ハロウィンと小悪魔
「Trick or Treat(トリック オア トリート)」
刃物を突きつけられた、オモチャだけど。
それは虫歯菌を擬人化させたような悪魔みたいなヤツが持ってるフォークみたいなの。
「うちには金目の物なんてないけど…」
「知ってるわよ」
シラケた顔で姉さんが呟いた。
今日は日直当番なので少し早めに家を出ようと玄関を開けた瞬間がコレだ。嵐と姉さんは唐突にやってくる。ああ、あと泥棒も。
急いでいる事を伝えると「私もよ」と大きな紙袋を渡された。
「何コレ?」
「詩織ちゃんに渡して欲しいの」
「自分で渡してよ」
「残念だけど、今から友達と海外旅行なのよ。だから頼んだわよ」
そう言って台風の目、もとい姉さんは車を飛ばして行ってしまった。
この袋の中身は一体なんなのか? 自分で渡せばいいのに、僕にわざわざ持たせるっていうのが不気味だ。ま、詩織にというのだから決して変な物ではないとは思うのだけど…信用しきれない僕は弟として失格かな?
少し重たいそれを持って学校に出掛けた。
先に花壇で水やりをして日誌を取ってから教室に行くと詩織が一人で日直の仕事をこなしてくれていた。
「ユーヤおはよう」
「おはよ。花壇の方はやっておいたんだけど」
「私も教室のはやっちゃったわ」
そう言って自分の席にお互い座った。
「コレ、姉さんから」
「何かしら?」
「さぁ、僕も知らないんだよ」
紙袋の中身を見てみれば、加重包装された何かが入っている。さらにそれを剥いでやると…
「コートだ」
目を爛々と輝かせ詩織はすぐさま羽織った。真っ白のそれは詩織のお腹の辺りが丁度裾になっていて、手の長さもピッタリのようだ。フワフワしたファーが着いたフードを被せてやれば、一気に冬の様相になった。
小さな顔がファーに包まれてさらに小さく見える。
「こんなにいいの、貰っていいのかしら」
「いいんじゃない? 姉さんがくれるって言ったんだし」
肩をすくめてみせれば、彼女は大喜びで姉さんにメールを打ち始めた。
黙ってその様子を見ているとクラスの人気者、神無月さんと女の子達が入ってきた。挨拶を交わして間もなく、詩織の格好を見た女子数人はあっという間に彼女の回りに集まった。
「詩織ちゃんコート着てるー」
「超可愛い、これ何処で買ったの!?」
「ユーヤの…」
「げげ、これバウバリーの今年の新作じゃん!! コレ高いのよ!?」
「山田くん私にも買ってよ!!」
無茶を言わないでほしい、バウバリーなら尚更だ。たぶん、5万は下らない。
それに、
「僕じゃない、姉さんからだよ」
そう、プレゼントしたのは姉さんだ。決して僕じゃないことを強調しておいた。
「ええ!? 家族公認なワケ!?」
「……」
そうきたか…。確かに、確かに家族は公認だ。でも本人達が公認じゃないコトを忘れて欲しくはない。というか、何度も言っているのだからそろそろみんな理解して欲しい。
-----ああ、こうやって回りは固められていくのか…。
詩織へのこのプレゼントさえ、姉さんの策略の一部にしか僕には見えなくなってきた。人間不信かもしれない。
「そういえば明日からバーゲンだよ。詩織ちゃん行かない?」
「行く! 可愛い手袋と耳当てが欲しいの!」
「決まり。山田くんはどうする?」
「僕は…」
今月はちょっと厳しいから行かないと言おうとしたら、携帯と教室に入ってきた末長が音を立てた。
「僕も行く、行くよな山田くん!!」
「え、ちょ、ちょっと待って」
携帯を見れば着信は姉さんからだった。席を立って教室の隅で着信ボタンを押した。
『姉さん?』
『詩織ちゃん似合ってるでしょ?』
『うん、まぁ』
『ったく、ちゃんと褒めたんでしょうね!?』
口うるさく姉さんが僕を責め立て始めた。怒る為に電話をしてきたのだろうか?
