第十八話 「円満解決に向けて(後編)」
ティムを変態に引渡し部屋に戻ってみると、修羅場は続いていた。オルは必死に母さんに「刺さないで」と懇願している。母さんはオルの言葉をガン無視して短刀で脅し、問い詰めている。
そして……。
あぁあぁ、とうとうオルが泣き崩れちゃったよ。
「母さん! 弱い者いじめしちゃだめでしょうが!」
「テ、ティレア、あ、あのね、これは違うのよ。本当にこいつは――」
「……母さん、お願いだから冷静になろうよ」
「い、いや、でも、こいつは大貴族で……」
「母さん、本当にほんと~うに、この姿を見てもまだ演技だと思うの?」
母さんにずいっとオルの情けない姿を見せつける。オルは大粒の涙を流し、鼻水もわんさか出して見るに堪えない姿だ。
これが悪鬼?
演技だとしたらアカデミー賞を越えているぞ。オルが母さんの言うとおり本当に裏の人間だとしたら俺はもう誰も信用しなくなるね。
母さん、こんな情けないオルの姿を見てまだ裏があるって疑うの? いい加減に現実を見てくれよ。
ちょっと非難がましい目で母さんを見つめる。母さんも少し冷静になってくれたみたいだ。罰が悪いかのような顔をして短刀を収めてくれた。母さんが短刀を収めたのを見るや、オルがあからさまにホッとした顔つきになる。
オル、良かったね。すごく怖かったでしょ。えぐっえぐっと泣いているオルの肩をポンポンと叩いてやる。
「うぅうぅ。ひっぐ、テ、ティレア様~」
「はいはい、いつも言っているでしょ。いい大人がもう泣かないの」
母性本能を全開にしてオルを慰める。母さんがそんな俺とオルのやり取りを見て自分の過ちに気付いたみたいだ。さきほどオルを責めていたような疑惑の眼差しではない。その表情から罪悪感らしきものが窺える。
「た、たしかに演技とは……とても思えないわね」
「でしょ。オルは本当に悔いているのよ」
「で、でも、今は悔いていたとしても……後でこのことを根に持って仕返しを考えてるかも……」
むむ、まだ母さんはオルを疑うのか。
「オル、今日の腹いせに何か報復を考えていたりするの?」
「と、とんでもございません。わ、私がなぜそのような愚かな事を……ありえません。絶対にありえません。私は、私はいったいどうしたら、うぅ、し、信じてくださるのですか……ううぅひぐっ」
せっかく泣きやんでいたオルがまた泣き始めた。母さん、もうこれいじめだよ。
「あぁあ、母さんが泣~かした」
「……ごめんなさい」
あまりに哀愁漂うオルの姿にとうとう母さんが謝罪した。どうやらやっと誤解が解けたみたいだ。
「よし、これで一件落着ね」
俺は、肩の荷を下ろしたとばかりにほっと息をつく。
「ティレア、オルティッシオさんが悪人じゃないことはわかったわ。でも、肝心の借金の件がまだ残っている」
「だからオルはそんなことを気にする奴じゃないって」
「ティレア! オルティッシオさんのご好意に甘えちゃだめ。人の良いオルティッシオさんが破産したらどう責任を取るつもりなの!」
おりょりょ。なんか意見が百八十度変わって俺のほうが悪者みたい。人の良いオルに付け込んで金を使い込ませる悪女みたいになってんぞ。
ま、まぁ、確かにわざとじゃないが、俺の為にオルが金を貢いでいるのは事実である。
あれ? じゃあ俺が悪鬼じゃないか――っていやいや、借金の件はなんとかなる。借金が「億」なのは予想外だったけど、ドリュアス君が対応策を考えてくれるのだ。
「あ~母さん、それなんだけどね。私とオルに聞くんじゃなくてうちの店のブレーンに相談してよ」
「ブレーンって誰なの?」
「ドリュアス君ってエルフがいるのよ。もうすごく頭がいいんだから。きっと億の借金もなんとかしてくれるよ」
「ティレア、森のエルフ様がお店で働いているの? エルフは排他的な民族よ。それなのに人間に協力してくれるなんて……」
「あっ、母さんも驚いた? ふふ、凄いでしょ。でも本当なんだから」
「信じられない……でも、仮に森のエルフ様が手助けしてくれたとして、お店の経営なんて本当にわかるのかしら」
「そこがドリュアス君のすごいとこ。ドリュアス君は、森の知恵だけでなく森羅万象あらゆる事に精通しているんだから」
「そんな凄い方が本当に手助けをしてくれるの?」
「もちろん。論より証拠、ちょっと連れてくるから。母さんはお茶でも飲んでくつろいで待っててよ」
それから地下にいるドリュアス君に事情を説明した。母さんにお店再生計画を説明して欲しいと。ドリュアス君は「我が君の仰せのままに」と二つ返事で引き受けてくれたのである。
爽やかイケメンボイスがにくいねぇ~。
今、ドリュアス君と母さんは、二人で密に話合いをしている。
小一時間後――。
母さんとドリュアス君が部屋から出てきた。ドリュアス君ならオルのような心配をしていない。きっと何か打開策を考えてくれたに決まっている。
さてさて結論はどうなったかな?
