St.… #2
「!?」
声も出せずに、僕は詩織を見つめた。
手には手錠をされたまま腕を掴まれ、動けないように足の甲を踏みつけられている。そして口にはガムテームが貼られていた。
「やー、マジ手間取ったな」
「だな。いっつもお前ら一緒に帰るからさー。考えてた余興がなかなか実行出来なくってよ。なんで今日に限って別々に帰るかなーバレンタインが台無しだよ」
「貰える相手いねーだろーが」
「ま、付き合ってるなんて噂あったけど、こっちはガセじゃなくってよかったなー」
「ユーヤくん、バレンタインプレゼントだよ。はははは」
嘲笑する元クラスメイトに脚がすくむ。
僕の体の内側から気分の悪いものがこみ上げてきて、息が苦しい。目眩もおきそうだ。
どうして今更…そう思ったが、彼らにそんな問いを投げかけても無意味だろう。苛めたいから苛めていた、思い出したから追いかけてきた、見つけたからまたイジメる。多分そんなものなのだろう。
下を向いたまま、僕は指の一本さえ動かせない。
「はぁーあ。でもこの子も可哀想だな。ユーヤみたいなヤツが彼氏で」
「言えてる!! だからこんな目にあってるんだぜ。おら、反省しろや」
固まった僕に、容赦なく拳が振ってきた。
どうしてこんなことに…それだけが頭を駆け巡って思考が纏まらない。霞む目で彼女を見れば、必死にもがいていた。
1年前と同じように何度も何度も殴られる。口の中に鉄の味が広がって、脚がよろけた。痛いし、悔しいのに、言葉も出ない。僕の運動を司る全神経は全くと言っていい程機能をしようとしない。サンドバックのようにただただ殴られ、蹴り上げられ、視界が揺れた。
-----助けて…。
そして昔と同じように心の中で叫んだ。
自分が殴られ、蹴られる音だけを聞きながら体が地面に倒れた。
「あー折角カノジョが見てるんだから、もっと頑張んなきゃ」
「マジ情けねー。噂されるくらいだから少しは変わったかと思ってたのに。全然期待はずれだな」
最初から期待もしていないくせに、そんな罵声。
むしろそちらの方を期待していたくせに…薄れそうな意識でそう思った。
「なんか言ってみろ」
顔を叩かれ、僕の意識が戻ってくる。ノイズのような音が耳障りだ。
「……」
「マジ面白くねーな」
「おい、カノジョとはもうシたのか!?」
今まで動かなかった体が急にビクついた。待って欲しい、詩織とはそんなんじゃない。
だから…。
お願いだ…。
跳ねたっきり、また僕の意思と反して動かなくなった体に乗られ顔だけ前を向けられた。汚れを知らない少女が視界に入る。
「お前のカノジョさー、お前並みに腹立つんだよな。捕まえる時、俺の腹殴りやがったんだ」
耳元で紙屋の吐き捨てるような声が聞こえた。グッと前髪が引っ張られ、うめき声が出る。
「お前の前でシテやるよ」
髪が離され、重たい体が解放された。その代わりに詩織に近づく憎い憎い男。
ああ…僕が詩織と友達になったばっかりに。あの時会わなきゃ良かった、キレるのなんて抑えられなきゃ良かった、大正学園に転校なんてしないであのままイジメられ続ければ良かった。
そしたら、詩織は綺麗な体のままでいられたのに…。
自責の念に駆られていく。
-----ごめん。
思うと同時に涙が溢れてきた。
後悔で泣くのは、これが初めてだ。そして人の為に泣くのも。
ビッという音が鳴って詩織の口に貼られていたガムテープが剥がされた。解放された唇が世界で一番嫌いな男のモトへと導かれていく。
「ユーヤ!!」
詩織が叫んだ。その瞬間、僕の中の何かが弾けた。
無力な何も出来ない僕は純潔が散らされるトコロをただ見てるだけ?
大切な親友が奪われていくのをただ傍観するだけ?
何もしないうちから、諦めているだけ?
-------違う! 戦うって決めたんだろ!?
何を諦めていたんだろう?
