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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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死人の森の断章8-6 女王と錬鉄者

 世界槍の内側に広がる可塑性のある空間のことを、砂場サンドボックスと呼ぶ向きがある。広めたのはきぐるみの魔女トリシューラだ。その異称に含ませた意図はともかく、第五階層の権力者が拡散させたふわっとしたイメージは実際にそれなりの呪力を宿して環境を改変した。その結果として、第五階層はわりとやわらかい空間となっている。それは物理的な意味でも、呪術的な意味でもだ。

 巨大な尖塔に、流線型の船体が突き刺さっていた。
 巡槍艦ノアズアーク。きぐるみの魔女トリシューラが所有する次元巡洋艦は、現在グレンデルヒ率いる【変異の三手】によって制御を奪われてしまっている。巡槍艦は壁面を破壊することなく透過して港に乗り付けていた。辛うじて座標を固定できてはいるのだが、船体は激しい戦闘によってボロボロだった。といっても外側から攻撃を受けたわけではない。艦は内側から破壊されているのだ。

 まるで堤防が決壊するようだった。耳を劈く轟音と共に、船体が半ばからへし折れて内側から爆風と瓦礫、粉塵などが弾け飛んでいく。物見高く様子をうかがって、念写動画を端末などに取り込んでアストラルネットで実況などしていた野次馬たちが一斉に逃げ出していく。即座に走り去った者はどうにか難を逃れることができたが、諦め悪く状況を眺め続けていた者は続いて現れた脅威の餌食となった。それは白濁した、汚物の混じった海水の奔流だった。

 巨大な巡槍艦の内側から大量の液体が迸り、その内部を泳ぐようにして飛び出してきたのは魚人マーフォークたちだ。顔は似たり寄ったりの壮年男性のものだが、耳の部分がひれであったりえらであったり、あるいは頭足類の触手だったりと様々な形をしているのが目を引く特徴だ。

 空中を泳ぐようにして移動する無数の影――その名はイアテム。液体によって自らの分身を作り出す事ができる使い魔を扱う高位呪術師。【変異の三手】副長としてグレンデルヒの不在を預かる戦闘指揮官。無数のイアテムたちは、追い立てられるようにして巡槍艦から第五階層へと放たれた。誰に追われてるのか? 答えは暴力によって示された。

「目標を捕捉。殲滅します」

 重々しい駆動音と共に、狼を思わせる獣じみたシルエットが宙を躍る。機械的な無骨さと生物的なしなやかさを併せ持つそれは鋼鉄の獣だ。甲冑と生物の毛皮を無理矢理纏め上げたようなデザインの強化外骨格きぐるみを纏うのは幼い顔に物々しい眼鏡を載せた十三歳のトリシューラ。少女が引き金を引くと、保持している長大な機銃が唸りを上げる。遊筒ボルト内部の撃針が薬莢底部の雷管を叩いて発火、全自動フルオートで銃身から弾丸をばらまいていく。衝撃に揺れる銃床をがっちりとした外骨格が支えているため、射撃の精度は抜群だ。少女の頭に載った狼頭が各種の電子兵装を制御し、ぴんと立った耳型部位が索敵。真っ赤に輝く両目は弾道計算結果と風速計を表示して、魔女の小さな唇は弾道占いの結果を歌い上げていく。

「ガロアンディアン気象庁が本日の天気をお知らせします。本日は全国的に銃弾の雨が降るでしょう。お出かけの際には防弾仕様の防具が必要になりそうです。あっても死ぬ時は死ぬのでご注意を」

 それは呪文だった。魔女が杖を振り回してまじないを行っているのだ。
 円盤車輪型の呪術弾倉が半永久的に異界真言を刻印した転生質量弾を供給し、銃口から『杖』の猛威が螺旋を描きながら解き放たれる。ジャイロ効果をふわっとした空気ノリで歪めようとするいい加減な呪術法則を強引にねじ伏せつつ、自転の角運動量が杖の論理を振りかざしながら弾丸の軌道を安定させる。弾丸の収束率は結果として極めて良好。呪術世界においてあるまじき命中精度で全弾が標的に命中し、イアテムが汚水となって次々と爆発飛散していった。

「おのれ、魔女ごときに!」

 憤怒の声を上げながら弾幕を回避していくイアテムもいた。左右の鰓から幻の泡を吹きながら凄まじい速度で飛行――否、空中を泳いでいる。
 【ウィータスティカのえら耳の民】はその名の通り、他の人類であれば耳が存在する位置に鰓と鰓蓋があるという魚のような種族である。通常の魚類には内耳しか存在せず外側に耳は無いが、鰓耳の民は特殊な発達をした鰓蓋が耳としても機能する。

 だが、海の民とも称される彼ら彼女らにとって、より外界を肌で感じることができる感覚器は他にある。それが側線器官だ。鰓蓋の上端辺りから足に向かって走る細い点状の筋。これこそが水中を伝わる音波や圧力の変化、水の動きを感じ取るための魚本来の『耳』である。

 水中を泳ぐために必須となる感覚器官――であれば、それが幻視、幻聴、幻覚によってこの世ならざる世界を知覚したならばどうなるか。海の民が使う邪視は、アストラルの海を泳ぐためのものとなる。それは少数氏族である【ひれ耳の民】イアテムにとっても例外ではない。自らの邪視部位、肉体の両脇を走る側線器官が淡い藍色に輝き、青い輝きが流水のように男の両脇で渦を巻く。

 イアテムの主観では、高速飛行はアストラルの海流に乗って泳ぐという感覚になるのだろう。靴を脱ぎ捨てて足の水掻きを広げると、驚異的な三次元機動で銃撃を回避し続けていく。そればかりか、彼の周囲では銃弾が水の中に侵入してしまったかのように減速してしまう。反撃に移行するべく水流の刃を手に形成するイアテムだが、そこにもう一つの脅威が襲いかかる。アストラルの海に突如として不可視の気配が現れたかと思うと、凄まじい速度で呪文を構築、たちまちイアテムを捕まえてしまった。妨害呪術によって圧倒的な速度が半減する。

「流石はアルミラージ先生、完璧な仕事です」

 少年の声が響くと、妖精たちがどこからとも無く現れて騒ぎはじめた。小さな神秘は呪文世界の住人で、激しく精密な杖に見つからないようにひっそりとその力をはたらかせていく。

「言理の妖精語りて曰く、僕の計算によればふわっと九割くらいで大勝利です! イアテム恐るるに足らず! あ、みんなあの杖の鎧には見つからないようにね、相性悪いから」

 眼鏡をかけた少年の号令と共に、言理の妖精たちがイアテムたちに襲いかかる。姿無くとらえどころのない曖昧な存在、文脈の流れの中、行間の奥底、言葉の狭間に生きるエル・ア・フィリス。最近になって若い言語魔術師たちの間で急速に広がりつつある呪文が無数の光の粒子となって乱れ飛ぶ。

「言理の妖精、発勁用意!」

 約7,776,000秒――三ヶ月前の『事件』以来、サイバーカラテと共にネットミームとして拡散した呪文が高らかに唱えられる。トリシューラの配下が一人、中傷者ファルファレロは言理の妖精使いにしてサイバーカラテ使いという、まさに三ヶ月前の『事件』が生んだハイブリッドな呪術師と言えた。

 少年の突きと連動して幾筋もの輝きが流星群のように宙を駆け抜けていく。光り輝く妖精たちがイアテムの分身体に命中すると、たちまち形状を崩壊させていった。あらゆる呪術を無効化する【静謐】によって使い魔の集団が無価値な液体に貶められたのである。

 ――第五階層の覇権を巡る勢力争い。その戦況がここに来て覆りつつあった。
 きぐるみの魔女トリシューラ率いるガロアンディアンは女王と主要な戦力が敗北したことで総崩れとなり、地上の探索者集団【変異の三手】と古代王朝【死人の森】の連合は第五階層を支配する寸前まで辿り着いた。

