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詩織ときどき大吉


 一定のリズムでガタゴト揺れる鉄の箱に揺られながら耳からは洋楽を取り込む。

 目的の駅の看板が見え、ゆっくり立ち上がった。

 思ったより同じ駅で下りる人が多くて、人の波に押されて改札口まで来てしまった。切符を突っ込んで駅構内にあるコンビニに赴くといつも隣に立っては綺麗な笑顔を振りまいてくる彼女の姿があった。

 立ち読みしている目の前のガラスに立ってコンコンとノックすれば、太陽のような笑みを向けられた。落ちてきたマフラーの端をピンと跳ね上げて出てくるのを待った。


「あけましておめでとう」

「あけましておめでとう」


 一年の始まりの挨拶を交わして、踵を返した。勿論、真っ赤な振り袖の着物を着た彼女を軽く褒ながら。

 僕は今、初詣に詩織と出掛けている。

 本来なら姉さんも一緒のはずだった。そりゃそうだ、姉さんが初詣に行こうと提案したのだから。なぜ彼女がいないのか、それは今頃ケンカをしているからだ。別に族なんかにはいっている訳ではない。では正月早々何のケンカかというと、昨日年越しK-1祭りがあったのだ。どういうことか簡単に説明すると、伝説の男の正体は詩織のお兄さんで格闘家である彼が自分の出場するK-1祭りに姉さんをうまく騙して誘ったのだ。彼女は出て行く前、深夜には帰ってくるとは言っていたのだけど、朝起きてみても家に戻った気配は一切なかったから、多分、一緒にいるのではないかと思う。一瞬「朝帰り」の3文字が頭に浮かんだが、あれだけ突っぱね合っていたのだ。それはないだろうということでケンカだろうと憶測している。万が一ってこともあり得るが…そこはなんだか怖いので、心の中でも気づかないフリをしている。


「ねぇ、手はどうしよっか?」


 ゾロゾロと同じ場所に向かう日本人という民族の真ん中で、手袋の先を摘みながら聞いてみた。

 小首をかしげて斜め上を見ている詩織の手には、着物に合わせたのか真っ黒な手袋がついている。合わない訳ではないが、やっぱり着物に手袋は違和感を感じる。まぁ彼女は極度の冷え性なので手袋なしでは生きていけないと言うのは分かるが、可愛いものを好む彼女としてはやっぱり…。


「私も外したいんだけど、寒いでしょ?」

「準備は万全なんだけど」


 言って自分の左手の手袋を右ポケットに突っ込んで彼女の左手の手袋も抜き去った。「寒い」なんて身を縮めた詩織の手を掴む。それは冬の冷気より冷たくって、生きているのか心配になるほどだったけど、おかまいなしにコートの左ポケットに突っ込んであげる。


「あ、ホッカイロ?」

「正解」

「あったかーい」


 ホッカイロと自分の手で冷たい手をサンドしてにっこり笑った。

 -----僕も大胆になったもんだ。

 1年前なら絶対に考えられないような行為に感心さえ覚えながら1つ目の鳥居をくぐった。そういえば、去年の冬休みは「絶対に家から出ない」と家族に駄々をこねていた。そう、自分の中で転校を意識して行動していた頃だ。あの時は大変だった。母さんは泣き出すし、父さんからは責められるし、僕だって苦しかった。でも理解してもらえた時は嬉しかったのを覚えている。


「何笑ってるの?」

「転校してよかったなって思って」

「私と出会えて?」

「まぁそれもあるかな、小指の先ほど」

「ひどーい」


 2人で冗談を言いながら、笑っていると列が少し乱れた。気にせず順番を待って、お賽銭を入れて鐘をガラガラ鳴らした。二回お辞儀をして拍手2回、そして願い事は…

 -----こんな幸せがいつまでも続きますように。

 ささやかだろう? と心の中で神様に舌を出しながらもう1度礼をした。


「ユーヤ、もう無理!! 早く、手!」

「うん」


 催促されて、もう冷たくなってしまった手をまたポケットに導いてやった。


「おみくじ引こ?」

「僕どうせ大吉だから」

「何それー!?」

「いい子だからくじ運は強いんだよ」


 巫女さんからおみくじを引かせてもらえば…


「ほら、やっぱり大吉」

「何何? 勉学、励みなさい? それ以上頑張らなくていいわよ」

「うーん…、あ。失せ物は必ず見つかるだって。ねぇ詩織はどうなの?」


 覗き込めば彼女も大吉。

 勉学、より一層励みなさい…、恋愛…


「あ、もう勝手に読んじゃダメよ」


 くしゃと、畳まれて隠された。謝って一緒に木におみくじを結ぶ。

 -----状況をよく見てよく考えなさい…か。

 結ぶ途中で目についた文字を心の中で唱えた。それって僕にじゃなくって詩織のほうがあってると思うんだけどな、そう思いつつ後ろを振り向いた。


「っ!!!!」


 思わず身を屈めた。嫌な条件反射だ。


「どうしたの? 顔色悪いみたいよ…」


 詩織が心配して僕の顔を見ている。お得意の作り笑顔を作ってなんでもないと応えた。が、何でもない訳はなくちょっとした吐き気を催してしまった。青くなって口元を抑えていると、背中が擦られているのが伝わってきた。


