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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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死人の森の断章1-3 コキュートス

 死人の森の断章9-23 ひとりぼっちの王さま


 王さまはいつもひとりぼっち。
 こうもりとねずみと、たくさんの不気味な生き物たちが王様の中にいるから、王様は平気だと言います。けれど、どれだけおおぜいでいても、本当はたったひとりなのだと、みんな知っていました。

 ――この夜に、自分はずっとひとりきり。
 だから、せめて誰かひとりでいい、自分の中には入ってこない相手が欲しい。そう考えた王さまは、自分に相応しい相手を占いで探し出して、攫ってきました。
 これで、ひとりぼっちじゃなくなるんだ。王さまは喜びました。攫ってきた女の子はひどく怯えていましたが、すぐに打ち解けてくれるだろうと思っていたので、あまり気にしませんでした。

 けれど、そんな王さまの望みはすぐに消えてしまいます。
 王さまは、内側にたくさんの王さまを抱えているから寂しくないのです。
 もしすぐ傍に誰かを置いて、一緒にいて寂しく無いことを知ってしまったら、今の王さまの心を守っている『一人だけど一人じゃない』という思い込みが嘘だとわかってしまいます。王さまは自分をだまし続けるために、女の子を自分にしてしまうことに決めました。王さまたちは女の子に噛み付いて、一つになろうとしました。ですがその時です。たった一人だけ、王さまたちに反対するものがありました。それは王さまでした。

 その王さまは、たくさんの王さまたちの中でただひとり、自分の寂しさよりも女の子が怯えていることに心を痛めていました。王さまはたった一人で王さまたちに立ち向かい、女の子に逃げるように言います。すると、怯えていたはずの女の子は不思議な表情を顔に浮かべて、それから小さな両手を広げました。

 そのあと女の子は微笑んで、途方もない人数の王さまたちを丸ごと抱きしめたのです。全ての王さまたちが、女の子の優しさに心をうたれ、何もかもを赦されたことで救われました。王さまは女の子を自分にするのではなく、自分が女の子についていきたいと考えます。これからはあなたが私の女王さまですと言ってひざまずき、女の子の足下から伸びる影に口づけをしました。

 それは余りにもぶしつけなことだったので、女の子は無理矢理さらわれてきたことも合わせてたいそう恥ずかしがり、怒りました。けれど最後には赦して、おおぜいの王さまたちの頭を一人一人撫でていきます。こうして、女の子は女王さまとなって、王さまと一緒に夜の王国を良く治めたそうです。

 ――というお話になるはずだったのが、どうしたことか、女の子が一番最初に書いた本の中では、全く別の物語が繰り広げられています。
 それは物語というよりも、何度も終わりを先延ばしにしてどうしようもなくなった子供の思いつきのようでした。

 だとすれば、やはりこれは自分が書いたものなのかもしれない。
 女の子は悩みます。最初に出来たと思っていた収まりの良いお話は、空想の中では上手く行っていたのに、実際に形にしてみるとあちこちがでたらめで全く持っていいかげんな代物になってしまったのかもしれない。そんなことを考えて、女の子は不安になってしまいました。

 女の子は、新しく仲間に加わった眼鏡に片腕の男の人に相談しようと考えましたが、近付くと睨まれてしまいます。やっぱり怖かったので、相談するのは片目の人にしました。これまでに黒い本から出てきた五人の男の人たちの中で、どうにか会話が成り立つのがその人だけだったからです。

 ところが、一人に相談に乗って貰っていると、どこからか話を聞きつけて他の男の人たちもやってきてしまいます。そうして、我こそが女の子の役に立つのだと張り切って次々に意見を出し合うのです。中には見当外れの考えもありましたが、みんなのそうした心づかいが女の子にはうれしく感じられました。

 そうしているうちに、その他のしびとたちもお腹からパンやチーズを零しながらやってきて、女の子を励ましてくれます。
 女の子の不安はいつの間にか消えて無くなっていました。
 今までと同じです。自分は間違っていない、おかしいのはこの本なのだと信じることができたのは、こうやって慕ってくれるしびとたちがいてくれたおかげ。

 女の子は本を書き換えることを決めました。
 一冊目の中では、未だに全ての内容が明らかになっていない八冊目からやってきた人たちがぐるぐると同じ所を行ったり来たりさせられています。
 この世界を裏から操る恐ろしい存在に悪さがばれて、六冊目から一冊目までの道のりを繰り返し繰り返しなぞらされているのです。一冊目に辿り着いたらそこからまた六冊目に戻り、その流れに終わりはありませんでした。

 女の子は、季節が一巡りして、春と冬が入れ替わるように、この世界が一巡すれば、また同じ世界が巡ってくることを知っていました。女の子の書いた本は一冊目から六冊目まで順番に並んでいるのですが、この世が終わってしまえばまた一冊目が最初から始まるのです。この本の世界はまあるく閉じた環っかになっていて、はじまりと終わりはくっついてしまっているのだというお話は、ちょうど三冊目で確認したばかりでした。十字の目をした王さまが、彼が信じる神さまの名前を叫びながら気を失ってしまったので、しびとたちが彼を運んで行きました。

 けれど、それだけでは前に進めないと眼鏡の男の人が偉そうに言います。とても怖い言い方でしたが、彼の言う事はもっともなのでした。終わりの無いことが女の子が赦し、しびとたちを受け入れた新しい世界の在り方ですが、それでも区切りは必要です。

 閉じた環っかではなくて、ぐるぐると昇っていくらせんがいいと、兎の男の子が言いました。そうすれば同じ所を周りながら、違う所へも行けると、少しだけ寂しそうに空を見上げます。

 つい最近も、まあるいものが好きな髪の長い男の人がしびとたちに命令して、館の中に見事ならせんの階段を作らせたばかりでした。女の子はその階段をぐるぐる上り下りするのが大好きだったので、その意見に賛成することにしました。

 終わりを無くしてしまった三冊目、始まりであり終わりでもある六冊目、それから女の子たち全てを包み込む九冊目。この三つは、同じ位置の違う高さにある本なのだと、眼鏡の人が教えてくれました。片目の人が、こちらから手を伸ばせばきっと届くだろうと背中を押してくれました。女の子は仲間たちを信じて、新しい仲間を行き詰まった世界から引っ張り上げようと手を伸ばします。

