第四話 「ジェシカと親友」
あちらこちらで火の手があがり、悲鳴や怒号が聞こえる。窓から明々と燃え盛る炎を見ながら、私とティレアさんは茫然と立ち尽くしていた。
「……はっ! ティム!」
ティレアさんが突然、思い立ったかのように声をあげる。そうだ、ティムちゃんが正門にいるんだった。この大惨事、正門に吸血鬼が群がっているかもしれない。
「あぁ、なんてこと! きっと怖くて震えているよ」
「急ぎましょう」
私はティレアさんと駈け出そうとするが、足がもつれてうまく走れない。そして、そのまま地面に倒れこんでしまった。だめだ、蓄積されたダメージの為か満足に動けそうにない。ティムちゃんの状況は一刻を争うというのに……。
このまま私を連れているとティレアさんの足手まといになってしまう。
「すいません。私のことは構わないで先に行ってください」
「乗って」
ティレアさんは腰をかがめ、おんぶの姿勢をとってくれる。
「いいんですか?」
「早く! 時間がないの!」
「は、はい」
ティレアさんの権幕に押され私は立ち上がると、その背中に覆いかぶさる。ティレアさんは私をおんぶするやいなや、正門までダッシュする。
やっぱりティレアさんすごく足が速いよ。
ティレアさんは、疾風のごとき速さで正門まで突き進んでいく。
それにしてもティレアさんって腰が細い。ティレアさんの背中から伝わってくる感触から、その引き締まった体つきが実感できた。ティレアさん、力もあるし俊敏で凄腕の冒険者と比べても遜色ない。それでいて胸もあるし美人だし、冒険者になればきっとマイラさんみたいに人気者になると思う。これだけの才能があるのになんで料理人なんだろう?
「あぁ、くそ、失敗した。こんなことならミューをティムの警護につけておけば良かった」
ミュー? 誰のこと? ティレアさんが走りながらぶつぶつ独り言を言っているのが聞こえてきた。
「もうニールゼンと一緒に行かせるんじゃなかったよ」
へ、変態? そのままの意味なのかな? ティレアさんの言動は相変わらず意味不明だが、何やらすごく後悔していることが伝わってくる。
「あ、あのティレアさん、ミューさんって――」
「ちっ、こんな時に」
ティレアさんの走る速度が初めて緩まった。どうしたんだろう? ティレアさんの肩越しに前方を見る。
吸血鬼!?
数百といったところか、吸血鬼化した元人間達が獲物を求めて彷徨っている。
「どうしますか?」
「ジェシカちゃん、クカノミ持ってる?」
「いえ、持ってないです」
「そうよね、そのまま出てきちゃったもんね」
「あ、でもそれなら代わりにその辺の石ころを使えば」
「だから、それじゃあだめだって言ったでしょ!」
「で、でも――」
「ジェシカちゃん、ごめん。ちょっと口閉じてて。舌噛むといけないから」
「えっ?」
「しっかり掴まっててよ」
ティレアさんはすさまじい速度で学園に戻っていく。
い、息ができない。は、速すぎる!
身体強化の魔法を使っているそぶりはなかった。というより身体強化の魔法を使ってもこの速さは無理だよ。
ひ、人ってこんなに速く走れるものなの?
あぁ、振り落とされそうだ。必死にしがみついているが、手の感覚がなくなってきた。そして、とうとうティレアさんを掴んでいる手を離してしまった。地面に激突する。
あ、あ、もう、だめ。そう思った瞬間――
「おっと、気をつけてね」
「へっ?」
ティレアさんがすかざす片手で私をキャッチし、ぐいっと引き寄せてくれた。私はもう呼吸をするのもやっとである。そして、あっという間に食堂に戻ってきた。
「ぜぇ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
私はその場に座り込み、激しく呼吸する。
はは、担がれていたほうが息をみだしているなんて……。
私が休憩している間にティレアさんは奥の食糧庫に入り、置いてあった大袋にあらんかぎりのクカノミを詰め込んでいく。
え、えっ!? それ学園の生徒全員分の食材が入っていた袋だよ。見ると袋はパンパンに詰まっており、力自慢の男たち数人がかりでももてあます量であった。
「テ、ティレアさん、いくらなんでも詰め込みすぎですよ!」
「堅いこと言わないで、緊急事態でしょ! ティムの命がかかっているんだから、食材の代金は大目に見てよ」
「いや、そうじゃ――」
「代金は後で国がなんとかしてくれるって」
ティレアさんはまたピントのずれた返事をし、いっぱいに詰めた大袋をひょいと抱えた。
も、持ち上げた!?
それに全然苦ではなさそうだ。ティレアさんって本当に何者なの?