「ゴメン、大丈夫だから」

「…何かいたの?」


 こういう時は勘の鋭い人は困る。誤摩化しがきかない。まぁこれだけ過剰反応を示していれば、勘が鋭いとかどうとかっていう問題ではないのだろうけど。大きく呼吸を繰り返す。

 -----詩織は知ってるし…話してしまおうか?


「やっぱ無理」


 急に恥ずかしさが上回ってしまって鳥居をくぐった。と、すぐさま体が引き戻される。詩織が僕を引っ張ったのだ。

 -----弱ったな。

 少し落ち着いてきたので頭を掻きながら考えた。

 最近詩織やクラスメイトのおかげで全然意識をしていなかったが、去年ここに来るのを拒んだ理由を思い出した。そう、ここは結構有名な神社で近くの地域は勿論、遠くの県からもやってくる人がいる程なのだ。だから僕は去年ここを警戒して…。


「どうしちゃったのよ」

「うーん。ご飯食べ過ぎたかな」

「嘘つき」


 やっぱりはぐらかされてくれないみたいだ。

 僕は彼女の秘密知ってるし、これでおあいこにしよう…と腹をくくった。

 顎で鳥居の向こう側を指して彼女の目線を導いた。


「今境内に5人が並んでいるでしょ?」

「ええ。お賽銭箱の前の…女の子2人と男の子3人ね」

「あれ、昔の僕のクラスメイトで…」


 最後まで僕は言葉を発せられなかった。嗚咽のようなものが突き上げてきて、胸がつっかえたのだ。


「ユーヤを苛めてた人達の一部ってことね」


 視線を落としながら頷いた。

 恥ずかしい思いと言ってしまった後悔と苦しい思い出が入り交じっていて、なんだか詩織の顔を見れない。「逃げるな」と突き放されるんじゃないかという漠然とした不安感が襲ってくる。


「強いの?」

「え?」


 全く予想していなかった言葉に目を合わせてしまった。すぐさま視線を下げる。


「まさか。君の足下にも及ばないよ。だいたい彼らは不良じゃなくって普通一般の子たちなんだから」

「ただのクラスメイト…中の下ってとこね。いうなればスライム」


 どこで勉強してきたのか、スライムを例えに出してきた。某ゲームのスライムならばもっと弱いが、まぁ僕は町人クラスなので比喩としては間違いじゃないのかも知れない。


「まぁ。君はラスボスかな」

「ふふ、笑顔出てきた。行こう?」


 思わず手で頬を押さえた。気づかないうちに彼女のペースにハマって笑っていたみたいだ。

 出される腕を掴んでポケットに納めた。





「本当に大丈夫?」

「うん。多分、来る前に電車が発進するよ」

「アイツらも方向一緒の電車なんでしょ? 一度うちに来てからでも」

「ううん、大丈夫だから」


 改札を抜けた所で詩織に顔を覗き込まれた。

 昔苛めてきてたクラスメイトを見てしまったからってだけで女の子に心配をかけている僕は本当に情けない。精一杯の虚勢を張る。ホッカイロを取り出して握らせた。


「使っていいよ」


 そう言ってダッシュで地下に駆け下りた。なんだか泣きそうになってしまって、一緒にいられなくなったからだ。

 地下を潜って上のプラットホームに出ると、向かい側に詩織の赤い着物が見えた。敢えて目を合わせないよう下を向いて電車を待つ。なんだって新年早々、あんな奴らに会わなきゃいけないのか。

 -----全然大吉じゃない。

 姉さんがいれば、車だったから電車ではち合わせるかもなんて心配いらなかったのに…憎まれ口が頭をかすめたが、すぐさまかぶりを振った。別に姉さんが悪い訳じゃない。悪いのはタイミングと情けない僕だ。

