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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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幕間『雷が鳴っている間は』


 不条理だ。
 竜王国にまつわる物語が幕を下ろした後、舞台袖であらためて展開を振り返ってみても、俺にはそう結論付けることしかできなかった。
 この筋書きは明らかに破綻している。

 だが、破綻したまま劇は続いていくのだ。
 緞帳が下りて、人形劇の幕間が訪れ、劇中劇の幕間が訪れ、劇の幕間となった。
 竜にまつわる劇の顛末は支離滅裂になってしまっていたが、次に繋がるという結末に変化は無いようだ。

 少女が行うのは人形劇からの更なる劇中劇。それは、竜王国が苦境に置かれることになった原因の一つを解決するための過去の再演。太陰イルディアンサを襲った災厄を解決し、『神々の図書館』が破壊されることを防いで、竜王国に降りかかる災禍を無かったことにしようと言うのだ。

 ディーテの干渉によって結末が変わってしまった今、過去を改変することにどれだけの意味があるのか、そもそもそれは必然性のある展開なのか。そういった細部は無視されていた。事態は正常な因果と切断されて進行してしまっている。であれば、この劇中劇は不条理と形容する他にないだろう。

 俺とチリアットは負けたのだ。
 体が震えているのを感じた。どうやらチリアットは先ほどの舞台を自ら演じたことで、何か思うところがあったらしい。
 舞台袖で立ち尽くす牙猪がつぶやく。

「師範代。俺は、トリシューラ様とマラコーダに拾われ、ガロアンディアンを第五階層に復活させるという話を聞いて思いました。これは最後の機会なのだと。ジャッフハリムを裏切り、逃亡してしまった俺に与えられた、一度きりの贖罪の機会」

 感傷にも似た言葉。
 チリアットは魔将ダエモデクの側近であり無二の友人でもあったという。
 そのような相手を裏切ったという罪の意識は、彼をずっと苦しめてきたはずだ。

「俺はガロアンディアンの、ジャッフハリムの理念から最もかけ離れた振る舞いをしました。大切な誰かの為に身を捧げるのではなく、利己的に生存のみを欲してしまった。俺にはやはり、資格が無い。先ほど、変異の三手との戦いでもそうでした。俺はまた臆して逃げた。ずっと俺は、正しくないままだ」

 犯した罪ゆえに彼に行き場は無く、たどり着いたガロアンディアンでも心の中に根ざした倫理はチリアットを許すことは無い。
 誰かの命より自分の命を優先するということ。見捨てた相手がかけがえのない相手であったからこそ、その罪悪感は次第に重くなっていくのだろう。

 自らの利益を価値基準の最上位に置いたとき、合理性を追求していけばチリアットのような行動を選ぶことは自然ではある。よほどの理由が無い限り、俺だって自らの命を危険に晒してまで誰かのために戦おうとは思わない。

 だから多分、チリアットを苦しめているのは、ダエモデクを見捨てた結果としてかけがえのない命が失われたことではない。
 逃亡によって、二人の間にあった価値を損なってしまったことが、苦しくてたまらないのだ。命惜しさに逃げた瞬間、目に見えない何かの価値は、命以下のものになった。

 そしてそれはきっと、先ほどの物語で示された竜王国の、ガロアンディアンの、そしてジャッフハリムに受け継がれた理念に繋がる価値観なのだろう。
 交換不可能だったはずの尊い価値を、自ら交換可能なものに貶めてしまったこと。
 それがチリアットの罪であり、トリシューラに見いだされた理由なのだ。

 さて。
 チリアットの精神はどうやらかなり参ってしまっているようだ。
 どうしたものかな。俺としては先ほどの舞台には、正直言いたいことが無いでもなかったのだが、こんな状態のチリアットを前に言うようなことでもないしな。

