Close Friend #2
横には僕の知る限り最強の女の子詩織が横たわっていて、目の前には3年生のイケメンの不良が立っている。
取り巻きの女の人達が4階に下りる事の出来る唯一の出口であるドアの鍵をピッキングによって塞いでいた。しかも今まで出していなかったのに、手にはカッターやナイフが握られている。
今、僕の手元にあるのはポケットの中に携帯と財布、そして鞄のみ。
一切何も置かれていない屋上は約120cmほどあるコンクリートの柵に囲まれ、消化器があるだけだ。唯一使えそうな消化器は女の人達に囲まれている。一応奥の方にコンクリートの柵へ昇れるような段差があるが、もし柵を乗り越えても、下のベランダに降りる為には何かに捕まってでないと降りれそうにない。柵の真ん中ら辺には、柔道部が1年前に付けたという自転車のタイヤのチューブが高い位置に取り付けられているものの、あの長さでは僕の身長を持ってしても下の階の柵には足も届かないだろう。それにここの校舎の一番外側の壁面がベランダの壁になっている。つまり彫り込んだような形になっていて、ベランダは突き出ているような構造ではないのだ。詩織を連れて柵を乗り越えても降り立つ場所がなければ、ただ落ちるだけだ。
しかも、昨日の大雨で端っこの方は枯れ葉が詰まって排水が進んでおらず、結構大きな水たまりを作ったままで、奥の床は濡れていて足場も悪そうだ。
-----どうする…。
目の前のイケメン、大我はすでに好戦的な構えを取っていた。
「? もしかして武器使用者? 持ちなや」
僕が応える前に彼は「俺にはそんなもの必要あらへんわ」と自信たっぷりに両手を広げてみせる。
-----考えろ、鍵はかけられて出られない。携帯で助けを呼んでもいいけど、逆上されたら2人ともやられるのは必須、せめて長いロープか降りるのに何か使える物があれば…。
しかし探してもあるのは、柵に取り付けられた伸びきったチューブだけでどんなに計算してもベランダまで届きそうにない。こんなことならジムでボクシングか何か習っておくんだった! どちらにしろ一朝一夕で身に付く事なんてないのだから意味なんてないが。
「ぅ…」
詩織のうめき声が聞こえた。
多分もうすぐ起きるだろう。けれど、あんなに殴られた後では人を倒す程の体力は残っていないと考えていい。彼女に期待は出来ない。
-----起こして打開策を考えるか、いや…そんな暇はなさそうだ。
大我は今にも飛び出さんばかりの身構えをしていた。
4階のベランダから、トランペットやホルン等の金管楽器の大きな音色が聞こえてきた。ゆっくり目を閉じてその美しい音色を聞いた。
-----僕は、賭けなんて好きじゃないんだけどな…。
でも…詩織を早く助け出さなければ、きっと彼女はこれ以上の酷い目に遭わされる。それに、僕が万が一あの人に勝負で勝ったとしても無事に返してくれる保証なんてどこにもない。しかも、今は凶器まで持っている。
詩織のことをかなり憎んでいるみたいだから、もしかしたら顔に傷を付けられてしまうかも知れない。最悪の状況を考えるならば2人ともここでお陀仏だ。
もし今の僕が詩織だったら、きっと僕を助ける為に自分の命をも犠牲にするだろう。だったら、僕は…。
「詩織、僕の賭けにのってくれる?」
自分に言い聞かせるように、奮い立たせるように呟き、目を開ける。
肯定も否定もせず、少しだけ指先が動いたのを見届け、シャツの一番上のボタンを外した。
「ようやくやる気になってくれたかー。って、Tシャツになるつもりなん?」
「好きにさせてよ」
全部のボタンを外し終えてシャツを一旦置き、Tシャツも脱いで排水溝の方へ投げた。ふわりと空気に一瞬だけのって水たまりに着水する。そして繊維がゆっくりと水を吸い始め、水面へ沈み始めた。