 時計を見れば、電車がくるまであと5分。

 ため息をつくのさえ、惨めに感じた。


「山田!?」


 呼ばれて振り向けば、昔のクラスメイト達。

 たじろぎながらも会釈をすると取り囲むように僕の周りに来た。


「転校、どこにしたんだよ?」

「まったく皆寂しがってたぞ。パシリがいなくなったって」

「あはは、ヒドーイ」


 ポケットに入っている手がじっとりと汗ばんで、一緒に入っている切符がふやけた。下を向いて短く呼吸を繰り返す。

 止めて欲しいって言葉に出したいのに、全然声が出ない。喉はカラカラに乾いてきているくせに、背中には大量の嫌な汗。


「なぁどこの高校なんだよ。遊びに行ってやるからさ」

「元1-Eの同窓会ね!!」


 キャハハという声が木霊して、僕をどんどん闇へ落としていく。

 何処にいたって逃げられないのだろうか? 折角手に入れた優しいクラスメイト、喉から手が出る程欲した本当の友情、全てが彼らによって壊されるような錯覚を覚えた。僕が伝説の男の弟でないどころか、イジメられっ子だって知ったら皆は…。


「キャー!!」


 どこかで女の人の金切りが聞こえた。

 驚いてその方向を見ると向かいのプラットホームとの間、2本の線路の上に真っ赤な着物を着た女の子が歩いていた。


「しお!!」


 何かを考える前に僕は目の前の人物を押しのけて走り出した。ホームの地面に膝をついて手を突き出した。


「何やってるんだよ!?」

「だって、ユーヤが…」

「いいから! さっさと掴まって!!」


 詩織の腕を取って強引に引っ張った。


「……」

「何してるの、早く!!」

「…登れないのよ!」


 ホームと線路の差は目算110cm。普段の詩織なら僕の手を掴んだらヒョイっと乗り越えられる高さだが、今日は脚を広げられない着物だった。しかも彼女の靴は下駄。その姿では飛び降りることは簡単だが、上がることは難しい。振り向いて電車の到着時刻を見れば1分前。

 到着する時の音楽が鳴り始めて遠くの方でガタンガタンという音が聞こえてきた。右からも、左からも電車が迫ってきているのがわかった。

 喧噪の中、僕はホームから飛び降りた。

 叫び声も人々の驚く顔も気にしてる暇なんてなかった。電車が入ってくるアナウンスが聞こえ、振動で体が揺れる。


「早く、足掛けて!!」


 両手を祈るように組んで内側を上に向け、レシーブするようなポーズをとって詩織を促した。あまり重さを感じない体をホームへ跳ね上げる。


「イヤー!!」


 けたたましい程のブレーキ音で叫び声がかき消されて、何も聞こえない。

 真っ白な手を夢中で握ってホームの壁を2回蹴った。

 ガン。

 何かが車体に当った音がした。その瞬間、左から右へと風が吹き荒れた。


「ユーヤ!」


 床でうつぶせになっていた体を起した。

 言葉を発そうにも喉が渇き過ぎて声は出ないわ、腰は抜けて立てないわ、駅員さんが笛を吹きながら走ってくるわ。僕の頭はパニックに陥って座った格好のまま、ただただ呆然とするしか出来なかった。

 -----ああ、かすり傷一つか。

 詩織の足蹴にされた手を広げて、それだけはっきり思った。

 死ななくてよかったとか、危なかっただとか、そんなものは全く浮かんでこない。


「大丈夫かね!?」

「あ、はい」


 なんとかゆっくり立ち上がることに成功し、応えた。

 隣を見ればワンワン詩織が子どもも吃驚するくらいに泣いている。さすがに狼狽した駅員さんは軽く注意すると、すぐさまアナウンスを始めた。その横顔を見ながら彼女を引き寄せる。


「泣かないで?」

「だって、死んじゃうかと」

「うん、僕も」


 笑って言うと僕のお腹にタックルをかましてきた。いや、抱きついてきたと言っておこう。

 背中に腕を回して軽く叩いて落ち着かせてやる。

 -----馬鹿だな。

 自身にか、詩織にか、わからないが心はそう呟いた。

 後ろを見ればまだ何か話している駅員さん。そして発車のベルが鳴り始めていた。

 詩織を抱えて閉まりゆく電車へ駆け込んだ。


「あ、君たち!!」


 小さく手を振って水平移動を始める駅と、呆気にとられて口を開けたままの人達を後にした。


「あーあ。下駄、1つなくなっちゃったね」


 端っこに二人で座って、ようやく泣き止んだ詩織に言った。

 そう、何かが車体に当ったと思っていたのは1つの下駄だったのだ。彼女を空中に上げた時、脱げてしまったのだろう。

 汚れた足袋を見ながら機嫌を取るように新しいのを買う約束をしてやる。


「…ねぇそんな酷い顔してた?」

「え?」

「詩織が線路に下りる前」

「…ええ」

「思わず飛び降りる程?」

「ええ」

「ありがとう」


 大きく見開いた目を見ながら笑った。

 そう、あの時助けられたのは彼女じゃない、僕の方だ。

 闇の中にいた僕を少々強引過ぎる方法だったけど現実に引き戻してくれた。

 だから感謝の言葉を言うのは僕。


「どう…いたしまして」


 通り過ぎていく景色を眺める綺麗な横顔を黙って見つめた。

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