ちびシューラが視界隅で吹けていない口笛のジェスチャーをしながらあさっての方を向いている。芸が細かい。
 図星のようだった。

「ご、誤解だよ!」

「お前は現実側じゃなくてちびシューラの方が内心が出るんだよ! 外面を取り繕おうとしても無駄だ」

 トリシューラはこの状況でも不動の微笑みだったが、二頭身のデフォルメキャラはあたふたとしている。
 ――ある意味で、わかりやすい奴だと思う。

「それじゃあ、行ってくる。他にも買うものがあったらちびシューラから伝えてくれ」

 という次第で、俺は再び第五階層に降り立つことになった。
 階層の果ての壁につけた巡槍艦からひっそりと侵入した俺と少年は、中央の市街へと進んでいく。

 少年は猫耳を隠すようにしてフードをかぶり、マントでその身を包み込んでいる。一方の俺はというと綿生地のシャツとズボンとかいう面白みの欠片もない服装である。長袖なので右腕の義肢はほぼ隠れている。

 左腕はというと、あれからトリシューラが用意してくれた代わりの義肢を付けているのだが、これはただ腕の形をしているだけの急場凌ぎの装飾用義肢で、動かしたりは出来ないタイプの物だ。

 いつの間に採型したのやら、抗菌ポリウレタンの四辺形ソケットはぴったりと断端にフィットして吸着しており、摩擦や圧迫はほとんど感じない。上腕にはカフと呼ばれる帯が巻き付けられ、肩からはハーネスで吊り下げて固定している。体幹の動きで肘と手の動きまでならある程度制御できる上に見栄え、重量、強度のいずれも悪くない。

 『サイバーカラテ道場』にプリセットされている訓練プログラムを一時間ほどかけて消化したので、義肢の操作に不自由することもない。近代までならいざ知らず、現代の精錬されたリハビリテーション技術のノウハウがあればこのくらいの事は朝飯前である。

 とはいえ、右腕の性能に慣れた身としては少々物足りないのも事実だった。
 選んでくれるまで高性能な義肢はおあずけ、とのことだ。
 本当に、この上なく意地が悪い女だった。いや当然と言えば当然なのだが。

 久しぶりの第五階層、その喧噪と猥雑の中を歩いていく。と、すこし後ろのほうで戸惑うような呼吸。
 それとなく、左の新しい義肢を示す。

「はぐれないように、これでも掴んでおくといいんじゃないか」

「あ、はいっ」

 ぱっと表情を輝かせて、子犬のように俺の義肢にとびつく。猫耳なのに犬とは一体。多少の引っ張りではとれたりはしないのでまあいいのだが。

 手を繋いで、というか腕を組むようにして歩く男の二人連れは周囲にどう思われていることやら。
 どうでもいいか。別に他人の事なんていちいち気にしたりしないだろ普通。

 記憶喪失のせいか、少年は目に入るもの全てが物珍しく映るようだった。せわしなくきょろきょろと街を見回すその姿は子供のようだ。

 ちびシューラの示すデータを参照しながら進み、辿り着いたのは一軒の店だ。第五階層のほとんどの建物の例に漏れず、角張った箱形をしている。おそらく複数人が協力して創造した為に細長く、周囲の建物に比べて大きかった。

 端末そのものはともかく、回線事業者のシェアはほとんど【公社】の一強状態である。ちびシューラ情報によると、この店は【公社】以外の提供回線サービスが充実しているらしいのでオススメとのことだ。

 中に入ると、陳列された様々な端末が目に入る。
 形状や性能を比較検討しながら、二人で色々と見て回っていると、不意に声がかけられた。

「何かお探しの商品はございますか、お客様」

 声の方向に視線を向けると、そこには店員らしき女性が立っていた。
 といっても発言の内容から店員だと判断しただけで、制服を着ているわけでもなく、見た目からはちょっと店員だとは気づけない。

 女性は一見すると探索者のようだった。黒と紫を基調とした呪術師の服装で、手には大きな杖を握っている。杖の先端には皿のように窪んだ巨大な円盤が取り付けられており、巨大な匙のようにも見える。立ち姿に隙が無い。

 荒事に慣れている雰囲気。俺をシナモリアキラだと認識して日本語を使用している。
 他の店員が遠巻きに見守っているのを感じた。団子虫人や矮小複眼人など、ほとんどが小柄な種族で、荒事が得意そうではない。

 つまりそういうことだ。
 何かトラブルがあった際にはこの探索者風の店員さんが対処するということだろう。積極的に問題を起こすつもりはない。おとなしくしていよう。

「あの、こういうところ、僕はじめてでよくわからないんですけど――」

 持ち前の素直さを発揮して店員さんに話しかける猫耳の少年。俺はちびシューラのサポートがあるから特に質問しようとは思わなかったが、彼にしてみればこうして親切に話しかけられたら聞き返すのが当たり前だろう。

 しかしだ。俺の言葉が理解できる少年は日本語を聞き取ることができるが、彼の話す古代語は俺にしか理解できないのである。通訳が必要だろうと思い、俺が口を開きかけたその時。

「はい、それでしたら、何でもお訊き下さい。可能な限り答えさせて頂きます」

 店員さんの口から滑らかに滑り出す、少年と同じ言語。彼の言葉が理解できるためか、俺にもそれが聞き取れた。あれ? 話者がほとんどいない古代の言語じゃなかったのか?