「さ、行くよ」
「は、はい」
ティレアさんは右手に大袋を抱え、私をおんぶする。そしてそのまま正門に向かって走り出した。西門から出ると、吸血鬼の群れが私達を見つけ襲ってくる。
ざっと見渡した限りでも襲ってくる吸血鬼達は一人、二人……十人以上だ。
ティレアさんは袋に手を入れクカノミを掴むと、吸血鬼達に投げつけていく。
「くらえ、はどぉおおきゅうう!」
「ぐぅげぇええ!」
ティレアさんのクカノミをくらって、吸血鬼がはじけ飛ぶ。
「もう一丁、はどぉおおきゅう!」
「「ぐぅげぇええ!」」
すごい。掛け声は奇妙だが、クカノミの一撃で数十人の吸血鬼が吹き飛ばされていく。それにしてもティレアさんの体力は底なしなのか。魔族と対決し、今も吸血鬼をけちらしながら走り続けているのに息ひとつ乱れていない。
「あぁ、もう人数多すぎ! これじゃあ、クカノミがいくらあっても足りないよ」
「ティレアさん、さっきからクカノミ、クカノミって別にクカノミじゃなくてもいいと思いますよ」
「そ、そうだね。私は何をクカノミにこだわっていたんだ」
ティレアさん、ようやくわかってくれたの?
「そうだよ。吸血鬼の弱点は十字架もあれば木の杭もあるじゃないか」
十字架? キノクイ? やっぱり通じてない。
「ジェシカちゃんってロザリオ持ってる?」
「ロザリオですか。いえ、持ってません。あんな高価なもの神官かよほど信心深い人じゃないと持ってませんよ」
「えっ、そうなの? まいったなぁ」
「木製のイミテーションで良ければ持ってますけど」
私は露店で買った十字架をティレアさんに渡す。
「うんうん、これでいいよ。普通に十字架に見える見える」
「そうですか。何をしたいのかいまいちよくわかりませんが、それをどう使うんですか?」
「こう使うのよ。はぁあ!」
ティレアさんは木製の十字架を吸血鬼にかざす。だが、吸血鬼には何も変化がないようだ。
「何も起きないみたいですよ」
「おかしいなぁ。う~ん」
ティレアさんが腕を組んで悩んでいる。恐らく、いや、かなりの確率でティレアさんは何か勘違いをしている。
「ティレアさん、そんな玩具じゃ吸血鬼は倒せません」
「そんなことは……そうか! わかったよ、ジェシカちゃん。私じゃ神聖な力がないから遠距離からかざしてもだめなんだ」
「こ、根本的に違うと思いますけど」
「いいから見てて。こうやって直接当てればいいのよ」
ティレアさんは十字架を握ると、その握った手をそのまま吸血鬼にぶつける。
「ぐげぇええ!」
「すごい!」
「やっぱり、直にぶつけなきゃだめみたいね」
吸血鬼達が軒並みふっとばされていく。でも、十字架の力というよりティレアさんの拳の威力に思える。
「あの、十字架なんて使わずに普通に殴ったらだめなんですか?」
「だめだめ。私の拳なんて吸血鬼に通じないよ。十字架があってこそだから」
ただ十字架を握っているだけじゃないの? 普通に殴るのと変わらないよ。わからない。ティレアさんの思考はどうなっているんだろう? ともかくティレアさんはただ者じゃない。冒険者じゃないと言っていたから勇者の末裔なんだろう。
「ティレアさんってもしかして勇者の末裔ですか?」
「何を言ってるの? 私は料理人だってば」
「でも、こんなことできる料理人なんて……」
「ジェシカちゃん、日頃から鍛えていないとおいしい料理は作れないのよ」
「で、でも」
「ジェシカちゃん、おしゃべりしている暇なんてないの。早くティムのもとまで行かないと」
「す、すいません」
なぜ強さの根拠が料理人なのか。突っ込みどころ満載だが、確かに今はティムちゃんの安否が優先だ。私は言いたいことを飲みこみ、口をつぐむ。
そして、吸血鬼を蹴散らしながら短時間で正門までたどり着いた。だが、それほど時間がたっていないと思われたのにティムちゃんの姿は見えない。
「……ティムがいない」
「どこかを逃げ回っているんじゃないですか?」
「あぁ、私のせいだ。私が早く戻っていれば」
ティレアさんは頭をかかえて苦悩する。
ティムちゃん、どこに行ったんだろう?
ティレアさんが言うほど時間はロスしていないはずだけど……。
やっぱり吸血鬼がわんさか湧いたので、どこかを逃げ回っているのかな?