 これまでの長い長い旅路は、このためにあったのだと、今の少女にはもうわかっていました。自分が何者なのか。どうしてしびとたちは自分の事を女王さまと呼ぶのか。終わりがないことは、けっして苦しいだけの罰だけではないのだと女の子は信じています。だから女の子は、八冊目からやってきた人たちの旅を悪い事だと決めつけて、終わらないことを罰にしている神さまたちが赦せませんでした。そんなものは、みんなが望んだしびとの森の幸せなんかではありません。

 女の子が怒る姿を、眼鏡の男の人が嬉しそうに見ています。彼もまた、高慢な神さまたちに対して怒っていました。何故なら彼は、神さまたちよりもずっと高慢で、威張り散らしていて、自分が誰よりも偉いのだと信じ込んでいるからです。

 そして、女の子はそれよりも更に偉いものを理解していました。
 自分が一番上であると知っている神さまたちより、自分が一番上であると信じている眼鏡の人より、一番上にあるものを理解している女の子。

 女王さまは、そう呼んでくれる人々の尊敬無しには上に立ち続けることはできません。その振る舞いが間違ったものであるとき、上に立つ女王さまはその地位に居続けて良いのかどうかを問い直されなくてはならないのです。

 それがしびとの森の決まり事。
 そしてその約束は、女の子が生み出してきたどんな言葉の力よりも強いものなのです。それは女の子だけに許された力ではなく、たくさんの人々の間で約束される、黒と青の入り交じった色をした言葉です。

 女の子は願いと共に八冊目と九冊目の本を手にとりました。
 そして、一冊目の本の中に呼びかけます。 
 手を差し伸べるように。
 なにもかもを両手で抱きしめるように。
 青と黒のかがやきが、互い違いに重なり合って、どこまでも続いてく道を作り出していきます。暗闇の中へ、目の醒めるような青色が大河となって続いていきました。悠久の流れへを渡っていくのは、言の葉で編まれた黒い船。夜の世界へ、二冊の本は真っ逆さまに落ちていきました。





 約束があった。
 決定的な敗北を喫して、何もかもを失ったあの後、彼女と俺は契約を交わして、全てを受け入れ合うと決めた。

 触れ合う冷たさに耐えきれずに俺が倒れたあの時、どのようなコルセスカであっても全部受け入れると許容した。
 前世の記憶に自らの人格を浸食され、醜い側面を呼び起こされることに苦しんでいたコルセスカ。それでも俺は、それも彼女の一部として認めたいと思ったのだ。彼女が、俺の全てを受け止めてくれているように。

 それが罪だというのなら、きっとそれを裁けるのはお互いだけだ。
 無法者である俺が、たったひとつだけ守らなければならない法がある。
 それこそが、その約束なのだと、そう信じている。 







 繰り返される再演は、既に拷問に近かった。
 盤面の上で駒を動かし、賽子を振る。
 対面に座る【竜帝】――ガドカレク=クエスドレムは、俺の無駄な足掻きを鼻で嗤った。勝ち目のないゲームが続く。

 まずはじめから。六番目。
 美しき髪のマラードと麗しき翅のハルハハール。どれだけたくさんの愛を奪えるかという勝負により、ついにマラードは最も信頼する配下、ルバーブの妻と娘を虜にしてしまう。ルバーブは主の暴挙を黙って受け入れ、後悔したマラード王は自暴自棄となり命を絶つ。

 悲劇、悲劇、あるいは滑稽な喜劇。
 マラードは愚かだ。ほぼ全ての再演で人狼たちを虐殺する。
 パニックを未然に防ぐためと言いながら、より巨大な悲惨で都を血に染めて、主に人々を魅了して制圧するハルハハールよりも多くの命を奪っていった。

 次に五番目。
 亜竜王アルトは正義に狂っている。
 己が信じる道徳規範に従って、血を流さぬためにより多くの流血を大義のためと許容する。彼は言う。虐げられた者たちに、優しく囁く。

「安心しろ。俺はたとえお前たちがどんな姿かたちをしていても、差別しない」

 その姿を、高潔だと褒め称える者は竜王国の在り方に賛同し。
 そうでないものは、その国を去った。
 竜王国は、高潔な理想郷であるべく、純粋な肯定に支えられて在り続ける。
 もちろんそれは正しいのだ。
 そこには、正しさだけがある。

 四番目。
 ただ、醜悪。
 どうしようもないこの歪みを見ないことにするには、サイザクタートという何も知らない部外者を呼び込むしかなかったのだと、二度目以降の再演でようやく理解する。ああけれど、そんな彼も月へ赴いた後には――。

 健やかに、幸福に、美しい世界を少年は望んだ。祈りと共に、情報の海へと潜る。海底に築き上げた石碑は、冥道を塞ぐ封印だ。鍵が差し込まれたが最後、冥府の門は開かれて、生と死、夢と現の境界は消滅してしまうことだろう。
 それは、既に起きていることなのだ。
 見えていなかっただけで、月の裏側にはびっしりと青い髪が張り付いていた。

 三番目。
 これもまた、手の施しようがない。
 いわゆるゲーム性の無いゲームというものもあるらしい。体験したり、干渉したりすることに特化したものだ。それにしたって、こんな体験は御免被るが。

「おお、全てがブレイスヴァ! これすなわちブレイスヴァ! ブレイスヴァとは何か? 答えは一つ、ブレイスヴァである!」

 オルヴァは叛逆されて十三階段の上で死ぬか、絶望して自殺するか、妻を寝取られたショックで病に倒れて死ぬか、部下に命じて妻を強姦させてほら見たことか裏切り者めと鬼の首を獲ったように相手を責めて自害に追い込んだ後自分も後を追うかしていずれにせよ死んだ。

 二番目。
 白翼海を守護する竜王国の海上保安部、ジヌイービたちの海上警備隊を襲撃するベフォニス海賊団。精鋭として名高い彼らを苦しめる恐るべき海賊たちを、天上から襲撃するものがあった。

「げえっ、パーンじゃねえか!」

「見るがいいお前たち、あんな所に格好の獲物がいるぞ。地べたを這う虫けらも、海で跳ねる魚どもも、等しくこの大空賊パーン様に平伏すがいい! さあ狩りの時間だ! ミシャルヒ、カーイン、降下するぞ、ついてこい!」

