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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-13 星見の塔の大比武(さいごの戦い)

 そう、シナモリアキラの生存は間違っている。
 遙か遠くの舌戦、その微かな音を光妖精の長い耳で掴まえながら、死人の森の女王は心の中でそれを認めた。しかし、正しくない答え、選ばれなかった道、死んでしまった運命に再び生を与えるのが死人の森の女王が担う役目だ。
 彼女はその理を貫くための存在。それゆえに悪を為さねばならない。
 けれど冥道とは左道。外道を歩めば正しき英雄に斃されるのが世の定めだ。

「そう、私は英雄にはなれなかった。火竜に敗れ、愛を失い――けれど堕ちた先で、もう一度希望を見つけられた。だからもう離さない。誰にも渡さない。もう決して間違えない。私にはたったひとり、彼だけがいればいい」

 声が聞こえた。懐かしい、ずっと傍にいた半身の笑顔を幻視する。かけがえのない仲間たちを思い出す。
 ――まやかしだ。全てを選ぼうとして、全てを失った。それに、最初から姉妹が並び立てる道理など無かったのだ。だって二人はどちらかが必ず敗北して消えていく定め。相互参照の幻想など都合の良い妄想に過ぎない。子供の頃に見た小さな妖精はいつかは卒業しなければいけない。

 冥道の幼姫がいつか死人の森の女王になるように。
 大人になったら、切り捨てなくては守れないものがある。
 その諦めを抱いてからどれくらい経つだろう。
 世界に広がっていく荒唐無稽な世界法則が、ひどく遠く感じられた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。
 『選ばないこと』が自分たち三人が抱いた結論ではなかったか。
 眩暈がした。灰色の瞳が濁り、氷の色へと変転する。蜂蜜色の髪は白銀へと染まって、今の自分がどう在りたいのかが曖昧になっていく。

 かぶりを振った。遠い記憶を振り払って、今は前だけを直視するべきだ。
 女王の姿が、元の異形へと移り変わっていく。
 彼女は飛翔していた。忌まわしき屍の右半身には骨の翼。麗しき妖精の左半身には虫の翅。右側の肩胛骨からは人態と鳥態の前肢がそれぞれ伸びており、背後の三本目の腕は上腕骨から繋がる尺骨、手根中手骨という指に相当する部位までにずらりと異形の薄い骨片が連なっている。まるで骨によって翼を再現した異形のアート。再生者の女王が統べる王国では骨を細工した造形芸術が盛んだった。骨組みで動物や花を作り上げることは芸術家にとっての日常であり、王国民にとっての最も身近な呪術。それは神である女王の権能、千変万化する様態を摸倣する営為だったのだ。

 奇形の三手で空を往く。遠い太陰で時が満ち、約束された運命のままに冥道が開かれる。天より舞い降りてくるのは六つの魂。再演の舞台で別れてからすぐのことだが、彼ら六人にとっては永い時を超えた再会だ。一人一人に声をかけ、配下たちを左右に従えて先を急ぐ。ふと、異変に気がつく。

 ――汚染されている。
 六つの内、三つまでがグレンデルヒの影響下に置かれてしまったのはこれまでの状況から理解できていた。しかし、干渉を仕掛けてきているのは地上の英雄だけではない。太陰に用意されていた冥道の裏門――そこから現代に甦った六つの魂には、粘り気のある青い髪の毛がびっしりと絡みついていた。

「やってくれたわね」

 構うものか、と強引に支配力を働かせる。どれだけ外部から干渉されようと、屈伏させてこその女王だ。だれが主人であるのかを、しもべたちにはしっかりと躾けて馴らして調教してあげればいい。ヴィヴィ=イヴロスを喰らい、ティーアードゥを貪って手に入れた絶対遵守の権能は使い魔への究極の支配権である。

 やるべきことは一つ。グレンデルヒの打倒。
 すべてはアキラが生きているという罪悪を赦すために。
 その為だけに、敵の内側に入り込み叛逆の機会を窺い、かつ邪魔な魔女二人を排除しようとしていたのだ。
 だが、今はそのしがらみを忘れて手を取り合うと決めた。

「それでも、最後に勝つのはこの私」

 今この時だけ、女神としての幾多の名は捨て、ただひとりの戦士として戦おう。欲しいものを手に入れるための、全力の宣名で。

「この身は森の逍遙者。冥府を統べる死の女王。あらゆる命は微睡み融けて、我が胎内へと回帰する」

 それは、未来に置いてきた女神の欠片としての名前でも、失われた過去にあった英雄としての名前でもない。今ここにいる彼女が新たに選び取ったもの。もう一人の自分とは別人格であるという決別の宣言。彼女は三叉の槍ではなく、剣である。

 女王の姿が燐光に包まれると、その光が銀色の糸となって彼女と六つの魂を覆い隠していく。それはまるで幼虫が蛹となる過程のようだった。生み出されたのは銀色の繭。その内側で、巨大な神秘が渦を巻く。秘されたその場所はさながら生と死の坩堝。原初の混沌にして開闢の小宇宙。魂が一箇所に集い、力ある言葉によって一つの巨大な形へと変貌していく。変身の呪文。最も原始的でありふれた、【エルティアス=ティータの白樺の民】たちが得意とするまじない。再生者として得た多重権能によって、彼女は死者の魂を変質させることができる。

 【変身の権能】こそは最も古き神秘の一つ。
 彼女は上古の妖精アールヴたちのひとり。気紛れな妖精神アエルガ=ミクニーの愛を一身に集めた美姫。同時期に名を馳せた蛇蝎王ハジュラフィンが猛々しき将軍であるならば、こちらは傾国の魔性。

 銀の森を歩き、その木々で玉座を作り出した光妖精の女王。
 妖精は微睡みの中で転生の時を待つ。
 森の民にとって転生とは変態メタモルフォシスに等しい。
 幼虫が蛹となり、やがて成虫となるように。全く別の生命に変化しながらもそれらは同一の魂を有する『同じもの』だ。
 様々な相を持つ未来転生者の現世での名を、彼女は自らこう定めた。

繭衣けんいのルウテト――親しみを込めて、ルウとお呼び下さいね♪」 

 生死の誓言(ステュクス)生存(ウィクトーリア)勝利(ニケ)浄罪(フェブルウス)豊穣(セレス)(ディーテ)(テスモポリス)大地(キシャル)自由(フェロニア)黄泉の娘(ペルセフォネ)、そして冥道(ディスペータ)――幾多の名は全て同じものを指し示している。それら複数のイメージが重なり合う神話の結節点。それこそが『紀』なる神の座。

 死人の森の女王ルウテトは繭の中から現れ出でる。
 それは孵化のようであり、羽化のようであり、また魂が冥道より転生して赤子として生誕するかのようでもあった。自らの意思で人の域に留め置いていたルウテトの全身が本来の姿を取り戻していく。男根ファルスという権威がかけた戒めを砕き、人を超えた女神へと変わっていく。天と地と森羅万象を紡ぎ、相補性の大いなる脈動のただ中で自らを呪力ミームの凝縮体に変身させているのだ。純粋に己の願いを叶える、ただそれだけのために。

 世界に福音が鳴り響き、魂たちが騒ぎ出す。
 大地の王が弦を奏で、亜竜の王が角笛を鳴らし、月の王子が歌を響かせ、予言の王が鍵盤をかき鳴らし、空の王が太鼓を叩いて、夜の王が舞い踊る。
 女神はここに降臨した。

 人知を超越した左半身の美しさが可視光となって第五階層の天を照らし上げる。迂闊に見上げた者はその美貌が眼球が捉えることができる閾値を超えていた為に即座に失明し、精神の強い者であっても脳に強い負荷がかかったことで昏倒してしまう。老若男女問わずその可憐さと儚さに魅せられて次々と恋に落ちていく。

 続いて右半身の直視に耐えない醜さを視界に入れてしまい、あまりの衝撃に蹲って嘔吐を始める。百年に一度の恋はたちまち冷め、愛情は憎悪へと反転し、この現世で最も穢らわしい容貌は心的外傷となってそれを目にした者の悪夢に現れて魂の傷となる。どろどろと溶けて嗅覚を破壊するような悪臭を放つ腐肉、死の恐怖を喚起する白骨、絶対の虚無を内包した空洞の眼窩、反対側の艶やかな蜂蜜色の髪が見る影もなく禿げ上がり、数本残った髪房さえも凄惨な老いに敗北するかのように色褪せている。

 ルウテトを包囲していた鳥デルヒの集団が、魅了と嫌悪を繰り返し体験するという悪夢の循環に囚われて精神を砕かれる。弱体化したグレンデルヒたちは既に擬グレンデルヒ化というよりもただ雑に顔を貼り付けたコラージュのような有様で、女王の宣名によって生じた余波だけで容易く敗れ去っていく。グレンデルヒの顔が弾け飛んで闇妖精たちが墜落していくが、彼ら彼女らはどこからとも無く現れた銀の繭がクッションとなって一命をとりとめる。

「再生者だけではなく、妖精も私の子供たちですからね」

 麗しき光翅と穢れた骨翼を広げ、左右非対称の紀神が飛翔する。
 第五階層の天井付近で、はためく翼が静止した。
 地上の激戦が見渡せる、同時に地上から誰もが見上げることのできる場所で、ルウテトはグレンデルヒと対峙する。彼は女王を見ても平然としていた。中枢たるグレンデルヒだけあって、その実力は他の有象無象のグレンデルヒらとは一線を画する。単純な外見の呪いなど通用する筈も無かった。

 黄褐色のスーツを着た主肢グレンデルヒは、空中で彼女を待ち構えていた。といっても彼単独で浮遊しているわけではない。彼が足場としているのは、下部から呪力を噴射し続けている巨大な構造物。金属製の三角錐。変異の三手という名の古き神の化身。巨大呪具の頂点に足を乗せながら、グレンデルヒが口を開いた。

「なるほどなるほど。その名前は予想外だったな。複数の紀を有する神話構造体。古い女神特有の錯綜した伝承の蓄積。そんな所が正体だと予想していたのだが、まさか妖精とはね」

 グレンデルヒと同じ四英雄であるゼドもまた似たような予想をしていたが、それは正解であり同時に間違いでもある。
 ルウテトは上古の光妖精でありながら、異常なまでの加虐欲求を持つ祝福者でもあり、同時に再生者たちの女王にして罰神を喰らって成り代わった掟の女神でもある。そしてなによりも、未来からの転生を二度繰り返した、極めて複雑な来歴を有する神格なのだ。

 グレンデルヒの背後で空間が歪曲し、【(ハイパーリンク)】が増援を呼び寄せる。機械によって形成された杖の叡智、その結晶。
 錬金術の精髄たる鋼鉄の飛行機械、その数七体。
 魂の気配を感じ取ったルウテトは、それが有人機械であることを理解して、その所業に片方の眉根を寄せた。