(そのはずだよ? たまたま古グラナリア語に通じていただけの呪術師さんじゃない? 正規の言語魔術師だとしたら、狭い業界だから私でも知ってるかも。名前聞いたらわかるかな?)

 初対面の相手にいきなり名前を訊けるか。
 俺は成り行きを見守ることにした。

「あの、そもそも端末ってどういうものなんでしょうか」

 そこからか。いや、実を言えば俺だってちゃんと仕組みや用途を理解しているわけではないのだが。

 店員さんは黒いベールを揺らしながら、その大きな金色の目を少しだけ見張った。あまりにも常識を知らない相手に驚いた様子だったが、すぐに微笑みを作って説明を始める。

「この世界における端末とは、通信と情報処理の役割を果たす小型の機器のことを指します。一番多いのは、このような長方形をしたものになりますね。用途としては、遠隔地にいる知人と会話したり、ネットに繋いで情報を検索したり、記録を書き込んだり、呪術情報を格納したりといったものが主でしょうか」

 長い黒髪の店員さんはそこまで説明して、少年がついて来ているかを確認するように視線を向ける。なるほどなるほど、と頷く少年の目に熱が生まれているのを見るに、興味や関心が高まったようだ。

 店員さんはそこから更に移動して別の端末が陳列してある場所に移動する。上着の裾にほとんど隠れている淡い色のショートパンツとそこから伸びる黒いストッキングに包まれたすらりとした脚がリズム良く動く。

(ねえアキラくん)

「書かれたもの(エクリチュール)としての文字情報は、再帰的な自己参照を繰り返す性質を持ちます。この性質を利用して論理演算を行うのが伝詞回路です。現代の情報機器はほぼ全てこの仕組みで動いており、魔導書やスクロール、呪符などと基本原理は同じですね」

 その細い指先で黒革の書物や布製の巻物を持ち上げながら解説を続ける。このへんは俺も知らない話だった。

 端末にはこういった書物型や巻物型のものもあるのだという。俺のいた世界におけるタブレット端末とかノートパソコンに相当するのかもしれない。

(ねえ)

「通常の端末に比べると、大型の魔導書などは性能面で大きく差が出ます。こちらの端末は、最新式の非線形参照型差延機関セルフ・ディファレンス・エンジンを搭載しておりマシンパワーが従来の五倍以上、データの読み込み、送受信速度もこのように」

「わっ、ぬるぬる動いてる! 快適そう!」

 少年はすっかりセールストークに嵌っているようだ。本のページから立体投影された情報は確かにぬるぬる動いていて使いやすそうではあった。立ち上がりの際に一瞬ラグがあったのはご愛敬というものである。

 が、それは実演販売の罠だ。値段をよく見ると、完全に予算オーバーである。

「確かに性能はいいみたいだが、いきなりこんなもの手に入れても使いこなせないだろう。店員さん、もうちょっとシンプルで使いやすいのは無いですか」

「そうですね、それでしたら」

 店員さんは細い顎に人差し指をあてて少し思案する。金色の首輪が喉元を隠しているが、その下の胸元、肩、脇は大胆に露出した紫と黒のキャミソールドレス。紫の生地を覆うように、黒く透ける生地が胸元から広がっており、重ね着風のデザインが印象的だった。

(ねえアキラくんってば。さっきから目線がやらしい)

 ちびシューラが何か言っているような気がするが何も聞こえないな。
 本来、人間の視線とは誰にも冒されてはならない不可侵の領域のはずだ。だよね?

「こちらの、カードタイプのものはいかがでしょうか。コンパクトかつ機能も基本的な通話、ネット接続、記録媒体などが揃っておりますし、機能を拡張したい場合には新たにカードを追加購入することで対応できます。音楽を聴いたり、お財布や念写機能を持たせたり、ゲーム機として使用したりもできますよ」

 店員さんはふわりと微笑むと、優雅な手の動きでそのカード型端末を示した。着脱可能そうな袖が鈴型に広がり、環のような装甲が複数とり付けられている様は拘束具を思わせる。清楚なイメージの容貌であるぶん、逆に何とも言えない淫靡さがあった。

(好みなんだ。ああいうタイプが好みなんだね?)

