青いピアスとタバコ
いつぞやのようにまた英語のテストが行われて、出来た人順に出て行っていいとまた言われたので、一人でコンビニの袋を持って屋上に向かった。まだ授業中で静まり返った校内を一人で歩き、屋上の扉を開いた。
「んー」
空に向かって伸びをする。
そしてズレた眼鏡を人差し指で戻した。
-----ん?
僕の鼻は、何かを感知した。それは苦いような甘いような香り。
煙?
白いそれを辿って行くと、僕がいつも座っている場所に男の子の姿があった。手にはタバコ、耳には青いピアス。制服にはグリーンのエンブレムをつけ、目を瞑ってふーっと煙を吐き出している。
「お」
僕の気配に気づいたのか、こちらを見上げてきた。彼はタバコを加えたまま優しい笑みを零して自分の横をポンと叩いて座るように促してきた。
首を横に振る。僕はタバコは好きじゃない。臭いが着くのだって。
それを悟ったのか、彼はポケットから携帯灰皿を取り出してタバコの火を消すと、また僕を隣に座るように指を指した。黙って隣に座ると、まだ苦いタバコの臭いが残っていた。でも、なんでか嫌じゃない。彼のつけている香水の匂いと混じって、なんだかカッコいい香りに感じた。
「なぁ、お前2年だよな」
彼の顔が近くにきた。
-----うわ、カッコいいっていうか、超美形。
少し色素の薄い金色の瞳に、一見すると白髪と見間違うような白っぽい金色の短髪。眉毛は一文字に細く上がっていて、漫画の中に出てくるように感じる程、彼は男なのに綺麗だった。
「はい」
「お前、山田裕也ってどんなやつか知ってる?」
僕は耳を疑った。
まさかそんなことを言われるなんて思っても見なかったから。ああ、でもここって僕たちばかりが使っているから、僕の事を聞くのには丁度いいのかも。自分ですと答えようとして、やめた。だって、そんなこと聞いてくるなんて敵意があるに決まってるじゃないか。
黙ったままでいると、彼はため息混じりに下を向いた。
「知らないんならいいんだよ、別に。興味が湧いただけ。ここからさ、ソイツ飛び降りたって聞いたから、どんなヤツかと思ってさ」
「……」
「それにしても、お前…女っぽいな」
「は?」
「いや、なんつーか。全体的に線が細いっつーか、顔もあれだし、背が低かったら間違われるんじゃネーの? …悪ぃ」
マジマジ僕の顔を見ていた彼は、途中で空を見上げた。
今、ここで「僕が山田裕也です」って言ったらどうなるだろう? 怒るだろうか? それとも吃驚するだろうか?
「にしても、お前こんなとこにこんな時間にいていいのか? 授業中だぜ」
「先生がテスト終わった順に教室出ていいって言ったので」
「あ、それって英語のカッシーだろ?」
「カッシー?」
首を傾げた。
「柏原先生」
「ああ、はい」
「ははっ、どこのクラスでもどこの学年でもやるんだ。で、お前は…1番乗りってわけだ」
「ええ、まぁ…一応」
「如何にも、勉強出来ます!っぽいもんな。…悪ぃ」
本音を言っては彼はいちいち誤ってくる。タバコなんて吸ってたから悪そうな人だと思ってたんだけど、そこまで悪い人ではないのかも。それに…いい匂いがする。
彼は胸のポケットからタバコの箱を取り出し、箱をトントンと叩いて1本取り出した。
「吸う?」
初めての誘いに、一瞬、僕の心臓はトクンと鳴った。
-----なんだこれ? 恋でもしたみたい…。
男の人にそんなことなんてあり得ないけど、彼に惹かれ始めているのが分かった。
「いえ、僕は…」
「だと思ったぜ?」
そういいつつ、笑って白いそれをゆっくり口に含んだ。火をつける事なく、加えたまま空をまた見ている。僕は何も言わず、その綺麗な横顔を見つめた。青い空に、薄い金色。ゆっくり通り過ぎる雲を視界に入れれば、一気に絵になった。
「なんか、アレだな」
「はい?」
「お前といると、落ち着くな」
「たまに言われます」
彼は吹き出した。
「はは、爺臭いってヤツだよ、多分。ははは! あ、悪ぃ」
僕は思わず頬を膨らませて彼とは反対方向を見た。
「あー、機嫌な直せって。謝ってるじゃねーか」
「……」
「…いくら男でもそんな可愛い顔してるんだ。こっち向かねーと襲うぜ?」
