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前に続く

 その日遼子は午前様になって帰って来た。
 とりあえず娘の部屋を覗いて、光子がベットにおとなしく寝ている〈タヌキ寝入りであったが〉のを確かめてから電気を消し、キッチンで、有り合わせのもので夕食をとった。
 納屋にはまだ電気が点いていた。ボディーガードを任じている松吉はまだ起きているのだろう。いつもながら、遼子の赤いアルトがガレージに納まるのを待ってからでないと、決して寝ない。
 キッチンの窓からポツリと納屋の電気が消えるのが見えた。今は女しかいない一軒家。九十近い老人とはいえ、心強いボディーガードである。もう一人若いのがいたけど、今は畑中の刑務所に入っている〈といっても、まだ拘置区で未決拘禁の身であるが〉。
 ドモリのタツという気立てのいい青年だったけど、ちょっとしたことで強盗・傷害の罪に問われている。根岸先生は何とか恐喝・傷害程度で執行猶予をとれないものかと頑張ってるけど、どうなることやら。
 二人とも福岡のお義姉さんの差配によるものでーー離縁した夫は三年前に獄死、子供らは父親と死別して、遼子としてはもう城島家とは縁が切れたと思っているのにーー「光子と竜平は血を分けた可愛い姪子と甥子、どうして放っておけるもんね」といって、ややもすれば光子を養子に欲しがった。迷惑な話だったけど、今はよかったと思う。
 さっき見たら、ガレージと家の間に光子の赤い自転車が停めてあったから、やはりタクシーで帰らなかったのだろう、松吉に迎えに行ってもらってよかった。松吉は植木の手入れや、板壁の補修、屋根瓦の防水ペンキ塗りなど、ほかにも屋敷の細々としたメンテナンスにも気を配ってくれて、本当に助かる。
 だけど光子には困ったものだ。
 コーヒーを入れながら思いは光子に移る。親のいうことを少しも聞かない。小学生高学年の頃からもう自分より背が高く、中学生になったら見上げるようになって、叱るのにも迫力がない。
 特に今は進路のことで険悪な関係にある。できれば近くで平凡なOLに納まって欲しいのに、警察官になるといってきかない。公安職はこりごり。それだけはどうしても譲れない。大学に行けばまた気が変わるかもと思って、経済的には苦しいけど進学を強く進めるが、駄目。進路指導の先生に相談しても埒があかない。
 困り果てて、光子が一番恐れている、福岡の竜子お義姉さんに言い聞かせてもらおうとしたら、これがとんでもないやぶ蛇になった。
「光子を警察官なんぞにさせたら絶対いけん。警察も検察も裁判官も刑務官もみんな親の(かたき)。光子をウチに預けんしゃい。光子は普通のオナゴにおさまるような子じゃなか。一つ道をば違えたら、大変なこつうやらかす()ばい」
 といって、テキヤの跡継ぎにしょうという腹なのだ。明治以来の名門の門流、光子の祖父の代から始まった「天門屋一家」が不景気で衰退し、後継者問題に揺れている時期であった。
 法律事務所開きの時に、一度だけお目にかかったことのある木之元の親分は、今や耄碌(もうろく)していて、昼日中から焼酎を飲み、倍賞千恵子の「下町の太陽」や「さくら貝の歌」を聴きながら涙ぐんでいる有様とか。今は竜子義姉さんが支えているけど、将来を思えば、一家十五人〈家族を合わせれば五十人余り〉の川筋者の命運は、創業者直系の孫娘、光子にかかっているというのだ。
 冗談じゃない。光子は榊原家の愛娘、テキヤの親分にするくらいなら、まだ警察官の方がまし。遼子は早々に逃げ帰ったのだった。
 だけど親の目から見ても、竜子がいうように、光子はちょっと変っている、何を考えているのかわからない。遠くを見つめるような目をして、何かに向かって突き進んでいるように見える。だんだん男のように猛々しくなって、顔はどちらかというと丸顔に近く、似てもいないけれどーー親の欲目かも知れないけど、誇らしいほどキリッと引き締まった好い顔をしているーーしかしその女豹のような精悍な眼差しは、ハッとするように別れた元夫に似ている。
 頭が悪いので検察官にはなれないから、警察官になろうというのだろう。警察官になってどうしょうというのか。元夫のようにまた正義に殉じようというのか。
 そればっかりはーー。
 何とか普通のOLとして傍に引き留めておく手立てはないものか。
 親に少しも甘えることのない子で、あれよあれよという間にもう頭を撫でてやることも、抱き締めることも憚れるほど、大きくなってしまった。

 そこへいくと竜平はーーコーヒーを飲みながら遼子の思いは東京で大学生活を送っている長男の竜平に移る。
 一時、心がなごむ。
 疲れた体にコーヒーの甘さと苦味が心地よく染み渡った。
 光子より三つ年上の竜平については申し分ない。大学進学も一発で東大理学部に合格し〈法学部でなくてよかった〉、生物科学を専攻して着実に学者への道を歩んでいる。
 元々内気で学究肌の子だった。榊原家の方の血を引いているのか、父も母も祖父も教師だった。大学教授にでもなってくれたら万々歳。福岡のお義姉さんには、「しゃきっとしんしゃい、しゃきっと!」といつもいわれていたけど、親思いの優しい子で、学費や生活費は全部バイトで賄い、お誕生日にはきっとプレゼントを贈って寄すし、月を置かず電話やメールで気遣ってくれる。
 女の子一人しか儲けなかった父・母にとっても、竜平は待望の男の孫であり、自分が離婚してからは、榊原家の跡継ぎができたと大喜び、優秀な孫を、二人とも目を細めて見やっていた。

 そこでまた、なごんだ気持ちに不安が入り込む。
 今度は父親の容態のこと。肺ガンで入退院を繰り返している父親の史朗は、今度が最後の入院となるかも知れない。肺炎を起こす度に、命の炎を小さくしている。三年前に母親の菊を看取ったばかりであった。
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