チョコの前
-----あー、疲れた。
肩に手を当て、首を回すとコキコキと言う音がした。
教科書を持って生物室から数人の人達が作った流れに乗って2年生の教室がある場所まで歩く。
今の時間…18時過ぎ。
こんな時間まで学校で何してるんだって説明は、今からしよう。結局僕は医学部を受けるつもりなんてないくせに、進路表に適当な医学部を書いて3学期から始まった医学部用のクラス編制に入っている。で、草原先生が言っていたように教科数が時間割に入らないので本当に放課後授業を受けていると言う状態だ。自分で勉強をしていたとはいえ、やっぱり最初から授業を取っていた人達に追いつくのは大変で気がつけば家でも生物の教科書を開いている状態だ。
しかも何時ぞやに全国模試で勝負を挑んできた、元学年主席の板倉くんも一緒で「山田くんは何処の大学を目指すんだ?」とか「何科の医師に?」とか「次の全国模試では僕が勝つ!!」なんて授業を受けている最中にも何かと突っかかってきて正直ちょっと面倒くさい。
「はぁー」
大きくため息をつく。
すでに下校時間から1時間も経ってしまった教室には誰もいないのは分かっていたので、疲れた顔を隠さず教室のドアを開けた(ユーヤのクラスには他に医学部クラスに参加している人はあと二人。先生に質問に行ってます)。
「あ」
「ユーヤ!」
教室の中に、詩織がいた。教卓で腰をフリフリしながら雑誌を捲っている。
笑顔で「遅ーい」と雑誌を閉じる彼女を見ながら僕は笑った。確か今日は末長は神無月さんと一緒に放課後デート、坂東は塾、委員長は学校を出たらすぐ迎えの車、そういえば一緒に帰る人がいなかったのだ。
「待ってくれてたの?」
「ええ。一人で帰ってもつまらないでしょ?」
言いながら僕の方に歩んできた。
と、後ろの方で声がした。
「うあ…間近でちゃんと見ると本当に可愛い…」
「俺も初めてマジマジ見たよ。超美人」
驚いて後ろを見ると、僕とドアの隙間から同じように医学部クラスの授業を受けていた男の子達が群がるようにして教室の中にいる詩織を見つめていた。
-----不味い。
振り返った時、彼女は眉間にしわを寄せ表情を強ばらせたまま走ってきていた。クラスの皆は詩織が“美人”と言われるのがあんまり好きじゃないことを理解していた(騙した)し、末長だってカノジョが出来てから詩織を褒めることをしなくなったのですっかり油断していた。そうか、他のクラスの人は知らないんだった!!
慌てて2、3歩進みながら彼女に手を出す。ピクリと反応して彼女は僕の手を掴んできた。
バサ。
教科書や参考書が脇から滑り落ち、僕の足の甲に何冊も落ちた。そして止まりきれず僕の体に体当たりをかます詩織。
「ぷはっ」
真っ黒な学ランに顔を埋めていた顔をいつもの表情に戻して、すぐさま上を見上げてきた。
後ろの男子には僕が引き寄せたように見えたのか、詩織が胸に飛び込んできたように見えたのか「だ、大胆」「人前で…」とまごまごし始めている。
-----どう誤摩化そう?
「えっと…」
「転けたときはもう少し優しく止めてよ」
-----その手があったか。
慌ててしゃがんで上履きを見やり、口裏を合わせた。
「サイズ合ってないんじゃない?」
「タイツだから滑るのよ」
「なーんだ、変なこと始まるかと思った」
「ちょっと残念だな」
「「……」」
通り過ぎていく男の子達を眺めつつ、すぐさま後ろ手で教室の扉を閉めた。
「はぁー、危なかったね」
「そうね。これ以上変な噂が出たら…」
「あ、僕じゃ嫌だって言いたいの?」
「ふふ、ユーヤは恥ずかしくて学校に来れなくなるでしょ?」
ご名答とふざけて言って、落とした荷物を拾った。
鞄の中に生物の参考書と筆記用具だけを突っ込んで、詩織と共に教室のドアを閉めた。
すっかり暗くなった帰り道には、あまり人がいなくて寂しい。
「あ、今度委員長の家に行くのよ、女子全員で」
「なんで?」
「2月最大のイベントと言えば?」
「節分…は終わったね」
言ったら爺臭いと笑われた。失礼な。そして苦くて甘い物よと言われた。
-----ああ、バレンタインか。
バレンタイン…目立った思い出があるかと言えばないに決まっている。去年もその前も当日は気づかない振りをして毎年過ごしていたことを思い出す。というかむしろなければ良いと思うイベントだ。だって貰って帰れないと逆に惨めじゃないか、モテない男子には過酷な1日なのだ。
あ、でもそういえば貰ったことが1度だけあったな。中学1年生の時に、近所の幼稚園に通っている女の子が駆け寄ってきて包装も何もされていない、アンパンメンのペロペロチョコをくれた記憶が思い起こされた。ん、中学2年生の時はどこかの不良のお姉さんが走り際に「受けとりな」って言いながらチョコを投げつけられてこともあったな。あれは貰ったというかなんというか、わからないからカウントに入れてないけど…実際アレは何だったんだろう?
