12話 現在の父親
僕は父のことは尊敬し、憧れていた。
とても強い力を持つ正義の味方だと思っていた。
年をとるにつれて現実を知り、父がいわゆる正義の味方ではないと知った。
でも、尊敬の念が薄れたわけではなかった。
むしろ、強まったといえる。
父は目的のため、家族のため、守るべき者のため、自分のプライドを捨て、嫌な相手に頭を下げることもできる。
あれだけ色んな所にコネクションを張り巡らせることが出来たのも、父のそうした器の大きさと努力あってのことだろう。
そうそうできることではない。
父は幻想的な正義の味方ではなかったが、現実的な努力家だったのだ。
そして結果も出している。
最近は見ていないが、それでも公の場に出ている時の父は、とても堂々としていて、かっこ良く見えたものだ。
「ハーッハッハッハッハッハ!」
そんな父が笑っていた。
階段上になった高い段差の上で仁王立ちをして、笑っていた。
すごく堂々としていた。
「私は『シャドー軍団』の長、月影の騎士ムーンシャドー! この辺りで一番の悪党だ!」
アホなことを言って、笑っていた。
かっこ良くはなかった。
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酒場から出た後、僕は地図に従って、町を歩いた。
『シャドー軍団の秘密基地』。
地図にはご丁寧にもそう書かれていて、なんとも肩の力が抜けた。
場所は、倉庫街の一角にある倉庫だった。
なんの変哲もない倉庫。
そこを探ってみると、あっさりと地下への階段を見つけた。
地下への階段から下へと降りると、そこには転移魔法陣が設置されていた。
その転移魔法陣に乗ると、それまでと違う、石造りの建物の中に出た。
牢屋のような暗い場所に、ロウソクの明かりがポツポツと灯っていた。
最終決戦のような雰囲気は、師匠の提案だろうか。
そんな風に思いながら、廊下を歩いた。
廊下を歩いている間の僕の心理は複雑だった。
父は僕に、何を言うのだろうか。
叱るのだろうか。それとも違うのか。
厳しい言葉なのは間違いないだろう。
第一声は何なのか。
どんな厳しい言葉なのか……。
想像するも、思い浮かばなかった。
今すぐここから逃げ出したかった。
なぜここにいるのか。なぜここにきてしまったのか。
そう思いながらも歩き、辿り着いたのは謁見の間のような場所だった。
高い天井は六本の柱で支えられており、柱の近くには篝火が設置され、昼間のように明るかった。
さらに部屋の奥には、謁見の間のような階段上の段差があった。
段差の頂上、そこには巨大なレリーフが設置されていた。
角の生えた骸骨という感じだろうか、とにかくチープな悪っぽいやつだ。
そしてレリーフの前にはシックな椅子が置かれ、椅子には一人の男が座っていた。
父だった。
黒い仮面をかぶり、黒いマントを羽織っていたが、僕が見間違えるものか。
マントの中から覗けるねずみ色のローブは、一年前に白髪の母が選んだものだ。
そして、ローブの下に着込んでいる、あの鎧。
剣聖クラス以上の斬撃でしか傷が付かない上、装着者の魔力で身体能力を何倍にも引き上げる。
その名も、『魔導鎧』。
魔力の消費量が大きすぎるため、この世で魔導鎧を身につけられる者は、ただ一人しかいない。
だからこそ、その名を冠するのだ。
そう呼ばれるようになったのだ。
『魔導王』ルーデウス・グレイラット、と。
「ハーッハッハッハッハッハ!」
父は僕を見つけると、立ち上がって笑った。
「私は『シャドー軍団』の長、月影の騎士ムーンシャドー! この辺りで一番の悪党だ!」
散々考えていた第一声は、そんなのだった。
厳しい言葉だった。
厳しすぎた。
とてもつらかった。
自分でやるのはいい。
正直、自分でやっている時は、カッコイイとすら思っている。
でも、尊敬する父がやっているのを見ると、なんていうか、こう、キツイ。
父はもう40歳を超えているのだ……。
それが、あんな……うぅ……。
尊敬する父の像がガラガラと崩れ落ちていくのを感じる。
オルステッド様の隣に立ち、理知的で聡明にアドバイスをする父。
オルステッド様の代わりに各国に飛び、各国のトップ連中とバチバチとやりあう父。
時に敵とかち合えば、その魔術で蹴散らしていく父。
そんな僕の父親像が粉砕され、粉になっていく。
師匠?