『もう、まぁいいわ。言い忘れてたんだけど、詩織ちゃんのコートの右ポケットにお金が入ってるのよ。それでコートとかマフラーとか買いなさい』
『いいの? 何かの罠?』
『何かして欲しいワケ!?』
電話なのに僕は条件反射的に謝りながら頭を下げた。
彼女はふんっと鼻を鳴らした。
『違うわよ、今年は学ランでしょ? 去年までのPコートじゃ使えないじゃない。着ても着膨れするわ。だから新しいの買いなさい。ダサイ格好なんてして学校行かないでよね、あくまでユーヤはモデル*美嘉子の弟なのよ!?』
一気に捲し立て上げられた。
どうやら、金はやるからきっちりオシャレをしろと言う事らしい。姉さんらしいちゃらしい。
ま、お金をもらえるならば僕は文句は言わない。すぐさま肯定の意思を伝えて携帯を切った。
「詩織、右ポケット見てもらえる? 姉さんがお金入れてくれてるみたいなんだけど」
未だコートではしゃいでいる女の子の群れに近づいて言うと、詩織がポケットに手を突っ込んでくれた。黙って手を差し出すと握られた諭吉のお札が数枚手の上に落ちてきた。1、2、3、4…。
「うあ、高校生の持つ金額じゃないな」
ごもっとも。どんなコートを買わせる気だろう? とりあえず、くれるのであって出世払いでないことを強く願った。
通り過ぎて行く人達を目で追いかけて観察する。
昨日クラスの女の子達と約束したのが10時駅前集合だから、あと15分はここで大人しく待っていないといけない。ここらへんで買い物をするのかと思っていたら、平城駅周辺がいいと言われたのだ。確かにあそこらへんは大きなデパートやファッションビルが乱立している。そういえば詩織が前に化粧品を買っていたのもそこだったなと思い出す。
今日は少し寒い。だから衣装ケースの中から引っ張りだしたばかりの香りがオリーブ色のモッズコートから少しだけする。まぁ防虫の芳香じゃなくって石けんの匂いだから平気だが。やっぱり言われたように冬支度なんかで直すときは石けんを入れるに限るね、でもいつも使ってる石けんとは匂いが違うから違和感があった。
そしてその違和感に気づく人物が1人。
「なんかいつもと匂い違う…」
そう言いながら僕の隣に腰を下ろしているのは、僕の親友、詩織だ。クンクンと犬のように鼻を鳴らして僕の肩らへんを嗅いでいる。
「いつもとって、いつもなんか匂う?」
「うん」
「嘘!?」
慌てて下に着ているTシャツを嗅いでみたがよくわからない。自分の匂いっていうのはやっぱり気づかないみたいだ。…臭くないよね?
「あは、臭くなんてないわ。いつもは石けんの爽やかっぽい匂いよ、私は好き」
ほっと胸を撫で下ろした。
これで臭いなんて言われてた時には、気弱な僕は電車に自ら飛び込むか、今すぐここを退散するけどね。
「今日は服だしたばっかりだから、違う匂いがするのかも」
「そうね、今日はなんか甘いわ」
言われてみれば確かにバニラっぽいかもしれない。あとで末長に聞いてみようか? いや、止めておこう。男臭いって言われるに決まっている。彼の事を想像していると、張本人が向こうから手を振りながら走ってきた。
続々と集まった人数は計6人。最後の人が来た流れでそのまま駅構内へ入った。
「ヤーン、あれも可愛い!」
「コレ似合うんじゃない?」
「あ、このSサイズってあります?」
肘で小突かれた。
「女の買い物は永いな」
「君が行くって言ったんじゃないか」
「そーだけど、ここまでキツいとな」
確かに、すでにファッションビルを2件はグルリと回っている。それでも疲れているのは僕と末長だけで、あとの4人は女の子だというのにまだまだ元気だ。女子の買い物するときのエネルギーは半端ない。女兄妹のいない末長はようやくそれが理解出来たようだ。いつもなら姉さんにしつけられた僕は女の子の後を着いて廻るだろうが、今日は末長と一緒に近くのベンチで休憩中だ。足を組んで、その上に肘をついた彼はブツブツとさらに続けた。
「だいたい、カメラ向けたら怒るのも許されん」
「普通じゃないかな?」
「そうか? こんなにも苦労している僕たちの心のオアシスに少しは貢献してもらってもいいと思うが」
たちじゃなくて君だけのね。
「にしても、女の子って大変だな。どんな小さなことでも可愛いのを選ばないといけないんだから」
「ああ。その分は男で良かったよね」
「楽だしなー。でも、この分じゃ僕たちが何かを買える時が来るのはまだまだ先そうだな」
「ま、気長に待とうよ。ガムいる?」
「サンキュ」
ミントのすーっとする清涼感を口の中で広げながら彼女達の帰りを待つ。と、透明なガラスのブースから神無月さんが僕たちを呼んでいるのが見えた。
「どの色の方がいいと思う?」