 だがグレンデルヒ率いる探索者集団が勝利する寸前で、死人の森の女王が反乱を起こす。三勢力が入り乱れる秩序無き状況は、トリシューラの帰還によって更に混迷を極めていくことに。だがそれは、複数勢力の思惑が激突した結果として生じる無秩序とは違う。女王が生み出して支配する、制御された混沌の渦だ。

 巡槍艦の内部、そして外周部を飛翔する無数の機体。量産型強化外骨格【群狼アーロウン】を纏った沢山のトリシューラたちは、全て本体に劣らぬ性能の杖の魔女――正真正銘のきぐるみの魔女本人だ。本体であるトリシューラが帰還するや否や第五階層に響かせた『遠吠え(アーロウン)』に呼応して、巡槍艦と第五階層の各所で有事に備えて待機していた過去のトリシューラたちが目覚め、瞬く間に戦況を塗り替えたのだった。

 トリシューラたちは共通規格の機械という特性を利用して同期、連携を行い、次々に敵勢力を撃破していく。トリシューラたちは銃弾を相手によって使い分けていた。イアテムに対しては確実に撃破して敵戦力を減らしていき、無数のグレンデルヒたちに対しては特殊な呪紋を刻印した殺傷性の低いゴム弾を使用し、急所を外して狙い撃つ。そうした銃弾が蜻蛉や蝶などの翅を持った闇妖精のグレンデルヒ、箒に乗った魔女グレンデルヒなどに命中すると、真紅の血がぱっと弾ける。鮮血は一瞬だけ宙に円陣を描いて消える。すると、撃たれたグレンデルヒの顔が発光と共に弾けて消えていく。グレンデルヒに存在を乗っ取られたサイバーカラテユーザーたちが元の姿を取り戻したのだ。

「誰も彼もがグレンデルヒだなんて頭の悪い牽強付会、私の領域で存在を許されると思わないでね――全私、撃つ!」

 自らも強化外骨格を纏って出撃したトリシューラが、全ての自分に号令をかけるようにして一斉射撃を宣言した。轟く銃声。巡槍艦からトリシューラたちに追い立てられてきたいろいろなグレンデルヒたちが、待ち伏せていたトリシューラたちによって次々と撃ち抜かれていく。

 群のリーダーである虹犬デルヒと使い魔の人面犬デルヒたちがきゃんきゃんと鳴き声を上げながら倒れていく。無邪気に走り回る子供デルヒや豊満な肢体から妖艶な色香を漂わせる踊り子デルヒたちは夥しい数の銃声を迅速にそして華麗に回避していくが、瞬時に間合いを詰めたトリシューラ(十歳)が放った投網に掴まり、高圧電流と対グレンデルヒ呪術によってグレンデルヒ性を奪われる。馬デルヒに騎乗した遊牧民デルヒの突撃を真正面から受け止めたのはトリシューラ(六歳)だ。星見の塔にいた同年代の魔女見習いたちを圧倒する運動性能で周囲を怯えさせていた頃の無軌道な暴力性を遺憾なく発揮して、馬ごとグレンデルヒを地面に叩きつけて昏倒させる。

 今のトリシューラはグレンデルヒを駆逐する慈悲無き機械だ。奪われた『ガロアンディアン市民』たちを奪還することで彼女は女王としての権威を回復させていく。自陣営に属する人数を増やす事が第五階層の支配に直結するという戦い。そこには『人を資源リソースとして見なす』という暗黙の了解がある。この戦場には人間存在に対して聖なる価値を認めるという視座が無い。杖の冷徹な原理が世界を覆い尽くしているのだ。

「あなたの浄界、【闘争領域の拡大】は大したものだけど、私には通用しないよ、グレンデルヒ。それは私にとって当たり前の世界観だから。それがわかっていたからこそ私が不在の時期を狙って仕掛けたんでしょう」

 トリシューラは無数のグレンデルヒたちに語りかけるが、答えは無い。構わずに並べ立てられる推測それ自体が呪文となって、グレンデルヒの呪術の効力を零落させていく。種を明らかにされた手品はその神秘性を維持できなくなる。最も単純な形の【静謐】がグレンデルヒの総体を破壊していった。

「三本足の民が浄界を発動させる時は、基本的に『三本目の足』を拡張させる形になる。つまり今展開されているこれは浄界であると同時に貴方の三本足ってことだね。公開情報では明らかにされていないけれど、大まかな推測は可能だよ」

 三本足とは呪物崇拝フェティシズム――すなわち執着する対象のことだ。では、グレンデルヒにとって執着し、崇拝するものとは何か。その答えを口にしようとするトリシューラを必死に攻撃するグレンデルヒたちだったが、複数存在するトリシューラたちは応戦しつつ輪唱するように言葉を続けていった。

「多分、貴方の三本足は『市場』――そうじゃなかったら資本主義それ自体か、さもなきゃ物象化された物同士の間にある関係性の総体あたりかな」

 人は市場で物を取引し、市場で行き交う物を媒介して価値が流動する。物理的に、呪術的に、それは複数のレイヤーで連動している関係性だ。普通に考えれば物理的な世界での人の動きが『もの』や『数字』を変動させるのだが、逆に考えれば『もの』や『数字』にはたらきかけることで人を動かすことができるとも言える――それが使い魔系統が得意とする市場系呪術の基本原理である。

「人と人との関係性を効率的に捉える為の枠組みは、呪術として逆転させれば人間を支配することも可能になる。この浄界内部では人は交換可能な数字となっているってわけ。まあ、私にとっては何を今更ってくらい当たり前のことだけど」

 だからこそ、足りない『それ』を埋めてくれる誰かを魔女は欲するのだ。欠けたものを想いながら、トリシューラは火を吹く杖を振り回してあらゆる価値をがらくたへと貶めていく。銃声、銃声、銃声。

「暴力は価値を破壊する。交換可能な世界、上等だよ。同じ論理に則って、兵力ユニットを消費する戦争ゲームをしよう、グレンデルヒ!」

 苛烈な生存競争の論理で他者を屈伏させるグレンデルヒの浄界は、より強い力を示すことで攻略できる。銃弾は交換価値を有するが、同時にそれを使用することで価値を破壊することも可能なのだ。身も蓋もない破壊と暴力。それは強固に築き上げられた既存社会を粉々に砕いてしまう。

「杖の座は交換価値を司る。全力を発揮した私に、価値操作呪術で勝てると思うな、錬金術師!」

 次々と撃ち抜かれていくグレンデルヒの群れ。その中から二人、他とは一線を画する呪力を宿したグレンデルヒが進み出る。
 一人のグレンデルヒは道着を纏っており、左腕が黒銀の義肢という姿。
 もう一人は黄褐色のスーツに身を包み巻物スクロールを手にしている。
 本体である現代のトリシューラは、義肢を確認すると即座に銃口をそのグレンデルヒに向けた。その肉体こそ、彼女が最も必要としているものだったからだ。

「アキラくんを返せ」

 夥しい数の銃弾を、片方のグレンデルヒが巻物を展開して防御する。広域に呪術を展開することが可能な巻物によって形成された三重の呪術障壁が銃弾の雨を飲み込み、威力を減衰させる。それが三度繰り返されると、失速した銃弾はグレンデルヒに命中することなく落下してしまった。

「【霧の防壁】を三枚重ねとかっ」

 舌打ちしながら武装を切り替えようとするトリシューラに、シナモリアキラの肉体を奪い取ったグレンデルヒが襲いかかる。膝を屈伸させて大跳躍。義肢を振りかざすアキラデルヒが「発勁用意」と吠えながら掌底を繰り出すと、凄まじい威力の呪的発勁が直前までトリシューラがいた場所を崩壊させていく。英雄の呪力が込められた呪的発勁の威力は二人の魔女が調和させている陰陽の呪力にも劣らない。しかし極端な陽の気、男性的で荒々しいグレンデルヒの呪力が肉体の隅々まで行き渡った結果として、アキラの肉体はぼろぼろになっていた。