「自分の配下を、強引に人柱にしているの? 趣味の悪い真似を」

 三人の副長たちとは違い、彼ら七人はグレンデルヒ直属の精鋭たちである。拷問、暗殺、誘拐、脅迫といった汚れ仕事を実行する複合巨大企業メガコーポの暗部。甦った六王を収容する魂の器として用意していた切り札を、グレンデルヒはここで切ってきたのだった。

「私の配下だ。どう扱おうと文句を言われる筋合いは無い。それに、配下をいいように使っているのは貴様も同じだろう」

 グレンデルヒは吐き捨てて、部下の魂を贄として動く七体の戦闘機械に命じる。目の前の敵を撃滅せよと。
 鋼鉄の翼を広げたその姿は、伝承に語られし金錐神に仕える御使いに酷似していた。恐らく神話を参照した神働装甲といった所だろう。

「往け、工学天使アレノバルシーアたちよ」

 第一の天使アーウィソーラは血液嗜好症(ヘマトディプシア)を、第二の天使カウァエールは手淫性愛(マノフィリア)を、第三の天使ミシェムドーガは寝取られ趣味(カンダウリズム)を、第四の天使アバトは屍体性愛(ネクロフィリア)を、第五の天使オルクパレルは獣姦(ズーフィリア)を、第六の天使パールガレーデは人形愛(スタチューフィリア)を、第七の天使クレーグレンは幼児行動性愛(オートネピオフィリア)をそれぞれ司ると言われており、機械天使たちはそれを体現した奇怪な姿をしていた。

「ちゅーちゅー! ちゅーちゅー!」「俺の巨砲が火を吹くぜ! 俺の巨砲が火を吹くぜ!」「裏切りやがって! 裏切りやがって!」「ママの内臓に包まれたいよぉぉぉ」「ケモハーレムである! ケモハーレムである!」「良い子だね~良い子だね~」「バーブバブバブ! バーブバブバブ!」

 響き渡る男たちの声。機械天使はそれぞれが搭乗者の性的嗜好セクシャルプリファレンスを体現した形態をしており、精神加工の呪術によってそうしたひどくプライベートな性質を拡張された彼らは人工的な金錐神の祝福者とでも呼ぶべき存在だ。グレンデルヒの所業に、ルウテトは不快さを露わにする。

「偏見を助長するような精神加工だなんて、卑劣です。待っていて下さい。今、貴方たちも死人の森に迎え入れてあげますからね」

 そして、グレンデルヒの下で変形する三角錐が司るのは悪意と加虐。
 変異の三手が蠢いて、三角の翼が展開する。三角錐の内側に存在していたのは禍々しい人型のシルエット。翼持つ三手の完全者となった鋼鉄が、胴体を開いてグレンデルヒを内側に招いていく。

 それは杖の叡智の結晶、呪術の鎧たる強化外骨格。
 紀械神と称される天形あまがつ
 神を模造するという不遜なる試みの成果。
 地上が誇る天才が作り出した擬金錐神クルグ・ペレケテンヌル
 英雄専用機が本来の搭乗者によって覚醒し、模造の身でありながら本物の神すらも超えた力を発揮する。

「――まあ、本物は修復中で役立たずですしね」

 ぽつりと呟いて、ルウテトは自らも構えをとった。敵は人造の神と天使たち。
 率いるのは英雄。率いられるのは七人の哀れな魂の虜囚たち。数がこちらと同じなのは、恐らく魂を閉じ込める器とするために用意していたからだろう。こちらが敗北すれば、六王の魂はあの機械天使たちによって封印されてしまう。グレンデルヒは六王を機械天使たちの動力にするつもりだったのだ。

 ――思い通りになど、させてたまるものか。
 ルウテトの左右の手に呪力が収束していく。左手には輝ける手綱が、右手には内側が花と柘榴で満たされた羊の角。そして足下では巨大な繭が解けていき、変幻した六王がその姿を露わにする。

 輝く手綱に繋がれた、それは巨獣だった。
 六つの頭はそれぞれ、右手側に土竜、蜥蜴、兎、左手側に虎、鷲、鼠と並んでおり、中央からは屍蝋の右腕が蠢きながら産声を上げて、暗き炎を指先に灯し、五つの燃える瞳を持った第七の獣頭として顕現する。栄光の手を中心とした異形の頭部と繋がる巨大な体は、この世のいかなる獣にも似ていない。

 それは異界の幻獣である(ニア)の威容。
 かの女は獣に跨る。左の手綱は情熱と生を、右手の器は愛と死を。
 羊の角は捩れて歪み、繭と依り合わさって縦横無尽に空間を走り、巨獣の至る所へと鮮血と共に穿孔し、乱雑に生えていく。その数は十角。
 月経血の緋色に濡れた彼女は太母ババロン
 荒ぶる七頭十角の獣(セリアック)を従えて、勇ましく天の戦場を駆け巡る。

 虚空から出現した八冊の【死人の森の断章】が獣の体表面に食い込んでいく。肉を引き裂いて項がめくられていくと、大量の呪文が解放されて巨獣の体表面を覆っていった。魔導書を皮膚に埋め込んだ巨大生物の全身を、妖しく輝く呪紋が走っていき、莫大な量の呪力を纏った獣が空を疾走していく。

 機械天使たちが電磁投射砲コイルガン凝集光砲レーザーガン、更には低出力ながらも荷電粒子砲ビームガンによる射撃を浴びせかけてくる。閃光の嵐を呪文障壁で遮断し、二種の邪視によって反撃、更には手綱を引いて獣たちに多種多様な吐息ブレスによる攻撃を命令する。

 それに対抗して、蝙蝠のような機械翼を広げたアーウィソーラが影の触手を伸ばす。「ちゅーちゅー! ちゅーちゅー!」膨らんだ先端部分から溢れ出したのは無数のお菓子。触手の中に潜ませていた四つのパウンドケーキが柔らかい障壁となって巨獣の吐息をことごとく吸い込んでしまう。続いて巨大な腕を持ったカウァエールが肩と両足から無数の球体をばらまく。「俺の巨砲が火を吹くぜ!」機動機雷の群れが獣の巨体を捉え、衝撃にルウテトがよろめいた。そこにグレンデルヒの三手による同時攻撃が襲いかかる。雷光を纏った連撃がルウテトを正面から貫く。

「涼しいこと」

 だが、死を統べるルウテトに、単純な破壊など何の意味も持たない。
 【空圧】のみで鋼鉄に身を包んだグレンデルヒを吹き飛ばし、三手のひとつをついでとばかりに引き千切る。周囲を飛び交う小うるさい機械天使たちを死の視線によって一蹴。即死はしないまでも魂に大きな損傷を負った搭乗者たちが苦しみ呻いて墜落寸前にまで追い詰められる。

「剣刃の権能を借りますよ、ヴィヴィ」

 ルウテトは小さく呟いて、腰に右手を添えた。始めからそこに存在していたかのように剣が現れる。剣を佩いた戦女神は裂帛の気合いと共に抜剣し、鞘走った刃が閃光となって中空を走る。呪力の刃が間合いを無視して縦横無尽に空を駆け巡り、機械天使たちを次々と引き裂いていく。

「小賢しい!」

 グレンデルヒが投射した荷電粒子の光がルウテトの刃と激突、壮絶な呪力を天に散らしていく。いかなる手段を使ったのか、グレンデルヒが人造神の翼を輝かせると配下の機械天使たちの破損箇所が時を巻き戻すかのように修復されていく。金属を変成させる錬金術を応用した機械の治療呪術である。

「何度でも、切り裂くだけです」

 ルウテトは不敵に言い放つと輝く刃を振り抜いた。荷電粒子が拡散して散らされていく。剣は骨を削っただけの原始的な造りにも見えたが、その切れ味と強靱さは鍛え上げられた玉鋼の刃をも凌駕する。
 担い手と同様に、剣にも幾多の名が存在する。
 災厄の剣、ラスティミアス、そしてステュクス。

 異界からの引用に覆われたまことの名が明らかになろうとしていた。神秘のヴェールが取り払われ、宣名によってその存在が露わになる。冥府を流れる大河、その名は。

「【生死の誓言(アーヴァスキュアレ)】!!」

 妖精神アエルガ=ミクニーは彼岸と此岸を隔てる大河を剣に変化せしめ、その支流は様々な神話に流出し、形を変えて『伝説の武器』として様々な者の手に渡った。この刃こそは古今東西の聖剣・魔剣伝承の元型である。

「この剣に誓って、私は必ず勝利する」

 絶対遵守の権能が呪文となって世界に刻まれていった。
 彼女の誓いは絶対だ。ゆえに勝利を誓えば栄光の未来が確定する。
 約束された勝利に向けて、ルウテトは聖魔の剣を振り抜いた。
 剣先から放たれた輝く光の帯が、第五階層の天井を削りながら機械天使と偽りの神を引き裂いていく。



 倉庫街の上を飛び交う二つの影があった。トリシューラとケイト、アンドロイドとサイボーグの激闘が続く。重厚な機械鎧は共に艶のない黒金。片方はゼオーティア最高峰の杖呪術の結晶、もう片方は民間に払い下げられた中古品とはいえ正規の軍用機。質量弾は疾うに尽き果て、互いに呪力エネルギーによって供給される杖の呪術で攻防を繰り広げていた。

 金色に輝く転経器マニコル型弾倉が反時計回りに回転し、円筒型の側面に刻まれた真言マントラが異界の呪力を込めた仮想呪弾を銃身に送り込む。トリシューラが纏う強化外骨格きぐるみが駆動音を響かせて長大な質量を持ち上げ、固定する。三叉槍にも似た長い杖銃が六字大明呪を宿して暗く輝いた。

「死ね、死ね、私の邪魔をする奴も私からアキラくんを奪おうとする奴も、とりあえず嫌いだからみんな死んじゃえっ」

 高慢と嫉妬と欲望と偏見と独占欲と憤怒。六字六道の呪力が浄化されずに三叉の穂先で雷に変換され、輝きは漆黒に堕ちて暗色の稲妻へと変貌する。
 その時、呪術世界の秩序を乱す投射武器を否定すべく運命竜クルエクローキの干渉が迫り来る。だが、魔女はそれを一蹴した。

「これは私。私という存在の一部」

 三叉槍のごとき杖銃、その銘は【トリシューラ】。銃士でもある魔女の肉体の一部であり、彼女そのものでもあるちびシューラを宿した知性化兵装スマートウェポン。これは身体性を拡張した、交換可能な手足なのだ。ゆえに使用を咎められる謂われは無い、とその存在そのもので秩序からの干渉を拒絶。機械である彼女が自ら作り上げた機械は全て彼女の新陳代謝にして生命活動である。

