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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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死人の森の断章4-3 栄光の手



 太陰イルディアンサの王子ヴァージルは、月の王家最後の純血であったとされている。『純血』というのは、この世界においては同じ種族とのあいだの子供、ということらしい。であれば、彼は月の民、兎の耳をした両親から産まれたことになるのだが、この物語ではどうやら設定が異なっているようだ。

 それがどのような意味を持つのか、俺は知らない。
 史実とは異なる出生であるという脚色か、それとも通説とは異なった『歴史の真実』なのか。いずれにせよ、この演劇空間においては目の前の展開こそが俺にとっての現実だ。

 右耳は兎、左耳は妖精という左右非対称の特徴を持つヴァージル。
 彼の偏執的な屍体への行為によって、冥界の魂に命が宿ってしまった。
 蜂蜜色の髪を振り乱して絶叫する少女と、空間を引き裂いて現れた機械仕掛け。
 光と共に現れた罰神ティーアードゥに、お互いに禁忌を破ったサイザクタートとヴァージルは後退る。

 混迷を極める状況で、俺は必死に各勢力の思惑を推測する。
 この舞台は俺とグレンデルヒとテスモポリスとが『あるべき筋書き』に干渉しつつ望む結果を手に入れようとするゲームだ。
 だが、その結果というのがどうにも曖昧だった。

 俺は六人の王や王子といった主役たちを結末まで導き、未来で苦境に陥っているヒュールサスを救ってもらえる状況を作り上げようとしている。
 そして、ヒュールサスを救った後には六王に更なる未来での助力を請うことになるのだと、俺は予想している。

 未来人である俺は、将来グレンデルヒを打倒するために協力して欲しいと六王たちに依頼し、その子孫たちに助けてもらうことが最重要目的だ。
 対してテスモポリスは、俺と方向性は似ているが、六王を自らの勢力である死人の森に取り込もうとしている。

 つまりは六王とその王国という強力な援軍を奪い合い、未来で味方になってもらおうという交渉合戦をしているとも言えるわけだ。
 テスモポリスはそれに加えて『断章』とやらの回収や、六王を再生者オルクスにすることで本人たちを手勢に加えようとしているらしい。

 そして、恐らくはそれが『現在の正史』であるはずだ。ゼドに頼んで死人の森について調査をしてもらった際、死人の森の女王に仕える六人の高位再生者(オルクス=ハイ)について聞かされたことがある。

 そしてグレンデルヒは死人の森を制圧して支配下に置き、テスモポリスを従えていた。テスモポリスはガロアンディアンと【変異の三手】の抗争に乗じて反乱を起こしているというのが今の状況だ。

 してみると、案外構図は単純なのかもしれない。
 三つの勢力は舞台上で劇の流れに即興で干渉することで、それぞれ自分の都合のいい歴史を作り出そうとしている。

 そしてその都合の良さというのは、強大な力を持つ伝説の六王が、自分の味方をしてくれるということなのだろう。
 思い返せば、グレンデルヒは現れるたびに極端な主張を繰り返して王の行動に干渉しようとしていた。あれは、グレンデルヒ的な思考に影響されることを期待しての行動なのではないか?

 誰かを自分の好きなように染め上げる――ある意味では、俺やテスモポリスも奴とやっていることは同じだ。
 しかし、過去の人物というのは現代人にとってはどのようにでも解釈が可能な『キャラクター』という側面を持つ。

 恣意的に、ときに偶然に。
 人の意思や振る舞いを好き勝手に解釈し、想像し、叙述する。
 神話の魔女コルセスカの多様な参照元のように。
 それは、『未来』という特権を振りかざした『過去』への権力行使だ。

 そんな思考があったからだろうか。
 俺は、未来人である自分が一方的に彼らを思いのままにしてしまう、そんな暴力性を意識するあまり、躊躇いを抱いていた気がする。積極的に事態に介入して、自分の都合のいい人格を演じさせることに、迷いがあったのだと、そう思う。

 だが、本当にそうなのか。
 過去は未来に対して、全くの無力なのだろうか。
 遠い未来に想像を羽ばたかせ、目の前の現実に取り組むことで状況を変えていく力があるのは、むしろ過去の方なのではないか。

