あさきゆめみし #3
誰も喋らない。
僕の手には大量の脂汗。
「ち、違います」
「じゃあ皆に聞くぞ、なくなったのは全部で幾らだ? 7万円だろう?」
後ろを見ると、皆の視線が僕に集まっていた。
無意識に瞳孔が開いて、思わず俯いた。みんな、僕の事を疑っているんだろうか。いや、そうに違いない。だって、現に僕の財布から盗まれた分のお金が出てきたんだから、疑われたって仕方がない。でも違うんだ。信じて欲しい、僕じゃない。
心の叫びなんか分かる訳ないのに、必死で心の中で弁解をした。
「ったく、この分じゃ他にも妖しい物が入っているんじゃないのか?」
「!?」
「図星か?」
教卓の上に置いてある自分の財布を取ろうと手を伸ばしたが、少し遅かった。ロリンが僕の財布を広げ、中身を出し始めた。
「銀行のカード、レンタル屋のカード…図書館のカード」
大量のお金の横に並べられる見覚えのあるカード達。
先生の手が止まった。
「おい、山田…。これはなんだ?」
みんなに見せつけるようにヒラヒラと宙を舞う1枚のカード。
「それは!」
「おい、交付の日付が今年の8月中になっているじゃないか!? 一体どういう事だ! コレは何だ、自分の口で言ってみろ!」
「…自動2輪の免許証です」
「お前、大正学園の校則は知っているか? 在学中はいくら16歳を過ぎていても、バイクの免許を取得しに教習所に通う事は許されていないんだ!!」
「でも、それは」
「口答えするな! クズが!!」
頬に鋭い衝撃が走って、掛けていた眼鏡がふっとんだ。カシャン、カラカラ…という音がして、それは教室の隅の壁にぶつかって止まった。赤くなりつつあるであろう頬を押さえ、先生に向き合った。
「なんだ、その目は!」
-----これは目が見えないからだよ。
叩かれて逆に冷静になった僕はゆっくり呼吸を繰り返した。
「クラスメイトの金を泥棒して、さらに校則違反までしやがって! お前なんか退学だ!!」
先生の罵声を聞きながら考える。
ロリンの言う事は最もだ。確かに勝手にお金が移動するなんて物理的にもあり得ない。けど、僕は何もやってない。昼休みはずっと屋上にいたし、一緒に坂東と末長と降りてきて着替えたらすぐさま体育へ移動した。クラス中のお金を集めるなんていつ出来たって言うんだ。
-----クラス中のお金を集める!? やっぱりクラスの中にお金を盗んだ人はいない。
そう確信した。
「先生、僕は犯人じゃない」
「は、何を言ってるんだ。じゃあお前は他のクラスの奴らがやったって言いたいのか?」
「クラスの人でもありません。昼休み、大半の人は教室で昼ご飯を食べます。それはみんなが一番よく知っています。そして僕はその時屋上にいました。そして、帰ってきて着替えるなりすぐに末永くん、坂東くん、その他の大勢の男子と一緒に教室を出ました」
「それが何だと言うんだ!?」
「僕たちが教室出たのは最後です。でもその間、妖しい動きをしていた人なんて誰もいませんでした。それに、体育館から帰ってきた時にはすでにお金はなくなっていたんです」
「だからなんだ?」
「だから僕には犯行は不可能だし、他の人達だって無理です。なぜなら教室に人が多くいたからです。誰が、クラスの人が大勢いる時に財布からわざわざお金だけを抜き去るなんて方法をとりますか? 時間がかかり過ぎる。つまり、犯人はこの中にはいない。もし犯人がいるとすれば、このクラスの外部の人間、つまり体育館に行っていなかった人ということになります」
わっと、クラスが盛り上がった。
「そうだよ。山田くんが泥棒なんてする訳ないだろ!?」
「私、男子がクラスで着替えるまでずっといたけど、そんな妖しい動きする人見なかったわ」
「僕は山田くんと一緒にいたけど、そんなことしてなかったよ」
末長が一番最後に大きく叫んでくれた。
-----よかった、皆、僕の事疑ってた訳じゃないんだ。
心が急に軽くなったのがわかった。
「し、しかしだな。山田の財布の中から現にお金が」
「誰かが山田くんを犯人にしようとしたんじゃないですか?」
ロリンの口の端が上がった。
-----しまった、そうだ!!
