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その十 新証拠発見

 翌朝、朝早くに光子は社用車のエブリイを駆って、臼杵の事件現場に向かった。左太腿に深さ三センチ、二十五針も縫う大怪我を負っているというのにである。
 昨日はタクシーを使ったけど、タクシー料金が一万五千円余りかかった。
 さすがにもうそんな経費は気が引けて使えない〈よくよく考えるとその経費は天門屋一家に請求されるのだけれど〉。だから、うるさいチーボスが出勤して来ない内に出掛けることにしたのだ。
 家から事務所まではタクシーを使って母親よりも早く出勤したので、母親はそんな無謀は知らないし、知っていたら許してくれはしかっただろうし、それを素直に聞く光子でもなかったけど、あの赤い鼻をしたエロジジイをお供につけるくらいの妥協は余儀なくされただろう。
(ママに手を出したら承知しないから!)
 光子は松吉のよからぬ噂は子供時分にーーその時は何のことやらわからなかったけどーー嫌というほど聞き及んでいた。大人は子供だと思って傍にいてもはばからずエッチな話をするけど、子供はいつまでも子供ではないのだ。後家殺しの松の行状は嫌というほど耳に入って来た。
 だいたい、木之元の親分にしてからがーー大人になってからようやくその意味がわかってーー顔を顰めたくなるような話が光子の耳に入っていた。その話を、光子ら子供が傍にいるのにも係わらず、平気で吹聴していたのが、ほかならぬダボラの松吉である。
 だから親分の話は本当かどうかわからない。二人は仲が悪かったし。
 松吉は祖父・竜太郎の舎弟だし、木之元の親分は小倉の房前一家では祖父と兄弟分だった。祖父は独立して天門屋一家を興し、それを松吉にではなく、木之元の親分に譲ったのだった。
 その辺のゴチャゴチャした事情が、盆正月や冠婚葬祭の折には決まって話題になり、竜子伯母が話すのを、子供らは聞くとはなしに聞いて育ったのだ。

 ――あん奴は何しろ命懸けでないと燃えん男よ。
 小指はお前、兄貴分の女に手を出した時のもので、薬指はオジキの妾、中指は親分の愛娘(まなむすめ)、左手の小指を詰めたんはーー親分の親心で絶縁は免れてじゃな、人吉の鶴丸親分のとこに預けられたばってんがーー鶴丸親分とこは男所帯、女といえば賄いの八十過ぎのばあさんと、メスヤギが一頭おるだけじゃけん、よもや間違いは起こすまいとの親心をーーあんバカちんが、あろうことか、今度は若頭に手え出しよって、――見境のねえ野郎だ、おめえは一物を詰めるか、首を詰めるか、どっちかにしろい! ――ちゅうことになったのよ、――フオッフォフォッ!
 見てみい! それぞれに貰った指輪をば、勲章んごつ、それぞれの詰めた指に嵌めくさってからに、タコん足んごと動かし、いい気なもんたい。

 という松吉のダボラ(駄法螺)を聞いて大人たちは大笑い。子供らは年齢に応じた反応を見せた。光子は傍の民子姉(ねえね)にーー民子姉は本当は叔母だけど歳が近いからそう呼んでいた――イ・チ・モ・ツってなあに? と無邪気に訊いたものだった。
 そんなことを思い出しながら光子は、――「松の奴、ママに手え出したらただおかないから」と、今度は声を出してつぶやいた。だんだん不安な思いが膨らんで来ていたのだ。
 それにしても、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、父方の一族には変なのばかりがいる。この前来た左官の太一も、体がくの字に曲がって傾いているところから、博多の伯母からは「片ギンタンの太一」と呼ばれていたし、大工のトメは、いつも目を白黒させてクギを口の中で(もてあそ)んでいる変人だった。
 それでも彼らに愛着を感じてしまうのはなぜだろう? どうして自分はやっきになってタツを救おうとしているのだろう? 光子の疑問はいつもそこに落ち着いた。
 車はいつもと違って国道一〇号線を走っていた。途中から県道に入って、臥竜梅で有名な吉野を通って臼杵に向かうコースである。

「何んな、また、何ごとな?」
 無理もない、昨日の今日である。訝る田中ミサに、光子は急き込んで訊いた。「おばあちゃん、猫――野良猫だけど、どっから家に侵入して来るの?」
「ああ、あれか。あん奴はーー」といって、光子を手招きした。
 玄関から庭の方にまわって、縁側の雨戸の上を指した。梁の上の板壁に猫ならどうにか通れそうな破れ穴があった。
「まずはあっこじゃな。ジイが修繕するするちゅうち、とうとうせんまま死によったけん、そんままじゃ。屋根があるけん、別に困りゃあせんけんど」
 光子は隣の吉岡家との境界ブロック塀の所まで下がって見た。残念ながら、そこからは(のき)が邪魔して見えなかった。ということはナイフを投げても、屋根に阻まれるということになる。家は(むね)から両側に同じ長さの軒を伸ばした、典型的な安普請の切り妻造りだった。
 光子はがっかりして、そこからほかに猫が入り込めそうな隙間を捜した。
「やっぱり、駄目か……」といって田中ミサもやって来て横に立った。
「このブロック塀はおばあちゃんのものだよねえ?」と、ふいに光子が訊いた。高さ一メートル足らずのお粗末な建築ブロックだから、明らかに隣の家とは不釣合いだ。
「うちの境界線じゃあ。隣の吉岡さんとこは何十年も後に越しち来ち家を建てた。まあ、あらためち塀を築くのもイヤラシイけんち、遠慮しちくれちょんのじゃろうで。代わりにマキの木を植えただけじゃけんど、品がいいの見よ」
 光子はブロック塀を一跨ぎして隣の庭に、少年が立っていたという辺りに立ってみようかと思ったけど、さすがにそれは憚られた。だから塀ぎりぎりに立って、それに腰掛けて眺めようとしたところ。
「ああ、駄目ちゃ!」
 と、田中ミサが急に声を出した。
「えっ?」
「塀に腰掛たら屋根が外れるちゃ!」
「屋根が? これ動くの?」
「ああ、古りいけん、コンクリが剥がれち、とうきな〈たまに〉動くやつが出る。そんたびコンクリ巻いち補修しよんのじゃ」
「―――!」
「これがお前外れたら、すぐに修理せんと、じきじゃあ、水が溜まっち、塀が痛む」
「ということは何、もしかして、あの時も動く屋根があったかも知れないということ?」
「そらまあ、どうかのう……」
「屋根をずらして、隙間から小刀を落とし込んだらどうなるんだろ?」
「そらお前、建築ブロックちゅうのは中がウト〈空ろ〉になっちょるけん、一番下まで落つるがええ」
「警察はこの屋根を調べた?」
「そんなもん調べるかえ。脚立を立てち、家ん屋根の上を覗いただけじゃ」
「それなら、あの事件の後、この塀の屋根を修理した?」
「ああ、そらまあ、何箇所かはな」
「――お、おばあちゃん! このブロック塀、新品にやりかえない?」
「なしか?」
「ねえ、もっといいのにやりかえようよ」
「バカんじょういう。そげな金がどこにあるんかえ。年金で、ようよう暮らしよるちゅうに」
「まかしといて、片ギンタンの太一にやらせるから!」
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