 弱者は、どちらの方だ?
 ヴァージルの、赤い瞳が俺たちを、神を順番に見た瞬間、俺はそんなことを考えずにはいられなかった。
 罰神が放った雷が彼に直撃する寸前、細い手がさっと振り払われた。

「――うるさいな」

 レオが演じているということが信じがたいほどの冷たい声だった。
 まるで彼の内側にヴァージルの魂が入り込んだかのような――否、実際に入り込んでいるのかもしれない。グラの中に俺という役がいるように。

 ヴァージルという役が、レオの中で確かに息づいているのを感じる。
 同じ立場だからこそ。
 その圧倒的な力が左半身の肌で感じられるのだ。

「ちょっと、黙ってて」

 ヴァージルが腕を振り、俺の想定していた筋書きと共に神を粉砕した。
 輝く雷が闇を切り裂いて、巨大な機械仕掛けを完全に破壊し、巻き添えでティーアードゥを吹き飛ばしてしまったのだ。

 滅茶苦茶だった。ティーアードゥの登場は正しい筋書きのはずだ。ヴァージルとサイザクタートは共に禁忌を破った罰を受けるが、お互いがお互いを庇ったことでティーアードゥは二人に赦しを与える。ヴァージルは自分の身を案じてくれる親友がいる生者の世界に戻る事を決意して、サイザクタートの異形を受け入れるのだ。

 ヴァージルは太陰イルディアンサには戻れないものの、ヒュールサス随一の言語魔術師ウォゾマに知恵競べで勝利してその地位を奪い取り、サイザクタートと共にヒュールサスを守護するというのが俺の望む流れ、台本通りの筋書きだ。

 ここより未来で出会った老いたサイザクタートは一人だった。その状況を改変することが俺の勝利条件だ。後世のヒュールサスにヴァージル本人か子孫が残っていれば、力になってくれる可能性が高まる。

 つまり俺としては、ヴァージルとテスモポリスが結ばれて、死人の森に組み入れられてしまっては困るのだ。
 というか、さっき額に口づけとかしてたよな。
 いくらレオとはいえ、そしてあの身体も意識もコルセスカ本人のものではないとはいえ、ちょっとこう、なんというか。

(あの、だらだらと頭の中で喋られるの鬱陶しいんですけど。っつかレオさんのあれ、フリだけでしたよ。演技なんだから本気でするわけないでしょう)

(お前にとってはただのフリでも役である俺にとって演技は現実なんだよ!)

(めんどくせー)

 グラが呆れたように内心で呟くが、俺はそれどころではない。
 ヴァージルの放った電撃によって機械仕掛けは機能を停止してしまい、ティーアードゥは動けない様子だった。ヴィヴィ=イヴロスのやつ、まともに説明もしない上に役に立たないとかどうしようもないな。

(アキラさんも役に立ってないような。いえ、何も言ってないです)

(言ってるじゃねえか)

 馬鹿をやっている間にも、状況は推移していく。
 甲高いテスモポリスの絶叫は悲痛に闇の中に響き続ける。
 痛々しくおぞましい光景だが、実際にはテスモポリスにとって望ましい展開のはずだった。

 ヴァージルの子を孕み、出産する。
 それは二人の強固な結びつきを意味しており、ヴァージルがこのまま冥界に留まって結婚することでテスモポリスの勝利は確定する。

(どうします? 強引に止めても、あの電撃でやられるだけですよ。言っておきますが、俺の生体電流操作なんか足下にも及びませんよ、あれ)

 同系統の呪術を使う彼がお手上げというのなら、本当にどうしようもないのだろう。俺はと言えば、現在はあらゆる外付けの力を失っている為に役立たずだ。
 手を出しあぐねているうちに、事態が大きく動いてしまう。

 ぼとり、と。
 羊水の滴る土の上に、『それ』は産み落とされた。
 サイザクタートが、呆然と呟いた。

「腕、だけ――?」

 誕生したのは、信じがたい事に片方の腕のみだった。
 生気の感じられない、肩口から切り落とされた右腕。
 このようなことがあり得るのか。
 人体の一部分だけが産み落とされる、などということが。

 しかし実際、目の前で起こってしまっている。
 そして、腕のみによってその存在を保証されている実例が、今まさに俺という形をとって示されているのも事実だ。
 ヴァージルの悲痛な嘆きが響き渡る。