「私のアキラくんを粗末に扱うな」

「断る。私が私の身体をどう扱おうと文句を言われる筋合いは無い」

 アキラデルヒが不快さを声に滲ませながら吐き捨て、背後の巻物を所持している防御担当のグレンデルヒの影に隠れる。

「そして私は貴様のものではない、魔女風情が調子に乗るな。真の英雄を軟弱な女ごときが使役しようなどという思い上がりは、この私が正してくれよう」

「その言動、やっぱり私たち魔女と戦う為の対抗呪文だね」

 トリシューラは相手の呪術の本質を探ろうとするが、アキラデルヒの表情は広げられた巻物に隠れて見えない。防御を行うグレンデルヒがトリシューラが新たに持ち出した兵装を見てぎょっとした表情になる。背中から補助腕によって前へと出てきたのは長大な槍とも銃ともつかない武器だ。先端は三叉槍のように鋭く尖っており、凄まじい量の情報が渦を巻いて放電現象を引き起こしている。

 この状況で出したという事は、まず間違い無く三重の呪術障壁を貫通可能な杖の呪具だ。そう判断して即座に巻物を引いて背後に下がるグレンデルヒと、前に出て行くアキラデルヒ。時間稼ぎは終わった。準備が整った以上、後は攻撃に転ずるのみだ。黒銀の義肢、アーザノエルの御手【ウィッチオーダー】がその真価を発揮する。

「見せてやろう、貴様らには到底不可能な、英雄の戦い方というものを!」

 トリシューラが槍の先端から撃ち出した雷撃を、巻物に替わって取り出された一冊の書物が吸い込んでいく。防御したグレンデルヒの姿が一瞬ぶれて、緑色の長衣を纏った美しい男の幻が重なる。「来たれハタラドゥール、樹木の亜竜よ」という言葉と共に細い樹木がグレンデルヒの全身を覆い、電流がそれを伝って地面へと逃げていく。グレンデルヒが使う紀元槍の制御盤、魔導書【神々と128人の魔法使いたち】が過去の賢人を参照してその力を引き出したのだ。続けて、アキラデルヒが攻撃用の賢人を呼ぶ。

「百二十二番目の賢人、ロザンディン教授よ来たれ――我こそはキュトスの姉妹を掌握する配列者なり!」

 魔導書と義肢が光り輝くと、アキラデルヒの周囲に九つの巨大質量が出現する。それは第五階層の物質創造能力を利用した物質変換。生成されたのはいずれもアキラデルヒを小さく見せてしまうほどに長大な砲身だった。それぞれに色彩、装飾の細部が異なり、アキラデルヒの右から左へと扇状に並んで浮かぶ。それを見たトリシューラの表情が変わった。

「まさか、ウィッチオーダーの封印をもう解除したの?!」

 トリシューラとその使い魔がかろうじて最初の一つを使いこなせるようになってから早三ヶ月、それ以来、他の八つの封印された機能が解放されたことはない。九人の姉を模したウィッチオーダー最強の形態はトリシューラにとってさえ謎のままなのだ。だが、アキラデルヒはつまらなさそうに言う。

「貴様ら魔女のまじないなど使うはずが無いだろう。これは私なりの再解釈だ。英雄に相応しい形への上書きというものだよ。サイバーカラテの『遠当て』を見せてやろう。発勁用意――撃てっ!」

 アキラデルヒの腕が突き出されるのと連動して九つの砲身が唸りを上げ、それぞれの銃口から様々な呪術が発動していく。それは定説とは異なった解釈の『キュトスの姉妹論』を唱えた男の世界観が反映された形の九姉の名。地上にとって、そして槍神教にとって都合の良い形になるように配慮された『偉大なる槍神に侍る九天使』の名が英雄の命令によって実体化する。

 第一義肢【ヘリステラ・アラインメント】が槍神を運ぶという炎と雷の車輪を射出していき、第二義肢【エトラメトラトン】が槍神の足場とされる浮遊機雷をばらまいてトリシューラたちの行動を妨げる。第三義肢【ディアシェンカ】は槍神の賜り物である煌めく呪宝石弾を次々に射出して虹色の破壊を振りまき、第四義肢【カチャルマリーナ】が槍神に捧げる聖歌である呪文の群れを吐き出してアストラル空間でちびシューラたちを吹き飛ばしていく。第五義肢【ヴァイオレットシャンズ】が生み出す槍神の召使い、すなわち自律機動型攻撃端末とトリシューラが操作するドローンたちが激突。第六義肢【エルザノエル】はその真価を発揮する前にトリシューラ十三歳の狙撃が辛うじて間に合い撃墜される。だが続く第七義肢、槍神のために我が身を炎の中へと投げ入れたと言われる【ビェークレット】が放った火炎と第八義肢【ラクルルルアルル】が放った槍神の頭髪たる単分子カッターが傷付きやすい十三歳のトリシューラを行動不能に陥らせ、第九義肢【シャルロッテネイス】が槍神の吐息とされる大気制御機能によって大規模な【空圧】を発生させて全てのトリシューラの動きを一時的に停止させる。

「終わりだ。砕け散れ僣主トリシューラ」

 無数の砲口が一斉に本体トリシューラを向き、魔女の頭上に巨大な剣が出現する。ダモクレスの剣。僣主殺しが成立すればガロアンディアンは女王諸共に滅びを迎える。地獄で生み出された呪術を躊躇いなく使用して敵を追い詰めるアキラデルヒは、紛れもなくサイバーカラテの理念を体現する交換可能性の怪物だ。

 閃光が膨らんで、無人兵器の数々が極大呪術に飲み込まれて消滅していく。破壊された巡槍艦や人のいなくなった発着場を破壊の渦が蹂躙し、即席の箱形建造物やコンテナ、小型巡槍艇などが巻き込まれ、石造りの床面がめくれて吹き飛んでいった。目の前に迫った破滅。トリシューラは全力で回避を試みるが、吹き荒れる【空圧】に掴まって思うように動けない。万事休すと思われたその時、涼やかな、懐かしい声が響いた。

「凍れ」

 世界が停止したかのような静寂。
 凍てつく呪文が引き起こしたのは、あらゆる呪術現象の停止。
 言葉は氷の義眼を起動させるための鍵だった。幼い頃に決めた合い言葉。その瞳の呪具は、二人の魔女がはじめて一緒に完成させたものだったから、意見が噛み合わずに喧嘩になったことをトリシューラは思い出す。短い方が実用的だと言い張るトリシューラと、長く格好良い方が気合いが入ると主張して譲らない使用者本人。折衷案として『短くて格好良い』ものをどうにか選び出した時には二人して手を合わせて喜びを分かち合った。そんな他愛のない記憶。

 『これで何があっても』と記憶の中で彼女は言った。『貴方を守ってあげられますね』――そんなふうに、いつだって優しく微笑んで傍にいてくれる。今はもう小さな頃とは何もかもが違ってしまっているけれど、変わらないものはきちんとあるのだと、トリシューラは確信を得た。

 彼女が前世に存在を侵食されるなどあり得ない。トリシューラと過ごした時間、刻んだ思い出は、今ここにいる二人だけのものだ。だから消えない。どんなことがあっても、必ず帰ってくる。トリシューラは空間を硝子のようにぶち破って現れた自らの姉に、万感の思いを込めて呼びかけた。

「お帰り、セスカ!」





 巡槍艦の内部から時間と空間を超えてコルセスカたちが帰還したのと同時に、第五階層に変化が生じ始めていた。
 最初に異変に気がついたのはトリシューラ直属の配下、銃士カルカブリーナだった。彼は復帰したトリシューラにより、巡槍艦の後部付近に配置されていた。照準器越しに標的を睨みつけ、膝を立てた姿勢で『杖』を構える。二脚架バイポッドを床に立てると長大な呪具が安定。足りない邪視能力を補う為のゴーグルの内側でちびシューラが狙撃に必要な各種情報を表示して、指示から照準、引き金を引く決断まで全自動で代行してくれる。サイバーカラテユーザーの銃士というのはトリシューラにとって交換可能な部品のようなものだ。自律型の移動銃座となったカルカブリーナが狙うのは、空を飛び交う鳥デルヒたち。射撃管制シューラによるカルカブリーナを利用した狙撃が功を奏し、銃弾が見事に鳥デルヒを撃ち抜いていくと、元の鳥態を取り戻した闇妖精たちが墜落していく。

