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ルシ伝 作者:キルナ

第1章 カノン王国の王女

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ルシと王女

 カノン王国からビズルトラ王国へ向かう国境付近、ディーエス山脈を流れる渓谷沿いの山道を、2頭立ての馬車が土煙をあげ疾走している。
 渓谷沿いを走るには危険すぎる速度だ。1歩間違えれば谷底にまっ逆さまである。にもかかわらず、御者は鞭を振るう。

 馬車はさほど大きくはないが、少々の飾りが施され、多少の金持ちが乗っているであろうと推測できるが、紋章などはなく、下級貴族あたりか成金の商人あたりだろうか。

 走る速度もおかしいが、ほかにもおかしな点がある。護衛の姿が全く見当たらないのだ。
 普通このような馬車には多少なりとも護衛の騎士なり、腕利きの傭兵なりが前後左右を固めるものである。

 ほどなく馬車の後方から蹄の音が幾重にも響いていきた。
土煙をあげる数頭の馬、その背に乗る男達の手には山刀や手斧などの武器が光り、服装は簡素な服に胸甲を付けている。このあたり一帯を根城にしている山賊である。
 護衛の騎士や傭兵は逃げてしまったか、この山賊達に途中で殺られてしまったのかもしれない。

「追え!逃がすな!」
 馬車をあやつる御者の顔は血の気も失せ冷や汗を流している。
馬車の中では豪奢なドレスを着たお嬢様と、その両脇の侍女2人が震えていた。御者は必死の形相で手綱を操り山間の道を疾走している。しかし馬車が、背に1人しか乗せない馬の速さに敵うはずもなく、すぐにでも追いつかれて囲まれるのは目に見えている。

「キャノ姫様、もう少しのご辛抱です。この山を越えれば国境があるはずです。そこまで逃げ切れれば国境警備隊が居るはず、もう少しご辛抱下さい」

 馬車の中のお嬢様は1国の姫君であった。
 御者は馬車の中の姫君を励ましていた。馬車の中から「はい」と消え入りそうな声がしたが、御者には聞こえなかったであろう。しかし実際に国境の砦までは、まだ馬車でも半日近くはかかる距離である。山賊達と馬車の距離は、見る見るうちに縮まっていく。とうとう山賊達は馬車のすぐ後ろの位置まで追い上げてきた。

「とまれっ!!」「とまりやがれーっ!」
 山賊の1人が馬車に併走してきた。馬車に乗り移ろうとしているのである。
 御者は馬車を山賊が乗る馬にぶつける様に手綱をあやつり、なんとか山賊を馬車に近づけないように操縦する、馬車に乗り移られたら、そこで終わりなので必死である。
 山賊としても、ここで手荒な真似は出来ない、御者を切り殺すなど造作もないが、しかし下手すれば馬車は谷底である。
 金目のものは馬車の中にある、馬車の中のお嬢様も身分によれば、結構な身代金が取れるかもしれない。とれなくても若い女であれば奴隷として高く売れるであろう。

「御者ーーー! 馬をとめねーかぁぁ!」
「止めねーと、命はねーぞ!!」
「おとなしく止めれば、てめーの命は助けてやる!」
 山賊達が御者に怒鳴る。
 所詮、御者なぞ貴族に使われているだけ、脅して、命の保障をすれば、すぐ止めるであろうと判断したセリフである。

 しかし。
「このボルゾー、命ある限り馬車を止める気はないわぁ!」
 御者も怒鳴り返す。
 馬車を止める気などない。
 山賊の約束など、まったく信用していない。
 というか、この御者は(自分の命を捨ててもお姫様をお守りする)と心に決めていたのである。自分だけでも助かるつもりなら、とっくに馬車をとめて山の中に1人逃げればよかったのである、山賊達の目当ては馬車のなかの人間と金目のものだけなのだ、御者なんかに用はない。わざわざ馬で追えない山中を追ってまでは来ないはずだ。

 この馬車に乗るお姫様、キャノ・フォレスト・カノン。
 カノン王国、カノン王の第1王女であった。御歳14歳。
 ビズルトラ王国へ養女として向かう道中であった。実際には人質である。
 現在、カノン王国とビズルトラ王国は犬猿の仲であり、小競り合いが続いている。
 力関係は圧倒的にビズルトラ王国が上で、本来なら攻め落としたいところであるが、500年前の5大大国不可侵条約の所為で、余程の大義名分でもなければ他の5大大国も黙ってはいない。
 そんな折、カノン王国に対し、ビズルトラ王は、「伝説の5人勇者の末裔たる自分達が争うのは可笑しい、怨恨を無くし対等の和平を結ぼう」と言ってきたのである。その為にも血縁を結び、より一層親睦を深める為に、ビズルトラ国王子とカノン国王女の縁談を持ち掛けて。しかも両国の仲裁として5大大国の一角モリリス王が入ったのである。

