先生と呼ばないで #1
もうすぐ10月。
すっかり秋めいて来て、少し半袖では寒いかななんて思う日も多くなって来た。それにつれて落ち葉もチラホラ。
しかしそれ以上に2年生は騒がしい。
なぜか、それは2週間後に迫った修学旅行の前だからだ。今の状態としては班決めをしたり、決めた班で自由行動は何処にするだの、本当に楽しい状況だ。もちろん僕のクラスだって例外なくみんな浮かれてる。
放課後だと言うのに、クラスメイトの多くが残って色々と話していた。
心地いい風を浴びながら、僕は目をつぶっていた。計画するのが大好きな末長が頑張って結構いろいろと決めてくれているからだ。僕の仕事と言えば、当日遅れてこないようにするだけ。一大イベントを控えて、僕は小さく欠伸をこぼした。
「…や。山田裕也!!」
ガラリと教室の扉が開けられ、体躯のいい体が現れた。クラスは静まり返って、固唾を呑んで彼の行動を見守っている。僕もそれは一緒で、思わず詩織の顔を見てしまった。
「一生の頼みだ!!」
そう言いながら番長は僕の机の前で土下座した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。何? 何?」
まごついて立ち上がったら、まるで宗教の偉いさんを見るようなキラキラした目で見つめられた。
うう、嫌な予感。
「とにかく顔を上げて、土下座止めてよ」
「おお。悪いな」
「で、どうしたの?」
「お願いだ、山田裕也。俺を男にしてくれ!!」
静まり返っていた教室がさらにシーンとなって、僕のシャープペンシルが床にカラーンと落ちた。
真っ白になった僕に番長は顔を思いっきり近づけた。
「ひっ」
「お願いだ! 俺に勉強を教えてくれ」
「…は?」
どういうことか詳しく聞くと、中間テストのことで相談しにきたと言うのだ。実は大正学園は修学旅行の前に中間テストを行う。で、成績の悪い番長は学年主任である数学の先生から「今度数学2で赤点(欠点)とったら、本当に修学旅行に連れて行かない」と言われたと言うのだ。そういえば、うちのクラスでもそんなこと言ってたな。
「冗談じゃないの?」
「馬鹿!! 俺聞いたんだよ、学年主任のヤツが旅行会社に払い戻しの件を相談してたの」
教室中がざわめいた。
と、いうことは本当に行けなくなるかも知れない輩がこの中にも何人か出てくると言う事…。そんなわけない、脅しだと思うんだけど。
「で、僕に勉強を教えて欲しいと…」
「そうなんだ、頼む!!」
また土下座をしようとするので止める。
そんなことされたって困るし、僕に教えてもらうくらいなら先生に頼んで欲しい。だいたいいつ教えるんだよ、放課後は帰ってモンスターを狩るので忙しいんだ。
「人に教えるなんて…」
「お願いだ! アイツをギャフンと言わせたいんだ!」
「でも」
「ケチくさいコト言うな、ダチだろ?」
こないだは僕の事ライバルだなんて言ってたくせに…。どうする、どう断ろう?
「あの、私も教えて欲しいです!」
クラスの女の子が言った。
「え!?」
「俺も教えて欲しい!」
「私も!! 山田くんって成績いいんでしょ?」
「知ってるー、学年1位なんだって!? 私も教えて欲しいな」
「え、ちょっと」
「ユーヤ、私も」
「私もですぅ」
「2人とも!?」
「俺も、俺も!! そういえば、1年の頃から学年トップだった板倉より総合30点も上だったんだってなー」
「すげー! なんだよ、頭脳の独り占めするなよ!」
「じゃあ僕も」
僕はいつものメンバーの他にクラス中の人達で囲まれた。
泡食っていると教室のドアが開いた。一斉にみんなそっちを見た。
「山田裕也! ぼぼ、僕と勝負しろ!!」
瓶底眼鏡をかけた僕よりヒョロそうな男の子がクラスメイトを割って入って来て、僕の鼻先に指を突きつけた。
-----え、誰?
