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消しゴム物語
作:弥生 祐


 あるところに真っ白な雲みたいに、綺麗な消しゴムがいました。

 消しゴムは背の高い鉛筆と一緒に、小さな女の子のお家で暮らしていました。

 ある日、女の子が小さな手で鉛筆と消しゴムを使って、いつものようにお絵描きをしていた時のことです。お腹が減ったので、ご飯を作りに台所へ足を運んだ女の子。それを見ていた鉛筆が、消しゴムに話しかけました。

『やれやれ。今日も朝と昼はご主人さましか、いないみたいだね』

 赤いレンガとたくさんの木で建てられた、このお家では、女の子が一人になることが多いのです。

『仕方がないよ。お母さんは働いてるんだから。おいらたちが頑張って、ご主人さまが好きな絵を、いっぱい書いて上げればいいじゃないか』

 すると鉛筆がチクリ。

『そうは言っても書くのは僕だけじゃないか。君は消すしか出来ないだろ』

 消しゴムは悲しくなりました。

『そんなこと言わないでよ。おいらだって頑張ってるんだから』

 でも鉛筆はご機嫌ななめみたい。チクリチクリ。

『僕は書くことで、ご主人さまを喜ばせることが出来る。楽しませることが出来る。君は消すことで何を生み出せるんだい?』

 消しゴムは答えることが出来ません。

『君は僕がいなかったら、用無しじゃないか』

 鉛筆の言葉が消しゴムの白い体に、グサグサ、グサリと突き刺さります。

(お、おいらは何も出来ないのかな。何も生み出せないのかな……)

 消しゴムは思い悩んで、修行の旅に出ることにしました。

 険しい山々に登り、とても冷たい滝に打たれ、白い体がスベスベのツルツルで、ピカピカになるぐらい鍛えまくりました。

 すると、どこからでしょう。やたら大きな声が。

《おお‥我は美しい…… そして我は美しいものを、こよなく愛するのだ》

 消しゴムが空を見上げると、ひとすじの光の中から神様――みたいな物体が、キラキラと降りてきました。白いおひげで顔の回りを囲った、その物体はムキムキのムチムチで、何故か()()でした。

()()裸裸裸(ラララ)()()〜》

 消しゴムは誰もいない山の中で、他人のフリをしようとしました。

《まあ待ちなさい。ご主人のためを思う、その心。その白く美しい体以上の心に、我は感動してな。修行でおぬしに宿った力。それを教えてやろうと思って来たのだよ》

 消しゴムは思います。神様だったら教えてくれる前に、鍛え終わる前に授けてくれるのが、真の神様じゃないのかな、と。

《愚か者! 美しい心と体はたゆまぬ努力によって生まれるもの! 我とて一日、三十回の筋トレを欠かさず――》

 神様は消しゴムの心を読んだように一喝すると、どれだけトレーニングが大事なのかを、こんこんと説明し始めました。かなり自己中の神様ですが、神様なんてワガママで、あまのじゃくで、そんなものです。

《――だ。まあ、おぬしの真面目な心に免じて、この辺で許してやろう》

『すいませんでした、神様。ええと、それで宿った力って何でしょうか』

《ふむ、それはな。おぬしの体には書いたものなら何でも消せる、魔法の力が宿ったのだよ。これからも精進するが良い、ふぉふぉふぉ、さらばじゃぁ〜!》

 そう言うと神様は来た時と同じように、光の中に消えていきました。

(魔法の力。何でも消せる力。消せる、力……。そんなぁぁ〜)

 消しゴムが欲しかったのは、そんな力ではありません。欲しかったのは、ご主人さまのために何かを生み出す力。消せる力とは反対の力でした。

(おいら、やっぱり駄目なんだ。用無しでしか、ないんだ。うう‥うわああぁ〜ん)

 消しゴムは何もかも嫌になり、シクシクと泣いて、ウダウダな無気力感で一杯になりました。山から降りた消しゴムは何でも構わず、回りのものを消し始めます。

 家の表札にある名前も、ゲシゲシ。道のそばに置いてある地図も、ゲシゲシ。
鉛筆じゃなくても、マジックでもクレヨンでも墨の字でも、書いてあるものは何でも消しまくっていきます。