「もし、そうだとしても…だ。この財布は山田のロッカーに入っていたんじゃないのか? 鍵をかけたロッカーに、どうやって財布を入れれるんだ。本人しか入れられないだろ?」
先程までの勢いは一気に終息し、シーンとなった。
そう、僕はロッカーに鍵をかけておいた。それは僕自身が一番良く分かっている。
「とにかく、だ。どうやって山田が皆の金を盗んだかは知らないが、財布に金が入っていたのは事実だ、そうだろ山田」
話が振り出しに戻った。
どうしよう。このままじゃ物証がある僕が不利だ。せめて、鍵の開け方だけでも分かれば…。
「はい。でも…」
「でもじゃない! まったく金を盗むはバイクの免許は無断でとるわ…言い訳するわ、お前は」
「先生!」
後ろを振り向くと、委員長が手を挙げていた。
「なんだ」
「私、思ったんですけどぉ…ロッカーのマスターキーってどこかにあった記憶があるんですけどぉ?」
「!! 確かに、しかしあれは…職員室に置いて生徒が持ち出せないようにしてあるんだ!」
せっかく委員長が言ってくれたのにすぐさま先生に否定され、一縷の望みも砕かれた。
いや。終わりじゃない。
僕は一つの可能性に気がついた。
-----犯人はロリンじゃないのか?
彼なら授業中でも自由に動けるだろう。しかもロッカーの鍵のマスターキーは職員室にあるならば職員の誰が持ち出しても全然可笑しくない。ロッカーまでわざわざ調べるように言ったのも彼だ。それに5時間目はロリンは授業を受け持っていなかったはず。1週間か2週間前の体育の時間、教頭先生と一緒に外で草むしりをしているのを見た事がある。そして…僕を犯人に仕立て上げたいと考えているだろう人物でもある。動機は簡単だ、詩織と離す為。
ここまでは完璧。百中八九、彼が犯人だと考えても全然おかしくない。
けど、証拠が何もない。
このクラスにロリンが入ってきたというのを見た人だっていないだろうし、指紋をとることだって出来ない。証拠がないんだ。
クラスに向けてロリンがこれでもか、と罵倒し始めた。
教室が嘗てない程、緊張に満ちている。ついには、数人の女の子のすすり泣くような声まで聞こえてきてしまった。
…もぅ、いいじゃないか。犯人は僕で。証拠がないんだ、僕が犯人だって言おう。そうすれば、先生だって満足だろうし、クラスの皆だってロリンにこれ以上責られる事なく暮らしていける。僕は、また転校すればいい。せっかく仲良くなれたけど、仕方ないよね。
大きき気を吸い込んだ。
「先生、僕がやりました」
「お、おお山田。ようやく本当のことを言うつもりになったのか!?」
「僕の財布に入っていたのは事実ですし。それに…鍵のかかったロッカーにだって」
「はははは。いやいや、誰にだって出来心っていうのはあるもんだ。浮かれてたんだろ? 修学旅行のノリで」
「そうかもしれません」
教室がざわつき始めた。
そりゃそうだ。信じていたのに、僕は皆を裏切ったんだから。
「おら、職員室に行くぞ!! このまま退学手続きだ。荷物はこちらで処分してやるからな」
嬉しそうな顔をしているロリンに腕を引かれた。
「先生、僕のロッカーの中にある物だけは、持ち帰りたいんですけど。私物なんで」
「ああ? そういえば高そうなゲーム機やどピンク色のクッッションも入ってたな。お前、学校にいろいろ持ってきたらいけないぞ、全く。盗みだけじゃなく、普段の素行まで悪かったなんてな!」
足を止めた。
「ん、おい。早く来い」
「先生、今なんて言いました?」
「普段の素行も悪いっていったんだ!」
ロリンの手を思いっきり振り払った。
眉をしかめて、また僕の腕を掴もうとしている彼の手を弾いた。
「お前、まだ反抗的な態度を続けるのか!?」
「先生。いつ僕のロッカーの中身見たんですか?」
一瞬うろたえたような顔をしたが、すぐさま顔を元に戻して顔を繕った。
「み、見てはない。き、昨日の放課後に、ほら、持ち物の抜き打ち検査があっただろう? その時に山田のロッカーから草原先生が取り上げてきたっていうのを聞いたんだ」
「僕のロッカーには確かに今ゲーム機が入っています」
確かに昨日、抜き打ち検査があった。そして担任の草原先生にそれを発見されて、今日の朝に返してもらったばかりだ。放課後、持って返ろうと思っていた。でも、僕が指しているのはそれじゃない。
「確かにピンクのクッションも入っています」
「ああ。そう聞いてるからな」
