1章 命取りの座
死神の日に産まれた子どもは世界を滅ぼすと言い伝えられている。
一年最後の日であるサムハインには、すべての境界が揺らいであいまいになる。死者の国が最も近くなり、呪いが常世に舞い戻るのだ。この日の夕焼けは決まって血のように赤く、空に輝く変光星・竜眼が天頂から地上を睨みつけ、悲鳴のような強風が吹く。
このような不吉な日に漆黒の瞳と乾いた血色の髪という死の印をもって産まれれば、死者の呪いが具現した子どもに違いない。
不吉の子どもは『命取りの座』と呼ばれる。
生まれると同時に忌み嫌われ、その死さえも災厄の始まりと恐れられ、封じられるのが常であった。
*
「リーザ姉さん」
少年は舌たらずで陰気な声で問いかける。今年で10歳になるが、痩せた体つきと猫背な姿勢のために3歳は年下に見える。骨と皮だけの両手足は今にも折れそうだ。大人なら片手で持てそうな水晶玉を、両手で支える事さえ危なっかしい。落ち窪んだ目元にこけた頬、黒みがかった赤毛はボサボサである。日没も迫り薄暗くなった部屋の中で、少年の姿は魔境に現れる幽鬼のように見えた。
彼がシージペリラスと聞けば、誰もが納得する外見である。
「ねえ、水晶玉はどこに置いたらいいの?」
「窓ぎわにおくのよ」
少年とは対照的な明るく陽気に少女が答えた。
「星明りが届くようにカーテンは開いて、窓は指の幅だけ開けてね」
十代も半ばの黒髪の少女は大きな瞳をクルクルと動かし、首をきょろきょろさせている。部屋中を身軽に動き回る姿が野原を元気に駆けるウサギを連想させた。
「あっ、シーグ。椅子を使わないとダメよ。無理に背伸びして倒れたら危っ!」
ガタンという音と共に途切れた声。シーグが振り返ると、戸棚の横でリーザがかがみ込んでいた。「痛くない、痛くない」と目に涙を浮かべながら足の小指を押さえている。
「平気?」
「い、痛くないわ大丈夫……ううぅー」
勢いよく立ち上がったリーザは最後まで言えずにうずくまった。リーザが蹴飛ばしたのは手のひらほどの厚さで一抱えもある白大理石の円盤だった。綺麗な模様に不思議な文字が描かれており、ひと目で魔法の品だと分かる。
ずいぶんと離れた場所に移動しているので、そうとう激しくぶつけたに違いない。
「元の位置に戻さなくちゃ」
リーザは円盤に向かって手を伸ばす。必死の表情と懸命な様子が悲壮な遭難者のようだ。見かねたシーグは円盤を手にとった。重すぎて持ち上げる事ができず、転がしながらなんとかリーザに手渡した。
「ありがとう」
満面の笑みを浮かべたリーザは、慎重に円盤を元に位置に戻している。足の痛みはもういいのだろうか、とシーグは不思議に思った。
「ねえ、シーグ。今からこの部屋で魔術を使うの。だから、部屋のものを勝手に動かしちゃダメよ」
リーザは眉をしかめて低い声を出した。厳しい表情で言い聞かせているつもりだろうが、シーグには困っているようにしか見えなかった。
「指の幅でもずれていたら、何もかも台無しになるんだからね。わかった?」
人差し指を立てて教師のように説明している。シーグはゆっくりと部屋を見渡した。窓枠の両側には、五芒星をかたどった札が貼り付けてある。
「星の模様が片方だけ反対だったら?」
「絶対にダメよ。魔術では位置と方角が大切なの。特に日没には注意しなくっちゃ。魔術の本質は光と闇だからね」
リーザは自信ありげに窓を指差す。東の空は加速度的に暗くなっており、すでに星が輝き始めている。
辺境の森林地帯が領土の大半を占めるレイザーク王国は、空気が澄み渡っていて星の力を受けるのに最も適した場所であるらしい。
「もしも護符の方向が逆だったら?」
「位置がずれてるだけでもダメなのよ。そんな初歩的な間違いをしたら、何もかも台無しになるわ」
「じゃあ、これは大丈夫なの?」
シーグは上下があべこべに張られた二枚の札を指差した。