 というか、チリアットはおそらく誤解している。より正確には、トリシューラに騙されている。あの竜王国がガロアンディアンという国家あるいは理念に繋がり、それがジャッフハリム、ひいては地獄全体に広がったということはわかった。だが、トリシューラは厳密には下方勢力に属しているわけではない。

 あいつが求めるものは、あの地獄の総大将が見ているものとは別の地平にある。
 指摘するかどうか、少し迷ってやめた。
 いずれにせよ同じことだ。トリシューラの計画が成功すれば竜王国もガロアンディアンもジャッフハリムも過去になる。

 今はまだ、その結果がどうなるのかは未知だとしか言いようがないのだが。
 とりあえず、チリアットの精神を安定させるべく適当な行動や台詞を提示しよう。
 プロンプターというのは、そうやって役者にヒントを出してサポートするのが仕事なのだから。

(チリアット。お前のその弱さや正しくなさを、竜王国の、そしてガロアンディアンの理念は排除するのか?)

「いえ、それは」

(弱者を排除して、正しくない者を拒絶して、というやり方も、まああることはあるが、トリシューラとしてはそういうのはつまらないそうだ。ならやることは一つだ。あいつの治世下では悪人のおめめがキラキラして、偏った思考の奴は目玉がグルグルになって、馬鹿はある意味で頭が良くなり、正しくない奴は目をギラつかせて俺は正しいと主張する人間にされるんだよ。望めばそれは叶うんだ)

 そうささやくと、チリアットはその身を震わせた。
 恐ろしかったのか、おぞましかったのか。
 抵抗感、忌避感があるのだろう。まあそうだろう。この世界ではそれが普通だ。

 だが同時に、チリアットの心に憧れや焦がれが生まれたことも、俺には分かっていた。理想的な自分でありたい、恐怖という内圧に耐えられる己が欲しいという願いは、誰の心にもある。
 恐怖は、あまりに容易くこうありたいという自分を破壊してしまう。

 自分が自分であるために、自分を自分で無くしてしまう忌まわしい杖の洗脳技術を用いるという矛盾。しかし、それこそが俺とトリシューラがこの世界に根付かせて拡散させなければならない価値観だ。

(もう一度だ、チリアット。お前は自分の意志を再確認したんじゃないのか。なら、何度でも挑むだけだ)

「師範代」

(戦うぞ。お前が最も守りたいものに、もう一度値札を張り直す為に)

 とってつけたような台詞がどこまで彼の心に届いたのかは、正直言ってよくわからない。その奥深くまでは曖昧な存在の俺ではのぞき込むことが叶わないからだ。
 しかし、表面を波立たせることはできたようだった。

「そう、ですな。俺はまだ、戦える。まだ、舞台は残っている」

 牙猪の全身に、力がみなぎるのを感じた。
 密かに安堵して、俺はつたない演技を終えた。
 たった一人の心を動かすためだけの独り舞台だったが、ひどく疲れるものだ。

 ふと思う。瞳の中にいたちびシューラも、俺を使い魔にしようとしていたとき、こんな気持ちだったのだろうか。視界を飛び回る小さな妖精の姿も活気のある高音も、今はどこまでも遠い。食いちぎられて、もう一度つなぎ合わされた左腕が、微かに熱を持ったような気がした。どうしてか、わけもなく死にたくなった。



 それにしても、妙な感じが付きまとって離れない。
 チリアットが語ってくれた話と、人形劇の筋書きとの間には微妙な齟齬があるような気がした。ディーテの介入による不条理な結末とはまた別に、奇妙なのだ。

 人物像が噛み合わないというか、同じ出来事を扱っているのは同じなのだが、語ろうとしているものが違うように感じられたのである。

 妻子を物として取り扱い、孝行を重んじるような価値観は、現代人ではないことを考えればまだ理解できる範疇だ。恐らく俺の前世にも似たような民話があるはずだ。
 しかし、先程の人形劇はあまりにも寓話めいているというか、メッセージ性が強すぎはしなかっただろうか。