 ガレニスの血族が誇る杖の技術と、異界から漂着した墓標船を改造した、空を泳ぐ艦船。世界を股にかける空の王者パーンは悪人からも善人からも平等に略奪を行い、暴虐の限りを尽くした。恐れる者など何も無く、外部からの干渉など無意味でしかない。こいつはいつ見ても楽しそうで羨ましいが、思い通りにならないにも程があるので死ねばいいと思う。これまでの試行でこちらからの干渉は全て無視され、投げた賽子は破壊され、果ては盤面から飛び出してどこかに行ってしまう。自由奔放にもほどがある。

 一番目。ふりだしに戻る。
 カーティスを演じる俺は、無数の俺でないカーティスに包囲されていた。
 複製を司る神マロゾロンドを名乗った、闇そのもののような存在が、厚みのある影の触手を蠢かせて嘲笑を響かせている。

 対面のガドカレクとゲームを続行する。
 勝利しなければ解放されることは無い。
 未来を知りながら、俺はただ敗北を繰り返す。何度も何度も、細部が変化し続けるもののどうにもならないゲームを繰り返しやらされ続ける。

 一方で、ゾーイ・アキラもまた絶望の中に沈んでいた。
 この舞台に辿り着く度に、幕間劇として俺はそれを見せつけられていた。
 ガドカレクが呪文を唱えるように、もう何度目になるかもわからない言葉をゾーイに投げつけていた。

「さて。演じられた幻想世界で上位世界を演じれば、それは下位世界のシミュレートと同じこと。上下は反転し、世界の秘密は今ここに明らかになる。つまりだな、君たち外世界人の勘違いを指摘してやろうということだ」

 理解を拒みたくなる言葉の羅列。
 それだけではとても意味が取れないと、俺と、すぐ傍で倒れ伏すゾーイが掠れた声で呻く。ガドカレクは構わずに続けた。

「シミュレーテッドリアリティ。上位世界が存在し、この世界はその世界によってシミュレートされた現実と区別のつかない下位世界であるという仮説。この類の思考実験には果てが無い。我々の世界には浄界や内世界、あるいは再演による舞台上演という下位世界創造の技術がある。ゆえにそれが可能だと知っている。そこに限界は無く、相互の創造という時系列の矛盾すら許容されてしまうのだよ」

 足下がぐらついたような気がした。
 今ここという現実が、本当に確かなものなのか。
 水槽の脳。考えても仕方が無いことだと知っているが、それでも脳を揺さぶるかのような呪力がその言葉には宿っていた。

「お前たちは自分たちこそ大半の世界に対して上位の世界であると思っているだろう。だが、もし我々の世界によってそのように設計された下位世界であったとしたらどうだろうか。もしくは、だ」

 ガドカレクの掌の上に、動く幻が立ち上がる。
 それは俺や冥道の幼姫、グレンデルヒといった人物が再演をしながら戦う光景――今までの再演だった。彼らは自分たちがガドカレクに作り出された存在だということに気付かずに踊り続ける。

「足下を見たまえ」

 心臓が、爆発したかのように脈打っていた。
 視線を下に向ける。
 巨大な掌が、俺たちを支えていた。
 ここはガドカレクの掌の上で、俺たちはこの竜帝に創造された幻に過ぎない。
 全ては、呪術によって作り出された架空世界の出来事だったのだ。

「だからどうした」

「声が震えているぞ」

 内心で怯えていること、声が震えていること、強がっていることが見え見えの台詞、全てがガドカレクが考えたものだ。
 必死の反論がゾーイに代わって相棒のケイトから繰り出される。

「そんなもの、言ったもの勝ちだ! 同様に、君たちだって創造されたものに過ぎないかもしれないだろう! 僕らの世界ではそういう問答は前世紀に通過して克服済みなんだ! このどうでもいい妄言は、精神攻撃にもなっていないんだよ!」

「そうかね? だが少なくとも、この世界では事実よりも信じたことが力を持つ。疑念を僅かでも抱いてしまったお前たちよりも、世界の在り方を俯瞰で見ているこの私こそがこの場の支配者により近いのは確かだな」

 ガドカレクの言葉は、呪術世界だからこその説得力で俺たちを打ちのめした。
 更に彼は、信じがたい言葉を重ねていく。

「さて、ここから考え方を拡張させてみるとしようじゃないかね――世界が下位の内世界を創造シミュレートするのに対し、世界ゼオーティア当該世界自体(ゼオーティア)そのものを自己言及的に創造シミュレートし続ける、ということは有り得るのかどうか、といったようなことを」

 咄嗟に意味を掴みかねた。
 この男――この古き竜は何を言っているのだ?

「お前たち杖世界サイバーパンクの住人がゼオーティアの住人に勝てない理由を考えたことはないかね? あるいは、どうしてこの世界にはこうまで強固な杖という視座が存在しているのに、呪術的思考の類が一向に否定されず、杖以外の呪力が世界に満ちているのか、ということを。答えは一つだ――ゼオーティアは幻想で在り続けようとする恒常性を有しているからだ。つまりは自給自足。世界は修正され、秩序の均衡が保たれるようになっている。杖は絶対に勝つことができない。勝ってはならないのだ。そうだろう、我が同胞クルエクローキよ?」

 この世界では銃を使えるのはごく一部の杖適性が高い者だけだ。
 その理由は、もしかするとこの『集い』が作っているのかもしれない。
 いや、十中八九そうなのだ。
 それが彼らが定めた世界の秩序。
 世界そのものを律する法――それが銃規制。
 全ては、銃社会の到来を防ぐ為。ただそれだけの為に、物理法則すら歪めて運命の修正力で銃を呪っている。それが竜の力。

「『存在』とは、『杖的観測』によって『実体』を確定させ、『呪文的参照』によって『幻想』を紡ぐことによって強度を与えられる。基点となるのは邪視であり、維持していくためには使い魔が必要となるが、今は置く。さて、本来は世界全ての存在は孤独なものだ。触れ合うことすらできず、水槽の中に浮かんだ脳内で完結する。しかし、自己参照ならばどうか? 異世界の全てが、本当は全て内世界だとすれば? あらゆる外界は己が作り出した脳内妄想という浄界なのでは? 外部参照などはじめからあり得ないに違いない。いいかね、我ら高次元の存在は思索の果てにこう考えた。『他者などいない』」

 誇大妄想狂の与太話だ。
 神を名乗り、自分の内側だけで全てが完結している真正の屑。ゆえにどこまでもガドカレクは強大な邪視の体現者だった。五番目の紀竜は、そうしたものを司っているのかもしれない。
 寒気がする。俺ですらおぞましいと感じるほど、ガドカレクは人の話を全く聞いていない。俺やゾーイからの反論は全て黙殺され、発言すらなかったことにされてしまう。この思考すらかろうじて見逃されているだけのものだ。ガドカレクは機嫌良くわけのわからない戯言を並べ立て続ける。

「我々はこの世界の根本言理をこう名付けている。【幻想再帰システム】――未知という幻想を、来るべき終端を食らいつくし続ける自己消失オートマトン。消えていくのに既に存在してしまっている幻想」

(待って? あのさ、アキラくん。さっきから気になってたんだけど、このガドカレクってもしかすると――)

(おい、シナモリアキラ! 俺と代われ! さもなくばさっさと陛下をお助けしろこの役立たずが!)

