荒ぶるナイト*鎮める王子 #3
「はぁ、疲れたー」
思いっきり伸びをする。火照った体はまだまだ完全に冷えそうにない。それは風の強い橋の上でもそうで。
前で靡く詩織の髪を眺めた。
自分が初めて武道というものをちゃんと習ってみて初めて分かったことがある。っていうのは、実際習うのと動くのは違うっていうこと。頭では理解出来ていても体が動いてくれないのだ。咄嗟になれば尚更。二宮先輩に稽古の後に、急に腕をつかまれたけど「え?」なんてお間抜けな声を出すだけで今日習ったばかりの解手法でさえ、まごついて繰り出すのに10秒くらいかかってしまった。例えるなら、痴漢にあってもすぐに声を張り上げられない女の人の行動…みたいな…。
これ以上に“習うより慣れろ”の言葉がぴったりくることはないだろう。
-----冬、大丈夫かな?
すでに諦めモードに入ってしまった僕はそればかりが頭を霞める。どう考えたって実践を積みまくっている彼女の顔なんてピンポイントで触れることが出来るようになるなんて思えない。触れれるようになる頃にはもしかしたら、2人とも就職が決まっているような歳かもしれない(22歳位)。
-----そういえば、どうして僕なんだろう?
彼女に言われるまま、彼女の言葉を信じたまま、ここまで来てしまったのだけれど、それがどうしてプッツンした詩織を僕が止められるのかなんて今まで考えたことはなかった。だいたい、弱弱な僕なんかじゃなくって二宮先輩みたな強い人が詩織のストッパーには本来向いているはずだ。強いし、昔からの知り合いだし。
どうして、あの日、会ったばかりの僕がキレる詩織を抑えられるなんてコトに…。
「…や、ユーヤってば」
「え?」
「もう、さっきからずっと呼んでたのに」
「ごめん。考え事してたんだよ」
黒い瞳から逃れるように川を覗いた。
「何を?」
「…どうして僕が、キレた詩織を止められるのかってコト」
夕焼け色に染まった川に目を細めた。
とめどなく流れていく水は、まるで人生の様に見えた。流れて、流れて、そしていつかは誰もが行き着く海に出る。誰もが平等に、耐える事なく…。
それは僕だって、隣にいる詩織だって同じ。
キレてしまうと暴れまくるケンカの強い君が、何も出来ない気弱で苛められっ子だった僕の目の前に現れて、偶然触れたせいで僕らは始まった。
もし出逢ってなかったら? もし手が触れていなかったら?
今の僕らは存在しただろうか。
けど。あの日確かに交錯して、数奇な関係に陥ってしまった。
-----これは運命? それとも宿命?
「わかんないよ」
「いいじゃない、わからなくっても」
振り返れば、僕を見つめる詩織の顔があった。
その表情は僕からすれば、眉をひそめるものでしかなかった。だって、困っているような寂しそうな…それでいるのに唇の端が上がっていたから。困惑の表情…にしては嬉しそうで、でも悲しそうで。
見つめれば見つめる程、不思議な感覚にとらわれていく。
-----詩織は 原因を知ってる…?
どうしてか思ってしまった。証拠もないし、彼女が何か言った訳ではないけど…そう、これは僕の勘ってヤツだ。
「し…」
「だって、お姫様が守られる世の中は終わったのよ? これからは王子様をナイトが守る時代なんだから」
「…何それ?」
「私がナイトで、ユーヤが王子様ってこと」
あまりにも突拍子もないことを口に出されて、驚いてしまった。
ニィと詩織が笑った。
「素敵じゃない、ナイトを鎮められるのは王子様だけなんて」
「普通ゲームとかじゃ、荒れ狂う龍とか神様を鎮められるっていうのは神聖な巫女なんだけど」
「じゃあ何? 私が龍とかよくわかんない魔王だっていうの!?」
「そ、そういうわけじゃ」
わかってるわよと言って彼女はいつもの綺麗な笑顔を僕に向けた。
確実に彼女に誤摩化されてしまったと思う。でも聞いてしまったら、何かが壊れる気がした。
だから何も考えず、素直につられて笑うことにした。
「そしてLesson 1(レッスン ワン)」
「え?」
指差す方向を見れば、いつの間にか如何にも悪そうな男達が僕たちを見て笑っていた。
「随分可愛い子だな」
「レベルとか、そういう問題じゃねーな」
どうして男の僕が隣にいるっていうのにこういう自体に陥ってしまうのだろう。普通、男が一緒にいたらナンパなんてしてこないもんじゃないのだろうか?
-----しかもLesson 1って、どういうこと!?
思わず唾を飲み込む。
-----まさか、僕に倒せなんていうことじゃないだろうね。
知っての通り僕は何も習得出来ずに3時間を終わらせてしまった。そりゃあもう、稽古をつけてくれた二宮先輩に悪い程に。
「あの女ッス、間違いないッスよ!」
「ほー」
「後輩が随分世話になったみたいだな」
よく話を聞いてみれば、ナンパじゃなくて怨恨だった。怨恨というのもどうかと思うけど、とりあえず詩織に昔やられたことのある輩が、先輩である2人を送り込んできたということらしい。僕も情けないが先輩の陰に隠れて2人にエールを送っている彼も情けない。彼とは気が合いそうな気がした。
詩織の顔を見ると、笑顔で僕を見ている。
「無理だからね」
そういうと彼女は頬を膨らませた。
この場合、女の子にやられて仕返しに来たくせに先輩2人の後ろに隠れているあの男の子と、女の子にケンカを一任しようかと考えている僕はどちらが情けないだろうか?