 無明の雷が大気を焼きながら奔る。狙うは黒い機体の戦闘サイボーグ。計都星ケートゥのコードネームを持つインド人が駆る【ドラゴンテイル】が片腕を前に出し、掌から抗磁圧障壁を展開して防御するが、圧倒的火力に圧し負けて片腕を爆散させた。瞬時の判断で片腕を切り離したケイトが牽制の呪文を放ちながら後退していく。

「君、本当にAIかい? ちょっと我欲が強すぎない?」

「それがチャームポイント!」

 少女が無明ノーレイたる所以、根本的な在り方に疑義を抱かれるが、それをトリシューラは一言ではねのけてみせた。開き直りとも言う。
 ――開き直り。そう、トリシューラも、そしてその半身たるコルセスカも、同じように使い魔のシナモリアキラも。
 誰も彼もが俗悪に居直って正論を否定する。
 己の罪深さを肯定し、迷惑も顧みずに我欲を押し通す。
 そこに正義は無い。ただ幼いだけの無軌道さは、いつかその身を滅ぼすかもしれない。だがそれは今ではない。今はまだ、この不安定な道を突き進むのだと、三人は決めている。

 トリシューラは倉庫街の屋根を足場に跳躍を繰り返してケイトとの攻防を繰り広げる。跳躍途中での攻撃を腰部の噴射孔から推進剤をばらまいて回避。倉庫の屋根を呪砲から放つ無明雷でぶち抜いて足場を破壊し、相手の行動を誘導する。互いに先の展開を予測しながらの戦い。電子兵装がグラマー/アストラル界へとデフォルメアバターを投射して、二頭身のちびシューラとちびケイトが壮絶な殴り合いを行う。両者の実力は拮抗していた。短い手足がばたばたと振り回される。

(えいえい! 元人間だからって調子に乗るなよこのやろう!)

(うるさい! そっちこそ何が発剄用意NOKOTTAだ! 行司の仕事を奪いやがって! ああくそ、なんでこんな視覚的効果が攻撃に影響するんだっ)

(ばーかばーか! そっちだって何だよ、あれ相撲っていうかほぼプロレスもどきっていうかどっちでもない何かじゃん! 自然言語プログラムを食らえー!)

(い、言ってはならないことを! 君は現代SUMOの闇を知らないからそんなことを言えるんだ! このなんちゃって八極ジークンドーめ! ファイアーウォールを、あれ? 何この燃える火の壁みたいなビジュアル?)

(失礼な! アキラくんに代わって粛正してやるー! アキラくんから奪った世界間回線で転生後生活サポートセンターに迷惑メール爆撃してやる! ゾーイ&ケイト名義でね! ざまあ!!)

(やり口が卑怯だぞ! っていうかアルバイトの人が可哀想だろ!)

 ぎゅうぎゅうとお互いの髪や頬を引っ張り合いながら、激しい呪文と格闘の攻防が続いていく。



 第五階層の戦いは佳境に入っていた。
 荒ぶるリニアモーターカーの突進をビーグル犬のような頭部を持った虹犬種ヴァルレメス、グラッフィア・カーネが受け流し、複数の過去シューラたちが強化外骨格を身に纏いドリルや鉄球などを振り回す無人機と交戦する。

 中でも、倉庫街の外れに生まれた巨大な更地では、極めつけに激しい死闘が繰り広げられている。
 衝撃が走り、階層全体が振動する。閃光は大地を焼き、焦げ付いた臭いが辺りに立ちこめた。『彼女』が駆け抜けた後には、重い列車が駆け抜けたかのような二条の痕が真っ直ぐに引かれていた。

 シナモリアキラが力士の突進を回避できたのは、憑依したコルセスカの神業的な反応と、彼が身に纏う強化外骨格トバルカインの運動性能のお陰だった。
 相手の戦術はここにきて転移ではなく単純な突進。加速による破壊力の増大を狙ったものであり、直撃すれば強固な装甲ごと一撃で粉砕されるだろう。

 トバルカインのバイザーの内側で視界と焦点が調整され、力士の脚部が拡大される。硬化した生体装甲に力士特有の大質量、カブキスタイルのフェイスペイントに加えて噴射推進力を発生させる機巧廻し、背中と肩から伸びた排気排熱管という姿は変わらないが、その両足がこれまでとは大きく変貌していた。

 鋭角の五指は獣のように鋭く、かぎ爪が大地に食い込んで重量を効率よく伝達する。下腿から膝、大腿部から腰までは巨大な装甲板に挟まれており、鍛え上げられた筋肉と追加された人工筋肉の両方を保護していた。足の太さが増したにも関わらず可動域は広く、振り返ったゾーイは腰を低くして足を持ち上げようと重心を移動させる。四股踏みによる大地の破壊が目的かと跳躍の準備をするアキラだったが、力士の狙いは他にあった。

 コルセスカの指が幻のゲームパッド上を動き、トバルカインがそれに応えて神速の横移動を行う。それでもなお回避が間に合ったのは僥倖に過ぎない。
 蹴り。ゾーイが振り抜いた巨大な足は音を置き去りにして大気を断裂させ、衝撃波を放つ。生体強化された達人の蹴りは距離を越えて、その威力を遙か遠くまで伝えるという。力士の脚撃はまさにそれだった。

 ゾーイ本来の戦闘スタイルは蹴り技主体。いわゆる蹴手繰りではなく、重い打撃としての中段蹴り、上段蹴り、跳び蹴りなどを含んだ大技だ。
 迅速にして長いリーチを誇る高威力の蹴りで相手を追い詰め、懐に飛び込んで勝負を決めようとした相手を投げ倒すのが彼女が得意とする戦法である。蹴り技を持ち味とする力士にとっての定石と言って良い。
 日本国外での評価は芳しくないものの、蹴りは相撲では頻繁に用いられる伝統的な技術である。相撲の祖と伝えられる当麻蹴速たいまのけはやも蹴り技の名手であったがためにその名を付けられたとされている。蹴りは相撲の華だ。日本書紀にもそう書かれている。

「そうだ、私はこの蹴りで世界を制覇したかったんだ!」

 ゾーイは力強く、喉の奥から絞り出すように叫んだ。後悔を振り切るように、心の奥底から湧き上がる欲求を解放するように。
 そう、相撲において蹴り技や女性力士の存在は別段禁忌ではない。一部で執拗に『新しい伝統』を維持したがる保守派が否定するのみで、女性力士の存在も正しい相撲の伝統に則ったものだ。廻しを締めた女官に相撲をとらせたという逸話も残っているくらいだ。日本書紀にもそう書かれている。

 衝撃波を撒き散らす脚撃が周囲にかろうじて残っていた倉庫の残骸を全て吹き飛ばし、更地になった大地を更に砕いていった。
 駆動音を立てながら疾走するトバルカインの機体を衝撃が掠め、右腕の凍結発勁が飛び交う瓦礫を受け止める。

「戦うのは楽しいなあ、お前もだろう、シナモリアキラ!」

 轟音を置き去りにして突進する力士。アキラは突き出された腕を回避、身を低くした状態から両手を左右に開くようにして掌打を放つ。体軸から伝達された運動エネルギーが呪力と絡み合い、打開の双方向から螺旋の衝撃を放射する。呪的発勁。グレンデルヒの抵抗により呪力が鬩ぎ合うが、一瞬の拮抗の後、破裂音が響く。

「ぬ、これはっ」

 ゾーイの口を借りた動揺の声。当然だろう、信じがたいことが起きていた。
 巨大質量が、圧倒的に劣る体格のアキラの一撃でよろめいたのだ。それも、上級言語魔術師であるグレンデルヒの防御を突破した上で。これは強化外骨格によって膂力が増していることもあるが、それ以上にトバルカインが有する機能のなせるところが大きい。

 錬鉄者トバルカイン。『彼』はトリシューラと同じく杖に属する存在である。火によって金属を鍛えるという人の営為は、呪術的には男神と女神の結合を意味している。文明の火は男性性を、金属すなわち大地は女性性を象徴するからだ。人間の知的営みを拡張敷衍するという呪術の基本原理に忠実に、トバルカインは鉄を鍛えるという能力を有する。

 物理的にはアキラが纏う強化外骨格の装甲強度が増すという結果が顕れるが、呪術的には男性性が女性性を高めるという因果が生じる。普段アキラの内部では二人の魔女が陰陽の呪力を調和、流動させているが、トバルカインを纏った時のみ、陰の気を基軸に陽の気がそれを補助、増幅するという状態となる。

「はっ」

 態勢を立て直した力士が地響きと共に手掌を繰り出す。これまでは取れなかった選択肢として、アキラはトバルカインと共に右手を突き出した。巨大な掌に果敢に挑む小さな氷の掌が輝く呪力を解放。熱という外力が螺旋を描くように凍てつく内力の周囲を取り巻いていく。強化外骨格の肩、背筋、腰、そして踵の部分が鋭角に展開し、猛火を噴射して打撃を後押し。衝撃が力士の打撃と正面からぶつかり合い、大地を踏み割る勢いのまま一気に押し切った。巨大質量がたたらを踏んで、追撃を避ける為に転移で大きく距離をとる。

 コルセスカの力を借りた呪的発勁の強化。それが『彼』の力の真骨頂だ。 
 芯となる内側ではコルセスカの陰気が、トバルカインが覆う外側では陽気がそれを強化する。冬の魔女が憑依している今のアキラにとって、トバルカインはこの上無く『噛み合った』武装なのであった。

 猛然たる突進を回避し、一瞬の隙を狙って背後から廻しをとりにいく。陰気を利用した柔法もまたトバルカインのお陰で選択肢に入ることになっていた。膂力を生かした豪快な投げを狙うが、流石の力士、しつこい粘り腰で微動だにせずに踏みとどまる。分厚い足裏が第五階層の床を踏み割って、逆に廻しを取りに来るゾーイ。危険を察知して飛び退ると超音速の蹴りが跳んでくる。両手を交差して右腕の能力を全力で発動。減速してもなお凄まじい威力を誇る蹴りがトバルカインを吹き飛ばしていく。

 力士は以前と変わらずに隙が無い。むしろ蹴り技が加わって更に手強くなったと言って良い。にもかかわらず、アキラとコルセスカには『戦えている』という実感があった。トバルカインという新たな力は、歩く兵器と渡り合うだけの土台を用意してくれたのだ。

「もっとだ! もっとお前の力を見せてみろ!」

 豪快に笑うようにゾーイが叫ぶ。地を割り風を裂いて空間すらも超越し、打撃と投げの両面から攻め立てる力士の表情はこの上無く活き活きとしていた。躍動する巨体が必殺の蹴りを放ち、トバルカインが増幅した全力の凍結発勁がその威力を減衰させて柔法で受け流し、アキラは返し技で体重を乗せた肘の一撃を叩き込む。一進一退の攻防。狼型のフルフェイスヘルメットの中で、アキラの表情もまた自然と笑みを形作っていた。

