第三十話 「リリスの決断(前編)」
レペスが死んだ……。
情報通りにアレクと小屋に行ってみれば、無残な死体となったレペスの姿を発見したのである。冷徹な効率主義のレペスが嫌いだったが、死んだのはショックだ。どんな奴でも同志が死ぬのは気持ちのいいものではない。
レペスは嫌な奴だったが、れっきとした戦士である。魔族撲滅には執念を燃やしていたし、組織には深い忠誠を示していた。きっと自身の負傷も省みず、命の続く限り魔族をなで切りにしたのだろう。生々しい傷跡が激しい戦いだったことを物語っている。
レペスらしい最期だ。勇敢だった戦士の最期に黙祷を捧げる。
その後、アレクと一緒にレペスの遺体を埋葬し、本陣に帰還することにした。そして、帰還途中に一人の少女と魔狼族が対峙している光景に出くわした。
とっさにアレクと身を隠したが、驚くべき事実を耳にした。対峙する二人の会話から、少女は邪神で今回襲撃した魔族の幹部達を幾人も打ち倒してきたという。
「あいつがカミーラのボス?」
「恐らくな」
あんな少女が恐るべき敵なのか?
にわかに信じられなかったが、対峙した魔狼族は本気の様子。少女相手に最終奥義を繰り出すらしい。急激に魔力を増幅させる。
「くっ、この力……あの魔族カミーラに匹敵していないか?」
「あぁ、奴が話していたように満月の時間帯だけ力が増幅されるんだろう」
「おい、カミーラだけでも厄介なのに。あの魔狼族まで――」
「リリス、まずいぞ。そのカミーラ達だ! こちらに接近している」
「了解。すぐに撤――なっ!?」
何故!? ジェシカがここにいる?
驚愕する。邪神の傍らにジェシカが倒れているのだ。邪神と魔狼族の対峙に集中していたため、最初は気づかなかった。だが、あれはまぎれもなくジェシカだ。
ジェシカやられたのか……。
いや、かすかに胸が上下していて呼吸している。気絶しているだけで死んではいないようだ。
「おい、早くしろ! 奴らが到着したら、おいそれと逃げられんぞ」
「わかっている。だが、ジェシカがいるんだ。私の親友がここにいるんだ」
「くっ、お前が友誼に篤いのは知っているが、今回ばかりは諦めろ。とてもじゃないが、救出は無理だ」
アレクは冷徹に判断する。あぁ、わかっている。あの魔狼族の増幅された魔力、とてもじゃないが、割って入れそうにない。絶望的なのは十分に理解している。
だけど……。
「アレク、先に行け! 私は残る!」
「リリス、いい加減にしろ!」
「何を言っても無駄だ。私はジェシカを見捨てることはできない。さぁ、さっさと一人で――」
「いや、もういい。時間切れだ」
アレクの沈んだ表情。
そうか、もう来たか。
身体中の神経を研ぎ澄ませ、慎重に周囲を窺う。辺りに並々ならぬ濃密な魔力が漂っていた。
くっ、この魔族独特の雰囲気。
そう、カミーラをはじめとした魔族の一団が到着したのだ。それにしても、こいつら一人一人が半端ない。これまで戦ってきた魔族が赤子に見えるほどに。
「アレク、こいつら……」
「あぁ、今まで俺達が相手をしてきた魔族とは比べ物にならん。恐らく奴らの下っ端ですら、べべの戦闘力を超えているだろう」
「こ、こいつらの前じゃ下手に動けないな」
「あぁ、ここはじっと堪えるしかない」
アレクと茂みの中でじっと息を潜める。
そして、邪神と魔狼族の戦いにも動きが見えた。魔狼族に対し、邪神が魔法を放ったのだ。魔狼族は何もできぬまま塵一つ残さず消滅したのである。
言葉もなかった。なんて威力だ……。
これまで信じていた経験がふっとぶ出来事だった。全ての魔法体系と異なる異質な存在。全ての属性の祖ともいえる破壊と混沌の塊。言葉では言い表せない究極の力を見せつけられたのである。
死地に飛び込むことはやまほどあった。戦力差がある敵との戦いも幾度と経験したし、命を捨てる覚悟なんてザラであった。どんな危機に直面しても戦士として冷静に耐えられたはずなのに……。
この光景だけは恐怖を抑えられない。
な、なんなんだ、あれは?