 強国から弱国への和睦案。しかも強国であるビズルトラ王国が折れた形である、さらには仲裁としてモリリス王家まで絡んできては、さすがにこれを拒否することは難しい。
 なぜモリリス王が?と思うが、ビズルトラは大陸最大の勢力を持つ王国である。致し方ないのかもしれない。

 カノン王としては、仕方なく王女を差し出すしかなかった。
 しかし、まだ14歳だという理由で、まずは養女として、そして15に成った折に「縁談を進めたい」という形にしたのである。
 カノン王国で嫁入りは15歳からという法律があるため、なんとか切り抜けた形であるが、ここでもう1つの問題があった。

 国民の声である。キャノ王女は国民に大変人気があった。
 カノン王国史上もっとも可憐な王女として。
 そして、その優しさも人気を高めた。
 市街視察の折には、常に国民に笑顔で手を振り、よくお声もかけている。それも平民貴族の区別無く、優しいお声を。

 それをこんな形で、ビズルトラ王国に差し出すなど国民が黙ってはいないだろう。下手をすれば、暴動が起きるかもしれない。
 そこで、国民や騎士達には知らせず、内密に隣国へ御連れすることとなった。
 下級貴族程度が乗る馬車に、一応腕利きではあるが、護衛も少なめにし、出来るだけ目立たぬように計らったわけである。

 御者は王家に仕えて数10年、キャノ姫が生まれたときから、なにかと面倒をみてきたのである。キャノ姫は大の動物好き、その中でも特に馬が大好きで、よくお城を抜け出し、馬房に遊びに来て、この御者とも顔見知りであった。王族のお姫様としては珍しく王族としての驕りなど皆無で、この御者に対しても「おじいさん♪」と呼び、名前を知ってからは「ボルゾーさん♪」と呼び捨てなどはぜず、いつも可憐な笑顔で接していたのである。

 御者のボルゾーとしても、自分の孫のように思うほど、可愛がっていた。
もちろん、王女と御者という身分差、口に出すことはなかったが……

 御者の手綱さばきは、たいしたものであった、山賊達は馬車の前に出ることが出来ない状態が続いている、前にでれば馬車は止められてしまう。道が狭いこのも功を奏した。馬車の横は馬一頭が通るのがギリギリの隙間しか開いていなかったからである。馬車の右があけば、左は通れない、逆もしかり。
 そんな状態がどのくらい続いたか、山道右の、谷底に流れる渓谷は、前方が滝になっている。滝の先には、もう谷はない、ただの緩やかな川だった。馬車の前方の視界が急に広がった。山道右は、谷が消えたかわりに、川原が一面に広がっていた。馬車が滝の横を過ぎると、山賊は一気に、川原から馬車の前にでる。馬車は山賊に囲まれてしまった。

「「「キャーーーーーー!」」」
「おらー!馬車から降りろぉぉーー!!」
「姫様に触るんじゃない!」
 馬車の手綱が山賊によって切られ、とうとう馬車が止まってしまう。数人の山賊に囲まれ、馬車の中から王女と侍女2人が引きずり出された。御者は御者台から飛び降り、王女をかばう様に立つ。

 馬車の中には金銀財宝、隣国への高価な贈り物が積まれていた。

「「「「「「うっひょー!」」」」」」
 山賊達から歓喜の声があがる。
「こりゃー上玉だぜぇ!」
「まだ小娘だが高値で売れるぜぇ!」

 キャノ姫は、歳はまだ14だが金髪碧眼、流れるような金髪は腰までとどき、肌は雪のように白い、病弱な白さではなく健康的な白さである。すっきりとした鼻腔、丸く大きな瞳、小さく薄紅をさした唇。まだあどけなさが残る美少女であった。絶世の美少女と言ってもいいだろう。