「母さん、問題なかったでしょ?」
「えぇ、えぇ。ドリュアスさんってすばらしいわ!」
な、なんか、母さんのテンションが高い。しきりにドリュアス君を褒めちぎっている。
ドリュアス、やるな。人妻までたらし込むとは伊達にイケメンじゃないね。
……くそ、なんか悔しい。爆発魔法をかけてやろうか!
嫉妬で思わずドリュアス君をギロリと睨む。だが、ドリュアス君は俺の視線に微笑みで返してくる。他者の妬みも爽やかに返す。どこまでもイケメンな奴だ。
まぁ、いい。とりあえず、借金の件はどうなったのか……。
「で、借金は……?」
「画期的なプランに長期的な視野も考慮している。あれなら借金を返済できるわ」
そうなんだ。うん、もう俺が話すより最初からドリュアス君に任せたほうが良かったね。
「ドリュアス君、悪いね。なんか骨折ってくれたみたいで」
「いえ、ティレア様の御為なら苦労を厭いませぬ」
ドリュアス君はそう言って地下室へと消えていった。去り際までカッコいいオーラーを醸し出している。俺が女脳だったら惚れていたかもしれない。
「ティレア、母さん安心しちゃった」
「そうでしょ。ドリュアス君は頼りになるのよ」
「ふぅん♪ ドリュアスさんって彼女いるのかしら?」
「さぁ~知らない。でも、イケメンだしいるかもしれないね」
「ふふ、ティレアも頑張んないとね」
「はぁ? 母さん、なんか勘違いしてない?」
「うふふ、母さんは種族の問題なんて気にしないよ」
「だから――」
「初孫はハーフエルフか……きっと二人に似て可愛い子ね」
母さんが未来の息子を見るような目でドリュアス君が去っていった方向を見ていた。
か、母さん、止めて。ビセフだけでもうっとおしいのに。
あ、でも、レミリアさんと為す子供は確かにハーフエルフだね。
■ ◇ ■ ◇
セーラは困惑していた。あれだけの凄みを見せていたオルティッシオが子供のように泣き喚いているのだ。
どうして?
確かに私は冒険者まがいの仕事をした経験もある。その時に短刀の手ほどきを指導してもらった。だが、その技術はせいぜい素人に毛が生えたようなものだ。
それなのにここまで怯えるものだろうか?
いや、騙されるな、セーラ!
