3話 現在の正義の味方
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三日月の夜だった。
魔法都市シャリーアの一角には、人目に付かない古い倉庫がある。
とある商会の死蔵品を貯蔵しているそこは、現在ほとんど使われていない。
しかし、そんな場所であるにもかかわらず、ぼんやりと光るものがあった。
ロウソクの光だ。
それも二つ。
フードで顔を隠した二人の人物が、倉庫にいるのだ。
二人は無言で互いに近づいていくと、「家の扉は」「よく締めろ」と小声で合言葉を言い合い、互いを確認した。
「例のもの、用意できたか?」
「ああ、最高級品だ」
片方の問いに、もう片方が答え、持っていたカバンをテーブルの上に置いた。
そして中を開く。
そこには、茶色の袋が大量に詰まっていた。
カバンを持ってきた男はその一つを取り出し、確かめろと言わんばかりに相手に渡した。
男は袋を開けると、その中にギッシリと詰まっていた白い粉を指に付け、ペロリと舐めた。
そして、頷いた。
「いいブツだ。これなら末端でもかなりの額で捌けるだろう」
「じゃあ、頂くもんをいただこう」
そう言うと、白い粉を舐めた男が、懐から袋を取り出し、中から三枚の金貨を取り出した。
「おいおい、いくらなんでも3枚じゃ……って、これアスラ金貨じゃねえか。いいのか?」
「これだけ上等な代物を用意できる奴に渡す額なら、高くはねえ。投資だ」
アスラ金貨。
それは最も価値の高い金貨である。
他国で扱われる金貨の数倍から十数倍の価値があるとされている。
そんなものが三枚。
大金だ。
この町でなら、しばらくは遊んで暮らせるだろう。
「それとも、安いか?」
「ま、まさか、とんでもねえ。十分だ」
男は返せと言われる前に、素早くそれを懐へと収めた。
それを見届け、金を払った方もまた、カバンを己の方へと引き寄せた。
それで取引は成立。
金を払った男はカバンを閉じて手に持ち、金をもらった男は懐を隠すように前を閉じた。
この後、二人は他人のように無言で別れ、粉を運んできた男は次の粉を用意し、粉を購入した男はどこかで粉を売りさばく。
それが取引における暗黙の了解だ。
「でもよ、この町で捌くのはヤバくねえか?」
しかし、そうはならなかった。
粉を用意した男が、不安そうな声を上げたのだ。
「何がヤバイってんだ?」
「この町は、龍神オルステッドが裏で牛耳ってる。魔導王ルーデウスに北神カールマン。そんな危ない連中が支配してる町でこんなもん捌いたら、ヤバイことになるんじゃねえかって言ってんだよ。それとも、その辺にはもう話はつけてあんのか?」
「んなこと知ってどうすんだ?」
「……魔導王ルーデウスは、執念深いって噂だ。アンタん所から、俺のアシまでついちゃ困んだよ」
「ああ」
男は得心がいったようにうなずいた。
龍神オルステッド。
彼は『七大列強』と呼ばれる、この世界で最強と呼ばれる武人の一人だ。
二人の配下を従えて、この魔法都市シャリーアを牛耳っている。
二人の配下。
龍神の右腕『魔導王』ルーデウス。
龍神の左腕『北神カールマン』三世、アレクサンダー。
前者は魔術師、後者は剣士だ。
本来なら、前衛として剣を振り回す剣士のほうが血の気が多く、武闘派であるとされる。
だがこの二人において、より武闘派……いや、過激派として知られているのは、ルーデウスであった。
アスラ王国のパーティにて、ある貴族に神を侮辱されたと立腹し、町を一つ燃やし尽くしたという噂もある。そこに住む住人を、皆殺しにしたのだ。
そのルーデウスは、この町を気に入り、ルード傭兵団という私兵を集め、我が物としている。
そんな町で好き勝手に『商売』を始めればどうなるか……。
「別に話なんざつけちゃいねえよ。この町にしばらくいりゃあ、ルーデウスが何を気にして、何を気にしねえかってのはわかってくるからな、気に触んねえようにコイツを流通させることなんざ、いくらでもできんだよ」
男が肩をすくめて言った。
そう、ルーデウスとて人間である。
人間である以上、好みもあるし、関心のあることにも偏りがある。
そして、人間なら、自分にとってまったく無害で、そして目障りにすらならないことに関しては、大抵無関心なのだ。
男は、そうした隙間に、粉を売りつけようというのだ。
麻薬を。
悪魔の薬を……。
そして、巨万の富を得た男は笑うのだ。
踏み台にした人々の上に建てられた豪華な家でくつろぎながら、下卑た笑いを響かせるのだ。
しかし、その時である!
