第三話 「ジェシカと金髪の美少女」
「うわぁっと、危なっ! いきなり何するんですか!」
「ほぉ、意外に身のこなしが素早いじゃないか。避けるとは思わなかったぞ」
不意をついたアルキューネの噛みつきを、ティレアさんは紙一重で躱した。
すごい、今のを避けるなんて……。
アルキューネも少し驚いている様子だ。
「ちょっと冗談はやめて――ってアルキューネ先生コスプレですか! いきなり変身魔法なんか使っちゃって。なんでまた急に……」
「くっくっ、まだ事態を理解していないのか。オツムはてんで鈍いと見える」
「なっ!? オ、オツムが鈍いですってぇえ! うっきぃ――それが教師の言う言葉ですか!」
ティレアさんが顔を真っ赤にして憤慨している。オツムが鈍いと言われてよっぽど頭に来ているみたいだ。
うん、こればかりはアルキューネの言うことも一理ある。この危機意識のなさは問題だよ。
ティレアさん、魔族のプレッシャーを感じないのかな? とにかくティレアさんに現状がどんなに危険か早く理解させないといけない。
「ティレアさん、そんな場合じゃありません。奴は人を襲う吸血鬼、魔族です。私達を殺そうとしているんですよ!」
「吸血鬼? 魔族? 何言っているの? いくら先生に叱られたからってそんな悪口を言っちゃだめだよ」
もぉお、なんなのこの人! 緊迫した状況わかってよ。のんきというかずれているというか、ティレアさんには遠回しな表現はだめだ。はっきり言わないとわかってくれないだろう。
「本当なんです! 私も殺されそうになったし、親友もそいつの手にかかっているんですよ!」
「……ま、まじで?」
「まじです。冗談でも魔法で変装しているわけでもありません」
私の本気が伝わったのか、ティレアさんは改めてアルキューネの顔や姿を観察している。
そして……。
「うぁあああ! 本当に魔族なの? え? え? 吸血鬼って本当? ドッキリとかじゃないよね?」
「くっくっ、そうだ。ようやく恐怖したか。まったくオツムが弱いのも困ったものだ。お前は美しく気に入っていたのにバカなのは減点だ」
アルキューネが率直な意見をこぼす。否定してやりたいが、私は嘘が苦手だ。
「ま、ま、ま、まじで……さ、さすが王都ね。あ、あぁ初期魔法が使えたからってそれがなんだって言うのよ。こ、これが本当の冒険、ようやく私も本当の意味でファンタジーの世界に足を踏み入れたんだ。ど、どうしよう? 心の準備ができていない。せめてはじめはスライムからにして欲しかったよぉ」
ティレアさんは混乱しているのか、訳がわからない言葉をつぶやいている。それもしょうがない。なんたってあの魔族が目の前にいるのだから。訓練を受けた魔法学生の私でも魔族のオーラにあてられ気絶しそうなのだ。まして普通の人であるティレアさんが平常でいられるはずがない。
ここは私が頑張らないと! こういう時に動けずになんのために魔法学園で学んできたのか!
「ティレアさん、逃げましょう!」
「う、うん」
私はティレアさんの手を取り、そのまま渡り廊下をひた走る。だが、気持ちとはうらはらに足がふらふらともつれる。気を抜くと意識が遠のきそうだ。私の体力は限界に近く、このままじゃ逃げきれない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「ジェシカちゃん、大丈夫?」
ティレアさんが心配げに私を見つめ声をかけてくれた。あんなに怖がっていたのに私の心配をしてくれている。やっぱり優しい人なんだ。なんとかティレアさんだけでも逃がしてあげたい。
どうする?
