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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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死人の森の断章5-2 外なる法






 轟く音はさながら雷鳴であり、衝撃の重さは大規模な地震を思い起こさせた。
 しかしそれは天の意思に由来するものではない。
 紛れもなく、人がその叡智によって引き起こした災厄である。

 ずらりと並べられた大きな鉄の筒が、一斉に火を吹いた。
 高台から降り注ぐ無数の砲弾は、坂道を駆け上がってくる軍勢を容易く吹き散らしていく。粉砕された肉と骨が絶叫と共に空を舞った。

 ――そんな戦場から少し離れて。
 巨大な天幕が連なる本陣で、霊長類の男が卓上に広げられた戦術地図を睨み付けている。身に纏っているのは詰め襟の白い軍服だが、隠しても隠しきれない屈強な肉体は折り目正しい布をきつそうに盛り上げている。仕立てが合っていないと言うよりも、服を着ることが何かの間違いのような原始的な野性味がある男だった。

 地図上で三色に塗り分けられた駒が示すのは、もどかしい膠着状態である。敗走を続ける黒い陣営に、追撃する白い陣営。それに加えて、黒の撤退を助けるように灰色の援軍が現れていた。

 あらゆる戦場で勝利を続けてきた白き亜竜王アルトであったが、ここに来てしばしの足踏みを強いられる事になっていた。
 敗軍の将ダエモデクの命運は風前の灯火と思われていたが、そこに現れたのが第三の勢力、ジャッフハリムであった。

 ジャッフハリムとは中原に覇を唱える大国であり、暴君ビシャマルの悪名は大陸中に轟いている。恐ろしい奸婦を王妃として迎え入れてから人が変わったようになり、他国への侵攻を繰り返して災厄を振りまいている、というような風聞は、噂の神エーラマーンが囁くがごとく、この地にも伝わってきていた。

「忌むべき呪妃、レストロオセ。聞くところによると、言語支配者と呼ばれる卓越した神秘の担い手であるとか」

 アルトの背後に控えていた臣下のひとり――もう長いこと王に付き従っている兎の槍持ちがそう言うと、アルトは右の隻眼を細めて吐き捨てた。

「あのおぞましい怪物たちが、亡きダーカンシェル様と同じ言語支配者によって生み出されているというのか」

 高台に設えられた天幕の外に出る二人。
 そこから見える光景は、おぞましいの一言だった。
 幼児が捏ねた粘土細工でもまだいくらか美観を気にするだろう、と言いたくなるような、醜悪さの精髄がそこにある。

 ありとあらゆる生物を滅茶苦茶に混ぜ合わせ、融かして固めたかのような異形。固体とも液体ともつかない肉腫が流動しながら蠢き、破壊と殺戮を撒き散らし、見る者を恐怖に陥れる。竜王国はあらゆる種族を受け入れる多種族混成国家だが、その混沌の中にもあのような雑多なものは存在しない。

 あらゆる生命が複合した種族とでも解釈すれば良いのだろうか。
 その在り方、行動、凶暴性、全てが『人』にとって受け入れ難い怪物たち。あれらがダエモデクに加勢したことで、アルト率いる精鋭たちの足はしばし止められることとなった。

 異形の怪物たちは様々な生物の特性を併せ持っており、個体ごとにがらりとその強さや戦法が異なる。そのため、定まった対抗策を練ることが難しい。
 竜王国が誇る【五色の騎士団】はいずれも劣らぬ英傑揃いだが、彼らの力をもってしてもジャッフハリムの異形の軍勢は難敵と認めざるを得ないのが現状だった。

「それにしても、この状況をこうも容易く打ち破るとは」

 アルトは、敵軍の第一陣を吹き散らした大筒を胡乱げに見た。弓や弩、投石機を上回るという兵器。三本足の烏たちや二本足の霊長類たちが扱う事を得意とする『杖』の御業が、難敵の個体差など構いもせずに力尽くで蹂躙していく。

 瓦解した敵の軍勢。その中に一つの部隊が突撃していく。長い牙が特徴的な虎頭の大男に率いられた雄々しい獣たちは、その爪牙で総崩れとなった異形の怪物たちを次々に引き裂いていく。竜王国が誇る【黄獣騎士団】の武人たちは優勢に戦いを進めているが、これも全ては先制攻撃が成功したからこその成果。

 遠間へと叩きつけられる圧倒的火力。大筒はただそれのみを追求した結果として誕生した、『破壊の杖』であった。大砲という概念と技術そのものは既知のものだ。それは滅びた旧世界や超古代文明、更には異世界から漂着した『墓標船』を経由して広く伝わっている。しかし、その使用には大きな制限がかけられている。

 正々堂々たる勇士と勇士の戦いを穢す卑怯者の武器。
 あるべき秩序をねじ曲げ、徒に屍を生み出すだけのものなどあってはならぬ。
 旧世界の文献を読み解くにつれ、おおむねそのような解釈が『火器』に対してなされ、それが巷間に流布した結果、それを使用する者はある種の烙印を押されることになる。