「ああ、どうして、どうして! 骨を、綺麗に残っていたママの骨を、たくさんたくさん愛してあげたのに、撫でてあげたのに!」

 今、彼は『骨』と言ったのか。
 太陰イルディアンサの葬儀が火葬であれば、残るのは確かに骨だけだろうが、その骨に何をすれば子供が生まれるというのだろう。
 正直、俺の想像を絶していた。

「世界の想像力というやつはどこでも似たり寄ったりなんだねえ。『手孕説話』というやつだ。屍体に手で触れることによって死者の魂が妊娠する――これも感染呪術の一種ということになるのかな?」

 サイザクタートの右側で、ケイトが飄々と分析してみせる。
 完全にこの世界に適応して言語魔術師となった彼は、こうした呪術的な事情を容易く理解できているようだった。

 想像する。誰もいない墓地に侵入し、母親の墓を暴いて骨壺を持ち上げる少年。
 骨を手にして、うっとりと眺め、頬を寄せ、優しく愛撫する。
 屍体への性愛。病的なまでの、諦めきれないという執着。
 呪いだ。あの腕の赤子は、まさに呪術の産物なのだ。

「嘘だ、嘘だよ。こんなのは夢――ああ、そうだ、ここは夢の中? でも、この夢はどうしてこんなにも確かに感じられるの?」

 空ろな目でぶつぶつと呟くヴァージルに声を掛けようと、サイザクタートは歩み寄ろうとする。しかし、与えられた罰をかばい合うという行程が消滅してしまった今、二人の間には目に見えない壁が存在したままだ。三つ首の番犬は、相手に拒絶されることが怖くて足を踏み出せない。

 ヴァージルはしばらくぶつぶつと呟き続けていたが、出し抜けに蹲って荒く息を吐いているテスモポリスを凝視した。
 そして、何かに気付いたように。

「そうだ、そうだよ。こうなったのは、ママが悪いんじゃないか」

 そんな、信じがたい事を口にした。
 コルセスカと共にプレイしたゲームや事前に渡された台本に存在していた、優しく純粋なヴァージルというイメージが、あっけなく崩壊していく。

「僕をこんな耳で生んだのはママだもの。子供を産むのは母親の責任でしょう? ママがちゃんとしてないからこんなふうになったんだよ。ねえ、どうしてきちんと健康に産んでくれなかったの?」

 愕然として、俺はヴァージルを見た。
 白い垂れ耳は、彼の純粋さの象徴だ。どのような色彩であっても容易く染まってしまう。それが小さな染みであっても、その染みが濃ければ濃いほどに色は目立ってしまう。

(何だあれ、まるでグレンデルヒの奴みたいなことを)

 グラが嫌悪感を込めて言うが、まさにその通りだった。
 冥道の入り口でウォゾマ=グレンデルヒの言葉を聞き続けたことが、追い詰められたヴァージルを変質させるきっかけとなってしまったのだ。

 恐らく、決定的なものではない。
 止める機会、流れを変えられる瞬間はあったはずだ。
 だが、俺とグラはケイトの妨害によってサイザクタートの足を止められてしまい、結果としてヴァージルは『汚染』された。

(そうか、再生者だからテスモポリスの部下になると決まった訳じゃない)

 グラは何かに気付いた様子で言った。

(どういうことだ?)

(自分で考えて下さいよ――まあいいや。『上』にとっては九大眷族種はイコールで味方なのかもしれませんが、俺が居た『下』にはその九種族が普通に他の種族と混じって暮らしてます。つまり、種族とか神の加護とかで所属が決まったりはしないってことです)

 グラの指摘ではっきりした。
 六王を『邪悪な解釈』によって汚染することがグレンデルヒたちの狙いだ。
 『昔話は本当は残酷』で『史実は大衆向けに脚色されたものよりも陰惨』といった認識で過去を塗りつぶすという行為。

 歴史上の人物が物語上で描写される際にどんな人格にされるかは、作者の匙加減である。ある物語では善玉として描かれるが、別の物語では悪玉として描かれるということもままある。巷間に流布したイメージというのは確かにあるが、それを逆用したり、核となるイメージはそのままに解釈を変えるということも可能だ。

