熱からはじまる…A
「…ニキビできてる」
買い物に出たスーパーの野菜売り場でふと目に入った自分の顔にプツっとした赤いデキモノが出来ているのに気がついた。正面からでは見にくい、下あご右側に一つ。僕はニキビが出来にくい体質なのか、中学の頃も顔に異常が起こるというのは稀で、今回のは本当に1年ぶりくらいの出来事だった。
-----ストレスかなぁ?
ここ1年での初めての一人暮らしに初めてのケンカ(巻き込まれ)、姉さんの横暴、食生活の乱れ…と原因は様々考えられるが、どれが原因なんてはっきりわかるもんじゃない。放っておけば勝手に治っていくモノなのだから気にしないのが一番だ。これ以上のストレスを与えないよう、買い物を続けた。
しかし、それにしても今日は変だ。
妙に甘い物が食べたいし、いつもは適当に買っている野菜だって一つの虫食いも許せない、買い物の計算もなかなか出来ない。レジだって早く済ませたくてなんだかイライラしてるし、そのくせどうでもいいなんて不貞腐れたりもする。
ニキビができたせいで神経過敏にでもなっているのだろうか。
昼の2時を過ぎてもクーラーを効かせている店内とほとんど大差ない位涼しくなってきた秋の空を仰いだ。
「家って、こんな遠かったっけ?」
たった500mの道のりが永く長く耐えられそうにない。
大声出して走り出したい気分を押さえつける。そんなことしでかしたら、変な人と思われるじゃないか。あーもう、なんなんだ?
ようやく家に帰り着いた頃には居ても立ってもいられなくなってしまって気分を落ち付かせるために冷たいシャワーを浴びた。なのに、どんどん湧き出てくるこの感情。姉さんに近づいているような気がした。そして浮いた感じ。地に脚がしっかりついていない感覚。
Tシャツの袖に手を通しながら、僕は不信感に苛まれた。
机の引き出しから体温計を取り出し脇に挟んで数分、結果は白でした。
「38.9℃…」
口の端が上がってしまった。
実は、熱を出すのは嫌いじゃない、変な意味じゃなく。
昔から風邪を引けば必ず熱を40℃近く出す僕は、喉も痛くないし鼻だって苦しくならない。体は熱っぽいものの頭だってあまりの熱さのせいか痛覚が麻痺するのかフラフラふわふわするだけで全然痛くない。そんな状況になるといつもは厳しい姉さんが凄く優しく接してくれたのだ、もちろん家族も。熱が出ているほんの1日か2日の間、僕の意見は家族の絶対であり、唯一姉さんに逆らえ、そしてなんでも言う事を聞いてもらえる時間でもあるのだ。
そんな風邪ひき人生を送ってきた僕は、熱が出たと分かった今この瞬間、癖なのか熱のせいなのか、我が侭になってしまった。こうなるとある意味、自分自身でも止められない。暴走ってヤツだ。
まーとりあえず。
「氷は、あった」
ビニール袋に入れて頭に当てる。着替えるのは、面倒だ。
押し入れの中から布団を引っ張りだし、布団へ飛び込んだ。そして手だけ布団の中から出して携帯を掴む。アドレス帳を開いて目的の人物へコールする。
『何よユーヤ』
姉さんの風当たりの冷たい声が受話器越しに響いてくる。
普段ならここで臆してしまうが、今日の僕は違う…
『熱が出たんだ。38.9℃』
『ええ!? 大丈夫なの?』
驚いてる、心配してる。
僕は心の中でクスクス悪い笑いをしながら続けた。
『だから来てよ。一人じゃフラフラで動けないし』
『でも』
『来てよ』
来てくれるのを100%確信しながら甘えるように言った。こういうのを確信犯と呼ぶ。さらに形勢逆転ともいう。
すでに僕の心の中は暴走色で溢れていて、早く言いたい放題我が侭を言ってやりたい感情でいっぱいだ。そういえば姉さんが一度言っていた「もしいつものユーヤを天使とするなら、熱を出した時は悪魔だ」なんて。いつも悪魔な人に言われたくないが。まー、とりあえず来てもらった暁にはリンゴとハーゲンダッチュの買い出しを言いつける事は決定事項となっている。