あの魔狼族、戦闘力はべべ以上。満月直下のあの時間帯だけでいえばカミーラの魔力に迫るものがあった。それをあの邪神は一撃、たった一撃で沈めたのだ。
邪神ティレア。外面だけで言えば金髪碧眼の美少女。どこかで見たことがあるような顔立ちだが思い出せない。ただ言えるのは、溢れる魔力はその整った容姿を天使から悪魔に変化させるのに十分であった。
動いたらやられる!?
動けない。指先一つでも動かしたら、あの悪魔に気取られそうだ。
幾ばくとそうしていただろうか……時間にしてみれば少しの時であったと思う。
邪神が軍を鼓舞し軍団が解散となり、ようやく時が動き出した。それにしても、あの邪神の演説、あれは世界征服の宣言ではないか!
邪神の部下達も熱狂して聞いていた。あれほどの力を見せつけられたのだ。魔族は絶対的な強さに惹かれる。きっと狂信的な軍団ができあがるだろう。
「アレク、し、信じられるか?」
「至急、撤退する。あの化け物相手では、戦うどころか相対するだけでも危うい」
アレクが冷や汗をかいている。チームの中でも飛びぬけて冷静沈着なのに。だが、あの邪神を見ると同感だ。あれだけ恐れていたカミーラが子供に思えてしまうほどに。
「アレク、何度も言うが、私は撤退しない。ジェシカを助けてからだ」
「リリス、お友達の救出は無理だ。せめて援軍を呼んで準備をしないと無駄死にするだけだ」
「いや、救出が遅れれば、ジェシカの命が危ない」
「リリス! あ、あれを見てもまだそんな愚かなことを言えるのか!」
アレクが悲壮な表情で叫ぶ。あくまで言うことを聞かないのであれば、実力行使も辞さない勢いだ。
「お願いだ。頼む。頼むから止めないでくれ。ジェシカは……ジェシカだけは、見捨てられない」
アレクは天を仰ぐ。例え、アレクが腕ずくで止めようとしても無駄だとばかりに、必死な形相でアレクを睨む。
「ふぅ~仕方がない。俺も手伝おう」
「アレク、すまない」
「だがこれだけは約束しろ。深追いはしない。俺が危険と判断したら即撤退する」
「……わかった」
アレクとひそかに邪神を追跡する。邪神に気取られずに後を追う。これまでの任務があくびが出るほどの危険な行為だ。
邪神は、ジェシカを抱えながら移動している。
これは本陣に戻っているのか?
「アレク、もしかして……」
「あぁ、奴ら本陣に戻っている。恐らくただの市民として紛れるつもりだろう」
「そんなことが可能なのか?」
「魔力をサーチしてみろ。邪神を含め、軍団員全ての魔力が一般人のそれと変わらぬ。あれだけの魔力をよくもここまで抑えられたものだ」
「ほ、本当だ。これじゃあ、奴らが魔族だと誰も疑いはしない」
「リリス、ますます俺達の情報が重要になってくる」
「アレク、どうする? このまま市民に紛れてしまうと追跡が困難になる」
「……よし、危険だが、邪神の魔力の波動を覚えてみる」
「それは危険じゃないか? 止めたほうが……」
「いや、危険だが、やる価値はある。このまま奴らが王都に留まるとは限らぬ。魔力を抑えられたまま国外に雲隠れされたら、手の施しようがない。今、邪神が魔力を抑えているうちがチャンスなんだ」
「わかった。確かに魔力の波動さえ覚えてしまえば、どこにいても感知できる」
「リリス、周囲を警戒しておけ」
「了解。だが、無理はするなよ。邪神は底がしれん」
アレクが調査魔法を発動させる。魔力は人それぞれ波動が違う。調査に成功すれば居場所を把握できるし、転移も可能なのだ。もし、今ジェシカ奪還に失敗しても、居場所さえわかっていれば再救出できる。
頼む、成功してくれ!