娘が現れてからオルティッシオの態度は一変している。よっぽど娘を騙したいらしい。演技が真に迫っている。あれほど情けない姿を見せられたら娘がほだされるのもわかるわ。
はぁ、ティレアに謝らなきゃね。この男、本当に演技がうまい。このおびえように泣き顔、とても演技とは思えない。娘はお馬鹿だから騙されると思っていた。だけど、これほど演技が上手ければ騙されるのも無理ない話だ。
「いい加減に本性を見せなさい!」
持っている短刀を奥へぐぐっと突き出す。あたかも短刀が腹部に刺さりそうな感じだ。もちろん、本気で刺すつもりはない。あくまでこれは脅し。このペテン師の本性をあらわにし、裏の顔を引き出すのが目的だ。そうすればティレアも眼が覚めるだろう。
それから私はオルティッシオの本性を引き出そうと必死に短刀で脅してみた。貴族のプライドを粉々にするような罵倒もしてみた。
オルティッシオの態度は変わらない。
さらに一歩踏み込んだ行動を取る。ここまで言ったらまずいかもという一線を越えた言葉を放ったのだ。
さすがにやり過ぎたか……もう普通に挑発の域を越えてしまった。オルティッシオが裏の顔を出して襲ってくる可能性が高い。
怖い。何をされるのだろうか? 貴族は本当にえげつない。伝説の悪鬼の様々な所業が脳にフラッシュバックされる。
だが、娘の目が覚めてくれればいい。仮に襲ってきても必死に抵抗してやる。部屋の外にはニールゼンさん、そして何よりビセフさんが王都にいる。オルティッシオが本性を見せたらすぐにティレアにビセフさんを呼んできて助けてもらおう。私の身の危険より娘の目を覚ます事が重要なのだ。
しかし、オルティッシオは私の予想に反し、ただただ謝罪するのみである。本当にこいつは我慢強い。これだけ挑発しても抵抗のひとつしてこない。普通、これだけの挑発をしたら何かしら反発するものだ。特に、大貴族ならばそれこそプライドの塊みたいなものだ。暴力の一つでも振るってくるのが普通である。
変わらない。オルティッシオはただただ許しを乞うのみだ。
も、もしかして……オルティッシオは、ただの金持ちなだけの気弱な青年なのかも。ティレアの言うとおりの人物だとしたら……。
ううん、そんなことない。さっき本当に伝説の悪鬼以上の何かを感じたのだ。オルティッシオは尻尾を掴ませない。
埒が明かない。覚悟を決めるしかないようだ。
こうなったら多少、強引な手を使う。犯罪者になっても構わない。
私はオルティッシオの腹に短刀をちくちくと突き刺す。深く刺すつもりはないが、かすり傷くらいはついているだろう。これは温厚な人物でも切れる所業だ。いくら我慢強いオルティッシオでも限界のはずだ。
だが、予想に反し、オルティッシオは反撃してこない。私がちくちく刺す度に「やめて、やめて」と騒ぎ出す始末である。
……
…………
………………
も、もしかして、私、勘違いしちゃった……?
やむなく振りかざしていた短刀を下ろす。あれからさらに挑発を繰り返したが、のれんに腕押しであった。
そして、とうとうオルティッシオ、ううん、オルティッシオさんは泣き崩れてしまった。本気で、本当の本気で私に刺されたくなかったみたいだ。ティレアからは「弱い者いじめしたらダメでしょ」と注意され、やれやれといった眼で見つめられた。
オルティッシオさんはえぐっ、えぐっと娘の胸の中で泣いている。さすがにここまで無様な姿を見せる裏の人間など見た事も聞いた事もない。
こ、これは本当に私の見込み違いだったようだ。
あのとき、オルティッシオに悪鬼以上の何かを感じたのは気のせいだったのだろう。なまじ大貴族の嫌な記憶を持っているせいでオルティッシオさんにそのイメージを重ねちゃったのかもしれない。
オルティッシオさんには悪い事をしたわね。
「ごめんなさい」とオルティッシオさんに謝罪する。オルティッシオさんは、やっとほっとした顔つきになってくれた。
あ~なんか一人相撲をとってしまった。オルティッシオさんは、ティレアを騙していない。それは理解した。
でも、疑問は残る。じゃあ、騙すわけでもないのになぜあんな大金を娘にあげていたのか? それにオルティッシオさん、さっきは「ティレアさん」と言っていたのに今は「ティレア様、ティレア様」と言っている。なんで貴族様がそこまで娘にへりくだるのか?
はっ! そうか、わかったわ!
オルティッシオさん、本当にティレアが大好きなのね。
それからオルティッシオさんを注意深く観察する。オルティッシオさんは陶酔して娘を見つめていた。その様は、まるで女神でも見るかのようである。
こ、これは昔の知り合いに似ているわ。その知り合いはある商家の放蕩ドラ息子だった。性格はお人好しの見栄っ張り。
ある時、酒場の女に入れあげ、身代を傾けるぐらいに貢いで捨てられた。哀れな男だった。酒場の女は、言葉巧みに甘い声で囁き篭絡したのである。周囲はあんな女になぜあそこまで尽くすのか信じられなかった。だが、当人にいたってはどこ吹く風「あれほどの女はいない」と反発する。
ティレア、あなた無意識でその悪女と同じ事をしているわよ。もちろん、あなたが男に貢がせるような悪事を働くとは思っていない。できるとも思っていないし、そんな気はさらさらないでしょう。
だけど、無意識でオルティッシオさんを篭絡しているわ。オルティッシオさん、あなたの為なら平気で破産するまで貢ぐ気よ。
ティレア、わかっている? あなたは一人の男の人生を狂わそうとしているの。
ティレアは私の思いを知らず、呑気にオルティッシオさんと談笑している。
はぁ。ティレア、無自覚なだけにタチが悪いわ。実態は、魔性の女とは程遠い存在なのに……。
「ティレア! オルティッシオさんのご好意に甘えちゃだめ。人の良いオルティシオさんが破産したらどう責任を取るつもりなの!」
ティレアにオルティッシオさんに甘えすぎないように釘を刺す。
返ってきた返事はまた予想外。お店の経営は、別にブレーンがいて、その人に任せているらしい。しかも、そのブレーンは森のエルフ様だ。また新たな人物の登場に不安を隠せない。
エルフって排他的な民族なのよ。どうして、こうも娘の周りにはキワ物が集まるのか。娘はそのエルフ様を「史上最高の頭脳」とか「わが軍師」とか言っている。確かにエルフは森の知恵を持っている。
だけど、お店経営までわかるだろうか?
