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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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死人の森の断章2-2 冗長性ファントムペイン

 絶句。
 あまりの事態に、俺もクレイも、役者として動いているグラも言葉を失っていた。ちびシューラでさえ表情から余裕が消えている。

 不敵な表情を作るパーン――そしてそれを演じているグラッフィアカーネ。彼は自分の口が勝手に台詞を紡いでいるという事態に動揺して精神の均衡を失いかけていた。ラクルラールの蒼い糸がグラの精神を支配しようとするが、

「目障りな。これは髪の毛か?」

 眼鏡越しの威圧的な眼光と共に、その全てが吹き散らされた。
 グラのビークル犬の頭部が輪郭を失い、パーンのそれに取って代わられようとしている。役に飲み込まれようとしているのだ。余りに強大な存在が、時空を超えて役者の自我を消失させようとしていた。

 危険な状況だ。咄嗟に俺はグラの制御を奪った。グラに演じられている俺という役がパーンという役に支配されることで、俺はグラの緩衝材となったのだ。自由が奪われる感覚に怖気が走る。が、この場でビークル犬の少年を失うよりはマシだ。幸いなことに俺の感情制御はまだ生きている。精神が凍り付き、均衡を保とうとしているのがわかった。まだ俺はコルセスカと繋がっている。

『イェツィラー』

 どこからともなく響いてくる融血呪の詠唱。使い魔の呪力が青い流体を形成していき、無数の細い髪の毛となってパーンに殺到する。しかし。

「ほう、この力はこう使うのか――『イェツィラー』」

 操り糸となった髪の毛、数千にも及ぶ青い融血呪が、一瞬で吹き散らされる。
 パーンの詠唱によって生み出された、圧倒的な量の流体によって。それは量と流れの速さこそ比較にすらならないものの、紛れもなく呪力によって生み出された血液――融血呪だった。

「【血脈】と、ダウザールの奴は呼んでいたが――まさか同系統の術を未来人が使うとは。今日は随分と驚かされる」

 驚いているのはこちらも同じだ。パーンは融血呪を操りながらもそれを【血脈】と別の名で呼んでいる。無関係とは思えないが、一体どういう事なのだろうか。

 同じ青い流体であっても、その性質ははっきりと違う。
 『精密性』では【髪の毛】が上回り、『強度』と『量』では比較にならない程【血脈】の圧勝だった。そして、なによりもはっきりと差異を際立たせているのはその色彩である。空のようなセルリアンブルーの【髪の毛】とは違い、パーンの纏う【血脈】は明るい藍色なのだ。それはラクルラールの支配すら受け付けない無敵の護りとして機能していた。

「ふん、本家から奪えたのは力の四分の一ほどだったが、意外な所で役に立つものだ。というか、それはクロウサーの血統呪術に連なる業だな? もしや貴様ら、クロウサーの系譜に連なる者どもか?」

 首を捻ったパーンは自分で問いを否定して思案を始める。余人には理解の出来ない思考の流れが口の端から流れていく。

「いや違うな。似てはいるが質が異なる。俺が操っているのは血族という概念だが、この糸は教導――指南――技能――獲得形質? なるほど、こういうやり方が――ほほう? こうすればいいわけか?」

 パーンの操る滝のような藍色の流体が、恐ろしい事に細く繊細な流れに枝分かれしていく。寒気のするような事実だが、この男は初見の呪術を摸倣して我がものにしようとしているのだ。

 理解を絶した状況が続く中、凍り付く思考が相手の言葉を自動的に分析していく。パーンは融血呪を同じ融血呪で無効化した。つまり、この男もまたトライデントの使い魔という可能性がある。

 奇妙な話だった。パーン・ガレニス・クロウサーは過去の人物だ。その彼が当時からトライデントの使い魔だったということがあり得るのか?
 また、彼は今の強力な融血呪がクロウサー家に関係しているような事を言っていた。つまり、彼個人というよりもクロウサー家という血族そのものがトライデントに関係しているというケースが考えられる。

 文書の上での友人――そしてガロアンディアンの協力者であるリーナ・ゾラ・クロウサーのことを思い出す。
 彼女は呪文の座、つまりハルベルトやアズーリアの勢力に所属しているはずだ。
 そのクロウサーと、トライデントに繋がりがあるのではないかという疑惑。

 これは、あちら側に伝えるべきなのだろうか?
 状況はまだ不透明で、情報は断片的だ。
 予断は厳禁だが、かといって無視できるほど軽い事実ではない。
 この場合、リーナに伝えるべきか?
 それとも、他の人物――ハルベルトやアズーリアに伝えるべきなのだろうか。

(ん――アキラくん、それちょっと保留で。とりあえず、この状況が終わったら、ひとまずリールエルバと――あとメートリアンあたりと情報共有しておきたい。ハルベルトとは別に、ね)

 うん? と首を捻った。
 ハルベルトに伝えないという判断がよく分からなかったのだ。
 一時的な共闘だから、純粋な味方ではないというのはわかるのだが。どうもちびシューラは、ハルベルト勢力の中でもリールエルバとメートリアンの二人については別枠で考えているふしがあった。

(――にしても、信じられない。役が自律的に意思を持って叛逆してるの? ううん、これは違うかな。改変した過去から未来に逆干渉されてるんだ)

 ちびシューラによれば、現在俺たちが演じているパーン・ガレニス・クロウサーという男は『自分が演じられている』ということを過去の時点で察知して未来へ干渉しているらしい。極限まで研ぎ澄まされた自尊心と肥大化の果てに巨人の如き規模となった自意識が可能とする、超高位呪術師の本領だった。