 何のことかわからないな。
 俺は店員さんの話を聞いているだけだ。

「実は、わたくしもこのカード型端末を愛用しておりまして。このように、四十枚一組の【図書館ライブラリ】と呼ばれる形式にすれば魔導書にも劣らない性能を発揮することが可能なんですよ」

「あ、俺それにします」

 即決した。

(アキラくん、ちょっとお話があります)

「うーん、じゃあ僕もそれにします。みんなお揃いですね!」

 満場一致でカード型端末購入が決定した。満場一致と言ったら満場一致である。不正は無かった。いいね?
 その後プロバイダとの契約など細々とした作業があったのだが、そこで、少年に名前が必要だと言うことにようやく思い至った。

 むしろ、なぜ今までそこに考えが及ばなかったのか。
 少年の持ち物に、その素性を示すようなものは何も無かった。そしてかろうじて名前だけは覚えている、というようなことも無かった。

 つまり、彼の名前は一切不明なのだ。
 となれば、暫定的にでも名前を付けるしかない。

「なにか、自分で名乗りたい名前、ないか?」

「うーん、いきなり言われても」

 困惑した様子の少年。俺もどうしたらいいか分からずに頭を捻る。
 そのとき、ちびシューラが提案した。

(じゃあアキラくんが名付けてあげればいいんじゃない)

 え、俺?
 若干のプレッシャーを感じつつその提案を少年に伝えると、またしてもキラキラとした瞳でこちらを見上げてくる。期待されていた。

「お願いします! アキラさんが名前をくれるなんて、なんだかすごく嬉しいです」

 だから何でそんなに可愛くものを言うのか。そうやって小首をかしげていたら店員さんが無料で端末を譲ってくれたりするのではないか。いやマジで値切り交渉くらいなら現実味がある可憐さであった。

(おーい、アキラくーん。戻ってこーい)

 いや分かってるよ。名前だろ。名前ねえ。
 しばし思案する。呼びやすいのが良いだろう。奇抜なものは避ける。しかし覚えやすいよう印象的に。

(あんまり欲張っても決まらないよ?)

 わかってるってば。
 そうだな、それなら。

「【レオ】ってのはどうだ?」

 元いた世界でも人名としてよく用いられる、獅子をその由来とする名前だ。
 猫科なので想起するイメージもそう遠くない。

(そう? なんかこのコの名前にしては勇ましすぎない?)

 そのくらいで丁度良いんだよ、と俺は思う。
 といいつつ、俺の念頭にあったのは小さな仔ライオンである。
 彼の猫耳が真っ白だったことが、俺にホワイトライオンを想起させたのである。

(んー、白? 白だったっけ?)

 ちびシューラが首を傾げているが、彼の頭部の耳はどう見ても白い。
 一体どうしたんだろうか。

「レオ、レオ、レオ――僕の名前は、レオ。わ、なんだかしっくり来るような気がする。アキラさん、ありがとうございます。とっても嬉しいです!」

「気に入ってくれたなら良かった」

 というわけで、猫耳の少年ことレオの名前は暫定的にとはいえ決定したのだった。

 レオはとりあえず一枚のカード型端末、俺は四十枚一組のライブラリを購入。店員さんと相談しながらアドバイスを受けながらオススメのものを選んで貰いながらの四十枚であった。トリシューラに渡された資金ではなく普通に自腹である。悔いはない。

 もはや苦言を呈することすら止めてじとりとした目でこちらを睨み付けるちびシューラは気にならない。

 店員さんにお礼を言いつつ店を後にする。出口まで見送りに来てくれた店員さんは「何か分からないことがございましたらお気軽にお尋ね下さい」とアドレスを教えてくれた。何これどういうことですか店員さん。

(いや、普通にお店のでしょ。サポート用窓口だよ。ばかじゃないの死ぬの)

「目的も達成したし、どこかで昼飯でも食うか?」

「はい、賛成です! 外で食べるのって初めてですね! どんなものがあるんでしょう」

「そうだな、ちょっと歩いて色々見てみるか」

(おーい。おーいってば。無視かよー)

 無視だよ。うるせえ。
 店舗が現れた次の日にはもう消えている、といったことが日常茶飯事である第五階層は土地の流動性が高い。次々と居場所を変える店、気がつくと現れている隠れた名店、みたいなものもあるらしい。

 この街で特定の店の常連になろうと思えば店が配信するメールマガジンの情報を頼りに日々移動する店を探すのがセオリーである。
 今まで端末を持っていなかった俺たちはとりあえず適当に良さそうな店を探すしかない。

 こういうのは全てコルセスカが教えてくれた情報だが、彼女ならいい店を知っていたりするのだろうか。
 今頃どうしているのやら。

(さっき起きてきてお昼を要求してきたので、二人分作って一緒に食べたよ?)

 そりゃ良かった。
 というか、けっこう険悪になってたから心配だったんだが、不要だったな。

(いや、食事中の会話は無かったけどね? まあ昔から喧嘩してもご飯は一緒に食べてたから)

 本当に姉妹のようだな、と思ってしまったが、それは地雷だ。すぐに思考を打ち消す。
 今は俺とレオの食事だ。

 ふとレオを見ると、どうやら屋台に関心を寄せているらしい。串に鶏肉や野菜などを刺したバーベキューっぽいものを売っているようだ。昼飯だし、こういう軽いのでもいいかもしれない。

 軽やかな手さばきで串が炙られていく。肉汁とタレがなんともいえない芳香を漂わせている。街の混沌とした臭いをかき消す上手そうな香りに、ふらふらと引き寄せられてしまう。
 と、串を炙っている店員さんと目が会う。

「あら、先程の」

「え? 何でここに?」

 それは紛れもなく端末購入の時にお世話になった店員さんであった。
 え? そっくりさん? じゃないよな?

