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1章-3 目から最終兵器
     *

「向こうに逃げたぞ」
「追え!」

 衛兵たちはありきたりな声を上げて追ってくる。シーグは城壁に沿って生える木を見上げながら逃走していた。

「これがよさそうだな」

 そうつぶやくと、枝に手をかけて逆上がりの要領で飛び乗った。するすると幹を登りつめ、城壁に飛び移ると、壁のデコボコを足がかりにして更に上を目指す。サルのような身軽さで、またたく間に城壁の頂点までたどり着いてしまった。
 衛兵たちはまったく気づかずにシーグの真下を通り過ぎてどこかへ行ってしまった。城壁の上からは、壊れたチャリオットから這い出てきた三人組が見えた。その内一人が焦げてまだら模様になったマントを引きずっている。

「黒こげのマントは縁起が悪くないのかな?」

 どうでもいいことだと思い、シーグは鼻で笑った。後ろを振り返ったシーグは目を丸くする。無骨な城壁からは想像もつかない光景が広がっていたからだ。
 まず目を奪われたのは都の中心に広がる湖である。湖面はまるで鏡のようで、空の青や雲の白を写している。南風を帆に受けて青い湖面を進む船が、空を飛ぶ鳥に見える。
 真っ直ぐに続く道と、なだらかな円弧を描く道が重なり、町並みが不思議な模様を作り出している。リーザが魔術を使う時に用いた魔法陣のようだ。
 建物は高さがそろえられ、ベランダには花が飾られている。町のあちこちに広場があって、石像が掲げる壷から水が流れている。
 都の奥にある小高い丘には巨大な城が建っていて、数え切れないほどの塔が空を貫くように伸びていた。
 風が優しく吹きぬけ、都のどこにでも水が流れ、遠くからでも人々の活気が伝わってきそうだ。豊かな土と無限とも思える水に恵まれた都。
 詩人は現実を大げさな物語に変えてしまうものだが、魔術都市メティスについてはまるで言葉が足りていない。美しい景色に見とれていたシーグは、頭を振って我に返った。

「何て無防備な城塞都市なんだ。侵入者の歓迎会でも開催中なのか?」

 シーグはブツブツと呟き続ける。煙突を伝って建物の屋根まで下りた。

「城壁に沿って木を残すなんて正気じゃない。大体、山の真ん中に都を作るなんて、兵の移動にも物資の輸送にも不便なだけだ。それに畑を作る空き地がまったくない。街道を封鎖されたら、食料の自給ができないじゃないか。城塞都市はもっと道を複雑に入り組ませるべきだし―――」

 シーグはメティスの欠点を探しながら文句を言い続ける。人気のない裏通りに着地し、周囲に警戒の視線を飛ばして誰もいない事を確認した。安心して肩の力を抜いた瞬間。

「あれぇ?」

 突然耳元で間の抜けた声がした。仰天したシーグはその場を飛びのいて腰の剣に手をかけた。
 背後に立っていたのは十二、三才の少女だった。肩でそろえられた銀色の髪、透き通るような白い肌をしている。青色の瞳は眠そうに半開きになっていた。
 フリルのついた薄いローブは、夜着にしかみえない。ベッドから迷い出てきたような格好だ。

「あららー。大変、大変」

 ちっとも大変そうに聞こえないのんびりとした声。頬を両手に当てて驚いている仕草や、まん丸に開かれた瞳が更に幼い印象を与える。
 だが、シーグは警戒を怠らずいつでも剣を抜けるように構えていた。外見がどうであろうと、気配もなく背後に立っていたことは確かなのだ。ロディウスの訓練を受けてから、野生の狼にさえここまで見事に背後を取らせたことはない。
 腰のポケットに手を入れながら少女はゆっくりと近づいてくる。隙だらけに見えるが、彼女が只者ではないのは確かだ。
 武器を警戒してシーグは更に低く構えた。傷つけないように気絶させようか。しかし、触れただけで折れてしまいそうな少女に手を上げることには抵抗がある。

「顔中が泥だらけだよ!」

 この世の終わりが来たかのように少女は絶望的な声を上げた。勢いよくポケットから取り出したのは、……絹のハンカチだった。

「……は?」

 予想外の展開にシーグは間の抜けた声を出した。

「いつでも着飾っておしゃれにするのが、女の子の心得なんだよ」

 少女は胸を張って誇らしげに宣言する。眠たそうな表情は変わりないままだったが。

「俺は男だけど……」
「だぁーめなんだよー」

 眠そうな少女の声が、シーグの言葉をさえぎる。

「だって、男も女も同じ人間なんだもん。だから――」

 少女は人差し指を立てながら、シーグに詰め寄る。眠いんだか、真剣なんだか、よくわからない表情にシーグは思わず後ずさる。

「汚いのは男の子でも女の子でもないってことなの。つまり、人でなしっていうことなんだよ!」
「……」

 少女は両手を腰に手を置き何度もうなずいている。シーグは空を仰いで首を横に振った。

「あのな」
「とにかく、早く綺麗にしなくちゃダメ!」
「いや、俺は別に――」
「ダメなの!」

 ダメを繰り返すたびに、少女の声は大きくなってゆく。騒がれては困るのでシーグはおとなしくハンカチを受け取った。リーザもこういう態度に出た時は、絶対に譲らなかったからだ。