「この俺を操ろうなどという身の程知らず、本来ならば万死に値する――が、偉大なる俺に挑もうという意気に免じ、機会を与えても――おい」

 パーンの言葉が不意に途切れる。
 眼鏡ごしに輝く瞳が威圧していたのは、俺たちだけではなかった。
 虫を踏み潰すように冷ややかに告げる。

「一つ、二つ――動くなと言ったぞ未来人ども」

 大気を穿孔して、不可視の腕が時空を駆け抜けていった。
 余りにも呆気なく、偉大なる古代人を操作しようとした身の程知らずの命が弾けて散った。未来から響く断末魔が過去の空に消えていく。俺たちを内包する左腕を掠めた幻肢が異なる時空に存在する何かを蹂躙していくのが確かに感じられた。

 ここでも、今でもない。どこかのいつかで――俺たちとは別口の過去干渉者が、術の行使に失敗して殺されたのだ。この再演の呪術が途方もない危険を伴ったものだという事実を、今更になって実感する。

 存在しない肌がちりつく。命を脅かされているという危機感に全身の感覚が冷えていく。今、目の前の男は『過去を改変する目的で自分を演じている未来の役者たち』を過去から手を伸ばして排除したのだ。こちらから触れられるということはあちらからも触れ返せる。理屈として言ってしまえばそれだけのことだが、実際にその状況に直面すると身体が凍り付くようだ。

(舐めるなっ)

 止める間も無く、クレイの手刀が閃く。
 肉体言語魔術による不可視の斬撃が飛んでいき、パーンの首に直撃。
 当然のように、傷一つ無い。

(馬鹿な――俺の天則剣が)

 愕然とするクレイが次の一撃を放とうとするのを俺は強引に止めた。
 危険過ぎる行為だった。先程の一幕を見てなお抵抗を続けようとするのならそれは無謀を通り越して愚かと言うしか無い。

(やめておけ、無駄なのは今のでわかっただろう! 普通の呪術じゃ通用しないんだよ、多分あの融血呪を上回る禁呪とかが必要な筈だ!)

(黙れ、素人が知ったような口を! 俺の天則剣は刑を執行する神罰の剣だ。野蛮な槍や棍のように、秩序無き暴力とは品格からして異なる。そこらの程度の低い呪術と一緒にしないでもらおう)

(刑を執行――ってことは、相手が無罪なら斬れないって理屈にならないか?)

 クレイが沈黙する。
 まあ俺とかロドウィに通用するのは間違いないだろうし、第五階層でなら割と普通に使える剣だと思うが、あんまり便利ではないな、それ。
 パーンは確かに恐るべき敵だが、状況だけ見れば未来から干渉してきて理不尽に運命を操作されそうになったから反撃したってだけだからな。この世界の法にもよるが、正当防衛が成立することも――いや過剰か?

「今の気配、ティーアードゥあたりの呪力か? 言っておくが無駄だ。偉大なる俺は降りかかる火の粉は自分で払える。法とは弱者が身を守る為にある呪術であり、俺のような強者は自力救済によって身を守れるのだよ。よって法と罰の権能ではこの俺を掌握することはできん」

 パーンの言葉は無法者のそれだったが、時代を考えれば理解の範疇だ。というか、つい最近までの第五階層がそういうルールで動いていたのだから俺に理解できるのは当然だった。権利を侵害されたら実力でどうにかする。盗まれたら盗み返し、殺されそうになったら殺し返す。法治国家においては原則的に禁じられていることだが、司法制度が不十分な社会ではこうした実力行使による自衛手段が認められていなければ悪党の跳梁を許すことになってしまう。

「俺の偉大さが理解できたか? 馬鹿でないのなら下らない足掻きはやめろ。無論、この俺に比べればあらゆる存在は愚かだがな」

 その尊大さが相応しいと思えるほどにパーンという男の実力は隔絶していた。キロンと相対した時にも感じた『本物』の空気。歴史に名を残すほどの男なのだから当然と言えば当然だが。

「貴様ら未来人がどのような心算つもりでこの俺に干渉してきたのか――まずはそれを話すがいい。要点を押さえて素早く説明しろ」

 相手はこちらと対話をしようとしている。これは考えようによってはチャンスだった。上手く説得できれば今までで一番効率的に再演が行える可能性がある。なにしろパーンにはラクルラールの支配が通用しない。グレンデルヒの妨害を無視するように言い含めておけばほぼ万全の態勢で過去を改変できる。

 ちびシューラが俺たちを代表して今までの経緯を簡単に説明した。未来でグレンデルヒに敗北したこと。その状況を覆すために、古の時代に生きた六王の力を借りようとしていること。グレンデルヒやラクルラールといった別の勢力も同じように六王の力を奪おうとしているらしいことも含めて、伝えるべきことは全て。

「なるほどなるほど。遠い未来で窮状に陥り、偉大なるこの俺の庇護を求めにきたというわけか――」

 パーンは得心したように数度頷いた。
 瞬間、眼鏡の奥で切れ長の目がすっと細くなる。

「――弱者というのは、常に度し難いな」

 声の温度が氷点下まで低下して、藍色の瞳に一瞬だけ苛立ちが宿る。
 俺たちに緊張が走るが、幸いパーンは即座に張り詰めた空気を弛緩させた。

「まあ良い。身の程を弁え、絶対的強者たるこの俺に縋り付くその浅ましさと小狡さに免じて許そう。惰弱な本家のクロウサーどものような『群れる弱者ども』に比べればいくらかマシと言えるからな」

 パーンの言動にちびシューラとクレイが爆発しそうになっているのをどうにかなだめすかして、俺は適当に調子を合わせておく。相手の性格は割とわかりやすい。

「良かろう、貴様らの事情はおおむね理解した。協力してやろうではないか――その代わり、俺の要求を呑んで貰う」

 ――来た。
 問題はここからだ。この傲岸不遜な男が、どのような要求を突きつけてくるのか。場合によってはここから拗れる可能性がある。
 俺は、パーンという男についての知識を頭から引っ張り出した。

