終わりというのは、あっけない一言から始まったりするものだ。
「――――――――――――――――――――――私、引っ越すんだ」
車輪の唄
まだほとんど日も出ていない、朝早くに、俺は自転車をこいでいる。後ろに一人の女性を乗せて。
俺の名前は山中 庵、普通の学生だ。
後ろに乗っている女性の名前は河井 綾瀬、俺の恋人だ。手には、大きなカバンを持っている。
「うわ、危ないっ!!」
危うく電柱にぶつかるところだったが、間一髪でかわせた。
「もぉ〜、庵、気をつけてよ!!」
「お前のせいでバランスがうまく取れないんだよ!!」
自転車で二人乗りなんてほとんどしたことのない俺には、正直走りづらい状態だ。
しかし、この笑いながらの口喧嘩、周りの人から見たら俺たちは普通の仲の良いカップルに見えるんだろうな。
まあ、今も話していて本当に楽しいし、仲も良い。
だから、引き離される運命にあると知らない人から見れば、きっとほほえましい様子に見えるんだろうな……
「……あとどれくらいで着いちゃう?」
不意に沈んだ声で綾瀬が俺に聞いてきた。
「10分くらい、かな……」
俺も自然と声が沈んでいた。
俺は少し速度を緩めた。少しでも長く、綾瀬といっしょにいたかったから。
しかし、たとえ速度をゆるめても、駅へはゆっくりと近づいていく。
「やっぱり、辛いな……」
全ては、一昨日にさかのぼる――――――――――――――――――――――――――――――
「私、引っ越すんだ。」
「はぁ?」
テーブルをはさんで他愛のない会話をしているとき、ふいに綾瀬が呟いた。
またくだらない冗談だろう、と最初に俺は考えた。
綾瀬は、俺をよくからかってくる。これまでに何回綾瀬の冗談で振り回されたか、数え切れるものではない。
だから、綾瀬が冗談を言う時は、冗談と、すぐにわかるようになって来た。
しかし……
「あ、あはは……やっぱり、冗談に聞こえる?」
…………
しかし、この話し方、震える声……いつもの冗談を言う時とはまったく違う。
「はは、お前、なんか演技うまくなってきたな。」
……嘘だ、どうせいつもの冗談だ……
最初は自信のある心の声だった。しかし、今では何かにすがるような弱々しい声になっている。
俺はあいつの冗談が見抜けるようになった。その俺が、心のどこかでは認めてしまっている。
綾瀬の言葉は、本当のことだと……
「嘘、だろ……はっ!!信じねえぞ、どうせいつもの冗談なんだろ!?」
俺はいきなり立ち上がり、綾瀬の肩をゆすりながら怒鳴るような声で聞いた。
綾瀬は声には出さず、ただ悲しげに首を横に振った。
「なんだよ、それ……嘘、だろ……」
俺は力なく膝をついた。
頭ん中が真っ白になりそうだった。
綾瀬が引っ越す理由は、少し街を見てまわればよくありそうな事情だ。
いわゆる、親の転勤。ある種のお約束だ。
でも、引っ越すといっても、場所は県内ではない。国内ですらない。
引っ越す場所は、アメリカ……
会いに行こうにも、とても俺じゃあ会いにいけない。俺の家庭は裕福ではない。
ただ彼女に会いたい、そんな理由で外国にいけるような金を「ヒョイ」と出すようなことはできやしない。
バイトだって、もう3つくらいは持っている。現在彼女がいることや、一人暮らしができることだって、ほとんど奇跡と言えるくらいだ。
つまり、俺は綾瀬に会う事ができない、ということだ。
俺は、いきなり絶望の中に突き落とされた気分になった。
「だから、ね!!今日と明日くらい、一緒に楽しもう!!」
もはや生気を失っているような俺に、慰めるように抱きついてきた。
「あのね、ちょっと買っておきたいものがあるんだ!!ちょっと付き合ってよ!!」
とても元気よく笑っている。
でも、俺にはわかった。その笑顔は、俺を慰めるため、そして自分をくじけさせないための笑顔だと。
「……ああ、わかった。付き合ってやるよ。」
なら、俺もいちつの空元気に付き合ってやるしかない。自分のため、そして、綾瀬のために――――――――――――――――――――――――――――――――――
「わあぁ!!庵!!前、前ぇ!!」
「……え?うわぁ!!危なっ!!」
一昨日のことを考えていたら、前にあった電柱に気付かなかった。
危うくぶつかるところだった。
「もうっ!!しっかりしてよね!!」
