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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第2章 もしサイバーパンク世界の住人がオカルトパンク世界に転生したら

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2-7 炎は黄金を証明する

 

 

 
 感情の坩堝。
 悪鬼たちが融合した肉塊の内部は、俺という邪悪への感情が煮えたぎる大釜だった。

 俺が振りまいた殺戮、それによって大切な者を失ったという嘆き、悲しみ、怒り、憎しみ。
 憎悪が濁流となってちっぽけな意思を押し流し、怒りが暴風のように吹き荒れて矮小な闘志を翻弄した。

 悪鬼たちの無数の感情は、いつしか結実し、復讐という名の意思となって実体化していく。
 それらは刃であり、拳であり、訴えであり、罵倒であった。

 激流によって既に原形をとどめていない身体に、刃の群れが突き刺さる。胸を抉り、腹を貫き、脚を引き裂いて、腕を砕く。

 顔面を拳が殴打する。鼻がひしゃげて血を吹き出す。絶叫が耳を裂いて鼓膜を破る。用を為さなくなったと知ると今度は口に言葉が注ぎ込まれて舌と歯が残らず抜かれる。大量の血。眼球を抉り出してその穴に悪口雑言。頭蓋を開いて脳髄に刻み込む。

 全身を解体される。ばらばらになって、欠片のひとつひとつに憎悪の刃が突き立てられる。

 お前が殺した。
 愛する人を。大切な者を。かけがえのない家族を。
 死者の無念を聞け。その苦痛を味わえ殺人鬼め。

 青い血涙を流す悪鬼たちが、いつしか引き裂く手を止めて、針と糸を手に肉片を縫合する。
 元通りになった肉体を、そしてまた蹂躙する。
 その繰り返し。

 永劫の苦痛、終わりのない死。貴様が殺してきた分だけの死を体験するがいい。
 そう輪唱して、悪鬼たちの責め苦が続く。
 飛び出して、虚空に浮かぶ眼球がぐるりと周囲を見渡す。

 悪鬼の群れ、一面の青い闇。
 どこかにいるはずだと、必死に剥き出しの目を凝らし、次の瞬間には悪鬼に握りつぶされる。

 無限の時間が過ぎたような気がした。あるいは瞬きほどの間の出来事かもしれなかった。
 夢のような時間感覚の中で、俺はついにそれを見つける。

 猫耳。
 闇の中に、猫耳の少年が立っている。
 悪鬼たちの包囲の外、ひとりだけで立ち尽くす彼は、俺を見ていた。
 そう、彼には意識があるようだった。

『どうしてだろうね。貴方は何をどうやっても僕と引き合ってしまう巡り合わせらしい』

 その左手が影のような黒であることに、今更気がつく。
 反対の右手は淡い輝きを纏っている。
 否、逆だろうか。左手は闇かと思えば光のようであり、右手は輝いているかと思えば色を失っている。

 右と左という観念すらあやふやになりそうな錯覚。
 見当識を失って、視界が反転する。
 上下が逆さまになった中で、少年の何もかもを見透かすかのような視線が俺を貫く。

『いずれ貴方はアズーリアとも引き合うんだろうね、儚く危ういゼノグラシア』

 透徹した意思が、俺の中に染み込んでくるようだった。
 無色透明なその感情は、全き慈悲の心。
 青い闇、漆黒の憎悪。
 おぞましいものに満たされた世界の中で、彼だけが美しく孤立していた。

『であれば、貴方はここで失われるべきではない。貴方が僕を救い出してくれたように、今度は僕が貴方を救い出そう』

 悪鬼たちの手が、一斉に静止する。
 夥しい数の憎悪。その動きが、より巨大なものによって遮られている。

 少年の左手、あるいは右手から流出する無彩色の光。それは瞬時に俺の欠片を取り囲むと、新しい輪郭を創造する。光り輝く輪郭は形を成し、脈動と共に実体を持ち始める。最後に、俺という実体が活動を始める。

『さあ、貴方という存在を、遡って。そして語り直すことを許して欲しい。それがどんな痛みでも、そこから貴方という存在が立ち上がってくるはずだから』

 言葉と共に、俺という意識が一気に浮上していく。追いすがる悪鬼たちの手は届かない。急速な移動に俺の意識が霞んでいき、青い闇が切り裂かれる。
 そして、光が生まれた。

 

 シナモリ・アキラという存在を回想する。
 半年前ではなく、新たな生を受ける前。暗く、沈んだ人生を思い起こす。
 生まれる事は、苦しみに満ちていた。

 地獄への道は善意で舗装されている。
 誰かが言った。

 『お互いが配慮し合う、住みよい街づくりを』『だれもが納得できる、美しい社会に』『割れた窓を放置してはならない』『フリーライダーを許すな』『子供たちが安心して成長できる国を作ろう』無数のノイズ。

 正しさという樹脂を固めて成型。モデルは豊かな現実。五十六億七千万年後に来たる救世トリクルダウン。優しくて柔らかな虐殺の文法。仮構した問題の最終的解決。存在しない衝突の解消。異常はすべて処理。社会の完全なる正常化。バックグラウンドでは既にして内戦状態。凍死の十二月。無造作な死。千引きの岩は段ボールで出来ている。来世は実在する。