 筋金入りの杖の信奉者であるならば逆にその『狂い振り』を誇示することもできようが、一般的に火器を用いる事は不名誉であり、自らの存在を損なう事に繋がってしまうのだ。そのため使用されることは滅多に無い。

 その上、秩序を重んじる真竜クルエクローキはこの火器をことさらに嫌っており、使えばかの竜の怒りを買い、呪いを受けるというのだ。
 亜竜は例外なく世界を統べる九大竜を尊崇している。
 建国の祖であるダーカンシェルを神として信仰することとはまた別に、世界を包み込む大いなる存在への敬意は常に竜王国の国民全ての心にあった。

「恐ろしいことだ。あのようなものを使わざるを得ないとは。果たして、これでどのような災いがもたらされることやら。やはり、杖のようなまがい物ではなく、まことの力を持つ言語魔術を頼みとすべきではなかっただろうか」

 敵の屍が積み上げられた戦場で、長い牙の虎が勝利の雄叫びを上げた。
 戦いの決着がついたとはいえ、今はまだ途上。
 その上、自軍が用いる兵器に不安があるとなれば、そうそう浮かれることもできないのだった。

「そのような事を仰いますな、王よ。杖のわざとて馬鹿にしたものではございませぬ。それに、このハタラドゥールめが考案した『呪い避け』は有効に機能しているようですぞ」

 後悔を口にするアルト王の横から口を挟むのは、緑色の長衣を纏った、呪術師然として風体の男だ。
 アルトは隻眼を鋭く動かして、その相手を睨み付ける。
 美しい男だった。

 【有鱗の大樹】と聞けば誰もが震え上がる、【緑竜騎士団】が団長。
 その名はハタラドゥール・タラドカン・デ・ラ。
 女性と見紛うばかりの美貌と涸れたような声が独特な麗人である。

「ほざけ、グレンデルヒ。この身から血を抜いて何をするかと思えば、あのような紛い物を作り出すとは」

「おやおや、まことの名は隠していたはずですが、とうとう曝かれてしまいましたな。流石は陛下」

「ぬけぬけと、良く言うものだ」

 王がハタラドゥールを異なる名で呼んだ途端、美貌の呪術師の全身に亀裂が入り、内側から全く別の容姿を持った『誰か』が現れようとする。だがその直後、余裕を持った台詞が言い終わると男の姿は元に戻っていた。

 ハタラドゥール、『まことの名』をグレンデルヒと言う男は、アルトが最も信頼する部下の一人である。
 どことなく穏やかで植物のような雰囲気を持った彼は、難敵を排する為に新しい兵器を開発した。それが大筒であり、またそれを操る『砲兵』たちである。

「単眼巨人、か。不思議なものだな。俺の姿は遠方ではあのような異形として語られているのか」

「隻眼という話が、人伝に広がっていくにつれてああして語られるようになったのでしょう。エーラマーンの悪戯というものでございます」

 二人が見る大筒の周囲には、霊長類の出来損ないのような姿の怪物が並んでいた。重量のある火器を軽々と運搬し、扱う度にその全身が目に見えぬ呪いによって引き裂かれていくが、致命傷というほどではない。大柄な体躯に見合った高い耐久力で怪物たちは大筒で敵軍を砲撃していく。

 怪物の名を、『単眼巨人』といった。
 亜竜王アルトの血を抜き、『本人の一部は肉体から切り離されても互いに影響を及ぼし合う』という感染呪術の原則を利用して生み出された、生ける兵器である。

 ずんぐりとした身体に巨大な単眼。それらの特徴はすべて、アルト王の武威を誇張したもの。
 アルトの血より作られた王の紛い物は、確固たる『己』を持っていないため、偉大にして畏怖すべき亜竜王という風説によりその姿が奇妙に歪んでしまっていた。

 異様な風体の単眼巨人は二体がかりで大筒を用いて、通常ならば精鋭たる騎士団でも手間取るような異形のジャッフハリム兵を駆逐していく。

 錬金術師でもある『グレンデルヒ』は、この時代の常識では考えられないほどに進んだ『生命の創造』という技術を突如として思いつき、この戦場に投入した。
 その結果として生み出され、戦況を一変させたのが単眼巨人の群である。

 強靱な肉体を誇り、睨み付けたものを束縛するという邪視によって砲身を固定して反動に耐え、更には標的の動きも止めることができるという、理想的な砲兵。
 二人一組で一つの大筒を運用することで、反動と負荷を分散し軽減するという手法により、効率的に戦うことができていた。

「まあ、当然ながら使い捨てになりますが――所詮は偉大なるアルト王に言葉を賜ることが叶わぬ畜生風情です。あれらは消費されるべくして消費されるのですから、使い終わったら新しいものを用意すれば良い」