仕方ないじゃないか、そうだろ? 今まで慣れない武道を3時間もさせられて、体力も残っていない非力な少年(山田裕也)の方が不良少年達より明らかに不利だ。それに10段階で僕を1の強さだとすると、9か10の強さを持つ戦闘要員(虹村詩織)が前に立つのは、可笑しいことではないはずだ。極端な話をするなら、小学生低学年の男の子が自衛隊のお姉さんに守ってもらうようなもんだ。
-----はぁ、でも同い年だからなぁ。
「危なくなったら守って」
これが今の僕のギリギリいっぱい。やるだけのことはしよう、でも僕の命は散らさないで欲しい。出来れば、痛くならないうちに救出して頂けるとありがたい。王子様ですから。
勇気を振り絞って詩織の前に立ちはだかった。
「どけ」
「別にお前からでもいいんだぜ?」
「……」
凄まれて涙目になりながらも頑張ってはみるものの、人間とはすぐ楽をしたがる生き物だ。できれば傷つきたくない生き物でもある。すでに白旗万歳、裸で「降参」といいながら白旗を大きく振りたい気分だ。
-----もう、すでに無理です詩織様…。
そう思った瞬間、僕の体に悪寒が走った。後ろを見なくても分かる、すでに彼女の策略の一部にハマってしまったらしい。
-----無茶だって。
タラリと米神辺りに一筋の汗が通っていった。
「構えて!!」
体がビクついた。そろりと後ろを向けば、腕を組んだ状態でプレッシャーがかけられていた。どうするなんて悩んでいる場合ではなさそうだ。たぶん詩織は優しい子だから、きっと助けてくれる…はず。信じよう…。
教えられたようにゆっくり息を吐ききりながら右半身(右足を半歩前で構えた状態)にした。
「違うわ!!」
また体がビクついたと同時に、詩織が僕の前に立って構えた。
「後ろ足は90度に、左手はそんなに前じゃない! ミゾオチ辺りで構えるのよ!」
「え…」
「こうよ、こう!!」
僕に指導を始めてしまった。
-----それどことじゃないって、危ないよ!!
言おうとした瞬間、すでに遅くって「ふざけるな!」とツバを道に吐きながら男が詩織に右パンチを繰り出していた。しかし、それは僕の油断であって詩織の油断には入らなかった。
半歩体をズラして、男の拳を避けつつ手首を掴んで力を殺すことなく僕の後ろに去なした。彼はそのまま出っ張っている電信柱にぶつかって脳震盪を起こし倒れてしまった。哀れ。
「今みたいにするの」
あっという間の出来事でさっぱりよくわからない。多分、二宮先輩に教えてもらったんだろうけど…。
「ご、ごめん」
「もう!! 左足を出して拳を避けつつ…左手で相手の手首を握るか、握らないかくらいで、そのまま。こぅよ!」
レクチャーしつつ、もう一人の男をまたもや去なした。またしても、そのまま出っ張っている電信柱にぶつかって脳震盪を起こし倒れる哀れな人が増えた。
チラリと詩織の向こう側を見れば「先輩!!」とか慌てつつこっちに向かってきている後輩くんが見えた。
-----あと1人か…。
「詩織、もう1回いいかな?」
「打ってきてるでしょ? 左足を出して(以下略)。で、こぅよ!」
そして3人目も難なく同じように去なして(以下略)。詩織を見れば「もう」なんて言いつつ、腰に両手を当てて頬を膨らましている。
「よし、じゃあ次はユーヤよ」
「もういないけど…」
「え!?」
そう、解説しながら詩織が3人とも倒してしまったのだ。周りをキョロキョロと見渡し、倒れている男達に近づいてツンツンと突いている。
「酷い! 全部させたわね!?」
「させたんじゃなくって勝手にしたんじゃないか…」
そう、3人目は計画犯だが1、2人目は僕は計算なんてしていなかった。勝手に詩織が倒してくれたのだ。憶測だけど、武道のことになると彼女はキレた時と同じように周りがあまり見えていないようだ。
-----しばらくコレで行こう。
ずる賢い算段をすると口の端が上がった。
「折角いい教材になると思ったのにー」
「……」
恨めしそうに屍(?)を見下ろしている。
本気で僕を激突させる気だったんだろう。先に歩き出した僕を追いかけてきながらも何度も振り替えっている。
-----指導は二宮先輩だけにしてもらおう。
じゃないと詩織は僕にぶっつけ本番(不良とのケンカ)をこれからもさせかねない。意外なスパルタな彼女に、僕の体は付き合ってられない。まだブー垂れている彼女のご機嫌を取るため、僕は初めて2人で行った可愛いお店に行くことを提案してみた。
すると彼女は面白いように術中にハマってくれた。
早く、早くと言って袖を引っ張ってくる。
笑いながら彼女の速度に合わせた。
-----全部姉さんみたいに計算づくじゃない所がまだまだ甘いっていうか。
可愛いトコロである。
だから女王様と違って一緒にいようなんて気になってしまうのかも知れない。
ああ、でも折角だから姉さんみたいな悪魔にならないよう今のうちに調教しておくのも悪くはないかもしれないって…。
-----調教ってなんか言い方…エロい。
発想が行ってはいけない方向へ行ってしまった自分を恥じながらも、ふと思った。あの神無月さんの心理テストはあながち間違いではなかったのかも知れない…と。
その後、罪悪感を感じてしまったため、詩織に夕食を奢ったというのは内緒だ。