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第1章

 健ちゃんとわたしは、小さい頃の幼なじみだ。わたしは田舎の町のおんぼろアパートの一階に住んでいて、健ちゃんはその二階の住人だった。わたしはひとりっ子だったけど、健ちゃんは上にお兄ちゃんがいて――名前を巧くんと言った。わたしと健ちゃんと巧くんは、五つか六つくらいの時から気づくといつも一緒に近所の男の子たちと遊んでいた。鬼ごっこにかくれんぼ、だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ……などなど。その他野球やサッカー、バッタやとんぼやアゲハ蝶の採集もした。夏の夜にはクワガタ虫を捕りにいったり、花火も毎年必ず二度か三度はしたっけ。健ちゃんが悪ふざけをしてロケット花火を地面に真横にして発射させると、それが巧くんに危うく命中しそうになったのをよく覚えてる。冬には雪合戦や鎌倉づくりや橇遊び……それにスケートも。巧くんも健ちゃんもホッケーがすごく上手くて、あたしはよく試合の応援にいったものだった。

 ――今思うと、貧乏だった子供時代のあの頃、すべてが輝いて見えた。わたしの家は共働きで、健ちゃんの家もそうだったから、学校が終わるとすぐ、互いの家を行き来して、一緒におやつを食べたり遊びの計画を立てたり……巧くんも健ちゃんも、ふたりとも活発な男の子だったので、どちらかというと<鈍>なわたしは、ふたりが近所の男の子たちと遊んでいるのを、ただぼんやり眺めていることが多かった。わたしには小さな頃から空想癖があり、みんなが空き地で野球をしたりサッカーしたりしている間、土管に座って試合を見ているふりをしながら、よく空想の世界へと翼を広げて飛び立っていたものだ。

 小さな頃、わたしのまわりには見事なくらい女の子の友達というのがいなかった。近所にいるのは巧くんや健ちゃんと同じ、悪ガキタイプの男の子ばかりで――時々、仲間はずれにされたり、いじめられたりしたこともあった。でもその度に必ず巧くんか健ちゃんのどちらかが、わたしのことを守ったり庇ったりしてくれた。

 今はそうでもないけれど、小さな頃、わたしは本当に泣き虫で、近所の悪ガキ連中に『おまえは女だから駄目だ』とか『女だから仲間には入れてやらない』と冷たく言われただけでも――目にはうっすら涙が溜まり、やがてそれはしくしく泣きへと変わった。今にして思えば、どうしてあのくらいのことで……と思うけど、子供っていうのはそんなものだ。特に男の子は残酷で無邪気な一面を持っていて、それは巧くんや健ちゃんも同じだった。

 まずふたりがわたしのことを<か弱い女の子>だと思っていたとは考えにくい。ふたりはあくまでもわたしのことを異性ではなく同性として、対等に扱った。わたしは泣き虫ではあったけど――それは男の子たちの世界からシャットアウトされた時だけで、一度仲間に入れてもらえさえすれば、いくらでも彼らの冒険につきあった。

 山登りや魚釣り、立入禁止の札が立っている工場地域に忍びこんでスパイごっこをしたりと、あたしは男の子並みのお転婆さを見せた。そのせいで二度か三度、怪我をしたりしたこともあったけど――あたしは膝から血が流れたり、手を切ったり、足首を軽くひねったりしても、べつにどうとも思わなかった。そういう時だけ、巧くんや健ちゃんも「そういえばこいつ、女の子だっけ」というように心配してくれたけど、わたしがこんな怪我くらいどうということもないと態度で示すと、ふたりはとても嬉しがった。そしてわたしも巧くんや健ちゃんが嬉しそうに笑ってくれるのが、一番嬉しかった。

 その後、月日は流れて、わたしは小学校を卒業するのと同時に、両親の都合で引っ越すことになった。父が勤めていた会社で揉めごとを起こし、別の就職先を母の父――ようするに、わたしのおじいちゃん――に紹介してもらうことになったためだ。引っ越し、といっても学校の区分がひとつ離れた同じ市内ではあったのだが、あたしはその後、高校に進学するまで、巧くんにも健ちゃんにも会わなかった。

 今でも時々思いだす……サイクリングロードを三人で自転車並べて走りながら、おたまじゃくしのいる池まで競争したことや、魚釣りにいって蛇に遭遇した時、慌てた健ちゃんが土手から川に落ちたこと、巧くんが蜂の巣を発見して、長い釣り竿の柄の部分で樹の上の巣を突っつき、怒った蜂に追いまわされそうになったことなど……そうそう。これを忘れちゃいけない。一度わたしは巧くんや健ちゃんが、川に向かっておしっこの飛ばし合いをしているのをばっちり見ちゃったことがあるのだけれど――巧くんはわたしにその様子を写真に撮れといってカメラを握らせた。だが健ちゃんはそのことを全然知らなかったのだろう。わたしはその時小学校三年生くらいだったと思うのだけど、べつに恥かしいともなんとも思うことなく、ただ面白半分に何度もシャッターを切った。

 ところが健ちゃんは大激怒。彼にしては珍しく、「女のくせに」とか「これだから女は」などとぶつぶつ言って、その後三週間くらいわたしとは口も聞いてくれなかったっけ。その頃からわたしは、もしかしたら自分のことを<女>として意識しはじめるようになったのかもしれない、と今にしてみれば思わないこともない。何故って健ちゃんが口を聞いてくれなかったその三週間、わたしはもし自分が彼と同じ<男>だったなら――彼があんなにまで怒ることはなかっただろうにと、しくしく泣きながら過ごしたからだ。