「そうはさせない!」
倉庫の中に、声が響き渡った。
「誰だ!?」
二人はロウソクをかざして周囲を探る。
そして、見つけた。
頭上、天窓から一人の男が座り、見下ろしているのを。
「な……」
二人は絶句した。
秘密の会合がバレたから?
違う、月を背にしたその男が、不気味な兜を付けていたからだ。
顔全体を覆う、フルフェイスの兜。
しかし体の方はというと軽装で、その兜だけが宙に浮いているような違和感を覚えた。
「誰だ!?」
「フフ、私か? 私は闇夜に輝く銀月の騎士……」
兜の男は若干嬉しそうに言い放った。
「正義の味方、ムーンナイト参上!」
その名前に、二人は顔を見あわあせた。
そして、同じことを、もう一度聞いた。
今度は、もう少し落ち着いた声で。
「誰だ?」
「悪党め! 俺の愛するこの町に、そんなものを流通させはせん! いくぞぉ!」
兜の男は二度目の問いを無視した。
天窓からバッと飛び降り、二人の中央へと降り立った。
戸惑いを隠せない二人。
「チッ、邪魔者か! こいつは渡さねえぞ!」
だが、流通させないという意思は伝わったようだ。
粉を持った男は腰から剣を抜き放つ。
その鈍い銀色の光を見て、金を受け取った男は我に返った。
「お、おりゃ関係ねえ!」
関係ないはずもあるまいに、そんな言葉を発しつつ、泡をくって出口へと走りだした。
だが、兜の男はそれを逃さなかった。
「ムーンライト・ナックル!」
兜の男はそう叫ぶと、凄まじい速度で粉を持ってきた男の前へと回りこみ、その腹に拳を打ち込んだ。
「ぐぶっ……」
粉の男は口から血を流しつつ、膝から崩れ落ちた。
「なっ……!」
その速度と技量に、剣を抜いた男は恐れおののいた。
唐突に現れ、意味のわからないことを叫ぶ男が、自分より遥かに強い存在だと理解できてしまったのだ。
ゆえに剣を抜いたまま、近くの窓から外へと飛び出そうとした。
「ムーンライト・ストラァイク!」
しかし、やはり兜の男は早かった。
先ほどと同じように前へと回りこむと、今度は顔面に一発、正拳を打ち込んだ。
「ぐべっ……」
男の鼻は陥没し、噴水のように血を吹き出した。
男は顔を抑えながら膝をついた。
そして、困惑と絶望の入り混じった顔で、兜の男を見上げる。
見ると、兜の男は、なおも拳を握りしめていた。
「まへ、わかった、俺が悪かった、悪かったから……」
「トドメだ! ムーンライト・セレナァァァデ!」
凄まじいアッパーカットが男の顎を貫いた。
男はのけぞりながら吹っ飛び、轟音を立てながら在庫の山へと叩きこまれた。
「成敗!」
兜の男はポーズを取ってそう言うと、数秒静止した。
それから、周囲から物音が聞こえないのを確認したかのように、スッと動き出した。
向かう先は、白い粉のカバン。
彼はその中身を取り出し、地面へと叩きつけた。
「こんなものは……人を堕落させるだけだ……!」
男がそう呟くと、男の手から炎が出た。
炎は粉を焼きつくし、あっという間に灰へと変えた。
もはや、動く者はいない。
悪は滅び、悪のはびこる元凶となったものも排除された。
男はそう判断すると、「とうっ!」と叫び、天窓から倉庫の外へと出て行った。
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仮面を被った男が走る。
深夜に無人の町走る。
月をバックに、屋根から屋根へ。
すごい速度で駆けていく。
男は町の片隅。
町の発展に伴って出来た、小さな空き地へと降り立った。
何もない空き地だ。
家を立てるにしても、もう少し広くなければ厳しいだろう。
だが、そんな空き地の中央には、かなり見えにくいのだが、一本のロープが生えていた。
男はそのロープへと近づくと、グイっと無造作に引っ張った。
すると、なんということだ!
空き地の一角がボコリという音を立てて開き、下へと続いた階段が現れたではないか。
ここは、空き地ではなかったのだ。
秘密基地だったのだ!