わざわざ呼びつけたかと思えばそんな質問。でも応えないわけにはいかない。神無月さんのイメージは…
「オレンジ…かな」
「僕は黒。好みだからな」
末長と僕の言う事はバラバラだった。仕方ない、僕らに聞くのが間違っている。
-----でも多分…黒を買うね。
実は最近なんだけど、神無月さんは末長に気があるのだと言うコトをクラスの誰だったかに聞かされた。意外ではなかった。末長はいうことはズバっというものの、結構いいヤツだし、何より女の子に優しい。ま、男の僕からしたら下心は丸見えだけど。それでも彼女がいいって言うのであればいいんじゃないだろうか、僕は応援しようと思っている。
「やっぱりね」
神無月さんは予想通り黒をレジに持って行った。
「あ?」
「なんでもないよ」
つい全てを喋ってしまいたくなる衝動を押さえながら、僕は他の女の子達を見た。手には大きな袋がいっぱい。
「持つよ?」
「あ、お前、好感度UPを狙ってんのか?」
「僕はこっち持つから神無月さんの持ってあげてよ」
「…ああ」
肩を叩いて手を差し出している。残念だな、折角そんな近くに本当のオアシス候補がいるって言うのに気づかないなんて。ま、教えてあげないけどね。
少しだけ紅潮した感のある神無月さんを見つめた。
「ユーヤ! これ、これ!!」
詩織の耳にはフワフワのファーの耳当て。相当気に入っているのか、目がキラキラしている。僕は笑って肯定してやった。
「コレも」
見れば、少しピンクの手袋とマフラーも持っている。
詩織の大好きなメルヘン仕様だ。モゾモゾとつければ耳、手、首は冬に対して完全武装。うんうん、僕は可愛いの、好きだよ。
-----ちょっと待って!!
レジに向かう詩織を慌てて引き止めた。怪訝そうな顔をする彼女に小さな声で言う。
「こんなに体覆ったら、キレた時どうするの?」
「ハッ!!」
やっぱり何も考えていなかったようだ。
「うー。でも、私冷え性だから絶対なのよ、防寒グッズ」
知ってる。
ん、でもよく考えてみれば僕だって手袋はめたりマフラーしたりするわけだ。幾ら彼女がキレるからって何もしないわけにはいかない。絶対に寒い。
「指の所に穴開ける…とか?」
「嫌ー、絶対イヤ。可愛くない!!」
うん。僕も嫌だ。
頭を抱えて考えた。対策としては、まず教室に入ったらすぐに手やマフラーを取ること。それから帰りは…帰りは…。どうしよう、寒いし、暗いし、悪漢が増える時間だ。
「ま、なんとかなるわよ」
僕の悩みなんか一縷もわかっていないような顔で彼女は再びレジへ向かった。
-----冬、どう乗り切ろう?
再び頭を抱えた。
ようやく女の子達の買い物が終わった頃にはすでに4時過ぎ。
すでにくたびれた体を引きずってメンズフロアに移動する。ちなみに女の子達は超と言っていい程まだまだ元気だ。
横を見れば末長なんて半分白目剥いている。
「あー、僕らここで見るけど、どうする」
「一緒にいくわよ、今日一日付き合っててくれたし」
「そうよ、その間くらい自分で荷物持つもの」
-----優しい。
姉さんなら、最後まで僕に持たせたまんまだ。ちょっと感動を覚えながら、彼女達に甘えて荷物を渡した。
「なかなか良い長さのないなー」
「学ランって半端だもんね」
「そうなんだよ。無難にダッフルコートでも買っとくかな」
「だね、長過ぎるとサラリーマンだし。あ、このフード付きPジャケ可愛い」
「いいんじゃね? 長さ的には多分丁度いい。あ、コレ着たら司祭だぜ?」
「ぷっ。あ、そこの青いモッズコート取って」
「コレ?」
「そう」
「少し明るすぎない?」
「学ランが黒だから丁度いいかと思って」
「ああ、言われてみれば。お、このツイードブルゾンよくね?」
「おお! ナイスセレクト」
僕たちはすぐに決まってすぐに移動する。多分、女の子達の5倍は速い。
小物の所に行って、すぐさま漁る。
「このチェックなら何でもいけそうだよな」
「うん。あ、僕その下のヤツが良い」
「オレンジ?」
「ソレ。Pジャケにはこれにする。でー、ブルーのモッズには…」
「これは?」
「なんでボンボン付いてるの選ぶんだよ!! 僕は男だって。なんでこんなのが…」
「いや、気持ち悪いかと思って」
「わかってるならしないでよ。あ、この紺で良いや」
「手袋どうする?」
「買う。あーレザーって温かいけど、なんかやんちゃ過ぎじゃない?」
「わかる」
と言う感じで、僕らの買い物はものの30分くらいで終わってしまった。
あまりの早さに女の子達が驚愕する程だった。そんなもんだって。
その後、ご飯組とすぐさま帰る組別れて解散した。帰る組は意外にも僕と詩織だけで、末長はご飯に行くのだそうだ。あれだけ文句言っていたのに、どういう風の吹き回しだろう?