「だが、単眼巨人とやらはこの身より生み出された子のようなものではないのか」

「子ならまた作れば良い。女と同じです。使い終わったもの、古いものは処分して、新品を手元に置く。まだ使えたとしても、それが何だというのでしょうか。富を多く使い、循環させるは王たる者の義務と言って良い。つまらぬ中古品は下々の者どもに払い下げてやれば世の中がより上手く回るというもの」

 グレンデルヒの舌はよく回った。
 アルト王は何かを言おうとして、しかし寸前で止める。
 神の血を引いた生まれながらの王者である彼にとってその言葉は至極当然なものだ。それを否定する理由など何も無い。それはあまりに『不自然』というもの。

「銃などの火器は英雄性を否定します。それを服飾文化として取り込み、見た目重視の扱い方をするならば話は別ですが、陛下と火器はあまり相性がよろしくない。更には大いなるクルエクローキへの敬意もございましょう。ここはあれらの道具に任せることが最善。ダエモデク討伐の為には必要なことと割り切られませ」

 グレンデルヒの言葉はいちいちもっともだった。
 加えて、彼は側近の一人としてこの上無い働きをしている。
 アルト王は彼に労いの言葉でも掛けようとしたのか、口を開く。
 その時である。

「その佞臣の言葉に耳を貸してはいけません。アルトよ、それは暴君の道。そのようにして勝ち得た未来は、ジャッフハリムと同じ歪んだものとなりましょう。あの異形の怪物は、竜王国の未来の姿を暗示していると思って下さい」

 口を挟んだのは、王のすぐ傍に侍る兎の槍持ち――ではなかった。
 彼が手にしている、氷でできた三叉槍である。
 それは呪術の力が込められた品であり、精緻なつくりの氷細工でありながら鉄を切り裂き、巨岩に叩きつけても折れず、齢千年を超えた大トントロポロロンズを貫き通すほどに優れた槍だった。

 世の中には意思を持ち、口をきく呪具というものも存在する。
 ダエモデクの宝物庫の奥深くで眠っていた槍は銘を『ディーテ』といい、アルト王を主として認めていた。

「その呪われた槍の言葉こそ耳を貸してはなりません、王よ。それは持ち主を誑かし、腑抜けにさせる魔性の槍。男を堕落させる女の声で誘っているのがその証拠。もしかすると、それこそは使い手の命を啜るメクセトの神滅具ということもありえまする」

 グレンデルヒの言葉に、槍持ちの兎が驚いて槍を放り投げてしまう。
 それを軽々と掴み取ったアルトは、三叉槍を矯めつ眇めつして言った。

「ディーテよ。お前はこの身に害を為すつもりがあるのか?」

「とんでもありません。全てあの卑怯者の虚言です。どうか、あの二心を持った邪悪な男を追放して下さい。そうでなければ、私を使って奴を貫いて下さい」

「いいえ、いいえ! このグレンデルヒの心にやましいところなど一切ございません。その雌槍は我々を陥れようとしている! 王よ、私にその槍をお渡し下さい。御身の目の届かぬ場所へ捨てにまいります」

 こうして、グレンデルヒとディーテが争うのはこれが初めてのことではない。
 ディーテを手に入れてから、そしてグレンデルヒがまるで人が変わったようになってしまってから、ずっとこうなのだった。

 アルトは小さく嘆息して、もう何度目になるかも分からない仲裁の言葉を口にしようとした。
 その時、遠くで大きな怒鳴り声が響き渡った。

 何事かとそちらを見やると、先程快勝してみせた虎頭の大男が怒りと共に吠えている。背後に控える様々な種類の肉食獣たちも殺気立っている。
 その対面には、硬質な外骨格と薄い翅が特徴的な虫たちが整然と隊伍をなしている。複眼であるため表情は分かりづらいが、獣たちを睨み付けているらしい。

「ほう。またしても【黄獣騎士団】は【黒蟲騎士団】と揉めているのですか。全く、困った連中ですな」

 グレンデルヒが言う通り、ここ最近の揉め事の多さにはアルトも頭を悩ませていた。切っ掛けがどのようなことであったかは問題では無い。喧嘩などの騒ぎが起きているということそれ自体が、竜王国の土台が揺らいでいることを示していた。

 元来、多種族を束ね上げ、共存させようという理念は多くの困難を伴う。
 想定されるあらゆる国内の問題を、アルトは【国民不和予防局】という組織を立ち上げることで解決してきた。

 【脳髄洗い】や【精神加工】、【改心誘導】や【順正化処理】などと呼ばれる技術を【星見の塔】にいる義姉のつてで手に入れ、薬物や催眠術を併用することで、種族、民族間の相互不和を未然に防いできたのだ。

 『差別狩り』などと揶揄されながらも、アルト王はそうした厳しい態度をとる事で混沌とした国内に秩序をもたらしていた。
 厳しい王の治世には不満も多かったが、それゆえの平和は長く続いた。だが、それが今、脆くも崩れ去ろうとしている。

