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雨の贈り物

雨降りの発見

作者: あやねいおり

 流れるしずくが、世界をゆがませる。

 少女を縛り付ける狭いおりと世界をつなぐ唯一の存在。そこには、幾つもの水滴が居座り、少女をおりに閉じ込めておこうとする鉄格子のようだ。

 それは、視界を奪い、ゆがませ、少女が焦がれる世界を変質される。退屈な環境を楽しげな世界とつなぐ存在を、重くつらいものへと変質させる。

 ベッドの枕に背中を預け、体を起こしていた少女は、長く深いめ息をつく。

 だが、視線が雨に濡れた窓から外されることはない。

 退屈な部屋の中。変化のある窓の外を眺めるのが楽しみだった。

 あんな車が通り過ぎた。

 こんな鳥が飛んでいた。

 どこかで見かけた猫が欠伸あくびをしていた。

 あっちの方の家の人が犬を散歩させていた。

 あそこの小学校の子供たちがにぎやかにおしゃべりをしていた。

 窓の外にはたくさんの世界がある。

 それは、いつまででも見ていられる。

 そんな深窓の令嬢を気取ってはかなげな思考を巡らせている少女であったが、実のところ季節外れの風邪を引いてしまい。学校を休んで療養していたのだった。

 ただ、もともと病弱で体調を崩しやすいのは事実で、風邪を引こうものなら家族から、それはそれは丁重に扱われていた。

「また、前みたいに運動ができれば良いのだけど……」

 少女は、そうつぶやき、窓の外を眺める。

 そこには、傘を天にかかげて走り抜ける小学生たち。にぎやかな笑い声と水たまりを踏み抜く音が段々と小さくなる。

 少女は、持病の関係で体育を見学しなければならないほど、医者から運動に制限をかけられていた。

 だが、普通に登校して授業を受けられる程度の体調ではあり、絶望するほどでもなかった。通学は自転車で行い、授業を受け、普通の女子高生をしていたのだから。

 だからこそ、どうしても過去の元気だったころを思い出して、懐かしく思うことがあった。

「やっぱり、運動している方が健康的だもの……」

 それでも、少女としてはつらいとか不幸だと思ったことはない。

 こうして生きているのだから。

 両親がいて、友達がいて、大切なあの人がいる。

 これ以上、願ったら罰が当たるのではとさえ思ってしまう。

 もちろん、それは大げさな話ではあると自覚はしている。

 ただ、過去の大病を乗り越えるきっかけを、勇気をくれたあの人の存在は大きく、自分を前向きにさせてくれている。

 人にはいろいろな幸せな形がある。今まで考えていた形と違った幸せを探せば良い。不幸を嘆いていたって何も出来やしないのだから。

 そうじゃないと、約束を破ったことになる。

 その強いおもいが、少女を支えていた。

 それは、少女からの一方的な約束だった。ただの誓いと言った方が正確だろう。願掛けとも言えるのかもしれない。

 時折訪れる弱音に心の中で謝罪しながらも、気持ちは落ち込んではない。やはり、ときどき思い出しては懐かしくなり、あのときのことに思いをはせる。

 

 ◇

 

 少女が幼く、まだ小学生の頃。

 毎日のように外で遊んでいた。

 男の子に混じり、昆虫を捕まえたり、川遊びをしたり、追いかけっこをしたり。夏も冬も季節など関係なく、外で体を動かして遊ぶことが大好きだった。

 自宅で営んでいた駄菓子屋の手伝いもほったらかして出かけており、よく手伝うようにと母親から良くお小言をもらっていた。それを見た祖母が笑って許す。

「他所の家の子が遊びにお店に来るのに、手伝ってばかりじゃつらいだろうから」

 それが、少女をかばうときの祖母の言葉だ。

 もちろん、全く手伝いをしていないわけではなかった。しかし、手伝ったときは、祖母から内緒でお駄賃をもらっていたし、労働には相応の対価が必要。幼い少女は本能的に悟っていた。だから、祖母から頼まれたときは、しっかりと働いた。

 夏休みともなれば、真っ黒に日焼けして虫取り網を片手に満面の笑みの写真を残していた。そんな写真たちが収められていくアルバムは、まるで男の子の成長記録のようですらあった。

 両親は、もう少し女の子っぽい可愛らしい服を着て見せてほしいらしく、たまに買ってきていたが、少女が率先して着ることはなく。いつも、汚しても大丈夫な服ばかりを着ていた。そして、短く切った髪と小麦色に焼けた肌との相乗効果で男の子っぽさを強調していた。

