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アレクサンドリア大図書館
作:鯨


 カリフの書簡を開封せずに国境線をまたいだ将軍アムル・ブン・アルアースは一万人の兵卒とともにエジプト全土を占領した。ファラオとカエサルの神政がナイル川の堆積物として重なり地層となった両エジプト、よく乳の出る牝牛をアッラーの帝国に併合したのである。その征服行の最後に、アムル将軍は下エジプトの首府アレクサンドリアを陥落せしめた。ルーム人は皆コンスタンティノープルに逃げ帰り、アレクサンドリア総主教キュロスが新しいエジプト王を都市の城門の外までうやうやしく迎えた。陰気な宗教者の案内で、アムル将軍はおよそ千年前に自分と同じ立場にあった王の名を冠する都市を血に飽いた配下の部隊とともに散策した。巨大な文明が軍港都市アレクサンドリアの上に横たわっている。砂漠から這い出てきた征服者たちにとって、自分たちがその都市を操るのだと想像することすら難しかった。

 アムル将軍は海岸で巨大な建造物を発見し、キュロスにそれがなんであるかを尋ねた。キュロスは朴訥に「あれは大図書館である」とアラム語訛りのギリシャ語で答えた。通訳の兵士がそれを間延びしたアラビア語に翻訳してアムル将軍に伝えた。灼熱の日差しの下から冷えた建造物の陰に入ったアムル将軍は、埃に覆われ様々な言語で彩られた羊皮紙とパピルス紙、それから楔形文字で飾られた粘土版とが積み重ねられた書架の間を彷徨った。ファラオ時代からの人口と税収の膨大な記録、洪水の頻度と旱魃についての詳細な記述もあった。河川文明の蘊蓄と人類の仮説と叡智とが図書館の奥底で横たわり、賢者と愚者の言行録が墓石のように永眠している。ある星辰学者が全ての書物を読もうとしてその半ばで両眼をつぶしたほどの蔵書を図書館は誇っていた。大図書館は人類の前半生をそのまま保存していたのである。

 書物はいずれもアラブ人のエジプト統治のために必要な資料であり、この図書館は拡大する帝国を血のかよった肉体と化すための心臓となるはずである。アムル将軍の内面にエジプト王としての自覚が芽生えてきた。しかしアムル将軍にはそれらを自由に没収できる権限はなかった。戦利品はアッラーに属し、その分配はカリフにのみ委ねられている。アムル将軍は図書館の財産の処分をカリフに問う使者をメディナへ派遣した。使者の役目は単なる質問者ではなく、図書館の必要性を訴える代弁者であった。

 二週間後、使者はカリフからの返答が書かれた書簡を携えて大地と天空の境界線から戻ってきた。アムル将軍は、はやる心をおさえてその書簡を開封した。その行為は彼が軍隊とともにエジプトに侵攻した瞬間を思い起こさせた。書簡には初期のアラビア文字でこう記されていた。

「もし聖典の教えに反する本があればそれを燃やせ、アッラーへの冒涜であるがゆえに。もし聖典の教えに一致する本があればそれを燃やせ、聖典一冊で事足りるがゆえに。」

 アムルは蔵書を巨大な正四角錘の底面に隠すことも考えた。しかし運び手の口を塞ぐことが不可能であると知ると、その無謀な試みを諦めた。アムルはメディナから携えてきた聖典を手にした。そして大図書館の列柱廊を何度も往復した。自らの手にある軽い羊皮紙の聖典が、この両腕でさえ抱えきれない巨大な知の宝庫に匹敵しうるのだろうか?たかが一冊の書物がアーダムから現在に至る人類の歴史と交換しうるのだろうか?アムルの脳に巣食う疑問は毒蛇のようにとぐろを巻いた。

 アムルは足をとめた。自分の隣ではアレクサンドロス大王の偶像が擬古的で不快な笑みを浮かべていた。視界がかしいで絶対的な信仰さえも揺らぐのをアムルは覚えた。そして自分が唯一神教を離れ、多神教に傾きつつあることにアムルは気づいた。そして決意した。アムル将軍は隊長を呼びにやった。癲癇持ちの預言者ムハンマドがカーバの多神教神殿を破壊したのと同じように、アムル将軍はアレクサンドリアの大図書館を焼いた。炎の根元で人類の歴史のほぼ全てが消失した。それと同時に人類の迷妄であった多神教の記憶も図書館とともに焼失し、砂漠から吹く熱風が世界を清らかな一者の方角へと向かわしめた。

 それは紀元六四一年、聖遷暦二〇年のこととアル・バグダーディーは伝えている。














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