 キャノ姫と2人の侍女は震えて抱き合っている。御者はキャノ姫たちの前に立っているが首には山賊が山刀をあてていた。

「お頭ぁー、御者は殺しちまっていいですかい?」
 御者の首に山刀をあてている山賊が、聞いてきた。

 山賊の頭が答える前に、姫君が叫ぶ!
「待ってください!! お願いです。どうかわたくし以外の者には手を出さないで下さい。なんでも言うことを聞きます。どうか、どうか!」
 眼に涙を浮かべ必死に訴える。
 この言葉に嘘はない。
 自分の所為で他の者が殺されるのだけは耐えられない。
 もしそれが、たとえ命と引き換えであってもそれに従う。
 その覚悟はある。
「「キャノ姫様……」」
 2人の侍女が涙を浮かべながら、あっけに取られたような顔で呟く。
「……」 
 御者は声にならなかった。ただ涙が流れた。

「やさしいお姫様じゃねぇかぁ、だがそれは無理ってもんだぜぇ」
 お頭らしい男が、王女に近づいて言い放つ。
 山賊には、慈悲の心など、欠片もなかった。

「金はもう俺達のもんだ!、もちろん、おめーらの命もなぁ、わっはっはっはっはっ!」
「まぁ、お姫さんは、大事な売りもんだぁ、殺しゃーしねーよ!、そっちの女2人も、なかなかの上玉だしなぁ、へっへっへっ!」と嫌らしく笑う。
「だが、じじぃは役に立たねぇなぁ、がっはっはっ!」
「「「「「わっはっはっ!」」」」」
 お頭らしい男のセリフが終わると、他の山賊達も一斉に声をあげて笑い出した。

 御者はその場に跪き、両手を胸の前で組み天を仰いだ。
「大地母神マーラよ、どうか姫をお助け下さい。どうか……」
 御者は胸の前で腕を組み、涙ながらに訴えた。

「神など、いないぞ」乾いた声が川の方から聞こえてきた。
 皆が声の方に振り向くと、1人の男が、こちらに歩いてくるのが見えた。




 カノン王国からビズルトラ王国へ抜ける国境付近。ディーエス山脈を流れる渓谷。
 一人の異様な男が川原で魚を焼いていた。川原に薪をくんで火をおこし、串にさした30センチ前後の魚を火であぶってるのである。そのすこし離れたところでは黒毛の馬が雑草を食べている。馬の背には鞍がとりつけてあり、マントの様なものが掛けられていた。その鞍には布の袋がぶら下げてある。どこにも繋がれているようには見えないが、この男の馬なのだろう。
 その魚を焼く男は今は腰をおろしているが立ち上がれば身長175センチメートル程度はあるだろう。肌の色は少し白く中肉中背で、身なりは薄手のシャツに皮のジャケット、同じく皮のズボン。高価な服装には見えないし、傭兵や戦士のような装備でもない。ごく一般的な平民の服装に見える。
 では、どこが異様なのか、その服装には似合わない長剣を所持していること、そしてこの世界では、まずあり得ない髪と瞳の色。髪が白金、瞳は虹彩異色で赤と金。そして鋭く人を寄せ付けない雰囲気をかもし出す眼光も異様の度合いを上げているかもしれない。

 その異様な男は魚を食った後、横になり寝転んでいた。
 べつに眠っていたわけではない。旅を始めて2年半、もうすぐ目的地に着く、その後のことを思案していたのかもしれない。

 そんな時、馬車の走る音が聞こえた。それも、こんな山道でありえない速度で走ってるような音だ。音が聞こえるほうを見ていると、ほどなく馬車が姿を現した。すぐ後ろには数10頭の馬に跨る男たち。馬車の豪奢さに比べ、男達はいかにもガラが悪い。傭兵か? とも思えるが、騎士風の護衛が居ないのもおかしい。まして速度が速すぎる。男達の手には山刀や手斧が握られている。
(山賊に追われているのか?)
 男がそう思ったとき、その馬車は山賊に囲まれ止められた。

 寝転がっていた男は、おもむろに起き上がり、剣を片手に馬車に向かって歩き出した。
 山賊達は、此方に気付く風でもなく、豪奢なドレスを着た少女とメイド風の少女2人を馬車から引きずり出した。
 少女達の悲鳴と山賊の馬鹿笑いが重なる。
 そして、跪き大地母神に祈る男。