 後の父親の弁としては、可愛かわいい娘の姿を期待していたのに、まるで男の子のようで悲しかったそうだ。そんな親心とは裏腹に幼い少女は広い世界を自由に羽ばたく鳥のように自由気ままだった。

 しかし、そんな自由奔放な時期は長く続かなかった。

 ある日、外で遊んでいる最中に倒れて病院へと運ばれた。

 幸い、一緒に遊んでいた男の子たちに責任はなく、友人関係に変な軋轢を生む原因にならなかったのは幸いだった。これで、一緒に遊んでいたからとか、外で無理な運動をしたからだとかなっていた場合は、間違いなくお互いの気持ちにしこりが残る。

 初めて彼らが見舞いに訪れたとき、少女はぼんやりと考えていた。彼らの表情に変な罪悪感のようなものはなく、純粋に自分の回復を願っていることがわかり嬉しかった。

 程なくして退院したが、運動は許されなかった。

 今までのように出かけることはできず。家にいることが増えた。

 必然的に駄菓子屋を手伝うことも増えた。

 手伝うと言っても、店番をする祖母の相手をしたり、手の届く範囲の商品を整理したりするくらいだ。

 支払いは必ず祖母がしたし、ひとりで留守番をするようなことはなかった。

 だから、大体祖母の横か、後ろの部屋との境目に座っていた。

 自宅兼駄菓子屋で、表の道路に面した部屋がお店になっていた。もちろん、床は土足で入れるようになっていたので、広い土間のようだったのかもしれない。もちろん、かまどや水場はないし、床はコンクリートで全く土間らしさはない。だが、奥のりガラスが障子の代わりに張られたふすまを開ければ、そこは畳敷きの部屋だった。

 それほど、広くはないが祖母の休憩用グッズが置かれている。平日の昼間のように、お客の少ない時間帯は、この部屋でこたつに入っていることもある。

 そんな昔ながらの駄菓子屋の奥の部屋で、少女は祖母と一緒に過ごす時間が増えていった。

 宿題をしたり、お話をしたり、おやつを食べたり、昼寝をしたり。

 いつも外で走り回って遊んでいた男の子たちがきたときは、少しだけ寂しくて見えない位置に隠れることもあった。

 もちろん、彼らへのわだかまりはない。

 ただ、外で遊べないことへの未練があったのだ。彼らの顔を見たら、外へ駆けだしていきそうだった。

 だが、それは許されない。

 自分の気持ちを制御する方法として、隠れるという方法をとった。それだけだ。決して彼らを嫌いになったわけじゃない。

 むしろ、少女の方にこそ罪悪感が目覚めていた。お客さんである子供たちが来店しているときは、少しうらやましそうに眺めていたりもした。

 自由に出かけて遊ぶことができる。そんな、彼らがうらやましかった。

 そんなお客さんの中に、変な行動をする子がいることに、あるとき気がついた。

 その子はいつもうれしそうに目を輝かせながら店に入ってくる。そして、楽しそうに迷いに迷った挙げ句、いつも似たような商品を手に取ると、急にこの世の終わりのような表情をする。

 次にとる行動は簡単で祖母のところで支払いをする。

 だが、その祖母の場所へ来るまでがいつも長かった。

 道中の駄菓子にも目を奪われて遅くなっているのではない。真っぐと祖母の場所へと向かっているのに亀のようにのろかった。

 額に汗をかき、決死の覚悟でダンジョンに挑む、物語の主人公たちのようだった。

 最初のころは、その理由がわからず、ずっとガラス越しに見ているだけだった。

 しかし、あるときわかった。

 その子の視線はいつも同じところを向いていた。

 支払いをするために祖母へ向かって歩いているはずなのに、いつも少し違うところを見ていたのだ。

 その先には犬がいた。

 祖母の横にいつも寄り添うように座っている。もとい、寝ている犬。

 少女が生まれるより前から駄菓子屋の番犬として勤めている。実際に番犬らしい姿をついぞ見ることはなかったが、少女の知らない頃は活躍していたのかもしれない。

 だが、番犬が活躍するような駄菓子屋も物騒な気がしてならない。だから、少女は、我が家の番犬の姿はあの寝そべる状態で良いのだと思う。その気持ちは、高校生になった今でも変わらない。

 そんな、穏やかな犬に決死の視線を送り続けるお客さんは、可愛かわいいリボンで髪を飾り、シンプルなワンピースを着た。とても女の子らしい女の子だった。としは幼いころの少女と同じくらいだろうか。