 左腕からちびシューラとクレイの声。
 この二人には繰り返される再演で何度も力を借りたが、結局状況を打開することは出来ずに今に至る。何をやっても、どんな突飛な行動を試しても、結局この場所に辿り着いてしまう。

 ガドカレクは熱に浮かされたように喋り続けている。
 それを、ちびシューラがなにやら神妙な表情で見つめている――といっても、顔はこちらに向いたままなので、俺の視界を通じて見ているということだが。

「――世界の階層構造が不変のものでないのなら、従来の転生植民地主義体制は崩壊する。いずれこちらの世界独自の転生技術が発達すれば、今度はこちら側から向こう側に転生してくる者たちが現れるだろう。また、事実が明らかになればお前たちが下位だと思い込んでいる世界からも大量の転生移民が流れ込んでくるはずだ。因果応報だよ、先進世界気取りの発展途上世界。全ては双方向的なのだ。お前たちは転生という権力に溺れて死んでいけ」

 呪力の濁流が、俺たちを呑み込んでいく。
 闇が世界を埋め尽くし、再び再演の旅が最初から始められようとしていた。
 その直前、俺はちびシューラの声を耳にする。
 何かの確信を得た、その力強い言葉を。

(わかったよ。シューラたちが倒すべき敵が、どこにいるのか!)







 断片的なシーンがつなぎ合わされて、記憶が再構成されていく。
 秩序など何も無い、それは一瞬の走馬燈。
 とある力士が体験した敗北と蹉跌の歴史。

 ゾーイ・アキラは力士であると同時に企業人でもある。所属は、当初は強豪チームを抱える警備会社だったが、諸処の事情があり同じ系列の転生保険会社になっていた。転保てんぽ業に付きまとうリスクを解決する為、警備会社との合併、経営統合といった話も持ち上がっているようだが、そういった細かい事情まではゾーイには分からない。彼女は企業に所属するスポーツ選手――力士(スモーレスラー)として勝ち続けていればそれで良かった。プロ入りするまでのゾーイは実業団力士として活動していたのだ。今、かつての縁故を頼って古巣に戻って来ているのは彼女の本意ではない。何もかもが順調なはずだった。あの日、全てを失うまでは。そう、全て、敗北によって失われた。誇り、その証明。堂々たる大銀杏おおいちょう――すなわちまげ。全てを失った。面と向かって痛罵されたこともある。陰口は数え切れないほど。

 ――女力士だと? 血のケガレがある女人を神聖な場に立ち入らせるとは不届きな。所詮は相撲のなんたるかもわからぬ日本人ハポネサだろうが。

 ――紛い物には紛い物の名がお似合いだ。

 ――そら、あいつが『YOKOZUNA』だ。『YOKODSUNA』のパチモンだよ。

 ベビーフェイスがYOKODSUNAで、ヒールがYOKOZUNAと呼ばれる風潮を生み出したのは、間違い無くゾーイへのヘイトが関係している。しかしそれは興行側としては好都合だった。禿頭の悪役力士として、ゾーイ・アキラは憎まれ役を演じ続けた。それが人気に繋がり、同時に生活の糧となった。

 ああ、けれど、全てはあの敗北さえなければ。
 それは甘い誘惑だった。お互い、ガチでやってみたくないか。お前も俺も、力士を志した以上、最強の座を目指してここまできたはずだ。ブッカーの指示なんて適当に口裏合わせとけ。お互いの命を賭けよう。

 そう言って、そいつは魂を指し示した。ゾーイにも同じだけの掛け金を要求した。応じたのは、ゾーイが余りにも若すぎたせいだったろう。少女時代の全てを相撲に捧げてきた。思えば、力士を引退した後で『ごく普通の日常』や『少しだけ普通から外れた非日常』といった、若い頃に誰もが通り過ぎるようなフィクションに耽溺したのは失われた過去へのあこがれだったのかも知れない。代償行為としての読書だなんて、もっともらしい分析をしているゾーイに気付きつつ、それを指摘することのなかった相棒のことを、ゾーイは好ましく感じていた。

 ――マスカラ・コントラ・カベジュラだ。負けたらお前はその髷を剃り落とせ。俺はマスクを捨て、土俵を降りる。

 軽々しく言ったものだ。
 軽々しく受けたものだ。
 詳しく語るようなことは何も無い。
 ただ、その戦いは穢された。
 信頼していた整備士は買収されていた。機巧廻しが動作不良を起こしたのだ。テレポートすら失敗する。絶体絶命の危機。サイバネティクスによって強化された機巧力士の力を受け止めきれず、ゾーイはひどい負け方をした。名誉は傷つけられ、人気は大きく落ちた。

 再戦の申し出は、かつて敗北したあの男からのものだった。
 当時最強と呼ばれていた軍人崩れのバイオ力士を下したそいつは、下劣な蔑みを視線に乗せてゾーイに挑戦状を叩きつけた。最後のチャンスをくれてやる。雪辱を果たせばお前はもう一度這い上がれる。罠だと知りつつも、挑むしかなかった。

 高圧電流が流れる金網デスマッチという話は真っ赤な嘘。柵は爆破され、高所に設置された土俵の真下には灼熱の溶岩。そこはお互いの命を賭けた死闘の舞台だった。行司が発生させる超重力により、逃げ出すこと不可能。どちらかが死ぬまで続く、表には出ない地下試合。公然の秘密。

 激闘。機巧廻しの噴射口から爆発的な推進力が放出され、巨体と巨体ががっぷりと四つに組み合う。それは尋常な勝負だった。そこに嘘は無い。今度こそ、失われたものをゾーイは取り戻したのだ。思考のプログラムが稲妻のように脳を駆け巡り、それよりも遙かに早く肉体に刻み込まれた稽古という名のマクロが相手の廻しをとっていた。それはどこまでも当たり前の、上手投げだった。
 死の直前。圧縮された思考通信が、お互いの間を行き交った。