まだ詩織は何もされちゃいない。
僕の体だって骨も折れちゃいない、痛いだけだ。
アスファルトに爪を立てた。
「やめろ!」
そして立ち上がる。驚いた顔をする元クラスメイトを睨みつけた。
涙で濡れた顔をコートで拭った。
「ユーヤが立った、はっははは」
「グララじゃねー!!」
もう、怖くなんてなかった。
体だって僕の脳に従順に動き始めるのが分かった。
耳障りだったノイズも引いている。
「詩織に手は出さないで」
「あー? じゃあまた殴らせろ」
紙屋はニヤニヤしながら詩織から顔を離して、こちらを向いた。
「んでもって、受験終わるまでのストレス発散道具になれ」
「無理言わないでよ…」
右手を強く握った。
「僕は、もう…昔の僕じゃないんだから!」
叫ぶと同時に地面を強く、重力さえ及ばない程、強く蹴った。
詩織に向かって駆け出す。いつも、いつも、助けられる度に見ていた彼女が描き出す体の動きと寸分違わぬよう、動きを重ねる。姿勢低く、男達の脇を抜け、奴らの体に電気信号が流れる前に詩織の足の甲を踏んでいる右側一人の男に体をぶつけた。瞬間、詩織の肩を掴み、彼女の肩と左足を軸にして体を回転させ右足でもう一人の男の頭を狙って脚を蹴り上げる。動きを読んでいたのか、詩織は僕の脚の邪魔にならないよう、少し屈んだ。
「がっ」
脚が着地する前に詩織を抱き寄せた。
「逃げるよ!」
彼女が振り向くと同時に手錠の鎖を掴んで走り出す。
「逃がすな!」
「ユーヤのくせに、やりやがったな!?」
後ろでそんな声が聞こえた。
振り向ことなく、走る。
半年前、この道を始めた二人で駆けた時とは今日は逆。僕が手を引いて、君を走らせる。
「ここ、曲がるよ!」
強引に腕を引っ張って、建物と建物の隙間に入る。
そして詩織を座らせ、僕は顔だけ出して周りを見渡した。
-----しばらくここに身を潜めよう。
どうして帰らないか、それは詩織の手錠の鍵を手に入れるため。見たところ重さもある、見た目もしっかりしている。多分本物じゃないかと思う。そういえば、あの中の誰かの親が警官だったことを思い出した。
すぐに体を引っ込める。
僕は立ったまま、詩織は座ったままの状態。
「はぁ、危なかったわね」
笑う彼女を眼下に表情を変えない。
いつもと様子の違うコトに気づいた詩織が、笑顔を崩して、顔をしかめた。
「危なかったねじゃない」
「でも…」
「まず、どうして掴まったから聞きたい。君なら逃げられたハズだ、君ならやっつけられたハズだ」
冷たく睨む。
困惑した表情で僕を見つめる視線。
「だって、言うコト聞かないとユーヤを…」
「馬鹿じゃないのか!?」
彼女が全て言う前に声を荒げた。体をビクつかせ、大きく目を開けている。そりゃそうだ、彼女に本気で怒るのはこれが初めてだ。いや、こんなに怒ったのは、人生初めてだ。
「偶然逃げられたから良かったようなものの、もう少しで、もう少しで君は…」
言っている間に、涙が溢れてきた。嗚咽が邪魔をして言葉が出ない。
堪らず座り込んで顔を抑えた。
「ごめんなさい」
手錠の鎖が鳴り、僕の体が細い指に引っ張られた。真っ白なコートへ導かれる。
首の後ろには冷たい鎖。
肩に腕を置かれた状態で向かい合う。
「キレる私をユーヤが止められるなら、泣くユーヤを私は止められるかしら?」
笑って、おでこをコツンとつけてきた。
けど…当たり前だが、僕の涙は止まらない。
「ふふ、やっぱりダメね」
さらに抱き寄せられ、彼女の胸で停めなく泣いた。
***
「泣き虫」
「うん…それより、さ。チョコのことなんだけど、渡せた?」
詩織が首を振った。
-----そうか、僕の為に渡す前に掴まっちゃったんだ。
キュっと唇を噛み締める。
さっきまではフられてしまえばいいなんて思っていたくせに、僕はその想いごと詩織を守りたいと思った。