 かなり高度があるため、落ち方次第で死ぬか、良くて大怪我という未来は確定的に思われた。だが、カルカブリーナの予想は裏切られる。墜落した闇妖精は翼を広げたまま第五階層の床面にぶつかり、そのままめり込んでいく。深く深く沈んでいくと、翼の生えた人型の穴がぽっかりと空いた。

 唖然とするカルカブリーナだったが、似たような状況を目の当たりにしていたのは彼だけではない。巡槍艦の内部で非戦闘員を守りつつグレンデルヒたちと戦う探索者たちがいた。グレンデルヒ化しなかった、非サイバーカラテユーザーたちだ。その中心となっている盗賊王ゼドが、激戦の中でうっかりと何かを踏みつけてしまう。それは直前まではそこに存在していなかったはずのものだ。

 前触れ無く現れたそれは、箱だった。
 浮遊しながら回転する正六面体はゼドの足が触れた途端、展開してその内側を明らかにする。盗賊王は瞠目した。中に入っていたのは光り輝く――

「何だこれは。カチカチハンマー?」

 ――氷でできた玩具のような鎚だった。ゼドが同封されていた説明書きを読んで首を傾げる。説明書きに記されたとおりに手に取って無造作に振り回す。接近して殴りかかろうとしていた格闘家デルヒは素早い動きで後退するが、意外にも当たり判定が大きく明らかに命中していないにも関わらず吹っ飛ばされる。そればかりか、その全身が凍り付いて動けなくなってしまう。

「『身体の周囲を氷で覆って動けなくするだけですので細胞が壊死するなどの危険はありません。※風邪を引くかも知れませんが学校や仕事を休んでゲームできるので大勝利です』って、何だこれは」

 呆れたゼドが周囲を見渡すと、同じようにどこからともなく出現した箱から様々な道具が現れて探索者たちの力となっていた。グレンデルヒたちも箱から道具を取り出すが、役に立たない果物の皮だったり自分ごと巻き込む爆弾だったり果ては箱そのものが罠で爆発したりと扱いに四苦八苦している。爆発に巻き込まれると頭髪が焦げて黒い煤に塗れるというフィクション表現がテクスチャ呪術によってなされる。爆発そのものに大した威力は無いが、何故か巻き込まれた者は非常識な距離を吹き飛び、壁や床をバウンドしたり人型の穴を空けたりして愉快な挙動をすることになってしまうのだった。

「俺たちは既に何者かの浄界の内部にいるということか――だが、発動の予兆など感じなかった。既存の世界そのものが変化している? これは森羅万象(オムニバース)型なのか?」

 ゼドの疑問に答える声は無かったが、代わりに彼の世界は異様な歪み方をし始めていた。通路の奥から「あー」だの「うー」だのと唸りながら現れた死人デルヒたちを二丁の拳銃で撃ち抜いていく。眼鏡をかけているわけでもないというのに、ゼドの視界の隅に残弾数が表示されていた。銃弾を撃ち尽くすと「再装填して下さい」という文字が視界いっぱいに表示されて、意識しただけで腕が勝手に動いて拳銃を片手でくるりと回す。何故かそれだけで装填が終了していた。再び迫り来る死人デルヒを撃ち抜く。視界の上の方に表示された数字が加算されて増えていく。ゼドはぼそりと呟いた。

「最高記録更新か」

 異変は至る所で起き続けている。ある場所では素晴らしい気分になれる薬を飲んで自分が無敵だと確信した者が笑いながら疾走してグレンデルヒの群を吹き飛ばしていき、また別の場所では余計な道具を排した真剣な勝負が繰り広げられ、そこに横槍が入って台無しになったりと混沌とした状況だ。

「何というか、緊張感が無いことになってるわね。嫌いじゃないけど」

 高所から弓矢でファルファレロを狙っていた射手デルヒたちの一団を倒したマラコーダが呟く。ユニセックスな衣服に身を包んだ長身の女性は、切り替わりつつある世界の常識とは関わりなく戦いを続けていた。あまり馴染みのない世界観であるためか、その影響はそれほど強くはない。強力な浄界に思えるが、かといって取り込んだ者全てを強制的に従わせるような傲慢さとは縁遠い。

「ちょっと心配。このコ、こんなんでちゃんと戦えるのかしら」

 誰に向けたとも知れぬ呟きと共に、マラコーダは貫頭衣にも似たふわりと広がった衣裳の布地を揺らしながら動いた。屈強な男性の肉体が生み出す力強さをサイバーカラテ道場が精密に制御。長い脚を旋回させて背後から奇襲を仕掛けようとしていた暗殺者デルヒを蹴り飛ばす。

「ちゃんとフォローしてあげなさいよ、彼氏さん」

 何処かの誰かに向けて忠告を呟いて、マラコーダは戦闘を継続すべく走り出した。まずは調子に乗りすぎてイアテムに追い回されているファルファレロのフォローから。そんなふうにして、戦いは各地でその性質ジャンルを異にしてこそいたが、概ねガロアンディアン側が優勢に傾きつつあった。

 情勢の不利を悟ったあるグレンデルヒたちのグループは起死回生の策を用いることを選んだ。巡槍艦の外壁を破壊しながら飛び出した無数のグレンデルヒたちが次々と重なり合ったかと思うと光に包まれ、巨大なグレンデルヒの顔が出現する。合体した巨大グレンデルヒは目から怪光線を放ちながら周囲に破壊を撒き散らしていった。圧倒的な呪力に誰も為す術無く退くしかない。だがその合体デルヒに果敢に挑みかかるものがいた。

「うおらあああああ!」

 野太い腕、毛深い巨体、しわくちゃの顔。虹犬が得意とする色号の呪力を纏い、怪光線を受け止めながら構わずに前進するタフさを見せつける大男こそ、復活したブルドッグの獣人、カニャッツォである。力士に挑んであっけなく死亡した光景を見ていた者たちは愕然とするが、巨漢の頭の上に複数の赤い球体が浮かんでいる――というより表示されていることに気がつく。一番右端の球体だけが赤い部分が無く透明になっている。その隣の球体も上の部分が欠けており、徐々に赤い部分が消失していくようだ。合体デルヒの猛攻を受け続けたカニャッツォの頭の横で、二番目の球体が完全な空となる。同時にカニャッツォが爆発四散して即死。無惨な死に様に誰もが目を覆いそうになるが、直後。

「ふっかあぁぁぁつ!」

 雄叫びと共に起き上がるカニャッツォ。容赦なく合体デルヒの怪光線が彼に襲いかかるが、今度は命中せず、巨体をすり抜けてしまう。よく見ればカニャッツォは半透明となり点滅している。誰かが呟いた。「復活直後は無敵状態なんだ」と。ブルドッグ氏族持ち前の耐久力の高さがそのまま生命力となってあの赤い球体として表現されているのだとすれば、複数ある赤い球体が全て空にしなければカニャッツォは殺せない。カニャッツォの他にも、失敗と再挑戦の権利を与えられた者たちが果敢に合体デルヒに挑みかかっていく。

 そして、対峙する二大勢力の頂点たちがいる場所に場面は戻る。
 そこに現れた氷の魔女こそが全ての原因だった。
 コルセスカが現れると同時に引き起こされた異変の数々。
 発動したのは世界そのものを変容させる森羅万象オムニバース型の浄界。
 その正体を理解したアキラデルヒが、戦慄と共に口を開く。