あの人は、いいんだよ。そういう人だから。
「パパ……もう、やめてよ」
「アイム、ノット、ユアファーザー」
父はそう言って、バサッとマントを翻した。
「ミスターシャドーと呼べ」
「いや……」
ダサい。
辛い。
なんでこんな仕打ちを受けないといけないんだろう。
なんで尊敬する父の、こんな姿を見せられなきゃいけないんだろう。
これは、バツなのだろうか。
僕が無職でいたから。
結婚も仕事もせず、腐っていたから。
正義の味方とか言いながら、弱い者イジメをしていたから。
だから、父はこんなザマになってしまったのだろうか。
「パパ」
「クク、貴様が最近我らのシマで暴れまわっているという、ムーンナイトか、よくぞここまでたどり着いた……」
「パパ、もう、いいから」
「何をそんなにオドオドしている。ククク、俺が怖いのか?」
「そういうの、もういいから、パパがやってるの見ると、正直痛々しくて、見てられないっていうか、辛いから、僕が悪いことをやってるのはわかってるから、もうやめてよ……」
父はその言葉に動きを止めた。
「イタい?」
「うん。正直、かなりきついです」
「……そっか」
父はしょんぼりと肩を落とした。
そして、兜を外した。
その下から出てきたのは、やはり僕の父、ルーデウス・グレイラットだった。
もしかすると、兜の下には違う顔があるかも……とも思ったが、その儚い希望はもろくも崩れ去った。
「なんで、そんな格好してるんですか?」
「お前が俺のこと避けてるから、正体を隠した方がいいと思ったんだよ」
避けている。
それは、確かにそうだった。
僕はこの一年、父をずっと避けてきた。
今だって逃げ出したいぐらいだ。別の意味で。
「それなら、もっとちゃんと隠してください」
「いや、パパだとわかってもらえなかったら、ゲロ吐くぐらい悲しいから」
だからそんな中途半端なのか。
父らしくもない。
「……確かに、パパが本気で変装したら、僕には見破れないと思いますけど」
「パパは変装が得意だからね」
父は仕事柄、よく変装をする。
僕は一度も見たことはないけど、変装を見破られて失敗したという話は聞かない。
「師匠はどうしたんですか?」
一応、聞いておく。
正直、父がいることは予想できていた。
とはいえ、父と会う前に、師匠――イナズマとの対決があると思っていた。
僕に戦う理由など一切無いのだが、師匠はそういうことをやるタイプだからだ。
「ククク、アレクか……奴はいない」
「どうしたんですか? あと、その口調やめてください」
「息子との対話を邪魔されたくないと言ったら、遠慮してくれたんだよ」
「あ、そうなんですか」
師匠も、あるいは最初は僕と対決するつもりだったのかもしれない。
けど、昼間の会話で、十分だと感じたのだろう。
相談する相手は別にいる。
あの言葉で、自分からはもう何も言うべきではないと悟ったのだろう。
「……それで、こんなお膳立てをしたからには、何か話があるんですよね?」
そう言うと、父はぐっと喉を鳴らし、視線をキョトキョトとさせた。
「コホン、うむ、ジーク。お前も俺と話すのは嫌だろうってのはわかってるんだが、ママたちにも言われているしな、そろそろお前とその、えっと、いや、うん、何もお前を責めようってことじゃなくてだな、今日が嫌だったら、後日改めてでもいいんだけど」
「パパ!」
「ん?」
「もう少し、シャキっとしてください。尊敬してるんですから」
「……してるの?」
「はい。子供の頃からずっと」
そう言うと、父はきょとんとした顔をしていた。
そんなこと、想定していなかったという顔だ。
でも、僕らグレイラット家の子供たちは大体、父のことを尊敬している。
姉も、兄も、妹も。
ララ姉だけは、ちょっと尊敬とは違う感情を持ってるだろうけど、でも父のことを見下しているわけじゃない。
僕らは皆、少しずつ違うけど、父を尊敬している。
「そっか、尊敬されてるのか……ふふ」