 女の子には悪いが、外に遊びに行けず暇を持て余し気味になっていた少女には、良い退屈しのぎになっていた。

 今日は、どれくらいの時間で祖母の場所へたどり着けるのか、諦めそうにならないか、泣き出しそうにならないか。そんな姿を見ているうちに、暇つぶしというよりも、女の子を応援する気持ちが大きくなっていた。

 女の子は犬が怖い。だから、あんなにおびえている。あんなに穏やかな犬のどこに怖がる要素があるのかは、さっぱりわからなかったが、怖がっているのは簡単にわかる。

 でも、諦めない。自分の欲しいものを手に入れるため、一生懸命な姿を見せてくれる。

 そんな姿は今の少女にまぶしく見えた。

 

 ◇

 

 いつも楽しみにしていた犬の散歩。

 だが、なぜか今日は散歩に出かけないように祖母に言われた。

 しかし、激しい運動を制限されてから、体を動かせる唯一の楽しみの散歩を止められてしまい少しむくれる少女。

「なんで?」

「今日はちょっと散歩する気分じゃないって梅太郎が言っているからだよ」

「えー」

 自然と漏れた疑問に思いも寄らない理由が返ってきた。梅太郎とは少女の家で飼っている犬の名前だ。少女が生まれるよりも前からいる先輩だ。既に高齢であまり動きたがらないが、散歩には出かけていた。

 その梅太郎をつかまえて、気分じゃないとは随分な理由だと少女は思う。

 だから、思いっきり口をとがらせ抵抗する。

「いきたいー」

「仕方がないねぇ。それじゃあ、本当に家の近くだけだよ」

「うん。いってきます」

 孫の頼みには逆らいきれないのか、少女の祖母は条件を付けたものの、散歩の許可をだした。

 激しい運動が制限されているにもかかわらず犬の散歩に出かけるのは、かなりのハードワークなのではと思うが、実は違った。既に高齢の域に入っている梅太郎は、散歩は好きらしいが、非常にゆったり穏やかに散歩をするようになっていた。だから、少女ひとりでも問題ないのだ。少女が健康だったときは、どちらがどちらの散歩に付き合っているのか分からない状態ですらあった。

「いってきま~す」

「いってらっしゃい」

 笑顔の祖母に見送られ、梅太郎と歩く少女。

 にこにことご機嫌な表情で歩く少女の脳裏にはある疑問が浮かんでなかなか離れそうになかった。

――祖母はなぜ今日の散歩を止めたのか――

 以前も、突然、散歩を中止することがあった。理由は分からない。決まって雨が降った日だったのは覚えている。ラッキーだな、と思っていたからだ。

 しかし、そんな疑問も、散歩に出かけられた喜びから次第に薄れていく。

 梅太郎と並んで歩く道は、いつもと変わらず穏やかで、時折、近所の人と挨拶を交わす。

 少女に対する信頼からか、梅太郎への信頼なのか、少女がひとりで犬の散歩をしていても誰も不安がったり、心配したりしない。

 もちろん、少しでも体を動かす機会を得られた状況を楽しむ幼い少女の思考には何ら影響を与えなかった。

 ただ、ひとつだけ今日の少女の気持ちに影を落とすとしたら、頭上に広がる雲だけだ。小学校からの下校途中から、既に空を覆い始めていた雲はすっかり空一面を覆い尽くしていた。

 そんな空模様などお構いなしに、決して元気良くとは言えないが、落ち着きしっかりとした足取りだった。

 決して軽快とは言い難いが、朗らかな歩みは突如停止した。全身が硬直し、視線もおのずと固定される。その先のある一点に集中する。

 梅太郎は、少女の停止に反応し、歩みを止める。そして、心配そうにのぞき込む。だが、慌てた様子は見せず。すぐそばに寄りそう。

 少女の足下に寝そべり、ともすればリラックスモードへと移るのではと思われたその瞬間、耳がピクリと何かに反応する。そして、顔を上げ、周囲を見回した。

 

 ◇

 

 ひとりの女の子が小さな紙袋を大事そうに抱えて歩いていた。足取りは軽く、軽快にステップを踏んでいるかのようだ。

 笑顔にあふれ、可愛かわいらしい服と相まって、子供特有の輝きを倍増させていた。まだ陽は高いが学校帰りではないようで、ランドセルを背負っていない。代わりにあふれんばかりに愛情が込められた手作りポシェットがたすき掛けされていた。落ちる心配のないポシェットの肩紐かたひもを握る手は、女の子がポシェットを大切にしている証拠だ。

