王子とナイトと、ときどき柴犬 #2
授業が終わり、参考書を持ったまま屋上へ向かった。
「二人とも、帰ろうか」
言いながら扉を開けると真っ青な顔した聡と不機嫌そうな詩織の顔が見て取れた。そして彼は僕の姿を確認するなり、目を潤ませては走りよってきた。
「うわーん、山田先輩!!」
「ちょ。抱きつかないでよ」
柴犬は柴犬でも、本来は人間の男。僕は男に抱きつかれたくなんてない。
参考書で彼の顔を押さえながらこれ以上引っ付いてもらうのを阻止する。落ち着いてきた所でどうしたのか聞いた。
「詩織先輩が今から、今から不良を相手にして来いって言うんだ。しかも3-Aの五十嵐番長を」
「そんなコト言ったの?」
「だって、ただ教わってるだけじゃダメじゃない。実践あるのみ、よ」
-----やっぱり、スパルタ。
自分は二宮先輩でよかったと心底思いつつ、詩織もなだめる。言い出したら聞かない彼女は頬を膨らませて断固行こうとしている。ため息をついて携帯を取り出し、番長に電話をかける。
「……。繋がらない、もう学校にいないんじゃない? ほら、番長って通学は電車だから、電源OFFしてるかマナーなんだよ」
ホッとしつつも詩織に言うと唇と尖らせた。隣で安堵のため息をついている聡に目をやる。
「実家だよね、どこらへん?」
「駅前よりこっちの住宅街のとこ」
「じゃあ僕の家の近所だ。一緒に帰るなら下駄箱のトコで待つけど、どうする?」
「え。じゃ、じゃあ一緒帰る」
顔を下に向けてポソリと呟いている。
微笑して詩織を呼び、二人で先に下駄箱へ向かった。
「どうだった? あの子」
「そうね、まるっきりダメってことはないわ。でも、時間かかるんじゃないかしら。ユーヤみたいに素直じゃないから」
-----それは君も一緒だよ。
「聡もね、お兄ちゃんに憧れてるみたいなの。…あんなに馬鹿なのに。全く、マイクパフォーマンスを一切しないからファンが増えるのね」
「男からすれば、それさえもカッコいいんだけど」
「全く理解出来ないわ」
パコンと靴を投げて、詩織がローファーに脚を突っ込んだ。僕も隣でスニーカーに脚を重ねた。
靴を履くなり、いつものように小指が握られ微笑む。
「リングの上ではすごくカッコいいよ」
「…そうかしら」
傘立てのフレームを椅子代わりに二人で座って待っていると聡がチョコチョコ歩いてきた。立ち上がって彼の歩調に合わせて並んで歩く。
「そういえばユーヤ、ストレス発散方法は見つけた?」
「うーん。コレと言って特に。今度日曜にでもどこか出掛けようかな」
「あ、なら私、花公園に行きたいわ」
「花公園? あれって見るだけじゃ…」
と、詩織を見ると向こう側にこっちの様子を伺っている聡が見えた。ついついいつもの癖で詩織とだけ話してしまった。一緒に帰ろうといった手前、相手をしないなんて…迂闊だった。僕が何を話そうか悩んでいると先に向こうが話しかけてきた。
「二人は同棲してるって本当か!?」
「どーせい!?」
思わず吹き出した。
何も飲んでいないのに咽せ返して何度か咳を繰り返す。涙目で詩織を見れば、詩織も咽せていた。
「そ、そんな噂どこで」
「学校」
付き合っているから、どこでどうなったらそこまで発展するのか。思考回路が知りたいってか、今年の1年生の勘違い度は去年までの学校の比ではない。入学して3日でこれなら、僕らが卒業する頃にはどうなっているのか。考えただけで恐ろしい。
頭を掻きながら乾いた笑いを浮かべた。
「どこでどういう風になったかは知らないけど、事実無根だから」
「そっか。山田先輩ってアレだ、噂に翻弄される人なんだな」
全くだ。
でも僕を翻弄するのは噂だけじゃない、姉さんだって詩織だって僕を振り回す。振り回され人生だ。
「とりあえず、明日学校行ったら違うって言っといて」
「うん。あ、あと一つ聞こうと思ってたんだけど」
「何?」
「なんで詩織先輩の容姿を褒めたらいけないんだ?」
なんでって。
詩織の顔を見た。彼女は僕に目配せをすると、聡の目を見てサラリと言った。
