親父の背中は語る
まだだ、まだ私は二つ変身を残しているぞ。。
親父の背中を見て思う。あれほど痛々しくて、他を圧倒する背中は無いと思う。
「どうした、タカシ?」
俺と親父は銭湯に来ていた。けれど、俺は正直来るのを拒んだ。自分の親父を奇異の目線で見られるのが怖かったから。
だが、そんなことはお構いなしと、来ていたシャツとズボンを一気に脱ぎ捨てる。親父は惜しげもなく背中をさらすことに抵抗など無かった。
額は後退し、顎や腹回りがたるみ始めてきたが、親父が潜り抜けてきた修羅場を刻まれた身体を覆い隠すには少なすぎた。
銭湯にいる全ての男達が親父の背中を見るなり、慌てて眼を逸らす。中にはその背中に押された親父の生き様を見て、呆然と立ち尽くす人も居た。
そんな中、海を割るモーゼのように親父は人を退かせ、悠々と湯を浴びる。
俺が身震いするほど熱いお湯を、親父は微動だにせず浴び続ける。その背中のもう一人の親父が、お湯を受けて映えた。
その間ですら、回りの人間は親父の背中から目を逸らせない。それは魔力と表現するべきなのだろうか。親父を羨望の眼差しで見つめる男もいたのだ。
湯を浴びた親父は、そのまま身体を洗い始める。真っ赤な垢すり用タオルをびしっと背中に背負い、ガシガシと背中を泡が覆う。
それでも親父の背中の凄みは衰えない。それどころか、さらに注目を集めているような気がしていた。俺はそんな親父のすぐ後で、背中合わせに体を洗った。
親父と同じように背中を擦っていた俺は、以前親父が背中のことについて熱く語っていたことを思い出した。
――いいか、タカシ。男ってモノはな、表で語っちゃいけねえ。男は裏、背中で語ってこそ男ってもんよ。
どこかで聞いたことのあるようなセリフを自分流に言い直したようだが、それでも幼い頃の自分にとって、親父の背中は恐れの対象でもあった。
パンッ、と親父はたるんだ腹を叩く。その音に引き連れられるように、俺は親父と共に一際大きな風呂へ身を沈めた。
やはり周りは親父を恐れる。ぎっしり詰まっていた浴槽の中で、親父はど真ん中を一人で占領していた。
俺は尊敬しながら、周囲の人間の中に紛れるように親父の背中を見ていた。
早風呂の親父は、体中を真っ赤にして浴槽の真ん中で立ち上がる。
それと同時に、親父を囲んでいた人々は分かれ、親父の行く先を譲った。
真っ赤なタオルを右肩に掛け、前を隠さず堂々と脱衣所まで進む親父。
そして、脱衣所に入っても親父を見る目は変わらない。それほど、親父が背負ったモノは一般人には凶悪に映る。
盛大に焚かれたかがり火に似た紅と、異物が入る余地の無い白色。その二つが交差して出来る絵は、同じものを背負う者から見ても畏怖に値した。
親父はそんな中で、シニカルに笑みを形作った。
「外で風呂に入ると、注目を浴びていけねえ」
言っていることと裏腹に、親父は満足そうに頷いた。
「おめえも、いつかは俺みたいな大物を背負える男になれよ」
その背中に彫られた刺青を揺らして、豪快に笑う親父。
「うん、俺も親父みたいに大物を背負う男になるよ」
本心を口にして、「でも、」と心の中で付け足した。
――でも、親父みたいに巫女さんキャラの刺青は背負いたくねえよ。
まだはっちゃけが足りない。