「神など、いないぞ」
 その男は、そう言いながら山賊達に向かってその歩を進める。
 山賊達が怪訝な表情で一斉に振り向く。キャノ姫も侍女2人も御者も、一瞬恐怖を忘れたように、声のほうに視線を向けた。男はそんな視線を気にすること無く、どんどん山賊達のほうに近づいていった。

「なんだ、てめーわっ!!」
 一人の山賊が、訝しい表情で男に近づき、「ぶっ殺されたいのかぁ!!」と恫喝してきた。
 その刹那、銀色の軌跡を残し、男の右手が上に持ち上げられ、その手には銀色に輝く長剣が握られていた。誰の眼にも男が剣を振るう動作が見えなかった。気がついたら持ち上げた手に剣が握られていた、そういう感じである。

 その男は、山賊の横を普通に通り過ぎる。その恫喝して来た山賊はまったく動く気配が無い。しばらくして、山賊の体がゆっくり傾いで、そのまま崩れ落ちた。そして首から上が地面に転がった。

 そこにいた、すべての者、その異様な男以外が呆気にとられて身動きひとつしない。
 一瞬、自分達を助ける為に来てくれたのかと期待したキャノ姫や御者達は、その考えを打ち消した。助けに来てくれたと思った男に山賊以上の恐怖を覚えたのだ。

「選べ、この場で死ぬか、逃げるか」
 静かな声音だが、地の底から響いてくるような、その声音には、身を震わせるほどの重圧感があった。
「……」
「まぁ、逃げても殺すがな」

 男は右手に持った剣を肩に担ぎ、まるでゴミを見るような眼で山賊達を眺めていた。

 対する山賊達、とくに山賊の頭は、この男が只者ではないことを肌で感じている。ただ、此方は10人、それに対してこの男は1人なのだ、ただ一人の男に10人の山賊が殺られるとは思えない。しかし理由がわからない不安に駆り立てられる。この男は危険だという不安に。
 だからといって部下の手前、びびる訳にはいかない。だが少し時間を稼げば、護衛の騎士達を片づけている仲間がやってくるはずだ。

「……て、てめぇは、な、なにもんだ?」
 山賊のお頭は、ゆっくり、静かに聞いた。
 その顔には恐怖が浮かんでいる。

 今まで後ろで、声も出せなかった仲間が、一斉に男に罵声を浴びせようとしたとき、お頭が、とめた。「てめーらは黙ってろ!!」
 とにかく、冷静に時間を稼ぎたかったのだ。

「オレは質問しろとは言ってない」
 ビュン!
 耳元で風を切る音が聞こえた。その手に握られた剣が首筋に当てられていることに気付く。その男の動きが全く見えなかった。
 山賊の頭は立ってるのがやっとだった。膝が笑っている、走って逃げ出したいが、動けない。
「オレは気が短い、選べないなら今すぐ殺すが……」
 そう口にした男の顔に、一瞬凍てつく笑みが浮かんだ様に見えた。
 山賊の頭は理解した。
(普通に考えれば、オレを殺せるはずがない。殺せば部下が黙っていない。これはただの脅しだと。しかし、こいつは違う、脅しなんかじゃない、ほんとにオレを殺す。なんの躊躇いもなく殺すだろうと)
 そういう風に理解してしまったのだ。

 と、その時、馬の蹄の音が聞こえた、それもかなりの数が、此方に向かっている。
 馬の数およそ70頭が、あっというまに馬車の周りにやってきた。どうやら山賊の仲間のようだ。しかし、異様な雰囲気の男によって、お頭の首に剣をあてられている光景に驚愕の表情を表す。

「お、お頭……」
「て、てめぇ、いったい何のつもりだぁ!!!」
 新たにやって来た山賊が、お頭に剣を向けている男に、怒鳴りつけた。
 怒鳴りつけられた男は山賊のお頭に向けていた剣を離し、馬上で怒鳴っている男の方に歩き出した。

「や、やろーどもぉ!、こいつをぶっ殺せー!」
 山賊のお頭が、自分から剣が離されたことで、気を持ち直したのか、部下を叱咤する。

 「「「「おぉぉぉ!!」」」」
 異様な男の、周りにいた5,6人が、一斉に切りかかった。
「「「キャァーーーーー」」」
 キャノ姫と侍女達の悲鳴が静かな森に木霊する。
 シュバー!
 肉を切り裂く音の後に血飛沫が舞った。

 その男は少し膝を落とし、剣を水平に腕を伸ばして立っているが、その体は真っ赤に染まっていた。綺麗な白金だった髪は、今や真っ赤に染まり、顔も体も、どこもかしこも元の色が判らないほどの血で染められた。