 ――何故。

 ――脳に腫瘍ができちまってよ。つってもインド人みてえにデジタルな脳にしちまうのは御免だ。俺は神を信じている。脳だけはナチュラルなままでいたいのさ。いざ死ぬとなったら、色々後悔ができてることに気付いた。お前と、今度こそガチでやるのもいいかもなって、そう思った。それだけさ。

 溶岩の中に落ちていく因縁の相手を見送りながら、ゾーイは土俵際に立ち尽くした。そして、彼女は力士を辞めた。元力士という経歴を生かして警備会社へ。そこから転保へ。流れに流れて、転生トラブルを解決する掃除屋に。ケイトと出会えたのは小さな僥倖であり大きなお世話だった。鬱陶しくも賑やかな相棒。

 敗残者の余生。
 そんな、ひどくだるくて眠い、どうしようもない道行き。
 ゾーイは怠惰に与えられた役割をなんとなくこなしていく。

 ――本当に、それでいいのか?

 この問いかけも、もう何度目になるのだろう。
 ガドカレクは誘惑する。甘い誘惑は罠だと、ゾーイは知っている。だが、彼女が勝負の誘惑から逃れられないということを、奴らもまた知っているのだ。

 ――勝負をしたまえ。対戦相手は用意しよう、外側を盛り上げて、試合内容も整えてやる。シナリオの出来映えは上々だ。コンセプトは黒衣の外世界人同士によるデスマッチ。どちらが偽物のアキラかを決定するのだよ。

 下らない誘惑。
 けれど、結局の所、自分にはそれしかない。
 どうしてこんなことをやっているのか?
 それは、まだ見ぬ強敵と巡り会いたい。ただそれだけの、単純な欲求が身体の奥底から湧き上がってくるからだ。
 視界の隅に、やれやれと肩を竦めるケイトが見えた。

 ――付き合わせて悪いね。 

 ――オーケー相棒。さっさと行こう、どうせろくでもない汚れ仕事だ。君が納得の行くようにやるといい。僕はそれを全力でサポートするだけさ。

 結局の所、二人にはそのくらいの軽さが性に合っているのだ。
 戦う理由に、大仰なものはいらない。
 軽やかに、重々しく一歩を踏み出す。
 それだけでいい。






「今度こそ、お前を突き崩す道が見えたぞ、【竜帝】。いいや、こう言うべきだな。ガドカレク=クエスドレム=グレンデルヒ」

 歪んだ愛に屈し、軋む道徳にすり潰され、狂える健康に翻弄され、忌まわしい地位から逃れ、獰猛な技能に敗れ、崇高なる尊敬に屈伏する。
 繰り返される再演の牢獄。もう何度目になるかもわからない対戦相手との対峙。
 ゲーム盤を挟んで、俺はその男と対面した。
 そう、対戦相手は最初から最後まで、ずっと変化していない。
 俺は今もなお、グレンデルヒと戦い続けている。

(つまりこういうこと。グレンデルヒは死を偽装したの。未来から持ってきたゲラティウス=グレンデルヒ=ゾーイをこのスキリシアで複製することによって。そして、あたかも自分が本当に【竜帝】ガドカレクであるかのようにふるまった。こちらを絶望させて意思を砕き、存在を完全に掌握するための罠だったというわけ。外世界人であるゾーイと協力したように見せていたのも振りだけ。実際には使い潰して、存在を乗っ取るつもりだったに違いないよ)

 ちびシューラによる冷静な状況分析。
 そう、どうしてその事に思い至らなかったのか。
 ここは過去であると同時に舞台の上。
 ならば、このガドカレクにも演じている役者がいるはずだ。
 それが名もなきヴィヴィ=イヴロスの使い魔か、それとも俺の知る役者の誰かなのかはちびシューラが『仕草』をデータベースに登録して照合することで判別した。口調や発言の抑揚、細かい癖、重心の位置、その他諸々の情報から、高い蓋然性でガドカレクはグレンデルヒでありゾーイである。

 俺の横で倒れているゾーイは、このゾーイよりも以前にこの場所に送られてきたのだとちびシューラは語る。この力士はこれからグレンデルヒに役として身体を乗っ取られ、ラフディでマラード王の物語に介入することになるのだ。

「確かにこの演劇世界ではお前は真の竜なのかもしれない。だが同時にただのグレンデルヒであり、ただのゾーイでしかないのも事実。より強大な存在を偽装しなければならない時点で、お前は自らが無謬の存在ではないと明言したに等しい」

 馬鹿な事を言っている。
 グレンデルヒに、ゾーイ・アキラに、俺が勝利できたことがあっただろうか。
 どちらも劣らず強敵だ。
 しかし、今の俺にはちびシューラがいる。
 呪術によって再現された幻のアプリ群がある。
 あと一つ。
 あと一つだけ、足りないものさえ揃えば、俺は決して負けることは無い。
 かつてキロンと再戦した時にも感じた、借り物の両腕への確信。

「愚かな」

 そう嘲るグレンデルヒから、俺は背を向けた。
 そこには、不安そうにこちらを見つめる少女の姿があった。
 大量の影に束縛された、蜂蜜色の髪の幼い子供。
 たった一人だけの異端のカーティスを演じる俺は、大量のマロゾロンド=カーティスに向かって走り出す。無謀な挑戦を、少女が止めようと口を開く。

(走れ! 道は俺が切り開く!)