「あのお店のシフトがお昼までなんですよ。お昼時はここで働かせてもらっています」

 ああ、パートタイムの雇用なのか。
 いわゆるアルバイトの店員さんだったらしい。

 にしても、あの後すぐに移動してこの場所にやってきたとしても結構ギリギリではないだろうか。息一つ切らしていないが、全力疾走して俺たちの先に回り込んだので無ければ、何らかの呪術的な力で高速移動したのかもしれない。

「探索者一本では中々やっていけないものでして。最近は治癒符の価値も上がってきていますし、探索も中々はかどりませんね」

「そうなんですか? 見たところ後衛の呪術師のようですが、引く手あまたなのでは?」

「そうですね、確かに後衛としての役割を求められることは多いです。ですが、その、こう言ってはなんですが、あまり柄の良くない、といいますか。もっと言ってしまうと、探索者としての能力以外を求められてくる方がそれなりの数いらっしゃるので、結局一人で探索に行っていますね」

「ああ。それは災難ですね。お察しします」

 確かにそういうこともあるだろうなあ、と店員さんの少し困ったような表情を眺めながら考える。
 ところで、俺は何人かにそれなりの前衛として評価されているわけだが、もしやこれは天の采配なのでは?

(言っておくけどその流れでいきなり誘ったりしても引かれたり警戒されたりするだけだからね)

 と、ちびシューラが釘を刺してくる。分かっている。冗談だ。
 雑談ばかりされては迷惑だろうし、俺たちはそこで何本か串焼きを購入して昼食とした。店員さんは何かの縁だから、と一本ずつおまけしてくれた。女神か。

 屋台は毎日昼の間だけ出ているらしい。俺は通うことを心に決めた。
 もちろん味が気に入ったからである。他に理由は無い。

(アキラくん、誰に言い訳してるの)

 お前にだよ。他にいねえだろ。
 無論、形式以上の意味は無いのだが。

(シューラ、早まったかなぁ)

 ちびシューラの溜息。俺から特にコメントは無い。

 

 することも無いのでもう帰っても良いのだが、せっかく外に来たのだから、レオに街を案内するのを含めてしばらく歩いて回ることに決めた。

 街には様々な音が響いている。
 どうということのない会話、客引きの声、雑多な足音、呪具が排出する騒音、その他様々な音が混ざり合い、混沌としたノイズが環境に満ちている。
 レオの猫耳はそうした音を敏感に捉えているのだろうか。

 フードに隠された猫耳に思いをはせていると、レオが唐突に足を止める。どうしたのだろうと怪訝に思っていると、彼が頭上を見上げていることに気付いた。

 背の高いビルディング、その上の大型ディスプレイ。映し出されているのは黒髪の歌姫だ。
 スピーカーからは歌が流れており、階層の喧噪の中でもはっきりと耳に入り込んでくる。

 レオは、ぼうっとその映像に見入っていた。
 いや、聞き惚れていたのかもしれない。
 シンセサイズされ、どことなく無国籍な感じがする打楽器の音が小気味よい。

 あの歌姫は、聴く度にどのような背景・歴史に基づいて成立したのかよく分からない歌を披露している。錯綜した国籍性が奏でる『何かよく分からないがそれっぽい音』は俺も嫌いではない。

 端末で評価を検索すると、大量の検索結果が和訳されてずらりと並ぶ。
 興味深いのは、聴く人によって受ける印象が全く異なる点だ。

 エスニック風でワールドミュージックの色合いが感じられると言う人がいる一方で、無国籍さを感じている人がいる。背景の見えない軽薄さを感じる人もいれば何かしら裏打ちされた重みの存在を主張する人もいた。

 歌姫の名は【Spear】だという。英語をそのまま使っているのは、一年ほど前、二つの世界が接触した頃から始まったこの世界のトレンドみたいなものなんだとか。

 この世界の人々には、異世界で最も広く使われている言語が洒落たものに映るらしい。まあ、日本を見ても英語だらけだからな。そう考えれば別に不思議な事でも無い。

 今流れているナンバーは【エスニック・ポリフォニー】。
 美しいソプラノが混沌とした喧噪の中で、別格の存在感を持って流れていく。

「レオ、気に入ったんなら、有料配信サイトから端末に落としてみたらいいんじゃないか」

「あ、なるほど、そうやって活用すればいいんですね」

 早速端末を活用するレオ。ついでに俺も。
 この歌を結構気に入ってしまったのである。他の歌も視聴して、幾つか気に入ったのを購入する。

 ちなみにレオの当座の生活費などは全てトリシューラが管理することにしたらしい。本格的に面倒を見るつもりになっているようで、時期を見て自立させてやるつもりのようだ。

(うー、アキラくん、それ気に入ったんだ)

 どうも、さっきからやることなすことちびシューラのお気に召さないらしい。
 別に、行動の全てを彼女のご機嫌取りに費やしてやるつもりはないので構わないが。
 嫌なら覗き見をやめればいいのだ。