「まさか貴様――ゲームと現実の区別がついていないのか?」

「下らないことを訊かないで欲しいものです」

 トリシューラの隣に並んだ冬の魔女コルセスカは、問いには答えずにそう言った。凍れる右目も、少しだけ伸びた肩口までの白銀の髪も、身に纏う白の衣裳も、何一つ変わらないコルセスカのままだった。同じように内面も何一つ成長していない。普段の通り、戦闘中であっても構わずに義眼内部で携帯ゲームを起動させ、真剣な状況でも早く帰ってお布団にくるまりながらゲームをしたり漫画を読んだりアニメを観たりすることばかり考えている。

「長い時の旅を経て、私は強く成長しました。具体的には、これからは冬の魔女系統ではない歴史モノにも色々手を出して行こうかな、という感じですね。興味や関心の範囲が広がるということは視野が広がるということ。邪視者にとってこれほどの成長が他にあるでしょうか。いや無い」

 大まじめに言いながら、端末で色々と検索を始めるコルセスカ。歴史上の美形武将たちが覇を競い合う戦略シミュレーションゲームや恋愛ゲーム、関連商品などを発見して「これは」と目を見開いた瞬間、アキラデルヒによる容赦のない一斉射撃がコルセスカを襲う。

「邪魔です」

 無造作な一瞥。それだけでアキラデルヒが完全掌握したはずのウィッチオーダーによる『遠当て』が無力化されてしまう。愕然とする英雄に、冬の魔女はやや苛ついた口調で語りかける。

「今私は大事な作業中です。気が散るのでそれはどこかにしまってください」

 氷の右目が妖しく光り輝くと、巨大な砲の群が次々に凍結して落下していく。ぱちりと指を鳴らすと同時に氷塊が砕け散り、アキラデルヒの武装が全て失われた。一瞬の決着。唖然とするアキラデルヒの目の前に、氷の球体が浮かび上がる。それは液体のように変幻自在に姿を流動させていき、人の形を作り出した。

「それと、アキラの身体は返して貰います」

 阻止しようと動いたもう一人のグレンデルヒをトリシューラが牽制し、無防備になったアキラデルヒに氷の像が襲いかかる。体格だけが一致しているが、顔かたちは似ても似つかない。氷像ゆえに細かい容貌は判然としないが、表情に浮かぶ気質からして完全に別人だ。同じ存在を元にしていても、本質は決定的に異なる。それは指向する在り方が異なるが故に。

「馬鹿な――」

 アキラデルヒの愕然とした呟き。彼の腹部が隆起して、細長い何かがそこから顔を出す。五指を兼ね備えたそれは、紛れもない腕だった。かつて失われトリシューラによって隠匿されていたシナモリアキラの生身の左腕。再生者カインが死せる人狼となってまでアキラの下に届け、希望を繋いだ鍵となる栄光の手。勝利を掴む為の死した部位。

「――こんな、ことが」

 アキラデルヒはその存在に宿る『サイバーカラテユーザーとしてのアキラ』を参照して、更にグレンデルヒとして精錬させて実行するという手続きを行う。『より優れた存在である』という彼の在り方はその比較対照を行わざるを得ない。グレンデルヒというトルクルトア機関が作り上げた万能のシステムに生じた不可避の欠陥。わずかな遅延がアキラデルヒの生死を分けた。サイバーカラテ道場を参照してそれを上回る『最善の結果』を導き出そうとしたアキラデルヒは、一瞬だけ最適解に届かない。届かないまま、目の前の明らかな囮に気を取られて何の脈絡もなく腹部を突き破って出現した腕に対処する事ができなかった。

「私のこの権能は知らなかったようですね。パパになった気分はどうです? かわいいかわいいアキラ様の左腕ですもの、きっとさぞ嬉しいでしょうね」

 コルセスカの口調が僅かに変化して、白銀の髪色が一瞬だけ蜂蜜色に、瞳の色が灰に染まる。儚い幻のようだが、もう一人のコルセスカは確かにそこにいた。そして、同じようにコルセスカと一体化していたシナモリアキラは今は分離して自分自身に産み落とされていた。自らが生と死を孕むという転生者特有の魂の形を利用した、死人の森の女王の転移呪術。手孕説話という奇怪な伝承を下敷きにした腕の出産を攻撃に転用したのだった。

「ぐ、が――」

 想定されている『万能の才人』なら予測不能な正体不明の呪術攻撃であっても容易く対処して当然だというのに、なんという失態か。己の万能性への確信を失い、アキラを侵食していたグレンデルヒという存在が急速に力を失っていく。他者より優れた最強者であることがグレンデルヒという呪術的存在の成立条件であるならば、その前提を突き崩すことでグレンデルヒは存在を維持出来なくなる道理だった。そうしてアキラを乗っ取っていたグレンデルヒは倒された。一撃で倒されたのだ。

「ぬかった――だがまだ駒はある!」

 魔導書と巻物を手にしたもう一人のグレンデルヒが叫び、トリシューラの猛攻を凌ぎながら跳躍。巻物によって発生させた呪術障壁で身を守りつつ、過去に存在した様々な賢人たちの先行研究を参照、引用しながら巨大な呪術を組み上げていく。阻止しようと数人のトリシューラが銃撃を加えるが届かない。

「なら、これで!」

 回転翼で浮遊するドローンが上空から落下するように突っ込んで自爆。熱と爆風の中から遮蔽装置を搭載した一人の幼いトリシューラが突撃して障壁の内側から至近距離で散弾を放つ。回避も防御もできないままグレンデルヒの全身が硬質な音と共に砕け、黄褐色のスーツが引き裂かれていく。

「くっ」

 致命傷にはならなかったがいくらかのダメージを受けたようで、グレンデルヒは巻物を取り落とす。破けた衣服の胸元を手で隠しながら後退し、懐から取り出した球体を投擲する。それは即座に弾けて黒い煙幕を立ちこめさせた。呪術的な索敵すら欺瞞する呪術煙幕の中、トリシューラは構わずに銃を乱射。しかし煙幕が晴れた後に彼女が目にしたのは、破けた黄褐色のスーツとその中に包まれた壊れたドローンの残骸だ。

「ああもう、逃げられた! けど、あれって――」

 トリシューラが眉根を寄せて思案している後ろで、一つの結末が訪れていた。
 上書きされていた壮年男性の顔は既に無い。腹部から己の左腕を生やしたシナモリアキラが、遂に元通りとなった鋼鉄と氷の義肢で左右から中央の手を包み込む。三つの手が絡み合った。

 シナモリアキラは安定している。欠けていたものを取り戻したことによって、以前よりも一層、精神が調和した状態となっているのだ。加えて、今の彼には左腕内部のスタンドアロンシューラが疑似再現しているアプリケーションの数々がある。調整、改造されたそれらは原形を留めていないものの、それらは彼に懐かしさと心強さをもたらしていた。

 そして、シナモリアキラを支えるものがもう一つ。
 腹部から生えた左腕を包み込むように、放射状に白骨が生えてきていた。肉を引き裂き、血液と共に溢れ出てくる動物のシルエット。白骨死体の出産だというのに、そこには生命の躍動があった。ただし、神経の通っていないそこに痛みは無かった。感覚は凍り付いていた。シナモリアキラは痛みを冬の魔女に肩代わりさせたまま、左腕を飲み込むように現れた狼の頭蓋骨に両手で触れる。

「カイン」

 呼びかけると、白骨の屍狼が左腕を飲み込んだままアキラの腹から這い出して、地面に降り立った。血液が大量に流れ出すが、瞬時に凍り付いて傷が塞がっていく。もう一人のグレンデルヒが撤退したことで手の空いたトリシューラがやってきて、治癒符による簡易治療を施す。

「ふむふむ、なるほどなるほど。色々あったんだねえ、二人とも」

 本体のトリシューラが、一時的にスタンドアロンの左腕ちびシューラと同期して瞬時に相手側の状況を把握した。多くの言葉はいらない。トリシューラとコルセスカ、そして二人の使い魔であるアキラはようやくその場に揃い、互いに視線を交わす。

