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27/250

前に続く

 翌日の朝、十時の休憩の時、根岸ともみはいった。
「明日から井川拓馬という若い先生が手伝ってくれることになりました。年齢は三十二歳。司法修習を終えたばかりの新人の先生で、大阪暮らしが長いそうだけど、故郷に骨を埋めるつもりで帰って来るそうです」
 大きなテーブルに陣取ってコーヒーを飲んでいた遼子も光子もトシ子も、唐突な話に唖然とした。ボス弁は弁護士会館から帰って来たばかり。
「え~っ」と光子。
「大分の人ですか~」といって東トシ子は席を立つ。
 ボス弁にコーヒーを入れる為だ。フットワークが軽いのが取り得の女。
「中津市相原って所らしい。県北になるのかな?」
「福岡県との県境だよ」
「急な話だわね」と遼子。
「急ついでで悪いけど、今晩、歓迎会を兼ねて夕食をともにしたい。みんな都合はどう?」
 根岸を含めてみな相手のいない孤独な女、都合なんか訊くまでないのである。
「どこでするの?」遼子が訊く。
「都町のフグの店が近くていいと思う」
 遼子は複雑な顔をした。
「机はどうすんのよう? もういっぱいじゃん」
「井川先生には遼子さんの部屋に入っていただく。事務も分離して、社名を『根岸・井川法律事務所』ということにする。経理は両方とも遼子さんにお願いするけど」
「それって別会社ってことなん?」
「そういうわけでもない」
「そういうの、今流行ってるんだよう」トシ子が現れて、ボス弁の前にコーヒーカップを置きながらいう。
 光子は浮かない顔をして、「それならトシちゃんの方が、年齢的にいっていいんじゃないの。――その先生、独身?」
「そう聞いている。弁護士会の福沢事務局長の紹介なの」
「だったら、お互い適齢期でもあるし、トシちゃん相手いないし、ちょうどいいじゃん」
「どういう意味よ。それじゃわたしが相手いなくて困ってるように聞こえるじゃない。遼子さんだってヤモメだよう」
「ふふふ」根岸は苦笑して、「じゃ、そういうことだから、夕方七時に都町の『山田屋』に集合」といってコーヒーに口をつけた。
(やっぱりそうか)と遼子は根岸の顔を見やった。
 光子はどうせなら夜桜でも見ながら平和公園辺りですればよいのにと思う。それに魚より肉の方がいいと、不満気な顔であった。
 東トシ子は何着てこうかと考えている風だった。

 七時には『山田屋』の二階六畳間に設えられたコの字型の席に、遼子に光子と、東トシ子が向かい合って座っていた。それぞれそれなりに気を配った衣装で。
 がしかし、床の間を背にして座るべきご両人がまだ姿を現さなかった。先付けはそれぞれの前に並べられている。
 東トシ子はモカブラウンの長袖シャツに明るい色合いのスカートという、意外とシンプルな衣装ですまして座っている。夜はまだ冷えるので千鳥格子のジャケットも持参、横に置いてある。
 光子の方もミント色のTシャツに白っぽいパンツというカジュアルな格好で、母親の遼子だけが、何だか格式ばった黒っぽい地味な衣装だった。
 やや暫らくして、根岸ともみと井川拓馬が入って来た。
 長身でスタイルのよい根岸の後に続く男は、上背のあまりない風采の上がらない中年太りだった。
 けど、正面から見ると、つり上がり気味の目に信念めいた光を宿していて、軽んじられないと思わせるものがあった。
 腰を下ろす前に、根岸が一人ひとりを紹介した。
「事務員さんの榊原遼子さん。そして、助手をしてくれている、その娘さんの光子ちゃん。まだ十九、来年が成人なんだよね。それから、こちらが、同じく事務員さんの、東トシ子さん」
「井川拓馬といいます。よろしくお願いします」
 両名は上座に腰を下ろした。
 仲居が二人で忙しく飲み物と料理を並べる。
 ヒレ酒が井川と遼子とトシ子に振舞われ、根岸ともみは酒を飲まないからジンジャエール、光子も未成年なのでウーロン茶で、乾杯した。
 この場所は、かつて夫の城島竜二とともに、今日のように根岸ともみと初顔合わせしたところである。年老いた方の仲居はその時の仲居だった。遼子は感慨深気に見まわす。
 仲居も覚えていて、根岸ともみと遼子を、親しみをこめて見た。根岸ともみは、そんなことは忘れてしまったかのように、知らん顔で、誰もいない正面を向いて、ジンジャエールを飲んでいる。
「大学はどちら?」と、遼子が仲居に会釈してから、井川拓馬に訊いた。
「関学です。卒業して商社に勤めてましたんですけど、何んかしっくり来なくて。急に思い立って、司法試験の勉強を始めたゆうわけですわ。いやあ、苦労しましたわ」
「何回目で合格されたんですかあ?」トシ子が横から質問した。
「三回目でようやくですわ。もし、それで駄目ならもう中津に帰って、百姓でもしようか思ってましたんやけど、運よく引っ掛かりましてん」
「それからは? どなたにも付かずに?」遼子が訊いた。
「いえ、吹田の矢田恒之先生の事務所で半年ほど働かせてもらいましたんやけど、どうもしっくり来なくて」
 光子は急に心配になって根岸に訊いた。「見晴台案件はどうなるの?」
 ボーと前を向いて空ろな表情の根岸は、魂を呼び戻されたかのように「何?」と訊く。「何かいった?」
「――もう!」
「見晴台はどっちがやるのかーーってことだよね、光子ちゃん」
「あれはーー引き続き光子と、井川君でやってもらうわ。でも、井川君にはわたしがいない間は、係争中の民事のほうも手伝ってもらう」
「いない間って?」
「わたし、来週からちょっと名古屋に出張に出るから」
「何しに?」
「ちょっと、光子、何てこと訊くの! 先生は先生でお忙しいんだから」遼子が(たしな)めた。
(どうだか)光子は心の中で毒づいた。
「見晴台案件って、今騒いではる事件のこと?」と井川拓馬が光子に訊く。
「そう」トシ子が答える。
「へえー。面白そうな事件やないですか。あれをぼくにもやらせてもらえるんですか。やったあ!」
 何か軽そうな男だなという目で遼子もトシ子も井川を見ていた。
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