 最後の台詞を思い出す。
 ディーテは、はっきりと俺に対して語りかけてきていた。
 あれは、俺に見せる為の人形劇だったというのは、考えすぎだろうか。

 考えにふけっていると、チリアットの身体が強ばる。
 強い警戒心に反応して牙猪の視界と同調する。彼の見ている場所には、そろそろ見慣れてきた忌むべき男の姿があった。

「何の用だ、グレンデルヒ」

 厳密には、その皮をかぶったゾーイ・アキラ。
 いずれにせよ俺の敵だ。
 舞台が終われば姿を眩ませていたこいつらが、幕間の今、どのような用件でここに現れたのかが読めない。

「ここでやり合う、って感じじゃないな」

「無論だとも。君程度はその気になればいつでも叩き潰せる。だが、相手に何もさせずに勝ってしまっては勝負が成立しない。弱者を一方的に痛めつけるのは英雄としての沽券に関わるのでね。正面から相手の力を受け止め、勝ち目を示した上で圧倒してこそのチャンピオンというものだ」

 演劇の改変合戦という変則的な勝負でも己の最強を証明し続けるとグレンデルヒは豪語してみせた。だが、それは余裕というよりも彼を縛る制約なのではないかと俺は推測を固めつつあった。
 つまり、こいつはキロンと同じ英雄だということだ。

「お前の完璧な自己像は、最強を証明し続けなければ維持出来ないってわけだ。常に横綱相撲をとり続けなければ破綻する、か。頂点ってのは大変だな」

「その通りだとも。そして、弱者がつけいるとすればそこしかない」

 グレンデルヒは、己の弱点を隠さなかった。というより隠せないのだ。
 この世界ではあらゆる存在は呪いに縛られる。
 それは認識であり、言葉であり、関係性であり、また物理的な制約なのだろう。
 四つの呪術は人に力を与えると共に、それと同根の呪縛を生み出す。

 だが英雄は、それを不満には思っていないようだ。
 むしろ、それこそが英雄としての誉れだと考えているのだろう。
 それもまた、彼の英雄としての資質を強化しているようだ。

「さて、ここを訪れたのは、私から君たちに提案があるからなのだよ。それゆえ、この劇場の女主人にはしばし席を外してもらった」

 姿の見えないヴィヴィ=イヴロスが心配になったが、それよりも今はグレンデルヒの真意を問いただす必要があった。
 聞き返すと、意外な言葉が返ってきた。

「今回と前回、我々はしてやられた。またしてもあの女の一人勝ちだ。あれの手口はいつも同じ。献身的で従順な理想的な女らしい振る舞いをしていながら、腹にどす黒い企みを隠している」

「何が言いたい」

「私と手を組まないかと言っているのだよ、シナモリ・アキラ」

「論外だな」

 チリアットの口を借りて即答した。
 考えるまでもない。
 たとえグレンデルヒと死人の森の女王、最終的に双方を倒さなくてはならないのだとしても、その仮定でどちらかと手を組むなどありえない。

 なぜならば、こいつらは俺の最も価値ある存在を損なおうとしているからだ。
 トリシューラを、コルセスカを取り戻す。
 そのためにはこいつ等二人の排除が絶対条件だと俺は確信している。
 和解も共存も不可能だ。

「そうはいうが、次の舞台は我々に圧倒的に不利だと理解しているかね? おそらくこのままでは、あちらに主導権を握られたまままた敗北するだろうな」

 俺とチリアットは沈黙した。
 グレンデルヒの言葉は事実だったからだ。
 それは次の舞台の主役、太陰の王子ヴァージルが線の細い少年であることに起因している。つまり、役としてあまりに無理があるのだ。

 少年であるがゆえに、体格、声などの問題でチリアットと俺、ゾーイとグレンデルヒは圧倒的に不向き。
 だが、【死人の森の女王】――今は【冥道の幼姫】と名乗っているらしい彼女は違う。幼い少女であるならば、少年の演技も可能だろう。