 聞いた話によると、パーン・ガレニス・クロウサーはクロウサー家という巨大な血族の在り方に反発した男らしい。彼は血族の長であることを示す【空使い】の称号を勝手に名乗り、当時のクロウサー家当主であったダウザールに追放されて各地を彷徨ったのだという。

 当時からクロウサー家は人類社会において絶大な権力を有していた。クロウサー家から追放されたパーンは平和喪失アハト刑を受けた生ける死体(リビングデッド)――つまり異獣として排斥された。

 しかしパーンはそのような状況を良しとしなかったという。
 彼を排斥する社会秩序そのものを、自ら定める秩序の外側と位置付け、今まで身を置いてきた社会全てを『法の外』に置いたのである。
 たった一人、『我こそは王にして国土』であると規定し、建国を行った男。
 それは事実上、クロウサーが統べる世界全てを敵に回すということだった。

 クロウサーに刃向かった男は、当然のように敗北し、【僣主】や【盗賊王】といった不名誉な蔑称を付けられて歴史の中に消えていったと言われている。クロウサー家で最も有力だった四つの血族の一つ、ガレニスの血族は当主パーンの叛逆の咎により断絶の運びとなった。

 パーンの評価はせいぜいこんな所だ。クロウサーに刃向かい敗れた愚か者であり、自ら王を自称して好き勝手に振る舞った盗賊崩れ。しかし判官贔屓というやつなのか、フィクションなどでは奇妙なほどに人気があるとか。コルセスカとやったゲームでも、やたら優遇されていたようが覚えがある。あとこいつが何かするたびにコルセスカが「可愛い」を連呼するのが理解不能だった。

 フィクションでは『腐った権力者を叩き潰す悪漢』として描かれる彼が、実際にはどのような男だったのか。
 そして、クロウサー家への叛逆の意思が消えていない場合、あるケースが考えられる。それはつまり――。

「俺はこれから転生の術を習得するつもりだ。未来で蘇った後、貴様らの力になってやっても良いだろう。その後で、俺がクロウサーを打倒し【空使い】となるのに協力するならば、という条件付きでな」

 まずリーナ・ゾラ・クロウサーの事が頭に浮かび、俺は拒絶の言葉を口にしようとして、息を吸い込んだ。
 声が口の中で静止した。駄目だ。迂闊な発言は身を滅ぼす。
 リーナは裏切れないが、今のところ選択肢が無いのも事実。だが安易な嘘をこの男に対して吐くのは危険過ぎるような気がする。どうするべきかと視線をちびシューラに向けると、彼女は一瞬だけ目を伏せて、決然と答えを口にした。

(断る。クロウサーはシューラのガロアンディアンにとって最も重要な同盟相手。失えばシューラたちは一緒に破滅する。たとえ勝利しても、その後が続かないのなら貴方の協力を得る意味は無くなる)

 あくまでも合理的に、ちびシューラは裏切りを拒絶した。
 地上との架け橋であるクロウサー家との繋がりが途切れれば、ガロアンディアンはすぐにでも破綻するだろう。目先の勝利を取ってその先の破滅を確定させても仕方が無いのだ。

 パーンはその答えを聞いても表情を変えなかった。「なるほどな」と小さく呟いて、即座に要求の中身を修正してくる。ぞっとするほど完璧に。

「では、俺がクロウサー家を掌握した後に貴様らへの支援を確約すれば問題は無いわけだ。それとも未来のクロウサー家当主と個人的な繋がりでもあるのか? ならばこうするのはどうだ。俺はその当主を殺さずに地位を簒奪する――正々堂々たる決闘によって。武力、知力、呪力の競い合いにて雌雄を決し、【空使い】に相応しいのがどちらなのかをはっきりとさせる。それで未来の当主が勝てば貴様らにとっては問題が無いし、俺が勝てばそれは貴様らにとってもクロウサー家にとっても正しいことであろう。無能が長であっていいなどという道理があるはずもない」

 同盟者を裏切れと言われている筈なのに、思わず頷かされそうになるほどパーンの論理には隙が無かった。決闘と過去の人間らしい物言いをしてはいるが、恐らくこの男は現代の法に適応できるだろう。それだけの理性と知力がパーンにはある。そしてその上で、厳正なる競争によって能力を示してクロウサー家当主を追い落とすという自信があるのだ。パーンは無法者だが、彼は法を知った上で無視している。それは必要なら法を遵守することもできるということでもある。

「ああ、殺さぬだけでは不服か? では俺が勝利した後、そいつに適切な地位を与えてやっても良いぞ。そうだな、貴様らの王国――ガロアンディアンと言ったか。その渉外を担当させるのが収まりが良いのではないか? 貴様らとしても連携が密に取れるようになってやりやすくなるだろう。その未来の当主にとっても、己の器量に見合った地位に収まるのが分相応というものだ。誰もが納得する妙案ではないか。どうだ、これでも俺の要求を拒絶するのか?」

 むしろ、それが俺たちに利する可能性があることに気付いて愕然とする。呪文の座勢力を弱体化させつつ、クロウサー家の協力は引き続き得ることができるからだ。案の定、ちびシューラはパーンの申し出を受け入れた。相手の大幅な譲歩を引き出したのだ、ここで手を打っておくしか無いというのはわかる。

 俺も現時点ではこれしか道が無いのだと理解している。
 だが――取り返しのつかない事をしてしまったという罪悪感が消えない。
 棘となって心を苛むのは、恩人を裏切ったという意識だ。
 リーナは殺さないとパーンは言った。しかし、それによって何も失わないわけではない。俺の恩人は俺のせいで何か大切なものを失うことになるかもしれない。