 死は救いだ。
 それでも、死は幾多の感情を生み出す。

 ある男が義肢を羨ましそうに見ている。右腕を失った男。倉庫作業中の事故。日雇いの仕事で食いつないでいた彼は路上で生きることになる。男がその思いをはっきりと口に出すことはついに無かった。

 シナモリ・アキラは腕が無いということで不自由した経験が無かった。裕福だったからだ。親は小さな赤ん坊に高性能な義肢を与えた。幼児にとってはその機械の腕こそが自分の腕だった。成長し、少年になり、青年となって、肉体の成長に伴って更新されていくオーダーメイドの義肢。その総額を計算したことがあった。路上で生きる片腕の男が最も安い義肢を購入しても、アキラに費やされた金額のうち十分の一にも満たなかった。

 『あの人』が言った。その罪悪感は見当外れだと。奇しくも、アズーリアと似た言葉だった。
 生まれる事は苦痛だ。

 それは決定論の世界観。最初から定められている不平等。
 自分は与えられている人間なのだと、いつのまにか見なくなってしまった片腕の男、その定位置を眺めながら思った。行き先を尋ねると、あの人はただ無言で首を振った。そういうことなのだと思った。

 来世は実在する。
 決定論を覆す、どうしようもない現実に救いをもたらす次の世界。
 死は救いだ。転生が選べない生まれを選べるようにしてくれる。

 けれど、それすら届かない人がいる。
 異世界転生保険。その加入額にすら手が伸ばせない、ただその日の糧を得ることすら難しい、極寒の世界を生きる人々。選択肢などあるようで実は無い。用意された道は全てが空求人。

 精神、能力、関係性、肉体。足りなければ全てが終わる。
 見渡せば、辺りには死が満ちていた。

 屍を直視するたび、感情に蓋をする。そうやって心を平常に保ち続けて、シナモリ・アキラが出来上がっていく。外圧によってではない。外圧を全て感情制御ではね除けて、シナモリ・アキラは内圧だけで形成されたのだ。
 硬質な精神が欲しいと、感情制御にしがみついて生きてきた。

 それがシナモリ・アキラであり、それを失えばシナモリ・アキラではなくなってしまうのだと。
 人格に深く根ざした感覚・感情制御アプリ『E-E』=『Emotional-Emulator』はそれ自体がシナモリ・アキラをエミュレートして、あらゆる決定を代行している。

 決断をアウトソーシングする為のアプリケーション。
 だから『それ』は本名ではなく、シナモリ・アキラと呼ばれるのだ。
 本来いた筈の誰かは、ずっと昔にどこかに引っ込んでいなくなってしまったのだから。

 その代用、模倣と言いつつ、もはやそれが真実になってしまった存在。
 『E-E』のユーザー登録名シナモリ・アキラは、そうやって生起された。
 死は感情を生み出す。

 シナモリ・アキラはその感情をただありふれたものだと見なして、交換可能と声高に叫ぶ。

『それでも貴方は来てくれたね、アキラ』

 気付けば、猥雑な世界に少年が立っていた。
 闇のような、あるいは光のような姿が、眩しく感じられて目を細める。

『心を鎖した貴方は、だからこそ規範を外部に求めている。貴方にとって大切なものは、内側じゃなくて外側にあるんだね』

 透明に彼は微笑んだ。左手が差し伸べられる。座り込んだ惨めな相手を、引き上げようとするかのように。

『貴方の真実は心ではなく行動に宿る。ちょうど、言葉を真実にしてしまうアズーリアと対になるように』

 壊れてしまった左の義肢を、そっと持ち上げる。
 どうしてかは分からなくても、身体は反射のように動いた。
 砕け、融解した機械の義肢と、闇色の左手が触れあった。

『自分の歩いてきた道を信じて。その先に、貴方が立つべき場所がある』

 そして、空が割れ、光と共に言葉が降り注ぐ。

『君を殺すのは私だと言ったはずだ』

『守るという約束、嘘にする気はありません』

『ぽんこつって言葉、撤回させるまで絶対に死なせないからっ』

 壊れた左腕を、三つの手が掴む。
 引き上げられる。
 空へ。
 世界へと。

 

 視界に光が満ちると共に、そこが元いた第六階層だと気付く。
 床に投げ出されたかと思うと、強い力で引きずられていく。背後を勢いよく触手が通り抜けていくが、際どいところで安全な場所まで逃れる。

 ロウ・カーインが俺を引きずって融合体から引きはがしたのだった。
 ふと自分の右腕を見ると、しっかりと猫耳の少年を抱えていた。身体の各所に青い痣ができてしまっているが、息は正常にしている。線の細い、美しいかんばせにも傷はないようで、ほっと息を吐く。

 両脇にいるのは二人の魔女だった。
 トリシューラは手傷を負い、大量の血液を失いながらかろうじて立っているような有様で、コルセスカは相変わらず超然とした姿だが少々息が荒いようだった。

「何とか成功しましたね」

「あーっ、もう! 鮮血呪が間に合うギリギリのラインだったんだよっ、アキラくんのバカ! あのままアキラくんまで取り込まれてたらどうする気だったの! 主に借金とか借金とか!」