「我々が結託すれば、主役の意向をねじ曲げて状況を動かすことも可能だろう。無論、どの時点で相手を出し抜くかという勝負になるだろうが、それはお互い承知の上であの女をやりこめてやるために手を組むのは君の目的には反しないと思うが」

 答えは出ている。否だ。
 しかし、俺の思考とチリアットの心が噛み合わない。
 チリアットは先ほど戦うこと、未来を見据える意思を固めたばかりだ。
 闘志を燃やしている彼にとって、提示された道は勝利へ繋がっているように見えているのかもしれない。

(よせチリアット。選択肢を作られた時点で相手の思惑にはまってるんだ)

 俺がチリアットを説得にかかろうとしたその時。
 グレンデルヒが前触れ無く腕を振った。
 閃光がほとばしり、天井から雷鳴が轟いたかと思うと、グレンデルヒの掌に吸い込まれるようにして電撃が収束していく。

「グレンデルヒッ」

 空間が歪み、怒りの声と共に現れたのはビークル犬を思わせる頭の若者だった。
 ガロアンディアン風にアレンジされた和装が翻り、袴が流麗な足運びで宙を渡っていく。トライカラーの虹犬種は、雷を全身に纏いながらグレンデルヒに飛びかかった。

「しつこい犬だ」

 機先を制したグラッフィアカーネの攻め手を、グレンデルヒは容易くいなして見せた。それどころか、相手の動きに完璧にあわせて逆に袖を掴み、豪快に投げ飛ばす。
 受け身をとって転がり、流石の動きで即座に体勢を立て直すグラッフィアカーネ。その表情に余裕は無い。

 対照的に、追撃者を余裕の表情で迎え撃つグレンデルヒ。
 その顔が、さっと強ばった。
 顔をしかめ、目を鋭くすると一言。

「ゾーイ、撤退だ」

 そう言葉が発せられた瞬間、グレンデルヒの姿はその場から消失していた。
 転移能力は健在のようだが、いったいどうして消えたのだろうか。
 俺とチリアット同様にこの劇場に移動してきたらしいグラッフィアカーネを脅威だと感じたのではないことだけは確かだ。

 と、彼がやってきた空間の穴から、もうひとりが「よいしょ」とばかりに現れる。
 グラッフィアカーネよりもさらに若い。少年と言うほか無い彼の頭頂部には、特徴的な耳が二つ。シャツの白さを引き締めるフォーマルなショートパンツとソックスは黒色で、それらに挟まれた膝は際立つように白い。革靴の色もまた黒で、首もとのタイも同様であるため、全体的に無彩色が目立つ。行儀良くしようとした結果なのか、ぴんと反った手のひらが力んで震えていた。

「レオ?!」

「来ちゃいました」

 驚きを口にすると、はにかんだような笑顔が返ってくる。
 純白の耳が、恥ずかしそうに少しだけ動いた。
 話を聞くと、二人は俺たちを助けるためにここまで来たらしい。
 公社に所属する腕のいい扉職人に頼んで、この場所のアドレスまで道を繋げたとか。

「アキラさんの音が、なんとなく聞こえたから。あとは僕が方向を扉職人さんに教えて、どうにかここまで来ることができました。グラさんが鼻を利かせて、グレンデルヒの行き先にあたりを付けてくれたのも大きいです」

 更にレオは俺の現在置かれている状況を知ると、こう提案した。
 次の舞台、主役を自分にやらせてほしいと。

「話を聞いた限り、そのコルセスカさんの前世の人は、あくまでも前世役をやりたがるような気がするんです。それに多分、背格好的に僕が一番無理がないと思います」

 確かに、その頭頂部から真っ直ぐに生えている二つの兎耳を見れば、それに異論を差し挟む者はいないはずだ。
 王子ヴァージルは、耳長の民、つまりは兎に似た種族なのだから。同じく兎の耳を持つレオほどの適任は俺たちの陣営には他にいない。