 寒い――際限なく心が冷え切っていく。
 失ったのは、協力者の信頼という、途方もなく大きなもの。
 得たものと失ったもの。価値の総量は差し引きで幾らになった?
 果たしてこの取引、俺たちにとって有益なものだったのだろうか。

 俺たちの選択は裁かれることの無いまま、未来へと持ち越される。
 罪科の重さが明らかになる事は無い。
 今はまだ。


 月光に照らされて、荒れた山道が続いている。無味乾燥な裸の針葉樹が寒々とした風に揺れて、枝が擦れる音が辺りに響く。音と呼べるのはせいぜいそれくらいで、虫や鳥の鳴き声は皆無と言って良かった。不気味な静けさが辺りに立ちこめる中、夜道を行く集団がある。三人の大人と、一人の少女という奇妙な取り合わせだ。その中の一人、奴隷の少女フェロニアは両手を温めようと息を吐きかけた。

 息の白さに僅かな愉しさを感じたが、そんなものは吹けば飛ぶような儚い慰めに過ぎなかった。夜の風が剥き出しの肌をしたたかに打ち据えていく。薄い衣の内側で、痩せ細った身体が震えた。肉を裂くかのような寒さに震えるのは少女ひとりだけだ。奴隷の惨めさに、フェロニアは俯いた。

 小さな身体を厚手の布が包む。
 背後から外套を被せてくれたのは、先程から少女に気を遣って歩調を合わせてくれる一人の男――というよりも、地に足を着けて歩いているのは少女とその男だけだった。後の二人は浮遊している。疲労も、山道を行くつらさも、けっして共有できはしない。

「あの、ありがとうございます」

「気にすることは無いさ、可愛いお嬢さん」

 フェロニアは目を白黒させた。
 そんな事を言われたのは生まれて初めてだったし、そんな事を言う人を見たのも生まれて初めてだったからだ。

 長く艶やかな黒髪を背中に流した男は、喩えようもないほどに美しく見えた。
 容姿もそうなのだが、その佇まいや表情といった雰囲気が洗練されている。奴隷に身をやつして長いフェロニアには、彼の振るまいが眩しかった。頬を朱に染めて俯いてしまう。

 と、そんな彼女の鼻に何かが触れた。
 馥郁たる香りがふわりと広がると、フェロニアの硬く強張った心も穏やかになっていく。見れば、鮮やかな大花香月季(ロサ・ギガンティア)が一輪、彼女の目の前に差し出されている。

「美しい女性に沈んだ表情は似合わない――君は笑うべきだ。この薔薇のように」

 自然と、大輪の花を受け取ってしまうフェロニア。歯の浮くような台詞だが、耳の奥まで響くバリトンで囁かれれば気にもならない――それに、穏やかに微笑む男にそうした言動は良く似合っていた。気障ったらしさよりも自然な人の良さが感じられる――カーインと名乗ったパーンの仲間は、そんな男だ。

「貴方は、いいひとですね。ミシャルヒもですが、どうして彼と行動を共にしているのです?」

 フェロニアは疑問を口にした。前を歩く――というか浮遊して進むパーン・ガレニス・クロウサーは有り体に言って奇人変人の類である。積極的に関わり合いになろうとする者がそういるとは考えにくい。何か事情があるのだろうとフェロニアは考えたのである。
 カーインはしかし、少女の予想を裏切る答えを返してきた。

「そうだな。ミシャルヒは契約を結んでいるからだけれど、私に限って言えば単純な話――面白いからさ。パーンという男を見ていたいという、何と言うことの無い道楽といったところだね。それともう一つ目的はあるが、達成はかなり先の話になるだろう」

 フェロニアにはこの三人の関係性がよく分からなかった。自分が関われない所に、彼らの繋がりがあるのだ。
 その事実に一抹の寂しさを感じながらも、フェロニアは小さな身体で必死にパーン立ちに付いていくことしかできない。それが、己の身を全て誰かに託した者にできる唯一の身の処し方なのだ。

「――そろそろだな」

 不意にパーンが立ち止まり、そんなことを言った。
 藍色の眼光は鋭く、闇に包まれた周囲を高みから睥睨している。

「あの、そろそろ教えていただけませんか。どうして私たち、こんな所に来たんですか? 危なくないでしょうか?」

 フェロニアが疑問の声を上げた。
 少女は、どうして自分がこんな所にいるのかがわかっていない。それどころか、黙々とパーンに付き従うミシャルヒも、フェロニアと並んで歩くカーインも唐突に「ガラドリアの山に行く」と言い出したパーンに目的を訊ねたことは無い。

 一行がこのような山道を進んでいる理由を、パーンだけが知っていた。
 説明は一切無く、自分の中だけで意思が完結し、閉じている男なのだ。周囲の者たちが黙って付いてくることは彼にとって当たり前のことだった。
 パーンは少女を一瞥し、素っ気なく答えた。

「山賊退治だ」 

 目を丸くしたのはフェロニアだけではない。
 付き合いの長い二人も、この男にしては殊勝な、そして善行の部類に入る目的に、驚愕していた。

「何だその反応は――言っておくが、個人的な目的を果たすだけだ。街で風の噂(エーラマーン)が囁いているのが耳に入ってな。この山には最近になって岩肌種(トロル)どもが住み着き、旅人や行商人を襲っているらしい」

「それで、わざわざ退治しに行こうというのか? お前が?」

 ミシャルヒが不思議そうに問うと、パーンは存在しない右腕で虚空を指差して得意げに言い放った。

「この山に巣くっている賊の頭領はな、不遜にも山賊の分際で王を名乗り、その類い稀な力で北方に覇を唱えることになる。そして、ジャッフハリムに接近し呪祖レストロオセの右腕となるのだ」