「あ……れ」
リーザはきょとんとした。首をかしげ、目をまん丸に見開いている様子はまるで巣穴を失った小鳥のようだ。
「それに、日没はあっちだよね?」
リーザは首をカクンとかしげて、シーグの指差す扉側を見る。ドアの間から見えるのは、夕焼けの鮮やかな赤色だ。リーザはしばらく動きを止めて、
上目遣いでシーグを見る。
「あは?」
「……」
「いやーはっはっはー! …………はぁー」
リーザは全身でため息をついてうなだれた。床に人差し指で円を何個も書いているが、魔法陣ではなさそうだ。
「私ってば、魔術師失格よね」
「そ、そんなことないよ」
目端に涙を浮かべたリーザをみてシーグは懸命に言葉を探す。
「ええと、まだ日は沈んでないから。やり直せるんじゃないかな?」
「それもそうね」
当てずっぽうでいうと、リーザはすぐに立ち上がった。軽やかな足取りで窓の札をはがして、扉の両側に貼り付ける。
「完璧。よくできました」
先程の落胆もどこへやら、リーザは満足げに何度もうなずいている。
はたして本当に大丈夫なのだろうか。シーグは不安に襲われたが、魔術のことはまるで分からない。
扉から差し込む夕日は部屋の奥まで届いた後、急速に明るさを失ってゆく。闇が深くなるにつれ、水晶球が銀色に輝き始めた。まるで星が地上に降りてきたようだ。
「ほら、フィーちゃんよ」
リーザに背を押されて、シーグは引き寄せられるように窓際に歩いていった。水晶玉の光はますます強くなり、可憐な少女の姿を映し出す。
薄い金色の髪は太陽のように明るく、碧色の瞳は宝石のようだ。レースのついた純白のドレスよりも少女の肌はずっと白い。星の輝く闇を背にしているせいもあり、少女が光だけで出来ているようにも見える。
物語に出てくる妖精とは、きっとこんな姿だろうとシーグは思った。
「サフィリアです。お久しぶり、シーグ。元気にしていましたか」
少女は優しげな微笑を浮かべ、水晶を鳴らしたような心地よい声で語り始める。
「メティスではまだ肌寒い日が続いています。山の上にある都だから夏はとても短くて草花の種類がとても少ないの。レイザークでは春の始まりに咲く花が、ようやく蕾を開き始めた頃でしょうか?」
サフィリアはシーグと同じで10歳になる。しかし、落ち着いた態度や川のせせらぎのような口調が少女をずっと大人に見せていた。
「リーザから剣の訓練を始めたと聞きました。それに倍も体が大きな相手に勝ったとも」
相手が大きかったのではなく、シーグがやせっぽっち過ぎただけだ。しかも、油断しているところに不意打ちで飛び込んだだけのこと。取っ組み合いになって、驚いた相手が偶然に剣を離したに過ぎない。
戦闘というより喧嘩の延長に過ぎないとシーグは思う。少なくとも物語の中で描かれるような格好のいい勝利ではない。
そんなことを考えていると、サフィリアは少し厳しい目つきになった。
「勝利は勝利です。それも、あなたが努力して勝ち取ったものです。絶対に自分を悪く見てはいけないわ」
水晶球からこちらは見えていない。それなのに、サフィリアはシーグの内心をずばりとついて来た。
「予言を理由にあなたの国と生まれを悪く言う人は多いけど、そんなものには決して負けないで」
災厄の日に闇の地に現れ、血の色を持つものは破滅の先触れ。世界を滅びに導く命取りの座である。
破滅の予言はそう詠っているのだ。
「元々予言の内容があいまい過ぎます。闇や血の象徴なんてほかにいくらでもあるし、命取りの座が人であったことも、国であった事も、宝石であった事もあったとか。もともと予言の内容がいい加減で、後になってから理由付けにされている事もあるの。だから、私はこの予言はシーグを指すものではないと考えています。」
早口でシーグには言っている事の半分も理解していなかった。だけど、サフィリアが自信を持っていうなら信じよう。ほかの誰がどう思っても構わない、そうシーグは思った。
