少年進化論
今日から大正学園は一斉に衣替えだ。
実は中学も前の高校もブレザーだったので学ランを着るのは初めてだ。女の子のようになぜか服くらいに浮かれてしまった僕は、うっかり時間を間違えてしまって今、7時半。いつもより1時間も早いのに支度が終わってしまった。
-----どうしようかな?
テレビを見ながら考えていると占いコーナーで思った時が吉日でラッキーカラーは紺色だと言っていた。
ゆっくりリモコンを押して、のんびり部屋を出た。
最近は朝夕が急に寒くなってきて実は長袖のシャツだけじゃ心もとなかったところだったので、学ランの威力はもの凄い物なんだと思い知った。まだチラホラしか人のいない校門をくぐると、前方に最近一番気になる人がいた。
「お? ユーヤ」
「二宮先輩…」
そう、薄い金色の髪と青いピアスが目印のタバコが似合う彼だ。
「学ラン…似合ってるんだか似合ってないんだか」
「…今までブレザーだったので」
「へぇ」
さすがに先生達が登校してくるここでは彼も白い煙を吐かない。それでもほんのり苦くて甘い香りが僕の鼻腔をくすぐっていた。それは朝の冷たい空気とケンカする事なく、心地よさを残す程。
「ちょっと付き合えよ」
「どこに…」
「屋上」
そう言って彼は僕を学校で一番高い場所へ誘った。
ジッポの金属音を聞いたかと思うと、白い煙が上がった。ゆらゆら揺れるそれは、まるで僕に挨拶しているみたいだった。
「吸う?」
「いえ…」
彼はまたしても僕にタバコを勧めてきた。手で制すると彼は笑って箱を胸ポケットに閉まった。
距離にして約1m50cm。それが二宮先輩が煙草を吸っている時との距離だ。
2人で何も話さず突っ立ったまま、時間が流れていく。こういう時間は苦手だ。でも、なぜか彼となら僕は何時間でもここに黙ったままいれる気がした。
「ユーヤは…詩織がキレる事知ってんのか?」
「はい」
「へぇ? それでも一緒にいるお前って結構すげーな」
彼は空に向かって煙を吐き出した。
赤いタバコの火が手によって踊らされてる。
「それが何か?」
「いや、知らないで付き合いしてるのかと」
「……」
彼は知らないって言ったらどうするつもりだったんだろう。キレるって教えてくれたのだろうか? それともあの女は止めとけなんて忠告してきたのだろうか? 彼の真意を掴めず、空を仰いだ。
「今日はそれだけだ。呼び出して悪かったな」
「あ、はい」
僕は二宮先輩が降りて行った階段をいつまでも見ていた。
そういえば、僕は詩織について本当に知らない事が多い。一番近い所にいるのに。
-----あ、誕生日も知らないや。
僕と初めて会った時にすでに17と言っていたので、もしかしたら誕生日は近いのかも知れない。
-----今度聞いてみようかな?
携帯を開いてみれば9時10分前。ゆっくり階段を下りた。
今日は職員会議だとかがあるとかないとかで、平日の早い時間に帰れた。
いつものように末長と別れて詩織と話しているとどこからかキャッキャという楽しげな声が聞こえてきた。好奇心旺盛な彼女の後について行くとそこには多くの遊具がおいてある公園。結構大きなそこにはブランコはもちろん、縄で出来た遊具や滑り台、鉄棒など様々な遊具が並んでいる。向こうの方を見ると未就学の小さな子ども達がブランコで遊んでいた。
で、高校生にもなる僕の親友はどうするかと見ていたら、やっぱりというか走り出していた。
制服のままで運躰にぶら下がっても高い身長で脚を曲げないと意味がないし、鉄棒ではスカートなので前回りも出来ない。ちょっと触っただけで不貞腐れるように彼女は次々と遊具を廻る。
ふいに腕が掴まれたと思ったら、細い階段を上らされた。
不思議な感覚だ。
小さな時は両手で遊具の手すりを掴んでも全く狭いなんて感じていなかったのに、今は両足を乗せるだけで狭いと思う。ちょっと窮屈な階段を上ると、詩織が体を小さくした。鉄で出来た屋根の通路があるのだ。詩織でさえそれなのだから、僕は体を半分くらいにしないといけない。普通に立つとお腹のあたりにある屋根をくぐると、目の前には広い空。
きっと小さな時にはそんなの気にせず、すぐさま眼下にある滑り台に一目散だったろう。これが心の余裕ってヤツなのだろうか?
