1章-1 的外れの激怒
魔術都市メティスは、剣のように切り立った険しい山脈の内側にある。
都市の周囲に壁のようにそびえたつ山肌には白い曲線がいくつも走っている。それは地面が動いて一枚岩の地層を押し出し、山脈を作った証拠なのだ。
シーグは馬車に揺られながら、リーザに教えられたメティスの風景を確認していた。
もっと詳しく教えてほしいとせがむと、リーザは人差し指を教鞭のように振りながら説明してくれたものだ。地層がどういうものかよく分からない、と答えるシーグに対してリーザはお茶の時間まで待つようにと言い渡した。
「本当にチョコレートケーキだな」
リーザの説明を思い出し、シーグは苦笑した。リーザは地層の勉強と称してケーキを十個も持ってきたのである。口元にカステラの生地をつけ、フォークでケーキをつつきながら「白い曲線の正体は石灰岩 なのよ」と説明してくれた。
確かに魔術都市を取り囲む山肌は褐色であり、チョークの層はクリームのようだ。リーザがケーキを切って皿の上に作った地図とよく似ている。
「これは勉強なんだからね」と、何度も念を押していた。しかし、腹いっぱいにケーキを食べるのが一番の目的だったのだろう。
死神の日 にレイザークが滅んで3年半になる。シーグは16歳になったが、童顔のために実際の年齢よりもずっと幼く見られる。年を経るごとに黒い毛が少なくなってゆき、今では燃えるような赤毛だけになっている。代わりに瞳の色は黒さを増していった。闇と血の象徴はそれぞれ色濃くなっており、命取りの座 に更にふさわしくなったと言えなくもない。
背丈は人並みだが、細身の体つきのために遠目には女性に間違われる事さえもあった。身につけている武装も皮の胴着に細身の剣や短剣だけである。そのため、女の武装だと言われ物笑いの種によくされる。師のロディウスも、事あるごとにガリッポソのシーグと笑い飛ばしている。『こんな貧相で軟弱な奴が戦士を名乗るとは。ふざけた世の中になったものよ!』、そう嘆いてあきれ果てたといわんばかりに首を横に振りながら続けるのだ。
『才能のかけらがないだけならともかく、始終不機嫌で陰気な面をしておる。覚えが悪いにとどまらず、教える気持ちまで消沈させてしまうとは。なるほど、お前の才能というのは弟子になるのに全く向いていないという事だな。この世のいかなる道理によって、ワシがお前の師匠になってしまったのか!』
「何か腹の立つ事でもありましたか?」
「あ、いや」
隣で馬車を操るレンダに問われ、シーグは苦笑いをしながら頭を押さえた。師匠の言葉を思い出しても、いいことなど何も無いのに。
レンダ・マイルズはメティスへ交易にやってきた商人である。毒草を食べた馬が倒れているところに通りかかり、解毒を助けた事からメティスまで馬車に乗せてもらっている。おかげで旅はずいぶんと楽になった。
前方では、見上げるほどの高さの堅固な城壁が、山肌の切れ目をつなぐように行方を遮っている。強固な岩壁と城壁に守られた天然の城砦、神秘の力に守られた魔術都市は難攻不落と詩人たちは詠う。
まっすぐと伸びる白い石畳が城門まで伸びていた。シーグは長蛇の列に並び、都に入る順番を待っていたのだ。
「コケおどしだな、これは」
シーグはため息のようにつぶやいた。
山は険しいが、城門まで一つも関を築いていなかった。道はまっすぐで整備されすぎている。
旅をするには申し分ないが、これほど軍勢が攻めやすい都は他にないだろう。
そして、城門が小さすぎる。輸送のための荷馬車が出入りするにも困難なので、城門の前が混みいっているほどだ。敵の進軍をとどめると同時に、すきあらば全開して城内から兵を出すのが城門である。あの小ささでは軍事的に何の役にも立ちはしない。
城門には白大理石の柱が立てられ、精緻な彫刻が施されたレリーフで飾られている。太くどっしりとした柱は、見るものに威圧感さえ与える。
だからこそ、見掛け倒しの城壁だとシーグは思う。城壁に面して何本も木が生えているし、城壁は良く見るとあちこちが欠けて突起している。
「その通りとは思いますが、お偉方というのは本当のことを言われると不機嫌になります。目立つ行動は控えましょう」
レンダが小声で注意した。
「城門で騒ぐと、不吉が舞い込むと魔術師は勝手に信じこんでいます。ほら、みんな一言もしゃべらないでしょ?」
商人の言うとおりに誰一人として口を開かず、馬さえもいななきを押さえている。馬と人の足音と、馬車のきしむ音だけが不気味に鳴り響くだけだ。沈黙したまま列をなす群集は、死者の列のようで不気味である。
「他にも魔術都市には、奇妙奇天烈な……おっとっと、言葉が過ぎましたね。えーとつまり、変人じみた思考や習慣があるので気をつけて下さい」
レンダは小さく舌を出して警告した。言い直した方が余計に言葉が過ぎているのは、わざとだろう。
道は混雑しているのに、街道の片側を空けているのも変な習慣なのだろうか。
「ほら、呼んでもないのに巡回の魔術師が来ましたよ。人形のように大人しくしていましょう」
レンダは笑いをかみ殺した後、仮面のように無表情になり、時が止まったかのように身動きを止めた。
城門から出てきたのは、二頭立ての戦闘馬車 だった。もっともあちこちに貴金属の飾りをあしらっているし、全体的に細すぎる。戦場よりも美術館に相応しい繊細な造りだ。