「そういうことなら、頼めるか」

「はい! トリシューラ先生やコルセスカさんを、必ず助け出しましょうね!」

 健気な言葉に、思わず胸を打たれる。
 レオはいつだってまっすぐで、天から降り注ぐ光のように正しい道を照らし出す。
 それは、キロンやグレンデルヒといった本物の英雄と対峙しても揺るがない、もう一つの本物なのだと思う。

 この奇妙な縁が俺に何をもたらすのかはともかく、少なくとも彼の記憶が戻るまでの間、俺はこの頼もしい少年との付き合いを続けることになるのだろう。
 方針が決まったところで、開演までの時間を情報交換に充てた。
 こちらの事は話し終わったので、もっぱらレオが話すことになる。

「それで、グラさんとの戦いの中でグレンデルヒはどこからか魔導書を取り出しました。それから、本を読み上げるようにして『宣名』したんです。それも、一つだけじゃなくて、沢山の名前を、それぞれ別の言語で」

「奴も【死人の森の女王】みたいに、複数の名前を用意してリスクを分散しているとかそういうことか?」

「いいえ。僕には、グレンデルヒじゃない別のひとの名前を宣言しているように聞こえました。グレンデルヒはそのままだったんですけど、その中に別の誰かが重なったような、一つになったような、変な感じです」

 ふと、俺の『シナモリ・アキラ』という名がグレンデルヒにいいように使われていることを思い出す。
 奴の能力に、関係しているのかもしれない。

「その後、グレンデルヒが使っていた魔導書から、もの凄い数の呪文が溢れてきたんです。それが一つ一つ、違う形になってグレンデルヒを取り巻いて――そうしたら、彼は別人みたいになっていました」

「別人?」

「はい。見た目はそのままなんですけど、雰囲気とか癖とか、なにより音が違いました。グラさんが攻め方を変えても、また別の人みたいになって対応されちゃって。多分ですけど、魔導書の中に沢山いるんです。本人の言葉を信じるなら、全部で百二十八人はいます」

 レオによれば、その名を聞くたびに恐れおののいた者がいたのだという。
 公社が誇る言語魔術師、水使いセージである。
 彼女はグレンデルヒが宣名したのは全て古代の高名な言語魔術師であり、歴史上重要な役目を果たした偉人ばかりだと言っていたらしい。そして、同じ言語魔術師であるがゆえに、隔絶した技量を感じ取ってしまい、恐怖してしまったのだとも。

「全て本物? つまり、あいつは過去の言語魔術師を参照してその力を引き出すとか、本人になれるとか、そういう力を持っているのか」

 ふと、トリシューラが用意してくれた義肢を思い出してしまった。
 アーザノエルの御手・ウィッチオーダー。
 キュトスの姉妹を参照する、俺たち二人の杖。

 あるいは、こうした能力の類似すらも奴が俺を乗っ取り、取り込むために利用された可能性があった。
 それからレオはこう付け加えた。

「二回だけ、妙な事がありました。グールェン・ドゥル・ウーフィに、ハタラドゥール・タラドカン・デ・ラという名前を宣言した時だけ、何も起こらなかったんです。その時、グレンデルヒの注意がその場から逸れたような気がしました」

 聞き覚えのある名前。
 どちらも先ほどの舞台でグレンデルヒが演じていた役だ。
 レオはその瞬間に生じた違和感をとっかかりに、その耳で奇妙な音を辿ってこの場所を探り出したらしい。

 相手の行動も完璧ではない。あちらで激しく戦いながら、同時並行でこちらに干渉しているのだから、どこかでほころびが出ることは避けられないのだろう。
 それからレオは、あちら側の状況に補足説明を加えてくれた。

