僕はJelly、君はジェリー
日曜日、なんとなく脚が向いて、いつか来た大正ショッピングモールに来てしまった。
特に買いたいものなんてないがブラブラ一人で見て回る。
前々から気になってはいたんだけど、ショッピングモールでもデパートでもファッションビルでも、婦人服は多いけど紳士服っていうのは片隅にしかない。需要と供給のせいだろうか? まぁ女の人の方が身につけるものに敏感だし、カジュアルからお姉さん系、ギャル系、お嬢様系、最近では森ガールなんてジャンルまで出来たらしいから、やっぱり女性服が多くの割合を占めるって言うのは当然のことなのだろう。
2フロアほど飛ばして(婦人服なので)一番まで上がったら映画館だった。一応のチェックはしてみるものの、別段見たいものは見つからずすぐさまエスカレーターで1階まで降りた。
全くお金も使うことなく、本当のウィンドウショッピングをした僕はまたしてもなんとなく気の赴くまま駐車場側へ行ってみた。
「ペットショップ」
ああ、そういえば前に詩織と待ち合わせた時に別館があるのを確認したなと思いながら、自動ドアをくぐった。
中に入れば、一番目立つ所に子犬と子猫が各々のスペースに入れられ展示されている。チワワにパグにダックス…。ブースの目の前に立って見ると、彼ら(?)は僕と目を合わせ、つぶらな瞳で見つめてくる。尻尾を振って僕が右に動けば右へ、左に動けば左へ。そして急に気まぐれを起こして入れられたオモチャに噛み付いてはグルグル回ったりしている。
-----可愛い。
胸を鷲掴みにされた。キュンとした。
抱きしめて連れて帰りたいと思った。
視線をづらして価格を見れば10万をみんな超えていて…。まぁ値段がどうとかいう問題じゃない、実家は一軒家だが世話をするような人はいないし、僕はペット禁止の部屋を借りている。相対的に飼うなんて無理な話だ。
もう一度視線を子犬に向ける。こっちを向いてガラスをカリカリ。
-----ダメだ、これ以上ここにいたら。
「バイバイ」
小さく呟いてすごすごその場を後にする。隣のスペースに行ってみると水槽が所狭しと並んでいた。
色とりどりの珊瑚の上をこれまた鮮やかな色をした魚たちが泳いでいる。一瞬欲しいななんて思ったが、すぐにその考えはなくなった。確か海水ものって塩は吹くは塩分濃度やphの調節はしなくてはいけないわ、ヒーターを入れなきゃいけないわ、水質管理をしなくちゃいけないわ、結構大変らしいのだ。しかも珊瑚やイソギンチャクの飼育は難しく、高い値段で買ってもすぐに殺してしまいかねない。
はぁ。ため息をついてレジを通り過ぎようとした時だった。目が合った、魚と。
それは濃いブルーをした魚。泳ぐ度に長くて大きなヒレがヒラヒラと舞い、角度が変わる度に濃紺やコバルトブルーなど青でも色々な色彩を見せてくれた。座り込んで指を近づければ驚いて後退を始め、上の方に指を持っていくとエサを貰えると勘違いしてパクパク口を開けた。
「ベタですよ」
「はぁ」
後ろを振り向けば男の店員さんが僕を見てにこやかに笑顔を見せていた。
「ソイツすっごく飼うの楽なんですよ。見ての通り小さなスペースで飼えますし、酸素を出すブクブクも特に必要ないです。しかも結構強くて水を2ヶ月くらい換えなくたって平気で生きてますからね」
「へぇ」
感心して中を覗き込むと、ヒレを蝶のように振っていた。
-----飼ってみようかな。
水質管理も必要ないってことは休みの間に少し放っておいても大丈夫だろうし、このくらいなら飼っても大家に何か言われることはないだろう。それに値段がリーズナブル。
「じゃあ飼います」
言うと店員さんは一礼をしてどれにしますか? と聞いてきた。
そう、周りには白や赤のもいる。でも僕は勿論、
「この青いので」
目が合ったコイツにする。
簡単な説明を受け、ついでにエサと小さな金魚鉢と、酸素の出る石を買った。
そのまま水道水につけても全然大丈夫という説明を受けていたので、部屋に帰るなり金魚鉢に半分くらいまで水を入れて瓶の中身と一緒に流し込んでやった。一瞬驚いたように新しい住処の中でグルグルと回っていた彼(ベタは尾ヒレが長いのはオスです)はやがて落ち着いたのか、ポーっとどこかを見ながらフワフワ水中を漂い始めた。
早速エサを2粒ほど与えてみると、すーっと寄ってきてパクリと口の中に納めた。
満足感を覚えて、2、3歩下がっていつものようにテレビをつけた。
「名前、つけようかな?」
そう思ってじっと青い彼を見つめた。
でもいざつけようと思うとなかなかいいのが見つからない。