 肘の当たりにかけられた傘は、思わしくない空への対策なのだろう。こちらもピンク地に模様が見え、開いたら可愛かわいらしい柄が周囲に披露されるに違いない。

「今日は~、ど~れ~から~食べよ~うかな~」

 聞き慣れない節の付けられた言葉は、ポシェットの肩紐かたひもを握る手と反対の手に乗せられた小さな紙袋に向けられていた。視線が向けられる袋の中身は分からない。しかし、女の子の笑顔から甘いお菓子が入っていることは容易に想像できる。紙袋に印されたマークは近所に住む者なら誰でも知っている駄菓子屋の看板犬の顔だから、すぐに分かるのだが。

「今日も~、いつもと~同じな~い~よ~う~だ~よ~」

 不思議な節が付けられた言葉どおりなら今日も同じお菓子を買ったようだが、笑顔ははじけるようで、歩く姿は踊っているように見える。実際にはそのようなことはなく、落ち着いて歩いている。

 しかし、いつまでも続くかと思われた表情豊かな行進は突然停止した。

「うぉん」

 女の子の前に、大きな犬が立ちふさがり鳴いたからだ。女の子にとって見知らぬ犬は、目の前に立ちふさがるように座り、女の子を見つめた。

 犬を見つめ返す女の子の表情にはおびえの色が見えた。それは、突然のことへの驚きだけでないことは明らかだった。

 とても、穏やかそうな犬だ。犬好きが相手ならぐさまなで回してくなっていてもおかしくない。

 無反応な女の子に、もう一度だけ鳴いた。

 そして、犬は女の子の服の裾をくわえて引っ張った。もちろん、引き裂くとか凶暴性を見せたわけではなく、そっと引っ張った。

 一度、くわえた裾を放し女の子を見る目は、何かを訴えかけている。

「こ、れ……。欲しいの?」

「……」

 震えながら問い掛ける女の子に、犬は反応しない。

 恐る恐る手にしていた袋を鼻先に近づけてみるが、それでも特に反応はなかった。

「やっぱり、どこか付いてきてほしいところがある――とか、かな?」

 女の子は、テレビはお話で似たようなことがある、と思いながら首をかしげる。

 その様子をじっと見つめる犬は、ずっとビシッとお座りの状態で動かない。強固な意志が感じられる。

「どこに……行けば、良いのかな」

 勇気をだして女の子が一歩踏み出すと、犬はくるりと向きを変え歩き出す。

 ときどき、振り返り女の子がちゃんと付いてきているか確認する様子はまさに紳士のそれであった。

 

 ◇

 

 アスファルトに黒い斑点が広がる。

 すぐに斑点は大きな染みとなり、辺り一帯の色が変わる。

 視界も落下する大粒の雨に遮られ、おぼろげになる。

 それでも、少女の視線の先のソレはぼやけることなく、ハッキリ見える気がした。

「私もああなるのかな……」

 視線の先にあるのは、せんべいよりも薄くなり、干からびたカエルだったものだ。車にひかれたのだろう。田んぼの近くの道路なら珍しくもない。そんな光景だ。

 だが、今の少女の気持ちを揺さぶるには十分な光景だった。

 少女は、近い将来、病気の治療で大きな手術を受けることになっていた。難しいことはわからなかったが、胸を開いて何かをするくらいは理解していた。

 母親の料理の手伝いで魚をさばくところも見たことがある。体を切られるとどうなるかを、ある意味で理解していた。

 つぶされるとは違うが、切り刻まれてしまうという恐怖が少女の中にずっと居座っていた。もちろん、本当に三枚に卸されるわけではないし、縫合して元に戻ることも説明されてわかっているつもりだ。

 そして、万が一のことがあれば、自分に来年はないことも理解していた。だからこその、恐怖だ。理屈ではなく体のうちから湧き上がるソレは、ときどき自分の制御を狂わせる気すらしていた。

 だから、干からびたカエルから自分の未来を幻視して硬直してしまう。些細ささいな切っ掛けで不安があふれる。

 だが、目先の恐怖から逃げずに手術を受ける決断ができただけ立派なものだ。何もしなければ緩慢な死が待っているだけだったとしても、並大抵の決断ではなかったはずだ。

「また、みんなと遊びたい……」

 周りに立派だ立派だと言われていても本音はこぼれる。誰もいなければ尚更なおさらだ。

 雨にうたれていることすら気づかず立ち尽くす。

 握っていたはずの梅太郎のリードがいつの間にかなくなっていることにも気づいていなかった。

 どらくらい時間がたったのか。服がびっしょりれて体にまとわりついてしまうくらいには、ずっと立ち尽くしていた。

 そんな頃、ふと雨がんだ。

「風邪、引いちゃうよ」

「あ――」

 同時に声をかけられ、少女の目の前に同じ年頃の女の子が立っていた。少女が雨にれないように一緒の傘に入れてくれている。

「大丈夫?」

 女の子の横には梅太郎が座っていた。梅太郎が連れてきてくれたのだろう。少女はそう思った。いや、そうであってほしかった。そんな漫画やアニメのようなシチュエーションであってほしかった。