「グレンデルヒにならずに済んだ人たちを集めて、どうにか逃げようとしたんですけど、巡槍艦の制御も乗っ取られちゃってて。グラさんががんばってくれなかったらみんな掴まって、グレンデルヒにされていたかも」

「俺は、ただグレンデルヒを倒したかっただけです」

 素っ気なくつぶやくビークル犬の少年。
 照れくさいのか、関心がないのか。熱の乏しい口調の彼の内心はうかがい知れない。
 確か、既に倒された魔将サイザクタートの幼なじみでグレンデルヒを仇として狙っているのだったか。チリアットとどこか境遇が重なるが、それよりも。

「グレンデルヒ、それからアズーリア。絶対にぶっ殺してやる」

 小さな呟きが、ひどく耳に痛い。
 トリシューラは、彼を俺と引き合わせて何をしようというのだろうか。
 選べない俺の代わりに戦いを選ぶのがマレブランケだと彼女は言っていた。
 トリシューラの為にアズーリアを倒さなければならなくなった時、俺に代わってアズーリアを手に掛けるのが、彼だというのか?

 わからない。
 今はただ、トリシューラを助け出すという希望にすがりつくことでしか、現実に耐えることができそうになかった。
 レオの言葉は続いていく。

「グレンデルヒになってしまったアキラさんは暫くグラさんと戦っていたんですけど、急にグレンデルヒの顔色が変わって、舌打ちして、何か呪文を唱えたんです。そしたらその場からいなくなってしまいました。忽然と」

 状況の変化は、しかしレオたちの安全を意味しなかった。

「その後、どうにかカーインが回復して、セージと一緒にグレンデルヒになった人達と戦ってたんですけど、グレンデルヒの数が多すぎて対処し切れなかったんです。使えないことに」

 最後に何かひどい一言がくっついてるんだがどう反応すればいいのだろう。

「レオ、本当にカーインには辛辣だよな」

「相応の扱いのつもりですけど――ごめんなさい、アキラさんが不満なら、もうちょっと今度から対応を改善します。美味しい餌でも買ってあげようかな」

 発想がトリシューラと一緒だった。やはりあいつの傍にいると悪影響があるんじゃないだろうかこれ。

「それでいよいよ絶体絶命、という所で、敵側の一人――確かクレーグレンとか、クレイとかいう手刀で戦ってた男の人が起き上がりまして」

「意外な名前が出てきたな。確かあいつ、カーインに一撃でやられてなかったか」

「ええ。で、次も同じ展開になったんです。その後更にゼドさんとカルカブリーナさんが銃で頭と心臓を撃ち抜きました。それは、はっきりと見たんです。『声』も聞こえなくなったので、絶対に死んでいたはずです」

「俺も念のため確認しましたけど、心臓停止してましたよ」

 グラッフィアカーネもそう請け合った。しかし、ということはその後で二人の認識を覆す出来事が起きたということなのだろう。

「クレイって人は、なぜか起き上がりました。死んだままなのに、彼は生きていたんです。トリシューラ先生から説明を受けてましたけど、あれが再生者なんですね」

「クレイが再生者ね。【死人の森の女王】と繋がりがあるわけだから、十分有り得るといえば有り得るが、それでどうなったんだ?」

「それが、どうも様子がおかしくて」

 最初、クレイはレオたちと敵対する様子を見せてカーインやゼドと戦っていたらしい。しかし、ある時を境にグレンデルヒ化した大会参加者たちを攻撃し始めたらしい。
 というよりも、むしろグレンデルヒたちへの攻撃のほうが激しかったとか。
 更に、もう一つ気になる事実があるという。

「宣名の内容を途中で変えたんです。最初はライニンサルって言ったけど、何かに気付いてすぐにドーレスタって。それからしばらくして、また訂正するようにクレイ・ダーカンシェルって言い直してました」