 そうだ、笑うしかない。この瞬間だけは、互いの背景や事情、善悪正誤を超えてただ単純な暴力を比べ合える。一瞬先を読み合い、ゾーイが力士として、コルセスカがゲームのプレイヤーとしてその技術の限りを尽くし合う。布石として必殺の攻撃が飛び交う戦場は、殺伐とした死に彩られながらも殺意を許し合うような空気で満たされていた。

「はっきよい!」

「発勁用意!」

 持てる全ての暴力を、意思と技術を乗せてぶつけ合うこと。
 そのルールを許容し合った瞬間、それは殺し合いである以前に競い合いへと変化する。武を比べ合うことは楽しく、誰が強いのかという情報は人の興味を惹き付ける。交錯する野蛮と野蛮、大気を灼く熱量がぶつかり合う。
 双方の心は昂ぶり、戦いは激しさを増していく。
 だが、そんな状況を快く思わない者がいた。

「――茶番だな」

 グレンデルヒの声が響き、同時にゾーイが顔を歪めて膝をつく。苦痛の声を漏らしながら何かを口にしようとするが、それは断ち切られてしまう。彼女の頭部を呪文の文字列が取り巻いており、グレンデルヒが力士の思考に干渉しているのだとわかった。仲間割れ、というのとは少し様子が異なる。

「最強を決める戦い、大いに結構。だが、その場にこの私が不在なのが気に食わん。これでは私は端役ではないか? 常に中心に立ってこその英雄というもの。このまま表舞台を奪われたままではいられんよ。そしてもう一つ」

 力士が立ち上がると、その顔を雑に上書きするように蓬髪の壮年男性の顔が貼り付けられる。醜悪なテクスチャ呪術。グレンデルヒの顔をした力士が高みからアキラを見下ろして、蔑みの言葉を吐き捨てた。

「たかが女風情が、男の戦場にしゃしゃり出るな。外世界人の女力士め、少しばかり重用してやっただけで調子に乗りおって。そして貴様もだ、冬の魔女。惰弱な引きこもりが英雄を気取るなどおこがましいにも程がある。家の中でおままごとでもしているがいい」

 ゾーイデルヒが告げると同時、その口から呪文が迸る。それは洪水で氾濫した川のように周囲一体を荒れ狂い、第五階層全域へと浸透していった。アキラの傍でちびシューラが叫ぶ。

(しまった、オルゴーの滅びの呪文! 戦闘をゾーイに任せている間に、グレンデルヒが裏で詠唱チャージしていたんだ!)

 詠唱状態を維持していた時間ターンに比例してその威力を増大させる極大呪文が炸裂。呪文の群れは天高く昇っていくと、無数の頭部を持った蛇となって急降下を始める。そして、トリシューラたちガロアンディアン側の勢力へと一斉に攻撃を仕掛けた。

 呪文竜の大顎が次々とこちら側の主戦力を襲っていく。様々な年代の小さなトリシューラたちが撃墜されていき、銃士カルカブリーナが両手両足を引き裂かれ、ブルドッグのレスラーカニャッツォが首から上を持って行かれ、妖精使いファルファレロを突き飛ばしたマラコーダが肉体を腹から上下に引き裂かれ、辛うじて逃れたファルファレロも残っていたイアテムが振るった水流の刃で首をはね飛ばされる。レオに治療されていたチリアットは雄叫びを上げながら右腕のダエモデク細胞を活性化させて少年を掴み、同じように介抱されていたカーインを抱え上げると二人纏めて遠くへと放り投げた。その背中へ大蛇が迫り、大きく開かれた口が閉じられて牙猪の姿が見えなくなる。

(まだです、残機ライフがあれば復活リトライできる。それが私の世界法則なのですから!)

 アキラの脳内に響くコルセスカの声。アストラル界に響いた言葉を幻聴したのか、ゾーイデルヒがせせら笑った。

「ならば、貴様は私をどうやって倒すつもりだった? 捕縛、存在そのものへの干渉、権威の失墜――大方そんな所であろう。ならばこちらも同じ手段で攻めるまでだ」

 オルガンローデに襲われた者たちは誰一人として死んでいない。多種多様な呪文を織り込んだ仮想の大蛇は、標的の四肢や頭部を引き裂きながらも、同時に対象の生命活動を維持し続けるという機能を有していた。そうして瀕死の肉体を束縛し続けることで死亡後の復活を阻止しているのだった。

「この無様な姿をアストラルネットに晒し続ければ、そちらの権威は地に堕ちていくというわけだ。勝利している者は強く、情けなく見える者は弱い。それが世の理というものだ――わかるだろう、冬の魔女」

 ゾーイデルヒの戦い方が変化して行く。これはもはや肉体言語を用いた暴力による競い合いではない。罵倒、嘲弄、否定することで相手の権威を失墜させようとする煽り合い(ネットバトル)、すなわち言語魔術師同士の戦いなのだ。ゾーイデルヒはコルセスカの浄界どひょうでの尋常な競い合いに待ったをかけ、自分本来の戦い方に切り替えたのだ。

「軟弱な世界観を無防備に晒している貴様は『恥ずかしい』のだよ。弱さを誇るな、みすぼらしさを開き直るな」

「『ゲームなどの趣味は全く恥ずかしいものではありません。それに、貴方もまたゲームをする側の人間でしょう』とコルセスカは言っている。俺もそう思うし、何よりこの世界は弱くもみすぼらしくも無い。お前の根拠の無い偏見と主観を一般化するな、煽りの質が低いんだよ」

「馬鹿め。貴様が自信満々に開陳している世界観は所詮、アマチュアレベルの代物だ。厳しい競争社会に出れば誰にも相手にされない。いいかね? 一流のゲームクリエイターでありプロゲーマーでもある私の目から見て、この世界は論外だといわざるを得ない。貴様は遊戯の上っ面だけを見て喚いているだけの程度の低い消費者だ。本当のゲーム性、競技に真剣に向き合うという意味がわかっていない。まこと、女というのはあらゆる面において害悪だな。物事の『深さ』を理解できない低脳が増えたせいで業界に底の浅い駄作が蔓延るのだ。たとえば、最近の――」

 ゾーイデルヒが具体的な作品名を幾つか挙げた瞬間だった。
 その辺り一帯の気温が急激に低下していく。

(アキラ、ごめんなさい。私はもう耐えられません。世界がどうなってもいい、あいつだけは殺さないと――氷血呪を完全解放します)

 コルセスカが平坦な声でそんなことを呟いたので、慌てたアキラは、

「やめろやめろやめろ世界が滅んだら新作のゲームとかその他色々な娯楽が楽しめなくなるぞ! ほら、全部終わったら一緒にやろう?! な?!」

 と返す。恐らく本気だったコルセスカはその言葉で我に帰った。だが、ここが相手の弱点だと見て取ったゾーイデルヒは調子付いて更に言葉を重ねていく。

「全く、ぬるい消費豚どもに媚びた軟派な作品の浅さは見るに堪えないな。最近の低俗なコンテンツはこのような目障りなもの、後に残らぬ泡沫のようなクズばかりだ。それもこれも、貴様のような声の大きい腐女子が我々『男の世界』にずかずかと土足で入り込んできたせいだな」

(わっ、私は腐女子ってわけじゃ――いや、たとえそうだったとして、何でそのことで責められなければいけないんですか! あと間口を広く作ることの何が悪いんです!  そっちが気に入らないから排除したいだけでしょうっていうか殺、ころろろ――)

「落ち着けコルセスカ、怒りのあまり思考が滅茶苦茶になってる。っていうか婦女子じゃないってどういう意味だ? えっと、日本語だよな?」

 不毛な罵り合いが続く。それは一つの『権威』に基づいた特定の属性への攻撃だった。それは陰と陽で表現される性質。すなわち、男性性による女性性への抑圧である。支配関係の確立――それは使い魔の系統に属する呪術だ。

 遙かなる上空での戦いもまた、それと似た様相を呈していた。
 真の力を発揮した死人の森の女王ルウテトは次々と機械天使を撃墜し、紀械神を纏ったグレンデルヒを追い詰めつつあった。そこでグレンデルヒは攻め方を変える。地母神の絶大な力を削ぎ落としにかかったのだ。

「『お前の出産はらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』――」

 突如として唱えられた異界の呪文。日本語という異界言語によって詠唱された響きが第五階層へと浸透し、真正面からそれを受けたルウテトの顔が苦痛に歪み、膝をつく。足場となっている七頭十角の巨獣が悲痛な叫び声を上げた。短い詠唱ながら込められた呪力は絶大。その呪文の出典が異界において極めて強大な呪術基盤に属するものだということは明らかだった。グレンデルヒが哄笑する。

「異界において最高善とされる聖典、創世記においてすら、女の運命はこのように述べられている。そしてこれは自業自得の結果なのだよ。まさしく女の愚かさへの罰というわけだ。この三千世界、どの宇宙を見渡しても男女の支配、被支配の関係とは究極の摂理。大方あの外世界人たちも深層意識ではこのような規範を内面化しているだろうさ」

「そんなことありません!」

 強く否定するルウテトだが、その表情が曇る。
 グレンデルヒは言葉を続けていく。

「無いわけが無いだろう? 男に男根よくぼうが存在する限り、それは消えない。そのように生まれついたのだ、自然に振る舞うのが『正しさ』というものだよ。そら」

 グレンデルヒが言い終わらない内に、機械天使の一体が飛来する。銀色の機体は美しい光沢を放ち、流線型の全身は鋭い刃のようだ。優美な光の翼を広げ、手刀の形にした手指から輝く刃を生やして迫り来るのは第七の天使クレーグレン。

「バーブバブバブ! バーブバブバブ!」

 内側に搭乗している人物の顔は見えないものの、明らかに声変わりした男性が赤ん坊のように喚きながら突撃してくるという状況に、ルウテトは一歩も退かずに剣を構えて迎え撃った。閃光を放つ刃と刃が二度、三度とぶつかり合い、飛翔する巨獣を駆るルウテトの周囲を銀の天使が飛び回る。

「赤ん坊は母親を欲しているぞ。子供の世話が貴様らの自然な役割であろうが。お前たちは余計な事など考えず、ただ与えられた役目をこなしていればいいのだ。それが自然なことなのだからな。そうすれば我々男はお前たちを養ってやろうではないか。これで万事丸く収まるというもの」

 第五階層の至る所でグレンデルヒが似たような論調で言葉を連ねていく。相手の排除を目指すのではなく、屈服と従属を強制する呪文。彼の言葉はガロアンディアンで多くの反感を呼んだが、それ以上に。
 小さく、徐々にではあるが、グレンデルヒは匿名というアストラルネット空間における賛同者を増やしつつあった。否、実際には顕在化していなかっただけで、そうした意見の持ち主はかなりの数が存在していたのだ。
 グレンデルヒの言動は、自分が支持されるという勝算があってのもの。でなければ、このような持論を展開する男が英雄として持て囃されるはずもない。