 クレイが叫ぶ。
 左手が刃を模して一閃される。迫り来る無数の触手が切り裂かれていった。

(アキラくん。きっともうすぐだ。あっちでも、戦いが終わるよ)

 ちびシューラは、俺にはわからない強い繋がりで、そのことを知ることができた。辛抱強く俺に耐えるように言い続け、励ましてくれたのは援軍が来るという確信があったから。俺たちは、それを待てば良かった。

 俺は手を伸ばす。
 幻の右手を。
 少女の小さな手が、あちら側からも差し伸べられた。
 指先が微かに触れ合った瞬間。

「アツィルト」

 世界が、そして右腕が凍結した。







 死人の森の断章8-4 calling


 寒い。
 肺腑から吐き出した空気が外気に触れた端から凍り付いて行くのではないか。そんなことを思ってしまうほどその場所の気温は低かった。
 このままだと、凍えて死んでしまう。

 闇の中、去来したのは単純極まりない死の恐怖。
 縋るように求める。光を、熱を、何かの感触を。
 すると、彼方に光が見えた。
 現れたかすかな希望に縋り付く。そして、掴んだ。

 【知識】と【生存】という二つの輝きが、この世界の上下を隔てる壁を破壊して、勝利を掴む為に伸ばされた手に栄光をたぐり寄せる。
 そして。
 『私』は、悪夢から浮上する。

 受け入れがたいと私は恐れて、向こうの方も私を邪魔だと疎ましがって、それでも私たちは一つなのだと理解していたから、一つになっても迷い続けていた。
 お互いがお互いを排除しようと自分の内側で醜い争いを続けながら、これはきっと間違いなのだという確信だけは共有していたのだ。

 彼女は私を間違っていると言う。
 ありのままの苦しみだけが彼のほんとうなのだと否定する。
 けれど、彼が望む自らの在り方は、そうではないのだと私は反論した。
 あらゆる感情を凍らせて、心を静謐で満たすことが彼の望み。
 たとえその在り方が歪んでいても、それを受け入れると私は決めている。
 彼が、私の全てを信じて委ねてくれているのと同じように。
 なによりも、彼が望まないものは全て、私が受け止めて感じ続けているのだ。私がこうして本当の彼を奪い続けている限り、彼が望む今の在り方と、彼が恐れるありのままの姿とは並存できる。

 彼の苦しみはここにある。
 その苦しみを、その懊悩を愛するのなら、それは私が全て代わりに受け持とう。

 ――それでも私は、彼を独り占めにしたいのです。

 私たちは一人だ。ならそれは同じ事。
 あなたが望む本当の彼は、私の心の中に生きている。だからどうか、私と妹が望み、彼自身も望んでいる偽られた在り方を否定しないで。
 祈り、願い、叫び、果てしなく戦った。
 それは心の中の闘争。
 自己と対峙して、過去と向き合い、前世の宿業に抗い続ける転生者に課せられた宿命だった。

 停滞した状況を打開したのは、天から落ちてきた二冊の本。
 八冊目――私が前世の記憶を基にして書き記した冥道の幼姫の物語。
 ブラックボックスだった八冊目は、繰り返される再演の果てに永劫の牢獄に閉じ込められた私が九冊目を書き記し、これまで全ての世界を包括する上位の世界を構築するという世界構築の呪術だ。

 外部性である七冊目が言理の妖精として紀元槍に刻まれてしまった今、それと繋がった八冊の本もまた紀元槍と繋がった制御盤に他ならない。
 冥道の幼姫が遺した九冊の本とは、すなわち私が有する紀元槍の制御盤、雪華掌の分割体である九氷晶の翻案にして異説。
 神話類型的に、この二つは共通の位置にある。

 失われた【氷槍】を除いた八つを制御出来る私は、同様に八冊の死人の森の断章をはじめから再現することができた。どうにか書き上げることができたのは、妹に恥ずかしいと言われてしまったちょっと夢のような自己投影気味の小説や、ゲームをそのまま物語に直したような稚拙な書き物を続けて慣れていたからだろう。まだまだ自信があるとは言えないけれど、いつか大切な人たちに読んで貰いたいと強く思う。それは、生還への強い意思となった。

 仕掛けた布石が、時空と世界の上下という壁を乗り越えてこの閉塞した状況を打開していく。私は【知識】を。向き合う彼女は【生存】を手にして、相容れないながらも、折り合える妥協点を探り合った。
 誰よりも強く共感できる点が一つ。

 ――シナモリ・アキラを救い出す。

 そのためならば、私たちは一時的に共闘できる。
 合意が形成されれば、あとは足並みを揃えて戦いを始めるだけ。
 神と竜とを敵に回そうと、足が竦むことなどけして無い。
 そうだ。
 たとえ神であろうと、私の歩みを止める事などできはしない。

 私は神に挑む女王。
 私は竜を殺す魔女。
 気紛れな妖精の神に挑み、残酷な鋼の三角錐を下し、雄々しき深海の悪夢を従属させる、この身は姉妹きっての神殺し。
 その始まりは、罰を司る堕ちた巨人を貪り喰ったことなのだと、確かに記憶に刻まれている。ならば、まだ起きていないことであってもそれは可能なのだ。

 この身は、この世界のあるべき理を覆すためにある。
 生まれ落ち、死に落ちる。
 重力に引かれていく流星のように。
 明るく闇を照らして儚く燃え散る松明のように。
 巡る巡る生死の循環。回る回る燃焼の系。

 世界予報が本日の運命をお知らせします。不可逆に膨張を続けた果てに、三千世界は火竜の舌の上で燃え尽きることでしょう。
 決まり切って飽き飽きしている、それこそが竜の秩序。
 その先に待つ空白を神々は欲望している。世界の更新、新世界の秩序を。

 目の前の春は確かにまぶしいけれど、恐ろしくもある。けれど冬の眠気に耐えかねて、死んだように微睡むことだって尊いのだと信じている。それが醜くても、受け入れてくれると言ってくれた人がいるから。
 でも、ただの停滞は退屈だ。
 だから、私が望む新しい世界は、前へと進む春だけでもその場に留まり続ける冬だけでも駄目なのだと、そう思うのだ。

 冬は死。春は生。
 銀の森の魔女は冬の中、悠久の時を過ごし続けた。
 氷が溶け出して、春が来るときを恐れながら、待ち望みながら。
 世界の終わりを拒絶して、火竜を封じて世界を凍らせる。

 死人の森の女王は冥道の果てで、知らない誰かを待ち続けた。
 いつか誰かが、自分の――私たちの恐れを取り除いてくれることを期待し続けて。それが儚い夢想で、都合のいい夢物語だと知りながら。
 それでも、残酷な火竜の秩序を、何もかもが悲劇で終わってしまう世界の終わりを、定められた最果てを認めないと抗い続ける。

 私たちの決意はたったひとつ、ありふれた子供のわがままだ。
 女王だなんて我ながら滑稽極まりない。結局の所、私たちは世界を誤魔化しているだけの、小さく幼い箱庭のお姫様なのだとわかっている。