 グレンデルヒのアプローチは、六王がテスモポリスによって再生者にされても、その人格や思想をグレンデルヒ寄りのものにすることで、再生者のまま自陣営に引き込むという単純なものだったのだ。

 考えてもみれば、当たり前の事だった。
 何よりも確かな実例として、一度殺されて、気がついたらここにいたという牙猪のチリアットは、恐らく再生者にされてしまっている。

 にもかかわらず、今まで通り俺たちの味方をしてくれているということは、六王が再生者にされたからといって諦める必要が無いことを意味している。
 これは俺たちにとっても有意義な情報だ。

 そして同時に、こんな考えも浮かんでしまう。
 本当に、再生者は、死人の森は、倒すべき敵なのか?
 迷う余地は無いように思える。コルセスカを見捨てる選択肢は無い。

 俺たちの陣営は決定的に何もできないままだった。
 冥界に足を踏み入れて死にかけているヴァージルはこのままでは再生者になってしまうし、既にその人格はグレンデルヒらによる悪意の解釈がされてしまっている。この状況を打開するには、こちらの解釈で彼を変質させなければならない。

(グラ、サイザクタートにヴァージルを窘めさせることはできるか? さっきのウォゾマを撃退した時の流れから考えれば、ここでサイザクタートがそういう言動をするのは役の解釈からぶれていないはずだ)

(了解です)

 グラはサイザクタートとして台詞を口にしようとするが、それに被せるようにしてケイトが余計な口を挟む。

「ああ、どうしよう! ヴァージルにそんなことを言ってはいけないと指摘したい。でも、そのせいで彼に嫌われてしまったら? 今まで信頼関係を築き上げてきたのに、ちょっとした考え方の違いで仲違いするなんて悲しいじゃないか。そうなってしまうくらいなら、こちらの不満は胸にしまっておくべきだ、きっとそうだ。この事には触れないことにして、黙ってやり過ごすのが賢いやり方さ」

 あまりに露骨な妨害に、思わず俺は台本にない台詞を口走ってしまう。

「このクソ野郎、ふざけたことをっ」

「両側からうるさいってのっ」

 ぎゃあぎゃあと三つの首がやかましく言い合っている間にも事態は進んでしまう。今、この場の主役はヴァージルとテスモポリスなのだ。サイザクタートやらティーアードゥやらは何のために出てきたのか分からないノイズでしかない。

 その時、地面に落ちていた片腕が、ぴくりと動いた。
 信じがたい事に、それはぎこちなく指を動かし、手首をくねらせ、肘を使って蛇のように移動しはじめたのだ。
 右腕は、それが産まれる原因となった父親の下に向かう。

「気持ち悪いっ、あっちに行け!」

 嫌悪感に表情を歪めながら言うヴァージルは、右腕を蹴り飛ばした。
 父親に拒絶された腕の赤子は、手首を曲げて震えた。心なしか悲しそうにも見える。やがて、また全身をくねらせて別の方向へと這っていく。

 腕を産み落とした少女、テスモポリスは土の上にしゃがみ込んでいた。
 赤子は彼女の膝のそばにやってくると、指先で恐る恐るといったふうに触れようとする。先程の経験から、拒絶されることを恐れているのだろう。
 だが、その心配は不要だった。

「とっても元気。可愛い子ですね――大きくなったら、どんな腕さんになるのかしら。いまから楽しみです」

 慈しむような柔らかな口調で、少女は右腕を抱き寄せた。
 その手を撫でて、腕を抱えたまま、赤子をあやすようにゆっくりと揺らす。
 右腕から緊張がとれ、弛緩した状態で母に体重を預ける。

 テスモポリスは、異常な出産であったにも関わらず腕の赤子を拒絶しなかった。
 それは異様ではあったが、確かに母子という関係性が構築された瞬間だった。
 灰色の瞳が、一瞬だけこちらを見る。

 どうしてだろう。
 サイザクタートではなく、右側の頭部に宿る俺を見たのだと、そう思えてならなかった。彼女は、確かに俺に合図をしたのだ。
 灰色の瞳に、俺は『流れ』を見た。

(グラ、今ならサイザクタートが動かせる! その材料ときっかけをテスモポリスが作ってくれた! 拒絶を恐れずに行動した結果、異質な外見でも受け入れて貰えるという前例が生まれたんだ。動くなら今、この瞬間だ!)

