熱からはじまる…B
変な夢を見てる。小さな悪魔と、小さな天使が僕の中で戦っているのだ。全く、深層心理をそのまま映像にしたような感じで、僕の単純さが伺えて笑えた。
……。
目が覚めた。
君は目覚ましが鳴る一瞬前に目が覚めた経験はあるだろうか? そしてその時、自分って凄いななんて感心してしまう事は? 僕は、よくある。その時ばかりは「いい日だな」って浮かれて早めに学校に行ってしまう事があるのだけど…。目覚ましは別にセットしていないので、今言った僕の凄さは証明出来なかったが、替わりにインターフォンがなった。
顔を洗ってドアを開けた。
「姉さん?」
窓の外は暗かったので、そう思った。時間を確認しなかったのだ。
それは、僕の運の尽きか、それとも…。
ドアを開けた瞬間、長い黒髪が目に入ってきた。僕は慌てて扉を閉めにかかる。
-----なんで詩織が!?
「な、ちょっとユーヤ!?」
「なななん、なんでいるの!?」
何時間か寝た今は、熱も下がっているのかいつもの僕だった。が、ここで安心してはいけない。
「お姉さんが、ユーヤが熱出してるって、電話してきて、頼まれ、たのよ!」
「いい、僕は、大丈夫だから、くぅ」
「言わ、れた通りに、りんごとぉ、ハーゲンダッチュを、か、買ってきたのよ」
なぜ僕らの声が切れ切れなのかというと、今ドアを挟んで攻防中なのだ。
ドアをこれ以上開けさせまいとする僕、中に入ろうとする詩織。2人とも全力なのでお互い喋るのも一苦労というわけ。
「詩織が、帰って、食べていいから!」
お願いだから帰ってくれ。
今はいいが、これからが怖い。そう、油断してはいけないのだ。夜になると人間の免疫力は衰えるのでまた熱がスパークする、そうなってしまえば暴走してしまう。これも詩織の為なんだ、わかってくれ!
「ダメよ!」
扉が先程より少しだけ動いた瞬間を狙って、詩織が隙間に脚を入れてきた。ドラマのセールスマンがする、あれだ。ここでドアを閉めると彼女の脚が危ないが。どうする、どうするんだよ、僕。心の叫びを知らない無垢な存在が僕のテリトリーを犯す。
熱のせいで潤んだ瞳がさらに水分を含んで抗議する。
「風邪うつるから」
「大丈夫よ、私、風邪ひいた事ないもの」
-----それって単純にお馬…。
ドア越しに話をする。まだ、まだ帰ってもらえるチャンスは十分にある。戦うんだ!
「じゃあ、それ受け取るから帰ってよ」
「何その言い方。せっかく来たって言うのに」
これでいい、これで機嫌を損ねて帰ってくれれば。ケンカしてしまうことになるが、そのことはまた後日話し合おう。
「絶対に中に入ってやる!」
「ええ!?」
僕の計算違いだった。彼女の負けず嫌いなどこかを刺激してしまったようで、脚から始まった侵入は今や肩までに及んでいる。
動いたせいか、また熱が上がってきたのか、視界がふわふわし始めた僕はゆっくり手を離し、
「わかった、けどうつる前に帰ってよね」
諦めた。
もう知らない、どうなったって。
-----ん?
「ねぇ、姉さんに言われてきたってさっき言った?」
「そう言ったじゃない」
彼女を部屋に上げながら質問すると、彼女はそう応えた。
「姉さんのヤツ…」
「え?」
「いや、なんでも」
読めた、読めてしまった。彼女の考えが。すぐさま携帯をとってかける。
『姉さん!』
『そろそろだと思ってたわ。うふ、最高の宅配便でしょ?』
『僕は今熱があるんだけど』
『知ってるわ、だから送り込んだんじゃないの。既成事実を作っちゃいなさい』
なんてコト言うんだ。これが21歳の女の人の言う言葉か? いや、違う。おっさんだ、可愛い乙女の皮を被ったおっさんだ。
『んだよー、余計な事しないでくれよ』
『ふふ、すでに熱にやられて口調が荒いわよ。その勢いよ! ガッツ…け?! うふふ』
親父濃度の高いハイテンションで姉はそう言うと、笑い続けた。
『絶対に思い通りにならないから!』
すでに術中にハマってしまっている事に腹が立った僕は何かまだ言いかけている姉さんの言葉を無視して電源を切った。そして窓ガラスに投げつけるモーションをし、割れるのを危惧して布団の上に落とした。ああ、腹がたってこんな行動取ってる時点で、もう僕の中の天使が引っ込み始めてる…。
「詩織、なるべく早くかえ…」
「え、聞こえなかった、もう一回言ってよ」
僕が姉さんと電話をしている間に詩織が台所に立って何か作り始めていた。
「何してんの?」
「お粥ー」
料理名を聞いた訳じゃないのに、そんな応え。違う、僕が聞きたいのはそんなじゃない。
「早く帰ってって言ってるんだよ」
「どうして?」
キョトンとして僕の顔を見上げる。
まさか「既成事実を作りかねないからです」なんて言える訳もなく、
「なんていうかさ、僕も熱出すと詩織がキレた時みたいに訳が分からなくなるんだよ。自分が自分じゃなくなるっていうか。口調もキツくなるし」