「なんだそれは。名前じゃなくて、姓の方を言い直したのか?」

 それは、女王のように複数の名を有している、というのとは少々様子が違うように思えた。名と姓というのははっきりと違うものだ。名は個人を表し、姓は所属を示している。だとすると、クレイは途中で自らの所属する共同体、つまり家族を突然変えたことになる。

 彼はグレンデルヒの息子だとばかり思っていた。
 しかし、ドーレスタあるいはダーカンシェルと名乗ったのなら事情は異なってくる。クレイという男が、いかなる来歴を持つのかが時間経過と共に変化するということが、本当にあり得るのだろうか。

 あり得る。
 そう結論づけざるを得ないことに、俺は嫌でも気付かないわけにはいかなかった。
 なぜならば、今まさに俺たちは過去を改竄しているところなのだから。
 俺たちがやろうとしている決定的な過去の改変というのは、つまり。

「そうだ、まだありました。クレイっていう人、銃や呪文なんかでボロボロにされていたのに、なぜか手だけが無傷だったんです」

「それは、あいつの手が『手刀』を模しているから頑丈だった、とかそういった理屈なんじゃないのか?」

「そうかもしれません。けど、何と言えばいいのかな。彼の『手』が、どうにも変な感じがして。『音』が、とっても不自然というか、不安定というか」

 不自然、不安定、ね。
 何とも曖昧なことだが、レオのこういう感覚は馬鹿にならない。
 というより、最大限頼りにして気に留めておいた方がいいだろう。

 もたらされた情報は、状況を整理すると共に新たな謎も浮上させた。
 グレンデルヒの、過去の偉人を参照するという能力。
 過去の改変に伴って姓が変化するクレイ。
 そして、未だその目的が読めない英雄と女王。

 わかっていたことだが、この戦い、一筋縄ではいかないようだ。
 話も終わり、そろそろ幕が上がろうという時だった。

「すみません、俺にも手伝わせて下さい」

 白黒の袴姿のビーグル犬が俺、というよりチリアットに声をかける。垂れ耳にトライカラーの毛並み、真っ直ぐな瞳の輝き。片方に鈴が付いた金剛杵を鳴らしながら、グラッフィアカーネが挑むようにこちらを見ていた。

「グレンデルヒと戦う為か」

「それもあります。けど、もう一つ。この話を、俺は見届けておきたい」

 もう一度、金剛杵が音を鳴らした。
 次の物語、太陰の王子にまつわる出来事に関わりたいと、少年ははっきりとした意思を示していた。
 今度は俺ではなく、チリアットが自ら応じた。

「先程の幕が俺にとって因縁深いものであったように、今回の幕はお前にとって特別なものというわけだな、新入り」

「そういうことです。あと新入りじゃなくてグラッフィアカーネって呼んでください、チリアット先輩」

「長いな。グラでいいか」

「じゃあそれでお願いします。というか、俺も長い長いと思ってた所なんで」

「ではグラ、これを」

 容易く引き抜かれた『俺の左腕』を受け取ったグラッフィアカーネこと『グラ』はそれを左腕に添えると、小道具のロープでぐるぐると縛りつける。
 自分の左腕に俺の左腕を括り付けることで、同じものである、ということにしているのだろう。こうして『俺という役』はチリアットからグラへと渡された。

「よろしくお願いします、アキラさん。ああ、俺はサイバーカラテはやってないんで、師範代とは呼びません、悪しからず」

 素っ気ない言葉。
 まあいいだろう。正直、俺はこの相手にどう対応したらいいのかを掴みかねていた。
 どういう関係になるのかもわからない、俺の恩人を仇と狙う少年。
 それでいて、俺の主の部下でもある存在。

(ちびアキラだよ! よろしくね、グラくん!)

「は? ふざけてんですか?」

 冷ややかな声に、俺は、ひどいよ! などと続ける事でしか言葉をつなぐことができないでいた。
 仮面としてのちびアキラを演じなければ、多分、むき出しの俺は弱り切ってしまうだろうから。




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