 獣たちは虫たちを『何を考えているか分からぬ不気味な奴ら』と蔑み、逆に虫たちは『野蛮な突撃馬鹿ども、我々の支援が無ければ何もできぬ癖に』と罵る。
 更にそれがより具体的な身体的特徴をあげつらうようなものになると、それは既に竜王国の法では裁かれるべき罪となる。

 彼らはしかし、罰を恐れていない。
 王の目の前で、堂々と他の種族を侮蔑してみせる。
 竜王国の共存共栄の理念、守られるべき秩序は、破綻を目の前にしていた。

 戦いを長引かせるのは危険。さりとて、ダエモデクとジャッフハリムという目に見える敵を討ち果たしてしまえば勝利の酔いから醒めた竜王国は瓦解するであろう。であれば、次はどうすればいいのか。

「勝利が無いのなら、新たな勝利を作り出せば良いのです、王よ。次なる目標、新たなる敵を作り、それを目指せば良い。無い需要は無理矢理にでも作るのが、民を食わせねばならない治世者というものです」

「そのために徒に戦火を広げると? 馬鹿なことを。領土を広げればそれだけ維持のために国民を疲弊させてしまいます。まして戦争を長期化させるなど、どのような見地から見ても無意味な浪費でしかありません」

 思い悩む王の内心は独白として漏れていたのか、それすら拾い上げて論争を始めるディーテとグレンデルヒ。どこもかしこも、争いと対立に満ちている。アルトはまた、大きく嘆息した。

「――全ては言葉と意思、個々の思考、見ている世界のずれからこのような混沌とした状況が生まれるのではないだろうか。ならば、ダーカンシェル様が、そして我ら双竜が『言葉』などを与えたのがそもそもの間違いではなかったか」

 アルトは嘆き、おもむろに手を持ち上げていくと、ゆっくりとした歩みで争い合う二つの集団の下へ向かった。そして、不可思議な響きの呪文を唱える。それはどのような言語にも似ていない、歌のような音の連なり。力ある文言が世界に浸透すると、その効果は劇的に顕れた。

 言い争う二つの集団はアルトの言葉を聞くや否や完全に沈黙し、それどころかぼんやりとしてその場に座り込んでしまったのである。
 そこにいるのは既に竜王国の臣民ではない。
 ただの獣と、虫である。

 成り行きを見守っていた者たちが、その光景に震え上がった。
 アルトは暫くして、また不可思議な呪文を唱えて手を左右に振った。
 すると、知性を失っていた獣たちが悲鳴を上げ、言葉を無くしていた虫たちが畏れるようにその場に跪いた。

 誰もが恐怖のあまりに震え、おののき、王に平伏する。
 そして囁き声で、怖い、寒い、もうあんなのは嫌だ、と囁き交わすのだった。
 ディーテが、恐る恐る王に訊ねる。

「一体、今あなたは何をしたのです?」

「見ての通りだ。『言葉』を奪った」

 アルト王とその半身とも言えるダエモデクには、動物に言葉を与える力が生まれつき備わっていた。それは動物たちを人たらしめるものとされていたのだが、それを奪われるということはすなわち人でなくなるということに等しいのである。

「今後、我が王国の秩序を揺るがすような『悪しき言葉』を発した者からは、『言葉』の全てを剥奪する。罰神の力が衰えている今、この王たる身が直々に裁きを下そう。咎人はみな秩序から爪弾きにされ、あらゆる平和の恩恵を喪失すると知れ」

 平和を喪失する。その響きが、竜王国の臣民たちに浸透するのに時間はかからなかった。それは、『人でなくなる』ということだった。
 竜王国を縛り、そして守護する法と秩序の加護が失われれば、他国では『ただの害獣や怪物』とされてしまう種族とて少なくはない。

 恐ろしい厳罰に震え上がる臣民たちを隻眼で睥睨すると、アルトは天幕へ去っていった。王の布告はその日の内に前線に伝わり、伝令によって数日後には本国まで届いたという。

 そして数日後。ある知らせがアルトの耳に入った。
 ダエモデクはジャッフハリムの王都へと迎え入れられ、客将として高い地位に就き、大軍を率いることを暴君ビシャマルに許されたのだという。
 跪く蟷螂かまきりが、重々しく告げる。

「ジャッフハリムで再起を図ろうと画策しているダエモデクですが、配下となり、功績を上げた者に更なる『言葉』を与え、知恵と力を授けると公言していると、潜伏させている『虫』たちから連絡が入りました」

 アルトの逆をいくような施策であった。
 それが意識してのものであるにせよ、偶然であるにせよ、何かを感じずにはいられないアルトは、臣下を下がらせた後で三叉槍に語りかける。