 引っ越しをする当日、巧くんはお別れのプレゼントとして、わたしの大好きなテディベアのぬいぐるみをくれた。何しろ貧乏な出雲家のことだったから、当然手製。その縫い目は男の子らしく大雑把で、やもすると縫い目の間から綿が飛びでてきそうではあったけど――何故か彼の黒いボタンのお目々はどことなく健ちゃんに似ていて、あたしは今でも時々、このぬいぐるみの顔をじっと見つめていると、涙ぐんでしまうことがある。

 荷物がトラックに全部積みこまれ、あとは三人の家族が新居に移動するのみとなったその時になっても、健ちゃんが二階から下りてくる様子はなかった。巧くんが何度呼んでも彼のお母さんが怒ったように叫んでもまるで駄目で、あたしは結局、巧くんと彼のお母さんにだけさよならの挨拶をして、トラックの真ん中の席へと乗りこんだ。

 わたしはその時まだ全然子供で、出雲兄弟と別れることに対して、悲しみなどまるで感じていなかった。新しい家は一戸建ての小さな平屋の借家で、元のボロアパートから五丁目しか離れていないのだ。中学校は別々になってしまうけど、その気にさえなればいつだって、もう一度巧くんや健ちゃんと一緒に楽しく遊べるはずだ……あたしはそう信じて少しも疑いはしなかった。

 けれども、なんというのだろう、思春期特有のなんとかというやつで、あたしと巧くんと健ちゃんはその後、一二度手紙のやりとりをし合っただけで、もはや一緒に花火大会をすることも、毛虫や蜘蛛を素手で捕まえることも、蛙の処刑ごっこをすることもなくなった。もう子供ではないのだから、そんな子供じみた遊びを今さらするわけはないのだが、それでもやはりそうとわかってはいても――父さんがもし会社を変わっていなかったら、新しいおうちに引っ越していなかったら、あのボロ安のアパートに、上と下とで暮らしていたとしたら――あたしは巧くんや健ちゃんと、本当の兄妹みたいに今も一緒に過ごしていたかもしれないのになと、想像することは幾度もあった。


 とはいえ、思春期は魔物。ある意味では、あたしはあの時、ふたりと離れてよかったのかもしれなかった。あたしは中学校で、軽いいじめのようなものに合い、いつもクラスで孤立していた。もしこれであたしが巧くんや健ちゃんと同じ中学校で、クラスの人間に相手にされていないところを見られていたとしたら――あたしはとても耐えられなかっただろう。でもこれは、大人になった今だからこそ言えることであって、当時中学生だったあたしは、もし自分が健ちゃんたちと同じ学校に通っていたら、いじめになんか合わなかったに違いないと思い、両親のことを随分恨んだりもした。だがそれも今はもう過ぎ去ったこと……あたしは友達もなく、他にすることが何もなかったため、その暗い三年間、少年刑務所にいるみたいな気持ちで、とにかく勉強に励んだ。あたしの両親はふたりとも中卒で、父は土木関係の仕事をしていたし、母はパートの清掃員だった。あたしはお父さんのこともお母さんのことも大好きだったし、働き者のふたりのことを尊敬してもいたけど――それでもやはり結局最後にものを言うのは学歴なのだと思ったのだ。クラスを仕切っている、いじめのリーダー格の仙石友美のような、頭カラッポの男の話しかしない女のいない世界、そういうところにいきたかったら、市内でも一、二を争う進学校へいくしかないのだと思った。そしてそういう場所では下品ないじめなどは(どちらかといえば)発生しにくいだろうと考えたのだ。


 だがよもや――そう思って進学した高校に、巧くんや健ちゃんがいるとは、あたしは想像もしていなかった。高校に進学すると同時に、あたしがまず一番最初にしたことは、仮面を被ることだった。中学時代、いじめを受けていた暗い川原ちえみとはさようなら。眼鏡はコンタクトに変えたし(進学祝いにと、おじいちゃんが買ってくれたのだ)、ダサい三つ編みの髪もやめたし、何故あんな前髪をしていたのか今では理解できないオンザ眉毛ともさよならだった。

 幸いなことに、同じクラスに同じ中学の出身者がひとりもいないことも手伝って――あたしは優等生、川原ちえみを気どるようになった。クラス内では常に成績トップ、学年内ではいつも十番以内という成績をキープする傍ら――HR委員長として、学校の行事にも率先して積極的に関わっていった。その結果、親友と呼んでもさしつかえないような友達もできたし、昔のあたしのような、かなり冴えないガリ勉タイプの暗い女の子とも仲良くなった……生まれて初めてラブレターなんていうものをもらったのもこの頃だったし、あたしはまさに高校では我が世の春を謳歌していた――廊下で、隣のクラスにいる、健ちゃんとすれ違うまでは。


 何故彼の存在にまるで気づかなかったのか、迂闊というか不思議というか、なんていったらいいのかあたしにもわからない。健ちゃんは昔の健ちゃんとは全然違っていた――勉強のよくできるおぼっちゃんタイプが学年の九十七パーセントを占めるであろうその中で彼はだらしなくブレザーの制服を着くずし、髪を茶色く染め、右の耳にはピアスをしていた。そしてあたしのクラスではない、別のクラスの――同じように髪を茶色く染めた、軽く化粧している可愛い女の子と、いつも休み時間に廊下でしゃべってばかりいたのだ。

 ――あたしはショックだった。そしてショックのあまり、彼の存在に気づかないふりをしようとした。でも一学年上の巧くんとは、すぐに委員会関連などで親しく口を聞くようになった。彼もあたしと同じ、図書委員だったからである。



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