「だが、危険を顧みず少年を助けようとするその意気や良し。英雄好漢の振る舞いと言えよう。それでこそ我が好敵手」

「人質にとっていた貴方がそれを言いますか」

「てゆーか、助けたのほぼ私の力だからねっ。まあ、なんか妙な力が働いてた気もしたけど。ほとんど私が! 一人で! アキラくんとそのコを助け出したんだから、アキラくんはちゃんと評価するように!」

 矢継ぎ早に繰り出される三人の言葉に戸惑いつつ、ようやく俺は生還の事実を理解する。
 助け出された。
 俺は引き上げて貰ったのだ。

 この世界に来てから、誰かに助けてもらってばかりのような気がした。
 ああ、アズーリア。俺はまた会って、ちゃんと礼を言うことができるだろうか。

 今はまだできないけれど、目の前の恩人たちには言葉がちゃんと届くから、俺は三人を視界に収めて、はっきりとそれを口にした。

「ありがとう。この手を引いてくれて」

 三人は何を言われたのかわからなかったのか、呆けたようにこちらを眺めていたが、一瞬の後たいへん失礼な反応をとった。
 一斉に吹き出したのである。

「おい」

「いえ、その――すみません」

「だって、くっ、めっちゃいい顔で言うから――ありがとう(キリッ)」

 トリシューラの物真似が良いところに入ったのか、カーインが素早く顔を逸らして身体を震わせた。なぜこの女は俺が真面目にものを言うと茶化すのか。人を馬鹿にしてそんなに楽しいのか。

『あっ、ごめんねー泣かないでー』

 視界隅に復活したちびシューラが飴を差し出してくる。いらねえよ。全く、緊張感の無いことだ。ここは敵地で、現在も戦闘中だというのに。

「さて、トライデントの使い魔が来るよ」

 トリシューラが俺の思考を受けてか空気を真面目なものに引き戻した。

「ええ。ですが、これ以上の横暴を許すくらいなら、私は自分があれに取り込まれる方がましです」

 コルセスカが、静かな怒りを露わにして前に出る。
 二人の魔女が並び立ち、かつてないほどに決然と異形の敵に立ち向かおうとしていた。

「だから、もう容赦しない」

「私の仲間に手を出して、あまつさえ穢そうとした、トライデントの使い魔」

「私のアキラくんを、私のモノを私から奪い取ろうとする奴は」

「許しはしません」

「生かしておけない」

 二人の魔女から発せられる圧力が、急激に高まっていく。身のうちに収まりきらない怒りを放出するかのように、魔女たちは前へ進む。

「セスカ、氷血呪は今どのくらい使える?」

「あいにくと第四階層でクエスドレムと戦った時にほとんど使い果たしてしまいました。低出力でならかろうじて、といったところでしょうか」

「それでいいから、前衛お願いしていい? 私も、手持ちで一番いいのを召喚してみる」

「その身体で、本当にあれと戦う気ですか」

「あれー、セスカったら心配してくれてるのかなー♪ いつもは冷たいセスカが優しくってお姉さんなんだか嬉しい! 大丈夫、場合によっては一回くらい死ぬのも許容範囲だから」

「――見当外れなことを。それと、生まれた順番で言えば私の方が姉です」

 剣呑な空気を発散しながらも、二人はどこか気安く歩む。
 その他は出る幕ではないとばかりに、魔女の世界が始まろうとしていた。

「『邪視』とはすなわち、世界観の拡張」

 コルセスカが告げる。

「『杖』とはすなわち、身体性の拡張」

 トリシューラが言い放つ。

「認識の極点」

「技術の極地」

 両者は高らかに、声を揃えて言葉を発する。
 次の瞬間。

流れ出せ我が涙アツィルト

 コルセスカが、爆発的な圧力と共に『心話』を発動して不可解な言葉を紡ぐ。

活動せよ我が錫杖アッシャー

 トリシューラがそれに続き、周囲の全てに宣言する。
 何を意味しているのかもわからない、だがその声は力強く、無視することを許さない。

 二人の背後に、光り輝く平面の図像が浮き上がっていく。
 まるでそれは後光のようだった。二つの円で構成され、帯状のスペースには文字が記され、内側には複雑な幾何学模様。中心にはそれぞれ異なる紋様が描かれている。コルセスカが瞳を象った紋様、トリシューラが杖を象った紋様だ。

 あれはひょっとして、魔法円とか言われるものなのだろうか。魔術の儀式に用いられるという図形らしいが、だとすれば彼女たちはなんらかの儀式を行おうとしている?

 俺の疑問を差し置いて、二人の詠唱は続く。

「我が号は冬の魔女、そのさがは擬人化の魔女、はじまりの紀は神話の魔女」

 コルセスカが朗々と名乗りを上げる。
 響き渡るその声が、彼女の存在感を膨れあがらせていく。

「此が号は春の魔女、そのさがはきぐるみの魔女、熾る紀元はアンドロイドの魔女」

 続くトリシューラも、似たような形式で自らの性質を語り上げる。
 魔女たちの口上が、まるで時を止めたかのような錯覚をもたらしている。紡がれる音の響きがあまりに魔術的で、聞く者全てが声に魅せられて停止してしまう。