「ふぇええん、ひっく、ティムどこに行ったの?」
「ティレアさん……」
あんなに頼もしかったティレアさんが、ぽろぽろと大粒の涙を零しながら嗚咽している。ティムちゃんが、ティレアさんにとってどれだけ大切な存在か痛いほど理解できた。
「ティレアさん、大丈夫です。王都には治安部隊もいれば冒険者もいます。きっとティムちゃんはどこかに保護されてますよ」
「ひっく……ぐっ……えぐっ……ティム、ティム、どこ、どこにいるの?」
ティレアさんは涙を流しながら半狂乱になって、飛び出していった。
「ま、待ってティレアさん」
だめだ、聞こえていないみたいだ。よっぽどティムちゃんが心配なんだろう。私の言葉も耳に入らず、あっという間に遙か彼方に走り去っていった。
「ティレアさん、一人で行動したらあぶな――」
いや、違う。ティレアさんは大丈夫だ。あの常人離れした力は下手な冒険者なんかより強い。今、危険なのはむしろ私だ。
まずい。ティレアさんとはぐれてしまった。もう私の体力は限界に近い。
とりあえず寮に戻ろうか?
いや、この騒ぎだ。どこが安全なのか判断がつかない。学園の誰かと合流できたらいいのだが……。
この先の行動を模索していると、背後から足音が聞こえた。
誰かいる?
反射的に後ろを振り返ると、
「ひっ、エディム!」
振り返ったさきには元親友の姿があった。
「ジェシカ、こんなところにいたの? 捜したのよ」
エディムがこちらに向かって一歩ずつ歩いてくる。さきほどまでの幽鬼な様子と違い顔には怒りの表情が窺えた。
「こ、来ないで」
「せっかくジェシカも仲間に入れてやろうと思ったのに」
「嫌だ、嫌だ。助けて」
私は逃げ出すために踵を返そうとするが、エディムに腕を掴まれる。
「いたっ。ひぃ!」
「私ね、知っているのよ。あんたを捜して食堂に行ったんだから」
「それって、まさか……」
「そう、見つけたの。アルキューネ様を! あぁ……おいたわしい……あんなにも無残なお姿をさらして」
「ち、ちょっと待ってエディム」
「よくもよくもよくもぉおお! アルキューネ様を殺したなぁあ!」
エディムが憤怒の表情で、牙をむき出しにして襲い掛かってくる。
「や、やめて、エディム!」
「殺してやる! 最後の一滴まで血を啜り、殺してやるから」
だめだ。ものすごい力……エディムに掴まれた手はびくともしない。やっぱりエディムも身体能力が大きく向上している。それに対して私には抵抗する体力はほとんどない。
「ち、ちが、私じゃ――」
「そうね。ジェシカ、あんた程度の力でアルキューネ様を殺せない。でも、あんたの仲間が殺した、そうでしょう?」
「お、お願いよ。私たち親友なのに。エディムだって本当はこんなことしたくないんでしょ!」
「親友? まだそんな戯言を言っているの? もう私は人間じゃない。魔族、吸血鬼なのよ」
「そんなこと言わないで。なんとか人間に戻る方法を探そう」
「ふん、ジェシカはあいかわらずのいい子ちゃんだね」
「お願いよ、また昔みたいに……」
エディムから掴まれていた力が緩む。もしかして友情を思い出してくれたの! 淡い期待が胸をよぎる。
「ジェシカ……私はあんたのそんなところが昔から……大嫌いだったよぉお!」
「がはっ!」
エディムはその人間離れした力で私の胸倉を掴んでくる。
「ど、どうして? なんで……こんなひどいことをするの?」
「ジェシカ、その分け隔てなく接する優しい性格と愛らしい容姿でクラスの人気者、マークもジョンもそんなあんたに夢中」
「え?」
「ふふ、まったく勘が鋭いくせにそっち方面にはうといんだから。そんなとこも人気の秘密なのかな?」
マーク、ジョン……それってエディムが好きだって言ってた男子じゃない!
「ご、ごめんなさい。私、知らなくて……」
「別にもうどうでもいいのよ。今となってはたかが人間に執着するつもりなんて、さらさらないから」
「そ、そんな」
「ふふ、理解した? 友情なんてない。昔からあんたが嫌いだったのよ!」
エディムはそう言って私の首を絞める。苦しい。圧迫される気道に意識が刈り取られていく。
「かふっ。エ、エディ……ム」
「ともかくアルキューネ様を殺した奴らは全員殺してやるから!」
そ、そんなそれがエディムの本当の気持ち? それとも吸血鬼になったせいで心がおかしくなったの?
わからない。だけど、私を嫌いだったなんて話、信じたくない。
あぁでも確実にわかることは……。
私が大好きだった親友はもういないという事実だけ……。
死んだほうがましかも。私はエディムにされるがまま意識を落としていった。