じりじりと照りつける太陽の下、バイト先の映画館まで自転車をこぐ。夏休みに入った僕の日課みたいなものだった。田舎の夏は、ほかと比べて暑いのだろうか。どちらにしろ暑さが苦手な僕にとって、夏なんてものはなくてよかった。
電車でいくような距離でもないけど、自転車ではすこし遠い。どうせお金を稼ぎにいくのだから、ここで消費するのはばからしい。けっきょく自転車に落ち着いたのだが、真夏の炎天下、二十分の距離はつらい。
まだ家をでて五分。そんなに疲れたわけでもないのに、つ、と額から汗が流れてくる。駅前の映画館までは、まだ遠い。それにしても、
「暑い……」
とちゅう高校の友人だとかに会って手を振ったり、すこしとまって話をしたりしながら、いつも通り映画館についた。
キッ、と油の足りないブレーキ音をたてて、自転車をとめる。
この映画館で、僕が足しげくバイトを続けているのには理由があった。
僕がこの映画館でのバイトをはじめたのは、夏休みに入るすこし前のことだった。家から近いわけでもないけど、ここはほかのバイト先候補よりもすこし賃金が高かったのだ。
夏休み前、一週間くらいから働きはじめて、三週ほどすぎたあたりで僕はあることに気付いた。
毎週木曜日、夕方五時ごろ。ちょうど映画館がしまって僕が帰る時間になると、入り口のところにあるポスターを眺めている少女がかならずいる。声をかけようとは思ったけど、いきなり声をかけたら変な人だと思われそうだし、それもあまりいい気持ちのすることではないのでやめておいた。
それは夏休みが終わりに近付いたこのごろも続いていて、相変わらず昨日も少女は来ていた。
別にだれかと待ち合わせているようすもなく、映画を見になかへ入るわけでもなく、ただ少女はたまに張り替えられるポスターを見上げてそこに立っていて、気付けばいなくなっていた。しかも映画を見にきた友人にその容姿を説明しても、近所に住んでいるわけではないらしくだれでもなかった。
僕はいつの間にか、その少女のことを気にかけながらここへ来るようになっていた。
田舎のこんな映画館、やってくるのは小学生とか、それ以下の子供を連れた親子がすこしずつ。
僕はそんな人たちをぼおっと眺めながら、チケットを売ったり、ポップコーンを売ったりしている。人が来なくなるとほうきとちりとりを持って入り口を掃除して、近所の人たちとお話したり。とはいっても、暇なおじいちゃん、おばあちゃんくらいしかいないんだけど、ここでバイトするうちに近所の人とはそれなりに仲良くなった。僕もこの辺じゃちょっとしたカオだ。
そんなことをしているうちに、少しずつ日が傾いてもう四時半をすぎていた。そろそろ片付けをして帰らなくては。
映画も最後の回が終わって、それを見ていた数人の客が中から出てくる。小さい子供たちも何度か来るうちに僕の顔を覚えたようで、僕に手を振って帰っていく。僕も手を振り返してそれを送る。
チケットの半券を片付けて、ポップコーンの機械を洗って、売上を数えてここの館長に持っていく。館長は六十歳すぎくらいのおじいさんだ。あの人はいつも映写室にいて出てこない。映画が好きらしい。フィルムの古臭い臭いが好きだとも言っていた。僕にはよく理解できないけれど。
「かーんちょう、もう五時なりますよ」
声をかけられておじいさんははじめて気付いたらしい。でも慌てたりせず、緩慢な動作で立ち上がる。
「あや、もうそんな時間さなったべな」
「うん。これ、今日の分」
と僕は売上を館長に手渡した。
「ありがとさん。あとはわしがやっとくがら、もう帰ったっていいよ、准くん」
「分かった、それじゃあね、館長。また明日来るよ」
館長は訛って「へばな」と言った。
下へ戻って、入り口のシャッターを閉めて裏へ回り、自転車に乗って表までやってくる。
「あ……」
いつもの白いブラウスに淡い青の膝までのスカート姿。まるで昭和の――僕は昭和の人間じゃないけれど。そう、またあの少女だった。
僕は自転車を手で押して、その少女に近付いた。夕方とはいえ、まだ暑い。背中を汗が伝うのが分かる。少女はやはりポスターを見上げていた。
「ねえ、映画……好きなの?」
僕は少女に、思い切って声をかけた。
はじめ、少女は自分が話しかけられたことに気付いていないようで、すこし間をおいてこちらを振り向いた。
「……わたし?」
「うん。いつもここで見てるから」
少女の声は透き通っていて、ガラス製の風鈴のような音がした。
少女はまたポスターをしばし見上げて、すこしの後に首を左右に微かに振った。
「ううん、なんでもないの」
そういうと少女は、映画館の脇の小さな道に入っていってしまう。自転車を押して僕はおいかけたけど、僕がそこを垣間見たときにはもう少女の姿はなかった。
一度首を傾げて、僕は自転車にまたがった。
* *