チャリオットの長椅子に偉そうに座っているのは小柄な男であった。キョロキョロと周囲を見回し、いらいらと手元を動かしている。白いローブをまとい、真紅のマントをこれ見よがしに広げていた。
あれだけ大きくては歩く時に邪魔になって仕方がないだろう、とシーグは思った。
ゆっくりと進む魔術師のチャリオットのせいで、道の片側が完全にふさがった。誰も何も言わないが、人々から無形の怒りが湧き上がっている。
それなのに赤マントの男は、尊大な態度のまま見下す視線で人々の列を眺めている。左右に黄色ローブ姿の取り巻きを従えているので、更に偉そうに見える。
「何様のつもりなんだ?」
「俺様は魔術師様、のつもりでしょう。メティスでは珍しくありませんよ。彼は隕石の強撃 のイッサ・ホコブズ。見た目の通りに尊大で、名前の通りに破壊好きな男です。私たちは、『走るハタ迷惑』と呼んでいますよ」
レンダは口も表情も一切動かさずに答えた。腹話術の心得まであるようだし、徹底した無表情ぶりは人形の役もこなせそうだ。怪鳥のように悪趣味なマントを羽織った魔術師よりも、こちらの方がよほど謎めいて見える。
ゴホゴホと咳き込む音が聞こえてくると、赤マントは片手を挙げて馬車を止めた。シーグの前にいる馬車には子連れの夫婦がいて、10歳くらいの男の子がせきをしているのだ。
赤マントが目で合図をする。取り巻きの黄色ローブ達がチャリオットから降りて御者たちが夫婦と男の子を取り囲んだ。
「病ではありません。山間に入って急に寒くなったからです」
春の収穫祈願祭 は近いが、山間の風はまだまだ冷たい。敏感な子どもが、気候の変化で喉を痛めるのも無理はない。
「水を飲んで気持ちが落ち着けばすぐに良くなります」
「不吉だ。国外追放にせよ」
夫婦の言葉を無視して赤マントは問答無用に断言した。あまりに無法な裁きに怒りを感じて、シーグは馬車から飛び降りた。「止めた方がいいですよ」と、背後からレンダの声が聞こえる。しかしシーグは大またに歩いて黄色ローブを押しのけると、夫婦に自分の水筒を渡した。
「貴様、勝手に何をしている」
力任せに肩をつかまれたシーグは、人差し指を黄色ローブの目前に突きつけた。すると、黄色ローブはキョトンとした表情を浮かべた後、盛大にくしゃみを始めた。
「ずいぶんと不吉な奴がいるんだな」
「き、貴様、魔術師か!」
シーグが嫌味ったらしく言うと、黄色ローブたちは警戒して後ずさる。赤マントを横目で気にしていたのは、自分たちも国外追放になると恐れているからだろう。
「下らん手品だ」
赤マントはシーグのベルトポーチを一瞥してつぶやく。無言の悪意には鈍いが、目は悪くないらしい。シーグのベルトポーチには木の実が入っていた。飲み込めば溶けるように疲れが消え去るが、指ですりつぶすと鼻が曲がるような刺激臭が漂うのだ。
「まさか、赤毛とはな。最高に不吉な兆候が現れたぞ」
赤マントは椅子から立ち上がろうともせず、馬車から見下す態度を変えない。
「頭から生やすのは不吉でも、肩からぶら下げるのは縁起がいいのか?」
「はっ、これだから教養のない奴は困る」
赤マントは人をバカにした笑みを浮かべている。シーグには全く理解できない。
「教養を身につけるっていうのは、偏見まみれになるってことか。知らなかったよ」
隣にいても聞こえない声でつぶやいたつもりだが、赤マントは不機嫌に眉を跳ね上げた。
「貴様はいちいち不愉快だな」
なるほど、とシーグは納得した。レンダの言うとおりに尊大だ。おまけに神経質で考えは偏狭だし、回りくどい言葉づかいはイライラする。マントは悪趣味で笑い方まで品がなくて、王の横にはべる道化の方がよっぽど品がある。
「道化だと? 貴様、命が惜しくないのか!」
今度は声にも出さなかったのに、赤マントは顔を真っ赤にして怒っている。
「さすが魔術しだ。心の中までお見通――」
赤マントはシーグに向けて拳大の火の玉を投げつけた。シーグが半歩だけ動いてかわすと真後ろにいた黄色ローブの片方に直撃した。
「――しか。ところで、仲間は大切にしろよ」
「ひぃぃぃー」
大げさな悲鳴を上げた黄色ローブは、燃えるローブを脱ぎ捨て白シャツ姿になった。見た目ほどたいした威力は無いらしい。
「魔術を愚弄するのか、貴様!」
「魔術じゃない。へたくそな誰かさんをだ」
小声で言ったのだが赤マントは長椅子から立ち上がり、両手を振り上げる。指先に炎が燃え上がり拳大の大きさになった。白シャツと黄色ローブは慌てて逃げ出し、群衆からは悲鳴が起こった。
シーグは好戦的に赤マントを見据えた。炎は一抱えもの大きさになり、轟々と燃えている。赤マントが両腕を振り下ろし、投げつけた火の玉をシーグは横っ飛びでかわした。
爆発が地面をえぐり土を跳ね飛ばす。人一人が入れそうな、すり鉢状の穴が開いている。すさまじい威力だが、シーグはかすり傷一つ負っていない。
火の玉の威力は強大だが、弓矢ほどの速度はない。身振りや呪文の声は攻撃の瞬間を知らせてくれる。一定の距離を保てばなんの脅威にもならない。
「き、貴様ぁ!」
赤マントは怒りと戸惑いで上ずった声を出した。感情を表すように炎の形もいびつにゆがむ。ますます的外れになった火球をシーグは面倒くさそうにかわした。
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