(別に【Spear】の歌がどうこうっていうわけじゃなくて、立場上、ちょっと複雑っていうか)

 ちびシューラはなにやら歯切れ悪そうにしている。何かを伝えたいのだが、自分の中の何かが邪魔をして言えない、というような雰囲気だった。
 急ぐ要件じゃないのなら別に今言わなくてもいいんじゃないだろうか。

(そうかな。ま、あのコは基本無害だし、後でもいっか)

 ちびシューラは意外にあっさりと引き下がった。
 そうこうしているうちに決済が終了して端末に音楽がダウンロードされていく。

 レオは端末付属のワイヤレスイヤフォンですぐに聴き始めていた。イヤフォンは横の耳につけるんだな、とどうでもいいことを思う。
 そもそも、あの頭頂部の猫耳は実際どういう役割を果たしているのだろう。

 四つの耳全てが音を聞いているのなら、常人よりも聴力は遙かに上なのだろうか。

「え? これですか? うーん、僕もよくわからないです。別に音は聞こえないんですけどね」

「そうなのか?」

「はい。頭の横の耳でしか聞こえません。何なんでしょうね、この上の耳」

 いや、俺に訊ねられても。
 もしかすると、退化した痕跡器官なのかもしれない。記憶があればそういうこともわかったのだろうか。

 そういえば、彼のような種族を俺は他に見たことが無い。猫科の獣人というのがこの世界では珍しいのか、それとも存在しないのか。
 俺が今までに見たことのある猫といえば、審判である翼猫のヲルヲーラくらいのものだ。

 そこで思い出す。そうだ、ヲルヲーラだ。
 迷宮を監視してるヲルヲーラなら、レオがどこから来たのか知ってるかもしれない。もしかしたらその素性も。

(いや、多分それは無いよ。あいつが審判としての権限を行使できるのは第五階層を除いた第二階層から第八階層までの六階層だけなんだ。この階層と、地上である第一階層、地獄である第九階層にはヲルヲーラの目は届かない。だから、多分地獄からやって来たレオのことは知らないと思うよ)

 ちびシューラの冷静な指摘に出鼻を挫かれる。初めて知る情報だった。というか、あいつ? ヲルヲーラと知り合いなのか。

(当然だよ。だってあいつは)

 ちびシューラはそこで何かに気付いたように言葉を途切れさせた。
 そして俺も同時に気付いていた。当然だ、ちびシューラの視界とはすなわち俺の視界なのだから。

 雑踏の中、俺を真っ直ぐに見据えるその姿は。

「やあ、久しいな、壮健そうでなによりだ」

 流暢な日本語で話す、恰幅のいい壮年の男。【公社】の首領ロドウィがそこに立っていた。

 

「いやあ随分と心配していたんだよ。君につけていたコルセスカ殿は護衛も兼ねていたんだがね。しばらく前から連絡も寄越さないし、今は一緒じゃないのかい?」

「ええ、恐らくまだこの階層にいるとは思います。ですが、こうして我々が会話できているからにはきちんと仕事は果たしてくれたということなのでは」

 当たり触りのないことを言いながら、俺は密かに、どう対応するべきか思案していた。

 偶然か必然か、首領と遭遇してしまった俺とレオは【公社】の管理下にある建物の中に案内された。広さからすると恐らく五、六人で創造したものだろう。

 【公社】の構成員と思しき姿が忙しそうに行き交う中、俺達は昇降機に通される。首領の太い指が最上階である六階のボタンを押すと、扉が閉じてちょっとした加重を感じる。

「エレベーターが再現可能とは知りませんでした。これ、動力はなんです?」

「いや何、極めて原始的な仕組みだよ。釣り合い錘の重量を呪力で変動させているのさ」

 確かに簡素な仕組みではあるが、重量を変動させるというオーバーテクノロジーが無造作に使われていて恐ろしい。
 それを言ってしまえば、呪符が短時間で負傷を癒したり物体の速度を変化させたりするのも俺のいた世界の常識からは外れている。
 ただ想像の外というほどでは無かった。魔法やまじないといった形で、そのような現象は想定されてきた。それが実際に存在するかどうかがこの世界では違うだけなのだろう。

 レオはこうしたギミックが珍しいのか、透明な壁面から見える第五階層の街並みを物珍しそうに眺めていた。

 最上階に辿り着くと、音もなく扉が開き、奥の部屋に通される。豪華な作りの執務机と応接用のソファが備えられた部屋は広々としていた。
 俺とレオは四角い卓を挟んで勧められたソファに腰掛け、対面に座る首領を見る。

 背後には護衛である黒服が二人控えていることが威圧感を覚えさせるが、それ以外はどこからどう見ても人の良さそうな壮年男性だ。敵意は感じないし、むしろこちらに対する厚意を強く感じる。

「異獣どもに襲撃されたと聞いて心配したが、無事なようだね。君ほどの手練れだ、そう過保護に心配することもあるまいとも思ったが、万が一ということもある。コルセスカ殿はしっかりと護衛の任を果たしてくれたようだね?」

