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189/250

前に続く

 午後の一時過ぎには、三人はすぐ近くのホテル最上階のラウンジにいた。
 そこからは、高崎山を手前にして由布・鶴見・九重の連峰と、別府市街、別府湾が一望に望める。最高のロケーションだった。三六〇度ガラス張りだから、東側の席に座れば、佐賀関半島や九石ドームも望める。北は国東半島。
 天気はよく、青空に白い雲、空気は澄み渡っていた。それでいてもの淋しい晩秋の風情が漂う。
「キャハ、すーごい! 綺麗ーえ! 別府湾の海ってこんな近くだった?」
「ディナーだと、別府の夜景がすごく綺麗だよ」
「てことはなに、光子ちゃん、こんなとこでごディナー食べたことあるの?」
「うん……まあね」
 高校の卒業式の後、母親と根岸弁護士とで夜景を見ながら食事したことがあった。
 盆の十五日にはここで、根岸・井川・トシちゃんとで飲んだことを、光子は感慨深く思い出していた。
「さあ、何でも好きなものたのんでいいわよ」お手洗いから戻って来て東浜明美がいった。
 東浜検事は辺りを見まわしてから、若い二人の前の椅子に腰を下ろす。次席たちもきていたら洒落にならない。
 光子が大きなメニュー表を手に取って、二人仲良く見る。
「うわっ、フランス料理……」と佐藤メグミ。
「ここはフレンチの店なの。嫌いじゃないでしょう?」
「でも高あ~い」
「ボーナスたんまり貰ってんだから、遠慮することないよ。あたし、Aコース。食前酒はやっぱワインだね」
「あなたたちだってそうでしょう」
「検事さまに比べたらスズメの涙だよ」
「ちょっとそれご法度!」佐藤メグミが辺りを(はばか)って(さえぎ)った。
「あっ、いけね」光子は首を竦めて、「給料だって一般公務員の1・5倍じゃん」
「わたし、家の者に依願退職するっていったら、叔母ちゃんが、退職金はどうなる? ――っていうの。事実上は、懲戒免職なんだから、貰えないですよね」
「心配しないで、いただけるから」
「本当ですかあ!」
「ええ」
「うわ~っ、嬉しい!」
「勾留中のお給料もね」
「何だか(わび)しいね。そんな話よか」光子は手を上げて指を鳴らした。押しボタンがあるのに〈父親がよくそうしていたからだ〉。
 生え際に赤いバンダナを巻いた、白いブラウスに黒パンツの女性店員がやってくる。
「あたしはAコース。それから東浜ーーさんは?」
「Bコース」
「じゃあ、わたしもAコース」
「お飲み物は何にいたしましょう?」
「ワインのーー」
「ポートワインが口当たりがよくていいんじゃないのかな。二人ともまだ大人になったばかりなんだからーーわたしも同じでいい」
 二人に異存はなかった。
「Aコース二名さま、Bコース一名さまに、お飲物は赤ワインですね。かしこまりました」

 店員が去ると、「あなたこれからどうするつもり?」と東浜明美が佐藤メグミに()いた。
「家業を継いで釣り船をやるつもりです。でも、それだけでは食べていけないから、漁のほうもーーマグロとか獲ってみたいです」
「そお、偉いわねえ~」
「マグロって一本何百万もするんだよね。黒マグロなんかご祝儀相場で四、五千万したことがあったんじゃない? でも、気をつけないと、夢中になって群れを追いかけていて領海を越えると、魚の国籍が変わるかんね」
「うふふふ。もう騒ぎは起こさないでよ。あなた可愛い顔しているわりには、向きになるところがあるようだから」
「わたし、分別はちゃんとあります」
 冗談をいっていると、食前酒がやってきた。

 ワインを飲みながら、今度は佐藤メグミが光子に訊く。
「仕事のほうはどおお? 公安の仕事ってーー」
「もっぱら、対象者の尾行だね。利権右翼とか、総会屋とか、仕手筋とか。アウトローってさあ、結構魅力的なんだよね。百億の金を集めて仕手戦を仕掛けている者が、その日のたばこ銭にも困っていたりするんだ。資金が足りなくなったらサラ金ーーじゃなくて、暴力団の親分に借りたりするんだよね。
 一億借りようが二億借りようが、仕手戦に勝って狙い目の企業を乗っ取りさえすれば、そんな端金(はしたがね)すぐに払えるんだけどさ。失敗したら、東京湾なり、大阪湾なりに、浮かぶことになる。夫婦そろって腹切って〈かっ切られてか〉浮いていたこともあったしね」
「怖~い」
「それか、力のある政治家に泣き付いたりするんだ。その辺から獣道になる。政治家が絡むと獣道になる」
「国宗の尻尾は光子ちゃんが掴んだの?」
「いや、兄貴。いい加減な大学生活送ってる、グータラ学生だと思ってたんだけど、しっかり憂国の士を味方につけていたり、侠客ヤクザなんかもね。その辺から色々情報が入ったんだろうね。これ以上詳しいことはいえないけど」
 東浜明美も佐藤メグミも、光子の兄・榊原竜平のことを考えると、心地よい酔いが覚めそうだった。料理が運ばれてきたので、しばらくは食べることに専念した。