「なあディーテよ。このやり方は、本当に正しいと思うか」

 言葉を喋る槍は、しばしの間を置いてこう答えた。

「ダエモデクは、飴をちらつかせることによって民を支配しています。これは彼が誰よりも欲深いために、人は欲に従うのだということを知っているからこそできる行いでしょうね」

「そうだな。しかし今は、あちらこそが民のことを考える良き王であり、こちらこそが民を苦しめる暗君に思えてならない」

「――アルト。貴方は畏敬によって民を忍従させ、秩序を生み出そうとしています。これは、荒廃した竜王国を守る為という意味では決して間違ってはいません。鞭が見えないままでは、罰や法は曖昧模糊として見えにくいものですから」

 ディーテはそういいながら、僅かに心苦しそうでもあった。
 物言う槍は諭すように続ける。

「けれど、自らが自らを律することができるようになれば、それに勝ることは無いと私は思います。実際に罰や看守がいる必要は無く、架空の規律を誰もが心に抱き、『内なる法』に従って善く生きる。それが理想です。でも、それを為し遂げるためには長い時間がかかるでしょう」

 アルトは生まれ出でた瞬間より、己の中に正義を持っていた。
 ゆえにこそ竜王国は共存という理念によって秩序を保つことができていたのだし、王として臣民を導いてこられたのである。

 だが、足りなかった。
 何が、と言って答えが出るようなものではない。
 ただ、足りなかったと言う他に無いのだ。
 沈み込むアルトの心を引き上げるように、ディーテが明るく声を上げた。

「ですが、一つだけいい方法があります」

「それは?」

「ダエモデクは私の他にも様々な財宝を集めていましたが、その中に『断章』と呼ばれる叡智が記された書物があります。ダエモデクはそれを今でも持っており、それが彼に強大な力を与えているのです」

 そのような話は初耳だったので、アルトは一つだけしかない目を丸くした。
 ディーテが言うには、その『断章』は黒い装丁の本で、九巻本の五巻目であるらしかった。

「前回が『愛情』でしたから、恐らくあちらの手にあるのは『道徳』です。あれには正義の原理を示し、『内なる法』を人の心に根付かせる力があります。裏を返せば、倫理を壊して欲望を解放することにも繋がるのですが」

「それを手に入れれば、王国に秩序を取り戻すことができるのか?」

 アルトは答えを知ることを恐れるように、だが期待を隠しきれずに前のめりになって訊ねた。三叉槍は彼を安心させるように、優しげな声で言った。

「ええ。そして、それこそが私の望みなのです。さすれば私にかけられた呪いも、きっと――」

 そこで、不意にディーテは言葉を途切れさせた。
 不審そうにするアルトを煙に巻くかのように、槍は急に話題を変えた。

「そうです。奪うということは、何も悪いことばかりではありません。たとえば、過度に富や力を蓄えている者からそれを取り上げ、貧しい者に分け与える事は王として第一に考えるべきことの一つでしょう。戦いが終わった後で、貴方はその『奪う力』で格差を是正するのです。それによって、王国はより良くなるでしょう」

「おやおや、何を馬鹿な妄言を」

 と、どこからともなくやってきて口を挟んでくるのはグレンデルヒである。
 彼は嘲笑するかのように三叉槍の言葉を否定する。

「あらゆる民に機会は均等に与えられているはずですよ。だというのに落伍し、貧乏人に落ちぶれるということは、その者はできることをやらなかっただけのこと。より多く努力している者から当然得られるべき富を奪い、怠け者どもにそれを与えるなど、なんと愚かしい。そんなことをすれば、みな額に汗することが馬鹿らしくなり、怠惰な塵屑どもが蔓延る退廃した国家になってしまうでしょうな」

「また貴方はそのような。それは私の言葉を恣意的に曲解しています。それに機会は均等に与えられてなどいませんし、失敗した人がまた立ち上がれるように網を用意しなければ、そんな国こそ退廃が満ちあふれてしまうでしょう」

 アルトはうんざりして溜息を吐いた。
 この両者が揃うと、決まってこのような論争が始まってしまうのだ。
 両者の言い分の是非はともかく、こうしたいがみ合いこそが彼の心を蝕む毒であった。たとえ『善き国』を実現するために議論が必要だとしても、どうしてこうまで相手を憎み合い、否定し合いながら言葉を交わさねばならないのか。

 アルトは、己の権能を思った。
 『言葉』を与え、奪う力。
 白い亜竜を、神なる権威の下に王たらしめる権力。

「ああ、父よ、ダーカンシェルよ。これは、あまりに重すぎる」

 独白はあまりに小さく、激しく言い争う両者の声に紛れて消えた。






 砲撃が塁壁を吹き飛ばし、獣の騎士団が雪崩を打って砦へと攻め込んでいく。
 決戦は、ジャッフハリムの西部国境にある砦で行われた。
 ダエモデクは深い渓谷に築き上げられた堅牢な城砦に拠点を置き、竜王国の侵攻を迎え撃つ構えだった。