 凍り付いてしまったかのように。

「Date et dabitur vobis.」

 うん?
 コルセスカの詠唱に、違和感を覚える。

「唵南無湿婆」

 いや、ちょっと待て。
 トリシューラのはマントラ、ていうかサンスクリット語?
 コルセスカが唱えたのはもしやラテン語では無かったか。

 俺が聞き間違えたとか、『この世界の異国語』が対応する『俺にとっての異国語』に翻訳されたとか、そういうレベルを通り越して、そのままラテン語とサンスクリット語だった。間違いない。

 何故って、よく見れば二人の背後にある魔法円、そこに記された文字がラテン語と梵字だからである。
 トリシューラの方は梵字と真言なのか漢字が入り交じり訳が分からないことになっているが、どこからどう見ても言い訳の余地無く『俺の前世の言葉』である。

 というか、はじめからこいつらの名前はおかしかった。
 音素が有限であることを根拠とした偶然の一致、言語の収斂進化、そういう言い訳は一切通用しない。
 確かイタリアあたりの槍の名前と、ヒンドゥー教の神が持つ槍の名前だった覚えがある。

 共通点は、俺の世界における三叉の槍の名称、という所だ。
 そう、三叉の槍。なぜ俺は、こんな違和感に今まで気がつかなかった?

「我が銘はキュトスの姉妹が七十一番、氷血のコルセスカ」

「キュトスの姉妹No.71――鮮血のトリシューラだよ。よろしく死んでね!」

 この二人は一体何者なのか。
 そんな疑問を置き去りにして、目の前に巨大な力が顕現した。
 名前は呪術的な力を持つ。

 ゆえに、力ある呪術師の名乗りはその存在を周囲に知らしめ、自らの力を高めるための儀式でもある。名前を掌握されて呪いをかけられても無効化できるという強烈な自負心の発露。それは命知らずな『見栄』なのだ。

 自己紹介、宣名こそが最大の自己強化呪術。そんな知識が、ちびシューラから送り込まれてくる。
 狼の魔将エスフェイルが名乗りを上げた時や、カーインが殺意を表明した時とは比較にならない。言語化しにくい圧迫感が辺りを包み込み、二人の魔女から凄まじい不可視のエネルギーが発せられているようだった。

 名前の宣言と共に、その存在感が爆発的に膨れあがったのだ。
 俺だけでなく、あの巨大な融合体さえもが戦慄している。

 冷然としたコルセスカの異形の右眼が脈動するかのように更に巨大化し、押しのけられた周囲の皮膚が撓み、血管が浮き上がる。アシンメトリーさが浮き彫りとなった冷たい貌の前で、浮遊する氷球がその姿を変貌させていく。白銀の輝きを放ちながら現れたのは長大な槍だ。

 それは氷の槍だった。左右に湾曲した刃を有する、三叉槍。
 コルセスカ、その名前を体現するが如く。

『流出:氷血呪』

 コルセスカの周囲を舞う光が収束し、氷で出来た大きな造花を形作る。ヘッドピースとして彼女の頭部に乗せられた透明な花が、妖しい光を反射させることで真下にある奇眼へと視線を引きつけていく。

 魔女は三叉槍を手にすると、敢然と異獣の前に躍り出た。
 槍と花と瞳。その全てが白い輝きを放つ。

「世界よ凍れ――私以外の全てが遅い」

 コルセスカの言葉と同時に、その姿がかき消えた。
 否、加速したのだ。

 目で追うことすら困難なほど超高速で移動したコルセスカが、稲妻のような刺突を融合体に浴びせていく。触手の乱舞を全て回避し、残像が見えるほどの加速でその背後に回り、槍で薙ぎ払う。一連の動作は早回しの動画じみている。加速によって衝撃波が発生することも無く、まるで彼女の時間だけが周囲と切り離されてでもいるかのようだ。

 あるいは、彼女に瞳に映る世界は、ひどく遅い、停滞した世界なのかもしれない。時間すらも凍り付いた世界で彼女一人だけが自由に動けるのだとすれば、それは無敵の力ではないか。

 一方でトリシューラは、ぼろぼろになった腕を頭上に掲げる。同時に『心話』が響く。

『活動:鮮血呪』

 トリシューラの指先が示す方向に視線を吸い寄せられると、天井にいつしか孔が空いていることに気がつく。あれは、俺がこの階層に突入した時にも空いたものだ。つまりあそこは、トリシューラの拠点に繋がっている。

そのことに気付いた直後、孔から赤い輝きを纏った何かが投下される。閃光と共にトリシューラの目の前に床を陥没させて降り立ったそれは、圧倒的な重量感を持つ人型の鎧だった。

 いや、違う。あれを騎士たちが着ているような甲冑と一緒にはできない。
 ディティールの多い重装甲、左右の腕と腰に据え付けられた機銃と大口径の砲、狼か犬を模したと思われる頭部はデフォルメされてどことなく非生物的。ぴんと立った耳は集音装置かレーダーか。

「――強化外骨格?」

「パワードエクゾスケルトン、モデル『狼の皮を被る者』、起動」

 トリシューラの呟きが音声認証になっていたのかどうか。
 膝を付いた姿勢の甲冑もしくは強化外骨格の背中部分がひとりでに開き、人ひとりが入れるだけのスペースを露出する。トリシューラが躊躇わずに乗り込むと入り口は完全に閉じられ、人狼型甲冑は意外にも静かな駆動音と共にスムーズに立ち上がった。

