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前に続く

 物事がうまく行く時というのは万事が思い通りに運ぶものである。恐いくらいであった。
 井川が文理大の事務局に電話すると、確かに滝田という苗字の学生はいた。しかも沖縄県出身というからほぼ間違いないものと思われる。
「呼び出してもらえませんか」と厚かましくいう井川に、ちょっと待ってくださいといって間を置き、「今、ゼミの最中ですから、二十分後にもう一度かけ直してください」と事務局員はいった。
 そしてきっかり二十分後に電話すると、滝田学本人が電話に出た。悪びれた様子はない。そこで、夕方五時に滝田が指定する喫茶店で待ち合わせる約束を取り付けた。
 オフィスにいて何億もの商品を売り買いして、3パーセントのペーパーマージンを稼ぐ商社マンの手際よさで、井川は澄ましている。
 風采の上がらないとぼけた顔の先生であるが、これは存外頼りになる先生かも知れない、性格も悪くなさそうだしと、遼子もトシ子も感心した。とりあえず今日の夜の心配がなくなって、二人とも安堵したようである。
 光子の方は違った。アメ玉一つで騙されてはいけない。細めたマツゲだけの目から母を見る目が気に入らない。涙目というのが。三十二歳まで独身でいるというのがどうも一癖ありそうで油断ならない。母もトシ子もアメ玉一個ですっかり無防備になっているけど、友達の親は仕事仲間に缶コーヒー一個奢ってもらったばっかりに、三十万もする健康器具を買わされる破目になったというのだ。
「さて、それでは光子ちゃん、時間調節に中央署にでも行ってみますか」
「また接見?」
「違いますがな。滝田に会う前に、滝田に関する情報を刑事から仕入れておくんです」
「え? 何? 警察は滝田のことも取り調べてるってこと?」
「あたり前ですがな。当然ガイシャの交友関係は全部調べてますよ。その中から清水紀夫が有力な容疑者として捜査線上に浮上したわけです。滝田学が容疑者にならなかった理由がある筈ですからね」
「それはそうだわねえ」と遼子がコピー機のところから口を出した。
 それなら手っ取り早く警察に訊けばもっと早かったのにと光子は思う。
「でも中央署の権藤ってゆう警部は、気が荒いから、気をつけた方がいいわよう」とトシ子が執務机からいう。
「ははは。そういうのはかえって扱い易いんです。そういうのに限って単純だったりして、怒らせたら本音が出ますさかいに」
「じゃ行こう」と光子はバカにされたような気がして、せっかちにいった。

「――何や? 滝田? 滝田学がどげえしたちや」と、短髪凸凹頭の権藤警部は濁声でいった。
 ちょうど刑事部屋から出て来たところを掴まえたのである。当然井川は面識ないけど、光子はボス弁と清水紀夫に初めて接見した時に一度会っている。
 向こうも覚えていて、「ねえちゃん、今日は何事かえ?」と向こうから声をかけて来たのだ。二人連れだったけど、井川が名刺を出して、「滝田学について少々お伺いしたいことがあるんですが」といったものだから、連れを先に行かせて、刑事部屋の応接室に案内されたのである。
「滝田学については何の嫌疑もなかったんでしょうか?」と標準語で井川が訊く。
「ああ、何もーー?」と怪訝な顔で権藤警部。
「アリバイはどうでした?」
「アリバイ? どげえしちそげんこつ訊く?」
「ええ。それが、依頼人のいうにはですね。自分は事件には関係していない、無実だというんです」
「そらみなそういう。自分から、やったちゅう者んはおらん」
「滝田学について調べてほしい、いいよりますから」
「ふ~ん。まだそげんこついよんのか。往生際の悪いやっちゃなあ、あいつも」
「ですから、わたしらも」
「わかった。わかった。滝田にはアリバイがちゃんとある」
「アリバイが……」
 井川も光子も落胆の色で権藤を見つめた。アリバイがあれば万事休すである。