一郎…うお、ギョギョ、ハワイアンブルー、太郎…。
ネーミングセンスは僕には備わっていないみたいでさっぱりだ。変な名前を付けても可哀想だし、何より部屋に来た誰かに「ベタ男」なんて言ったら笑われそうな気がする。うーん、と頭を捻ってみるが何も浮かばない。
立ち上がって本棚の一番下にある辞書を手に取った。
なぜか“風林火山”が目に飛び込んできてしまった。
「ダメだ」
分厚いそれをもとの場所に戻して寝転んだ。
いつの間にか番組は再放送のバラエティーから料理番組になっていた。
『本日はマカロンを作ってみたいと思います』
-----マカロン…お菓子からっていいかも。
まんじゅう、うなぎパイ、だんご…日本のはダメかも。
ショートケーキ…違うな、スフレ…可愛いけどいまいち、プリン…なんか違う、モロゾ…これはお菓子店の名前だ。
「jelly…」
ピンときて膝を打って上半身を起こした。
ジェリー(ゼリー)なんてどうだろうか? 半透明のようなあの具合といい、見る角度によって違う色といい、涼しげな感じといい…。ピッタリな気がした。
「君の名前はjelly、悪くないよね?」
彼が応えることなんてなく、ただゆらゆらと水中を漂っていた。
月曜の昼休み、机をくっ付け合ってご飯を食べている。
本日は末長もいる、そして神無月さんも輪に加わって食べている。一瞬睨まれたが、ようやく僕も落ち着いたのだろう、心の中ではまだ笑っているが態度には一切でなくなっていた。だからおとがめなし。いつもより少し賑やかに談笑を繰り返している。
「そういえば私、昨日からペット飼い始めたの」
詩織が目を輝かせて言った。
「大丈夫なの?」
「何が?」
「殺さない? …嘘嘘、部屋で飼って」
そう、彼女はホテル暮らしだ。ホテルで動物が飼えるなんて、あんまり耳にしたことがなかったので聞いてみた。すると彼女は許可を貰ったと自慢げに言った。そしてお尻の方をモゾモゾさせ、携帯を出してきた。
パクンという音がして、カチカチ何やら操作を始めた。そして僕らへ液晶を突き出す。
「この子よ」
僕らは身を乗り出して、その写真を見入った。
画面の中には赤い…
「ベタ…」
思わず目をむいた。
色違いとは言え、偶然僕もベタを買ったからだ。真っ赤なソイツは大きなヒレを誇らしげにこちらへ向けている。明らかに雄だ。
「キレイですねぇ」
「えー、こんな小さな所で大丈夫なの?」
「うん。ペットショップの人が飼うの簡単だからって進めてくれたのよ」
僕も。と心の中で呟きながら、携帯を広げた。
「僕も昨日から飼い始めたんだ」
詩織の白い携帯の横に黒い携帯を並べた。青いベタが赤いベタを睨むような形になった。
「山田くんのは青ですか」
「へぇ色んな色がいるんだな」
感心したように末長が携帯を持って見比べ始めた。
「二人とも名前は何てつけたの?」
「jelly」
「ジェリー」
「「え?」」
同時に応えて同時にクエスチョンマークを飛ばし、顔を見合わせた。
そして笑いがこみ上げてくる。こんな偶然ってあるだろうか? 同じ日に同じペット(色違いではあるが)を飼い始めて、名前まで同じなんて。行動パターンが同じというか、思考回路が一緒というか。
「クスクス、何からの由来?」
神無月さんも可笑しかったようで、笑いながら聞いてきた。
「僕はお菓子のジェリーからだよ。涼しげな感じとか、色合いとか似てるなって」
「私はジェリービーンスからよ。色とりどりの空豆型の飴。可愛いじゃない」
由来は少し違うが、結局二人ともジェリー由来に違いはない(ジェリービーンスはジェリーを砂糖菓子や蜜蝋で固めたもの)。
またしても顔を見合わせ、今度は堪らず吹き出した。
「ヤダー、何二人して同じコトしてるのよ!?」
「偶然って恐ろしいな」
カップルが笑いながらそれぞれ腰元を叩いてきた。
「長年連れ添った夫婦みたい…ですね」
「…まだ会って7ヶ月だよ」
チラリと坂東を睨みながら恥ずかしさを隠すため不貞腐れた顔をしてみせた。
だいたい夫婦でもなければ恋人でもない(今だ勘違いされているが)。そういう風に言われると、むず痒い。詩織だって…
向かい側を見れば満面の笑みの彼女。
「戦わせてみない? 闘魚らしいし」
「やめてよ。ペットは飼い主に似るって言うじゃない? いくらベタ同士だからって…」
「何?」
「僕のjellyがボコボコにされるに決まってるじゃないか」
言うなり皆爆笑した。多分そうだと。
…これはどう受け取っていいのだろう?
僕らの力関係を分かっているからなのか、尻に敷かれていると言う風に受け止めるべきなのか、わからなくって僕も笑った。