次の日、僕がバイトに行くと、館長がいつもの緩慢な様子で、そして訛った言葉で僕に告げた。
「今月一杯でなぁ、この映画館はおしめぇだ」
つまり、閉鎖するということ。それは仕方のないことだったのかもしれない。こんな田舎だし、客なんてほとんど来ないし、きっと赤字続きだったんじゃないだろうか。やっぱり仕方ないんだと僕は思った。
僕はそうですか、とだけ言った。また新しいバイトでも探そうかと。でも館長はすごく寂しそうな顔をして、いつもの映写室に入って行った。
やっぱり今日もお客はほとんどなくて、それでも館長はフィルムを回し続けていた。
あんまり暇すぎた僕は、ポップコーンをつまみながらのチケット整理にも飽きて、外の掃除に取り掛かった。日向ぼっこをするお婆さんや、犬の散歩にきたお姉さんと話をしながら。
また五時になった。受付でテレビを見ていた僕は、時計を見てそのことに気付き、外へ出てみた。
少女がいた。淡い青のスカートと、白いブラウス。どうしていつも同じ格好をしているのだろう。
「ねえ」
少女が振り向いた。
「君はどこに住んでいるの?」
彼女は頭を振った。
「何ていう名前なの?」
「一人で来てるの?」
「どうしていつも五時にいるの?」
「映画は見ないの?」
どの質問にも、答えは同じだった。
「この映画館、今月でやめるんだって。閉鎖しちゃうんだ」
僕のこの言葉だけには、少女は驚いたように目を見開いた。
「こんな田舎だし、仕方ないかなって思うんだけど」
そう言って僕は、映画館を見上げた。壁ははがれかけて、看板の文字も薄くなっている。ポスターを飾るショーウィンドウも、ところどころひびが入っていて、ガムテープで止められている。
「おい准、なにサボってんだよ」
後ろから声がかかる。高校の友人だった。
「サボってなんかないよ」
「じゃあ何なんだよ。しかも独り言なんかぶつぶつ言いやがって……気味わりぃぞ」
「独り言なんかじゃ――」
そういいながら隣を見ると、少女の姿はどこにもなかった。
「違うよ、さっきまで女の子と話してたんだ」
「はぁ? おれ、お前のこと見つけて自転車こいできたけどよ、ずっと一人だっただろうが。見得張ってもばればれだぞ?」
嘘だ。
僕がぼおっとしていると、その友人はじゃあな、と言って行ってしまった。
僕は独りなんかじゃなかった。確かにあの少女と話をしていたんだ。そのはずだ。
考えているうちに、だんだん自分の記憶が曖昧になっていく気がした。
今日の勘定をまだ館長に渡してなかったことを思い出して、慌てて受付へ戻った。
映写室のドアをそっと開けると、館長は眠っていた。
「館長、今日のお勘定」
遠慮がちにそう言うと、館長はすぐに起きて僕の方へ手を伸ばしてきた。
「館長、聞きたいことがあるんですけど」
「ん? なんだべ」
僕は、毎日午後五時に映画館前にいる少女の話をした。青いスカート、白いブラウス。ガラスのように透き通った声。その少女と話したことを。
「知りませんかね、館長」
少しして、館長は大きく息を吐き出した。そしてなにやらポケットから、黄ばんだ紙切れを出してきた。
「こんな子でねがったが」
写真だ。僕はそれを館長の手から受け取ると、じっと見つめた。
そこには少女と少年が映っていた。少年は館長のようだ。少女は、色は分からないがスカートにブラウス。二人とも、今の僕よりももっと幼いようだ。
「え?」
「やっぱりその子だったが」
ぎぃ、と椅子を軋ませて館長は息をついた。
「その子はな、ここで死んだ子だ」
「死んだ?」
「おらと一緒によく遊んだ子でな、綺麗な子だった……だども、心臓が弱くてな。映画見ながら死んでった」
僕の口は半開きのまま、塞がらなかった。僕が話していたあの少女は幽霊だというのか。
「そうか、准くんにも見えたっけが。んだがんだが。この映画館もおしめぇだかんな、寂しかったんだべ。今度、墓参りにでも行くべ、准くん」
僕は無意識に頷いた。
その次の日、僕と館長はその少女の墓参りにいった。汚くなった墓を綺麗にして、花とお菓子を備えた。
館長は長々と手を合わせて、拝んでいた。
ふと、墓地の入り口の方を見たのは偶然だった。だけどそこからこちらへやってくるその人の姿は、嫌でも僕の目に映った。
「館長、館長」
思わず館長の肩をゆすった。僕の見ている方を館長も見た。
「ああ、あの子だったか、准くんが会ったのは」
館長は思わず笑ったようだ。そうかそうか、としきりに頷いた。
僕たちに気付いて会釈する少女。時代遅れの青いスカートに、白いブラウス。
「この子の双子の姉の、娘だ。そっくりでびっくりしたべ?」
今度こそ開いた口は塞がらなかった。
「こんにちは」
ガラス製の風鈴のような透き通った声がした。
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