 両目が妖しく光ると、材質の特性によるものか、モノトーンの全身が赤を基調とした彩度の高い色に染まっていく。

『さーて、きぐるみの魔女、本領発揮するよー』

 スピーカーごしのトリシューラの声が響くと同時に、強化外骨格きぐるみの腰に据え付けられたギミックが駆動する。折り畳まれてなお長大な砲身が展開していく。その両腕と腰ががっちりと砲を固定し、同時に丸太のように太い脚が床を重々しく踏みしめる。更に足の後部から杭が打ち下ろされ、床を貫通、その全身を完全に固定する。

『アキラくん、耳シャッターしてね。あとその位置わりと危ない』

 慌ててカーインに警告し、猫耳の少年の側頭部を押さえながらその場から退避。あ、猫耳が押さえられない。
 気付いた時には既に遅かった。

 轟音。
 トリシューラの射撃、いや砲撃はその足下を陥没させ、更には反動によって辺りに粉塵を巻き上げる。

 そして砲口の先で、融合体の上部がまるごと吹っ飛んでいた。
 甚大な破壊孔、そして高熱による融解。

 遅れて気付く。恐らくあれは、極めて原始的な運動エネルギー弾によるものだろう。矢のような弾体が高速で射出され、目にも留まらぬ速度で標的に命中し、分厚い肉の塊を貫通していったのだ。射出直後に分離したと思われる安定翼付きの装弾筒が砲口近くに放り出されており、かろうじて俺にも何が撃ち出されたのかが理解できた。

 対生物戦闘でアーマーピアシングする必要性が果たしてあるのだろうか。それしか無かったのか、それとも本人の性格によるものか、はたまたあの融合体の表皮が装甲並の硬度なのか。

『まだまだいっくよー!』

 快活で陽気な、それこそ楽しんでいるかのようなトリシューラの口調からすると、単にオーバーキル趣味なだけかもしれない。

 宣言通りに、大腿部に取り付けられた発射管が開き、超小型のミサイルが発射された。それは空中へ舞い上がると展開した姿勢制御翼で角度を微調整、スラスタを噴射させながら標的へ向かう。更に両腕の機銃が毎秒七十を超えると思われる大量の弾丸をばらまいていった。円盤形の弾倉が高速回転し、次々とその中身を銃身に送り出していく。量・速度共に、弾道予報の計測限界を超えていた。

 ミサイルを迎撃しようと宙をしなる触手の群れを、機銃の掃射が薙ぎ払う。開いた空間に飛び込んでいったミサイルが、無防備な巨体に飲み込まれていく。

 閃光、次いで轟音と熱風。ミサイルの着弾によって成型炸薬が起爆、内部で熱エネルギーが放出される。オレンジ色の閃光と耳をつんざくような音が撒き散らされ、爆風と熱と飛散した破片が巨体を蹂躙していく。

 間近で圧倒的な火力が炸裂しているにも関わらず、その全てを正確に回避してのけるコルセスカの動きもまた常軌を逸していた。飛び散った破片がコルセスカの手前で不自然に停止しており、余波を完全に無効化していることが窺える。

 真の力を発揮した魔女たちは、なんかもう俺の存在が最初から不要なレベルの強さだった。
 しかしその力を行使するのに、何の代償も不要というわけではないらしい。

 氷の槍を振るう毎に、コルセスカの肉体に裂傷が走り、身体から銀色の血が流れていく。
 と、ちびシューラが一瞬のうちに情報を送り込んでくる。時間が停滞し、緩慢な流れの中で俺はちびシューラの声を聞いた。

『セスカ最大の武器である『氷血呪』を使うには、命を代償にすることが必要なの。セスカの不死は不完全だから、全力で戦い続ければいつかは自壊してしまう。それを避ける為に、本来は周囲の誰かを『贄』にして負担を肩代わりさせる』

 周囲の誰か。コルセスカは、そういう犠牲を周りに強いるタイプにはあまり見えない。
 そういえば、彼女は二人、仲間がいると言っていたが。

『でもね、あの子はたとえ不完全であっても不死の魔女なの。不死だからこそ、自分の痛みより他人の痛みに敏感なんだ。だって死なないってことは、自分の命より他人の命のほうが貴重だってことだもの』

 その理屈は、俺も知っている――知っているが、それは遠い理想だった。
 転生保険に加入できる富裕層の命は、加入できない貧困層の命より相対的に軽い筈だ。

 だというのに、俺のいた国では一回しかない命のほうがずっと軽かった。
 あの世界は、そういう不均衡に満ちていた。
 だからこそ、俺の命は安くなければいけなかったのに。

『セスカは誰かの為に命を賭けることをそんなに大した事だと思ってない。私達キュトスの魔女は、不死だから。他人に犠牲を強いることで十全な力を発揮できるセスカは、それをしたがらないんだよ』

 転生という新技術は、俺の元いた世界における『死』の価値を良くも悪くも変容させた。

 罪悪感が薄れたためか殺人は増え、来世があるという安心感から他殺や事故を装った偽装自殺も増えた。自殺では転生保険が適用されないためだ。
 一方で、転生があるという安心感が生活の質を高め、かえって自殺を抑制することもあったという。