「それで、話があるんですよね」
「……ああ。そうだ。お前に話がある」
「じゃあ、ここでは何ですし、場所を移しましょう」
僕がそう言うと、父はうなずき、
「そうだな。座れる場所がいいだろう。いくか」
バサッとマントを翻した。
やめて。
□
それから、二人で元来た道をもどり、酒場へと移動した。
『酔いどれゴブリン』だ。
どこでも良かったのだが、父が場所を決めた。
僕が慣れていて、緊張しにくい所がいい、と言って。
店は満員だったが、店に入るとゴブリンたちの何人かが怯えて退店した。
父を恐れたのだ。
今日という日でなければ、僕も彼らの仲間だったろう。
父は一番奥の席を陣取った。
そして、やや緊張気味の給仕に、適当な料理と酒を持ってくるよう注文した。
「……ジークは、酒は飲めるんだっけか?」
「飲めますが、卒業式以来、飲んでません」
「じゃあ、少し飲むといい。話しにくいなら、酒の力を借りるのもアリだからな。うん」
父が前に座っている。
ふたりきりだ。
緊張する。
今まで父とふたりきりで話すことなど、そうそうなかった気がする。
いや、そんなことはないか。何度かはあった。
でも、こう、畏まってとなると……。
しかし、緊張しているのは、父も同じらしい。
どうにも、落ち着きが無い。
何か、言い難いことでも言うのだろうか。
「……」
「……」
二人して黙りこくっていると、料理と酒が運ばれてきた。
「じゃあ……乾杯?」
父が杯を持ちあげてそんなことを言い出した。
「乾杯って、何に?」
「……なんでもいいだろ」
「適当だなぁ……乾杯」
杯を打ち鳴らし、ゴクリと飲む。
あまり美味しいとは感じないのは、この店にある酒が安酒だからだろう。
「いや、中々うまいな。料理も酒も」
「パパは、もっと美味しいものを、毎日食べてるでしょう」
「ママの料理は美味しいけど、毎日は食べてないさ、出張が多いからね」
「その出張先でさ」
「……出張先での料理は、味わうもんじゃないからね。基本的にマズイよ」
父にとっては王宮で食べる料理も、チンピラの集まる安酒場の料理も、そう変わらないということだろうか。
「一番うまいのは、家族と食べる料理だ。だからこの料理もうまい。ママの料理に比べると、若干味は落ちるがね」
父はそう言いながらも、食が進んでいるわけではない。
こちらをチラチラと見ながら、フォークで煎り豆を弄くっている。
仕方ない、僕から切り出すか。
「それで……なんでこんな茶番を?」
「お前と、話がしたいんだ」
「だから、その話というのは、何なんですか? そろそろ本題に入ってくれてもいいんですけど」
そう言うと、父は一瞬、きょとんとした。
それから、「ああ」と一人で納得し、言い直した。
「お前の、話が聞きたいんだ」
話をしたい、ではなく、話を聞きたい。
「それは、パパから僕に言うことは、何も無いってことですか?」
「それは、お前の話を聞いてみないとわからない」
父は、僕の現状をなんとも思っていないということだろうか。
サリエルと結婚もせず、さりとて何か仕事につくわけでもなく。
毎日そのへんをブラブラして、夜中になったら悪党をぶん殴る。
そんな現状に。
「それは、パパが、僕にもう、期待していないから、ですか?」
意を決して、そう聞いた。
すると、父はきょとんとした顔で僕を見た。
質問の意味がわからないと言わんばかりだ。
あるいは真面目に聞いていないのか、右手と口だけが動いて豆をポリポリと食べていた。
「なんでそう思う?」
「なんでって……」
僕の口から言わせたいのだろうか。
「パパは、僕とサリエルを結婚させたかったんでしょう? それを期待してたんでしょう?」
「したらいいなとは思ってたよ」
父はそう言って、エールをぐびりとあおった。
「結婚しなかった理由、聞かないんですか?」
「どうして結婚しなかったんだ? サリエルちゃん、いい子だろ? 胸も大きいし、アリエル陛下の娘だから、多分夜の方も凄――」