 どんどん、どんどん白かった体が黒くなっていきます。ぐろぐろ、ぐろぐろ心の中を映すように黒くなっていきます。

『おうおう、おうおう。てめぇ、なにガンつけてやがんだ。シメんぞ、おらぁ!』

 とうとう消しゴムは、真っ黒にグレてしまいました。来る日も来る日もケンカばかりして、心がすさんでいったのです。

 そんなある日、消しゴムは少し背の低くなった鉛筆と再会しました。

『ん〜おめえ。鉛筆じゃねえか。こんなトコで何してやがんだよ』

 生ゴミが山のように置いてあります。そこはカラスたちが集まる、ゴミ捨て場でした。

『や、やあ……何だか雰囲気が違うけど、君はあの消しゴム君かい』

 そう言うと鉛筆は、かすれた声で身の上を語り始めました。

 消しゴムがいなくなったお家では、それまで以上にお母さんが忙しくなり、女の子が一人ぼっちになる日が多くなったということでした。

 女の子はひとり、お家の中で鉛筆を使い、たくさん、絵を描くようになりました。紙だけじゃなく、床にも壁にも、柱にも。家中に落書きをしてしまうようになったそうです。

 当然、帰ってきたお母さんは怒ります。でも、女の子はやめませんでした。叱られても、怒鳴られても、毎日、毎日、書きました。

 お花の絵、ワンちゃんの絵、お菓子の絵。書けば必ずお母さんは怒りました。いつも帰ってくると疲れて、すぐ寝てしまうお母さんは、何度も何度も、怒ってくれるのです。
だから女の子は書き続けました。そのうち、お母さんは怒らなくなり、呆れて、すり減って小さくなった自分を、黙ってポポイと捨てたとのことでした。

(……何てこった。母親の奴、娘の気持ちも分からねえのかよ)

 消しゴムは、いても立ってもいられず、女の子のお家に様子を見に行きました。

 赤いレンガのお家は、ポツンと建っています。消しゴムが黒くなったように、お家の色も影に隠れるように、黒ずんでいました。

 そっと木枠の窓から中をのぞきます。

 女の子は泣いていました。
 
 かわいたタオルで、自分の落書きをゴシゴシ、ゴシゴシ。

 でも、消えません。

 小さな背中を、もっと小さく丸めてゴシゴシ、ゴシゴシ。

 やっぱり、消えてくれません。

 女の子は泣いていました。

(……あんた、悲しすぎるぜ。ちきしょう。うう、ちきしょう。おれって奴は)

 消しゴムはムカムカきました。女の子じゃなく、そのお母さんにでもありません。
そう、自分自身にムカついていたのです。

(力を貸してやりてえ。力になってやりてえ。あの小っちゃな手に戻ってやりてえ……けど、けどよお)

 窓にとんがった黒い体が映ります。今の消しゴムはもう、女の子が知ってる綺麗な消しゴムではありませんでした。

(おれは汚れちまった。汚れちまったんだ。帰れねえ、帰っちゃいけねえ。こんな、おれなんかが帰っちゃいけねえんだ……)

 消しゴムと女の子との間。赤いレンガの壁と消しゴムのすき間に、風が吹きつけてきました。

(くっ、どうにも夜風がしみるぜ……こいつはよお)

 いつの間にか辺りは暗くなっています。

『あら? この消しゴムは……』

 不意に体を持ち上げられた消しゴム。女の子のお母さんです。

(うわっ、離せ。離しやがれ! 持って入るな。こら!)

 消しゴムを手にお母さんは、そのまま家の中に入っていきます。

(駄目なんだよ。今更、見せれるあれじゃねえんだ。頼む、頼むよう)

 消しゴムの気持ちむなしく、お母さんは女の子の手に握らせました。

『あっ! これ無くしたと思ってた、ケシちゃんだぁ』

 女の子は黒くなってしまった消しゴムを、ちゃんと覚えていました。何故なら、この消しゴムは鉛筆と共に、大好きなお母さんから誕生日にプレゼントされたものだからです。

(おおおぉ‥すまねえ。あんた、すまねえ。許せ、許せ。おろかだった、おれを許してくれえぇ)

 それから消しゴムは大好きなご主人さまのために、家中の落書きを消し始めました。

『ゴシゴシのゴシゴシで、ゴシゴシゴシーっと、くらあ!』

 段々と薄汚れてた家の中が、綺麗になっていきます。板ばりの床も、赤レンガの壁も。そして消しゴムの黒かった体が、どんどんけずり取られて、昔のような純白の綺麗な体になっていきます。

 女の子は笑いました。温かく笑いながら、消しゴムを使いました。

 でも、ある日のことです。お家の半分ぐらいを消したところで、女の子は消しゴムを持つ手を止めてしまいました。まだ柱や机には、消さなきゃいけない落書きがあるのにです。

(どうしたの、ご主人さま? まだ残ってるのに。どうして、おいらを使ってくれないの?)