「根岸先生って」近くの席に人がいなくなったので佐藤メグミが憚らずにいう。「どうなっちゃうんですか?」
 東浜明美は肉を切り分けていた手を止めて佐藤メグミを見た。
「どうなるって?」
「先生が裁かれて、あの男が何ともないなんて不公平じゃないですかあ」
「あなた、根岸ともみがやったこと忘れたの?」
 一連の事件の顛末(てんまつ)は道々話して聞かせていた。まだこの子は根岸ともみの呪縛に囚われているのではと、東浜明美は疑いの(まなこ)で見つめる。
「有り難う、メグ。あの男のことは、あたしがきっちり形をつける。これからあんたは、黒マグロのことを考えなよ」光子がパンを千切って食べながらいう。
「いずれにしても、最終的には、裁判所が決めることよ。それよりーー」
「そうですね。光子ちゃんのお兄さんのことが心配ですよね」と、佐藤メグミもパンを頬張る。
 目を細めて光子は窓の外の景色を見やった。頬の筋肉をゆっくり動かして口の中の物を嚥下(えんげ)した。

 その時、携帯電話が震える音がした。
 三人それぞれが、ハンドバックやショルダーバック、そしてウエストポーチを開けて見る。
 佐藤メグミのポーチからだった。
 佐藤メグミは携帯を取り出して、「誰?」といって開らく。
 そして驚いた顔で、耳に当てる。
「ーーお~ひょひょ! 出所、おめでとうございます!」という声がこぼれ出て、佐藤メグミはあわてて両手を携帯に押し当てた。体を(よじ)って、「ちょっと何ですかあ、どうして新しい携帯番号わかったんですかあ」という。
 佐藤メグミは立ち上がって周りを見まわした。
「どうしてここがわかったんですかあ」
 窓の外まで覗き見た。
「どうして女子三人組ってわかるんですかあ」
「何? どうしたの?」と東浜明美が(たず)ねる。
「ストーカー?」と光子。
「とにかく、わたし今、忙しいですから」といって佐藤メグミは携帯を閉じた。
「カレシだね」光子がいう。
「違う! 違うってば」
 佐藤メグミは手を振って否定した。
「何にしても、気にかけてくれる人がいるってことはいいわね」
「あら、検事さんーーいえ、間違えました。東浜さんにはいないんですかあ?」
「いたらこんなとこで女子を相手になんかしてないよ」
「失礼ね。いるわよ、一人や二人。そのうちの一人はね、今、痔の手術で日赤に入院してるの。青白い顔して、中腰で迫られてもねえ。もう一人はバツ一、孫子持ちの初老の親父」
「え~っ、何でです? どうして? こんなに美人なのに」
「美人ってさあ、若いのは気を遣うから敬遠するんだよね。厚かましい親父ばかりが、ナメクジのように集まってきちゃうんだよね」
「あなたはどうなのよう? 少しも浮いた話は聞かないけど。お母さんが嘆いてたわよ」
「あたし? あたしは、そんな暇ないよ。我社の銃剣術や逮捕術、合気道もマスターしちゃったし、今は自衛隊の徒手格闘技を学んでるんだーーこれ、殺人ワザだから、半端じゃないよ。腕立て伏せ200回に、片手腕立て伏せ左右100回、腹筋300回できるようになったし」
「一生そうしておいで」
 西日が傾くまで女三人の語らいは続いた。光子にとっては何もかも忘れる楽しいひと時であった。