「悪ぃ悪ぃ。」
苦笑しながら謝ると、しっかり前を向いて自転車をこぐことにした。
「思いっきり飛ばすぞ!!」
「うん!!」
綾瀬は、ギュッと俺の背中につかまった。綾瀬から伝わる確かな温もりに、少し悲しみを感じた。
もうしばらくしたら、このぬくもりに触れることはなくあんるんだな……
きぃ、きぃ、と悲鳴をあげている車輪は、またゆっくりと駅へと近づいていた。
数分経過して、ようやく駅が見えてきた。
そして、俺は線路沿いにある上り坂の前で一度止まった。
「うわ、こうしてみると結構急な坂に見えるな……普段は軽い傾斜に見えるのに……」
「大丈夫だって、イケるってば!!」
「お前がいなけりゃ楽勝なんだけどな……」
「私はそんなに重くない!!」
でも、行かなきゃいけない、だから頑張ってこごう。
「おりゃ!!」
最初のひとこぎに思い切り力を入れて進む。
後は、全体重を1回1回にこめてペダルを思い切りまわすだけだ。
しかし、そんな行動も後ろにお荷物がいると大変なもんだな。
「うおぉぉぉぉ!!」
「頑張れ、頑張れ!!ほら、もうちょっと、あと少し!!」
後ろから楽しそうな声で綾瀬は言う。
多分、無理矢理暗い感じにならないように努力しているのだろう。
しかし、あまりにも静か過ぎる町の中では、そんな空元気さえも奪われていってしまう。
俺たち以外の物は、音を立てずにじっとしている。
「今の町、すごく静か。なんだか、世界中に二人だけみたいだね……」
「……えっ?」
綾瀬が小さく呟いた言葉に、俺はとても反応した。
すこし、綾瀬の声が震えていた。
「よし、到着だ。」
ようやく坂を登りきり、駅に到着した。
駅にたどり着いた時、迎えてくれたのは、とてもきれいな朝焼け。
一瞬、俺たちは言葉をなくした。
「うわぁ、すごく綺麗……」
しばらくして、綾瀬が無意識に呟いた。
さっきの震えていた声とはうってかわり、とても楽しそうな声だ。
今、綾瀬は笑ってるんだろう。
俺は、綾瀬の笑顔が好きだ。見ているだけで、心が温かくなる。
でも、今綾瀬の顔をみることはできない。
「ホント、綺麗だなぁ……あれ、庵?」
「ん……ああ、そうだな……ホント、綺麗だよ……」
冷たい雫が、目から流れ落ちる。俺は今、泣いてる。
最後の最後、綾瀬の笑顔を、絶やしたくない。だから、決して振り向くことはできなかった――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
俺たちは駅に入った。
少し到着が遅かったのか、もうあまり時間がない。
「さっさと切符を買おうぜ。」
俺と綾瀬は、それぞれ違う台で切符を買うことにした。
「さてと、さっさと買っちまうか……」
俺がボタンを押そうとしたとき、目線は違う場所に奪われた。
綾瀬の押している、券売機の中でも一番端で、一番高い遠くへ行くための切符のボタン。
綾瀬が今から行く場所、そこのことなんて俺はよく知らない。知ろうにも、今からそこに行くこともできない。
俺は、その中でも一番安いところへ行くための切符を手に取った。俺と綾瀬を少しでも一緒にいさせてくれる、大事な切符だ。
他の人から見たら、単なる安っぽい切符だ。だが、俺にとっては、とても大切なものだ。
すぐに使ってしまう、そんなことはわかってる。それでも、俺はその切符を大事にしまった。
「きゃ!!」
「ん?」
俺が改札を通り終わった後、いきなり綾瀬がさけんだ。
「うわぁ、引っ掛かっちゃった……」
「アホか……?」
どうやら、あいつの一昨日買ったカバンが引っ掛かってしまったらしい。
うんせ、うんせと引っ張っているが、紐が引っ掛かっているので、引っ張ったってしょうがない。
「うわぁ〜ん……庵〜……」
すがるような目線でこちらを見られた。
俺は目線をそらすと、軽く頷いて紐に手をかけた。
「あれ?どうしたの?」
しばらくじっとしている俺に、綾瀬は不思議そうに言った。
なぜだろう、俺の手は自然と止まっていた。
別にどうはずせばいいかわからないわけではない。軽く動かせばすぐにでも外せる。
でも、この紐を外さなかったら……
「―――――――っ!!」
首を思いっきりブンブン横に振って、くだらない考えをかき消す。
そして、かたくなに引っ掛かるカバンの紐を、とうとう外した。