「じゃあ私と一緒ね!」
なぜか嬉しそうに拍手する彼女を見ながら僕はため息をついた。
そして一つの応えに結びつく。
-----寝よう、寝てれば何も怖くない。寝てれば詩織だってそのうち帰るよ。
彼女に寝る意思を伝え布団に潜った。神様、どうか僕の天使に力を下さい。
が、寝ている間にも僕の体温はどんどん上がり、詩織にご飯だと起こされた時には39.8℃まで上がってしまっていた。人間は40℃を超すとタンパク質が変性して死ぬ可能性もあるという。まぁ今まで40℃近く何回か出たが死んでいなかったので大丈夫だとは思うが、天使の方はダウンしていた。
作ってもらったお粥を食べ終えると、僕は詩織に聞いた。今何時かと。時計は僕のすぐ横、捻って返せば見えるくせにそれさえも要求してしまう。
「9時よ」
「ん、アイス食べる」
一歩も動かずハーゲンダッチュがこの手に入るのを待つ。
蓋を開け、ヒンヤリとしたバニラを口に何度か含んだら、良心が復活してきた。
-----まずいな。
あらぬ方向を見て考えた。
「頭痛くない?」
「大丈夫、それより…詩織帰った方がいいんじゃない? あんまり遅いと」
「平気よ。今日はユーヤの看病する気満々で来てるし」
それが不味いって言うんだ。背中をツーっと一筋の冷や汗が流れた。もう一度アイスを口に入れる。
「姉さんに何言われて来たか知らないけど、責任なんて感じる事ないよ」
「そうね。でも、ここにいるのは私の意思よ」
「…僕は友達でいたいんだけど」
「?」
「姉さんはそうは思ってないみたい」
「ふふ」
また布団に潜りながら詩織を見上げる。
笑うその顔は、やっぱり整っていて悪魔な僕でも綺麗だと素直に思えた。
そして、僕の悪魔が激しく疼いた。
「髪、触りたい」
ここなら大丈夫だろうと、ギリギリの理性が選んだ。
彼女は絹のような美しいさらさらの髪を僕の手に近づけた。一束掴んでは離し、指を入れては長いそれを梳かしてみる。体も頭もぼーっとしてるのに、髪を触っている手だけが現実を帯びていて不思議な感覚に陥った。もう片方の腕も伸ばして体を横にして、彼女の髪で小さな三つ編みを編んでいく。
-----ああ、ようやく理解出来た。こういうのを人恋しいっていうんだ。…人肌恋しいか?
壊れた頭で何度考えてもそれはどっちなのかわからなくって、一人で不貞腐れる。どうでもいいじゃないかそんなこと。
手を離して天井と向き合った。すると、いつものように握られた小指。熱のせいで体温の上がった体は敏感に反応して、思わず跳ねた。
詩織の顔を覗き込むといつぞやの…あの困ったような愛おしいような顔で僕を見下ろしていて…。
起き上がって彼女の顔だけを一心に見つめた。
彼女は目を離さず優しく見返してくれて、僕の全てを受け止めてくれる気がした。
僕の欲望を満たしてくれるんじゃないかって思った。
「詩織…」
つい先走って出た声。
汚れない瞳に今更気づいてしまった僕は言葉に詰まった。
一瞬でも不埒な欲望を持った僕は最低だろうか? 確信犯的行動をする姉を憎んでいるくせに。
今なら、綺麗な嘘を並べて逃げ切れる。
引き返すなら今だぞ。
そうは思うものの、熱は僕を突き動かす。
詩織の頬に手を当て、目を閉じた。
僕は、君に流されたい。
永遠が欲しいなんて言わないから、せめて詩織の一瞬を頂戴。
「!!」
横にある時計を見れば夜の8時。
外はすっかり暗くなっていて、部屋を見渡しても詩織はいない。そう、夢だったのだ。
「う、わー!! 恥ずかしいぃ」
独り言を繰り返す。
どこからが夢だったのか、携帯の履歴を見て笑った。
-----末長までか。
あのとき目を覚ましたと思っていたのは、夢の中で現実ではなかったのだ。
「うまく行き過ぎだと思ったんだよ」
頭を叩きながら呟く。
自分で笑いながら布団の横にある体温計で計った。36.7℃。寝ている間に熱も下がったみたいだ。汗をかいたTシャツを脱いでそこら辺に放りなげた。
一体僕は何を考えているのか…
「詩織は友達だろ?」
上には何も着ず、窓を開けると冷たい空気が包みこんできた。ふー。頭も体も冷えた。
-----お風呂でも入ろうかな?
と、その前に来ていたメールをチェクする。姉さんからだった。
(詩織ちゃんに看病してもらいなさい。そして既成事実でも作ってしまえばいいのよ。ってか作りなさい)
大きくため息をついた。
「このメールのせい…か?」
姉さんのせいで変な夢見ただろ? まったく。
一瞬腹を立てつつも、携帯をテーブルの上に置いた。伸びをして風呂場に向かった。
インターフォンがなった。
まさか…。
詩織の声が聞こえてきた。
「熱出したってお姉さんから聞いて、リンゴとハーゲンダッチュ買ってきたの」
------正夢!?
その後、チェーンをしつつお見舞い品を受け取ったのは言うまでもない。