 確信があるわけではない。
 それでも、これはテスモポリスが状況を見て、俺たちと連携を取るために選んだ行動なのだと俺には思える。グレンデルヒという敵を相手にする限りにおいて、俺たちは共闘できるのだ。

 グラがヴァージルへと歩み寄り、その華奢な腕を掴む。
 そして、自らの三つの頭部を相手にはっきりと見えるように真正面に立った。
 ヴァージルは最初にサイザクタートを見て、次にテスモポリスと右腕を見て、それから自分の左右非対称な耳を触った。

「ヴァージル。ここには罪なんて無い。禁忌もそれに対する罰も、馬鹿馬鹿しいことだ。罰神にだって文句は言わせない、何か言われるようであればこの番犬が君たちを守ると誓おう」

 サイザクタートの語る禁忌とは、二人の『見るな』と『行くな』という約束のことであり、母と子の、生者と死者の情交のことであり、異質な形を持って生まれたことでもあった。その全てが、罰神が情けなく敗北して横たわっている今、赦されたのである。もはや彼らを罰するもっとも強大な権威は存在しないのだ。

「サイザクタート、僕は」

 ヴァージルが何かを言いかける。
 その時、サイザクタートの右頭が呟いた。
 劇など知らぬとばかりに、ケイトが暴走する。

「このままでは終わらせないよ――こっちには預かった『断章』があるんだ、悪いけどそのハッピーエンド、不条理にぶちこわさせてもらう!」

 突如として上空に黒い装丁の本が出現し、青白い輝きを放つ。
 それはひとりでに開いたかと思うと、項が凄まじい勢いでめくられて、発光する文字列が内側から飛び出して虚空を踊っていく。

「さあ『健康』の断章よ、あらゆる劣った遺伝子を駆逐しろっ」

 『愛情』、『道徳』、そして『健康』――それぞれ名前があるらしい黒い断章には、その名前に応じた力を宿しているらしい。
 吐き出されていく文字列は毒蛇のように鎌首をもたげ、明らかにこの場にいる者たちに狙いを定めていた。

 ケイトの言葉が正しければ、あれはサイザクタートたちを害する代物だ。
 迫り来る脅威に、テスモポリスが呪文を唱えて抵抗しようとする。だが、出産により消耗した彼女の呪文は書物から放たれた文字列に吹き散らされてしまった。

 濁流のような黒い文字の群が、テスモポリスが抱く右腕の赤子に襲いかかる。
 何か柔らかいものが弾けるような音と、閃光が暗闇の中に散っていく。
 倒れたのは、ほっそりとした少年――ヴァージルだ。
 彼は母子を庇うために身を挺して前に出て、その結果として命を落とした。

 流れ出る血の量は少なく、冥界に足を踏み入れた彼が既に命を落とす寸前であったことを物語っていた。
 サイザクタートが嘆きの遠吠えを上げて、テスモポリスが項垂れる。

 形としては、死人を手勢に加えられるテスモポリスがやや優勢。
 だが、暴力によって全ての展開をぶちこわしにしようとするケイトの攻撃はまだ終わっていない。呪文の嵐が世界を埋め尽くし、サイザクタートの右側を除いた部分を滅多打ちにする。

 更にケイトは、命を落としたヴァージルの屍を損壊していく。
 サイザクタートは怒りの声を上げるが、波濤のように押し寄せる文字の群は彼に行動の余地を与えてくれない。
 絶体絶命の状況。

 もはや今回の舞台での勝利の芽は摘まれたかと思われたその時。
 俺には想像もできなかった――そしてこれまでの展開からすればごく自然な動きによって、状況はあっけなく覆される。

 右腕が、闇の中に飛び上がった。
 夥しい文字の群、圧倒的な力を宿した呪文。
 それを、手刀の形を作った右腕が鮮やかに切り裂いていく。
 まるで、それ自体がより強固な呪文の刃であるかのように。

(そうか――父親の、仇打ち)

 グラが、どこか納得したように内心で独白した。
 一度は拒絶されたが、母子の危機にその身を危険に晒して命を落とした父親。
 それは、生まれたばかりの右腕にとって戦うに値する理由だったのだ。
 どれだけその光景が荒唐無稽であっても、辻褄が合うのならそれは成立する。