「ええ、まあ。彼女がいなかったら今頃こうして首領と話すことも無かったでしょうね。言語翻訳の事もですが、感謝してもしきれません」

 掛け値無しの本心だった。俺のコルセスカに対する信頼はここ数日で揺るぎないものに変わっている。

 そして、そんな恩人たるコルセスカを紹介してくれた首領に対しても感謝こそすれ敵意を向けるような事態にはなり得ないと思っていたのだが――。

(わかってると思うけど、シューラの敵をアキラくんがどう思っているかなんて、シューラには関係無いよ)

 そうだ。そのくらい理解している。
 トリシューラに協力するのなら、俺は首領と敵対しなくてはならない。

 この世界に来てからの半年間、なんだかんだと仕事や生活面で世話になり、コルセスカと出会わせてくれたいわば間接的な恩人に対して、その信頼を裏切るような真似をしなくてはならないのだ。

(心が痛む?)

 いや、痛んだとしてもその痛みは殺すから別にいい。俺の内心、感情などは問題にならない。

 重要なのは、利害の為に裏切りを行う俺は、トリシューラやコルセスカに対しても平気で裏切りを重ねるのではないか、という疑念が生じかねないこと。

 俺の不実な行動は周囲からの敵意を買い、信用を失わせてしまうだろう。最終的にはトリシューラですら俺を切り捨てる可能性がある。それに首領と敵対するというのは極めて危険な行為だ。

 半年間【公社】を見てきた俺には分かる。
 目の前で優しげに笑みを浮かべる老人は、凶悪なマフィアの頭目なのだ。

「全く、下の連中にも困ったものだよ。まあいい機会ではあるがね。先日の動きをきっかけに、質の悪い連中が軒並み下に付いた。わかるかね? 潰す口実が出来たということだ。機を見て一掃するつもりだ。襲撃に失敗して勢いを失っている今の【モロレク】と【三報会】を潰すことなど造作も無い。【夜警団】や【マレブランケ】、【マグドール商会】も今のところは恐るるに足らずだ。今にこの階層は我々【公社】が支配することになるだろうね」

 どれだけ人の良い顔をしていても。
 その口から発せられるのは、血なまぐさい犯罪組織の勢力争いに関する事だ。俺はこの半年間ずっと、そういう仕事に付き合わされ続けてきた。俺が身を立てる術が、暴力しかなかった為だ。首領に目を付けられたのは必然だったと言える。

 いい機会と言えば俺にとってもそうなのだ。
 この、恩義と暴力で固く結びついてしまった相手との縁を切る、絶好のチャンス。

「こうして言葉も通じるようになった事だし、そろそろ君にも色々仕事を任せてもいいんじゃないかと思っていてね。この半年間、随分と我々に貢献してくれた君を、幹部にと推す声もあるのだよ。まあ、私が言っているのだがね」

 そう言って、面白い冗談でも口にしたかのように大笑いする首領。だがその目は本気だった。
 俺を組織の内側に組み入れようという意図が透けて見える。

 悪い話ではないのだろう。首領の下で働くということを好ましいと思えるのならば。

「そうそう、娘もだいぶ君の事を心配していてなあ。君に会った時の為に必死になって日本語表現を練習していたものだ。ほら、どうしたアニス、そんなところで黙ってないで挨拶したらどうだ」

「ち、父上、ですが」

 首領が視線を向けた先は、背後で控えている護衛の一人である。詰め襟の軍服めいた黒服に身を包んでおり、身体の線から性別は分からないが、ゆるやかに波打つ豊かな黒髪と線の細い顔だちは年若い娘のものだ。

 首領の娘であり、父親の護衛も務める【公社】の一員、アニスとは面識がある。何度か仕事で協力したこともある間柄だった。

「あ、いや、その、何だ。今度こそくたばるかと思っていたが、よく生き残れたものだな。相変わらず悪運だけは強い奴だ。貴様とまた顔をつきあわせる事になると思うとうんざりするがな!」

「そりゃどうも。俺はあんたと会えて嬉しいよ」

「なっ、なっ、何を!」

 色素が薄いため、気色ばむとすぐに顔色が極端に変わる。アニスの頬の色は紅葉のようだった。

 動揺しやすいという欠点を除けば、アニスは優れた武人である。だぼっとした袖口の内側に、旋棍トンファー型の呪具が隠されている事を俺は知っている。仕事の際にちらりと目にした攻防一体の格闘術には目を見張るものがある。いつか手合わせしたいと会う度に思っているのだ。

「ははは、仲がいいじゃないか。どうかね、アキラ。娘を嫁に貰ってはくれんだろうか。堅物な性格が災いしてか、この年まで貰い手がいなくてなあ。君ならばと思っていたのだよ」

「ちっ、父上っ! なな何を血迷ったことをっ! 私がこんな、こんな男とけけ、結婚など!」

「娘もまんざらではないようだ。いやあ、私としても後を任せられる者が出来れば安心できるのだが。どうだろうね、アキラ?」

(へえ。随分と仲のいい相手がいるんだね、アキラくん。知らなかったな。まあ半年あればそういう相手くらいできるよね。ふうん。結婚かあ)