 もはやジャッフハリムとの全面戦争は不可避であった。
 たとえダエモデクを打ち倒したとしても、その後も民は勝利を求めてジャッフハリムへと攻め込むことだろう。ましてジャッフハリムを治める暴君ビシャマルと彼を誑かしているというレストロオセの危険性は大陸中が知るところだ。

 やられる前にやれ、という心理がはたらくのも無理は無い。
 それほどまでに、ジャッフハリムの異形の兵隊は恐怖を振りまいていたのだ。
 ジャッフハリムは悪であるという認識が、人々に大義名分を与えていた。

 正義の戦い、平和を取り戻す為の闘争。
 竜王国の臣民であるという誇りが、かろうじて無数の種族と民族とを結びつけているのだった。

 全ては共存共栄のため。
 崇高な理念を妨げる悪しき略奪者を打倒せよ。
 志高く爪牙を振るう戦士たちによって、ダエモデクの下に集った兵士たちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出した。

「所詮は欲によって集まった傭兵崩れの集団。損得を秤にかけて戦いに参じているのですから、命が危ないとなれば逃げるのは必然。死ぬのは損ですからな」

 したり顔で言うグレンデルヒは、誰もいなくなった砦の中でこれ見よがしに両手を広げ、敵軍を蔑んで見せた。
 三叉槍を手にするアルト王は、それを無視して前へと進む。
 向かう先には、ただ一人で立ち尽くす黒い影があった。

 先行していた騎士たちは、いずれも黒い亜竜の威圧感に気圧されて攻めることができずにいた。遠くから矢を射ても、大筒を撃っても、呪いをかけても、ダエモデクには傷一つつかない。

 その傍らに浮遊する漆黒の書物が、持ち主に降りかかるあらゆる災いを取り除いてしまうためであった。
 三叉槍が高く声を上げる。

「あれこそが私たちが手に入れるべき『断章』です!」

 ダエモデクの巨躯は、以前よりも一層痩せこけて見えた。
 それは、力を配下に分け与えた為なのか、それともアルトから逃げ続けて傷付き疲弊したためなのか。

 いずれにせよ、もはや逃げ場は無い。悲愴な決意を固めた両者の間に言葉は無く、次に交わされるのは殺意を込めた一撃であろうと誰もが理解していた。

 わずかな身動ぎによって、ダエモデクの全身を覆う金鎖がじゃらりと音を立てた。鎧のように身を守るそれは、アルトが知らぬ装いだった。彼が集めていた財宝の一つなのか、ジャッフハリムに身を寄せたことによって手に入れたものなのか。
 アルトにはわからない。

 そもそも、アルトは何故、己の半身とも言えるダエモデクと争わねばならないのだろうか。些細な諍いはあった。誤解、想いの食い違い、そのような出来事があったのは無論覚えている。だがそれは、こうまで拗れ、殺し合いにまでなるようなものであっただろうか。

「何故だ、何故」

 呟きながらも、アルトは槍を構える。
 そうする他になかった。その背には、守るべき臣民たちがいるのだから。
 ダエモデクはたった一人だけで立っている。
 まるで鏡映しのような両者の間で、見えない糸が切れた。

 戦いは熾烈を極めたが、アルトの卓絶した武技に加え、稀に見るほどの名物であるディーテの前には、黒き亜竜と『断章』の力も無意味だった。
 奮戦していたダエモデクはついに力尽き、その場に倒れ伏して血の湖を作る。

 アルトは三叉槍で金鎖を砕き、更に落下した黒い本を受け止めた。
 歓喜するディーテと本とを槍持ちの兎に預けて、自身は虫の息のダエモデクに近付いていく。その場に屈み込むと、小さく何かを呟いた。

 それが王国民たちの『言葉』を奪うときに唱えていた呪文と全く同じものだと、背後に控えていた臣民たちは気付いた。
 そして誰もが震え上がる。
 アルト王は、半身たるダエモデクの権能を奪おうとしているのだ。

 起源を同じくする力であるからこそ、二人は互いに『言葉』を取り上げる力を持っていた。だが、今までそれを使おうとすることは決して無かった。
 あの欲深なダエモデク、貪欲の権化とでも言うべき亜竜は、己の半身から何かを奪おうとしたことはただの一度も無く、先の決戦で命の危機に瀕した時もそれは同じであった。

 それは、ダエモデクが幾度となく竜王国に攻め込んで来た時もそうだったのだ。
 アルトは、ダエモデクから大量の『力ある言葉』を奪いながら、静かに身体を震わせた。ただひとつの眼から雫がこぼれ落ちた。

 ダエモデクの『言葉』すなわち『想い』がアルトに流れ込んだことにより、アルトは半身が何を考えていたのかを理解したのだ。

「ダエモデク、お前は、俺の為に悪役を演じていたのか?」

 満身創痍の亜竜は、弱々しく鳴いた。

「ばかだなあ、おれさまは、おまえのはんしんなんだぞ?」

 それが、答えだった。
 言葉の大半を奪われたダエモデクは、たどたどしいしゃべり方で、以前のような荒々しさを失っていた。どこか幼く穏やかになった口調からは、既に敵意は感じられない。

