下を見下ろすと地面が見える。
二階から見ても、三階から見ても地面がある。
階段を上るたびに地面は遠くなる。
それとともに位置エネルギーが増加する。
(落ちたら死ぬかな?)
彼は死にたがっていた。
(どうやったら死ねるかな。どうやったら背骨が折れるかな。どうやったら首の骨が折れるかな。)
何度も何度も落ちるシュミレーションをする。
そう、
シュミレーションするだけ。実行する事はない。
なぜなら死んではならないからだ。
親が悲しむ。
自分にかけてくれた金が無駄になる。自分に接してくれた人の優しさが無駄になる。
無駄は嫌いだ。
でも死にたかった。
気にしている癖を見てからかわれる。気にしている顔のことを言われる。悪口がうるさい。物が無くなる。自分の声が気持ち悪い。物忘れがひどい。
要約すると自分が嫌いだ。
この体
この頭
この脳
この感情
この性格
全てが嫌いだ。
生きていても仕方ない。周りは僕を必要としない。性格のせいで他の人にも話せない。
自分は作り替えることはできない。なら、初めからやり直したい。
そう考えていた。
そんなときに
「それがどうした。」
突然思い浮かんだ言葉だった。
何の変哲も無い、強がる時に使う言葉。
このたった一言で私は下を見下ろすことをやめた。
自分が嫌いだ。
それがどうした。
嫌いでもいいじゃないか。
悪口がうるさい。
それがどうした。
言いたいやつには言わせておけ。
物忘れがひどい。
それがどうした。
忘れたなら覚えなおせばいいじゃないか。
メガティブをポジティブに。
たったそれだけの考えを出すために五年掛かった。
それと同時に、
常識と言う言葉に対して本能的に嫌悪していた。
理由は大体見当はついている。
常識は知っていて当然の知識、考え方のことだと私は思っている。
同時に常識を知らない人、理解できない人は非常識な人と言われる。
非常に腹が立つ。むかつく。
知るすべがないのに知らないとばかにされる。
中には努力が足りないと言う者もいる。そんな事を言う奴ほど、このことは知らないだろう。
知っていることは一人一人違う。
なら、みんなが知っていることはあまり無いはずだ。
つまり
常識は存在しない。
そして
使ってはならない差別用語である。
私は強くそう思う。 |