 一振りの剣となって空中を乱舞する手刀は、全ての文字を引き裂いたかと思うと浮遊する黒い本を強引に掴んで閉じてしまう。回転の勢いにまかせてテスモポリスにそれを投げつける。

「ありがとう。これで三冊目ね」

 にこりと微笑んで黒い本を回収するテスモポリスの表情には余裕が溢れていた。
 状況だけ見れば彼女の完全勝利に近いが、まさかここまで計算通りなのか。
 右腕は宙をくるくると舞ながら、サイザクタートに向かって飛来してくる。
 正確には、サイザクタートの右側に向かって。

「よせ、来るなっ」

 ケイトの言葉は宙を舞いながら発せられた。
 既に、右側の頭部ははね飛ばされていたからである。
 斬首されたことによって右頭部が飛び上がり、その内側から小さな男性が放り出される。力士のパートナーであるインド系行司。

 立体映像である彼に、テスモポリスが『断章』から放った呪文が直撃する。
 耳を劈くような絶叫が響いた。

「肉体の放棄に人格の移し替え――それって、貴方たちが定義する『健康』からは大きく外れているのではなくて? はっきり言って、ミスキャストです」

 激しい閃光と共に、ケイトは爆発。跡形もなく消失した。
 あのクラスの言語魔術師ならバックアップくらい用意していてもおかしくないし、本体はゾーイの所だろうからこれで終わりとは思えないが、ひとまずはこれで終わったと考えてもいいだろう。

 右腕が再び少女の手の中に収まった。テスモポリスは息絶えたヴァージルのそばで呪文を唱えている。
 悔しいが、完璧に彼女たちの勝利だった。
 俺たちは何も出来ず、状況を打開したのもあちら側の力。

 右腕が少女の頭部によじ登って、得意げにこちらを見下ろそうとしている。背丈が足りずに結局見下ろされてしまっているが、とにかく偉そうな態度とこちらへの侮蔑が伝わってきた。

(なんかこいつ腹立つなコイツ)

(落ち着いて下さい。ここで暴力に訴えても流れは変わりませんよ)

 そう、ヴァージルが死んでしまった時点で、テスモポリスの優勢は揺るがない。
 目を見開き、再生者として甦ったヴァージルは、状況をすぐに理解した。
 そして、冥道の幼姫である少女に忠誠を誓ったのだった。

(またか。もう半分だってのに、負けっ放しとはな)

(まだ終わったとは限らないんじゃないですか)

 グラの言う通り、再生者になったからと言って死人の森に付くとは限らない。
 だが、今の状況をこれ以上動かすのは難しいだろう。
 そう思っていたのだが、テスモポリスは跪くヴァージルを立たせてこう言った。

「どうか、貴方を必要としている人たちの所に行ってあげて? 私の味方になってくれるのは、遠い未来でかまいませんから」

「でも、それじゃあ二人が――」

 少女は人差し指をヴァージルの口の手前に持ってきて言葉を封じた。
 それから、柔らかく微笑む。

「大丈夫。この子は、私が責任を持って育てます。だから貴方は行って? それは、私とこの子のためにもなるのだから」

 そうして、ヴァージルは再生者となりながらも地上に戻ることを主に許可されたのだった。
 その後、テスモポリスは擦れ違うサイザクタートの耳に口を寄せて、

「私は決してアキラ様の敵ではありません――共にグレンデルヒを倒しましょう」

 そう囁いてきたが、俺は何の反応もできないまま冥道を引き返すことしかできなかった。
 そう、俺たちの敵は同じ。
 だから、協力する事は本来容易なはずなのだ。

 コルセスカの存在が失われるという最悪を、俺が許容できさえすれば。
 トリシューラとガロアンディアンは助かる。
 俺一人の我が侭に、レオやチリアット、グラッフィアカーネたちを巻き込んで、彼らに不利を背負わせていいものだろうか。

 迷いがある。
 コルセスカをそんな天秤に乗せて、選択肢を作っている自分がたまらなく嫌だった。俺はせめて、テスモポリスを憎むことで感情のやり場を作っていたが、それももう限界かもしれない。