「演技だったのか。荒々しい言葉遣いも、獰猛な振る舞いも、強欲な行いも。それがお前の持つ『言葉』の力だったのだな」

 ダエモデクは微笑んだ。
 周囲の者たちは、事情が飲み込めずに不思議そうに亜竜たちを見た。
 グレンデルヒが舌打ちして口を開こうとすると、槍持ちの兎がまるで武器に操られるかのようにして穂先をその喉元に突きつけた。

 余計な横槍が入ることもなく、アルトは独白を続ける。

「ダエモデク、お前こそがこの身を律する『内なる法』だったのだな。お前が悪を為すからこそ、俺は正義でいられた。お前は鏡であった。まさしく俺の半身であった。だというのに、俺は!」

 アルトは慟哭し、激情のままに自らの肉体を掻き毟り、引き裂いた。
 堅牢な鱗の鎧を失ったアルトは、その剛腕で己の身に致命傷を負わせると、そのままダエモデクと重なり合うようにして倒れた。

 その後アルトはダエモデクに幾ばくかの『言葉』を返してやった。 
 かつてほど多くの量ではないが、平凡に生きていくのには困らない分だけを。
 そして自らの命と引き替えに、残った『言葉』を纏めて顎の下に封じ込めた。そこには、かつてモグラのディルトーワが剥ぎ取り損ねた一枚の鱗が存在していた。

 アルトは消えていく『言葉』の残滓を使って遺言を伝える。
 まずは鱗を兎に手渡して、

「これを太陰の【神々の図書館】に届けるのだ。そしてどうか、世に秩序をもたらす為の枠組みを作り上げて欲しい」

 と言った。兎は涙を流しながら頷き、命を賭けてその難題に取り組むことを約束して見せた。
 それからアルトは、臣下たちにそれぞれ言葉をかけて、争いやいがみ合いを止めて仲良く生きるようにと告げていく。

 そうして、アルトは『言葉』を分け与えた事で生き残ってしまったダエモデクに最期の意思を伝えた。

「もう、お前ばかりがつらい役回りを引き受けることは無い。誰も裁けぬこの身を自ら裁き、お前を縛る呪いを解こう。ダエモデクよ、お前は自由だ」

 するとダエモデクは、涙を流しながら叫んだ。

「なにをいうんだ! おれさまは、おまえのいないじゆうなど、ほしくはない!」

 あらゆるものを欲しがったダエモデクは、大声でそう喚くと、たったひとつだけの、本当に欲しいものの名を呼び続けた。
 アルトは微かな笑みを浮かべ、ダエモデクの腕の中で安らかに息絶えた。

 凄惨な血の結末に、人々は悲しみに暮れた。
 最初に立ち直ったのは、傷だらけのダエモデクだった。
 強大な力の大半を失いながらも、その瞳には強い力が宿っている。
 あたかも、アルトの聡明さが彼に移ったかのようだった。

「アルトよ、お前の事はけっして忘れない。お前が抱いた理想、万人が共存できる幸福な理想郷を、必ず作り上げてみせる。そうすれば、アルトの存在は永遠のものとして生き続けることだろう」

 遺志を引き継ぐ。それこそが、ダエモデクが見出した唯一の道だった。
 彼はそうしてアルトを想うことで、半身の魂と共に生きることを決意したのだ。
 そして、力強く宣言した。

「新しく、より広大で、より完全な国を作らなければならない。その国はこう名付けよう。【理想郷ガロアンディアン】と。『力ある言葉』であるこの呪文は、必ずや現実を塗り替える。たとえ国という形が失われ、歴史が移り変わろうとも、理念は残り、アルトの魂は生き続ける」

 ダエモデクの呪文は、世界に響き渡り、静かに浸透していった。
 結論を言えば、竜王国という名も、ガロアンディアンという名も、その後の歴史からは姿を消してしまう。

 しかしその理念は時代を経るにつれて形を変えながらも生き残り、『社会福祉の充実による共生と幸福』という理念となって一つの大きな流れと合流していくことになる。
 その未来を知らずとも、ダエモデクはしっかりと前を見据えてこう言った。

「これよりこの身は亜竜王アルトの遺志を引き継ぎ、巨悪ジャッフハリムを打倒するための戦いに挑む!」

 それでは、不毛な戦いの繰り返しになるのではないか。
 王の苦しみを知っていた数人の臣下たちが、不安そうにダエモデクを見た。
 しかし彼はこう続けた。

「然る後に彼らを知り、和議を結び、異質な相手との共存の道を模索せねばならない! そのためには力と知恵、両方が必要だ。今の自分にはそれらが無い。だが、力を蓄え、策を練り、優れた勇士たちを集め、機を待てば、必ずや為し遂げられるはずだ。そうしなければならないのだ!」