「アキラ、今からもう一度憑依するので、準備をして下さい」

「いいのか? 今は手が足りないし、別々に分かれて戦った方が――」

 コルセスカは「いいえ」と否定して、その姿を変貌させた。蜂蜜色の髪と灰色の目、そして白骨化した右半身を持つ妙齢の美女の姿に。

「私が逃げたグレンデルヒを追いましょう。グレンデルヒの中枢は【変異の三手】の名の通りに三つです。アキラ様の中にいた右副肢、外世界人の中にいる左副肢、そして先程、役立たずの誰かさんが取り逃がした主肢」

「喧嘩売ってるの? 買うよ?」

 トリシューラが死人の森の女王に険呑な視線を向けると、再生者の魔女は「あら、事実を申し上げたまでですわ」とにこやかに微笑み返す。悪化する雰囲気に耐えかねたようにコルセスカがアストラル体を投射してシナモリアキラに憑依して合体する。

「『ええと、では私とアキラとトリシューラで力士デルヒに対処するということでいいですね?』とコルセスカが言っているぞ。俺もそう思うので早く行こう」

 どうにかこうにか仲の悪い二人を引き離して、そういうことになった。
 この不和は後々に禍根を残しそうではあったが、今は目の前の敵を片付けるのが先だ。古代の女王と現代の女王、相容れない二人は互いに背を向けてそれぞれの戦場へと向かう。

 トリシューラとアキラ、そして彼に憑依したコルセスカの三人が向かったのは巡槍艦の傍から少し離れた倉庫街だった。第五階層へと帰還する際に、アキラたちは二手に分かれた。空間を自在に移動する【扉】の作り手である星見の塔の姉妹に力を借りて、力士という難敵を隔離したのだ。そうしなければ市街地に甚大は被害が出ることが予想されたこと、アキラの肉体と左義肢を取り戻す時間が欲しかった為の措置であるが、その為に数人の仲間たちに多大な負荷をかけることになってしまっていた。

 箱形の倉庫が建ち並ぶその区画は、盛大に破壊されていた。違法に持ち込まれた呪具や武器弾薬が起爆してあちこちで火災が発生しているが、それすら巻き起こった暴風に掻き消されてしまう有様だ。定期的に大地が揺れているのは、誰かが足を踏みならしている為だろう。

「これが、力士の本気の四股踏みか」

 姿は無くとも、その存在ははっきりと感じられる。
 この先に行けば本気の力士と拳を交えることになる。
 これまでの戦績は決して良いとは言えない。それでも戦うのかと、理性が問う。それに答えを出すのは、しかしシナモリアキラではなかった。

「行くよ、アキラくん!」

(さあ、やるからには勝ちますよ!)

 二人の魔女が選び、それを受け入れる。
 使い魔は両手の義肢を硬く握りしめた。自然とついてきていた白骨の狼が威勢良く顎を打ち鳴らしたのは、吠えたつもりなのだろうか。彼が女王ではなくアキラの後を追ってきたのは少しだけ意外ではあったが、その事実に少しだけ表情を緩めるアキラだった。

 激震する大地を粉砕して、地中から現れるものがあった。螺旋の回転で硬い階層の足場を穿孔して現れたのは巨大なドリル。無限軌道キャタピラに支えられた重厚長大な胴体部分が瓦礫を弾いて、現れた無人兵器が突撃してくる。左右に分かれて回避したトリシューラとアキラを、更なる脅威が襲う。

 空から舞い降りた大型の軌道船オービタが強化外骨格を纏ったトリシューラに襲いかかる。時空航行を可能とする巨大艦船がデブリ除去用の凝集光レーザー砲を放つが、トリシューラは硝子霧を散布して威力を低下させて抗磁圧障壁で防ぎきる。

 だが、軌道船の下部ハッチが開いてそこから出現した無人機が繰り出した攻撃は防ぎきれなかった。それは人型をしていた。強化外骨格を纏ったトリシューラよりも更に一回り大きい。鋼の四肢が唸りを上げて、掌から放つ磁力干渉によって抗磁圧障壁を引き裂く。腰の部分に取り付けられた電磁投射砲コイルガンがきぐるみの装甲に傷をつける。

「ここからは僕がお相手しよう。肉体に縛られない知性体同士、仲良くしようじゃないか」

 ヘルメット状の頭部のフェイス部分がスクリーンとなって表示されたのは行司姿の青年。ウェーブがかかった黒髪に濃茶色の肌をしたインド人――ケイトと呼ばれていた力士の相棒が、無人機を操作しているのだ。

 軍用サイボーグ【ドラゴンテイル】が咆哮する。電磁石作動機ソレノイドアクチュエータが唸りを上げ、形状記憶合金を用いた人工筋肉の束が剛腕の一振りを砲弾に等しい威力で撃ちだした。トリシューラが左腕を拉げさせながら吹っ飛び、地面に叩きつけられる。腰の噴射孔から輝く推進剤を散布して流星のように追撃するケイト。

 トリシューラを守ろうと助勢に駆けつけたアキラが左腕の一撃を突撃しながら叩きつける。真横からの衝撃にケイトの軌道が逸れてトリシューラは難を逃れるが、カウンターで繰り出された掌打であっさりと吹き飛ばされてしまうアキラ。倉庫の薄い壁面を貫いて転がっていく。

 ケイトが操る無人機の剛腕は、旧アキラの右義肢を遙かに凌駕する出力だった。かつてのシナモリアキラは最も上等な部類の義肢を更に違法改造して出力を上げていたため、やろうと思えばちょっとした戦闘用義肢級の出力を発揮する事ができた。しかし、最初から戦う為に作られた機械腕はそもそもの設計思想からして異なる。多くの民間警備会社が正式採用している磁力制御型戦闘用アンドロイドの戦闘能力は、単純比較で旧シナモリアキラの完全上位互換だ。

 加えて、ケイトは元々生身の人間である。意識を電子化した情報的人類であるケイトが宿った無人戦闘機械アンドロイドは、その瞬間に定義上、肉体を全て機械化した『テセウスの船型サイボーグ』となる。在り方すらシナモリアキラの先を行く相手。それを乗り越えようとコルセスカとアキラの意思が一致して立ち上がるが、トリシューラがそれを静止する。

 傷付いたきぐるみ姿で、三叉槍のような兵装を構えて戦意を漲らせるトリシューラ。バックパックと補助腕で膨れあがった歪な背中が、ここは自分に任せて先に行けと告げていた。

「『人間上がり』に認めてもらえるのは嬉しいけど、私にはアキラくんがいるからもういらないよっ」

「それは残念」

 トリシューラと交戦状態に入るケイト。トリシューラには何かしらの対抗意識があるのか、勢い込んでケイトへと挑みかかっていく。二つの世界における最先端の『杖』が正面から激突する。

(アキラ、ここはトリシューラを信じましょう)

 コルセスカの意思がアキラに先を急がせる。それに、いつまでもその場所に居続けることが出来ない理由もあった。彼を追いかけてくるドリルを備えた装甲車がもう一台姿を現して二つの螺旋が迫り来る。更には軌道船が凝集光を地上へと掃射。どこからともなく真紅の消防車までもが現れて高圧の消火剤を吹き付けてくる。遮られた視界の中を大質量が縦横無尽に走り回り、アキラを轢殺せんと車輪を加熱させる。これもまたケイトが遠隔で制御しているのだろう。無言のまま殺意を向けてくる鋼を回避しながら疾走。思わず毒突くアキラ。

「くそ、何なんだよこの車輌のラインナップ!」

(わかりません、アキラから吸い取った記憶の中の力士は、こういった車輌とは何の縁も無いはずですが)