 何かちびシューラが険のある口調で呟いている。意味が分からないが、要するに首領は、異世界人で第五階層の掌握者候補という不安定な要素を血族に取り込んでおこう、という思惑らしい。

(冷めてるね、アキラくん)

 アニスのどもり台詞に茶番の響きがあるため、打算が透けて見えるだけだ。
 首領としては最大限に甘い蜜を垂らして見せたつもりなのだろう。実際、このまま彼に取り込まれるという道もある。

 しかし、俺は即座に首を縦に振れない。
 ちらりと、横でぼんやりと座るレオを見る。
 しばしの沈黙を経て、俺は返答する。

「申し訳無いのですが、今の俺は身の置き場も定まらない状況です。定まった職業も持たない身で、軽々しく誰かと結ばれるなどと口にするのは無責任というものです。魅力的なお誘いですが、謹んで辞退させて頂きます」

「そうかね。何だったらまた仕事を紹介してもいい。近頃、部下が新しい商売を始めてね」

 首領の応手は淀みがない。一切のタイムラグ無しに、俺の逃げ道を塞ごうとしている。

「とは言いましても、俺には大した事はできませんよ」

「仕事などやりながら覚えていけばいいのさ。実を言えば今日の本題はそれでね。君もそろそろ安全に働ける場所が欲しかったのではないかね」

 首領と俺の関係は、仕事を斡旋する側とされる側というものだった。言葉がスムーズに伝わるようになった今でも、それは変わらない。
 反射的に、意識が聞くモードに切り替わってしまう。

(ちょっと、わかってる? 邪魔したらアキラくんごと潰すよ?)

 わかっている。そして俺にはトリシューラと敵対する意思は無い。
 二つの相反する恩義に引き裂かれそうになりつつも、俺は首領の言葉に耳を傾けてしまう。

「君はしばらく荒事からは離れた方がいい。なあに、うちの者を周りに置いておくからね、下の連中もそうそう手出しはできんだろう。その間に私が君を脅かす連中を残らず始末する。そうすれば君は安心して私の下で仕事ができるというものだ」

 俺をしつこく付け狙うモロレクや三報会が【公社】によって潰され、第五階層において最も強大な組織である【公社】に所属すれば、確かに将来安泰だろう。
 魅力的な提案だ。本当に、場合によっては首を縦に振ることもあり得る程に。
 しかし。

「君に任せたいのは住宅サービスの提供でね。今日の寝床すら定まらないような貧困層の為に、低価格で住居を貸し出そうと思っているのだよ。知っての通り、浮浪者の増加で治安は悪化し、街の景観も損なわれている。皆にとって住みよい街を作っていくために必要な仕事だと思わないかね?」

 なるほど、言葉だけ聞けば、首領はこの第五階層全体の公共福祉を考えた理想的な施策を行おうとしているように思える。
 だが、俺は背景を知っている。

 本来ならこの第五階層で住む場所が無くなるということはあり得ない。誰もが物質の創造能力を持つため、最低限の宿は自前で用意できるからだ。

 しかし例外がある。他者の前で窃盗や暴行、殺人などを行った者は、創造能力を奪われる。このリスクが抑止力となって、第五階層では表だった犯罪はある程度抑制されている。

 だがそれは表向きに過ぎない。裏では組織だった犯罪が人目を避けるようにして行われ、弱者は己の意に反して犯罪を強要され、創造能力を略奪される。

 創造能力を奪われた者の末路は惨めだ。生ける死体、人狼などと蔑まれ、第五階層の底辺で泥を啜る事になる。
 そうして数多くの弱者が宿無しとして第五階層のあちこちで野宿する羽目になっているのだ。

 この第五階層で宿泊サービスや住居の賃貸サービスを営んでいる連中は、全てこうした浮浪者たちをカモにすることを狙っている。
 そして創造能力を組織的に略奪しているのは、皆そうしたサービスを展開する犯罪組織なのである。

 弱者から物質創造能力を奪い、住む場所を失った者達に住居を貸し出して利益を得る、マッチポンプのビジネス。略取によって需要を創出する、それは極めつけに下劣な商売だった。

 脱法ハウス。
 この階層に明文化された法などは無いに等しいが、こう呼ぶのが相応しいほどに腐ったやり口だ。

 そう。
 こいつらはどのような表情を見せていても、その本質は犯罪組織。暴力によって利益をかすめとる略取者だ。

 それを、俺はこの半年間ずっと見てきた。
 そうしながらも、この階層にとって、そして俺の生活に必要であるという理由から見て見ぬふりをし続けてきた。見るに堪えない程の醜悪さ。善意と穏やかさでは隠しきれない腐臭。

 俺はこのロドウィという男と会う度に、鼻が曲がりそうだと思っていたものだった。
 それを、今ふたたび思い出した。

 【公社】は確かに第五階層のインフラストラクチャを握っている。
 しかしその実体は、他者から奪った生活基盤で利益を得る、マッチポンプの寄生虫なのだ。

 生産性が無く、存在する価値が無い。
 否、負の価値を生むと言った方が実態に即しているだろうか。

『恩義なんて虚構だよ、アキラくん。断言するけど、ロドウィに出会わなかったらアキラくんは別の組織に雇われて似たようなことを繰り返していたに違いないもの』

 俺が交換可能な消耗性の兵隊に過ぎないように、【公社】もまたかけがえのないものなどでは無い。
 だからといって潰して良いなどというのは傲慢で極論だろう。

 しかし、潰さない理由も特に無いのも事実だ。
 敵対に大層な理由がいるのか?