「委員長の家って大きいから調理場も大きいんだって。でね、みんなで作ってクラスの男子に配るの」
「へぇ、それは喜ばれると思うよ」
「でも女の子の方がチョコは絶対好きなのに、どうしてあげなきゃいけないのかしら?」
甘い物が好きな彼女は貰いたいらしい。確かに、甘い物は男より女の子の方が好きだ。考えもしなかったけど…。
一瞬考える。
「僕があげようか?」
「え!?」
「もともとバレンタインっていうのは周りの人に感謝を示す為のプレゼント交換の日なんだよ。チョコをあげるのは日本だけ、もちろん女の子から男の子へって言うのも。僕2月にアメリカを出る時、リザに何かあげた気がする」
感心したような声を上げ、首を傾けて斜め上を見ている。思考しているようだ。
そしてニッっと笑う。
「美味しいのよ?」
「捜しておくよ」
「ふふ、じゃあ私もホワイトバレンタインに何かお返しするわね」
指切りをしながら思った。デパ地下に男1人で行くのはさすがにちょっと目線が痛いんじゃないだろうかと。とりあえず、末長を巻き込むことを心の中で決定する。
「そういえば、ユーヤは誰かに貰ったことある?」
「ん? 中学生の頃幼稚園生にね」
正直に話したのにまた笑われた。
「じゃあ、初恋はいつ?」
「いつだっやかなぁ? あ、保育園で…」
「保母さんだ!?」
「違うよ、保育園で一緒になった1つ年上の女の子。ベタなところ持ってこないでよ、末長じゃないんだから」
唇を尖らせてやる。
コロコロ笑うその顔を見て、ふと気になった。親友は誰かチョコをあげたいと思っている人がいるのだろうか? 聞いてどうするとか言うものではないが、まぁ好奇心ってヤツだろう。もしいたって邪魔だてなんてするつもりもなければ嫉妬することもない。そう、僕らは友達なんだ。欲を言うならば義理チョコくらいは貰いたいトコロだが…。
「詩織はチョコ誰かにあげるの?」
「クラスみんな?」
「そうじゃなくって、特別に…本命だよ」
一瞬目を大きくした彼女はすぐに星が瞬く空を見上げて笑った。
綺麗な横顔を見つめて思う、やっぱりヤキモチ焼きそうだ。
「…まぁ別に言わなくていいよ。でもクラスでの義理チョコは期待しておくから、皆にも言っておいてよ」
何かを言われる前に先にかましておいた。
これで姉さんには文句は言われないで済むし、何も聞かなくて済む。聞いておいて言葉を言わせないなんてよく考えれば変な話だが…。
言葉をつぐんで、僕も空を仰ぐ。
もし、彼女が誰かの名前を即答していたら僕はどうしただろう。行動は今みたいに星を見るだけに停めておいただろうが、心の方は?
-----僕も焼きが回ってきたかな?
ふっと笑って思考を止めた。
悪いけど、呆れてしまった。
何に?