アルキューネの視線は背中に常に感じている。すぐに捕まえようとはせずに逃げる私達を弄んでいるのだろう。アルキューネが遊んで油断している間に、魔法弾を撃ってけん制するしかない。
「ティレアさん、私がなんとかアルキューネを食い止めます」
「ジェシカちゃん、ありがと。そして、ごめんね。ちょっとパニクってた。私のほうが年上なのに本当申し訳ない」
「そんなことないです。とにかく私が魔法弾を撃って奴をけん制します。その間に逃げてください」
「ジェシカちゃん、それは死亡フラグってやつよ。絶対にだめ。一緒に逃げるの」
「でも、もう私は走れそうにないんです」
「そうわかった」
ティレアさんは私の言を聞くや、ひょいと私をお姫様だっこして走る。
嘘! ティレアさんって意外に力持ち、それに速い。
風のようにぐんぐんと走り出していく。
「くっくっ、逃げろ、逃げろ。恐怖におび――って、なんだ? は、速すぎるぞ! おい、貴様ら待て、待たんか!」
アルキューネが血相を変えて追ってくる。どうやらティレアさんの足の速さに驚いているようだ。私も驚愕している。ティレアさんは私を抱えたまま一気に階段を駆け上がっても息ひとつ切れていないのだ。抱っこされている私のほうが、あまりの速さに肩まで弾ませているというのに……。
ティレアさんの脚力は尋常じゃない。身体強化の魔法、それも上位クラスの魔法をかけないとこの速さは出ないと思う。となるとティレアさんって実は名のある冒険者なのかな?
「ティレアさんって、冒険者だったんですね」
「へっ? 何言ってるの。違うよ、私はただの料理人」
「で、でも、私を抱えてこんなに速く走れるのに……」
「まぁ、体力には自信があるからね」
「そんなの説明になってません。ただの料理人がこんな――」
「ちっちっちっ、ジェシカちゃん、料理人をバカにしたらいけないよ。料理は力仕事なのよ」
ティレアさんが諭すように答えてくれた。
そ、そんな問題?
いやおかしいよ、ティレアさん。
私がまだ何か言おうとすると、急にティレアさんの足が止まった。
「ジェシカちゃん」
「なんですか?」
「あれ、吸血鬼よね?」
ティレアさんが指差す方向を見ると、ゲイル先生が片足をひきずりながら移動していた。理性はなく、時折、獣のような咆哮をしている。
「はい、尊敬していた先生でした……だけど、アルキューネの手にかかって……」
「そう……辛かったね」
「ぐすっ、今でも信じられません。あんなに生徒思いだった先生があんな姿になるなんて……ひどい、ひどすぎます」
「残念だけど、もう吸血鬼になっている。襲われないようにしないと」
ティレアさんの言う通りだ。悲しんでばかりはいられない。今はアルキューネの魔の手から逃れることが先決だ。
「ティレアさん、アルキューネに血を吸われないようにしてください。血を吸われるとあんなふうに吸血鬼にされてしまいます」
「うん、わかってる。そういう意味では吸血鬼にされた人にも、噛まれないようにしないといけないよ」
「あっ!? 確かにそうですね。あと、吸血鬼にされた人は身体能力も上がるみたいで動きに注意しないといけません」
「う~ん、その辺のところも鉄板なのかぁ。手足が損傷しても動き回っているし、ゾンビ要素もあるみたいね」
「あのティレアさんって魔族をご存じなのですか?」
「うん。まぁ魔族というより吸血鬼の特性をね。転生チートってやつで私は特殊な知識を持ち合わせているのよ。私の唯一の武器といってもいいくらいね」
てんせぇちぃと? どういう意味なんだろう?