「私、外見のこと人に言われるの嫌いなの。特に、“美”と“人”を組み合わせた言葉。だけど、“可愛い”なら許すわ」
「判断基準を計りかねるな…」
「あら、そんなこと無いわよ。ね、ユーヤ」
「そうだね」
キュッと小指を握る力が強くなって、彼女は笑った。
「あ、ねぇこのあとラーメン食べに行きたいんだけど」
「ラーメン? 珍しいね、そんなコト言うなんて」
「神無月ちゃんが末永くんと食べに行ったんだって。もの凄く美味しかったって言っててね、名前は確か“天良”って…」
「ああ。そこ僕が末長に教えたんだよ。行くならもう少し待たなきゃ、あそこ7時からなんだ」
「聡は、行く?」
詩織が話を振ると目を大きくシパシパさせてこくりと頷いた。
-----やっぱり柴犬だ。
よそ者には警戒心が強いけど慣れれば尻尾を振ってくれる。すでに僕の中では柴犬が確定し、半分ペット感覚のような可愛さが生まれてきた。でも、王子にナイト、柴犬ってどんな組み合わせだろう。新し過ぎる。
「とりあえず公園でも行こうか」
方向転換をしようとしたら、詩織が服を引っ張った。
「その前に飲み物買いにに行きましょ。喉乾いたの」
引かれるまま歩いて赤い自動販売機の前で立ち止まる。
詩織がオレンジジュースを買うのを見ながら聡に声をかけた。
「何か飲む?」
「え?」
「奢るよ」
「…じゃあ、コーラで」
お金を突っ込んで2本連続でコーラを押す。取り出し口に手を突っ込んでいる時だった、詩織が僕の名前を呼んだ。片手に2本コーラを持ったまま振り返ると、どこかで見たことのある男達が詩織から少し離れた所に、3人立っていた。
----このメンツ、どこかで。
顔検索を初めると、すぐにヒットした。姉さんの誕生日の日に詩織を倒して名声を上げようとした人達だ。あれ、でも何で3人…。普通は人数増やしてくるとものだと思うんだけど、逆に減っている。
聡を後ろに下げながら様子を伺う。
「なー、大正学園だからここらへんで張ってれば来るって言ったじゃん」
「さすがマーくん。頭イー」
「今日は秘策があるからな。ゼッテー負けねーよ」
言いながら彼らはニヤニヤ詩織を見た。
-----秘策!?
だから自信を持って3人で襲いにきたのだろうか? いや、でも実力はこの前でよくわかっているハズ。どういう…
「何が秘策よ、アンタ達なんて何人で来ようと関係ないわ」
詩織が警棒を振って、飛びかかった。
と、向こうも何かを振った。
----不味い、あれは…。
「詩織、受けちゃダメだ!!」
「キャッ!!」
「詩織先輩!?」
バチバチっという音がして細い脚がガクンと崩れ、座り込んだ。飛び退きながら男達が笑った。
「ははー、スタンガン付きの警棒だよ」
-----クソ、やっぱりか。
狼狽える聡を置いて詩織に駆け寄った。座り込んだ肩を揺らす。
「大丈夫!?」
「ええ。警棒越しだから、火傷はないみたい。でも、あれは厄介ね」
顔を歪ませながら掴んでいた警棒を離し、持ち手を替えている。もしかしたら痺れているのかも知れない。
キッと前の三人を睨むと、嘲笑された。スタンガンを持っていなかったの二人もポケットから同じものを取り出した。
詩織が気絶はしていないみたいだから、多分そこまで電圧は高くない。けど、僕だってアレに触れば痛い思いをし、二の舞だろう。考えろ、あの警棒型スタンガンは奪われないように大概表面を金属で覆っている。ということは、まず奪えない。いくら詩織でも警棒を使わず、武器と渡り合うのは難しい。どうする…。
「先輩!!」
聡の声が上がって振り向くと、3人が僕に向かって警棒を振り下ろそうとしていた。急いで飛び退く。
詩織もすぐさま立ち上がり、攻撃を避け始めた。
-----電気さえ使えなきゃ…そうか!!
「詩織、こっちに!!」
名前を呼ぶと僕へ駆け寄ってくる。
思いっきり2本の缶を振った。
「お前に何ができるんだよ! こないだ、突っ立てただけじゃねーか!!」
3人が横一線に並んだ。
-----今だ!!