「パパ!」
「ああ、ごめんごめん、で、なんでだ? あの子のこと、嫌いなのか?」
結婚しなかった理由。
それは、この一年間で、何度も考えた。
何度も何度も考えた。
「嫌いじゃありません。いい友人だと思っています。でも、サリエルとは……なんていうか、話が合わないんです。二人きりだと、会話が長くつづかなくて、沈黙が苦しいんです」
「ほー」
「多分、結婚しても、苦しいのが続くんだと思います。だから、結婚するって言われても、あんまりいい想像が出来なくて……。とにかく、無理なんですよ。あの子とは、結婚なんて」
「なんか言い訳くさいな……」
父はそう言って、また豆をポリポリと食べた。
そうだろうさ。
これらは、あくまで後付けで考えた言い訳にすぎないんだから。
「でもま、いいんじゃないか?」
そう、思っていると父は言った。
「無理に結婚する必要もないさ」
あっさりと。
気楽な感じで。
「でも、パパはアスラ王国と、もっと関係を強化したかったんでしょう?」
「まあ、違うと言えば嘘になるな。アリエルもそうしたいみたいだし、実際、うちの誰かがアスラ王家と縁戚関係になれば、俺のアスラ王家での発言力も増す。今後の活動も楽になるだろう」
「だったらさ」
「でもな」
僕の言葉を遮って、父は言う。
「お前がしたくないなら、しなくていいのさ」
当たり前のことのように。
「そんなことより、お前がやりたいことを優先すべきさ。正義の味方。ムーンナイト。いいじゃないか。ママたちはいい顔しないだろうけど、パパは応援する」
大げさに手を広げて、そう言った。
「正直、知った当初は幼稚だとも思ったさ。でも、最初はみんなそんなもんだ。
いきなり凄いことが出来る奴なんていない。
今は町の小悪党を小突いている程度だろうが、
お前の実力なら、どんどん規模を拡大して、もっと大きな巨悪を打ち倒す存在になるかもしれない」
そこまで考えてやっていたわけじゃない。
人助けをしたいのなら、悪と戦う必要もないのだ。
昼間のように、道で困っている人に声を掛けて、助けるだけでいいのだ。
悪と戦っているのは、師匠が言った通りだ。
憂さ晴らしなのだ。
「違うんだ」
「違う? ああ、お前はもっと身近な平和を守りたいのかな?」
「パパ、違うんだ」
絞りだすように言う。
「僕は正義の味方を諦めたんだ」
そう、もう、諦めたのだ。
アスラ王立学校で、父の威を借りていたと悟ったあの日に。
僕は正義の味方ではなく、正義の味方にもなれない、と。
「確かに、正義の味方にはなりたかった。
チェダーマンになりたかった。
でも、もう、違うんだ。僕はもう、諦めたんだ。
僕がやってるのは、紛い物。ただのごっこ遊びなんだ」
きっかけは単純だった。
卒業式を終えて、帰ってきて、ブラブラとしていた所、魔法大学の生徒がチンピラに絡まれていたのだ。
それを助けると、彼女は「ありがとう」と言ってくれた。
彼女は僕のことを知らなかった。
魔法大学の一年生で、この町にきてすぐだったそうだから、恐らく父のことも知らなかった。
いずれ、父のことも、僕のことも知ることになるだろうけど、知らなかった。
知らなかったけど、彼女は僕に「ありがとう」と言ったのだ。
緑色の髪は不気味で、怖かっただろうに、「ありがとう」と。
「ごっこ遊びでも、お前に救われた者は確かに存在するし、いいと思うんだけどな……。バスチールは怒ってたけど……」
父は訝しげな顔をしていたが、僕を覗き込むように顔を近づけてきて、聞いた。
「でもじゃあ、お前は本当は何をしたいんだ?」
「……」
答えられるはずがない。
僕が本当にやりたいことは、父のやろうとしていることに反するのだ。
「……」
しばらく、黙っていた。
言葉を探していたわけじゃない。
ただただ、黙っていた。
すると父は、エールを飲み干して、おかわりを注文した。
僕もそれに習うように、飲んだ。