「先生、それはおかしいです。…クッションを入れたのは今日なんです」
「!?」
「クラスの女子にプレゼントとして昼休みに貰いました。それは確かです。先生、貴方は思い違いをしているんじゃないですか? 僕が昨日取り上げられたのはゲーム機だけですよ?」
-----僕が罪を被ったコトで油断したな。
ロリンは目の下をピクピクさせた。
「思い出した。さっき、山田が財布を取り出している時に見えたんだよ。クッションは」
「そうですか」
「そうだ。ほら、いいからもう来い!!」
僕は、人生初めて先生という名の目上の人を突き飛ばした。
尻餅をつく様を眺めながら、
「クッションは今オレンジ色の袋に包まっています。取り出さないとクッションなんて見えない。でも、僕はロッカーを開けてだけで、オレンジ色の袋に触れてもいない。どうして先生は中身はクッションでピンク色だとわかったんですか?」
冷たく嘲笑した。
「なぜ知っているか…。それは先生が、僕のロッカーをマスターキーで開けて、中身を誰もいない今日の体育の時間に見たからじゃないですか?」
「そ…れはだな」
「先生がみんなお金を取って、僕の財布に入れたんじゃないんですか?」
クラス中が水を打ったように静まり返った。
彼は挙動不審な行動を始めた。
「だから、僕のロッカーに入っているクッションの存在を…」
「そんなわけあるか、山田!! 言いがかりをつけるのは止めろ!!」
「……」
「も、もしだ。お前が取っていなかったとしよう。それはいい。でもな、俺だって偶然お前のクッションが見えたという可能性がない訳じゃないだろ?」
「そうですね」
必死で弁明する彼は、はっきりいって自分が犯人だと知らしめているようにしか見えない。仮にも古典の教師だと言うのに、日本語の持って行き方がオカしい。きっと本人自体はそんなこと気づいていないのだろうけど。
「ま、まぁお金の事はだな、きっちり7万あることだし。犯人探しをこれ以上する事は…真犯人が可哀想だしな、アレだ。やめだ」
急に立ち上がって、僕の腕を掴んできた。
「…今の件は終わりじゃ?」
「お前、あっちの件はどうオトシマエを着けるつもりなんだ!?」
小首をかしげると、彼は勝ち誇ったように言った。
「普通2輪の免許の事だ、校則違反だろうが!!」
「あー、あれですか」
「そうだ! こっちのは犯人だとかそういうんのじゃなくてだな、ハッキリした証拠がある。お前は逃げられないんだよ!」
別に逃げちゃいない。真犯人は先生だって言っただけだ。逃げてるのは自分のくせに、良く言うよ。
「どっちにしろ、山田は退学だ!!」
「先生、あれは違うんですよ」
「何が違うんだ!?」
-----どっちにしろ、僕を退学処分にしないと気が済まない訳だ。
思いっきり笑顔を作った。
「あの免許証、取りに行ったんじゃなくて切り替えです」
「あ?」
「僕、外国で15の時にあの免許を取得してるんです。でも、こっちじゃ16歳になってからでないと免許を発行してくれなくって、ずっと放っておいたんですけど…でも、更新終了が近づいてたんで切り替えただけです。決して教習所に通った訳じゃありません」
冷たい目で睨むと、彼はへなへなとその場に座り込んだ。
同時にクラスが歓声に包まれた。
「山田くん、お前やるな!!」
「一瞬、本当に山田くんが犯人かと思っちゃったじゃない」
「あ、ひでー」
「にしても免許いいなー。俺も欲しい」
「ロリンが犯人臭いとは思ってたんだよ!」
皆が口々に騒いでいる時、僕は大きくため息をついた。
-----つ、疲れた。
犯人に仕立て上げられ、極度の緊張の中で自分を犯人だと嘘をついてしまおうとした事、最後まで先生を言いくるめられた安心感、肩の荷が下りたように体が軽くなって、同時に気が抜けた。
先生はといえば取りつく島がなくなったせいか、僕以上に気が抜けたというか、魂が抜けていた。
「おい、ロリンどうする?」
「制裁でも加えてやろうか?」
「簀巻きにして川に沈めてやろうぜ」
おいおい。
慌てて止めに入る。
もう、いいじゃないか。多分だけど、先生も反省していると思うし。そういうと皆は「山田くんが言うなら」と、怒りをどこかへ飛ばしてくれた。ホッ。
それからというもの、僕たちの古典の時間はとても平和だ。誰も当てられる事なく、変な恋愛の話をさせられる訳でなく、ロリンは僕らに誠意ある授業を彼なりにしてくれているようだ。
めでたし、めでたし…かな?