『今日は無理なのよ』
『なんでよ』
『実は、今北海道で撮影中なのよ』
『え?』
姉さんは僕を激しく落胆させた。
今夜の飛行機で帰ってきてもここに着くのは深夜遅くだと言う。折角、黒い角を出していた悪魔がしょんぼりし、僕もしょんぼりした。
-----僕の計画が。。。
なるべく早く帰るからという、今の僕にはもう興味のないことを姉さんは言って電話を切った。
ありえない、可愛い弟がこんなに苦しんでいるって言うのに、ゴホゴホっ。
-----父さんも母さんも帰ってきてないしな。
急に寂しくなった。
気持ちを紛らわそうとスーパーで買ったお菓子を手に取ってみるが、つい先程、自分自ら買ったくせに気に食わない。
「食べたいのコレじゃない」
甘える&我が侭を言える人達がいなくても、僕の暴走は修まらない。ああ、止められないから暴走って言うんだ。
ポイっと、お菓子を投げ捨て布団に包まった。
-----にしても、今日が学校じゃなくてよかったな。
多分、この体温からして保健室に行ってもとんぼ返りで家へ帰されるだろう。そうなった場合どうなるか?
僕の予想だと、末長が詩織をキレさせかねない。いや、確実にプッツンさせる。日に何度、彼が“美人”と言う言葉を彼女に発している事か。本当なら今頃殴り殺されているかも知れない。だとすると、もう少し彼は僕に感謝をするべきなんじゃないか?
末長なら、家族でないにしろ気のいいヤツだし我が侭も許されそうな気がした。
何より僕は彼に気を結構許しているし、ヤツもそうだ。
親には言えないようなことだってお互いに話しているし、男らしく(?)エロい話だって言い合える。変なことを口走っても受け入れてもらえる一番安心な親友だ。よし、次のターゲットは末長にしよう。
勝手に生け贄を選んで呼びつけるべく携帯を開いた。
『もしもし、山田くん?』
『末長、今すぐ家にきて欲しいんだ』
『なんでだよ』
『なんででも!』
『…どうした。いつもの山田くんらしくないな、自分の意見しか言わないなんて』
『熱が出たんだ』
『あー、だから僕に甘えたいって?』
『そうなんだ』
わざとらしく呻いてみせた。
『無理』
『ええ、なんでよ』
『あはは、だって今からサイン&握手会があるんだもん』
『…親友よりアイドルを取るって言うのか?』
恨みをたっぷり込めて言う。
しかし彼はそれをあざ笑うかのようにせせら笑った。
『親友は明日会えるけど、アイドルには今日しか会えないからな』
最低だコイツ。
『死んだら呪ってやる』
『やめてくれ。美人ならいくら呪ってくれても構わないけど、男は嫌だね。じゃーな、死んでも呪うなよ』
一方的にかけた電話は向こうから一歩的に切られた。大きくため息をついて天井を見た。
崩壊した僕の心を受け止められる人物がまた1人消えた。
------誰かいないかな?
悪魔な感情が次の生け贄を探すべく、頭の中を検索した。一瞬詩織の浮かんだが、頭を振ってかき消した。
何がダメかというとイロイロだ。
彼女は優しいから、言えばきっとすっ飛んできて看病をしてくれるだろう。そして言う事を聞いてくれる事に調子に乗り、迷惑をかけるし困らせるだろう。いい、そこまではいい。
そう詩織は…女の子だ。末長みたいに変な事を口走っても受け止めてくれないだろうし。それに友達とはいえ、いつもドキドキさせられてしまっているのだから、今日だってそうだろう。熱にうかされた僕が、理性を保てるかと言われれば自信がない。
残念だが今日のところは、
「寝よう」
オデコに貼る事が出来ないので氷の入った袋を首元に当てて目を閉じた。