飲んだ所で、言葉が出てくるはずもない。
僕は昔から、あまり酔っ払わないのだ。
「……王立学校から戻ってきた時、お前は、なんていうか、すごく傷ついて見えたんだ」
そこで父が、ぽつりと言った。
視線は皿の上。そこにあるのは、食べ残した一粒の豆だ。
父が豆を指先で転がすと、カリカリともコロコロとも言えない音がかすかに聞こえた。
そんな音に合わせるように、父は言った。
「生きていれば、傷つくこともある。
それが原因で停滞することもある。
パパだって経験がある。何度もな。
特に一度目は酷かった。
世の中の色んな物のせいにしつつ、なんで自分は何もしなかったんだと後悔した。
でも、その酷い後悔は、後の俺にとって必要なものだったんだって、今では思うよ。
だからお前が傷ついているのを見た時、ママ達には、しばらくそっとしておく方がいいと言っておいたし、放っておいたんだ」
エールがきた。
父は豆をつまみ、口に含んだ。
コリコリと噛み砕き、エールで流し込んだ。
父は、すでに酔っているようだった。
僕と違って、父は酒に強いわけではないのだろう。
いつもより、口が軽い。
「そしたら、お前はいつの間にか、正義の味方を始めていた。
俺はお前が、子供の頃から正義の味方に憧れてたことを思い出したから、それが本当にやりたいことだと思ってた。
でも、なんだか最近のお前は……いや、俺は直接見てたわけじゃないんだけど、お前の周囲の人の話を聞くとな。どうにも、お前は、楽しんではいるけど、イマイチ乗り切れていないというか、腐っているように見えるっていうんだ」
「周囲の人って?」
「ママ達と、ララと、リリと……あとジョルジュもだな。ララとジョルジュ以外は、お前が正義の味方をやってるって知らないけど、それでも何か、感じ取れる部分があったんだろうな」
父はそう言って、エールを飲み干した。
それからげふりとゲップをし、大きく息をすった。
「だから、今日は、お前の悩みを聞きに来た」
お前の話を、ではなく、お前の悩みを。
これが、本当の目的だったのだろう。
「じゃあ、普通に、呼び出したりとかしてくれれば……」
「お前は、俺に悩みを打ち明けてはくれないだろうなって思ってたんだよ。
お前はずっと俺のことを避けてたし、やっぱ、ある程度の歳になってくると、親に悩み相談って、中々しにくいだろ?
話して楽になるとか、解決できるとかだったら、別の親じゃなくてもいいわけだしさ……。
だから、まあ、ちょっと、一芝居うったんだ。
お前に合わせてさ、せめて俺はお前のやってることに理解があるんだぞって言いたくてさ」
なるほど、だからあんな真似をしていたのか。
父は父で、僕から悩みを聞き出すのに、色々と迷ったのだ。
そして、迷った挙句、悪の首領と三杯分のエールが必要になったのだ。
「それが尊敬してるって言われて、びっくりしたぐらいだ。嬉しかったけどな」
「僕は尊敬してるパパがあんなことになってて、びっくりしました」
「あはは、ごめんごめん。もっとちゃんとやるべきだったよな。
パパ、こう見えて演技は得意なんだ。
悪役を演じて、一国の騎士とお姫様をくっつけたこともあるんだぞ」
「憶えてるよ。騎士リーンハルトと悪の大魔術師ルード・ロヌマーの話でしょう?」
懐かしい話だ。
父の英雄譚の一つで、少し間抜けな感じのエピソード。
父はある国の騎士と姫君をくっつけるために悪の魔術師となり、姫君をさらって、騎士の少年に助けさせたのだ。
あのレベルでやられていたら、きっと僕は父とわからず、見事に騙されていただろう。
「で、その……」
父はまた豆をコロコロと転がした。
癖なのだろうか。
「お前の悩みってのは……別に、やりたいことがあるってことで、いいんだよな?」
チラチラと僕の方を見ながら、言いにくそうに。
あんな姿を見てはしまったものの、父のことは、変わらず尊敬している。
偉大で、勤勉で、強くて、優しい。
だから、もっとビシッとしてほしいとも思う。
