言葉は最大の凶器だ。
人は言葉で人を壊すことが出来る。
言葉だけで、殺すのは不可能だが、行動の動機を作りだすことは可能だ。
どんなに屈強な人間でも、弱い部分が必ずある。
そして、その部分を
巧妙に。
的確に。
少しずつ……。
少しずつ揺らし続ければ。
心が崩れ。
支えを失い。
周りを信じられなくなり。
いずれ……壊れる。
壊れずとも、正常に戻ることは難しい。一生、病院のベッドの上で過ごす人も少なくないだろう。
だから、言葉の使い方には細心の注意を払わなければいけない。
人は表情に見せなくても。
自分自身が気付いていなくても。
心は傷を負ってるかもしれないのだ。
それが積み重なり、限界に達してしまった時、それは予想外の行動となって現れる。
その行動は二つに分類する事が出来る。
それは。
自らの破壊か他者の破壊だ。前者なら、まだ引き返すことは出来るが、後者ではそうはいかない。
その行為は大なり小なり、犯罪として裁かれる事になるからだ。
裁かれると分かっていようとも、多くの者が後者を選ぶだろう。
理由はたくさんある。しかし、核となるものはこれだろう。
“痛みを感じないから”
後者を選ぶ者は、とても心が弱いのだと私は思う。
自分は傷付けられないが、他者を傷付けるのは何とも思わない。
そういう者は、たとえ、人をあやめてしまっても。
「なんだ。もう動かないのかよ」
っと、まるで、遊んでいた玩具が、壊れて動かなくなったかのように。
それから、興味を無くし、何事も無かったように、立ち去ってしまうだろう。
これは、極端な例だが、あながち間違っていないと思う。
一般例を出すとすると、極めて多いのは、家族、友人、学友、初めてあった人、力のない人
自分を良く知っている人か、全く知らない人に分けられると思う。
家族、友人、学友などは、自分の事を知っているために、自分の触れられたくないところに触れようとしてくる、それが鬱陶しいから殺してしまう。
初めてあった人、力のない人などは
“知らない人”
だから、殺してしまっても、罪悪感を感じることがないためだ。
もしかしたら、そこいらに飛んでいる虫などを、ぷちっ、と潰すようなものかもしれない。
これで私の話しを終わりにしよう。
最後に付け加えるなら。
これは、誰にでも言える事だ。どんな人にも感情があるのだから。
心は脆いものだから。
言葉を使うとき、私達は細心の注意を払わなければならない。
会話でも、電話でも、手紙でも、パソコンや携帯のメールでもだ。
もし、ちくっ、と心が痛んだら気を付けて欲しい。
それは。
心があなたに危険を知らせるメッセージなのだから。
だからといって、人と距離を置こうとしていけない。
ますます心が病んでしまうからだ。
そんな時は気が置けない友人と、何も考えず大いに楽しめばいいだろう。
それが一番の心の休息になるはずだ。
決して、人との交わりを避けてはいけない。
人は一人では生きていけないのだから。 |