「首筋も!」

 シーグは逆らわず言うとおりにした。少女はシーグをにらみつけるように、観察している。最後に「よろしい」と、大仰にうなずいた後、少女の瞳は再び眠そうにトロンとなった。そのまま倒れそうになったので、シーグは思わず背中を支える。

「おい、どうした?」
「へーきれぇすよー」

 少女は緩みきった声で答えて、シーグの腕に体重をあずけた。瞳を閉じた少女は、スースーと規則正しい呼吸音を立て始めている。「もう、食べられたくありません、ムニャムニャ」と、意味不明なことをつぶやいている。

「おい、寝ているのか?」
「あ、うん。ちょっとだけ寝ていたよ」

 少女は目をこすりながら、ふらふらと立ち上がった。

「あんた、本当に大丈夫か?」

 色々な意味で、と思いながらシーグは聞いた。言動も行動も、とにかくすべてが尋常ではない。

「平気だよ。こう見えても、しっかりした子だってほめられるの」

 ニンマリと得意げに少女は笑った。リーザが見たら、淑女らしくないと注意するに違いない。

「何でもできる賢い子だって言われたこともあるよ」

 その評価は確実に間違っている。6歳の子どもだって、ここまで危なっかしくない。

「参ったなぁー。寝たまんま、あっちこっちに行ったらダメっていつも注意されているのに。なんでこんな場所にいるんだろ」

 少女は小首をかしげて途方にくれている。シーグも途方にくれたい気分だった。

「……道に迷ったんだな?」
「違うよ。ここがどこかわからないだけだよ」
「それを迷子っていうんだ」
「迷子じゃないもん!」

 少女は頬を膨らませて反発する。シーグはいちいち訂正するのが面倒くさくなってきた。

「どこから来たんだ」

 キョロキョロと周囲を見回した後、空を指差す少女。3歳の子どもだって、もっとまともな答えが返ってくるだろう。

「とにかく、大通りまで行こう」
「大通りって何?」
「ここより賑やかな場所のことだ」
「楽しい場所なの?」
「だいたい、そんな感じだ」

 シーグはいい加減に答えた。これだけ目立つ容姿で、変な事を言いながら妙な行動をとっているのだ。人の多い場所に行けば、必ず知っている人間に会うだろう。

「ウッキィヤヤヤヤァーーーーーーー!」

 絹を裂くような悲鳴が耳元で起こりシーグは剣の柄に手をかけて身構えた。

「どうした!」
「うん。虫を見たら悲鳴を上げたり、気絶をしたりするのが女の子の心得なんだよ」

 力強く言った後、思い出したように目を閉じて後ろに倒れていく少女。シーグは心底うんざりしながらも、再び背中を支えた。真っ白な羽を持ったチョウチョがひらひらと空へ飛んでゆく。少なくとも女性が見て気絶する虫ではない。

「あのな、怖くもないのに悲鳴を上げなくていい」
「悲鳴を上げずに気絶した方が、いいの?」
「気絶もするな!」

 少女は心底不思議そうにキョトンとしている。一体全体、どこのバカが余計なことを教えたのだろう。キンキンと耳鳴りがして、自分の舌打ちがやけに遠くに聞こえる。
 耳が聞こえにくいせいで、気づくのが遅れたが誰かがこちらに近づいてくる。それも一人や二人ではない。

「サルの叫び声……じゃないよな。今のは?」
「とにかく悲鳴が聞こえたぞ」
「こっちだ。間違いない」

 城壁の外で聞いたのとよく似たやり取りだ。衛兵は慌て方まで訓練されているのだろうか?
 シーグは安定しない人形を扱うように、慎重に少女を立たせた。

「今から来る人が道を案内してくれるぞ」
「私を置いてどこに行っちゃうの?」

 少女は悲壮な声を出して、腕に取りすがってきた。空色の瞳に涙を浮かべ上目遣いに見つめてくる。整った顔立ちで、あまりに真に迫った表情をする。不覚にもシーグは胸が高鳴ってしまった。

