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鬼を食う。

作者: 短小マン

 その夜、食卓に鬼が出た。

 それは食べられる鬼であり、いわゆる食用鬼である。

 断じて一般鬼などではなく、どこか山とか海とかに友達の鬼と一緒に出かけていって、そこで遭難してしまい、食べる物がなくなってしまったから仕方なしにくじ引きをして「どっちが勝っても恨みっこ無しだ」なんていいながら鬼を食べるのとはちと違う。

 ちゃんとした食品衛生法を通過した、食用鬼を食べる事になった。

「……しかし、こいつは食えるのかい?」

 不安を剥き出しにして、私は妻に尋ねる。

「勿論、食べられますよ」と穏やかな顔で答えるのは妻だ。

 ずっとずっと昔から、彼女の田舎では、鬼を一般的な食材として食してきたということだ。

「子どもの頃は母と一緒に山へ鬼狩りへ行きました。母は鬼が好きだったので、山の奥へと分け入っては鬼を取ったりしたものです。なんでも母が子どもの頃、ちょうど戦時中なんかは食べるものがありませんから、よく山に分け入っては鬼を取って食べたそうで、その味が忘れられないとかで、母は鬼の肉を好んだのです。ずっと昔、鬼は人里にまで現れたという話です。鬼沢だとか鬼見野なんて地名などは、かつては鬼を多く見かけた名残ですね。けれど、江戸の中頃でしょうか。この辺りに住んでいたお殿様が灌漑事業を行って、川の流れが変わってしまったのを境に、里で鬼を見かけることは無くなってしまったということです。それ以来、鬼を見るのはもっぱら山。それも水の綺麗なところでないと現れなくなってしまいました。お陰で鬼を狩るときはいつもメンパに米を詰めて、山を登ったものですよ」

 そう言いながら、妻は田舎からクール便で送られてきた、鬼の手足を引っ張り出した。その色合いは真っ赤で、どうやら赤鬼であるようだ。

「なあ」

「なんですか」

「鬼って棍棒とか持っているわけだろう。捕まえるのは危なくないか?」

「そうですね。慣れていないとちょっと危ないです」彼女は小さく頷いてから、「何年かに一度は鬼に殺される人もいます」と小声で続けた。

 やはり、鬼は危険なのだ。

 それは当然の事だと思う。こんなに太い丸太ん棒のような腕をして、大きな棍棒を振り回す。そんな生き物が危なくないわけがない。

「けど、ちゃんと用心すれば子どもだって取れますよ」

「……お、鬼をかい?」

「はい。私も母に学んで、子どもの頃から鬼狩りをしていましたから」

 普段は控えめな妻であるが、その時は少し得意気になっていた。その顔を見て、私は少し笑ってしまった。まるで童女のような顔をしていたからだ。

 ともあれ。

 我が妻が言うことには、鬼と対峙する場合、重要なのは目を離さない事だ。鬼はとても単純な生き物なので、視線を見ていれば次になにをするのかよくわかるし、意外と臆病なので視線を逸らさない限り襲ってこないと彼女は語る。

「そうしたことを、いなかでは『目釘を刺す』と言っていました。山の向こうではシバルなんて言うそうです」

 そうやって鬼を釘付けにしながら、後ろ手に鬼の首を刈る獲物を用意しておく。多くの者は草刈り用の鎌や鉈を使うが、中には素手という強者もいる。

「素手か。そいつは剛毅だね」

「男の人でも、特に気と力が強い人は素手で、鬼の首を折ってしまうんですよ。私の兄などが、その典型でした」

「え、君のお兄さんって、浩三さんかい!? あんなに優しそうな顔をしていたのに……」

「あれで兄は、意外と我が強いんですよ」

 私は妻の兄である浩三氏の、眼鏡を掛けた穏やかな面差しを思い出し、それが鬼の首を絞めている図を思い描こうとした。だが、農家の好青年その物である浩三氏が棍棒を構えた赤鬼を殺す姿はどうしても思い描けない。

「まあ、獲物なんて人によって千差万別です。私はいつも草刈り鎌でした。目で怯ませている間は、鬼は人を襲えません。金縛りにあったように動けなくなってしまう。そうやって、強い緊張を強いてから、ふと、視線を逸らしてやるんです。すると鬼は襲いかかります。そこをひらりと避けてやって、鬼の首をかき切るんです」

 妻は簡単に言ってみせた。

「私には、ちょっと無理だな」

「慣れれば簡単ですよ」

 素っ気なく妻は言うが、それは田舎の人特有の考え方であるような気がする。

 大自然の中で育って、子どもの頃から様々な生き物と接した田舎の人は、私達都会の人間がどれほど自然を知らないのかを、ちょっと理解していない。こちとら三代続く都市部の人間で清潔無菌な環境に慣れて、小さな蜘蛛の一匹を見ただけで、戦々恐々してしまうというのに、そこに大きな鬼なんて出されたら、私は間違いなく失神してしまうことだろう。

「ところで、何で食べますか?」

「……そうだね。君に任せるよ。私は鬼なんて一度として食べたこともないから、どういう風にすれば美味しいのか、全然分からないんだ」

「……そうですか。じゃあ、これは赤鬼ですから、酒蒸しか普通に焼いてもいいですね」

 嬉しそうに赤鬼の腕を持ち上げながら、妻はとても嬉しそうに笑った。私の隣にいるときは絶対にしない表情だった。

 きっとあれは、妻の子どもの頃の顔なんだろう。

「赤鬼はって言うことは、他の色の鬼はまた食べ方が違ったりするのかい?」

「そうですね。青鬼は肉の臭みが強いので、焼く前に色々と下ごしらえが必要になります。他のも角が多くて太い個体は、それだけ歳を取っているので、肉が少し硬いですね。だから、その場合は、タタキにして柔らかくしてから焼くんです。これが取れたてだったなら、血を飲むのもいいですよ。身体がぽかぽかしてきます。あ、あと、鬼の角は薬として……」

 鬼についての話をすると、妻は本当に嬉しそうに飽きるほど鬼について教えてくれた。結婚して三年。妻がこんな顔をする事を私は鬼によって初めて知った。


 そして、夜。

 我が家の食卓に鬼が出た。

 テーブルの中央に鎮座するのは赤鬼の腕のステーキで、大胆に腕を輪切りにしたものだ。これが一番美味しいんですよと、特製ソースを渡しながら、妻が嬉しそうに進めてくる。

 最初に鬼の腕を見た時は、こんなもの食べられるかと思ったものだが、こうやって料理へと加工されてしまうと、まあ食べられるかなという気分になってしまうのだから、人間というのは不思議なものだ。

「いただきます」

 覚悟を決めて、私は鬼を食べる。

 それは少し歯ごたえのある牛肉という感じだった。匂いに癖があるけれど、味わいはかなり濃厚で――端的に言えば美味しかった。味が濃すぎて白米には合わないが、酒のつまみと考えた場合、これはかなりイケそうだ。

「美味しいですか?」

「うん。これは美味しい」

「そうですか、それは本当に良かったです……」

 そうして私達夫婦は、鬼をあっという間に平らげてしまった。最初は鬼を食べるなんて、冗談じゃないと思っていたが、最後の一切れを食べる瞬間には少し名残惜しくなっていた。

「ねえ、貴方」

「なんだ?」

「今度、私の田舎に行くでしょう?」

「ああ、夏休みにな」」

「その時、ちょっと鬼狩りをしてみませんか?」

 妻が躊躇いがちに問いかけてきたが、私は曖昧な笑みで返答する。

 鬼を食べるのは満更でもないけど、狩る方は当分の間は遠慮しておきたい。

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