『どうしたのユウちゃん、お母さん今日も遅くなるから、いつもみたいに消しゴムと一緒に遊んで、良い子で待っててね』

 お母さんは消しゴムの気持ちを代わるように話すと、お仕事に出かけました。

(そうだよ、ご主人さま。あと、もう少しで家も綺麗になるし、おいらを使ってよ)
でも、女の子は消しゴムを使いません。

 お母さんがどんなに遅くても、どんなに一人で待つ時間が長くなっても、使おうとしなくなりました。

 小さな体の女の子には、広いお家です。そして、一人だと、どうしようもなく冷たい場所でもあります。けれど女の子は消しゴムを使いません。例え、お母さんを待つ時間を笑って過ごせても、使うことが出来なくなっていたのです。

 女の子は窓ぎわで小さく、つぶやきました。

『だいじょうぶ、もうちょっとのガマンだもん』

 その小さな手に、小さくなった消しゴムを握ったまま、つぶやきました。

『もうすぐ早く帰ってこれるようになるもん。だから、だいじょうぶだよ』
誰かにではありません。自分に向けて話していたのです。

 ポロポロとなみだが、こぼれます。なみだは知ってるのです。お母さんが早く帰れるようになるには、まだまだ時間がたくさんかかることを。だから、それまで大事に使わなくてはならないのです。もし消しゴムがこれ以上すり減って、無くなってしまったら、帰りを待つ時間を耐えられそうになかったのです。

 消しゴムは悩みました。自分を使ってくれれば、ご主人さまの笑顔を、また戻せる。この暗く冷たいお家に、明るい温かさを生み出すことが出来る。でも、それは束の間でしかありません。

 もう一人ぼっちは嫌だ。もらした女の子の言葉に、消しゴムは無力だった、かっての自分を思い出します。あの時は修業の旅に出れたけれど、今度はご主人さまを残して、旅立つわけにいかないのです。

 今日もまだ、お母さんは帰ってこれません。外は夜の始めになろうとしていました。女の子は机に座ったまま、居眠りをしています。その閉じたまぶたの下には、なみだのあとがありました。

(どうしたらいいんだろう。おいらはどうしたら、ご主人さまのために……)

 えんえんと、う〜んう〜んと、消しゴムはご主人さまのためになることを考え続けました。何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も――

 ――美しい……。

 どこかで覚えがある声が、聞こえてきました。

()()()()()〜》

 どうにも覚えたくない気にさせる声でした。

《ふぉふぉふぉ、どうやらおぬしに魔法の力を授ける時がきたようだの》

 月明りの中から現れたのは、いつかの裸の神様でした。

《ふむ、どうしていつも裸なのかと? 聞きたいか、よし、ならば――》

 そんなことはまったく聞こうと思わなかった消しゴムですが、余計なことは言わず黙ってることにしました。どうやら雰囲気を察した神様は、昔の絵画や彫刻を見ろ。神様は裸がふつうだぞ、と簡単に伝えてくれました。

 何となく納得した消しゴムは、訴えました。

『お願いです、おいらに消す力じゃなくて、生み出す力を下さい。ご主人さまのためになりたいんです』

 神様は目を閉じ、うんうんと、首をたてに振ると、おもむろにポーズを決め始めました。見たくないので、女の子の寝顔に向いていた消しゴムに、上から魔法の声がひびき渡ります。

《ぷ ・ ろ ・ て ・ い 〜 ん!!》

 その声を浴びたとたん、消しゴムの白い体が、ムキムキでムチムチの神様と同じ、マッチョな体となりました。

《また体がすり減って、消えて無くなりそうになった時は叫ぶのじゃ。すれば、おぬしは再びマッスルボディになれるじゃろう。何度でものう》

 そう言うと神様はどこかに帰っていきました。

『う〜ん。あれ? いつのまにか寝ちゃったんだ あたし』

 なみだのあとが残る小さな顔の女の子。はっきり目を覚ました時、手のひらに包んでいた消しゴムが、買ってもらった頃の大きさになっていることに気づきます。

 消しても消しても、決して無くならない魔法の消しゴム。女の子は家中の落書きを消しました。いっぱい使って消しました。

 それから毎日、女の子は新しい絵を書いては、お母さんの帰りを待つようになりました。

『あはは、すごいなケシちゃん。あはは、ぷにぷにしてる〜』
女の子の明るく楽しげな声が、赤いレンガとたくさんの木で出来たお家にこだまします。

 その声だけは、お母さんが早く帰れるようになっても、いつまでも消えることなく、聞こえるようになったのです。



《ふぉふぉふぉ、おしまいじゃ〜!》




考えて見るとバッドエンド以外の作品って初めての気がします(笑)













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