疑問は渦巻く。まぁ、でも娘がこれだけ太鼓判を押すのだ。そのエルフ様に会って話をしてみるのもいいかもしれない。
私は邪魔が入らない空間でそのエルフ様と話がしたいと伝える。ティレアは快諾。そして、連れてきた森のエルフ様。青髪のスラリとした長身で威厳を出しながらの登場である。
な、なんという美形なのか……。
涼やかでいて知性のある切れ長の目、エルフは総じて美形が多いと聞くが、彼はその中でも飛び抜けているようだ。
「お初にお目にかかります。ドリュアス・ボ・マルフェランドと申します」
「こ、これはご丁寧に。娘がお世話になっております。セーラと申します」
最初の挨拶から少しの雑談でドリュアスさんの類まれなる知性を感じた。そして、肝心のお店の件を話始めると衝撃を受けた。
す、凄い。凄すぎる!
ドリュアスさんは切れる、切れすぎるくらいに的確なアドバイスをくれるのだ。私が挙げたお店存続の問題点に対し、次々と解決案を出してくれる。それも適切かつ私の想像のはるか上をいく方法でだ。
いつしか私は、時間が過ぎるのも忘れて話に夢中になっていた。
そして、お店経営の話が終了――。
話終わった率直な感想だが、これほどの逸材に会ったことが無い。ドリュアスさんには、娘をこれからも見守ってほしい。
私はドリュアスさんに向き直る。
「ドリュアスさん、これからも娘を宜しくお願いします」
「もちろんでございます。お嬢様は我が身命にかけて支えていく所存です」
ドリュアスさんの確信に満ちた返答。彼ならこの言葉どおり娘を陰日向から支えてくれるだろう。聞いたところによると、ドリュアスさんはエルフの里を追われていたところを娘に暖かく迎え入れてもらったらしい。その恩に報いるため、ティレアのお店を手伝っているという話だ。なんとも義理堅い話である。
眉目秀麗で礼儀正しい。会話をする際にも私の意図をすぐに察し、気配りできる返答をしてくれる。謙虚でいてかつ自信に満ちていると言っても良い。
ティレアのお婿さんにはビセフさんが一番と思っていた。だが、これは意外なダークホースが現れたわね。ドリュアスさん、娘にまんざらでもない様子だ。種族の問題があるとはいえ、些細な事である。ティレアのように抜けたところがある子には、こういうしっかりした人がいてほしい。
ドリュアスさんが退出し、幾人かのティレアの知り合いと挨拶を交わす。
それから休憩、お茶をしながらティレアとしばし歓談した。ティレアにドリュアスさんとの仲をそれとなく聞いてみよう。
「ティレア、さっきも話したけど、母さんはエルフだって気にしないわ。あなたもそうなんでしょ」
「うん、私も気にしないよ。それどころかエルフは私が一番好む種族だから」
「やっぱり!」
「あ、でも聞いて母さん、確かにエルフは好きだけどドリュアス君とは――」
「あ~やっぱりそうなのね。初孫はハーフエルフ、きっと可愛いわ」
「そうだね。うん、私も子供はハーフエルフ希望だよ。だけどね、ドリュアス君とはぜんぜんそんなんじゃないんだからね」
ティレアはドリュアスさんとの仲を否定してくる。素直で可愛い娘だ。だが、こういう恋愛では不器用な娘らしい発言である。確かにあれほどの逸材、ティレアが尻込みするのも理解できた。
よし。ここは母親としてティレアの後押しをしてあげないと!