 その評価は一様ではない。
 そしてまた、転生という保険があるからこそ自らの身を省みない他者への献身が為され、メディアによりピックアップされ、そうした善意が広がっていくという事もあった。

 命が安くなるということは。
 献身行為にインセンティブを与えるということでもある。

 転生が存在する世界から来た俺と、不死の魔女であるコルセスカは、自分の命を安く見積もれる素地を持つという点において、通じ合えるはずだったのかもしれない。

『あの子は自分の仲間に負担をかけたくなくて、いっつも一人で行動したがるんだ。そのくせすっごくお人好しで、関わった人ときっぱり離れられない。笑えることにね、セスカは仲間に負担をかけたくないからって、仲間を一杯増やして負担を分散しようって思ってるんだよ』

 仲間を、増やす?
 それはつまり、彼女の目的であるという竜退治、迷宮攻略の仲間ということだろうか。

『火竜メルトバーズを倒す為にセスカが全力を振るえば、それに見合った反動がセスカの仲間である二人に降りかかる。その時に仲間たちが無事かどうかはかなり怪しい。でもコルセスカは自分の目的を投げ出せないし、仲間と離れるのも絶対に嫌。じゃあどうしようって考えて出た結論が』

 負担を肩代わりしてくれる仲間を見つけること。
 つまり、それが俺か。

『最終的には迷宮攻略パーティの基本構成人数である六人か、九人くらいまでには増やしたいんじゃないかな。そのくらいの人数なら氷血呪の反動も致命傷にならない程度には分散するはず』

 それで分かった。
 コルセスカがわざわざ俺に誘いをかけた理由。俺でなくてはならない理由が。

 命を安く見積もる者。怖れを知らない命知らず。命を削るという呪いの反動をその身に受けても平気な者。
 転生が前提となる人生を経験してきた、『命が軽い世界観』の持ち主が、丁度良くここにいる。

『誰かに命を預けて欲しい、誰かに縋って助けて欲しい、そのくせ自分よりその誰かが大事。矛盾してるけど、そういうメンタリティの持ち主なんだよ。だからかな。セスカは仲間を絶対に見捨てないし、仲間になって欲しい人を絶対に諦めない。その為には自分の身を削るんだ』

 それは、随分と身勝手な理屈にも聞こえた。
 受け取り方によっては押しつけがましい善意やおせっかいの類にも見える。
 しかし、だからこそ今、彼女はここで戦っている。

 宣名時の詠唱は、『与えよ、さらば与えられん』。
 最初にそれ説明しろよ、と思うが。

『自分の為に命を賭けて欲しい、なんて言えなかったんじゃないかな。言わないで誘うのは卑怯かもしれないけどさ、多分セスカは、仲間を誰も死なせるつもりが無いんだよ』

 負担を分散させるというのは、つまり誰か一人だけを犠牲にするつもりがないということ。
 全員で負荷を等分し、全員で生きて帰るという決意の表れなのだろう。

 トリシューラを通して、コルセスカと対面して話すだけでは分からなかった彼女の側面が少しだけ見えてきた気がした。

 にしても、コルセスカは危険で俺を利用したいだけの相手だと示唆したかと思えばその後でフォローっぽいの入れたり、そのくせ自分は俺に対して貸しを作ったり、トリシューラは一体何がしたいんだ。

『え、フォロー? 今のが? なんで? シューラは、セスカの性格を解説しただけだよ?』

 トリシューラ的には今のはコルセスカのフォローでもなんでもないらしい。
 こいつもよくわからん奴だな。コルセスカの目的はなんとなく見えてきたが、トリシューラはさっぱりわからない。知ってるのは同じ組織に属する魔女らしいことくらいだ。

 コルセスカは自分の身を省みずに俺を助けようとしている。
 強力な呪術を使えば敵に発見されて危険な目に遭うと分かっていて俺に協力してくれている。

 そしてそれは、トリシューラも全く同じであるはずだ。
 わざわざ俺を助けに駆けつけ、新しい武器まで用意してくれた。
 身体は破損し、追っ手にも見つかってしまった。

 俺を助けることに、そのリスクを冒すだけの必要性があったはずだ。
 コルセスカの『目的』に匹敵する、何かが。

『シューラの目的? 大した事じゃないよ。シューラが――『シューラが、私であること』。ただそれだけ』

 常に変化しないちびシューラの声が、その一瞬だけかすかに揺らいだ気がした。違和感は捉えようとする前にかき消えて、何が気になったのかも分からずに、俺は返すべき思考に迷う。

 トリシューラの逆鱗、『ポンコツ』と『ガラクタ』。
 『傑作だと認めさせてみせる』という彼女の宣言を、ふと思い出した。
 コルセスカに対する不信は大方消えていた。同時にトリシューラに対するそれも。

 俺に負債を抱え込ませるってのは、つまり債務をどうにかするまで死ぬ事を許さないってことだろう。迂遠だが、これは強固な関係性を結んで契約対象を守るための行為だ。トリシューラは守銭奴めいた振る舞いで誤魔化そうとしているようだが、よく考えれば割に合わない投資だと言うことはすぐにわかる。

 トリシューラのスキルなら金を稼ぐ方法などいくらでもあるだろうし、対象が俺である必要性も無い。
 外世界人であるから? 騙しやすいから? 前衛として有用だから?