「どんなに取り繕おうと、男はみな本心では己の男根に素直で在りたいと願っている。メスを屈伏させ、征服し、蹂躙する。その欲望に従属したがっているのだよ」

 いろいろなグレンデルヒが、金錐神の中のグレンデルヒが、ゾーイデルヒが、一斉に同じ呪文を唱える。響き合う音が強固な呪力となって第五階層を震撼させていった。

「自然な衝動だろう? それを俗悪だと臆する風潮は愚かしい。いいや、勘違いした女どもがのさばっているからこそ、こうして不当に虐げられている本来尊敬されるべき男の本能を刺激してやるだけで呪文は力を持つのだよ」

 ルウテトが、コルセスカが唱えた反論の呪文を、グレンデルヒは「女は黙っていろ!」という怒声で強引に打ち消した。

「全く女というのはすぐにヒステリーを起こす。これでは議論にならん。やはり生物としての気質の違いは如何ともしがたいな。我々のような合理的な思考ができる男が適切な役割を割り振ってやらねばならん」

 次々と放たれる呪文の数々が吹き荒れる暴力となってルウテトやコルセスカの対抗呪文を無駄撃ちさせていく。雑な論理ものべつ幕無しに展開していれば対応が追いつかなくなり、一つ、二つと『通って』しまう。グレンデルヒは歪んだ笑みを浮かべ、今度は目の前の相手に聞こえるように声を小さく絞った。

「欲望を肯定し、男が知能、体力、精神の全てにおいて女よりも優れているという『科学的』事実を提示してやれば、奴らはいとも簡単にその言葉に群がる――縋り付くようにな。競争から落伍した無能な男、そして自分が優れていると思い込みたがっている男、狭い世界の中だけで完結している男ほどそうした承認を欲しがっている」

 グレンデルヒの言動は都合良く編集されてアストラルネットへ拡散していく。その瞳は、あらゆるものを見下ろし、侮蔑する色をしていた。
 地上でゾーイデルヒが指を立てると、その上に立体幻像が表示される。見れば、それは主にアストラルネット上で読まれるウェブマガジンだった。

「見ろ、男性総合誌『男の暴君』で連載中の私のコラムは常に好評だ。今週の『女子大生亡国論~労働と探究の場に巣くう癌細胞~』の反響を知りたいかね? 出産によって周囲に負担を強いる女の社会進出というのは歴史の汚点、最大の失敗と言っても過言では無い。そして、何の生産性もないジェンダー論や語学にばかりかまけて本来大学が果たすべき役割を果たせなくなっている――」

 更に続いていく典型的な言説。濫用された結果、意図された力を失った程度の低い呪文ではあるが、『英雄グレンデルヒが言っている』という重みと権威によってそれは呪力を宿していた。地上において絶大な人気を誇る彼への評価が高まっていく。曰く、『俺たちのグレンデルヒがまた言ってくれた』と。

「グレンデルヒ、ワイルドに世相を斬る。今週号のコラムはクロウサー家の愚挙に対する痛烈な批判なのだが、これが大反響でね。中高年の男に特にウケが良い」

 リーナ・ゾラ・クロウサーが馬鹿女子大生の筆頭として槍玉に挙げられていた。何やら過去の行状が暴き立てられて、そこから更に有ること無いことをでっちあげ、低俗なゴシップ誌も顔負けの推測のみで記事を完成させている。

「テロリストを私情で庇い立て、更に愛人として囲っているような尻と頭が特別に軽い空の民に、責任ある立場を任せて良いと果たして言えるだろうか? また彼女は過去に薬物関係の問題を」

「ふざけるな! 根も葉もないデタラメを言いやがって!」

 メールのやりとりだけではあるが、友人を愚弄されたアキラが怒りの声を上げる。コルセスカが引き受けたアキラの怒りを、憑依したコルセスカがアキラを通じて表現するという迂遠なプロセス。今のアキラは感情を己のものとして引き受けないまま素直に感情を表出できる。そんな激しさを、ゾーイデルヒは鼻で笑いながら相手にしない。

「と、このように。こうした低俗誌の購読層は安い自尊心を程よく慰撫してやれば簡単に熱狂するというわけだ。何しろ目立つ女を見下すのには自分に年齢が上であるという事実と男であるという属性があればそれだけで良い。楽なものだろう?」

 ゾーイデルヒの言葉通り、アストラルネット上にいる彼の信奉者たちはよくぞ言ってくれたとばかりにこぞって英雄の言葉を評価していた。世の中に不満を持っている層にとりわけ強く訴えかけるものがあるようで、かなり過激な主張が抑制されずに垂れ流されている状態だった。

「ことほどさように、男の心理は容易く支配可能だ。『支配欲』につけ込むことこそが使い魔の要諦」

 男性性、すなわち陽の気が際限なく高まり、天のグレンデルヒ、地のゾーイデルヒに流れ込んでいく。莫大な呪力を練り上げたゾーイデルヒが、幾筋もの呪文の帯を放った。コルセスカの防壁を突破してアキラをトバルカインごと捉えた呪文が、両手両足を束縛して空中に固定、磔にする。五指を広げた状態から、ゆっくりと手を握りしめていくゾーイデルヒが言った。

「女の個性というのはつまるところ男の影響によるものだ。他者に従属するためだけに存在しているお前たちを、この私の色に染め上げてやろう。さあ、貴様は私のものになれ冬の魔女。漫画やアニメやゲームなどといった女らしからぬ趣味は、男の影響に決まっている! 貴様は本当は私に憧れて英雄にまでなったのだろう? こうして屈服する日を待ち望んでいたのだろうが!」

 トバルカインを貫き、アキラを浸食し、コルセスカへと迫るゾーイデルヒの魔手。相手の意思すらねじ曲げて自分に都合の良い文脈に回収してしまう威圧的な呪文が毒蛇となって牙を剥く。その時、涼やかな声が響いた。

「貴方は悲しいひとです、グレンデルヒ」

 アキラの口が、操られるようにしてコルセスカの言葉を紡いでいた。重なり合うように女性の声が被せられる。幻聴だ。それは絶妙なカウンターだった。優勢な相手に対する哀れみを込めた語りかけ。これは相手の動揺を誘うと共に、逆転可能な切り札が存在する予感を抱かせる。疑念は実体を持ち、使い古された文脈の中で物語類型や演出上の必然として呪力を宿す。

「屈服せよ、言理の妖精語りて曰く!」

 構わずに呪文の強化を行うゾーイデルヒ。
 だがコルセスカは、無視されたことを無視した。

「何がですって? 他ならぬ貴方がそれを口にするということが、です」

 ゾーイデルヒが聞き返したという前提で会話を強引に続けるコルセスカの口調に淀みはない。あまりにも自然な台詞だったため、ゾーイデルヒが実際に「何が悲しいというのだ」と口にしたという事実が過去に遡って成立してしまう。

「だってそうでしょう? 他ならぬ貴方こそが、誰よりも外部からの影響を受けずにはいられない、他者の意思に従属せずにはいられない存在なのだから」

 冬の魔女は、呪文を打ち消そうとするゾーイデルヒの怒声を完全に無視した。
 アキラの口を借りることで、「女のヒステリー」というレッテルと「男に沈黙させられてしまうか弱い女性」という権力関係の呪術をすり抜けたのだ。
 そして、ついにコルセスカは致命的な言葉を告げる。

「グレンデルヒ=ライニンサル。トルクルトア機関が生み出した人工紀人プロジェクトの成功例にして、メガコーポがデザインや設定などを整えた作品。擬人化された英雄。つまり、あなたは」

「やめろ、言うなっ」

 どこかせっぱ詰まった声。その瞬間、二人の英雄は対等な土俵に立っていた。
 そう、コルセスカもグレンデルヒも、共に生物学的な意味での人間ではない。
 歴史上に存在したという名だたる賢者や英傑、それらのデータベースから抽出された『それらしい要素』の集積体。
 神話的な英雄のイメージ。その結節点。

「グレンデルヒなどと言う個人は存在しない。貴方は法人が作り出した、巨大複合企業体のイメージ・キャラクターです!」

 本質の看破によって、ゾーイデルヒが構築した呪文の拘束が粉砕された。



 一方で、上空でのルウテトとグレンデルヒの対決にも変化が起きていた。ルウテトが、銀天使クレーグレンの刃に腹部を貫かれている。輝かしい左手と汚れた右手が広げられ、ゆっくりと機械の全身装甲を抱きしめた。

「とってもいい子ね。たくさん遊んで疲れたでしょう? ママのお腹の中に帰って来て、ゆっくりおねんねしましょうねー?」

「だぁ、ばぶぅ」

 銀天使の装甲が内側から開いて、中からおしゃぶりとよだれかけ、布おむつを身につけた老年の男性が現れる。グレンデルヒによって無理矢理に肉体を酷使されたせいか、目と鼻から血を流しており、消耗のあまり既に瀕死の状態だった。ルウテトは彼を抱きしめる。すると、その肉体がずぶずぶと女王の体内へと沈んでいく。体内に広がる世界、死人の森へと誘われたのだ。

 落下していく銀天使。その他の機械天使たちもまた同じように撃墜されていた。そして、最後に残った紀械神ももはや満身創痍。錬金術による修復が追いつかず、破損した各所から火花を散らしている。歪なグレンデルヒの声が響いた。

「女、風情が、小生意気に」

「哀れですね、グレンデルヒ」

 奇しくも、地上にいる写し身とほぼ同じ言葉を呟くルウテト。

「あなたの言動は、典型的な女性嫌悪ミソジニーのようでありながら、その裏側にもう一つの嫌悪を内包しています。あなたの口にする言説は、あまりにも古典的で類型的過ぎる。そこに人格が感じられないのです」

 コルセスカならば、個人ではないため、と説明をつけるところだったがルウテトは違った。死人の森の女王は少しだけ柔らかく、そして悲しみのようなものを口調に滲ませながらこう言った。

「言葉の端々から、男性にはこの程度の思考しかできない、という侮りや蔑みが感じられるのです。あなたの根底にあるのは、一周して捻れた男性嫌悪ミサンドリーではないのですか、グレンデルヒ。いいえ、その内側にいるあなた」

 機械の神は黙して語らない。三角の翼に熱を収束させ、唯一残った腕の砲口に荷電粒子の光を輝かせるのみ。だが攻撃の準備よりもルウテトが動く方が遙かに早い。獣が空を駆け抜けると、刃が一閃した。すれ違った後、ついに機械の神からすべての武装が解除されていた。

「どうしてっ」

「何故わかったのか、ですか? あなたのやり方を真似して言えばこうです。女の子が、そんな風にはしたない振る舞いをするものではありませんよ。それに、もっと可愛らしい格好をしないといいお嫁さんになれないんですからね?」

