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僕の春期講習

 春休み前のこと。


「皆さん。1週間、うちの塾に通ってみませんか?」


 という坂東の言葉に、はじめ僕たちは顔を見合わせた。

 でもよく考えてみれば春休みが終わってしまえば皆高校3年生、受験生になるのだ。遊んでばかりいないで本腰入れて勉強を始めなくてはいけない時期…だ。

 春だけなら…と少し考えていると、畳み掛けるように坂東が言った。


「入っている間だったら、赤本(各大学の過去問参考書)もコピーし放題です」


 僕は、まんまとつられた。

 だって赤本、1冊いくらすると思う? 大学にもよるけど大体2000円くらいだ。まだ志望校どころか、やりたいことさえ見つかっていない僕にとって、お金を出してまで色んな大学の過去問を買うっていうのはなんだか勿体ない気がしていたのだ。でも、塾に1週間分のゼミのお金だけ払えば赤本はコピーがし放題、しかもコピー代もいらないという。

 結局つられた僕に、じゃあっていうので詩織も加わり、詩織がっていうので神無月さんが加わり、神無月さんがっていうので末長も春期講習に応募した(委員長は家庭教師あり)。


「赤本のコピー取らせてください」


 春期講習1日目、末長に自習室へ案内されたすぐ後に、職員室にて赤本のコピーを頼んだ。隣の部屋にコピー機も一緒にあるから勝手にしていいよと言われた。棚を見て迷う。


「ユーヤどれするの?」

「うーん、とりあえず…南からしようかな」

「何それ? ふふ」


 隣で笑顔を振りまく詩織に微笑して目の前にある赤本を手に取り、パラパラと捲る。

 -----とりあえず、これでいいかな?

 コピー機にセットしてスタートボタンを押した。


「詩織は?」

「私?」

「うん、行きたい大学とかあるの?」


 探りを入れる。

 前に屋上で話したときはまだ決めていない様子だったけど、もしかしたらもう決めてしまったのかも知れない。不安な気持ちを顔に出さないよう、平静さを装って聞いた。


「そうね。司書とか美術館の学芸員になれるような大学に行きたいわ」


 焦ってスタートボタンを2回押してしまった。同じページが2枚「エコしろ」と言いたげに出て来た。


「し、司書って、図書館とかの? どうして?」

「だって、誰も無駄口聞かないから、キレないでしょ?」


 -----ああ、そういうこと。

 納得しながらも狼狽えた。そう、失礼だけど詩織さえも目標を決めて動き出そうとしている。なのに、全然僕は決められない。挙げ句の果て、進路の先延ばしをまだ考えている。

 早く早くと焦るばかりで実際は何も進んじゃいない。図書館であれだけ論文を借りたのに、全く意味をなしていない。いくら僕の頭の中に文献や知識が入って来たとしても、やりたいことが見つからないんじゃ意味がない。うんちくが溜まる一方で、全く消化出来ていない感じだ。

 音を立ててひらり、ひらりと用紙が積み重なる。


「ユーヤ…」

「何?」

「コピー終わった?」

「う、うん」


 そそくさと紙の束をトントンと揃え、赤本を元の位置にしまう。

 今度は詩織がコピーを始めた。


「私ね、ユーヤはお医者様がいいなって思ってるの」

「え?」

「ふふ。実は困ってる人を放っておけない性格でしょ? だから。一瞬弁護士も似合ってるかなって思ったんだけど、ユーヤは押しに弱いから検察にやり込められちゃいそうだし」

「…僕、血を見るの苦手なんだけど」

「別になれって言ってる訳じゃないのよ? 私の意見」


 詩織の体をコピー機から漏れた一筋の光が通り過ぎて行く。

 眩しくて、目を反らした。

 きっと詩織は僕が医学部用編成クラスにいるから、そういう風な思考の発展をしたのだろう。探せば、医者より僕にあった仕事があるんじゃないかと思う。例えば…。


「経営コンサルタントってどう思う?」

「そうね、企業が困っているなら…。でも、私にはピンとこない」

「システムエンジニアは?」

「情報処理系ね、いいんじゃないかしら?」

「税理士は?」

「税金の管理…ユーヤになら任せらそうね」

「…通訳は?」

「ふふ、得意分野ね。悪くないんじゃないかしら」


 -----経営コンサルタント以外、なんでもいいんじゃ…。

 やっぱり思いつかなかっただけなのだと、呆れたような、期待はずれのような…、ため息をつく。人に将来を決めてもらおうなんて少しでも甘い考えを持った自分が馬鹿だった。


「でも、一番はやっぱりお医者様ね」

「一応聞いてもいいかな? さっき言った理由以外があるなら聞きたいんだけど…」

「だって、キレる私をなおせるのよ?」

「…それが理由!?」


 ぷっと、吹き出してしまった。

 僕は人の傷を治せるわけでも、時間を戻すなんてコトも出来ない、超能力も何も使えない普通の人間だ。何でか分からないけど、肌に直接触れると詩織がキレるのが修まるだけ。なのに君は、どこまで僕をスーパーマンにしたいのか。飛躍し過ぎててついていけそうにないよ。