 しかしそれらの条件なら、俺でなくても当てはまる対象はいるはずではないのか。
 つまり、それ以外の何かがあると考えるべきだ。

 星見の塔のポスト争い。
 それには、別々の目的を達成する必要があるのだという。
 同じく魔女であるコルセスカが同時期に接触してきた事も合わせて考えれば、そこに共通する何かがあるように思われた。

 この迷宮に関わる何か。
 地上と地獄、上と下の戦いに関わる何かだ。
 コルセスカとトリシューラ。どちらの魔女についていくのかを決めるためにも。

 俺はこの二人を見極めてみたいと強く思った。
 思えばそれは、この世界に来てからはアズーリア以来となる他者への関心だったかもしれない。

 アズーリアと再会し、与えてもらっただけのものを返したい。
 同じ理屈で、二人の魔女に与えられたものを、返したいという気持ちが生まれているのか。

 どのような経路を辿っても、俺にとってこの世界での始まりは半年前のアズーリアと共に戦った一日だ。
 だから最後に行き着く先も既に決まっている。

 だが、その途中は?
 アズーリアへと向かう道行きを、コルセスカやトリシューラと共に進んではいけないという理由は無い。

『シューラたちのこと、前向きに考えてくれてるみたいでとっても結構! それじゃあ、まずはこの局面を乗り切らなくちゃね!』

 ちびシューラの声が、俺を現実に引き戻した。そうだ、ぐだぐだと悩むのは戦いが終わってからでもできる。
 遅滞していた時間が、本来の速度を取り戻す。

 銃火が煙を巻き上げて、硝煙の臭いが辺りに満ちていく。トリシューラの射撃は融合体を穴だらけにしていくが、既に死んでいる融合体は動くことを止めようとしない。

 コルセスカの視線が巨体を凍らせるのだが、視界に収まりきらないほどの巨体は凍り付きにくいのか、それとも何らかの抵抗力を有しているのかいまひとつ効果が現れない。更に厄介なことに、凍結した箇所は確かに壊死していくのだが、既に死んでいる融合体は凍って死んだまま動き続けるのだ。

 死んでいる相手を倒すには、全身を破壊し尽くすしかない。
 トリシューラの主砲が再び火を噴く。衝撃が迷宮を揺るがし、融合体の中央に風穴を作り出す。

 しかしそれでもなお相手は巨大に過ぎた。
 トリシューラの弾薬も無限ではないだろうし、コルセスカの消耗も気になる。
 俺は立ち上がり、少年をカーインに預ける。

「あの中に割って入るつもりかね? 聞くが、正気か?」

「当然。俺はいつだって平常心だ」

 疾走する。ちびシューラが呆れたように、それでいてわかり切っていた事実を追認するように、俺の動きを後押しする。

 弾道予報に送られてくるのはトリシューラが使用する火器管制システムの現時点での情報。視界に表示された射線を回避しながら前に進んでいく。

 もはや目で追うことが困難なコルセスカの動きを耳で捉え、大雑把に『今はいないと思われる位置』に滑り込んで援護の一撃を放つ。右の掌底が融合体を叩き、衝撃に揺らいだ隙にコルセスカの刃が触手を引き裂いていく。

 次々と繰り出される刺突、打撃、弾丸の数々。それらは互いに重ならず、邪魔し合うことなく、一個の意思に統御されているかのごとく融合体を追い詰めていく。

 最初の限界は、コルセスカに訪れた。
 閃光の如き速度が消え失せ、失速した身体がぐらつく。銀色の血を流しながら倒れようとするコルセスカに、融合体の最後の触手が襲いかかる。

 咄嗟に突き飛ばし、結果として攻撃が自分の身に突き刺さる。右脇腹に熱が生まれ、遮断された痛みと鳴り響くアラートに生命の危険を感じて背筋が冷える。

 その時、背後からすさまじい勢いで巨大な質量が迫るのを感じた。風のように俺と融合体との間に割り込んだトリシューラの強化外骨格が、腰から引き抜いたナイフで触手を切り裂く。赤熱する刃は切断創を焼き、返す一刀が肉塊の中心に突き刺さる。

 トリシューラは俺を硬い腕で抱きかかえると、そのまま空高く跳び上がる。生身では成し得ない大跳躍の頂点で、トリシューラが叫ぶ。

「セスカ、今だよ!」

『Ignis aurum probat;miseria fortes viros』

 槍を掲げたコルセスカが、詠唱と共に新たな呪術を発動させる。

(ひさん)黄金(つよさ)を証明する!」

 その周囲に炎が舞い、槍が赤い光を纏い始める。
 彼女が持っていた氷のイメージと相反する、思いがけない光景。

「使用条件が厳しい切り札ですが――やはり命知らずが前にいると、使う機会に不自由しませんね」

 意味ありげに俺を一瞥するコルセスカ。俺の行動が彼女の呪術に必要だったということなのだろうか。
 赤い揺らめきは燃え立ち、炎上する範囲を広げるようにして融合体を飲み込んでいく。