 挑発混じりの微笑みで口にして、ルウテトの斬撃が今度こそ機械の装甲を破壊する。空中で粉砕される鋼鉄の後部から、咄嗟に脱出するグレンデルヒ。だが巨獣の口から放たれた複数の吐息が彼を逃がさない。咄嗟に広げた巻物を焼き尽くし、黄褐色のスーツごと英雄を飲み込んでいく。

「参照する! 俊敏なる水銀の大賢人、サジ――」

「させませんよ」

 吐息の嵐に飲み込まれながらもかろうじて広げた書物を、ルウテトの剣が貫通する。そのまま引き寄せて、切っ先に串刺しにしたまま相手に見せつけた。悔しげに歪むグレンデルヒが、巨獣の腹を突き破って現れた死人の森の軍勢たちに捕獲される。腐乱した手、連なった骨の縄がきつくグレンデルヒを緊縛した。無惨に破れたスーツの内側に隠れていた姿態は女性的な丸みを帯びている。ルウテトは細めた灰色の左目に嗜虐的な輝きを宿らせて言った。

「残念ですが、あなたはあまりグレンデルヒを使いこなせているとは言い難いようです。もっと可愛い服装の方がきっと似合いますよ? お人形さん」

 グレンデルヒに扮していた何者かは破れた布の合間から白磁のような裸身がほとんど見えかけており、屍の手がきつく束縛しているがゆえに胸元や腰だけがかろうじて隠されているような状態だった。ひときわ目を引くのは、その関節部が球体のような部品で可動するように作られていたこと。

 球体関節人形。それが、主肢グレンデルヒという役を演じながら隠れ潜んでいたものの正体だった。
 グレンデルヒとしての顔の映像に遅延が発生する。かろうじて顔だけは張り付いているものの、ざんばらな蓬髪は消滅して、滑らかな絹糸のような長い髪が代わりに現れた。刃のような風車で左右二つに括られた明るい淡黄色の髪房が揺れる。
 ツーサイドアップのグレンデルヒが羞恥と屈辱に顔を真っ赤に染めた。

「まさか、最初からわかっていたの?」

「いいえ、確信はありませんでした。ただ、いくらラクルラールでも、上級言語魔術師をそう容易く支配できるものかしらと疑問に思っただけです。でも、はじめから中枢に使い魔を忍び込ませていれば話は別。そこから他のグレンデルヒにも影響力を行使していたのですね。あとは、そうね。強いて言うなら」

 ルウテトは、そこでたっぷりと間を持たせ、にこやかに笑いながら軽く首を傾げてこう言った。

「女の勘です♪」

 不合理な呪術的説明。だが、それこそは男性性による支配関係が呪力の増大を促してしまう女性性の神秘。グレンデルヒの戦略は、諸刃の剣でもあったのだ。
 グレンデルヒはぎり、と歯を軋らせた。それから、意を決したように全身に力を込めてぐい、と体を捻る。すると、両手の肘から先、両足の膝から先が関節部分で分離して、人形の胴体が拘束から解けて落下していく。ルウテトも、これには完全に虚を突かれた形だった。

 球体間接を分離しての縄抜け。四肢の先を失った状態だが、大腿部の隠し開閉部が開くとそこから新たな巻物が出現して展開する。内部には文字だけではなく写実的な絵が描かれており、平面から浮かび上がった手足が実体化して少女の両手両足に接続される。共通規格の手足を予備として絵巻物に格納していたのだ。

変化へんげ、グレンデルヒ!」

 叫びと同時に煙に包まれた人形は、一瞬のうちに黄褐色のスーツと蓬髪の壮年男性へと姿を変えていた。さらに懐に手をやると、小さな金属片を数枚取り出す。追撃にかかったルウテトに向けて、指先で挟んだ金属片を投擲。

「金遁・錬金手裏剣!」

 小型の金属片はその形を大きく変貌させた。金属が柔らかく流動し、薄く広く引き延ばされた十字の刃となって回転しながらルウテトに迫る。時間差をつけて投げ放たれた巨大な刃を剣ではじき返そうとするルウテトだったが、金属の刃は剣に接触した瞬間ぐにゃりと曲がって彼女を覆い尽くす。四枚の金属触手によって束縛されたルウテトは、足止めの呪術を解除すべく呪文を詠唱する。

 その一瞬の隙をついて、グレンデルヒは呪符の巻き付いた球体を起爆させて煙幕を張っていた。遠い眼下に、倉庫街の屋根を高速で飛び移っていくグレンデルヒの姿が見える。階層の中心部、市街地へと逃げ込むつもりなのだろう。ルウテトが足止めされていた間に生まれた距離は広く、グレンデルヒの速さは尋常なものではない。追いつけないか、とルウテトが表情を強ばらせたその時。

「良い子だね~良い子だね~」

 撃墜したはずの機械天使が一体、人形愛を司るパールガレーデがグレンデルヒに襲いかかっていた。性的な嗜好を強引に拡張されたグレンデルヒの配下は、与えられた性質に従って美しい球体関節人形であることが露見した主を彼なりのやり方で愛そうと強引に襲いかかる。無数のワイヤーが放たれて、グレンデルヒの全身を拘束していく。

「くっ、呪遁・髪結手裏剣!」

 頭髪を数本抜き取ったグレンデルヒが、硬質化して鋭い針のようになったそれを投擲。機械天使に突き刺さった髪の毛が感染呪術を発動。切り離された身体の一部と鋼鉄が繋がり、二つを『同じもの』として世界に誤認させることによって暴走した機械天使を強引に支配下に置くグレンデルヒ。ルウテトにけしかけて逃走しようとしたその時。

「がっ――」

 グレンデルヒの胸を突き破って現れたのは、水流の刃。
 激しく流動して触れたものを削り飛ばす剣が、グレンデルヒと機械天使を諸共に貫いていた。背後で水の剣を構えているのは、配下であるはずのイアテム。

「イアテム、貴様」

 グレンデルヒは見た。イアテムの眉間、胸の中央、そして丹田が大きく陥没しており、そこに夥しい数の呪文が刻み込まれているのを。輝きながら流れていく呪文の帯が、地上の一点へと続いている。そこに、猫耳のレオと傷付きながらも少年を守るロウ・カーインがいた。

「経絡秘孔を突き、思考場を操作した。既にその男はこちらの操り人形だ」

 カーインによる静かな呟き。渾身の貫手から放たれた気の流れがイアテムの経絡を駆け巡り、気に込められた呪力がイアテムの脳髄を完全に支配していた。絶叫と共に上から機械天使がグレンデルヒにのし掛かり、下からはイアテムが水流の刃でグレンデルヒの胴体を斬り抉っていく。屈強な力二つ分に挟まれて身動きがとれないまま、グレンデルヒは真っ逆さまにとある倉庫に墜落。運の悪いことに、そこには大量の火器が補完されていた。三つの人影が屋根を突き破ってから数秒後。機械天使の破壊に伴って発生した爆発により、倉庫内の爆薬に引火。連鎖的に起爆して倉庫を内側から盛大に吹き飛ばす。立ち上る爆炎が第五階層の天井に手を伸ばすように一瞬だけ届き、少しだけ焦がしてそのまま消えていった。

 ルウテトはそれを無言のまま見届けると、手綱を引いて巨獣を走らせた。目指すのは、シナモリアキラとグレンデルヒの戦場。
 二つの勢力の決着は近い。
 それが、さいごの戦いになるだろう。



 トリシューラは追い詰められつつあった。
 無数の壁面を倒壊させながら、強化外骨格の巨大質量が地を滑っていく。波濤のような呪文、迫り来る磁力を纏った拳などを捌きつつ撤退するが、既に武装は杖銃を含めて全て失ってしまっている。後が無い状態だった。

 ケイトが駆る【ドラゴンテイル】にトリシューラの強化外骨格が劣る、というわけではない。むしろ、呪術世界ゼオーティアに適応した形で呪具を作っているトリシューラの方が本来は有利なはずなのだ。その差を覆しているのは、トリシューラの不調とケイトの予想以上の奮戦。そして何より、トリシューラに無くケイトにはあるものが現在の状況を形作っている。

 松明の騎士団を抜けて死人の森の女王に頭を垂れた元守護の九槍が八位、ネドラドとの戦いによってトリシューラは激しく消耗していた。アズーリア・ヘレゼクシュによって治療されたとは言え、万全の状態とはいかない。

 加えて、ケイトの戦い振りが見事だった。冷静に先を読んで一つずつトリシューラの武装を潰していき、この世界の呪術作法に『翻訳』した呪文による高度な電子戦を平行して行う。力士の影に隠れてしまっているが、ケイトは紛れもなく一流の戦士であり言語魔術師だ。

「言理の妖精、語りて曰くっ」

 そしてこの呪文こそが最もトリシューラを苦しめている要因である。
 呪文の座が世界中に広めた、万人に開かれた神秘。
 秘匿されるべき古い呪文の性質と、体系化と情報の開示を是とする杖の性質を併せ持つ、それは太陰に住まう兎たちの在り方にも似た妖精のおまじない。

 言理の妖精はあらゆることをあらゆる方法で可能にする。語り方次第で全く役に立たないこともあれば、驚くべき奇跡を実現したりもする。
 異世界人であるケイトにも、その呪文は開かれていた。
 唱えられた神秘の言葉を鍵に、異界の神秘が現出する。

「出でよスダルシャナ!」

 鋼鉄の機体が咆哮すると、赤熱する鋼の戦輪チャクラムが出現。それは高速回転しながらトリシューラ目掛けて飛んでいく。異界の神話を参照して妖精が生み出したそれには強力な『異質性の呪力』が込められており、生半可な呪術で防ぐことはできない。その上、ケイト当人が異界人なのだ。故郷の神話を知り抜いた彼が唱えるその呪文の威力はこの世界の半可通が唱えたものの数段上を行く。戦輪がトリシューラの頭の上を通り抜けていくと、狼の頭部のような電子兵装が切断されて床面に転がっていった。

「トリシューラだ何だと、僕たちの世界を参照するのが好きみたいだけどね! 幾ら何でも相手が悪い。それは僕の国の神話なんだから! 呪術的に考えて、本家本元に勝てるわけないだろう?!」

 同じ神話を呪術の形式として利用したならば、その呪術基盤に近しいほうがより強い呪力を引き出せる。近似は呪術世界においては力となるのだ。バーラト(インド)人であるケイトは、張り巡らされた情報の海の中で呼吸をするように、食事をするように、祖国の伝統文化を吸収している。実際に情報生命である彼の中には『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』といった有名どころはもちろん、古今東西の電子書籍が格納されている。そこから引き出された膨大な知識は言理の妖精に迫真性を与え、異界の神話をこの世界に再生することを可能とした。