「は?」

「――いいから黙って聞け。俺は最強を証明し、真なる【空使い】に至らねばならん。だが仇敵ダウザールは既に無く、俺は目的を見失った。そこでだ。俺は世界中の強者に片っ端から挑んでいく事に決めた。特に俺を差し置いて王などと名乗っている気にくわない連中は全てその座から引きずり下ろす」

「落ち着けパーン。お前が何を言っているのかわからん」

「黙れ納得しろそしてこの崇高なる野望、すなわち世界征服という覇道を邁進する俺の雄志を目に焼き付けるがいい!」

 ミシャルヒは処置無しという表情になり、それから人差し指で自分の頭を三度叩いた。フェロニアはその動作の意味を知らなかったが、何となく理解できてしまってそっと目を伏せた。これ以上パーンを見続けるのが辛かったのだ。
 しかし、ただ一人そんな狂気を褒め称える者がいた。もしかすると、狂人は惹かれ合い、一所に集まるものなのかもしれないとフェロニアは思った。

「流石は我が盟友にして生涯の宿敵。キミはどこまでも私を楽しませてくれるな、パーン。いいだろう、付き合おうじゃないか。それに私の知らないところで勝手に死なれては困る。頂に立ったパーン・ガレニス・クロウサーを倒し、私が最強を証明する。それが私の目的なのだから」

 カーインがどこからか取り出した薔薇を手にしながら言った。綺麗に片目だけを瞑っていて、あれはどうやるのだろうとフェロニアは試してみたが、両目が同時に閉じてしまう。格好いいので今度やり方を教えて貰おうと少女は決意した。
 親しげにパーンに歩み寄っていくカーイン。だが、パーンは白けたように僅かに後退して、それからぽつりと呟く。

「お前それ誰にでも同じこと言ってるんじゃ無いだろうな」

「なっ」

 カーインの手から薔薇が落ちる。
 パーンもカーインも、どうも口調と態度が妙だなとフェロニアは感じた。空気が凍り付いたまま、パーンが言葉を重ねていく。

「その『お前は私が倒すのでそれまで他の奴にやられてしまっては困る』みたいなアレだよ。どうなんだおい」

「待て。今はそんなことはどうでもいいだろう」

 眼鏡越しにじとりと湿っぽい視線を送るパーンは、不意に鋭い眼光を取り戻して更に続けた。威圧感の質が違う。まるで別人が喋っているようだと、フェロニアは妙な事を思った。

「――お前はいつまでも変わらないのだな、カーインよ。大根役者ぶりに磨きがかかっているような気がするが――いずれにせよ滑稽だ。良い道化だよ本当に」

 カーインの表情が硬く強張る。
 眼鏡の奥に浮かんでいたのは、嘲りの色だ。
 藍色の眼光は鋭く、相手の表面に留まらずその奥にある全てを詳らかにしていくかのよう。槍のようだと、フェロニアは感じて恐ろしくなる。

「恐らくお前は何を演じてもそうなることだろう。せいぜい戯れ言で場を沸かせるがいいさ。踊るだけ踊って無様を晒すしか能が無いのだからな」

 酷薄な口調に、カーインがパーンに向けたような柔らかさはない。そもそも、この男にそのようなものがあるのだろうかとフェロニアは疑問に思う。自分を救い出したのも、ただの気紛れでしかないのではないか。パーンの本質とは、高みから自分とは大きさが異なる虫を眺める残酷な子供にも似た何かなのでは。

 我知らず震えていたフェロニアは、パーンの恐ろしさに気を取られて周囲の様子が変化していることに気付くのが遅れた。
 他の三人の雰囲気が一変していた。触れれば斬れる刃の如き苛烈な意思が心身に充溢し、それぞれが達人としての本性を顕していく。他愛ない雑談の時間は終わったのだ。

 四人は包囲されていた。
 暗がりの中から一人、二人と大柄な体躯がのっそりと出現する。
 険呑な雰囲気に、不穏な笑い声。明確な悪意を向けられていることを知り、フェロニアはこの男たちこそが話に出てきた山賊なのだと理解した。

 次々と現れては数を増していく大男たちは、一体どこに隠れていたのかと不思議になるほどだ。フェロニアはそこで男たちの肌色に注目する。灰色の肌はあたかも岩石のそれであり、そこら中に落ちている大きな石と遠目には区別がつかない。保護色のように、岩と同化して待ち伏せしていたのだろう。灰色の腰巻きの他には何も身につけていないようで、冬の空気はひどく堪えたはずだ。山賊稼業にも苦労があるのだと、フェロニアはその心情を想像してしまい、少しだけ涙ぐんだ。

「おうおう、この道を通るのに通行料が必――」

 肩いからせて、がに股で近付いてくるという威圧的な振る舞いと共に何かを言おうとした山賊の一人が、頭部から脳漿を撒き散らして即死した。パーンが不可視の右腕で打撃したのだと、生まれつき霊感の強いフェロニアは即座に理解することができた。パーンはいついかなる時でも他人の話を無視するのが信条らしい。

「ご託はいい。死ね」

「よくも兄貴を! てめえら、やっちまえー!」

 乱闘が始まった。
 パーンは微動だにせず、存在しないはずの幻肢のみを振るって、山賊たちの鎧のように硬い肌を易々と引き裂いていった。多勢に無勢にも関わらず、圧倒的な実力差に山賊たちは恐れおののく。他の相手ならば与し易かろうとミシャルヒに拳や棍棒、槍を突き入れた山賊たちが次々に口から血を吹き出して絶命していく。