「!!」
驚いて彼を見ると、腹を抱えて笑われた。そんなわけないと。前言撤回、やっぱり悪い人のようだ。
爆笑した後、彼は潤ませた目を擦って立ち上がった。
「お前、超可愛いな」
「僕は男です!」
「そういうんじゃねーよ。なんか、お前のコト気に入ったみたいだ」
口に出してそんなコト言われるなんて…なぜか顔が赤くなった。
彼は後ろポケットからジッポを取り出すと、音を立てて火をつけた。加えたタバコに赤い炎を近づけて一瞬停止したかと思うと、またゆっくり煙を吐いた。
「俺は3年A組の二宮凛。気が向いたら覚えとけよ? 山田裕也くん」
「!!」
そう言って彼は屋上を去って行った。
-----だ、騙された。
知っていたのにあの態度。僕はなんだかそんな気分になって、彼の見ていた空を見上げた。
5時間目が始まる前、いつものように教室移動のため末長と坂東と一緒に歩いていると、番長と並んで歩いている二宮先輩の顔が見えた。
目が合って軽く会釈をすると、彼は笑って同じように会釈をしてきた。
……。
なんだろう、この気持ち。
自分でもよく分からなくって、すぐに下を向いてしまった。
5時間目に入る直前、眼科に電話して、明日にコンタクトレンズを取りに行く予約をした。
土曜日、僕は昔から行きつけの眼科が実家の近所にある為、そこに行くべく朝から家を出て電車に乗るべく大正駅に赴いた。
通勤ラッシュとは無縁の隙隙の車内に一歩は入れば、どこにでも座りなさい状態で何も考える事なくそこらへんの席に座った。電車の発車を知らせる音が鳴って、プシューっという音と共にドアが閉まり始めた。
「セーフ」
瞑っていた目を開ければ、珍しく息を切らした詩織がこっちをみて笑っていた。
ガタガタと一定のリズムで揺れる電車の中、彼女は僕の了承も取らずに隣の席に座ってきた。
「ユーヤはどこに行くの?」
「コンタクトレンズを取りに眼科に。詩織は?」
「私? 私は化粧品を買いに」
「化粧品を買いに? ドラックストアとかじゃダメなの?」
彼女は首を振った。
「折角買うんだから、見た目が可愛いのじゃないとダメなの!」
そういいつつ、自分の鞄から化粧ポーチを取り出して愛用品の一部を見せてくれた。上の方に薄ピンクの宝石のような物がくっついていて確かに女の子が大好きそうな、詩織の好みそうな可愛い物だった。やっぱり少女趣味でメルヘンだ。
ルンルン、とバッグに終う彼女を見ながらヘッドフォンに手をかけた。
「あ、私も聞きたい」
「これ、分離しないんだけど」
見れば分かるようなことを言うとプゥっと頬を膨らませた。仕方なく彼女の頭にヘッドフォンをかけて、窓の外を眺める。
少しだけ漏れてくる音楽に耳を傾け、目を閉じた。
『次は、桃山駅〜。桃山駅〜』
電車のアナウンスが聞こえ、目を開けるともうすぐ見知った駅に着く所だった。隣を見ると詩織は音楽を聴いたまま眠っていて、全然気づいていない様子だった。
彼女の肩を揺すって起こしてやると、眠たげに目を擦ってヘッドフォンを外している。
「!! の、乗り過ごしちゃった!!」
詩織が立ち上がると同時にプシューっという音がしてドアが開いた。呆れつつも、乗り過ごしたと言うのだから彼女の腕を引いてホームに降り立った。
「地下潜って5番ホームに上がったら、それ下りだから」
「…ユーヤはどこに行くんだっけ」
「眼科だよ」
「一緒に行ってみてもいい?」
「いいけど、特に何もするコトないよ? コンタクト受け取るだけだし」
それでもいいという彼女を連れて、顔なじみの事務のおばさんに診察券を渡した。
待合室で詩織と並んで名前が呼ばれるのを待つ。
「ユーヤって、いっつも何聞いてるかと思ってたら洋楽だったのね」
「うん、まぁ」
「そういえばクッションどうしたの?」
「部屋に置いてるよ。でも悪くてお尻の下には…」
「お腹にでも抱えるの?」
「あ、それいいね。これからゲームする時、そうするよ」
止めどない話をしていると名前を呼ばれた。コンタクトレンズを受け取って彼女と一緒に病院を出た。
「ユーヤはこの後帰るだけ?」
「うん」
「じゃあ、私に付き合ってくれる?」