制服のシャツをもう一度羽織ってボタンをつけ、落ちていた鞄を引っ掴んだ。
「何や? 結局シャツでやんねやったら、Tシャツ脱がんでよかったやん」
心底驚いたような顔をする彼に向かって、肩をすくめて笑った。
「ま、ええわ。ほな、やろか?」
スカパラオーケストラの曲が演奏され始め、大我は間を詰めるように僕へ一直線に向かってきた。
彼は僕の全くない実力に臆しているのか、先程から大きな身振りで拳を繰り出してきている。ギリギリ相手のパンチが届かない間合いを保ちつつ、蹴りだけを警戒する。1発、凌ぐだけでいい。とにかく今は逃げることだけ考えるんだ。
何度も届かない拳が空を切った。
舌打ちが聞こえ、足が躍動するのが分かった。
-----これは、詩織が前に…。
彼の大きなアクションですぐにどんな蹴りが来るのか予想する事が出来た。この体勢から繰り出せる蹴り技は一つ、踵落しだ。僕は番長のように力がある訳じゃないから、受け止めて蹴りの威力を殺す事は不可能だ。だったら僕が出来る事は…相手の技を受けた瞬間受け流す事だけだ。要は作用点力点の問題な訳で、力が来る方向がわかっているのだから、その力が発揮される方向を変えてやれば…。
「無理!」
-----だいたいインパクトの瞬間に力のかかった方向を受け流すなんて、詩織くらいじゃないと出来ないよ。
思いっきり横に転がって踵落しを躱した。
大きい技をした後はプロの格闘家でもすぐさま次の動きの動作に入るのは難しい。僕はその隙をついて走り出した。
「な!?」
まずは消化器。
大きく鞄を振り回せば力のない僕でも人を蹴散らせる効果があった。女の人達をいい具合に追い払った後、消化器に手を掛けた。
女の人の中の誰かが叫んだ瞬間、安全ピンを引き抜き消化剤を振りまいた。
「キャー!!」
もうもうと屋上に立ちこめる薄ピンクの粉。
消化器を投げ捨て、先程放り投げたTシャツを手に取った。ぐっしょりに濡れているそれを絞る事もせず、拾い上げ詩織に駆け寄った。肩に濡れたTシャツをかけ、詩織をお姫様抱っこする。
「詩織! 起きろ!」
「ゆ…や…」
声をかけながら奥にある段差を上り120cm程の柵の上に登った。幅20cm弱の頼りない灰色の道を慎重に歩き、自転車のチューブの上まで歩いた。足にチューブを引っ掛け蹴り上げると、柵を越えて屋上の外側に15cmほど下がった格好になった。
目算するがやっぱりこれだけでは足りそうにない。ぶら下がったとしても、たぶん足が下のベランダから少し見えるくらいになっただけだろうか。
「ユーヤ…」
「動かないで、今降ろすから」
そう言って彼女もまた幅20cm程の柵の上に立たせる。
「これから何が起こっても絶対僕から手を離さないで」
腕を自分の首周りに回させる。顔を見るとこくりと詩織は頷づいた。
耳の横を音を立てて風がきり、立ちこめたいた薄ピンクの煙が一気に屋上から取り払われた。
「あ!!」
眼下にはこちらを目をひんむいて見上げる大我と、その取り巻きの女の人達がいた。
「何してんのよ! 落ちたりなんてしたら!」
「そ、そうよ」
「じゃあ、そこの鍵開けて逃がしてくれるんだね?」
「それは…」
目を泳がし女の人は大我を見た。
しかし彼はそれに応えずただ一心に僕の眼を見ていた。それは絶対に逃がさないという意思の表れだった。
先程より弱くなった風が詩織の赤いプリーツで遊んでいる。
「な、そんなんじゃ下まで届かないわよ!」
「大我ぁ」
「勝負なんてもういいじゃない、死なれたりなんてしたら!」
「アホ! 男の戦いに口出すな」
大きく息を吸い込んで吐き出す。
詩織と共にゆっくりしゃがんだ。
「これは賭けじゃない」
詩織になのか、自分になのかわからないが、小さく言った。
サックスのソロパートが佳境を迎えた。
詩織の赤いスカートが項垂れた時、僕の足は頼りない柵を離れた。