「残念だが、そこに私はいない」

 槍の穂先がミシャルヒの肉体を貫いたと思われた瞬間、その姿は霞のようにかき消えてしまう。無数の残像を残しながら緩慢な動きで賊を翻弄するミシャルヒは、まるで夢か幻のようだった。

「私の実像を追う者は私を見失い、私の影を追う者はこの触掌の餌食となる。お前たちが見ているのは残像に過ぎない。特殊な歩法による幻惑――と言うとありきたりだがな」

 歩法? とフェロニアは地に接触していないミシャルヒの足を見て首を傾げた。
 曖昧な幻となって無数の分身を作り出す黒衣の影が、一斉に掌底を突きだした。異様なことに、それぞれの残像が全く違った動作で、全く同時に打撃を放っている。残像というのは嘘なんじゃないかと少女は思った。

「絶招・夢幻泡影」

 無数の掌打が山賊たちの肌を透過して魂魄に直接打撃を与えていく。目、鼻、口、耳、ありとあらゆる穴から血を吹き出して男たちが倒れていった。あれだけ沢山いた山賊たちの数はあっというまに片手で数えられるほどに減じてしまった。生き残った一人が怯えながら後退る。

「こ、こいつらやべえぞ! お頭に知らせねえと!」 

 駆け出した山賊の足に、細長い何かが絡みつく。無数の茨を備えた、それは植物の蔦のようだった。
 いつの間にかカーインの手の内に現れていた蔦――否、茨の鞭。
 彼はそれを巧みに操って標的を捕縛してみせたのだった。

「逃がさない」

 呟きと共に、奇術イリュージョンさながらにもう片方の手に薔薇が現れ、赤、白、黄と色とりどりの花が放り上げられる。カーインがぱちりと指を弾くと、音に呼応したかのように薔薇が散った。

「醜く弱いのならば、せめて死に花だけは美しくしてあげよう」

 カーインの瞳が妖しく輝く。
 美貌の魔人が捕らえた一人を除いて、生き残っていた山賊たちが残らず内側から血肉を飛散させていった。白色の骨と赤色の血肉を咲かせた奇怪な静物が大地に咲き誇る。吐き気を催すような光景であるはずなのに、漂う血の臭いは芳しい薔薇の香りであり、凄惨な光景は目に優しいピンク色の内臓で緩和され、フェロニアは血塗られた芸術をただ美しいと感じてしまった。達人の絶技は、脳を砕きながらも剥き出しの心臓だけを動かし続けている。あの生きた肉の花は魂を失いながらも未だ命を宿しているのだと知れた。さながら、植物の如く。

 ただ一人の生き残りが失禁し、這いずって逃げ出そうとする。その足に茨が食い込み、苦痛によって行動を制限した。赦しを請う賊を見下ろしながら、カーインが優しく口を開いた。

「安心したまえ、殺しはしない。キミには道案内を頼むつもりだからね」

 嘘だとフェロニアは確信したが、口にはしなかった。
 賊は示された唯一の道に縋り付き、山賊の頭領の下へ案内すると約束した。その首に棘だらけの鞭が巻き付いていき、カーインは視線で先に行けと促す。涙と鼻水を流しながら山賊は立ち上がった。

 フェロニアは拍子抜けして肩を撫で下ろした。山賊退治などという荒っぽい用事にわけも分からず連れて行かれて、一時はどうなるのだろうと不安に感じたのだが、三人がここまで圧倒的な強さを誇るのならば安全に違いないと思ったのだ。そうやって気を緩めた彼女を責めることはできまい。どのみち、この直後に起きた出来事は気を張っていようが回避不能だったのだから。

 荒れた山道が揺れた。まず大地に足を着けている者たちが体勢を崩し、不穏な気配を感じ取ったパーンとミシャルヒが身構える。直後、大地が大量の土砂を吹き上げながら破裂した。不可視の力が激流となって下から上へと突き上げていく。間欠泉もかくやという凄まじい勢いに、その場にいる全員の動きが停止する。

 一瞬の停滞。その間に、二つの事が同時に起きた。
 まず捕縛されていた山賊が全方位から目に見えない圧力を加えられて握りつぶされた。フェロニアは、衝撃で浮き上がりながらも不可視の手が伸びてきて男を一掴みにした所を確かに見た。それはパーンと同じ、幻肢に他ならない。ただし、その大きさは桁違いだったが。

 更に、その腕は驚くほどの速度でフェロニアに殺到すると、少女の身体を包み込んだ。死の恐怖に震えるが、幻の巨腕は意外にも繊細な手付きで彼女を包み込み、地の底へと攫おうとする。

「貴様、それは俺のものだっ」

 パーンが叫びながら右の幻肢を伸ばす。どこまでも飛んでいく魂の身体が、裂帛の気合いを架空の掌から解き放った。
 眼鏡の奥の目が愕然と見開かれた。
 山賊たちを容易く蹂躙してみせたパーンの一撃を、巨大な腕は意にも介していない。同じ系統の力を使うからこそ、歴然とした差が浮き彫りとなる。
 パーンは忌々しげに舌打ちをした。

「ちっ、出力不足――やはり【ガレニス】無しでは生命(オルゴン)エネルギーの伝導が不充分かっ」

 巨大な幻肢はフェロニアを包み込んだまま地の底へと引き摺り込んでいく。
 少女は怖れから口を開こうとするが、パーンの凶相を見て喉の奥で叫びを押し留めてしまう。怯えは、パーンという男にも向けられている。周囲に翻弄される奴隷の少女にとって、助けを求めるべき相手などどこにもいないのだ。