特殊な知識……。
確かにティレアさんは吸血鬼を詳しく知っているようだ。
「それにしてもティムを待機させてて良かった。まさか学園がこんな魔窟になっていようとは思いもしなかったよ」
「そういえばティムちゃん正門にいるんですよね?」
「うん、あ~待てよ。まずいぞ。あまり時間をかけていたら、ティムが心配して学園に入ってくるかも!?」
ありうる。ティレアさんが長いこと戻ってこなかったら、心配して学園に捜しに来る可能性は高い。
「どうしますか?」
「ジェシカちゃん、ここに食糧庫ってある?」
「食糧庫ですか。それなら食堂の奥がそうです」
「食堂ってどこ?」
「ちょうどこの廊下の突き当たりを右に曲がったところが食堂です」
「そう、そこまで行くわよ」
「はい。でも、どうして食糧庫なんですか?」
「ふふ、吸血鬼の弱点の一つであるニンニクを手に入れるためよ」
「にんにく?」
「あぁ、えぇとこの世界でいうクカノミね」
「それが弱点なんですか?」
「えぇ、吸血鬼にはニンニクって相場が決まっているんだから」
ティレアさんは自信満々に言い放つ。
クカノミが弱点……。
クカノミを使った料理は学園の食堂でもよく出るメニューだ。スタミナがつくからと男子が好んで食べているけど、私は臭いがきつくて苦手である。
アルキューネもクカノミが苦手なの?
うーん、アルキューネは普通に食べていたような気がするけど、それとも気づかれないように残していたとか?
……何か違うような気がする。
「あ、あのティレアさん、やっぱりクカノミが弱点とは思えないんですけど」
「ジェシカちゃん、私を信じて!」
あぁ、ティレアさんとはさっき会ったばかりだが、だんだんこの人の性格がわかってきた。この人が自信満々に言うときはたいていずれている。
「で、でも、ティレアさん、やっぱり――」
「ジェシカちゃん、時間がないの。なんとか奴を倒してティムと合流しないと!」
だめだ、聞く耳持たないよ。そうしてティレアさんに連れられ、あっという間に食堂奥の食糧庫に到着する。
「へぇ~ここが王都魔法学園の食糧庫か。さすがにでかい。おぉ、ヘライアの実まであるよ」
ティレアさんは食糧庫にある棚の引き出しや箱を、かたっぱしから開けてクカノミを探している。時折、レアな食材を見つけたのか感嘆の声をあげたりもしている。食材に感動しているあたり料理人と言ってたのは本当みたいだ。
「よし、見つけた。けっこうあるぞ。良かった」
「そ、そうですか……」
「はい、ジェシカちゃんの分よ」
ティレアさんからクカノミを受け取る。つんと独特のクカノミ臭がした。私はクカノミを手に取って手触りを確認する。硬くもなく柔らかくもなくでこぼこした只の食材だ。これを使って魔族を倒せるとは到底思えない。
「いい? 奴が来たら一斉にこれを投げつけるのよ」
「あ、あのティレアさん。やっぱり別の作戦を考えたほうが――」
「しーっ、来たみたい」
ティレアさんの言う通り、アルキューネが息を切らして追いついてきた。
「はぁ、はぁ、おのれぇ! ちょろちょろ逃げ足の速い奴だ。だが追い詰めたぞ」
「今よ!」
ティレアさんからの合図、こうなればいちかばちかだ!
私はせいいっぱい力を込めてクカノミをアルキューネに投げつける。だが、私が投げたクカノミは放物線を描いてポタリと地面に落ちただけだった。
だめだ……。
クカノミに効果があるか以前に、私の腕力じゃアルキューネに当てることすらできない。私が落胆すると、
「ぐはあああっっ!」
突然、部屋中に断末魔じみた声が響く。見ると、ティレアさんから放たれたクカノミがアルキューネの肩口に命中していたのだ。アルキューネの肩口にクカノミがめり込み、まるで鉄球にでも当たったかのごとく陥没していた。陥没している肩口からはドロリと血がたれている。
「す、すごい……ティレアさんって戦士だったんですね」
「戦士じゃないって。だからクカノミが奴の弱点だと言ったでしょう」
「え、でもこれってクカノミの力?」
「そうよ。まぁ、イメージでは当てたらじゅわっと溶けていくイメージだったけどね。理論と実践は違うってところかしら」
本当かな?