混んでいる電車の中で運良く空いている席を一つだけ見つけて詩織を座らせその前に立った。
「ねぇ知ってた? 神無月ちゃんのこと…」
「末永のことかな」
「そう。今頃どうしてるかしら?」
多分どうもしてなんていない、普通に4人でご飯食べてるね。ま、2人っきりならわからないけど。
しばらく黙って、車内アナウンスを聞いてホームに出た。
長い髪を追って自動改札に切符を突っ込む。
「んー、帰ってきたー!!」
「お疲れさま」
伸び終わった彼女に荷物を渡す。
ありがとうと言いながら受け取ると、少し何か言いたそうな顔をした。
「どうしたの?」
「ん、今日は匂いが違ってたから…違う人といたみたい」
そうかな。
僕の鼻はすでに慣れてしまって、全く分からなくなってしまっていた。
-----ああ。この香りがあんまり好きじゃなかったのかも。
モッズコートを片手ではぐって直接匂いを嗅ぐと、少しだけ甘い匂いがしてきた。僕は嫌いじゃないんだけどな。
「その甘い匂い、嫌いじゃないけど…」
そう言った瞬間、彼女は僕のTシャツに顔を埋めた。
「ちょ!!」
両手はコートの両端を持ったまま、クンクンと鼻を鳴らしている。詩織の冷たい鼻先がTシャツ越しに伝わってきて、思わず顔が赤くなる。
僕は今、何が恥ずかしいのかさえよく理解出来ない。においを嗅がれていることか、密着状態にあることか、抱きつかれているように見えることか、バクバク音を立てている心臓に気づかれることか…。
頭の中がグルグルして動けずにいると、詩織がパッと顔を上げた。
-----ヤバいよ…。
何にヤバさを感じたのか、なぜか思ってしまった。
「やっぱりいつもの匂いの方がユーヤらしいくて落ち着くわ。ふふ、じゃあね」
そう言って彼女は僕を置いて一人ホテルの方へ走って行ってしまった。僕は手で押さえて、回りの人に耳まで赤くなった顔面が見えないよう隠した。首まで熱い…。
甘い香りが漂ってくる。
それはコートの匂いじゃなくって、詩織のシャンプーの香り。
-----くっついたから移ったのか?
自分で考えたくせにまた顔が赤くなった。もう、自分でどうしていいのかわからない。
ため息をついて、歩き出した。
朝は気づかなかったけど、町中は所々にカボチャのランタンが置かれていたり、たまに「Trick or Treat(トリック オア トリート)」という子ども達の声が聞こえてきた。
そういえば、今日は10月31日ハロウィン。
クリスマスと違って日本はあまり存在感がないので、すっかり忘れていた。あれってお化けのお祭りなんだよな。ああ、悪魔という名の姉さんは昨日来たな…。
「悪いイタズラだよ」
まったく。
ハロウィンじゃなくたって僕の周りには質の悪い悪魔と、小悪魔が飛び回っている。
-----ジャックランタンでも買おうかな。
そう、あのかぼちゃのランタンは善霊を引き寄せ、悪霊達を遠ざける効果があるといわれているのだ。
でも。
姉さんに使っても効きそうにない。
詩織にだってあの目に見つめられれば…。
結局僕は2人の悪魔にいいように扱われるのだろう。
深い深いため息をついて、家路に着いた。