 奥別府の千メートル級の山々が陰をなす頃、ようやく光子たちは腰を上げた。
 バータイムまでいて飲み明かしたいところであったが、佐藤メグミが一緒なので、そういうわけにはいかない。実家の祖父母がどんなに待ちわびているかと思うと。
 ロビーに下りるとお迎えが待っていた。
 スーツ姿の若者が、休憩コーナーのソファーから立ち上がって、三人のほうに向かって来た。
「いやだ、まだいたの」と佐藤メグミがつぶやく。
 男は東浜明美に向かって訊く。
「東浜検事さんですか?」
「そうですけど?」
(はじ)めまして、ぼく、臼杵署の宮崎芳樹と申します」といって深々と頭を下げた。「この度は、格別のご配慮をいただきまして、署員一同大変に感謝申し上げております」
「ちょっとやめてよ、こんなとこで」と佐藤メグミが宮崎芳樹の腕を掴んでいう。
「これはこれはご丁寧に。当たり前のことしただけですけど」東浜明美は苦笑する。
「あっ、この方が、ーーいや、君が榊原光子さん? う~ん、近くに寄ると、確かに背え高いね。これでもぼく、一七六、七はあるんだけど」
 光子も苦笑する。捜査本部で見かけた顔だ。
「一体何ですか? 先輩」といって佐藤メグミは宮崎芳樹の腕を引っ張る。「こんな時に、こんなとこにいてて、いいんですかあ」
「ひどいじゃないか! ぼくには何の連絡もなしに。ぼくがどんだけ心配してたか。吉賀係長に聞いて、すっ飛んできたんだよ」
「でももう、わたし、署員じゃないですから」
「署員じゃなくったって、ぼくと君の仲はーー」
「先輩後輩でもないですから。いっときますけど、わたし、起訴を猶予されただけで、犯罪者には違いないですから」
「そんなことは関係ない! ぼくは君をーー今日は家までーー蒲江の実家まで送り届けたいんだ。このことは、吉賀係長にも頼まれている!」
 吉賀係長というのは佐藤めぐみの上司で、上背は160センチそこそこしかないくせに、どんなに背が高い者でも反り返って見下ろす、光子とは二度縁があった。
 東浜明美が光子を見てからいう。
「じゃあ、メグミちゃん、わたしたちはこれで。吉賀君、ちゃんと家までお願いね。彼女少し酔ってるから」
「あ、はい! 検事」
 宮崎芳樹はペコりと東浜明美に頭を下げた。それから女優でも見るような目でうっとり見た。
 それから光子のほうにも目を転じて、何やらつぶやき、「カッコイイ~、雰囲気あるなあ……」といって見惚(みと)れた。
 二人を交互に見て、「でもぼくは」ーーといって振り返ると、そこに佐藤メグミの姿はない。佐藤メグミは玄関のほうに向かって歩いていた。
「ちょっと、待ってよ、メグミちゃ~ん!」
「わたし、電車で帰りますから!」
「電車でって、もう特急は出たばかり、二時間も待つことになるよ」
「じゃあ、鈍行で帰りますから!」
「鈍行だと二時間以上かかっちゃうよ」
「いいんですう!」

「何あれ」と、出て行く二人を見て光子がいう。「あれが、メグのカレシ?」
「そのようね。まだ、親密な関係ってわけじゃなさそうだけど」
「何だか、頼りなさそうな、おぼっちゃんって感じだね」
「草食系のイケメンって感じねーー彼女、芯はしっかりした子だから、お似合いのカップルかもね」
「でもあの子、相当なおくてだから、押さえつけてキスするだけでも大変だよ。その先となると命懸けになるね、カマキリのオスのように」
「人のことがいえるの」
「かあ、かあーーって潮焼けした声、しばらくは耳に付いて離れないからね」
「年取ったら、いいおばさんになりそうね。ところであなたこれからどうするつもり?」
「うん……本母警部からもう一週間休めっていって来てるんだけど」
「よかったじゃない。この際、ゆっくり休んで親孝行なさい。お母さんも、いつまでも若くはないのよ」
「じゃあ、根岸先生と接見させて」
「ダメ! 今の彼女には誰も会わせられない。きっと影響を受けてしまう」
 やはりそうかと思う。
「兄貴のことだけど、どうなるかなあ……」
「難しいわね。あるーーことを証明するより、ないーーことを証明するほうが、数倍大変なことなのよ。よい弁護士を探すことね。後は裁判官次第」
悪くすると、極刑も免れない、という言葉が呑み込まれた。
(根岸先生がきっと守ってくれる)と光子は自分にいい聞かせた。
 いつの間にか村上タツオが傍に控えている。
「じゃあね」といって東浜明美はタクシーのほうへ向かって行った。
 光子とタツオは最敬礼して検事を見送った。
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