 闇の中に消えていく少女。月光の下に取り残される男。
 助けを求める声を飲み込んだ少女を見たパーンの表情が、一瞬だけ歪んだ。
 怒りではない。他の何かの感情によって。
 フェロニアは、どうしてか胸が痛むのを感じた。心に刺さった、小さな棘。
 暗闇の奥へと攫われていく途中、少女は驚くほどの幼さをパーンの表情に見たのだった。それが、どうしようもなく気になった。



 取り残された三人は、巨大な穴の中を覗き込む。
 大人が数人、屈まずとも入り込めるほどの大きさだ。尋常ではない。

「巨人の腕、か?」

 パーンは眉根を寄せながら呟く。
 山中には蟻塚のような洞窟が広がっているらしい。それが暗闇を友とする山賊たちの習性だと知っていたが、相手の懐に飛び込むのは余りにも危険だった。
 奴隷の少女を殺さずに攫ったのは、明らかに誘いだった。
 眼鏡の男は不敵に笑った。

「面白い、受けて立とう――カーイン、箒を出せ」

 カーインが指を鳴らすと、どこからともなく金箒花が出現して、滑らかに形状を変化させていく。出所の不明な細く丈夫な枝を軸にして、金色の箒が完成する。
 放り投げられたそれを受け取ったパーンは、背後の二人に目をやることもせずに足下の大穴を覗き込んで言った。

「貴様らは後から着いてこい。俺は先に行っているぞ」

「好きにしろ」

「私のぶんも残しておいてくれよ」

 心配も激励も無しという、他愛のない返事。
 パーンは薄く笑い、箒を手放した。
 地面に触れる直前、ふわりと浮き上がった箒の上に、パーンは両足を乗せる。
 右半身を前に出して、さながら大海の荒波を細長いボードで乗りこなす海の民のように、情報の大波を平坦なボードで渉猟する耳長の民のように。

「言理飛翔――標準加速」

 金色の花が光の粒子を放出していき、凄まじい風が吹き荒れた。
 パーンはその吹きすさぶ風に乗り、闇の中に突入していく。
 音を置き去りにして穴の奥に消えていったパーンを見送って、カーインが呟く。

「やれやれ、狭い通路に高速の箒で乗り込むとは、相変わらずの命知らずだ」

「馬鹿なだけだろう。往くぞカーイン。放っておくとどうせまた碌でもない事をしでかす。後始末が面倒だ」

 愚痴をこぼしながらも、二人はどこか楽しそうに命知らずの後を追う。
 動くものが全て闇の中に消えた後、月下に残ったのは屍の群れだけ。
 どこかから鳥たちが舞い降りて、屍肉を啄んでいくと、あっという間にその場は綺麗に整えられた。後には、静寂が佇むのみ。




 史実では、パーンは野望の半ばで命を落とす。
 ジャッフハリムを支配する邪悪なる呪祖レストロオセとの戦いで、当時の中原諸国は連帯し、それぞれの国から選りすぐりに勇士を送り出した。奸婦討伐を期した四十人の勇士の中にミシャルヒとカーインの名が含まれていたのは、彼らが主君をレストロオセの奸計によって失ったからだと言われている。

 罠に掛けられ、冥府の底に沈められたパーンは、押し寄せる狂怖(ホラー)の群を薙ぎ倒しながら死の国へと旅立った。
 戦いながら死んだ男という苛烈な伝説は今でも戦士たちの間で語りぐさとなり、そのような死に様こそが理想であるとして一部で尊敬を集めているという。

 攫われたヒロインを助けに行く英雄好漢、というキャラクターではけしてない。だが、ただの戦闘狂というわけでもないのではないか。
 俺はグラを通じて彼を演じるうちに、そんなことを思い始めていた。

 台本の指定ではパーンは冷酷で残忍な言動を繰り返し、人を人とも思わないような仕打ちでフェロニアを傷つける。
 パーン当人が面倒だと言って省略された幾つかのシーンでは、彼の傲慢な振る舞いで苦しむ奴隷の少女という一幕があった。

 わかりやすい男のはずだ。
 それなのに、何故こんなにも俺はひっかかりを感じているのだろう。
 片腕の欠落に義肢、それと恐らくは、カインが名付けてくれた【鎧の腕】という異名の参照元。そういった要素が、俺の興味をかき立てているのだろうか。

 再演を通じた過去への干渉は続く。
 戦いはまだ始まったばかりで、先行きはまだ定かではない。
 この自分勝手な役が、俺をどう振り回してくるのか想像もつかないのだ。
 演劇世界が迫真性をともなって俺の見る景色を塗り替えていく。目の前に広がる途方もない暗闇に、左腕がかすかに震えた。心の冷たさは、怯えが凍っている証明なのだろうか。

 俺の口が開いて、アドリブの哄笑が響いていく。
 自分の役者としての演技が役に引き摺られているという事実に愕然としつつ、俺は必死に架空の台本を振りかざして役の暴走を抑え込もうとする。全ては焼け石に水だ。パーンは余りにも自由だ。俺では役者が不足しているのだと、技量の無さを痛感させられてしまう。

 歯痒かった。グレンデルヒにも、この男にも勝つことの出来ない、力の無さが。強さが欲しい。借り物でも付け焼き刃でもいいから、今すぐに全ての困難を取り除くことができる圧倒的な力が。

「気が合うな、未来人」

 不意に、小さくパーンが独白した。それは劇中にあってはならない呟きである。

「俺はな、勝てない相手に勝つためには力を外付けするのが最適解だと考えている――奴の巨大な幻肢は俺のそれを上回る。ならばどうするか。答えは一つだ。俺自身の力で敵わないのなら俺以外の力を利用するまで」

 この男は、紛れもなく杖の呪術師なのだろう。
 闘志を燃やしながらも、理性は冷たく働いて最善の手を模索し続けている。
 パーンは子供が怯えるような歪んだ笑みを浮かべた。
 眼鏡では隠しきれない凶相のまま、隻腕の魔人は無茶な提案を口にした。