 自分の不安を解消してくれる。

 奇跡のような出来事があれば、自分の恐怖なんて一瞬で取り払ってくれる。

「どこか痛いの?」

 少女は首を振る。

「なにか悲しいの?」

 少女は首を振る。

 女の子は少し困った顔をした。実際、雨にれて棒立ちしている相手に対してどうすれば良いかなど急には分からなくても当然だ。

「怖いの――。私が消えてしまうと思っていたから」

 少女はそう思っていた。女の子の困った顔に思わず本音がこぼれた。だが、それを目の前の女の子は吹き飛ばしてくれていた。その存在が、少女の心に光を落としていた。

 だから、ここにいた理由を話してしまっていた。だが、その意図が上手うまく伝わるはずもなく新たな行動をさせた。

「――っ」

 柔らかく温かな感覚に包まれた。

「大丈夫だよ」

 耳元で優しい声が聞こえ、力が抜けるのを感じる。

「あのね。ギュッとする良いんだって。私もお母さんにギュッとしてもらうと、不安がなくなるよ」

 完全にさっきまでの自分はどこかに行っていた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 そう言って、お互いの体を離す。もちろん、傘からはみ出さない程度にだ。そして、初めてちゃんと目を合わせた女の子の顔に見覚えがあった。

 そう、いつも梅太郎におびえながら自宅の駄菓子屋でお菓子を買っていく女の子だ。

「本当にありがとう」

「???」

 繰り返されたお礼に女の子は意味が分からず不思議そうな顔をする。当然だ、少女が勝手に自己完結して、身に覚えのないお礼を言ったのだから。

「ごめん。服、れちゃったね」

 そして、誤魔化ごまかすように自分を抱きしめるときにれてしまった服を見て謝罪をした。今度は、女の子も納得して返事をする。

「気にしないで。あなたのとびきりの笑顔が見られて私はうれしいから」

「そんなだったかな」

「そんなだったよ」

「そんなことないよ」

「そんなことあるよ」

 二人はお互いの意地を張る顔を見て笑う。

 さっきまでの不安や恐怖を忘れて笑った。お互いに。

 そして、少女は思う。

――私は、ここにいる。希望をくれたあなたを忘れない――

 それは、ひどく勝手な約束であり誓い。ひとりだけの心に仕舞しまったよりどころ。今後、誰にも知られることはなくても。

 

 ◇

 

 ガラスを流れる水滴。それは、無数に存在して視界を遮る。

 窓を打ち付けるそれらは、止まることなく永遠に続くのかのようにすら感じられる。

 雨の日は、特に窓の外を眺めたくなる。

 少女は、窓際のベッドに座り外を眺める。

 どれくらいの時間がたったのだろうか。何度も通り過ぎる傘を見送った。

 黒いオーソドックスな傘。赤く派手派手しい傘。昔の和傘をイメージさせる骨の多い傘。クルクル回しながら歩く人。真っぐ固定して歩く人。肩にかけて歩く人。実に様々だ。見ていて全く飽きない。

『我ながらおかしな感性だな』

 と常々思っている。しかし、楽しめてしまうのだから、良しとしようといつも思い直している。暇すぎて死ぬことはなさそうだからだ。

 どうでも良い思考を巡らせていると、視界にピンク地で可愛かわいらしい水玉模様の傘が入ってきた。その傘は、クルクルと回されたり、右に左に揺れて大変忙しいようだ。持ち主の性格が良く表れている。

 そして、急に停止すると大きく傾けられた。傘の持ち主が空を見上げたからだ。

 そこには、見覚えのある女の子がいた。

 リボンを付けた可愛かわいらしい髪型が、当時と思い出させる。

――あの子だ――

 思わず、少女は窓ガラスに手をついて食い入るように見ていた。

 その女の子は良く知っている制服を着ており、襟に付けるリボンの色が一学年下の後輩であることを示していた。

 少女はこの喜びをどう表現して良いか迷ってしまう。

「こんなに近くにいたんだね」

 頬を伝う暖かいしずくを感じる。

「ありがとう」

 自然と口からこぼれていた。

 

 了


お疲れ様です。

少しでも楽しんでいただければ幸いです。


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