アレクは全神経を集中させてサーチしているようで、全身から滝のような汗が流れている。
アレクの本気中の本気の姿だ。
これは成功するか……。
……
…………
………………
「貴様、見ているなぁ!!」
邪神から突然の叫び声。
な、なんだ? さきほどの少女の声とは別人だ。どういうことだ?
ただ言えるのは、邪神にサーチがばれたということである。
「ま、まずい。サーチが邪神にばれたようだ。アレクここは一時撤退……」
「あぐぐ……そ、そんな。ひぃ……お、おま、あ、ありえない」
「ア、アレク?」
どうしたんだ? こんなアレクの姿を初めて見る。
いったい邪神に何を見た?
「アレク、しっかりしろ! とにかく逃げるぞ!」
「あ、ひぃ、はぁ、あぁああ」
「アレク! レペス、ヴェーラ、共に戦ってきた仲間がこの戦いで死んだんだぞ! お、お前がそんなんじゃ仲間が浮かばれない!」
アレクの頬を引っぱたく。アレクは、焦点が定まらない目を私に向ける。
「はぁ、はぁ、す、すまない。俺は無理だ。はぁ、はぁ、あ、あんなのを見ちまったら戦えない。戦えないんだ」
「とにかく邪神がこっちに来る。早く行くぞ!」
「はぁ、はぁ、はぁ。お、俺はだめだ」
「つべこべ言わずに来い!」
強引にアレクの手を引っ張るが、アレクはその手を払いのけた。
「お、俺はいぃいい! 行けぇえ!」
「で、でも……」
「はぁ、はぁ。お、お友達を助けたいんだろ! だったらまずは生き延びろ!」
アレクの叫びに私は駆け出す。
「はぁ、はぁ、はぁ。リリス、ふ、振り返らずに聞けぇ! はぁ、はぁ。や、奴は魔王だぁあ……ひ、ひぎゃあ!」
アレクの断末魔が聞こえた。
だが、後ろを振り向かない。止まらない。止まれば、命をかけてまで逃がしてくれたアレクの意志に背く。私は全魔力を速度付与に変えてひたすら走る。
ご、ごめん、ジェシカ、今は助けられない。
私が甘かった。私が無理を言ったせいで、アレクを犠牲にしてしまった。今は冷静になろう。邪神に勝つため、秘策を持って戻ってくる。それまで待ってて。絶対にあんたを助けるから。
まずは魔滅五芒星本部へ帰還する。
そして、魔王の復活、その魔王がティレアという少女だと伝えないと。本部へと繋がる緊急の転移魔法陣がこの先に敷いてある。
そこまで移動できれば……。
あと少し、もう少し――。
「死ね!」
「なっ!」
突如、全力で走っていた矢先、魔弾が放たれた。かろうじて避けられたが、偶然に近い。次に放たれると避ける自信はない。
何者?
行く手に突然現れた人物。燃えるような赤い目と、氷のような青い目をしていて赤い耳をしている。ネコの容貌だ。
「獣人? いや、ただの獣人ではない。あの魔弾の威力……魔族か」
すかさず臨戦態勢を整える。
「う~ん、惜しい。魔族だけど、ただの魔族じゃない」
「何!?」
「奥義、超魔手魔撃。くっく、避けたと思ってるでしょ。もうあんた死んでるよ」
「えっ!?」
ぐらりと体が揺れ、力が抜ける。体のいたるところから血が噴き出ている。
い、いつの間に!?
ま、まずい。戦士としての経験が知っている。これは致命傷だ。
「キャハ♪ 惜しかったね。でもゾルグ様の秘密を知った者は生かしておけない」
「はぁ、はぁ、お、お前は……」
「な~に、ワタシを知りたいの? キャハ♪ いいよ。教えてあげる。どうせあんたは死ぬんだし。ワタシは六魔将――いや新生魔王軍総督ルクセンブルク」
「はぁ、はぁ、ま、魔王軍、そ、総督だ……と?」
「いい冥土の土産になったかな? それじゃあ、ワタシはゾルグ様の警護で忙しいから、あとは勝手に死んどいてね♪」
そう言うや、ルクセンブルクからとどめとばかりの一撃をもらう。そして、ルクセンブルクは満足そうに闇夜へと消えていった。