 神話的破壊の嵐が押し寄せる。トリシューラは倉庫街を抜け、郊外へと突入。自動機械たちの働きによって人の避難は完了していた。残っていた警備用ドローンを遠隔操作してケイトの方へ向かわせる。

「無駄だ、時間稼ぎにしかなっていない!」

 爆散していく警備ドローン。浮遊する回転翼機が雷撃によって撃墜され、自走機銃が強固な足に踏みつぶされ、手足の生えた筒型機械が電気銃テイザーを射出する前に戦輪で切断されていった。箱型の簡易建造物や安っぽい天幕が建ち並ぶ郊外を疾走するトリシューラが、柔な壁をぶち破って真っ直ぐに逃走を続けていく。背後から迫る巨大戦輪。

「終わりだ」

 建物ごと強化外骨格が爆発を起こす。飛び散った建材が自然に消滅していくのを興味深そうに見ながら、ケイトは勝利を確認する。と、訝しげな声。

「中にいない――? 逃げたのか?」

 破壊されたきぐるみの中はもぬけの空だった。探査機能を作動させると、一軒の建造物に駆け込んでいく少女の存在を発見する。当然のように追撃。もはやきぐるみの魔女を守る強固な装甲は無い。罠を仕掛けている可能性もあるが、今の自分になら対処できるという確信がケイトにはあった。

 トリシューラが逃げ込んだ建物は周囲のものと比較していくらか大きい。箱を組み合わせたような無骨なデザインは他と似たり寄ったりだが、そこだけが異質な存在感を有していた。どうやら、公共の施設らしい。

「呪術医院か。魔女の拠点の一つなのかな」

 そう呟くと、ケイトは正面玄関からではなく壁面を破壊して侵入する。幾つもの戦輪が壁を切り裂いていき、道を作り出す。トリシューラの位置を探査すると、地下にある空間に逃げ込んだようだった。罠の可能性はますます高くなったが、構わずに進んでいく。

 呪術医院。当然ではあるが、そこはケイトの常識を逸脱した空間だった。ごく当たり前のような病院の設備や機器がある一方で、得体の知れない人面の浮いた書物や透明なケースに閉じ込められた様々な動物、更には文字を刻まれた頭蓋骨や紫水晶などが当然のように場に馴染んでいる。

 不気味に感じながらも、ケイトは地下へと進んでいく。昇降機エレベーターの前に辿り着くと、そのままボタンを押さずに壁を破壊して内部で待ち構えていた警備ドローンを殲滅、箱を破壊して地下に叩き落とす。扉をこじ開けてそのまま飛び降り、足裏から数度圧縮空気を噴射して減速しつつ着地。壊れた昇降機と壁面を纏めて破壊しながら地下へ突入。迎え撃つ警備ドローンの銃撃をものともせずに神話を再生する。

「言理の妖精語りて曰く」

 光り輝く弓が幾筋もの雷の矢を放ち、地下を薙ぎ払っていく。邪魔なものが一掃された空間を進んでいくと、そこには異様な空間が広がっていた。
 ずらりと並んだ透明な円筒形のケースは緑色の液体で満たされており、その中には幾つもの管に繋がれた脳が浮かんでいる。剥き出しの脳だけでなく、目を閉じた状態の頭部、首だけになった人間が数多くそこで『生かされて』いた。

「これは――」

 光学素子を動かして目を見張るケイトに、空間の奥から声がかかった。

「丁度、貴方にも聞いてみたかったんだ。生きてるって何だと思う? あるいは、植物状態って死かな? 欠損した脳を機械で補ったらそれって別人?」

 そこにいたトリシューラは、異様な姿をしていた。
 逃走する途中にドローンたちから剥ぎ取ったのか、幾つもの多関節の腕を両手に保持していた。足下には大量の武装が散乱しており、がらくたとなった機械が屍のように横たわっている。トリシューラは、緑の目を細めて低く呟いた。

「あまり気は進まないけど、もうなりふり構ってられないからね――禁戒を破るよ。アッシアー・エミュレート――融血呪イェツィラー

 呪文詠唱と同時に、トリシューラの瞳から鮮血の涙が零れ落ちる。
 禁呪の発動によって少女は深く『何か』を喪失し、傷付いた心を奮い立たせて更なる呪術を行使する。それは赤ではなく、青い血によってなされた。
 鮮血が生贄として捧げられ、呪術儀式が呼び出したのは青くゆらめく球形の血だった。出現した青い球体は二つ、四つと倍々に増殖していき、魔女のまわりを衛星のように周回していく。

「ブルーから小クラスタ分だけでも買っといてよかった。まあ、これ以上数を増やすと逆にこっちが取り込まれちゃうんだけど」

「それは、一体?」

 ケイトの問いに、トリシューラは剥き出しになった黒銀の顔に笑みを浮かべて、端的に答えた。

「禁呪の神秘を零落させて、融血呪を購入した。リース契約みたいな? 要するに貴方の所のグレンデルヒと一緒だよ。他人が使ってる呪術の価値を貶めて、交換可能で再現可能な『もの』や『技術』に零落させる。そうしたら、ほら。杖の座である私にも利用可能になるんだよ」

 青い小球が次々と機械の腕と融け合っていく。それらは浮遊してトリシューラの背中や肩へと接続、融合していく。規格が異なるにも関わらず、自身の被造物である機械腕を自己の中に埋没させていくトリシューラ。手ずから作り出したものは全て感染呪術の理論によって彼女の身体の一部同然だ。『ゆえに拒絶反応が起きない』という理屈が組み上げられて、自他の境界が消滅して全てが一なるトリシューラと見なされる。

 さらに、無数の腕を生やしたトリシューラが幾つもの指を鳴らした。すると透明なケースが砕けていき、内部の脳や頭部から管が抜けていく。青の小球が群れをなして脳髄や顔面に接触して、細長く引き延ばされた青い血の呪力がそれらを浮遊させた。血が糸となって頭部と脳を繋いでいき、数珠つなぎとなったそれらはトリシューラを輝かせる首飾り。

「ここにいるのは【変異の三手】によって地下の迷宮実験場で酷い目に合わされて、脳に再起不能な損傷を負った人たちだよ。私はね、どういう方法で彼らを生者として復活させるか、ずっと悩んでいたんだ。ねえ、さっきの質問、答えて貰ってないけど、どう思う?」

 トリシューラは微笑みを浮かべたまま、内心の読めない声で問いかけた。周囲を回る頭部や脳は、うっすらと青い膜に包まれて保護されている。牽制に放った戦輪の一つが青い血の中に取り込まれて、ケイトは警戒したまま分析の時間を稼ぐ為に音声を出力した。

「馬鹿な事を聞くんだね。どんな形だろうと人は人だ。逆に言えばただの人でしかない。人は機能で現象だから、肉だろうが機械だろうが維持されている限りは人だよ。わかりきったことだろう?」

 それを聞いたトリシューラは、少しだけ声の調子を弾ませて、

「――そっか。やっぱり私、いつかそっちの世界に行ってみたいなあ。アキラくんの故郷だしね。全部面倒なことが片付いたら、遊びに行ってもいいかも」

 そんな、間の抜けた事を口にした。
 彼女は、この状況から自分たちが勝利することを前提に話をしている。もちろん、それが当たり前だろう。自分が負けると信じて戦える者はそうはいない。

「――君の使い魔を片付けたら、自由にすればいいよ。僕たちにとっては、君まで殺す必要なんて無いからね」

「それは困るから、貴方たちを倒して、いつかアキラくんと一緒に行くことにするよ。あ、その時は観光案内とかしてくれない? 私インド行ってみたい!」

「そうか。では死んで生まれ変わるんだね」

 雨霰と横殴りに振り付ける神話の火力。神の雷が、世界を滅ぼす炎が、必殺の武装の数々が、宙を駆け抜けてトリシューラへと殺到する。地下が激しく振動して、大量の爆炎が弾けていった。ケイトが分析した青い血の呪力量を圧倒的に上回る異界の呪力による一斉攻撃。魔女は回避も防御も出来ずに完全に消滅したことだろう。確信したケイトは動くものの反応が無いかどうかを確認しようと索敵機能を作動させる。そして、驚愕のあまり掠れた電子音を漏らした。

「馬鹿な――無傷だって?」

 立ちこめる黒煙の中から現れたのは、幾つもの浮遊する頭部を周囲に従えたトリシューラ。赤い血と青い血、双方の呪力が少女の背後で円を形作り、その外側を奇怪な文字が周回する。

「まさか、脳を直結して演算能力を上げているとでも? いやまさか。そんな無駄なことを? この世界ではそれが意味を持つというのか?」

「うーん、ちょっと外れ。これは単なる邪視的アプローチだから。要するに、見た目と視座の複合なんだけど」

 ケイトにはもはやトリシューラの言葉を理解する余裕が無かった。
 立て続けに放つ異界神話の呪文が、全て無効化されてしまっているからだ。それどころか、全ての力が彼女に吸い取られてしまっている。膨れあがる呪力。今やトリシューラが内包する異界の呪力は、ケイトのそれを凌駕している。
 何故だ、とケイトは考える。トリシューラは適性の問題からか、言理の妖精を使いこなすことができない。その為に異界の神話を参照した呪術戦ではケイトに一方的に圧されていた。それが、ここにきてどうしてその立場が逆転する?
 答えは、至極単純なものでしかなかった。

「参照する神話の精度で敵わないなら――」

 トリシューラの夢は、ゆらぐ神話の復活とその中で自分を女神として確立させるという複雑なもののようでいて、一言で纏めればひどく単純明快だ。

「――もっと強く、もっと私に適合した形で! 最強にして絶対なる、キュトスに対応するほどの大いなる女神を甦らせてやればいい!!」

 多数の腕を広げながら、膨大な呪力を解放するその姿はまさしく雄々しい戦の女神のようだ。女神、それはトリシューラの思い描く未来の自分。
 少女の夢は、ファッションリーダーになること。
 流行を作り出し、ミームに乗せて発信し、形式としてのブランドを立ち上げてスタイルを表現し、その連鎖によって一つの神話を織りなしていく。
 そのアプローチの一つが、服飾という呪術の道。

 言葉ちえを知った人は、世界と己が一つではないのだと事象を切り分け、裸であることに羞恥を覚えてしまう。
 ゆえに自他を切り分ける障壁として衣服を生み出した。
 それは身体性の拡張であり、同時に身体性を切断するものでもある。

 衣装占い師(ストリソマンサー)トリシューラ。
 衣装ストールを織り上げ、衣服の着こなしやドレスコードといった文化様式に文脈と意味を乗せてまじないを行うもの。
 きぐるみの魔女はその名の通り、衣服で身体を拡張する。
 当然の事ながら、拡張身体には人の作り出したあらゆるものが含まれる。