「女を1人で置き去りにするなんて、そんな男とは思わなかったわ」
「……それも教えてもらったのか?」
「うん、女の子の涙は最終兵器なんだよ」

 一変して、にんまりと無邪気に答える少女。シーグは強い疲労を感じてため息をついた。正直、戦いよりもこっちの方が何倍も疲れる。

「とにかく俺は行く」
「ダメ! 名前を教えるの」
「俺はシーグだ」

 早口に答えると、少女は笑顔になって手を離してくれた。シーグが慌てて路地を曲がって姿を消すのと、槍を構えた衛兵たちがやってきたのはほとんど同時だった。

「大丈夫か?」

 声をかけながら、衛兵達は少女の周囲に集まる。そして、髪と瞳の色を確認して態度を改めた。

「アイフェ・ディスペリア様ではありませんか!」

 名前を呼ばれたのに、当の本人は人事のように首を傾げている。

「一体何があったのですか?」
「私は道を外れてしまったの……」

 頬を押さえ、途方にくれた様子でアイフェはつぶやいた。衛兵達はギョッとして、お互いに顔を見合わせている。
 道に迷ったの間違いだろう、とシーグは物陰でつぶやき返す。

「何があったのですか?」

 衛兵の一人が聞きにくそうに問いかける。

「この路地で、男の人と会ったの。ここよりも賑やかで楽しいところに連れて行ってくれるって言って、背中に手を回してくれたの……でも、私を置いてどこかに消えちゃった」

 アイフェはここで瞳に涙をいっぱいにためた。暗い裏通り、突然の悲鳴、含みのある言葉。誰でも不穏な出来事を連想するだろう。

「その悪人は、我々が必ず捕まえてみせます」

 最終兵器とやらの効果は絶大で、衛兵達はそろって息巻いている。

「えー、とってもいい人なんだよ」

 意気込む衛兵たちにアイフェは唇を尖らせて、器用に涙を引っ込める。

「本物の悪人こそ、やさしそうなフリをして近づいてくるものです」
「じゃあ、おじさんたちも悪い人なんだね!」

 アイフェが怯えるように後ずさった。衛兵達が距離をつめると、「ヴー」と獣のような唸り声を上げてけん制する。

「ち、違います。私たちはあなたに危害を与えるつもりはありません」
「へぇ、そうなんだ」

 アイフェはあっさりと納得した。

「ところで、その男はどこから来たのですか?」
「鳥みたいに城壁を越えてやってきたんだ」

 衛兵たちは疑いの表情を浮かべた。

「それに、とても綺麗な黒い瞳をしていたよ」
「黒い瞳!」

 衛兵たちは驚きの声を上げて顔を見合わせる。

「災厄の印ではありませんか」
「貴方ほどの方が近づいてはなりません」
「なんで?」
「不吉だからです」
「だから、なんでなの。ちゃんと説明してくれないと、分からないよ?」

 アイフェの真剣な問いかけに、衛兵達は言葉が続かなかった。
 どうやらこの都では、黒い瞳がよほど不吉なようだ。物陰から様子を伺ってみると、集まってきている衛兵の中達の中に赤い髪や黒い瞳をもつ者は誰もいなかった。
 すると突然アイフェが振り向いたので、シーグは慌てて顔を引っ込める。

「とにかく、我々が屋敷までお送りします」
「えー、やだー」
「案内いたします!」

 嫌そうな声の後に、有無を言わせぬ口調。そして、足音が遠ざかって行く。
 シーグは壁をよじ登って屋根に上がった。衛兵達は真っ直ぐと大通りを目指して歩いてゆく。アイフェの十歩四方に誰の侵入も許さぬほどだ。陣営を思わせる仰々しいほどの防御は、周囲から衛兵が集まってくることで更に厚みが増してゆく。
 アイフェは相当に地位の高い娘であるらしい。
 金の髪と緑の瞳を持つサフィリアは、産まれながらの魔術師と呼ばれていた。銀と青の容貌を持つアイフェも同じような境遇に違いない。
 突然振り返ったアイフェは、シーグの潜む屋根に向かって手を振り始めた。衛兵達もつられて注目したのでシーグは慌てて煙突の陰に身を隠した。
 すっとぼけたように見えて妙に鋭い少女もいれば、心を読む赤マントもいる。魔術都市というのは、心底油断のならない場所のようだ。

「とりあえず、赤毛を隠す方法を考えるか」

 町中を見渡すと、湖岸に面して大通りが続いていた。商店が立ち並び、旅人や荷馬車が忙しく行きかっている。あそこならば必要なものがそろうだろうし、群衆の中にまぎれることもできる。
 シーグは音もなく地面に降り立つと風のような速さで路地裏を駆けていった。
 中世の時代、城壁や屋敷に沿って木を立てるのは防衛の面からご法度でした。こういうことをする人がいるからなんですね。

 セコムも電子ロックもない時代なので、現代とは違うやり方で防衛を考えていたようです。
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