「笑ったわね? 真剣だったのに」

「ごめんごめん」


 謝りながら詩織の持っている赤本を棚に戻してやった。

 二人で自習室に向かう。今他の人はどうしてるかって? もちろん元々ここの塾生である坂東は授業、しっかり者の神無月さんは不得意分野のカリキュラムを選択、末長も神無月さんに言われて同じ授業を受けている。つまり3人とも同じ教科を今習っている。

 カリカリというシャープペンシルが動く音と、たまに他の塾生や巡回に着た先生に質問をしている人がいるくらいで、結構静かな自習室の一番後ろに腰を下ろす。右隣に詩織が座ったのを確認した後、赤本のコピーに向かいあう。

 -----さてと、やるか。

 僕も負けじとシャープペンシルを握った。


 得意な英語、特に勉強の必要のない現代文を除いた教科をこなしていく。古典、漢文、生物…、数学。


「……」


 集中出来ない…。

 いや、古典を始めた時からあまり本腰を入れて勉強ができなかった。それは漢文、生物共にそう。問題を読んでいたって、答えを選んでいたって、ペンを走らせていたって、気になってしかたがないのだ。夕食じゃない、末長と神無月さんのことじゃない、ガスの元栓の締め忘れじゃない、何時現れるか知れない姉さんのことでもない。じゃあ隣の詩織…ううん、隣の詩織じゃない。いや、正確には詩織自身じゃなくって、彼女の手。


「ねぇ、書きにくいんだけど」


 ペンを止め、自分の右手の上に乗った詩織の細い指を見ながら言った。

 するとフサフサのまつ毛を2回瞬かせて、彼女は飄々とのたまった。


「私、音楽聞きながら勉強出来ない質なのよ」

「……」


 この状況、お分かり頂けるだろうか?

 要するに右隣に詩織が座って問題を解きながら僕の手に触れているという状態なのだ。彼女はいいよ? 右手で文字を書くのだから、でも僕だって右利きだ。ペンを握っているその上に人の手が乗っていれば、そりゃ動かしづらい。気にもなるよ。でも、その手を退けることなんて出来ない。だって…。


「あの子、超美人じゃない?」

「お人形さんみたーい。ヤーン、連れて帰りたーい」

「すっげぇ可愛い。あんな子初めて見たな」


 そう、他の高校からも通って来ている人達が詩織を見て絶賛、賞賛、褒めちぎっているからだ。気づいただけですでにプッツンワードが12回も出ている。まだ1時間くらいしか立っていないって言うのに、だ。僕らが座っているのは1番後ろ、わざわざ振り返えらないと彼女の顔は見れない、だからもう「詩織を見る暇があるなら、勉強をしろ! 何の為に塾来てるんだよ!!」そう言い放ちたい。でもそんな勇気なんてあるワケもなく。

 ただ一つ運がいいのは前の人がかなりの真面目らしく、後ろを見ないこと。そしてその人のおかげで僕の手の上に詩織の手が乗っていることが死角で皆に見えないってことぐらいだろうか。うん、まだバレてないだけともいうけど。

 ため息一つ。

 それを見た詩織が口を尖らせた。


「いいのよ、私は。ユーヤのお腹触ってても」

「摘まれそうだからヤダ」


 -----その前にお腹なんで出して勉強してたら僕が変態だと思われるよ。


「わかった、じゃあせめて机の下に手を隠そう。僕はもう、解答見るだけの勉強にするから」


 頷く詩織を見つつ、シャーペンを離した。

 机の下で詩織が小指を握ってくる。

 -----なんだかな。

 悪いことしてる気分になる、でも優越感を感じてしまう。

 わざわざ勉強しに来ているのに勿体ないと思いつつも、状況に甘んじてしまう僕がいけないのだろうか? いや、そんなことはないはずだ。もし今ここで僕が手を離せば自習室は屍類類、血の海が幾つもでき、地獄と化すだろう。

 姿勢を正して左手で解答を見続ける。まぁこれも悪い勉強法ではない、いやむしろ効率のいい方法だから悪くはないんだけど。

 -----問題解きたい…。


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