 あるべき死を拒絶し、この世に生まれ落ちた者と冥道より再生した者との境界を破壊しよう。燃えさかる白い時間流、生から死へと飛翔する火竜の翼翅を凍らせて、この世の果てに放逐してしまおう。今はまだ不完全でも、この冬の中で待ち続ければ、いつかは決して相容れない春と手を取り合うことだってできるはずだから。運命は春と冬が手を繋ぐことを許さないだろうけど、もしも誰かが間に入って両方の手を繋いでくれたのなら、不可能は可能になると、いつか私はそんな都合のいい予感を抱いたはずだ。

 足りないものが何か、私はずっと忘れていた。
 私の世界に映る、鏡写しの妹と。
 届かない手を繋がせてくれた、私たちの媒介者。

 ああ、だから私は、私を受け入れることができなかったのだ。邪視者であるにも関わらず、自らの世界を構築することが出来なかった本当の理由もまた、認めて受け入れる。彼はそれを約束してくれたのだ。

 全てを赦し、委ねてくれる。見えない繋がり、暖かな熱。喜び、苦しみ、悲しみ、戸惑い、怒りに愛情。全ての感情が凍れる牙を通じて伝わってくる。それこそが私たちを束縛する絶対遵守の呪いなのだと、私は遅まきながらようやく気付くことができた。この契約がある限り、私の道行きを阻む者など、もう何も無い。

「第二浄界――【コキュートス】」

 そして私は、目を見開いた。
 世界の全ては、この凍れる瞳の中にある。
 私たちは――俺は、世界を認識した。
 まずは高みから見下ろす視点。俺を含めたキャラクターたちが動き回るゲーム盤の世界。それから、俺というキャラクターの目を通して見た一人称の視点。より巨視的な状況を把握することも可能だが、今のところはそれは省いておき、二つの視点を切り替えながらプレイするのが妥当な所だ。蜂蜜色の少女を抱きしめて、黒衣の怪人たちを振り切っていく。凍結させた触手が一斉に砕け散った。俺/私の腕の中で、少女が柔らかく微笑んだ。光の粒子となって、俺を構成する幻の中に溶けていく。俺たちはひどく曖昧な存在で、だからこそ重なり合うことだって可能だ。

 続けて周囲から圧倒的な猛攻。息も吐かせぬ殺意の嵐。私は仮想のゲームパッドを瞬時に構築して両手の指を叩きつける。時すら置き去りにする連打連打連打連打、スティックが縦横無尽に動いてありとあらゆる攻撃を紙一重で回避。それ自体が踏み込みであり反撃の前動作だった。発勁用意。凍結の掌打が霊媒の一人を吹き飛ばし、手刀の一閃でカーティスの群れが薙ぎ払われる。

 俺はゲームというものがあまり得意では無い。前にコルセスカと一緒にやったときも足を引っ張ることが多かった。練習のし甲斐があっていいと思うけれど、ひとまずは私が主導権を握ることにしよう。俺は全てを委ねて、私が全てを受け入れる。クリアになっていく意思が一つの方向を向いた。私たちは、今ひとつだ。

 浄界とは、己の世界観を世界に押しつけて、思うとおりの世界を構築する邪視の奥義だ。それは天地を創造し、果ては人を生み出すという神の業に他ならない。
 このゼオーティアは、紀元槍の、そして槍神の浄界であり、スキリシアはマロゾロンドの浄界と言える。紀神と呼ばれる古き神は、そこに呪文や使い魔、杖といった呪術を組み合わせて自然や文明、人や社会などを構築する。ディティールに凝り出すと、最終的には四大系統全ての能力が必要とされる。それが世界創造という最高位の呪術。

 私に言わせれば、神とはゲームのプレイヤーで、人とはゲームの主人公だ。
 それは、役者と役の関係にも似ていた。
 役割を演じる遊戯ロールプレイングゲームという形になぞらえて、シナモリアキラという操作可能キャラクターをコルセスカというプレイヤーが神の視点から操り、同時に主人公と一体化してゲームの中に没入していく。

(陛下、よくご無事で)

(セスカ! 良かった! やっと会えたよ!)

 左腕の中で、喜びの声が上がる。 
 私たちは、氷の手でそっと左手に触れた。冷たかっただろうかと思って少しだけ後悔したけれど――そんな後悔は不要だ、俺とトリシューラはお前の冷たさに寄り添えるって、知っているだろう。境界の曖昧になった自分自身に言い聞かせた。心は冷えて、思考はこの上なく冴え渡っていた。ああ、今ならなんだってできそうだ。いいや、きっとできる。

(そうだよ! だって、セスカとシューラはアキラくんのご主人様だもの!)

 ちびシューラの力強い断言に、凍っているはずの胸に暖かなものを感じさせられた。彼女がいてくれることが、私たちにとっての救いだと思えた。
 お互いがお互いに、定められた制約の文言を口にする。打ち合わせるまでもない。前例は既にあり、俺とトリシューラでならできると実証済みだ。ならば私たちに出来ないはずがない。なにより俺は、今まで役として役者たちに演じられてきた曖昧な存在だ。ゆえにできる。確信よりも揺るぎない、それは知識だった。
 今までの再演の旅路は、この瞬間の為にあったのだと確信する。

(ヒエロス)――」

 私が願い。

「――(ガモス)

 俺が受け止める。
 そうして、コルセスカの浄界【コキュートス】が新しい秩序を創世する。
 氷血(コールドゲーム)のコルセスカ。凍り付いた生命ゲーム、絶対の裁定者による運命の停止。召命(コーリング)――霊媒であるアキラにとって、器たるこの身に降ろす神はプレイヤーであるコルセスカに他ならない。神に導かれ、アキラは自らの為すべきことを知る。【冬の魔女】、【擬人化の魔女】、【神話の魔女】。それらの名前に宿る呪力に重ねてあと三つ。【銀の森の魔女】、【死人の森の女王】、そして【冥道の幼姫】という名前がそこに連なり、六つの名が一つとなってアキラの中に入り込んでくる。

 二重憑依デュアルポゼッション
 俺がコルセスカを受け入れ、私は前世の記憶を受け止める。
 三重となった意思がシナモリアキラの内側で渦を巻き、それは螺旋状のエネルギーとなって前へと進んでいく。

「秩序を乱す不逞の輩――」

 構えを取るフィレクティ。その身に竜を宿した転生者の動きは、しかし私にとって欠伸が出るものだった。何故なら、その遙か先を私は既に見てしまっている。
 鎧袖一触。相手の掌打を軽くいなして腹部に一撃。両手を開くように前後に掌を叩きつける。地を這うような片足が前に滑り、身を低く屈んだ状態から相手の背後に回り込んでそのまま撓めた膝を伸ばしてタックル。相手の体勢を崩したところに背中へと双掌を放つ。前のめりに倒れたフィレクティは、自分が一瞬で敗北したことが信じられずに呆然とする。