駅のホームに入ったときには、まだ時間があった。
とはいっても、5分くらいでしかないが。
「もっと遅くに来てもよかったな。」
「別に良いんじゃない?」
綾瀬は笑顔で答えてきた。
「……お前はな……」
俺はその笑顔を見もせず、小さくつぶやいた。
「……庵、どうしたの?」
しばらくの沈黙の後、綾瀬が口を開いた。
「ん?なにが?」
「さっきからずっと私から目線そらしてる……」
どうやら気付いていたようだ。
でも、仕方ないんだ。今あいつを見てしまったら……
たぶん、格好悪い自分がでてしまう。
本当なら、抱きしめて「行かないでくれ!!」と叫びたいくらいだ。
この二日間、あいつを見るたびに、俺は自分を押さえるのに必死だった。
今崩れるわけには行かないんだ……
『ジリリリリリリ!!』
大きな音で、ベルが鳴り響く。
俺と綾瀬の、最後を告げるベルの音……
『プシュー、ガタガタン』
電車の扉が開いた。
その扉を通るものは、綾瀬しかいない。俺は、決して一緒に行くことはできない。
「――――――――っ!!」
やべぇ、どうしよう……
こんな時に限って、いや、こんな時だからこそ、かな……
余計に、自分を抑えきれなくなってきそうだ……
俺は顔を俯け、必死に自分を抑えることにした。
「……」
綾瀬は、前へと踏み出していった。
俺にとっては、何万歩よりも距離のある一歩を、綾瀬は踏み出した。
その足は、電車の中へと入っていった。電車の中に入ると、綾瀬はこちらに振り返り、大声で叫んだ。
「約束だよ!!必ず、いつの日かまた会おう!!」
その言葉に対して俺は、何も言葉を返せなかった。
そしてただ俯いたまま、手を振った。
『プシュー、ガタガタン』
電車の戸は閉まり、電車は駅を立とうとし始めた。
俺はただ一人、駅のホームに立って一つのことを考えていた。
…………間違いじゃない…………あの時、お前は…………
そう思うと、俺はじっとしていられなくなった。
…………まだ間に合う!!
…………伝えないと、俺の気持ちを!!
俺は駅のホームを飛び出すと、改札を飛び越え、駅の外に出て自転車にまたがり、電車に追いつこうと必死で自転車をこいだ。
「綾瀬、綾瀬ぇ!!」
車輪は悲鳴を上げながらも、俺と一緒に必死に電車と並んでくれた。
車輪の悲鳴が、どこか俺を応援してくれているかのように感じられた。
「伝えないと、伝えないと!!」
必死に俺は電車と並んだまま走り続ける。
しかし、無情にも俺と電車は、ゆっくり離されてく―――――――――――――――――――――――――――――――――――
…………泣いてたんだろ?あの時、ドアの向こう側で……顔を見なくても、わかる……だって、声が震えてたから……だからこそ、俺の今の気持ちを伝えないと!!もう、二度とあいつとはあえないんだから……俺の気持ちを、会えなくなる前に…………
「綾瀬ぇ!!」
…………いや、違う……俺が、俺が言わなきゃいけないことは……!!
「綾瀬、約束だぞ!!いつになってでも、必ず、いつかまた会おう!!」
自転車を止め、俺は遠ざかる綾瀬の耳にしっかり聞こえるくらいの大声で、目にもしっかり映るように大きく手を振った。
「庵!!絶対だからね、約束破ったら、許さないからね!!」
電車から乗り出して、泣きながら大声で叫ぶ綾瀬の声が聞こえてくる……
「ああ、約束だ!!絶対、絶対だからな!!」
俺は電車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた――――――――――――――――――――――――――――――――――
ガヤガヤ、ワイワイ……
アレから何時間が経過しただろうか、ようやく町はにぎわいだした。
そんな町の中で、俺は瞳から大きな雫を流していた。
「世界中に一人だけみたいだなぁ……」
俺は、小さく呟いた。
『約束だよ!!必ず、いつの日かまた会おう!!』
心の中で、綾瀬の声が聞こえてくる。
そうだ、またいつの日か必ず会う、って約束したんだ。
俺は涙をぬぐうと、自転車にまたがり家へと向かった。
あまり力を入れていないのに、車体は早く家へと向かう。まるで、俺を運んでいくかのように。
さび付いた車輪は、いつもどおり悲鳴を上げている。今日はその音に、少し励まされた気がした……
〜〜Fin〜〜 |