 力強い叫び。
 小さく上がった賛同の声に、次々と声が、言葉が重なっていく。
 恐ろしく忌まわしい邪悪の筈であったダエモデクの姿に、人々は偉大なるアルトの面影を見ていた。

 彼らが目指すのはジャッフハリム。
 暴君ビシャマルと呪わしき妃レストロオセが悪政を敷く、魑魅魍魎が跋扈する悪徳の都、呪わしき王国。

 ダエモデクは四十の勇士たちと出会い、難敵に立ち向かっていくことになるのだが、それはまた別の話だ。
 『そうなるはずだった筋書き』は、ここでは書き換えられる。

 黒い本と三叉槍が光り輝き、人々の目を眩ませた。
 光がおさまったとき、槍は影も形もなくなっており、代わりに幼い少女がそこに立っていた。

 蜂蜜色の髪と灰色の瞳の少女が喋る三叉槍ディーテであると、不思議と誰もが理解できた。彼女の本当の姿が、この幼き少女であることも。

「やっともとの姿に戻れました。ありがとう、すべて、『断章』を取り戻してくれた貴方たちのお陰です。お礼に、今まで命を落としてきた全ての人を甦らせてあげましょう」

 少女が言うと、不毛な戦いで死に絶えた全ての命が息を吹き返した。
 アルトが起き上がると、ダエモデクの目に残っていた悲しみの涙は引っ込んで、うれし涙が溢れた。悲愴な空気、愛する者を失った後で強く生きていこうとする美しい光景は消え去っていた。

 それを揶揄するように、グレンデルヒが殊更に大きな声で叫ぶ。

「なんと嘆かわしい。現実を見ない輩はすぐに都合の良い夢にしがみつく。敗者は敗者、終わったことは終わったこと。物事を正しく切り捨てて次を見据えられぬようでは、幼すぎるとしか言いようが無い。現実は甘いものではなく、後ろ向きな妄想は罪悪であると知れ。前を向いて生きられぬ者は屑だ」

「よくもまあ、思ってもいないことを都合良く捲し立てられるものです」

 呆れたようにディーテが呟く。
 それから、抱擁を交わすアルトとダエモデクを優しく見つめながら言った。

「台無しでも不条理でも、私はこれがいいと思うからこうするのです。ゆえに、私は私を裁こうとは思わない。冥道の幼姫が抱える『内なる法』は、この結末を許容します。【死人の森】は、罪深さを赦し、受け入れる」

 灰色の瞳が強く輝くと、グレンデルヒが突風に吹かれたかのようにたたらを踏み、後退していく。
 その全身がぶれたかと思うと、次の瞬間には破裂して、無数のがらくたとなって四方八方に散らばっていった。

 ディーテは対の亜竜を見ながら、誰かに向けて囁いた。

「ねえ、アキラ様。あなたの『内なる法』は、今もあなたを裁いているのかしら。律しているのかしら。苦しめているのかしら。ああ、けれど、『外なる法』で歪めてしまっているその形を、私はとても愛おしいと、そう思っているんですよ」

 少女の言葉は、まるで歌うようでもあった。
 それは呪いのように。
 それは祝福のように。
 静かに、穏やかに、明るい結末に響いていく。

「心を縛るその苦しみは、きっとなによりも尊い痛み。あなたが苦痛にあえぐその姿を、私はとてもとても、素敵だと思います。だからどうか」

 どうか、もっともっと。

「己の罪で、傷口を抉って?」

 ――ひとごろし。

 途端、辺り一帯は廃墟と荒野、暗雲の立ちこめる死の世界へと変貌し、屍の積み上がった寒々しい光景が広がるばかりとなった。
 そして、少女の足下には倒れ伏した狼の死体。
 その腹部から、ぼこりと人の顔面が迫り出してくる。

 人を凌駕した膂力で殴打され、陥没して原形を留めていない死相。
 おぞましい光景に、『誰か』は呻いて蹲った。
 少女の軽やかな声が、楽しげに廃墟に響く。

「素敵。あなたの進むべき道を、もう一度確認できましたね」

「ディーテ、お前はっ」

 嘔吐くような言葉ははっきりとした意味をなさず、少女の笑い声だけが世界を埋め尽くした。

「さあ、また遡りましょう。この破局はそもそも何が原因なのだったかしら。それは人の不和、『言葉』の乱れによるもの。そしてそれを未然に防ぐ【神々の図書館】を壊した何者かのせい。では、過去に遡って【図書館】を守れば、もっといい未来が実現できるのではないかしら」

 ディーテの言葉に呼応するように、浮遊する『断章』が光を放つ。
 時を追う事に強くなっていく輝きがある閾値を超えた時、閃光が爆発したように広がって、やがて世界を埋め尽くした。
 かくして、舞台は流転する。







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