「もし本当にこれから世の中が乱れるなら、あなたが世の中をよく変えてゆけばいいの。いずれ、あなたを酷くいう人はいなくなるわ」
サフィリアは口を閉じて、姿勢を正した。その後、チラリと斜め下を見た。「ええと……」とつぶやきながら、目線を左右に泳がせる。絹のように白い頬がわずかに赤くなった。
「私はずっと塔の中で本を読んでばかりなの、リーザが話してくれる外の世界の話やシーグの手紙が待ち遠しいわ」
サフィリアは少し砕けた口調になり、びっくりする位の早口になった。
「来年に私は塔の中から出られるの。秋の終わりになるから、シーグの誕生日に間に合うと思うわ。だから、一緒に――」
サフィリアの言葉は途切れ、水晶玉は力尽きたように光を失った。真っ暗になった部屋の中でシーグは水晶玉から目を離さない。再び少女の姿が浮かび上がるのではないかと、信じているようだ。
しかし、その期待を打ち切るように背後で光がともる。リーザがランプに火をつけたのだ。
「ちょっと時間が足りなかったみたいね」
水晶玉が機能する時間は死神の日 の日没の後、百を数える間だけだ。しかも一方的なもので、シーグからは言葉も姿も伝えられない。
「フィーちゃんは、きっと落ち込んでいるわよ」
「なんで?」
「だって言いたいことが途中だったもん」
「失敗を悔やむことはないって。そう言っていたのは、サフィリアだよ」
「それでもよ」
リーザは人差し指を立てて断言する。シーグは目を丸くした。しっかりしていて、迷いなど無く、自信たっぷりに話す少女がその程度で落ち込むなど信じられない。
「フィーちゃんが何が言いたかったか、分かる?」
「外の世界を見たいんだと思う。ずっと塔の中にいるから。ここにきてくれた時に、道案内をしてあげたら喜ぶと思う」
「正解、よくできました」
リーザが勢いよく何度もうなずき、ランプも一緒に危なっかしく揺れる。二人の影が部屋の中で忙しく動きまわる。物語に出てくる影の怪物のようだった。
産まれながらに魔術師であるサフィリアは、魔術都市から一歩も出ることができない。最高の魔術師になるために、時間のすべてを費やさなくてはならないからだ。塔の暮らしは厳しくて、決められた食物や清められた水しか口にできない。決められた本だけを読み、口に出してよい言葉や、聞いてよい言葉さえも細かく定められている。
サフィリアは、すべてが管理された自由のない生活を送っているのだ。水晶玉でのやり取りや、シーグからの手紙は例外中の例外なのである。
「手紙に気にすることないって書くよ。いつかレイザークを案内してあげるって」
「感心感心。さりげなく女の子の失敗をフォローして、堂々とエスコートするのが立派な紳士というものよ」
リーザは目をつぶり、人差し指を大きく振りながら断言する。ランプの火が更に大きく揺れて、とうとう火が消えてしまった。
「え、何? あら、ひぇっ、うっきゃー!」
真っ暗な部屋に間の抜けた悲鳴と、派手に転んだ音が鳴り響いた。少なくともこんな悲鳴を上げるリーザは立派な淑女ではない、とシーグは思った。
それから、ちょうど一年後。シーグとサフィリアの願いはかなう事は無かった。
死神の日 、異界がもっとも近くなる不吉の夜に魔境の怪物がレイザークを蹂躙したからである。
命取りの座 が生を受けたのと同じ日にレイザークは滅んだ。王都は壊滅し国土は怪物のうろつく魔境地帯と化している。破滅の予言は真実であった、と魔術都市メティスの公文書には記された。
王都へ続く街道は『死の道』と名づけられた。穢れた鉄の王国から世界は錆びるように滅んでゆくのだと、メティスを統治するグラムファーレ家は諸国に警戒を呼びかけている。
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