クラスの男子にだよ。
今日は2月の10日、バレンタインまでカウントダウンが始まった日だ。で、なぜ呆れているかって言うと、バレンタインには気づかないフリをしているくせに下心丸見えで「ノート写させて上げようか?」とか「鞄持ってあげる」とか「甘い物は嫌いじゃない」なんて女の子達にアピールをしているからだ。今更頑張ったって意味ない、するならせめて2ヶ月前くらいから策を練って頑張って欲しい。男は馬鹿だからそこには気づかないのだろうか、それとも気づかないフリか…。どちらにしろ、すでに女の子達の心は決まっているはずで、心の中でほくそ笑みながらご厚意に甘えているだけだろう。
「で、こっちの塩基の方が強いでしょ? だからHイオンが…」
2学期の頃から相変わらず続く質問に答えながら、はっきり思った。同じ男として情けないよ…。
お礼を聞きながら手を振った。笑顔で教室に戻っていく男の子達を見送る。
伸びをしながら自分も教室へ戻ると、パチっと末長と目が合った。
-----そういえば、明日休みだから末長と一緒にチョコ買いにいこうと思っててまだ誘ってなかったな。
椅子を引きながら話しかける。
「ねぇ明日一緒に出掛けようよ」
「いいけど、どうした?」
「チョコを買いに行きたいんだよ」
「はぁ? 山田くん男だよな?」
怪訝そうな顔で覗き込まれた。まぁそりゃそうだよね、男なのにチョコを買いにさらに男を誘って今や女性の聖地と化しているであろうチョコフェア売り場に赴こうとしているんだから。
パチパチまばたきをする彼から視線を外さずに続ける。
「逆チョコ。行こうよ、神無月さんも喜ぶよ。きっと」
急所を突いてやる。
なんだかんだ言って付き合いだして今月で2ヶ月目を迎える彼らは今が一番楽しい時期らしく、最近は末長は僕のことを全く相手しにしてくれない。一緒に帰ることもなければ前のようにゲームをしに部屋に遊びにくることもなくなった。ということは逆を返せば彼が神無月さんにハマっていると言うことだ。カノジョが喜ぶと聞けば、来ない訳はないだろう。
「…何時だ?」
「そうだね、駅前に昼過ぎなんてどう?」
お互いに頬杖をつきながら、詳細を話しだした。
「女ばっか」
心底嫌そうな声で僕の横を歩くのは、親友末長。
場所は委員長オススメのホテルマリーヌの3階にあるお菓子屋さんだ。甘い匂いに満ちた場所は押し合いへし合いの女の人の波。波というか、塊。
「手でも繋ぐ?」
「キモイわ!」
頭一つ飛び出た僕は、男と言うだけでもこの場には浮いているが背のせいでさらに浮くことになっている。が、気にしない。というのも、僕は姉さんとよくこう言った場所に荷物持ちとして来ることが多かったので慣れているのだ。でも男兄弟しかいない彼はどうも嫌らしく、そわそわと落ち着かない様子だ。
「あー、なんか喋ろう。落ち着かない…、山田くんなんか話して」
「急にそんなコト言われても…あ、神無月さんとはどう?」
「悪くない」
「手はもう繋いだ?」
顔を見ると顔が真っ赤だ。僕は見ないふりをして前を向いた。
「…山田くんこそどうなんだよ?」
「は、僕?」
驚いて目を合わす。
彼の目が爛々と輝いていた。うう、嫌な予感。
「友達友達言いながらイベントごとはきっちり二人で参加してるんだろ?」
「姉さんが誘うんだよ、僕じゃない」
「はっ、どうだか。嫌なら逃げれば良い、なのにそれをしないのは山田くんの意思だ。違うか?」
「姉さんの恐ろしさを君は知らないからだよ」
「嫌な気はしてないだろ?」
「そりゃ…」
-----そうだけど。
嫌な顔でほくそ笑む彼から目線を外す。忙しそうに働く可愛い制服を着た女の人が目に入った。奥にはパティシエ。
詩織といるのは嫌じゃない。むしろ一緒にいたいと思っているのは事実、でもそれは友達としてであって…下心がある訳じゃない。あわよくばなんて考えない時は…ないわけはない。男なら誰だってそうだよね。でも、僕だって理性はある。そう、それはそれは強固な理性が。お互い友達だと言っているのだから、たがが外れるなんてコトはきっとない。僕自ら何かするなんてあり得ない。
「山田くんはお固いからな」
「あのね…はぁ、最近流行(?)の草食系男子だよ」
「どSなのに!?」
「ノーマルです。まぁ喜ばせるのは好きだよ?」
「ハマる一歩手前だな」
「…誰にでもっていう意味なんだけど」
自分が神無月さんにハマってるからってよく言うよ。僕は純粋に人を喜ばせるのが好きなだけだ、大切な友達なら尚更。
ようやくショーウィンドウの中身が見えるようになって、二人で覗き込んだ。種類が多過ぎてよく分からない。
「うわ、1つ300円だってよ。泣かせてくれるな」
「まぁ5つくらい適当に包んでもらおうよ。ねぇこの後電気屋行かない?」
「賛成。一刻も早くこの場を抜け出したいね」
二人で可愛い包みを持ってお店を後にした。