 続いて現れたのは巨大な鉄球。前のめりに転がって回避してから背後を見ると、クレーンが吊り下げた鉄球を振り回していた。振り子運動の追撃から逃れようと疾走するアキラは、無人機の種類に規則性など無いことを理解した。恐らくはあらゆる状況に対応できるように様々な車輌を用意しているのだろう。それを全て戦闘のために投入してくるケイトらの判断は理解を絶していたが。

 鉄球が倉庫街を解体していくのを尻目に、ひたすら走り回る。軌道船が上空から放つ凝集光を氷の右手に展開した多面鏡で弾きつつ、遂に戦場へと躍り出る。
 戦場を一陣の風が吹き抜けた。流線型の車輌が高速で空中を駆け抜けていき、第五階層の空へと飛翔していく。壁面を透過して突き抜けていったが、恐らくは転移能力を有しているのだろう。しばらくの時間を置いてまた戻ってくる。

 長大な全体像。蛇を思わせる優美な連結車輌にはその上下左右の各所に強力な電磁石が取り付けられている。電磁誘導方式の磁気浮上マグネティックレビテーション型リニアモーターカーが、先行して空中に仮想構築された円筒状の磁界のチューブの中を弾丸のように駆け抜けた。

 狙われているのは、ビーグル氏族の虹犬であるグラッフィアカーネ。だが年若い電磁合気の使い手は逃げようとはしなかった。落ち着いた佇まいのまま手を前に突き出す。その手と平行に浮遊する片側が鈴になった金剛杵から紫電が迸り、大気をイオン化させながら電磁空気投げが行われる。

 発生したマイナスイオンの呪力が構築されたレールの軌道を歪曲させて、車輌の進路があさっての方向へと逸れていった。無人機の中でも極めて厄介な速度と殺傷力を有するリニアモーターカーを一人で相手取っているグラッフィアカーネの戦い振りは見事の一言だった。視線が一瞬だけ絡み合い、アキラはこの場を少年に任せることにした。

(ちなみにネガティブイオンじゃないよ、マイナスイオンだよ。堕落した古き雷神の加護を宿したイオンだよ!)

 視界隅にちびシューラが出てきてよく分からない注釈を入れる。先程たった一人で果敢に難敵の足止めを買って出たというのに悲壮感も何も無かった。
 大地が揺れる。アキラの目的地へと向かう疾走は遂に終わりを迎えようとしていた。そこで、二体の巨獣が激突を繰り返していた。

「はっきよい!」

「グオオオオオオオッ!!」

 硬質化した生体質量の鎧を纏ったゾーイ・アキラの突進を、巨大な異形が正面から受け止める。そればかりか、高速で突き出される突っ張りや振り抜かれる張り手、大剣の如き手刀チョップといった殺傷力に優れた技のことごとくを凄まじい速度で回避してみせる。

 異形の巨大生物は、二つに分かれた頭部で同時に咆哮した。
 片方は眼球に迫る程に湾曲して伸び上がった牙を持つ猪。
 もう片方は漆黒の鱗を持った大蜥蜴だ。
 二体の巨獣を半ばから切断して融け合わせたかのような合成獣の名はチリアット。トリシューラの忠実な配下にしてガロアンディアンの守護に燃える戦士。右腕に宿る魔将の細胞を最大まで活性化させた彼の現在の実力は、魔将ダエモデクのそれに匹敵すると言っても過言では無い。

 かつて中原で名を馳せた暴虐の黒き亜竜が全てを腐敗させる瘴気の吐息ブレスを吐き出せば、異界の力士は猫騙しによって発生させた衝撃波でそれを全て吹き飛ばす。力士が四股を踏んで大地を粉砕させると、隆起した岩盤の数々を素早い足運びで回避し、避けきれないものは長く頑丈な蜥蜴の尾で薙ぎ払う。

 巨獣同士の攻防は一進一退だ。
 チリアットは目の前に迫り来る牙という不可避の死を直視することで、臨死の恐怖を引き金に時間の体感速度を引き延ばすことができる。その反応速度は本気を出したコルセスカと一時的に渡り合えるほど。力士を相手に一歩も退かない戦い振りは流石の一言だった。しかし。

「多分、結構危ないと思います。あの状態に変身してからかなり時間が経ってるから――トカゲさんが悲鳴を上げてるのが聞こえます」

 心配そうに呟くのは、離れた場所で戦いを見守る猫耳の少年だ。黒い耳を外向きに動かしながら、レオが揺れる瞳でこちらを見た。

「『このままだと、友を喰い殺してしまう。それは嫌だ』って、そう言ってます――お願いですアキラさん、もう休ませてあげてください」

 僕には何も出来ませんけど、とレオは悄然と項垂れた。左手が緊張のためかぴんと張り詰めて反った状態になっている。アキラは少年の頭に優しく左手を載せて、左右に撫でる。猫耳に触れたせいか少年が少しくすぐったそうな顔をした。

「レオはそこで応援しててくれ。チリアットの手当も頼んだ。だから、後は俺とコルセスカに任せろ」

「――はい!」

 柔らかな頬を紅潮させて喜色を浮かべるレオはアキラをにこやかに送り出しつつ、既に力士に敗北していた役立たずの護衛の顔を無造作に踏みつけた。




 荒れ狂う戦場のただ中に、シナモリアキラは白骨の四つ脚人狼と共に突っ込んでいく。左腕を変形させながら無数の瓦礫を右腕で振り払い、チリアットへと呼びかける。

「悪い、待たせた!」

「おお、身体を取り戻されたか、師範代! すまぬが限界のようだ。もう右半身が言う事を聞いてくれぬ」

 力士に突き飛ばされたチリアットがどうにか踏みとどまりつつ、牽制の吐息を放って距離を空けさせる。転移して退いた隙に言葉を交わすと、どうにか理性は保てている様子だ。しかし全身が傷だらけで、息も上がっている。更に邪視の使いすぎで瞳からは血の涙が流れていた。いくら再生者化しているとはいえ、これ以上戦えば意思を喪失した『動くだけの屍』になりかねない。

「ここからは俺とコルセスカでやる。それに、どうもカインも力になってくれそうだ。さっきからそんな気がしてる」

 力強いアキラの言葉を信じて、チリアットは右半身の大蜥蜴を抑えながらレオたちのいる方向へと退避していく。
 そして、シナモリアキラは同じ名前を持つ力士と真正面から相対した。
 瞳には氷のような輝きが宿り、呪布が解けた氷の右腕は硝子細工のようにクリアな全体像を露わにしている。浮遊する多面鏡を従えながら、右半身を前にして構えをとる。光り輝く左腕の換装はまだ終わらない。

 激震が第五階層の大地を鳴動させる。四股を踏んだ超重量の異界力士が獰猛な笑みを浮かべながらこちらを見ていた。その背後に揺らめくようにして浮かぶ、蓬髪を振り乱す壮年男性の幻影。氷の視線と傲慢な睥睨が激突し、力士とサイボーグが間合いをじりじりと詰めながら次の手を探り合う。無論、空間を跳躍する力士はあらゆる場所から攻撃を仕掛けることができるため、サイバーカラテ道場の戦術予測システムはフル稼働状態だ。

「準備は出来たみたいだね。待ちくたびれたよ、いい加減にさ!」

 挑発的な言葉と共に、打撃が空間を越えて届く。
 巨大な肉装甲に包まれた腕が轟音と共にアキラの眼前を通り抜けて消える。コルセスカの神経反射でさえギリギリ回避できるかという速度の奇襲。更に続けて腕だけが出現しては突き出され、またかき消えていく。見れば、遠く離れた力士の腕が消滅と出現を繰り返していた。

「部分転移もできるのかよ!」

 戦慄しつつ空間凍結で攻撃を凌いでいく。更に背後に回り込んだ巨体の気配を【Doppler】で察知して振り向きざまに蹴りを放つ。呪的発勁。ちびシューラとコルセスカの【氷】が呪的侵入を試みるがグレンデルヒによって遮断、一瞬の攻防の後に大きく間合いをとって仕切り直す。長く力士の間合いに居続ければ『廻しをとられてしまう』からだ。