「十年早いんですよっ!」

 うっかり勝手にアキラの口を借りて叫んでしまったが、まあいいだろう。実際はそれよりも遙かに時間を重ねなければ、ラズリ・ジャッフハリムの現在には届かないだろうけど。

「任せました、カッサリオ」

 続いて、セレクティが構えを取る。召喚の呪文。開かれた呪文円陣が扉となり、角と見紛うばかりの雄々しい門歯を持った四本脚のイッカクが出現する。
 こちらの胸元までしかない体高を見て俺は意外に思ったが、私は思い出す。王獣カッサリオは、この時代はまだ小さな幼獣なのだ。それでも超強力な邪視の衝撃波は侮れない。カッサリオの牙は、気圧や温度を感知する感覚器であり、砲身でもある。先端が轟音を響かせる。

 放たれた不可視の破壊を、右手の【氷腕】で停止させた。
 一瞬だけ拮抗するが、圧し負けて弾き飛ばされる。壁に叩きつけられて肺と腹腔から息を吐き出した。以前、私がカッサリオの衝撃波を止められなかったように、凍結停止の邪視ではカッサリオの破壊の確信は止められないのだ。

 続く第二波が発射されようとしたその時。
 その場に乱入する者がいた。
 乱舞する薔薇がカーティスたちを駆逐して、荒れ狂う巨人の幻肢が神々を吹き飛ばす。同じ次元の力とはいえ、それを使いこなして格上の存在を薙ぎ倒していくような怪物は俺の知る限り一人しかいない。

「来てやったぞ、カーティス! さあ決着の時だ!」

 吸血鬼の王を片端から叩き潰していくパーン・ガレニス・クロウサーは今日も出鱈目に高みから全てを睥睨する。神を見下ろすのが当たり前だと考えられるこの男は、超次元の存在が居並ぶこの場にあってさえ浮いていた。

「何をやっているミシャルヒ。お前の居場所はそこではないだろう」

 カーティスの傍で迷いを抱えた表情のまま、目を伏せる幽鬼レイスが一人。
 煮え切らない態度に、我慢するということを知らないパーンが言い放つ。

「ならば、その自由を縛る神を打ち倒し、お前を奪うだけだ。そこで待っていろ。今、お前が誰のものかを教えてやる」

「ふああああああああ」

 何故かフィレクティが白目を剥いて失神した。
 妹が何らかの攻撃を受けたと勘違いしたセレクティが、カッサリオに乱入者への攻撃を指示。衝撃波が空へと向かう。
 パーンは巨人の幻肢でそれを受けるが、絶対停止の力すら打ち破る破壊の渦は巨大な右腕を引き裂いていった。しかし。

「単調な」

 パーンは形の無い腕を柔らかく変化させて、カッサリオの邪視の軌道を逸らしていた。のみならず、独特な波動の歩法で瞬時に間合いを詰めると、邪視者の認識の死角に潜り込むという対邪視者戦闘の高等技法を駆使して奇襲を成功させる。側面から立て続けに波動を撃ち込まれたカッサリオが悲鳴を上げて吹き飛ばされた。

「は、力だけが取り柄のうすのろが。ベフォニスといい、俺の相手とするにはいささか役者が足りていないな」

 幼いカッサリオは目の端に涙を溜めながらも立ち上がり、愚直に突進をしてはあっけなくパーンに打ちのめされてしまう。耐久力が高いためにかろうじて生きてはいるが、このままでは命を落とすだろう。立て続けの失敗で弱気になったのか、後退したカッサリオが主人の指示を仰ごうとする。だが、主の視線は厳しい。 

「カッサリオ。わたくしは『任せた』と言ったはず。王獣を名乗るのであれば、その誇りを示しなさい」

 カッサリオはその言葉で奮起するが、単調に衝撃波を放って突撃を繰り返すことしかできない。幼い獣の、それが限界だった。セレクティは何故か幸せそうな表情で痙攣している妹と自らの使い魔を交互に見て、引き際だと判断したらしい。フィレクティを運ぶようにカッサリオに命じて撤退する。パーンもまたカーティスとの戦いに気を取られて追うようなことはしない。小さく唸るカッサリオに、セレクティが声をかける。

「悔しいですか。ならばそれをばねに更なる高みを目指しなさい。考える事を止めた時、貴方は意思無き機械人形に成り下がる。自ら決定し、自ら最善を模索する、賢明なしもべをわたくしは欲します」

 去っていくセレクティたち。そっかーあのカッサリオにも未熟な幼年時代があったんだなー美味しかったですごちそうさまでした。などと考えている場合ではなく、私たちは最後の敵と対峙する。結局の所、この戦いはそこに行き着くのだ。

「私は未来を幻視する。それが俺たちの見たい世界で、あるべき未来の形だ。私は六王を率いてヒュールサスを救い、俺はカインと話してくるよ。かつての私に対する答えはまだ出せませんけれど、現代を生きる者たちと折り合うことは、どうにかできそうですから。だから俺の、私たちの邪魔をするな」

 混ざり合う視座。混線する意思。重なり合う心が一つになって、揺らぐ声と姿が世界を幻惑していく。
 凍り付く右腕が、何よりも確かな重みで目の前の障害に叩きつけられる。

「発勁用意!」

「はっきよい!」

 同時に響き渡る声。
 迫り来る巨体に威圧されないよう、三人称の視点からアキラを操作する私は、幻のボタンに指先を添えた。
 対戦相手は地上きっての超人ゲーマー、グレンデルヒ・ライニンサル。
 使用キャラはゾーイ・アキラ。重量級パワータイプ。相性は最悪。
 それでも、私のアキラが最強だ。
 凍れる指先が神速で動く。刹那の読み合いを左右するのはキャラ性能ではなく、プレイヤーの技術と経験、そして才能。
 ここで、今までの私という全てが試される。
 心が震える。重なり合った感情は、一体誰のものなのか、それすらどうでもいい。ただ、目の前の相手を乗り越えたいという衝動がそこにある。
 勝利の栄光、それだけが欲しい。

 ――さあ、それでは私の舞台ゲームを始めよう。







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