「えっと、ごめん。名前分からないんだけど」
彼は雷に打たれてしまったかのようにその場に固まった。
「馬鹿、さっき誰かが言ってた、山田くんが入ってくる前まで学年主席だった板倉くんだよ」
末長が耳打ちしてくれた。
次から次へと今日は一体どうしたんだ。僕は笑顔を作って板倉くんに話しかけた。
「あの、何を勝負…」
「決まってるだろ! 次の中間テストの学年主席の座を廻ってだよ!!」
「勝負って、成績なんて自分が今どの位できるのかを見る為のものであって…」
「五月蝿い! 勝負だからな!」
くるみ割り人形のようにカタカタ動いて僕に挑戦状を叩き付けた。
「いいわよ、でも学校のテストなんてつまんないわ」
今まで座っていた詩織が立ち上がった。
-----何を…。
「中間テストの終わった週末は全国模試なんだからそれで決着付ければいいのよ。あれって、成績上位者って本に載るんでしょ? それなら嘘もつけないし、本当の実力も分かるじゃない。それに…修学旅行のギリギリに成績が分かるなんてドラマティックだし」
「よし、全国模試でだな! 山田裕也、待ってろ! 僕が絶対トップになってやるんだからな!」
呆然と立ち尽くしている僕を残して彼は教室のドアを勢いよく閉めた。
わっとクラス中が盛り上がって、山田コールを始めてしまった。なんだこのノリ、やめてよ…。
「よし、そうと決まれば今日から数学2の勉強だ!」
誰かが言った。
するとみんな自分の席に着いて僕を見た。番長は僕を押しのけて席に着いて持って来ていたノートを開いた。
「…帰っていいかな?」
「何言うんだ、先生!」
「俺たちの事を見捨てないで、先生!」
「そうよ、応援はするわ。でもそのまえに数学2を教えて先生!」
今度は僕の事をみんなが先生と言い始めてしまった。
「……」
目は輝いて、期待に満ちている。
僕は、僕は…モンスターを狩りたいのに!!
「…テスト範囲ってどこだっけ?」
「いよ! 待ってました先生!」
「キャー、ユーヤ素敵!」
「詩織、そんなのいいから」
不貞腐れて黒板の前に立った。
それから毎日、僕の放課後は先生として潰れた。それは時には校舎が閉められるギリギリの時間までさせられて…。
しかも番長なんて最悪だ、何が分かっていないかって因数分解からわかっていなかった。毎回要点を絞った宿題を出してなんとか追いついたみたいだけど、大丈夫だろうか? 何分、人に何かを教える事なんて初めてで、僕のやり方で教えていいのかわからない。
でも、いいこともあった。
この講義(?)のおかげでクラスの人達も大分僕に打ち解けて、普通に喋ってくれるようになった。まー扱いは先生だけど。
「山田くん、ここ分かんないんだけど」
幸崎さんが手を挙げた。
空いている近くの席から椅子をとって隣に座って問題を見る。
「えっと、放物線 C:y=x…。これはさ、点(a,f(a))における接戦の方程式はy-f(a)=…だから」
「あ、じゃあ…y=2ax-…?」
「そうだね、次は…」
「あ、ここでこの公式ね」
「そう、で、これを0だと仮定して…」
「わかった!! ありがとう」
まー、こんな感じだ。
一人一人わからないポイントって言うのがあって、教えていくのが大変だ。しかも成績も違うからレベルも様々。高校の教師も大変だ。そして僕も、モンスターハンティングをやりたい衝動を押さえてそろそろ1週間。禁欲生活は厳しい。絶対、中間テストが終わったらプレイしまくるんだから!
毎晩の数式にうなされ始めた僕がようやく解放されたのは全ての中間テスト、つまり最終日に行われた数学2が終わった金曜だった。
多分、テストが終わって開放的な気分になったのは今回が初めてだ。
「先生役、お疲れさまでしたぁ」
委員長からねぎらいの言葉を頂いた。ウズウズする体を押さえながら笑って返す。
「っしゃー、テストも終わったし、山田くんにお疲れさま会でもしようか?」
クラス中が拍手喝采した。
しかし僕はそれを無視してフラフラと教室のドアに手をかけた。
「ユーヤ帰るの?」
「うん」
「あ、明日勝負の全国模試だから勉強でもするんですかぁ?」
今更そんなことするわけない。
沸々と沸き上がる衝動を抑えきれず僕は初めて喚いた。
「帰って、モンスターハンティングするんだよ! もう、もう、1週間弱もプレイしてない…僕は虫だって取りたいし、貿易して武器を強化したいし、マンボウの皮を剥ぎたいんんだよ!」
「え、モンスターハンティングって、wiiiの!?」
「そう。だから、今日は無理だよ。ごめんね」
そう言って教室のドアを閉めると
「じゃあ今度サプライズでもするか!?」
と言う声が聞こえて来た。
-----聞こえてるよ。
「ユーヤ!」
詩織が僕の小指を握った。ああ、一緒に帰るのか。
「ふふ、先生お疲れさま」
「もう2度としたくない…」
「残念、せっかく様になってたのに」
「僕は戦闘要員でも先生でもありません」
次の日、僕は全国模試で1つめのテスト(現代文)を15分程遅刻して入った。
理由は言わずもかな、深夜までモンスターハンティングをしまっくったせいだ。