 力士の戦闘能力は相も変わらず計り知れない。その超質量も、そして卓越した打撃と投げの技術も、転移能力という恐るべき技術も、全てが一級品だ。それに加えてグレンデルヒという英雄の加護も付いている。今のアキラには六王の力は無い。その魂は今、彼らが従うべき女王の元に集っているはずだ。もう一体のグレンデルヒを倒すために。

 ゆえに、この戦いはアキラとコルセスカ、そしてちびシューラの力で乗り越えなくてはならない。そうだ、とシナモリアキラは内心で己に言い聞かせる。この相手は、力士ゾーイ・アキラだけは、自分が倒すべき相手なのだ。前世からの刺客。自分を否定する存在。間違った状態を正そうとする意思。シナモリアキラの生存は間違っている。

「そうだ、お前は生きていてはいけない。お前の命が他者の生命を踏みつける。一人分の罪人が席を譲れば、より良き者が生きることができるのだ」

 力士の言葉がグレンデルヒの意思と重なる。転生設備を占有することの罪深さ。それはそのままコストの問題だ。転生には金がかかる。様々な苦労を重ねた末、転生技術は保険という形態に組み込まれているが、二重転生は明らかに予算をオーバーしている。食い潰した資源はどうするのか。他の転生待ちの死者たちの機会を奪っているのは誰なのか。人の死を踏みつけながら生きるお前に価値は無いとグレンデルヒは言い放つ。

「何がシナモリアキラだ。何が【鎧の腕】だ。お前は惨めな人生の敗残者だろう? なあ、セト――」

 言葉を遮るように、カチカチと骨を鳴らす音がした。白骨の人狼が、アキラの注意を惹こうと音を立てている。喉のない屍の必死の咆哮。その小さな鳴き声は、確かにアキラに届いていた。答えは既に、あの森で得ている。ゆえに彼はもう迷うことは無い。

 正しくない答え、選ばれなかった道、死んでしまった運命。
 それらに再び生を与えるのが死人の森。
 ならば再生者オルクスとは、言葉を持たない死者というよりも。
 転生者ゼノグラシアに近い存在なのではないか。

 ある女王はアキラの弱さを許した。
 決断を預かり、全てを引き受けて互いを肯定し合う為に。
 ある女王はアキラが生きているという罪悪を赦した。
 生きている罪深さ、それ自体が尊いのだと、優しく肯定する為に。
 そして、二人の女王と繋がり合う氷の少女はこう叫ぶ。

「『たとえ誰かのことを踏みつけていたとしても、私たちは今、ここに生きている。罪深くても、傲慢でも、私は大人しく死を待つのなんて嫌です。だってこの世界は、こんなに楽しいじゃないですか!』――コルセスカはこう言ってる。俺も、そう思うよ」

 開き直ったような宣言が告げられた途端、世界が凍り付く。美しく煌めく氷のリングが形成され、上空には装飾された二つの『体力ゲージ』が出現し、対峙する両者の中心地点で『ROUND1 FIGHT!』の文字が光り輝いた。砕け散る文字列を見据えながら、冬の魔女は己の世界観を、傲慢な意思を世界へと叩きつけた。世界を滅ぼす火竜を殺すという運命を背負った少女は、あろうことかただ遊び続けたいという理由で戦うのだ。

「楽しさの為に戦う――いいね、そういうの好きだよ私。ずっと忘れてた感覚だけど、あんたたちと戦って久々に思い出したよ。生きてるのは楽しむ為だ。なら戦いも目一杯楽しまなくちゃ損ってもんだろ!」

 獣のように吠える力士の顔面で、稲光が閃いて大気を焼き焦がす。高まる圧力は、力士がまだ余力を残していたことを示していた。

「百パーセントだ――制限解除、システム【蹴速けはや】を解放する」

 途端、力士の脚部から凄まじい雷光が迸り大気を蹂躙していく。巨大質量を支える筋肉の塊のようだった柱の如き脚部もまたその形状を変化させていき、まるで全く異質な生命へと変貌を遂げようとしているかのようだった。

 一方で、戦意を溢れさせているのはゾーイだけではなかった。
 シナモリアキラの左腕の変形が止まらない。膨れあがる光が熱を放射し、凍れる右腕で抑え込んでもまだ反発するほどの呪力が吐き出されていく。いつもの換装とは違う、何らかの異変が起きていた。

(これって、もしかして九姉兵装の制限が解除されてる?)

 ちびシューラが驚きの声を上げる。何が要因となったのか、ウィッチオーダー最強の九形態、その封印が一つ解除されているのだ。
 それこそは冥界の権能を司る第五の封印。不完全な解除なのかアキラが自らの意思で制御する事すらままならず、半ば暴走するかのようにして勝手に換装が行われてしまう。だがその時、アキラの肉体を焼き滅ぼそうとする呪力を抑え込むようにしてカインが跳び上がった。骨の上顎と下顎が打ち合わされて、小さな咆哮が第五階層に響き渡る。人狼が内包する引き千切られた左腕が光り輝いた。

 生身の左腕が、ウィッチオーダーから溢れ出す光の中へと飛び込んでいく。本来の腕と新たな腕、新旧の腕が一つに重なり合い、調和していった。光量が抑えられ、その真の姿が明らかになる。

 それと同時に、カインにも異変が起きつつあった。
 ――というよりも、その変化は始めから死せる人狼の存在を織り込んだものだったのだ。骨の全身がバラバラに弾け飛び、アキラの全身の各所を包み込むようにして接触していく。再生者の骨はあくまでも骨組みでしかない。第五階層の物質創造能力が左手の制御下で限界を超えて駆使されて、狼の骨を基点にして装甲を形作っていく。

 それは生物のようであり、機械のようでもあった。全体としてはトリシューラの強化外骨格に酷似している。死者を核にした、第五階層でのみ機能する鎧。死人の森を土台に、ガロアンディアンが構築する神秘の結晶。艶のない漆黒の装甲がアキラの全身を一回り大きくして、鋼鉄の内側で莫大な呪力が荒れ狂う。

 犬に比較して長く細い頭骨が湾曲しながら広がり、兜となってアキラの頭部を包み込むと、上顎の第四前臼歯である裂肉歯が燐光に包まれて更なる大型化を遂げる。視界を妨げないように真下に伸びた牙と牙の間に透明な素材が形成され、暗色のヘルメットバイザーとなる。

 装甲に覆われた両腕の尖端部から鏡を纏う氷の拳と歯車を回す鋼鉄の拳が迫り出した。手首ががっちりとホールドされ、両腕の呪力が十全に発揮される。
 構えをとると、鎧は滑らかに従った。むしろ鎧の方がアキラを導くかのように息を合わせてくれている。それは意思を持った生ける鎧(リビングアーマー)だった。アキラは言葉ではない、けれど確かな意思を感じていた。

 それは、いつかのように。
 言葉で通じ合えないがゆえに真の意味での理解には遠くても、あの短い共闘はきっと無意味ではなかった。そう思えて、アキラはフルフェイスのヘルメットの中で小さく呟いた。頭蓋の中で響いた言葉に、狼からの返事はない。屍だからだ。それでも、無言の中に意思は響き続けている。

(――見えたよ、五番義肢の性能と、その強化外骨格の名前が!)

 ちびシューラが高らかに叫ぶ。それは封印が解かれたことで天啓の如く上位のトリシューラからもたらされた知識だった。
 それは運命のように。
 新たなるカインの名前は、あつらえたような響きを持っていた。
 シナモリアキラは、獣が吠えるように宣名を行う。
 第五義肢が形成した新型強化外骨格、その名は。

「吠えろ、【錬鉄者(トバルカイン)】!」

 其れこそは全ての黒金を鍛える者。
 あらゆる武装を作り出す、刃の鍛え手。
 死者を踏み越えた果てに叡智を築き上げる原初の鍛冶師。
 罪と死を踏破して、アキラは鋼鉄を纏い戦場を駆け抜けていく。



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