 答えは否だ。特に、殺人鬼である俺にとっては尚更のこと。
 誰かを殺すのに理由は要らない。それが恩人であったとしても。
 ちびシューラに意識を傾け、思考の中でだけ言葉を形作る。

(うん、ちゃんとわかってるよ。アキラくん。もう準備だってできているから)

「ああ。それなら今すぐだ。やってくれ」

 唐突な言葉に、ロドウィが不可解そうな表情を浮かべる。
 が、その次の瞬間彼の端末がメールの着信を伝え、俺に断りを入れてから表示を確認する。

 穏やかな仮面が引きはがされ、愕然とした素顔が露わになる。

「――すまないが、急用が出来てしまった。仕事の話はまた今度にしよう」

「それなら仕方ないですね。この辺でお暇させてもらいますね」

「ああ。今日は話ができて良かったよ。それと、できれば手持ちの財産はなるべく複数の通貨に分散しておくといい。近頃は相場が荒れやすいようでね。まあ言うまでもないことだが」

「そうですか。気をつけておきます。どうもありがとうございます」

 状況が理解できず困惑するレオの手を引きながら、退出していく。昇降機の中に入ると、アニスが着いてきて一階のボタンを押してくれた。見送りに来たらしい。

 扉が閉まる直前、首領が部下に向かって何事か俺に分からない言語でまくし立てているのが耳に入った。
 当然、意味は理解できない。

 見送りに来たアニスが連絡先の交換を申し出てきたので、端末を出してアドレスを教えて、その場を離れた。

「で、最後なんて言ってた?」

(泡を噴きそうな勢いで部下に指示飛ばしてたよ。事実関係の確認と、治癒符増刷のストップ。これからその他の財の確保に忙殺されてアキラくんに構う所じゃなくなると思うよ)

 俺には彼らの言葉がわからずとも、ちびシューラには理解できるのだ。どうせ理解できないと思い込んで目の前で会話をしてしまうのは迂闊と言うほか無い。

(どんな対策を打っても、この事態を防げなかった時点で『公社』の信用は地に落ちる。いつまでも代用通貨なんかに頼って経済を安定させないからこういうことになるんだよ。まあこのへんが社会の寄生虫の限界だよね)

 小さな身体でさらりと毒を吐くちびシューラの表情は、いつになく酷薄だった。
 ということは、上手く行ったということなのだろう。

 トリシューラによる『公社』への攻撃。その第一段階。
 街に、治癒符が溢れかえっていた。

 あらゆる端末に一斉に治癒符のデータが送信され、物理的にも呪術的な意味を持つ模様と文字が描かれた札が飛び交っている。階層の天蓋すれすれを飛行する無人の回転翼機が、ぶら下げた大きなコンテナから大量の治癒符をばらまいているのだ。

 空から降り注ぐ治癒符、言い換えれば今の第五階層にとっての金に、人々は目の色を変えて飛びついた。
 少しでも財産を得ようと必死になって治癒符をかき集めている姿はかなり滑稽で浅ましい。

 いずれ彼らは落胆するだろう。降り注ぎ続ける治癒符は、しばらくすればもはやその価値を失ってしまう。

 本来の消耗品としての効果は保証されるのが救いだが、数多くの人々の財産が、じきに紙切れになってしまうのである。路頭に迷う人もいるだろう。
 そういう者達を残らず迷宮の前線へと追い立てようというのが、トリシューラが立てた苛烈にして悪辣な計画だった。

(迷宮っていうのはね、闘争と探索こそが本来の姿なんだよ。ここは安住の地なんかではあり得ない)

 【公社】の手によるものだろう。呪術による炎や閃光が、上空の回転翼機に向かっていくが、それらは絶妙な制動や旋回によってことごとく回避されてしまう。そして、今度は逆に反撃の機銃掃射が大地を這いずる刺客たちを蹂躙していった。

(格の違いを思い知らせてあげよう。さあ始めようかアキラくん。私は、この迷宮を破壊する。見届けてくれるかな?)

 ああ、そういう約束だ。
 三日間、それでトリシューラという魔女の悪辣さを見極める。
 その邪悪さが、殺人鬼たる俺の相棒として相応しいのかどうか。

「まあ、最初の光景としては悪くないな。露悪的な趣味の悪さとスケール感がいい味出してる」

 降り注ぐ金、狂乱する人々、天からの銃撃によってゴミのように散る命。
 これから起こるであろう混乱を予期した者達が、戦々恐々としながら次に打つべき一手を思案し始める。

 そんな中で、俺はレオの手を引きながら、悠々と狂騒の中を歩いていった。

 

 
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