 切りかかった山賊達が、みなその場に崩れ落ちた。先に殺された山賊の時と同様に、誰もその男の動きが見えなかった。人間の動体視力では、捉えきれない剣筋、足裁きだったのだ。

 山賊達はその男の顔を見た。血で真っ赤に染まった顔に、2つの異様な光、開かれた虹彩異色の赤と金の光に恐怖する。

 さらにその男は、なにやら魔法の呪文を唱え、右腕を持ち上げた。
 その腕を一気に下ろすと、山賊達の頭上に突如出現した魔法陣が眩く光る。そして雷鳴とともに幾筋もの閃光が走り、ドカドカドカン!と激しい爆発音が辺り一帯に響き渡った。その閃光が走った先には、数10人の黒こげ又は炭化した山賊が倒れていた。

「「「うわぁぁぁ」」」
「「「ば、ばけもんだぁぁぁぁ」」」
 残りの山賊達は、みな背を向け逃げ出した。
 山賊達の逃げ足は速かった。あっという間に、馬車の周りには、キャノ姫と侍女2人と御者しか居なくなった。

 シーンと静まり返る川原。
「あ、あの……」
 震えるような小さな声に、その男の赤と金の瞳が、王女の目を見据える。

(怖い、声がでない。たぶんこの方は私達を助けて下さったのだと思う、お礼を述べなくては) キャノ王女はそう思うのだが、恐怖で声が出ない。

 男の目が少し、ほんの少しだけ悲しそうに見えた気がした。
 気のせいだったのかもしれないが。だが、一瞬で、もとの鋭い氷のような眼にもどっていた。
 そして男は、川に入り全身の返り血を洗い流すと、そのまま立ち去ろうとした。 
「あのー、もし、宜しければお名前を聞かせてもらえませんか?」
 そこで御者が、恐る恐る声をかけた。
 振り返った男は、御者を一瞥して「そっちは?」と一言発した。
 名を聞くなら、まずそっちから名乗るべきだろう、という態度である。

「失礼しました。私は然る貴族の屋敷で御者をしております、ボルゾーと申します。あちらに居られますのは、そのご令嬢でキャノ様といわれます」
 御者は恭しく頭を下げると、そう説明した。さすがに王女とは言えなかった。

「ふーん……まぁいい、オレはルシと言う。一応冒険者だ」
 ルシと名乗った男は、なにかいい含むような物言いで、少し眼を細めた。
 一瞬御者の体が、ぶるっと震えたが、気にしない。

「先ほどは誠に有難うございます。キャノお嬢様に成り代わりお礼申し上げます」
 またも、恭しく頭をさげる御者。そのこめかみには1筋の汗が流れている。
「べつに、助けた訳じゃない」
「え、いや、あの…… しかし……」
 御者は、そう言われてしまうと、次の言葉が見つからなかった。
「用が無いなら行くぞ」
 そう言って、ルシと名乗る男は立ち去ろうとした。その時。
「お待ち下さい」
 震えは収まったのか、凛としたそれでいて透き通る様な声で、ルシの足を止めた。
「ん?」
「先ほどは私共を助けて頂き、誠に有難うございました。」
 深々と頭を下げるキャノ。
「わたくしは、キャノと申します。訳あって詳しい素性は申し上げられませんが、もし宜しければ、ビズルトラ国王都ディアークまでお供願えませんでしょうか?」
 そう言って頭を下げた後、ルシの眼をしっかり捉えた。先ほどの怯えなど微塵も感じない ルシはほんとに、さっきと同じ少女かと訝しむほどだった。
「護衛と言うことか?」
 回りくどい言い方が出来ないルシはあっさり聞いた。
「はい、もし宜しければですが……」
「あぁ、どうせビズルトラ王国に行く予定だったし、別に構わないが…オレが怖いんじゃないのか?」
「あっ、申し訳ありません。先ほどは、つい……その、今でも、亡くなった方達を見ると脚が震えて、そちらを見ることも出来ませんが、その……」
 はっとして、少し頬を朱に染めながら、しどろもどろになるキャノ
「いや、いい。じきに血の匂いに誘われて狼がくる。早く行こうか?」
「はいっ!ありがとうございます」
 そしてお姫様一行は、ルシと名乗る男と、その場を後にビズルトラ王国に向かった。

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