『死者は火葬するに限るよね』

 トリシューラの言葉を裏付けるように、死者の融合体がその全身を崩壊させていった。
 炎を纏う魔女が、熱に晒されてもなお溶けようとしない氷の槍を振るう。
 極寒の風が吹き荒れて、凍える大気が異獣の肉体を蹂躙していく。凍てついた皮膚は冷ややかな風と氷の欠片に引き裂かれる。無数の裂傷から吹き出した血液は瞬時に凍り付き、蓮の花のように全身を彩った。

 血も凍る紅蓮地獄。
 炎が踊る中、氷血の華が咲く。
 血の氷細工、いびつな蓮の造花が、一斉に燃え上がった。

 燃えるような赤、紅蓮の色を炎との類似であると見立てたのだろうか、アナロジーの灼熱が死者の巨体を焼いて苛んだ。

「ほらね? 冷たいばかりでは、無いでしょう?」

 一体何に対するいらえなのか。
 コルセスカが最後に槍を振るうと共に、その背後で異形の死者が跡形もなく滅び去った。

『ま、ただの逆恨みを復讐とか報復とか言って、それっぽい偽装で誤魔化さないと戦えないような連中には、勿体ないくらいの葬送だよねえ』

 ちびシューラの声色はいつになく酷薄で、蔑みに満ちている。跳躍から床へ、着陸寸前に脚部のスラスタから何らかの推力を噴射して制動をかけ、安定した姿勢で床に俺を下ろす。

 機械ごしの手付きがどこか優しくて、どうしてか俺は姿が見えないはずのトリシューラに抱きしめられているかのような錯覚をしてしまった。
 それがまるで、慈母の掌であるかのように。

『お疲れ様、シューラの殺人鬼さん』

 何故だろう。胸の動悸が、止まらない。

 

 負傷のせいだった。
 戦いが終わり、俺とコルセスカは揃ってその場に倒れ伏した。

 最後の場面で碌に活躍できなかった鬱憤を晴らすかのように、その点穴の技を活用し治療を開始するカーイン。それでいいのかと問いたい気持ちはあったが、ここで敵対されても困るので黙って介抱される。

 一方でトリシューラはというと、全身のボロボロ具合では俺やコルセスカと似たようなもののはずなのだが、至って元気に強化外骨格から出てくると、向こう側で倒れている最初の融合体の死体に近寄っていく。

「ほらほら、王獣カッサリオの角っ! レアドロップだよっ!」

 などと、カッサリオの砕けた角やもう一つの角を赤熱するナイフで抉り出して、頭上に掲げて大はしゃぎしている。もうトリシューラはあれでいい気がしてきたので、特に感想は無い。

 そのあと、激しい戦闘の時も捕らわれていた時も一切目を覚まさなかったという、ある意味この中で一番の剛の者ではないかと思われる猫耳の少年が目を覚ました。
 実際の所、それが今回一番の大事件だった。

「あの、ここはどこですか? 僕は、誰なんでしょう?」

 少年は記憶を失っていた。
 トリシューラの見立てでは、融合体の中に取り込まれた際のショックでそうなってしまったのではないかとのことだが、そうなると俺の記憶が消えていないことが気になる。

 それを口に出すと、「いや、アキラくんの記憶が全部無事だって保証は無いけどね?」と怖い回答が返ってきた。大丈夫なのか俺。
 結局、少年の記憶は全てあの異獣の中に消えてしまった。

 俺が彼に拘った最初の理由である、アズーリアとの関わり。アズーリアへ繋がるか細い手がかりは、ここで切れてしまったことになる。
 とはいえ、悲観することばかりでもない。

 第六階層から第五階層へと移動する途中、カーインが俺に連絡先を教えろと要求してきた。時を置いて、いずれ果たし合いを申し込むらしい。端末の固有アドレスなど持っていないことを告げると、小さなメモに文字を書いてこちらに寄越してくる。

 この時カーインはうっかりしていたのか、メモに書く文字を日本語にするのを忘れた。つまり自分の母語の文字を書き連ねたのだが。
 俺はそれを読むことができた。

 かかれた文字が揺らぎ、形を成し、不定型でありながら定まった姿を持って俺に認識できる言葉になっていたのだ。それはカーインの母語であり、また俺が用いる日本語でもあった。その二つは重なり合っていた。
 俺は、コルセスカやトリシューラ、それから少年にも何かを母語で書いて欲しいと要求した。

 結果、俺はそれらを読むことに成功した。
 そして、俺の書いた日本語にも同様の効果が発揮されていることが、端末を持たない少年が日本語を読めた事で証明された。

 彼らの書いた文字を俺が読める、俺の書いた文字を少年が読めるということは、つまり俺がこの世界で居場所を作り出せる可能性が皆無ではない、ということを意味しているらしい。

 であれば、俺の第二の生、この生活も、そう未来の無いものではないのかもしれない。
 大量の死を積み上げ、他者の命を貪りながらでも、生活は続いていく。
 階層を繋ぐ長い階段から、まだ見知らぬ外の世界が見渡せた。

 無数の『世界槍』が鉄の天蓋と広大な大地を貫く、多層的な世界。
 地上の太陽と、山脈の向こうから昇り来る天上の太陽。二つの光が眩しくて、俺は壊れた左腕を翳す。

 遮りきれない光の向こう、階段の上で、共に戦った仲間たちが待っている。
 俺はその場所へ辿り着くために、足を前に踏み出した。

 

 

 
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