缶の口をヤツらに突き出し、2本の缶を開ける。一気に炭酸が吹き上げ、男達の髪、服、手、持っている警棒を濡らした。
「何しやがる!!」
一人の男が腹を立て、スタンガンのスイッチであるボタンを押した。
「ぎゃ!!」
刹那、バチっという音が空気を通して僕らの耳に響いた。
そのあと、ゆっくり男が白目を剥きながら倒れいく。
「な、マーくん!!」
「テメー、何しやがった!?」
地面に仰向けになって転がっているマーくんとやらを揺さぶりながら、驚き慌てふためいた様子で男二人が僕を見た。
ゆっくり口の端を持ち上げながら、嘲笑し返してやる。
「自滅だよ。よく考えてよ、僕はコーラをかけたんだ。水は電気を通すってことぐらい、知ってるよね」
「な!?」
「そういうことよ!!」
手刀が放たれ、ポクっという音がして男二人が同時に倒れた。
詩織がパンパンと手を2回叩いて、ふーっとため息をついた。
「スタンガン付きとはね」
「君もアレにしたら? 威力2倍だよ」
「嫌よ、なんか…スタイリッシュじゃないでしょ?」
武器まで持つものにこだわっていたとは、ある意味驚きを通り越して尊敬してしまった。ということは、形が良かったから武器として警棒を選んだのだろうか。
-----日本で良かった。
心底思った。もしアメリカだったら、彼女は「可愛いもん」とか言いながら銀の銃をいつも持ち歩きそうだ。マジで怖い。
恐ろしい想像をかぶりを振って飛ばし、振り返った。
「ごめん、聡。もう1回コーラ買うからさ」
少し震えているのが分かった。
----約1年前の僕と一緒だ。
そういえば最近はこういうことにも慣れてしまったのか、怖いとは思いつつも体が震えなくなったな、と自覚した。まぁそんなことはどうでもいい、ビックリしたのか恐怖を覚えたのか知らないが、とりあえず覚醒させてやらねば。
「聡、大丈…」
「スゲーーー!!」
「さと…」
「何、今の手刀!? 詩織先輩、超つえーーー!!」
「今頃分かったの?」
「うん、ビビった。マジつえー」
いきなり雄叫びのような大声を上げ始めた聡に僕がビックリした。彼は別に怖かったとか言う訳でなく、ただの武者震いというか感動震いをしていただけだったようだ。しかも詩織にかなり感激したらしい。もう、目がキラキラしまくって彼女を崇め始めんとするような勢いだ。
ジッと彼を見つめても、大興奮していて僕の視線には気づきそうにない。
-----ま、いっか。
もう1度お金を入れてコーラを2回押す。缶を取って後ろを向けば、地団駄を踏みながら詩織を師匠と呼んで「一生ついて行きます」なんて言っている。正しい選択だ、伝説の男の本物の“きょうだい”は詩織なのだから。
先に開けてコーラを飲んでいると、詩織が僕の後ろに走り込んできた。
「私についてくるってことは、ユーヤについてくるってコトね。私はユーヤのナイトなんだから」
「な、ナイト!?」
「そうよ、私はナイトでユーヤが王子様なの」
「王子!?」
「ええ。王子、聡の名称はどうしようかしら」
見上げてくる詩織を見て、缶を口に付けながら聡も視界に入れる。
-----そりゃ…
「柴犬(黒、子犬)だね」
「そう…、じゃあ聡は柴犬(黒、子犬)で決定ね」
「な、何その基準!? そしてなんで王子!?」
面食らう彼に缶を投げた。
「なんでか、それは君が柴犬ぽいからだよ」
「お、王子は!?」
「私を扱える唯一の人間だからよ」
にんまり笑って視線を合わせてきた。
-----全然扱えないんですけど。
そんな言葉をおくびにも出さず、コーラと一緒に飲み込んだ。多分、言っているのは“キレてるのを直せる”っていう意味だろうから…。
「意味分かんね!! じゃあ山田先輩は詩織先輩より実は強いってこと?」
「いや。全然」
「でも私より強いわよね」
「まぁ、強いっていうかカード的には」
「えええええ!? もう、わけかわんない!!」
困惑する柴犬の頭を軽く2回詩織が叩いた。
「つまり、私の下に付くってコトはユーヤの下に付くってコトなの」
「はい。って、さっぱりだ!!」
大混乱している彼を2人で笑った。
その後、ラーメン屋で奢ると完璧に餌付けされたようで、詩織をホテルの近くまで送った後もキュンキュン言いつつ尻尾を振ってきた。
「意味、やっとわかった」
「なんの?」
「詩織先輩が言ってた意味。警棒を濡らす作戦、よく考えればあんな短時間で思いつかいよ。そう、そういうことだったのか!! やっぱ山田先輩もスゲー、王子、王子!!」
一人で納得し、一人ではしゃぎ始めた。そしてさらに尾っぽを振って付いてくる。
僕はその様子を見て、こっそりため息をついた。
暴れだしたら手がつけられない上に、王子である僕を手玉に転がすナイトだけでも大変だったのに、今度は食費がかかりそうな柴犬が加わってしまった。誰が得するって…王子じゃないことだけは確かだ。