「死亡推定時刻は、四月十四日の、午前五時から九時の間、その時間には滝田は大在一木いちきの学生アパート『日南荘』105号室にちゃんとおった。同じ一階の107号室の桜井ちゅう学生が、日雇いのバイト仕事に五時過ぎに滝田を誘いに行き、それから二人は牧の五高建設まで滝田の車で行った。そこから高速道路の補修工事に湯布院まで出かけとるんじゃ」
「……」
 井川に返す言葉はなかった。
「そのかわり、清水紀夫にはアリバイはなかったんですね」と光子が訊いた。
「ああ、清水紀夫は前の晩から夜釣りに行くといって松岡の家を出たまんま、あくる日、十四の午前八時二十五分に坂ノ市のスタンドで給油するまでのアリバイがない。本人は関〈佐賀関〉の岸壁で夜釣りして、それから朝まで車の中で寝ていたちゅうが、証明する者は誰もおらん。それに十時頃にはガイシャの家の近くで近所の住人に目撃されちょる。本人は金の催促に行ったけんが留守だったちいいよるが」
 井川はもう気持ちを立て直していた。
「あの“ロシアより愛を込めて”いう置き文ですけど、あのコピー用紙の指紋は調べはったんですよね?」
「勿論じゃ」
「どうでした? 清水紀夫以外の指紋はありませんでしたか?」
「それはおまえ、ガイシャの守山孝明のもあったわさ」
「えっ? それはしかしおかしいのと違いますか?」
「何がおかしい。清水がそれを見せ、守山が手に取って見た。それだけのこっちゃ」
「あ、そうか。なるほど。そういうことも考えられますね。滝田学の指紋はありませんでしたか?」
「おまえもしつこいやっちゃなあ。そんなもんあるわけないだろうが」
「そうですかあ。そうでしたら、滝田に守山殺しの動機は全くないゆうことになりますか」
「いや、動機はねえことはねえ」
「――え? ほんまですか。そら何でっしゃろ?」
「滝田は守山から借金してた」
「ええーっ? 守山は清水紀夫から借金して家を買いましたんやろ。なのにーーいくらぐらいですか?」
「三百万」
「えええーっ! 何んですのん。それっやったら、清水から借りた金と同じ金額じゃありまへんか」
「そうじゃ。そっくりそれを又貸ししたちゅうことじゃろうな」
 井川と光子はあきれて顔を見合わせた。それなら家は自己資金だけで買えたということではないか。
 反論を見越して権藤警部は先まわりしていう。
「資産状況からこっちもそんなことはわかっていた。けど、それでも清水紀夫の動機に変わりはねえ。アリバイもねえ。置き文も清水のもの。滝田にも動機はねえことはねえけど、ちゃんとアリバイがある。三百万円くらいで人を殺すかちゅう問題もある」
「でも返済が一年分遅れただけですよ」
「清水にはそれ以外の動機の方が大きかったんじゃ。約束を破ったということより、自分が貸した金が、そっくり滝田に渡っていたことを知って激怒した。それに、滝田の存在自体が許せなかった。置き文がそれを雄弁に物語っちょるじゃろうが」
 清水紀夫はなぜそのことを隠していたのだろうか。いや、それは警察の勘繰りではないか。
「又貸しされていることを清水紀夫が知ったゆうのんは、ほんまですやろか?」
「ああ、滝田がそういう。守山がそういよったちな」
「清水は?」
「清水が自分から重大な動機を喋るわけなかろうが!」
 権藤警部は太い目を剥いた。やはり、迫力のある顔だった。
 井川はすぐに話しの方向を変えた。
「滝田は三百万円もの大金を何に用立てたんでっしゃろ?」
「さあ、そこじゃ。そこが今一はっきりせん」
「それがはっきりせんでいいん?」光子が口を出した。
「何んちや」
 ギロリと警部は光子を睨んだ。
「まあ、その辺はこれから滝田に会う予定になってますから、訊いてみましょう。いやあ、参考になりましたわ。助かりましたあ」といって井川は席を立った。
 刑事部屋を振り返りながら井川の後を出て行こうとする光子に、権藤警部はいった。
「おまえ、城島元検事の娘らしいな」
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