けど、なぜだろうか。
今の父の姿は、今まで生きてきて、一番、親近感を覚えた。
一番好きかもしれない。
「……はい」
「言ってくれるか」
息を吸う。
吐く。
胸に手を当てると、心臓がばくばくと動いていた。
今まで、一度も口にしなかったことを、言おうとしていた。
父に。
まず父には言わないだろうと思っていたことを、父に。
「僕は、パックスに、付いて行きたかった」
言った。
「パックスに……王竜王国にってことか?」
「卒業式の日。僕はパックスについてきてくれと言われたんだ。そうしたかった。あるいは何日か時間をくれれば、僕はきっと、彼についていったと思う」
そう言うと、父は目を見開いた。
何かを言おうと口にして、しかし、落ち着いた様子で聞いてきた。
「なんでそうしなかったんだ?」
「パパを裏切ることになる。パパはアスラ王家との関係を強くしようと思ってるだろうけど、パックスは王竜王国の人間だ。それも、王竜王国の中でも疎まれてる。僕がそんな彼の所に行ったら、うちに男子はいなくなる。アスラ王家との繋がりを強くすることもできなくなる。それどころか、王竜王国との関係だって悪化する」
一息に、そう言った。
父は口を半開きにして、悲しそうな顔をした。
でも、すぐに表情を戻した。
「なんだ、そんな理由か」
「そんな理由って……」
ずっと悩んでいたことを、気楽そうに言われ、少し怒りがわく。
「なぁジーク。確かに、パパとアスラ王国の陛下は友人だ。特に白ママと陛下は親友といってもいいレベルだし、家族ぐるみで付き合っていければいいと思っている。でもな、それぐらいだ」
「それぐらいって?」
「アスラ王家との関係を強化するとか、アスラ王国内で発言力を増やすとかは、比較的どうでもいいってことさ」
「どうでもいいって……でもさっきは」
「確かにそうなればいいとは言ったよ。でも、さっきも言ったろ。お前の将来と天秤に掛けるレベルじゃない。アスラ王国との関係強化なんて、そんなもんだ」
それは、とても衝撃的なことだった。
それがどうでもいいなら。
なんで僕は、今まで……。
「でもパックスの一件については、確かに、俺の立場からすると、少し難しい」
苦悩する僕に、父は淡々と説明してくれた。
父はパックスの父親の死に深く関係しているし、彼の教育係にも頼まれているから、何かあったら助けたいと思っているということ。
けど、王族のお家事情には、なかなか口出しをしにくいということ。
その上、王竜王国の王家は、建前上は彼をぞんざいに扱っているわけではないということ。
それが証拠に、爵位と領地を与えたと言っていること。
爵位と領地を持つということは義務と責任が発生するということ。
とでも言われれば、向こうの建前は完璧で、父はそれ以上に口出しをすることは難しくなるということ。
支援しようとしても、父の立場だと王家を通さなければ、金も物資も送れないということ。
そして王家を通せば、なんのかんのと邪魔をされて、届かないだろうということ。
もちろん、隠れて金や物資を送ることは出来るし、実際にこの一年でいくらか支援もしたが、領地を運営できるような量ではなく、微々たるものだということ。
領地を経営できるレベルでの支援をすると、かならず王家に見つかるだろうということ。
見つかれば、今まで築き上げてきた王竜王国との関係に、大きな亀裂が入るだろうということ。
「こうなる前に手を打てればよかったんだが、気づいたら周到に用意されてしまっていてね……。シーローン王国が滅んだことで、安心してしまっていたんだろう。人は『邪魔』って理由で誰かを殺そうとするものだとわかっていたのにね」
そこまで説明した後、父は僕を見た。
「でも、口出しにくいというのは、あくまで、俺の立場での話だ。お前が友人として、一人で駆けつけるというのなら……それは個人のことだ。誰もノーとは言わないだろう。だからむしろ、お前がパックスの所に行きたいというのは、助かるぐらいだよ。ジーク」