「よって、俺は禁じ手であっても躊躇わず使い倒す。未来人、貴様ら少し知識を寄越せ。この時代には有り得ぬ力で奴を倒し、そして」

 一瞬だけ言い淀む。

「あの女を取り戻す。奪われた財産は実力で奪い返す。それが力ある者の正しき振る舞いというものだ」

 正規の司法手続きや占有権の存在を嘲笑うように、自力救済を謳うパーン。一応、奪われた直後に追跡して奪い返すのは俺の常識に照らし合わせても合法なのだが、そんな所でアウトローっぽく振る舞われても困る。
 というか、普通に考えれば、臆面もなく未来の知識を活用するなどと言う方がよほど躊躇われるような気もするのだが、やはりこの男はどこかがずれている。

 こちらの回答を待たず、パーンは時空を超えてこちらの左腕から大量の知識を奪っていく。コルセスカが得意とする【生命吸収】の呪術を応用したものだと、慣れた感覚で分かった。吸引に巻き込まれないようにデフォルメされた小さな身体を退避させる。腕の隅に行くと、ちびシューラがなにやらうずくまってぶつぶつと呟いていた。

(うーん。古代の幻肢呪術かぁ――そっか、この時代なら――肉体言語魔術による過去への干渉が可能だとすると、もしかしたら)

 ちびシューラは何か思いついた事があるのか、ちらりとこちらを一瞥して、周囲に聞こえないように小さく囁く。

(あのね、アキラくん。シューラ、ちょっと思いついた事があるんだけど、今なら、こんな事もあろうかと準備していた言語魔術でアキラくんの――)

 その先を聞いて、俺の呼吸は確実に止まった。
 もちろん呼吸などしていないのだが、その一瞬だけ全ての懸念を忘れ去り、ちびシューラの意外な提案に心を奪われていたことは確かだ。
 それは、今まで流されるだけだった俺には思いもよらない可能性。

 そうだ。無力に翻弄されるだけの俺に力をくれるのは、いつだって二人の魔女だったのだと思い出す。
 胸に広がる焦燥感を、生まれる端から凍てつかせていく確かな繋がりを強く意識して、俺は高笑いするパーンを見据えた。

 まだ何も終わってなどいない。
 外力を利用してしごとと成すのは、奴の専売特許ではない。
 サイバーカラテの本領を、古代人どもに見せつけてやろう。
 決意と共に、俺は魔女の助言に従い、精神を集中させる。
 意識するのは、今は無い幻肢。錯覚により生み出される肉体の幻。

 左腕だけになった俺は、自分の欠落を思い出し、あるはずのない幻肢を感じ取る。逆転した論理。矛盾した理屈。荒唐無稽な発想。だが本来あり得ない現象でも、この呪術の世界なら起こり得るそれは、異形の神秘。

 過去の世界で、パーンの肉体に重なり合うようにして、曖昧な輪郭が生まれ始めていた。思考する左腕を基点として、失われた俺の幻肢――幻の肉体が、幻の脳が、霊体という架空の存在として実体化していく。

(これをやるのも、久しぶりだな――【サイバーカラテ道場Ver2.0】起動! 当然【E-E】も常駐起動だ!)

 存在しない脳、存在しない脳侵襲機器の内部で、架空のアプリが起動する。その記憶を覚えている左腕の過去から呼び起こす。
 サイバーカラテにおける心技体のうち二つが揃う。だが俺の肉体はあまりにも脆弱でちっぽけな左腕ひとつ。ならば、足りない部分は呪術で補う。魔女はそれを可能とするのだ。

(もいっこ追加で、架空アプリ起動! 呪術行使支援アプリ【幻肢の力】・【幽体リモートデスクトップ】起動だよっ!)

 新生サイバーカラテにおける心技体そして呪――神秘の言葉が世界に響き、魔女の杖(ウィッチクラフト)がその機能を果たす。

「未来人、貴様ら何を――」

 愕然と目を見開くパーン。
 その目の前で闇が途切れて、呪鉱石が放つ淡い光に包まれた大空洞に飛び出した。放り出されたパーンという役から、凄まじい呪力が溢れてもう一つの霊体が弾け飛んだ。彼から分離したのは、もう一人の影。

「初めましてだ、パーン・ガレニス・クロウサー」

 俺は肉声で口を開く。目の前の中空に投げ出されている眼鏡をかけた男に向かって、威圧的な表情を作って宣言する。勿論、迫真の演技は【七色表情筋トレーニング】のお陰で出来ているのだ。

「サイバーカラテ道場第五階層支部、師範代のシナモリ・アキラだ。唐突で悪いが――ここから先は、俺も参加させてもらう」

 破綻を続ける再演の世界は、ここにきて決定的に崩壊する。
 過去へと降り立った未来の亡霊が、ほぼ全身不可視のまま舞台に乱入するという意味不明の展開によって。

 ――うん、勢いで飛び出してみたはいいが、この後どうしよう。

(とりあえず、好き勝手やってる連中をシメちゃえ! パーンとかグレンデルヒとかそのへんみんなぶっ飛ばせばいいよ!)

 なるほど、わかりやすい。
 劇中劇のそのまた劇中劇とか、面倒くさくていい加減飽き飽きしていた所だ。
 このへんで手っ取り早く、殴れば解決する路線に軌道修正しよう。
 そんなわけで、亡霊(ゴースト)と化した俺は虚空を踏みしめ、重心を低く、右半身を前に出して構えを取った。見据えるのは目の前の敵手。

「行くぞ――発勁用意!」

(NOKOTTA! やっちゃえアキラくん!)



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