どう見ても、ティレアさんの腕力にものをいわせた力技にしか思えないけど……。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、な、何をしやがった? たかが人間風情が! はぁ、はぁ、な、舐めやがって!」
アルキューネから余裕の笑みが消え、激しい怒りの表情に変化していた。
お、恐ろしい。これが魔族の本気の重圧なのか……。
そのどす黒い殺気は人間の悪意とは重さが違う。私は恐怖からティレアさんの腕にしがみついた。
「はぁ、はぁ、殺す! あ、遊んでやっていたらつけあがりやがって。ただでは殺さん。生きたまま血をすすり、その身を引き裂いてくれん!」
その声に、びくっと身を震わせる。ティレアさんもアルキューネの恐ろしさに震えているようだ。
「い、今のうちに逃げるわよ」
「は、はい」
アルキューネはダメージを負ってる。今なら外に応援を呼べるはずだ。
「はぁ、はぁ、許さん。私を傷つけたお前は特に許さん! この屈辱のお返しはお前だけでなく、お前の妹にも同じ責め苦を味あわせてやるからな!」
なんておぞましい。ティムちゃんも連れて遠くに逃げないと。私は一刻も早く逃げ出そうとするが、急にティレアさんの足が止まる。
「ティレアさん?」
「ジェシカちゃん、先に行って」
「え!? 早く逃げないと」
「だめ。奴はティムを襲うと言った。このまま逃げてもいつか奴がティムを襲うかもしれない」
「で、でも」
「先に行って。正直、すごく怖いけど、ティムを襲うって言っている奴を、このまま野放しにするわけにはいかない」
ティレアさんは踵を返すとアルキューネに向かっていく。
「はぁ、はぁ、もう油断はしねぇえ。ぐちゃぐちゃに脳髄をかき出してやるからなぁああ!」
アルキューネは自らの牙をむき出しにしてティレアさんに襲い掛かった。
ティレアさんは大きく足をあげ弓なりに身体をひねり、その勢いのままクカノミを凄まじい速度で投げつける。クカノミはうなりをあげてアルキューネの太股に激突した。
「がはっ!」
ティレアさんの投擲をくらい、アルキューネはよたよたと後退した。太股からの出血がおびただしい。
「はぁ、はぁ。お、お前は、な、なんなんだ? な、何故、たかが投擲の一つでこれほどまでのダメージを――」
「とどめよ」
「ひっ、やめ……」
「もぉいっぱああああつ!」
「ぐぁあああっっ!」
ティレアさんが掛け声とともに放ったとどめの一撃は、音速を超えた勢いであり、私にはとても視認できなかった。気づいたらその凄まじい一撃はアルキューネの顔面に命中していたのである。アルキューネはぴくぴくと痙攣し、そのまま動かなくなった。
「さ、行くよ」
「は、はい」
魔族を瞬殺……。
ティレアさんって何者なんだろう?
クカノミの力って言ってるけど、どう見てもティレアさんの力だった。魔族を倒すなんて普通の一般人とはとても思えない。もしかしてティレアさんは勇者の末裔で、何か密命を帯びており正体を他人にばらさないようにしているとか?
うーん、それにしては言動が単純というか正直すぎる気がする。ティレアさんに隠し事なんて無理そうだ。それともそう思わせる演技をしている?
まぁ、でもティレアさんのおかげで命が助かったのだ。詮索なんてしないで素直に感謝しよう。それにティムちゃんが心配だし早く合流しないとね。
私とティレアさんは急ぎ正門へと向かった。出口に近づくにつれ何か騒がしい。先ほどまで静寂を極めた夜であったのに怒号が飛び交っている。
気になったので、窓から外を眺めてみる。
なっ!? 人が人を襲っている!
昼中にはあれほど親しげに話していた隣人同士で争いをしているのだ。いや、よく観察すると争っている片方は吸血鬼化している。襲っているのは吸血鬼で、人は応戦をしているみたいだ。
まさかまた魔族の仕業? アルキューネに仲間がいたのかな?
「い、いったい外で何が起こっているの?」
「はは……バイオハザド」
ばいおはざど?
ティレアさんが乾いた声でつぶやいた。