ああ、そうか。
同じなんだ。
父にとっては、サリエルとの結婚も、パックスを助けることも、同じなんだ。
父はその気になれば、僕に「パックスについて助けてやれ」と言うことはできたんだ。
でも、父は僕に言わなかった。
「サリエルと結婚しろ」と言わなかったように。
父という権利を使って、僕に背負いたくない重荷を背負わせないように、してくれたんだ。
「でも、いいんですか? 本当に?」
そのことを再確認するように、僕は聞いた。
父はもちろんと言わんばかりに、頷いた。
「ああ、でも俺から大々的な支援はできない。お前が俺の息子でも、それは変わらない」
「そうじゃなくて、僕が行ったら、パパが王竜王国から何か言われるんじゃないんですか? 個人とはいえ、僕、これでも一応、北神流の北王ですよ?」
「まー、少しは……いや、でもなジーク。それをお前が気にすることは無いんだ」
父はそこで、エールをやや多めに飲んだ。
そして、口元を拭って……いや、拭う振りをして口元を隠しつつ、少し恥ずかしげに言った。
「パパが守りたいのは平和でも関係でもなく、お前たちなんだからね」
その言葉の意味を、僕はうまく理解できなかった。
でも、ニュアンスは伝わった。
「パパのことなんか気にするな。なんだったら、お前はパパの敵になったっていいんだ」
「パパの敵には、なりたくありません」
「そりゃ、敵になることは不幸だし、避けたいよ……でもな」
父は最後の豆を食べ、エールを飲み干した。
もう、顔が真っ赤になっている。
「もし、やりたくもないことを毎日やっていて、ある日パックスの訃報を聞いたら、お前は一生後悔するぞ。もう、二度と立ち直れないぐらいにな。それは、パパの敵になるより、ずっと不幸なことだと思う。パパは、お前に不幸になってほしくない。それはパパがお前を守れなかったってことになるからね」
つまり、パパは僕に自由にしてほしいんだ。
そして僕は、自由にしていいってことだ。
じゃあ、いいのか。
僕は、パックスの所にいっても、よかったのか。
最初から、良かったのか……。
「……わかった。パパ、ありがとう」
礼を言う。
すると父は、椅子をガタガタと動かして、僕の隣にやってきた。
そして、背中をバシッと叩いてきた。
「出る時は、ちゃんと皆に挨拶していけよ」
「はい」
「でも、今日はパパと飲むんだ。ずっと避けられていて、寂しかったんだからな」
「……はい」
話は終わった。
師匠の言うとおりだった。
話すべき相手に話せば、僕の悩みは解決した。
あっさりと。
「ひっく……お姉さん、エールの替え玉よろしく。大盛りでね」
代償として、父は完全に酔っ払ってしまっていたが。
□
その日、父はとても上機嫌でエールを飲み続けた。
酔っ払って母たちがいかに可愛いかを語り、よくわからない歌を歌い、大声で騒ぎ、給仕の尻をなでて嫌がられ、閉店時間に伴って店から出たら、店の前でいきなりゲロを吐いた。
酔い冷ましの解毒魔術を掛けようともしたが、頑として拒まれた。
家に帰るまで、父はとても上機嫌だった。
僕の肩に手をやって、赤い顔で歌を歌った。
ムーンナイトのテーマソングだった。
一緒に歌えと言われ、僕も歌った。大声で。近所迷惑を考えずに。
はっちゃけた父の姿は、とてもダサく、みっともなかった。
父にこんな一面があるとは、思ってもみなかった。
普段からこんな姿ばかり見せられていたら、きっと尊敬なんかしなかっただろう。
でも、なぜだろう。
今までで一番好きな姿だった。
かっこ良いわけがないのに、なぜかそう思えた。
「ああ、そうだジーク」
家に戻ってきて、門の前に立った時、父はふと僕に呼びかけた。
「最初の質問に答えるぞ」
組んだ肩をぐっと寄せて、酒臭い息を僕に浴びせながら、父は小声で言った。
「頑張れよ、期待してる」
「……はい」
僕はスッキリとした気分で、頷いた。