「いいけど、どこまで行くの?」
彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「平城駅…」
驚いた。この桃山駅か4つも前の駅じゃないか。大正駅からが2つだから、寝過ごすにも程がある。
笑って彼女の後ろに続いた。
詩織はプルプルと身震いをした。
仕方ない、10月だというのに半袖のような格好でいるのだから。
「着る?」
自分の上着を脱ぎながら聞くと、彼女は嬉しそうに頷いてそれを羽織った。逆に寒くなった僕は腕を擦って、なるべく早く帰ろうと提案した。たぶんこのままじゃ風邪を引いてしまう。
詩織の目的の化粧品を入れた袋まで可愛いそれを受け取って、高級デパートを出た。
「ん?」
向こうから向かってきた人が僕たちに気づいて足を止めた。僕らも揃って脚を止める。
それは昨日、屋上で出会ったばかりの薄い金色の髪をした二宮先輩だった。会ったときと変わらないように彼はタバコを口に加えたままで、隣には身長のかなり低い可愛い女の子が腕を組んで立っていた。
お互いに止まって顔を見ているのだから声をかけないのは可笑しいけれど、なぜか口が動かない。
「おー? 詩織、久しぶりだな」
「凛こそ!!」
2人が笑って話し始めた。
結構前からの知り合いなのか、お互いに笑いながら遠慮なしに貶し合っている。僕は驚いて2人の顔を何度も見た。
「あ、凛。これが噂の山田裕也よ」
「知ってる」
彼は笑って詩織をたしなめた。今度大きく目を開いたのは詩織だった。
「な? ユーヤ」
「はい」
「えー、一体何処で知り合ったのよ!?」
二宮先輩の腕を引っ張って「教えて」と不満げにブー垂れている。多分、詩織は驚かせるつもりだったんだろうけど、彼はふっと笑ってからかうようにウィンクしてみせた。
「俺が屋上でナンパしたんだよ」
「!!」
「…2人って、そういう趣味があったの?」
シラケた顔で詩織が僕達の顔を見てきた。
「んー? あんまりにも可愛いから、ちょっと味見をな」
「げーーー」
心底萎えたように詩織が変な顔した。
慌てて首と手を振って否定した。こんな彼女の顔を見るのは初めてだ。もしかして先輩の言ってる事を本気にしてるんじゃないだろうね? やめてくれよ、僕だって女の子が好きだ。
「ははっ。冗談だっての。詩織がどんな顔するか興味が湧いたからからかっただけだ。悪ぃ」
昨日と同じようにすぐに誤って、彼女の頭を軽く叩いた。
「じゃーな。本当にそう言う関係だとは思ってなかったけど、意外にお似合いだよ。お前ら」
僕らは顔を見合わせて彼が手を振ってどこかに行くのを見ていた。
電車に乗りながら、湧いてくる感情を抑えきれず詩織に話しかける。
別に、詩織と彼の間に嫉妬なんか感じてる訳じゃない。でも、なんだか気になったんだ。
「ねぇ、二宮先輩とはいつから知り合いなの?」
「中学の頃からよ」
「どうして知り合いになったの?」
そういうと、彼女は僕の顔をマジマジと見てきた。な、何?
「凛との間をヤキモチ? それとも、私にヤキモチ?」
「ばっ、そんなんじゃないよ」
どっちも違う。
彼女の悪い冗談だと分かっていても顔を赤くしてしまった。彼女は満足げに笑って、話を続けた。
「ほら、いつか話したじゃない? 小学生の頃から絡まれてたって。で、私も1度だけピンチになったコトがあったの。倒れてた私を助けてくれたのが凛。まだ私も武道が未熟だったから…彼からは色々教わったのよ」
「へぇ」
となると、彼の実力は詩織並みかそれ以上か…。
僕の脳はピンと来た。
-----もしかして、本当の伝説の男の弟は、二宮先輩じゃないのか?
それなら僕をわざわざ見に来たっていうのも頷ける。詩織が伝説の男の弟と近しい存在だと言われているのだって、今日のやり取りとみていたら、僕の学校の連中は早合点しがちだからそう思たのかも知れない。
自分で考えて、納得いく所に落ち着いて僕は顔の筋肉を緩めた。
「今、何考えてるの?」
「…二宮先輩のことだけど?」
ちょっとイヤらしくいうと詩織は顔を引きつらせた。
どうやら彼女は僕たちを勘違いし始めているようだ。面白いから、別にそのままでいいけどね。