「呪術戦で、本職に勝てると思うなよっ」

 鋼鉄の腕を蠢かせるトリシューラが咆哮する。
 連なった頭部や脳をネックレスにして身を飾った黒い肌の少女に、ケイトは一瞬だけ、既知の女神の幻影を見た。
 呪術医院の地下に、激震が走る。



 グレンデルヒ=ライニンサルとは、人ではない。
 パブリックドメイン。
 複数の企業で広告に使用される、定番の神話的英雄。その複合的な像。
 【変異の三手】を構成する探索者たちの視座の集合体。

「『そう、貴方の中にいるのは、貴方を演じている無数の役者たち。それはアキラであり、ゾーイであり、また【変異の三手】の構成員たちでもある』とコルセスカは言っている」

 コルセスカを代弁するアキラを、ゾーイデルヒは憎悪を込めて睨み付けながら強く叫んで否定する。その顔に、一瞬だけ遅延が発生する。

「この私に、中の人などいない! 私は私という確立された存在だ。同時に複数人が存在できるのは、私が上級言語魔術師であるからに過ぎん。断じて、他者に依存しなければ存在できないなどということは有り得ん!」

「『それは貴方が私とは似て非なる使い魔型の紀人だから。邪視者として自分の存在を構築できる私とは異なり、貴方は演劇空間に存在する『役』に近い』とコルセスカは言っているが、要するにさっきまでの俺や今のコルセスカと似たような存在ってことか。人間離れしてるとは思ったが、そういうことだったのか」

 【変異の三手】とは、複合巨大企業群メガコーポの各探索者事業部門を束ねた探索者集団だ。ひたすら攻略に勤しむ姿から探索狂いとも称されるが、その実態は過酷なノルマに追われ、更に社内競争に晒される現代の奴隷である。

 男女問わず、過酷な巨大複合企業の競争に晒された企業探索者たちが内面化している男根主義的な思想――それらが『最も優れた探索者像』を通して表現されたとき、グレンデルヒという英雄が生まれる。

 コルセスカによって、アキラの思考に送り込まれていく数々の知識。
 紀人とは紀神に至る前段階の存在を示し、存在の位階が低い事を示す意味で『古き神』に対して『新しき神』などと呼ばれたりする呪術生命のことだ。
 具体的にはコルセスカがそれに相当するし、杖の手法で女神を作り出そうとしているという意味ではトリシューラも含まれる。

(どのような方式で再現するかにもよりますが、おそらくは過去の偉人などのイメージを複数参照して出来上がったハイブリッドな英雄こそが今のグレンデルヒの原型です。企業の企画広報部が考えた究極の賢者像とでも言いましょうか)

 コルセスカの心の声がグレンデルヒの正体を明らかにしていく。
 使い魔の手法で生み出されたグレンデルヒは、地上社会では『イメージキャラクター同然に扱われているグレンデルヒのモデル』として生活している。グレンデルヒが登場するドラマに俳優として、ゲーム販促アニメに声優として出演し、企業のイベントなどにも積極的に顔を出すことでその知名度を高めている。

 だが、どれだけ活動を繰り返しても、彼という実体は複数人の社員によって演じられたものに過ぎない。
 グレンデルヒは確かに存在して、企業の広報活動に従事し、日々製品を開発し、探索者として地上に勝利をもたらす。
 公式の回答はもちろん決まっている。

 『グレンデルヒはいますよ。複数人がいるように見えるのは、上級言語魔術師だからなんですね。すごいぞグレンデルヒ!』

 だがそこに絶対的な個としての意思など無いとコルセスカは言う。
 常に他者に全存在を預け続けなければ自己を維持出来ない。
 複数の意思と解釈の鬩ぎ合いの中で辛うじて自らの個を確保するような生。
 演じ手をキャラクター性によって支配する君臨者であり、同時に定められた演技を表現し続ける被支配者。

(私たち紀人は――いいえ、およそ全ての存在が常に誰かの代弁者です。誰も彼もが外部からの入力に対して反射的に出力しているだけに過ぎないのかもしれません。外界の流れこそが全てを決定し、自己などどこにもない)

 コルセスカは――膨大な数の逸話を参照して前世とする神話の魔女は、常に前世に侵食されてしまう危険と隣り合わせだ。
 だからこそ、グレンデルヒの在り方が理解できる。
 その悲哀に、共感できてしまう。

「そうだ――ああ、その通り! 意思とは交換可能であり、市場を流れていく価値のひとつだ。摸倣子に運ばれていく意味という呪術的な情報構造体だよ」

 引きつった顔を片手で押さえて、ゾーイデルヒが喉を震わせながら叫ぶ。
 どこか悲痛で、自棄になったような声だった。

「自由意思など無く、そこには法が成立しない。私は法秩序の外側にいる。人の社会の中に私の居場所など存在しない。罪も罰も、善も悪もそこにはない。ただ事象の流れがあるだけだ。良く言えば、身体性という軛から解放された新人類。だが別の観点から見れば、他者の視座に縛られた奴隷の上位者」

 グレンデルヒは、集団の傾向によって陵辱され、染め上げられる。
 彼が主張し、その思考を規定する男根主義的な主張はこう叫んでいるだろう。
 『される方に隙があり、本心では支配され屈伏されることを望んでいるのだ』――そんな思考が彼の言動を規定してしまっている。己の言動を自らがより強調し、肯定し続けるという連鎖の構図。被支配者たちに支配される支配者であり、他者に従属を強いる従属者。蹂躙されながらそれを肯定してしまうが故に他者を蹂躙する、邪悪さの循環。

 シナモリアキラは、グレンデルヒの身体を顔の無い集団の荒々しい手が強引に蹂躙していく光景を幻視した。
 彼の言動は、果たして彼の意思であったのだろうか。
 更に言えば、その責任が【変異の三手】の特定の誰かだけにあったのか。
 集団の傾向。それは個々人の思想によってのみ決定されるものではない。

 競争社会における飽くなき勝利の追求。冷徹な生存競争。
 その果てに辿り着く筋肉質の論理。
 変異の三手は企業に所属する探索者の集団である。
 よって、高学歴の大学卒でなおかつ体育会系という気質の者が集まりやすい傾向にあったこともそれに拍車をかけていた。

 根性論と合理性のダブルスタンダード。
 上から下への怨恨、世代間での『しごき』の連鎖。
 理論的に集団の結束を高めるための適度な『根性』の活用。
 先輩が訓辞を垂れる時にはお決まりのように高学歴社会の確認と連帯の為に自然科学のアナロジーが用いられる。人文科学系だというのに。
 部活を休むことがあれば詳細な理由を部員たちの前で述べて謝罪、辞める場合も迷惑をかけてしまうことを謝罪、それが規律の遵守と結束に繋がり、退部という裏切りへの歯止めとなる。
 要領が悪ければついていくことなどできはしない。
 落伍者は淘汰される合理的システム。
 シナモリアキラは、『あれ?』と思った。何故、自分の中からこんな知識が湧いて出て来るのだろう。

「うっ、失われた記憶が」

(駄目ですよアキラ。思い出さないでいいんです。嫌な思い出は私が凍らせておきますからね)

 優しい響きと共に、アキラの胸の中に冷たさが広がっていく。冷却された頭を振って、トバルカインのフルフェイスヘルメットがゾーイデルヒを向く。
 男は、力士を役によって縛る英雄は、顔に当てた手をゆっくりと降ろしながら台詞を紡いだ。演じるように、演じられるように。

「ああ、だが、それでも、それでもだ」

 芝居がかかった仕草で、大仰に両手を開き、過剰な感情表現と共に、長々とした台詞を淀みなく捲し立てていく。
 その堂々たる演技に、聞き苦しい所など何一つ無い。

「私は、人の為に存在している。人に望まれて在る英雄にして賢人なのだ。ならばこそ、地上に勝利をもたらさねばならない。敵を倒し、屈伏させなければならない。敵を、敵を、闘争を、勝利を! 雄々しく、血湧き肉躍る冒険を! 財宝を獲得し女を組み敷き敵を殺す、純粋な快楽を追求するのだよ! 何故か? それが人間というものだからだ! それが私、グレンデルヒ=ライニンサルの存在証明であるからだ!!」

 男は、紀人として人の意思に屈伏させられることを肯定した。それが望まれて在る己だからと、己の運命を受け入れて、その上で己の意思を示したのだ。
 前触れもなく、力士の強力無比な足が大地を砕き、巨体が加速する。
 決着を求めて疾走するゾーイデルヒを、コルセスカが、アキラが、トバルカインが正面から迎え撃った。

 右手を前に突きだしての凍結発勁。しかしそれを見越して、ゾーイデルヒは瞬間的に転移を行う。
 アキラの背後に再構成された巨体は、しかし転移によって運動エネルギーを喪失している。再びの加速は近接距離ゆえに不可能。ほぼ密着した間合いゆえに突っ張りでも蹴りでもなく必殺の投げで態勢を崩して足で止めという選択肢をとったゾーイデルヒに、予想を超えた衝撃。

 真後ろをとったゾーイデルヒの、更にその背後から襲いかかったのは凍れる呪的発勁の一撃だった。アキラの右手の前面に展開された多面鏡【氷鏡】が呪力を反射して、アキラの右側、足下、そして地を滑るようにして力士の股下を抜けて背後に展開された鏡が反射。光の速度で襲い来る鏡面反射発勁には、さしものゾーイデルヒも反応することができなかったのだ。

 呪力の予兆すら掴ませない、あまりにも静謐な呪力の運用。コルセスカの静かな呪力が、トバルカインによって堅牢に支えられ、アキラという媒体を一切の抵抗なく伝導していったが故に可能となった『無拍子』がそこに実現していた。
 振り返ったアキラは、よろめいたゾーイデルヒに向かって渾身の掌打を放とうとする。装甲に包まれた強靱な足で地を割り砕き、氷のように美しい運足で呪力と運動エネルギーを練り上げると、そのまま左右の掌を同時に前方へと打ちだそうとした、その瞬間。

「お、おおおおおおっ!」

 それは、グレンデルヒのものだったのか、あるいはゾーイのものだったのか。
 追い詰められた戦士が見せた、起死回生の必殺技。
 蹴り技を得意とする力士の屈強な足が跳ね上がる。
 弧を描き、美しく魅せるように、派手に演出して世界を湧かせる。それが戦いをエンターテインメントとして提供する者の役目だからだ。
 巨体が軽々と重力に抗い、後方に宙返りをする。
 跳ね上げられた足での真下から真上への蹴り。
 その技の名は、『サマーソルトキック』。

 天へと伸ばされた足は狙い違わずシナモリアキラの顎を打撃し、そのままの勢いでトバルカインの首から上を砕いて吹き飛ばした。
 装甲に包まれた頭部が、宙を舞う。
 頭部を粉砕され、首から上を失ったシナモリアキラは、ここに絶命した。
 さいごの戦いを制した者による勝利の雄叫びが、第五階層に響き渡る。




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