「意外に高いところにあるのね」
彼女は風でなびく髪を押さえながら言った。
僕らの背より少し高いだけのこの遊具なのに、どうしてそう思ってしまうのだろう。そういえば、昔は滑り台の上が一番高いと思っていた。ビルにだって上った事があるし、飛行機だって乗っていたのに。
「詩織の背がでかいからだよ」
ふざけて言うと頬を膨らました。
「実はコンプレックスなのよ?」
「へぇ」
知らなかった。
-----そうか、女の子だもんな。
だから、あまりヒールの高い靴を履いていないのかもしれない。彼女の足下を見た。
「いきマース」
詩織が横断歩道を渡る幼稚園児のように手を挙げて、細い鉄の柵を持って滑り台に脚をかけた。
「スカート汚れるよ?」
「平気、脚で滑るもの」
そう言って彼女は両手で柵を掴んだまま、脚だけを滑る場所に置いた。滑り台はローラー式で、滑るとガラガラと轟音を立てるアレだ。「靴で滑るなんて危なくない?」そう注意しようと思った矢先、彼女の指は柵を離した。
カタカタとゆっくり滑って行く彼女の背中を眺める。
中盤に差し掛かった頃だろうか?
坂が少しだけ地面に対して平行になる場所に差し掛かった時、詩織の靴がローラーに引っかかって転けた。
両手を滑り台の柵について落ちはしなかったものの…
「紺色…」
ふわっと舞ったスカートから見えてしまった。
慌ててそっぽを向くと、後ろを振り返っている詩織が視界の端に確認出来た。そして、何もなかったようにまた滑って行く。
-----誤摩化した…。
笑いを堪えて口を押さえた。鏡を見なくたって分かる、口の端がメッチャメチャ上がって頬の筋肉が痛い。
滑り終わった詩織が下から僕の様子を伺っている。転けたのがバレていないか、確認しているのだろうか? 僕は口を一文字にしてさらに彼女を誤摩化した。
「お?」
ローラーの滑り台は結構なスピードが出た。たぶん、体重のせいだろう。途中で柵を持って飛び降りた。なんだか下までいくのは、勢いがつき過ぎて怖かったからだ。よく小さな頃はこんな怖いので遊んでたな。
滑り台を見れば、まだローラーは回転していた。
ふと横の砂場に目をやると小さな女の子と金髪の男の人がいた。
-----あ、こっち向い…。
「あ、あれ?」
「くくく。高校生が、何遊具で遊んでんだ?」
それは、いつだったか。委員長を誘拐した時に見た嫌な笑いをする金髪の男だった。確か赤梨って名前で呼ばれていたが、多分偽名だろう。
「あんた、また誘拐しようっての!?」
詩織が警棒を取り出そうとスカートを捲った。
「あー、止め止め。これ、俺の娘だから」
「は?」
「くくく。驚いたか?」
「驚くに決まってるでしょー!! 嘘言わないでよ、今日は逃がさないんだから!」
「残念ながら本当。青いなお前らは、ああ、だから高校生だ。くくっ」
戦闘態勢を取る彼女をなだめながら、彼に向き直る。一応睨んでおくのは忘れない。
「俺は悪もんだから家族はいないとでも思ったのか? あ? 傑作だな」
彼は嫌な笑いを止めず、小さな女の子を抱き寄せた。するとその子は、嬉しそうに彼の顔を触って戯れ始めた。その様子から、きっと本当に血縁関係なのだろうと言う事は容易に想像出来た。
大切な家族がいるのに、どうしてこの人はあんな残酷な笑いが出来たのだろう? 僕らを追い込めたのだろう?
「くく。今日の所は別に仕事じゃないからな。お前らにも何も迷惑かけてないし、俺は帰るぜ?」
そう言って彼は僕らの存在自体を無視するかのように子どもを抱えて公園を出て行ってしまった。
「……」
「あんなヤツにも、家族がいるのね」
「そうだね」
彼の言っていた事は正しい、そう思った。
悪いヤツだから死んでもいいとか、いいヤツだから幸せになってほしいだとか、そういうの違うのかも。なんて言っていいのか分からないけど…。
「でも、また委員長に手を出したら確実に警察に突き出してやるわ!!」
ふんっと詩織は鼻を鳴らした。
「そうでしょ?」
「…うん」
綺麗な笑顔を見て応えた。
もしその時が来たときは、僕はどうするだろう? あの女の子の顔を思い出しながら思った。多分悩んでしまうだろう、それだけはわかった。
-----現実は厳しいっていうのはこういうことを指すのかも知れないな。
ブランコに向かって駆け出す詩織を追いかけながら、その思いを心に秘めた。