 俺は、コルセスカの前世の一つである少女が憎いのでは無い。
 その二人が交換可能であるという状況そのものが、そしてそれに抗えない自分が、どうしようもなく憎いのだった。

 冥道を逆に辿り、光差す場所へと足を踏み出す。
 だが、洞窟の入り口でヴァージルとサイザクタートを待ち受けていたものは、非常な現実だった。
 ずらりと並ぶのは、排他的な意思。

 ウォゾマ=グレンデルヒの意図は、そうして明らかになった。
 洞窟の入り口で、俺たちを待ち受けていた村人たち。
 彼らは手に農具や槍などを持って、こちらを包囲している。
 その目に宿るのは、明白な敵意。

 口々に罵声を浴びせてくる村人たちの言葉を総合すると、つまりはこういうことらしかった。
 ウォゾマとその思想を退けた結果として、ヒュールサスの財政は傾いた。
 増大する福祉への支出は際限なく国庫を食らいつくし、債務が積み上がり、税は重く民にのし掛かっていく。

 破綻は目の前だった。
 ヒュールサスからは活気が失われ、やがて寒々とした風が吹き込むようになっていった。

「役立たずを養ってやる余裕なんざねえんだよ!」

「余計な真似しやがって、この余所者が!」

「このままじゃ俺たちが殺されちまう!」

 口々にそう言う彼らの表情には、追い詰められた者特有の焦りが浮かんでいる。
 ヒュールサスは現代の国家ではない。
 生産性も技術水準も社会基盤も何もかも未成熟で、あらゆる者を尊重するだけの余裕など、始めから無かったのだ。

「私は何もお前を責めようというわけではないんだよサイザクタート。ただ、以前の言葉を撤回して欲しいだけなのだ。こちらの主張を『正しい』と認めて欲しい、それだけでいいんだ」

(駄目だ、絶対にやめろ)

 ウォゾマの思想を肯定すれば、この物語を彼の言葉で締め括ることに繋がりかねない。結末は物語の色を決定付けてしまう。
 そうなれば、これまでの過程に関わらず、主役であるヴァージルの解釈も変化してしまう可能性があるのだ。

 グレンデルヒからの『解釈の改変』という攻撃は、しかし空振りに終わった。
 サイザクタートが答えを出すまでもなく、ヴァージルがこう言ったからだ。

「ねえサイザクタート。僕、イルディアンサに戻るよ。そして反抗勢力と戦うんだ。そうしたら、彼らが歪めようとした神々の図書館をあるべき姿に戻してみせる。世界に正しい秩序をもたらすこと。サイザクタートのような人が平和に暮らせるようになること。話に聞く竜王国のようなあり方を、イルディアンサや他の国でも実現できればいいと、僕は思うんだ」

 流れるような早口で、誰かが言葉を差し挟む余裕を与えない。
 レオのはきはきとした長広舌に、さしものグレンデルヒも介入の隙を見つけられずに顔を顰める。
 それから、ウォゾマに向かってほほえみかけた。

「僕、きっと良い王さまになります。そうしたら、ヒュールサスの皆さんの問題を解決してあげることだって出来ると思うんです。だからどうか、その日まで少しだけ待って下さいませんか?」

 そして、ヴァージルは指を軽やかに鳴らした。
 彼を太陰からこの地まで運んで来た脱出艇――大気圏を離脱可能な宇宙船でもあるそれが、自動航行モードで使用者の頭上に飛来する。

 ヴァージルはそうして、光に包まれて太陰へと向かう。
 その途中で振り返り、サイザクタートに向かって手を差し伸べた。
 三つ首の犬はゆっくりと手を伸ばして、小さな手と大きな手が重なり合った。
 二人はそうして光の中に飲み込まれて、流線型の宇宙船は空高く飛翔していく。

 ウォゾマと村人たちは、それを何も出来ずに見送ることしかできなかった。
 そしてそれが、物語の結末となった。



「多分、あれが本来の筋だと思います。強引なアドリブっぽかったですけど、僕にはそういう『流れ』だと感じられました」

 そういうことか。
 舞台袖でレオの推測を聞いて、俺は納得が胸に落ちるのを感じていた。
 本来ならば今とは違った結末を迎えてしまうヴァージルを再起させること。
 それこそがこの劇の目的だったのだ。