男は周囲を見渡し、誰も見ていないことを確認すると、ぽっかりと空いた階段へと足を進め、入り口を閉じた。
空き地は元通り、空き地へと変わる。
男は静かに階段を降りていった。
暗い階段には明かりもないが、男は何度も行き来しているのだろう、躓くこともなく、最深部へとたどり着いた。
そこで男は、人差し指を立てた。
男の指先に火が灯り、部屋の中が薄ぼんやりと照らされた。
テーブルに、クローゼット。
剣に、鎧、魔道具に、スクロール。
保存食に、飲料水。
簡素だが、まさに秘密基地と言うにふさわしい内装だ。
男は入り口付近においてあったロウソクに火を移すと、クローゼットの近くまで歩いていった。
そして、兜を外した。
中から出てきたのは、緑の髪。
まだ幼さも残る顔立ちだが、十分に成人男性としての資格は有している、そんな年齢だ。
「ふぅ」
彼は満足げな息を一つ吐くと、クローゼットを開き、着替えを始めた。
黒ずくめの服装を脱いで、クローゼットから取り出した服に着替えると、もうそこには不審者はいない。どこにでもいる町人の姿があった。
彼は鏡で自分の姿を確認すると、秘密基地を出て行った。
空き地から出た後、彼は先ほどまで走っていたのが嘘だったかのように、ゆっくりと歩いた。
彼はあっちにウロウロ、こっちにウロウロと、老人のように徘徊していたが、しばらくしてある場所へとたどり着いた。
住宅地の一角。
魔法都市シャリーアに住む一般的な住民は、特に怖がっているわけではないが、用がなければ近づくことはないであろう、その家。
家を覆う塀にはビッシリと蔦が巻きつけられている。
昼間に見れば蔦には花も咲いており、おしゃれでシックな印象を受けるかもしれない。
だが、夜に見ると、なんとも不気味の一言だ。
男が門に近づくと、入り口は音もなく開いた。
門の向こう側には、誰もいない。
男はそのことを疑問にすら思わないのか、門にまで巻き付いている蔦をさらりとなでてから、敷地内に入った。
そして、懐から鍵を取り出すと、出来る限り音を立てないように、玄関の鍵を開けた。
そ~っと、玄関を開けて、そ~っと閉める。
足音を立てないように、そ~っと中へと入り、入り口の近くにあった階段から、そ~っと二階に上がろうとする。
「おかえり」
と、そこで声を掛けられ、男はビクリと身を震わせた。
「た、ただいま」
男が振り返ると、そこに白髪の女がいた。
まだ若く見える彼女は、何を隠そう彼の母である。
「ジーク、こんな遅くまで、何してたの?」
ジーク。
なんということだ!
緑髪の男。彼はジークだったのだ!
信じがたい事に、闇夜に輝く銀月の騎士『ムーンナイト』の正体は、ジークハルト・サラディン・グレイラットだったのだ。
「ああ、うん。白ママこそ、なんでこんな遅くまで?」
「偶然だよ。さっきちょっと目が覚めちゃったんだ」
彼女は硬直するジークの所まで歩いてくると、眉をしかめた。
「……喧嘩?」
「え? なんのこと?」
「首筋の所、血がついてる」
ジークは慌てて首筋を抑えた。
彼が指先を見てみると、確かにそこには、赤黒い汚れがついていた。
先ほど殴りつけた麻薬の密売人の返り血だろう。
「いや、これは違うんだよ。ちょっと途中で鼻血を出しただけで……」
「はぁ……パパが何も言わないからボクも口うるさく言わないけど、あんまり心配掛けさせないでよね」
「はい、ごめんなさい」
ジークはそう言うと、逃げるように階段を登っていった。
「もう……仕事もしないでフラフラして……」
彼の母は、そんなジークの背中を見ながら、ため息をついた。
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ジーク・サラディン・グレイラット。
グレイラット家の次男にして無職の男。
しかし、彼の職業:無職とは仮の姿だった。
彼の本当の姿は、正義の味方。
闇夜に輝く銀月の騎士、ムーンナイトなのだ。
昼間はブラブラしているように見せて酒場や冒険者ギルドで情報収集。
そこで得た情報を元に、悪の気配を察知。
深夜に活動し、人知れず悪を打ち倒す。
彼はアスラの王立学校を卒業した後、そんな毎日を送っていた。
仕事もせずに。