 そしてそれは、あらかじめ用意されていたヴァージルが地上で平和に暮らすという『定番の生存説』に沿った結末とは相反するものだった。
 確信する。テスモポリスこそが正しい道筋を理解していたことを。そして、ヴィヴィ=イヴロスが俺に誤った台本を渡していたことも。

 つまり、ヴィヴィ=イヴロスはテスモポリスと結託しているか、既にテスモポリスの支配下に置かれており、従属する立場にある。
 考えても見れば当然のことだ。ここはあの魔女の浄界。そこで好き勝手に振る舞えている事が既に異常事態である。

 予想通り、三つ巴の戦いなどというものははじめから存在しなかった。
 ゲームマスターであるテスモポリスに、俺とグレンデルヒという二つのプレイヤーが挑むという形式が正しい認識だったのだ。

 グレンデルヒに一度敗北したテスモポリスはガロアンディアンとの抗争で生じた隙を狙って反乱を起こしたのだろう。
 そしてグレンデルヒはその反乱を真っ向から迎え撃ったのだ。最強者であるという制約から、そうせざるをえなかった。

 状況から見れば、俺が属するトリシューラの勢力に攻め込んだグレンデルヒが外様の配下に背後から襲撃され、奴は挟撃されて二正面作戦を強いられているということになる。それでいて正々堂々と相手の用意した戦場で戦おうというのは、はっきり言って頭がおかしいとしか思えないが、それはともかく。

 やはり、俺が手を結ぶべきはテスモポリスなのだろうか。
 各勢力の状況が大ざっぱに理解できた今では、彼女と一時協力してグレンデルヒを倒すべきであるようにも思える。
 しかし、その後はどうなる。

 テスモポリスは、コルセスカの存在を乗っ取り、上書きしようとしている。
 あの魔女の味方をする、つまり奴の存在を認めてしまうということは、コルセスカの存在を不確かにしてしまうような気がしてならない。

 グレンデルヒを打倒すれば、俺の存在は取り戻せるだろう。トリシューラも助けられるかもしれない。しかし、コルセスカは?
 彼女に何かあれば、俺はきっと何もできなくなる。
 俺はもう、コルセスカ無しに生きていくことなどできないのだ。

 その選択肢は選べない。
 ならば、今まで通りに両方を敵に回すのか?
 あの、途方もなく強大な大英雄と大魔女を、同時に?
 正気の沙汰では無い。

 駄目だ。今の俺では決断できない。
 どうしようもなく意志決定を誰かに委ねたかった。
 力強く俺を牽引してくれる二人の主の言葉を、無性に聞きたくてたまらない。

 コルセスカ。
 トリシューラ。
 俺は、どうしたらいい?

(もー、仕方無いなあ、アキラくんは。シューラはなんでもしてくれるアキラくんのママじゃないんだけど)

 そんなものが無いにも関わらず、心臓が止まるかと思った。
 何故って、唐突に響いた声が、前触れ無く出現した姿が、俺にとって最もなじみ深いものだったから。

(だらしない上におばかなアキラくんの代わりに、シューラが考えてあげる。こんなに甘やかしてあげられるのは、シューラがとーっても優秀なおかげだから、そこの所をよろしくね?)

 間違いようもない。
 俺もまた実体のない存在となり、デフォルメされた姿として役者の視界に表示されているからこそ、その姿は確かな現実感をもって受け入れられる。なにしろ俺たちは今や似たような存在で、同じサイズになっているのだから。

(どしたの、シューラが誰だか忘れちゃった?)

 そんなはずがない。
 今回も偽物であるという可能性も、先ほどケイトを撃退したことで除外できる。
 だから俺は、どうして彼女がここにいるのかという疑問より先に動いていた。

(わわっ、なになに?)

 関節のない短い両腕を伸ばして、小さな体を抱きしめる。
 戸惑いが伝わってくるが、それでも離さないとばかりに強く引き寄せた。
 今は、それしか考えられない。
 俺の目の前にいたのは、紛れもなくちびシューラだったから。

(甘えたがりなんだね、今のアキラくんは。まあいいや、とにかくお待たせ! いざというときの為のバックアップ、スタンドアロンシューラ、ただ今起動したよ! というわけで、現状がどうなってるのか教えて欲しいんだけど、そろそろ離してもらっていいかな?)





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